思い立ったが吉日というわけでもないが、俺は一度決めたことは早めに終わらせる性分である。はじめての街、そして電車に戸惑う宮藤を連れて買い物にきていた。
辿り着いたのはそれなりに大きくて、そこそこの店が入っている商業施設……いわゆる、ショッピングセンターである。施設内で歩みを進める俺のあとを、宮藤がとことことついてくる。
「う……っわー! すごいすごい、ここ、ぜーんぶ服屋さんなんですか!?」
「うーん、全部ってわけじゃないけどね。この階ともう一個上の階がアパレル……えと、
洋服屋が入っていて、上の方は飲食店とか雑貨屋、それに映画館なんかがあるね」
おのぼりさんのように感動の声をあげる宮藤は、きらきらとした目でショッピングセンターを見渡す。考えてみれば1945年当時はショッピングセンターどころかスーパーマーケットすら存在しない時代で、こういった大型商業施設などは目にするのも初めてのはずだ。いや、百貨店ならその時代にも存在したのだろうか?
うーん、と首を傾げる俺の服がちょいちょいと引かれる。見ると、宮藤がこそこそと俺の後ろについていた。
「どうしたの」
「いえ……えっと、やっぱり70年も経つと着るものも変わっていくんだなぁって思いまして」
ちらちらと彼女が見る先には、15歳の宮藤と同年代であろう少女たちが楽しげに通路を歩いている。年頃の少女らしく着飾った彼女らが身に着けているのは、なんの変哲もないブラウスであったり、カーディガンであったり、スカートであったりする。
あいにく女性服の名称に詳しくない俺には正確な表現はできないが、まあよくいる今風の服装なのだとは思う。
「言っておくけど、今からああいう服を買いにいくんだよ? わかってる?」
「わ、わかってますけどぉ……」
そういう彼女はそっと目を伏せる。家を出る前にも散々話したが、どうにも現代の服装に馴染めないようだ。いや、スクール水着にセーラー服で外に出かけるほうがよっぽど恥ずかしいと思うんだけど。
それに、と俺は彼女の今の服装に目を通す。
「ずっと俺の服ってわけにもいかないだろ。サイズだってぶかぶかだし……」
「え、えへへ……」
そう。少なくともあの格好で外に出す訳にはいかないと思った俺は、苦し紛れに自身の私服を貸し与えていた。
身長150cmほどの彼女とは20cm程度離れているわけで、当然、上も下もまったく丈が合っていない。シャツは腰を超えて股下まで隠すように伸びているし、下のズボンはウエストこそおかしくないものの、そのまま歩いては擦ってしまう裾を何重にもたくし上げていた。
……これが可愛い女の子が着ているからまだ許されるものの、見た目としても実用性としても俺の服を着続けるのは色んな意味で困難があるだろう。
「でも、本当にいいんですか? お洋服代まで出してもらうなんて……」
「今のままだと近所にも出かけられないからね。それに、あんまり高い店に行くつもりはないから」
遠慮がちに俺を見上げる宮藤だが、これは俺としても譲れないラインである。仮にも俺の周りで生活を送る以上、さすがに今のままで過ごしてもらうわけにはいかないのだ。
というか、少女にセーラー服とスクール水着を着せて家事をやらせるなんてことが世に知られたら俺は終わりである。社会的に。
「女性服なんて普段見るわけじゃないから、あんまり詳しくないけどね。……おっと。とりあえず、この店から探すよ」
ふと歩みをとめたのは、俺もよく見知っている洋服ブランド店。値段帯としては中の下と言ったところだが、華美でもなくしっかりとした商品を扱っているので重用している。
この店であれば宮藤の着られるようなレディース服も置いてあるはずだし、特に問題もないだろう。
「ふわぁ……すっごい……」
店内に入った宮藤が並べられた服の数に驚いたような声を出す。当時の服屋はよくわからないが、大量製造が可能になった現代日本には同じサイズの同じ型の製品を並べるのは当たり前で、その辺りに驚いているのかもしれない。
さて、と俺は宮藤に向き直った。
「ごめんだけど、俺は女の子の服を選ぶという経験はしたことがない。宮藤、自分で決められる?」
そんな言葉にちょっと怒ったのか、宮藤は頬を膨らませた。
「できますよぉ! わたし、クリスちゃんのお洋服を買ったことだってあるんですから!」
「誰だよクリスちゃん」
まあそう言うなら問題ないか。ふふーんと機嫌よさそうに陳列された服を手に取り、自分に合わせてみたりしてくるくると回っている。こうなれば後は、放っておけば気に入った服を持ってくるだろう。
服を選ぶ宮藤を見ているのもまたはばかられて、さて店の外ででも待っていようかと考えたときにそっと声をかけられた。声の方を見ると、笑みを浮かべた女性店員が立っている。
「可愛い女の子ですねぇ。お買い物の付き添いですか?」
「……まあ、そんなところです」
「彼女さんですか?」
ぶしつけに聞いてくる店員は、特に悪気もなく尋ねているようだ。
「そういうんじゃないですけど。なんていうか……まあ、妹分みたいなもんですかね」
部屋に寝泊まりさせている未成年の女の子(非血縁者)と言うわけにもいかず、適当に言葉を濁す。正直に答えてもドン引きされるか警察を呼ばれるかの二択だろう。
そんな俺の言葉に納得がいったのか、うんうんと頷く彼女。
「よかったら一緒に探してあげてくださいね? 女の子って、服を選ぶ時は誰かに見てもらいたいものですから」
俺が店を出ようとしていたのを見抜いていたのか、そんな店員の言葉にぎくりとする。
にこにこと笑顔を浮かべる彼女は、無言で宮藤の元に行くように促す。なんでこんなに服屋の店員っていうのは押しが強いんだろうか。諦めた歩を進める俺を、ひらひらと手を振って追いやってくれる。
「あー、宮藤? 服は選べて……」
「み、三森さん! これ、み、み、見てください!」
「へ?」
俺が声をかけるのと同時に振り返った宮藤が、震えた腕で手に取っていた洋服を突き出してくる。
そんなに探すのを手伝って欲しかったのか……? と疑問に思うも、焦ったような彼女の表情を見るにそうではないようだ。
よく見ると、見て欲しいのは洋服そのものではなくてそれについているタグ――いわゆる値札であった。
「お洋服ってこんなにお値段がするんですか!? わたし、とてもじゃないけどこんな……!」
「え、そんな高い? 普通ぐらいだと思うけど……」
手に取っていたのは上衣とスカートが一緒になっている衣服、つまりワンピースである。薄いピンクにフリルをあしらい、リボンを備えたそれは一つ間違えればあざといと思われる服装だが、幼い顔立ちの宮藤にはよく似合うだろうと感じた。
そんなワンピースの値段はというと、まあ上下がセットになっていると思えば納得のできる程度の価格ではある。つまり、妥当なそれにしか見えない。のだが、なぜそんなに焦っているのか……というと。ああ、なるほど。
「物価指数の違いか」
「えっ?」
よくよく考えなくても気づけたことであるが、宮藤のいた1945年当時と現代の日本では完全に物価が異なっている。加えて貨幣単位も異なっているために、宮藤からすると現代日本の商品価格はとんでもなく高額なものに見えるだろう。
この物価の高騰には高度経済成長やバブル期のインフレ化などが関係しているが、そこまで説明するのも野暮か。とりあえず、宮藤の感覚のそれとはズレていることだけ覚えてもらおう。
「ってことで、そんなに高いものでもないよ」
「は、はぁ……」
一応簡単に説明はしたものの、いまいちピンとこないようでじっとその値札を見つめる。
しかしながら、70年前当時に比べて現代までにどれだけ物価が上昇したのかというと答えには困ってしまう。
「つ、つまりお金の価値が違うってことですか?」
「うん、そういうことだね」
ふーむ、と値札を見たまま考え込んでしまう宮藤はまだ上手く飲み込めていないようだ。もう少し具体的に説明したほうがいいか。
「うーん……そうだな。現代日本は、米で言うと10キロが4,000円ぐらいするって言ったら伝わる?」
「お米、ですか? えーっと、米俵一俵が20円ぐらいだから……」
「一俵って60キロだっけ。それなら……米俵一俵が24,000円として、大体だけど、当時から見て1,200倍ぐらいかな」
「1,200倍……ですか?」
もちろん米価だけで現代のレートに換算するのは不可能だけど、ま、ざっくり言うとそんなところだろう。
「うん。要するに、書いてある価格の1/1,200ぐらいが宮藤の感覚だと思ってくれていいよ」
「せんにひゃくぶんのいち……」
ふーむ、と指折り数えていく宮藤。やがて納得がいったのか照れ笑いを見せた。
「あ、あはは……なるほど、それなら納得ですね。すっごくお値段のするお洋服かと思ってびっくりしちゃいました」
「まあ俺もその服の値札がその1,200倍だったら驚くけどね……それ、気に入った?」
安心したようにワンピースを手に抱いた宮藤を見ると、どうもそれが気になっているらしい。俺の問いかけに笑顔を見せた。
「はいっ。ふだんは扶桑の学生服を着てたから、なんだか可愛いなー……って思って」
「じゃあ、とりあえずそれ一着買っとくか」
持っていたワンピースを指差し、寄越すように手を向ける。
宮藤はというと、そんな俺の言葉に嬉しそうに頬をゆるめたものの、複雑な表情を浮かべた。
「あの……でも、本当にいいんですか? そのお洋服だって、安くはないですよね?」
「まあそうだけど、出かけるにしても服はいるでしょ。それに、」
「……それに?」
「制服ばっかり着てたって言うからさ。こういう色んな服を着ておくのも……その、いいだろ」
俺は何を言っているんだろう。
自分でもよくわからない言葉だが、宮藤にはどこか触れるところがあったようだ。目をぱちくりとさせたあと、少し赤らめた顔で手に持ったワンピースに顔を埋めて視線をこちらに向けた。
「じゃあその……よろしく、お願いしますっ」
うん。と受け取ったあと、俺はそれを脇に抱え――
「じゃ、次を探そうか」
「え、まだ買うんですか!?」
「そりゃそうだろ。それ一着だけ持ってても足りないし、外着だけじゃなくて部屋着も買わないとな。それに、靴下とか――あ」
「え?」
そういえば肝心なことを忘れてた。
パンツ……下着をどうしようか。
「どうしたんですか?」
「どうしたんですか……って。いや、そのあれだよ。必要な物が……その、他にもあったんだけど」
パンツどうする? なんて面と向かって、しかも往来で聞けるわけがない。
言葉を濁して顔を背ける俺に、ぐいぐいと近寄ってくる宮藤。
「なんですか、必要なものって? ねえなんですかー? 教えてくださいよ―」
さっきまでの遠慮はどこに行ったのか、顔を寄せて質問を重ねてくる。俺はというと、さすがに口を開くことも出来ずに後退する。
後ろに下がった俺に、更に付いてくるようにした宮藤の頭を手で抑える。なんだか実家で飼っていた犬を思い出す。よくこうやって近づいてくるのを手で抑えてたっけ。
「と、とりあえずそれは今はいいっ。あとでまた考えるから、とりあえず服だけ探すぞ!」
笑顔で見送る店員を背に、店を離れて歩みを進める。衣服ばかりが入った商品袋は手には軽いものの、ずっしりと身体には疲労感が襲ってくる。
「ふへぇ……ちょっと疲れちゃいました」
「色々と買い込んだからなあ」
結局、最初に選んだワンピースに加えて外に着ていけるような上下を数点、更に部屋で着られるようなラフなものを購入。まあ寝間着としても使ってもらうことにしよう。
さらに、先ほど説明に窮した下着――つまりパンツなどについては、流石にこの場で買いに行くのは厳しいと言わざるをえない。いや、女性下着店とか入れないから。これについては帰宅次第インターネットででも探すことにする。近頃のインターネット通販は便利なもので、即日で送られてくるだろう。
「ほんとに、色々買ってもらっちゃって……ありがとうございます、三森さん!」
ぺこり、と頭を下げる宮藤にひらひらと手を振る。
彼女同様、いやむしろ精神的には俺のほうが疲れていると言えるだろう。
「あの、三森さんのお洋服は買わなくてよかったんですか?」
「ああ、俺は今ある分だけで大丈夫だから。普段から服に金を掛けるタイプでもないし」
「そうなんですか? 洋服屋さんもよく知ってるし、てっきりそうなのかと」
「宮藤こそ学生服ばっか着てたって言うけど、服屋なんかには行かなかったの?」
うーん、と顎に手を当てて考えこむ様子。
「そうですねぇ……休暇にはロンドンの服屋に行くこともあったんですけど。扶桑にいたころはお婆ちゃんやお母さんが作ってくれてましたから」
「あー。……そういや、当時は自宅で服を縫う時代か」
話には聞いたことがある。昔は和服なんかも自分で作れて一人前だったとか。
俺の言葉にきょとんとする宮藤。
「えと……今は、お家では作らないんですか?」
「ほとんどそういう家はないだろうね。雑巾ぐらいなら縫ってるかもしれないけど……」
なにせ昔に比べて衣服の製造機械も発展していて、時間あたりの生産量は当時とは比べ物にならないだろう。
短時間で、かつしっかりと縫合された衣服を大量に作れるとなればより安い価格で衣服は市場に並ぶことになる。そうなれば自宅でいちいち針と糸で縫うよりは既製品を買う層が増えるというわけだ。
「ま、それを含めて日本については改めてレクチャーするよ。わからないことだらけだろ?」
「えへへ……そうなんですよ」
少し恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべる。
そんな時ふと、通路に合間に設置された時計が視界に入る。意識していなかったが、それなりに服屋で時間を潰してしまったようだ。
すでに夕食時を迎えた今から自宅に戻り、夕食の準備をすると食事までにはかなり時間がかかってしまうだろう。
そんな俺の目線の先に気づいたのか、宮藤も時計に目をやる。そして程なくして、隣から腹の虫が鳴るのが聞こえた。
視線を向けずに口を開く。
「……お腹すいた?」
「う、うぅ……お、お恥ずかしながら……」
さすがに空腹の音を聞かれるのは気恥ずかしいのか、両頬を真っ赤に染めてうつむいてしまう宮藤。なんだかんだで、年頃の女の子ということだろうか。
成長期に腹が減るのはつらいだろう。俺としてもすきっ腹とは言わないまでもそろそろ胃に何か入れたいころだ。どうせ衣服にも金を使ったことだし、今日はもう少し贅沢をして帰ることにしようか。
立ち止まったことに疑問を覚えたのか、まだ少し赤面したままの顔をこちらに向ける宮藤に視線を返す。
「どうせ帰っても今から何か作るのめんどくさいだろ。宮藤、なにか食べたいものはある?」
「た、食べたいもの……ですか?」
「ああ、今日は外食しようかと思ってね」
外食という言葉が通じるのかは微妙なところだったが、考えているところを見ると問題はなかったようだ。考えてみれば日本は江戸の時代から寿司や蕎麦などの外食産業が台頭していたわけで、当然同じ概念は理解しているだろう。
「ここはそこそこ大きいモールだし、それなりに食べたいものは選べると思うよ。ヴェネツィアみたいにピザとかパスタの専門店もあるし」
イタ飯以外にも中華やフレンチ、カレーやオムライスの専門店なんていうのもある。日本は美食の国だ。美味いものに関しては力をつぎ込むのである。
そんな俺の言葉に悩む様子を見せる様子の宮藤だったが、やがて思い立ったように口を開く。
「あの、それならこの国のお料理が……その、食べてみたいです」
「日本食?」
それはもちろん、当然日本食レストランもたくさん入ってるけど。
しかしいいのだろうか。話を聞いた分には彼女の故郷である扶桑皇国と日本はほぼ同じ国と見てよいし、食文化に関してもそれほど違いがあるとは思えない。
せっかく外食するなら家で食べられないもののほうが、と思ったが宮藤の考えはまた違ったようだ。
「その……実は、しばらく外国のお食事が続いていたものですから。もし扶桑料理が食べられたらいいなって思って」
ああ、なるほど。納得。
「海外食が続いたら和食が恋しくなるってことね。日本料理と扶桑料理がどこまで似てるかはわからないけど、それでいいならそうしようか」
「は、はいっ。大丈夫ですっ」
それに……まだ実感はさほどないかもしれないが、彼女はそれまで暮らしていた世界からたった一人で弾き飛ばされてしまったのだ。少しでも故郷を感じられるものがあれば慰みにもなるだろう。
幼い見た目ながらも芯の強そうな宮藤だが、なんといってもまだ15歳そこらの少女でしかない。親兄弟や友人、故郷のことを思って寂しさを感じることもあるだろう。なんとかしてフォローしていかなければ、と気を引き締める。
「……一瞬で落とされてるじゃん、俺」
ふと気づけば、宮藤のことばかり考えている自分に笑ってしまう。
「……? なにか言いましたか?」
「いや、なんでもない。それより飯にしよう」
小さくこぼした笑い声に耳ざとく気づいた宮藤を手でいなし、飲食店街のある上階を指差す。
これから俺とこいつが、どういう生活を送るかはわからない。けれど、少なくとも退屈することはないだろう。
「早く来ないと置いてくぞ―」
「あ、ちょっと待ってくださいよぉー!」
慌てたように付いてくる宮藤を横目に捉えながら、俺は明日からの生活に考えを巡らせた。