闇の書の意志との戦いの最中、気がつくと、どこかの部屋の中に居た。
目に映るのは、星図が描かれた天井。背にはフカフカなベッドの感触。
戸惑いの中、部屋の中に
「フェイト、アリシア。朝ですよ。お早うございます」
もぞり、と横で何かが動く感触に、顔を向ければ──自分よりも小さな身体の、自分とそっくりな、女の子。
「リニス……アリ、シア……?」
戸惑いは、名前となって、零れ出た。
ベッドから起き出て、リニスに連れられ、アリシアとともに外へ出て。
朝食が用意されているという中庭へ行けば、そこには──優しげな笑みを浮かべる、母が居て。
戸惑いが、深まる。
椅子に座らされ、用意された美味しそうな朝食を前に、だけど、身体は動かなくて。
「ああそうだ」と母さんが言った、その瞬間、一瞬身体がビクリとした。優しい声音だったのに。
「今度、街へ行きましょう。フェイトの新しい洋服を買ってあげないと」
そう言って、楽しそうに、優しく微笑む母さんも。
「フェイトだけずるい!」とこぼしたアリシアに、「魔導試験で満点を取ったご褒美ですからね」と窘めるリニスも。
テーブルを挟んだ反対側から、その下を潜って抜けてきて、自分の膝の上で勉強を見てくれるようにせがむアリシアも。
──その全てが、“幸せ”に満ちていて。
視界が歪み、涙が零れる。
溢れるそれを堪えることなど出来ずに、ただ、泣きわめくことしかできなくて。
だって──何もかもが、私が欲しかったものだから。私が望んだ、幸せの形だったから。
…
……
…
時は過ぎゆく。どれだけの日が経ったのだろうか。
幸せな日々。
──だけど。
ここは、幸せに包まれている。
──だけど、幸せなだけだ。
ここには、優しさが満ち溢れている。
──だけど、優しいだけだ。
……だから、私は。
…
……
…
アリシアと一緒に外に出て、過ごした日。
とても大きな木の根に座り、ただぼんやりと眺めていたら、にわかに空が曇りだし、雷が鳴った。
──まるで、私の心のように。
草むらに寝転んで本を読んでいたアリシアが立ち上がり、「戻ろう、フェイト?」と声を掛けてきたけれど、もう少しここに居ると断った。
アリシアは私の側に駆けてきて──
「それじゃあ私も。一緒に、あ・ま・や・ど・りっ」
隣に座って、私の肩に頭を預けてきた。
──降り出した雨は、次第に強さを増していく。
「……ねえ、アリシア。これは……夢、なんだよね」
「……変なフェイト。夢なわけ、ないじゃない」
どこか、取り繕ったような声音で否定される。
──だけど。
「……アリシアが生きていたら、私は居ない。だって私は、アリシアの……。それに、母さんはあんな風に、私に笑いかけてはくれなかった」
「優しい人、だったんだよ。ただ、優しすぎただけ。優しすぎて──私が死んじゃったから」
今度は、固い声音で言ったアリシアは、直ぐに明るく「でもね、フェイト」と言葉を続けてきて。
「夢だって、良いじゃない。優しいママと、リニスが居て。私だって居る。……フェイトの欲しかったものが、ここにある。欲しかった幸せ、いっぱい上げられるよ。だから、ここに居よう?」
それはとても、甘美な誘い。
そしてその言葉は、悪意を持った誘惑なんかじゃなく、純粋に、私の事を想って言ってくれている言葉だって、すごく解るもの。
──だけど、だけどね、アリシア。
甘いだけではない世界。
優しいだけではない世界。
幸せなだけではない世界。
──だけど。
辛いことも、苦しいことも有った。挫けそうになったり、身体も、心も、傷ついた。けれど、立ち上がって、前を向いて、進んで来たつもりで。
それを、「頑張ったな」って言ってくれた人がいた。
そう、それは確かに、私が歩んできた道なんだ。
「……ごめんね、アリシア。だけど私は、行かなくちゃ」
立ち上がり、雨の中に向けて、足を踏み出し、振り返って言った言葉に、答える声は無く。
けれどアリシアは、静かに立ち上がって私の前まで歩いてきて──何かを大切に包むように持った手を、静かに開いた。
「ごめんねは、私の方。……ほんとうは、ちゃんと解ってた。だけど、私が失いたくなかったから。夢の中なら、私はフェイトのお姉ちゃんで居られるから」
そう言って差し出された手に乗せられていたのは、ずっと一緒に歩んできた、私の
私の手を取って、バルディッシュを渡してきたアリシアを……小さな身体を抱き締めた。
「ごめん……ごめんね、アリシア……」
「いいよ。だって私は、フェイトのお姉ちゃんだもん」
──涙が溢れる。
「待っているんでしょう? 優しい人達と、大切な友達。それと──大好きな人。だから、行ってらっしゃい」
その言葉に、いくつもの顔が瞼の裏に浮かぶ。リンディ提督やクロノは、いつも優しく接してくれる。なのはは、あの時からずっと、とてもとても、大切な友達。そして──ああ、そうか──
「……うん、あり、がとう……お姉ちゃん……大好き」
「私も、大好きだよ。フェイト」
腕の中の
──現実でも、こんなふうに居たかったな。
そんな声が、最後に聞こえて……背中を押されるように、涙を振り払い、歩き出す。
向かう場所は、この庭園の中心部。雨の中を抜けて、城の中の、大広間へと。
その途中の廊下で、進む先に、母さんとリニスが立っていた。
二人は、私の心が見せた“夢”なのだと、解っているのに──二人の間を通り過ぎた時、「フェイト」と背中に声を掛けられて、足が止まった。
──例えこれが夢だと解っていたとしても。
「しっかりね、フェイト」
「頑張ってくださいね。フェイト」
そんな言葉が、嬉しく思えて。
はい、と、強く頷いて──だけど、振り返ることなく。
これは、決別じゃない。忘れてしまうわけでもない。全部、受け止めて、受け入れて、進むんだ。
「行こう、バルディッシュ」
《Yes sir》
大広間に入り、中心に立ってバルディッシュへ呼びかければ、私の身体を魔力が包み、バリアジャケットを形作った。
《Zamber form》
カートリッジの撃鉄が二度降ろされ、バルディッシュはその形状を変化させる。
戦斧から、剣の柄へ。
魔力が刃を形作り、半ば実体化した長大な魔力刃を持つ大剣へと姿を変えた。
──母さん、リニス。……お姉ちゃん。逢えて嬉しかった。
それを大きく振るうと、刃が、いつもと違う
大丈夫だよ。私はもう、立ち止まったりしない。止まったままの私も、進んでいけるから──
大きく振り上げ、力を込める。
──行ってきます。私が今、居るべき場所へ!
「疾風迅雷!!」
高く長く伸びた刃を振り下ろし、この甘く優しい“夢”を、断ち切る──!
◇◆◇
闇の書の意志との激しい戦いの末に、なのははチェーンバインドによって捕らえられ、アーチ状に大きくせり出した岩塊の真下につり下げられるように囚われた。
闇の書の意志は、なのはの遥か頭上へと飛び上がり、そこに一振りの巨大な槍を生み出した。
かつての時代においては、対艦兵装として使われた螺旋の巨槍。それがなのはに向け、落とされる。
「──眠れ!」
槍は落ちるにつれドリルのように激しく回転し、なのはがつり下げられたアーチ状の岩塊を砕き貫き、彼女へ迫る。
なのはは自らに迫る槍の穂先に、その表情を驚愕に染め……それでも、最後まで諦めないと、自らを縛るバインドを破ろうと足掻いて、足掻いて。
……けれど、間に合わない。脅威はもやは間近に迫り──その時、世界を、閃光が貫いた。
降り来る槍のその更に上空から、莫大な重量を持って落下してくる槍よりも更に速く、それはまさに雷光の如く。全てを斬り裂く閃光の刃を携えた雷神が、なのはに迫った脅威を両断し、切り開く──!
「フェイトちゃん!」
最初は間に合わなかった。けれど、今回は間に合ったことに安堵の表情を浮かべたフェイトに、バインドから脱したなのはが駆け寄って──フェイトが纏うバリアジャケットの形状に、一瞬驚きの表情を浮かべた後、柔らかく微笑んだ。
ライトニングフォームをベースにしつつも、ボディスーツのスカート下の形状の変化や、右腕にも装甲を追加した、ブレイズフォーム。何よりも目立つ変化は、黒色から白色になった、マントの表地だろう。
「フェイトちゃんの
「……そう言われてみれば、そうかも」
なのはに言われて改めて自分の姿を見てフェイトが頷き、二人でクスクスと笑い合って。
二人で並んで、再び、闇の書の意志と相対した。
──戦いは、