ピチャリと、水の音がした。
するすると、ゆっくりと流し込まれてくるそれを嚥下して、同時に、奥深くからわき上がってくる、暖かさ。
鼻腔をくすぐる淡く甘い香りに誘われるように、暗く深い澱みの底から、ゆっくりと這い出るように、意識が浮上する。
まるでとても長い間眠っていたかのような気怠さを感じながら、重い瞼を開けると、薄ぼんやりと光る岩盤の天井が目に入った。
……現状が今一把握できず、どうしたんだっけと思った矢先に、真横でもぞりと何かが動く気配がした。
「あ……良かった。目が覚めた」
続いて聞こえてきた、聞き覚えのある声に首を傾けて、声のした方を向くと、俺の顔を見下ろしながら微笑む見覚えのある誰か……って、瑞希?
どうやらベッド脇にソファを持ってきて座っていたらしい。
やはり状況が把握出来なくて、一度目を瞑って目覚める前──記憶にある出来事を掘り返して──ああ、そうか。
「……何も出来なかったなぁ……」
「……? どうしたの?」
つい漏れ出た言葉が聞こえなかったのだろう、聞き返してきた瑞希に「なんでもないよ」と返して、「それよりこれはどう言う状況?」と訊いてみる……と、
「突然消えて、暫く経って突然現れたらボロボロだった」
とまあ、割と衝撃的な答えが返ってきた。
もう少し詳しく、順を追って教えてくれと訊いてみると、どうやらこういうことらしい。
すなわち、あの時瑞希から離れてフェイトを召喚しようとした俺だったけれど、その身体を球状魔法陣が取り囲んだ。形状や模様、雰囲気は、前に彼女達の前でアルトリアを召喚した時に見たものと、同じような感じだったらしい。
で、それが砕けて消えた時には、俺の姿もこの部屋に無かったと。
悪いと思いつつも部屋の中を一通り見回り、どこにも俺が居ないことを確認した時点で、俺の【ユニークスキル】が召喚であることを思い出して、「もしかして逆に召喚された?」と思ったので、戻ってくるまで待つ事にしたのだとか。
そして暫く経って、突如部屋の中に俺が消えた時と同じような球状魔法陣が出現して、それが消えた時にはズタボロになった俺が倒れていたらしく。
とりあえず外傷にポーションを掛けて、体内も負傷してる可能性を考慮して何とか飲ませて、ベッドに運んで寝かせてくれた、とのことだ。
「ちなみに、あれからもう2日経つ。昨日はずっと目覚めなくて、流石に心配だった」
ふと見ると、テーブルの上にはいくつかのポーションの空き瓶。そのうち一つにはまだ半分ほど中身が入っているようだ。
すると、俺の視線に気付いたのか、「一応、定期的に飲ませていたから」との言葉が。
「……マジか……ってか、ずっと看病してくれてたの?」
「放っておけるわけもないし……気にしないで」
「そっか……ありがとう。それとごめんね」
悪いことをしたと謝る俺に、頭を振って答える瑞希。
そう言ってくれるけれど、俺としては気にしてしまうもの……なので、自分の中で借りにしておくことにしよう。
さて、何時までも寝ている訳にもいくまい。
やっぱり身体はだるいけれど、何とか身体を起こし、現状を把握するために取り敢えずステータスウィンドウを呼び出す。
それでようやく、俺が
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『
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「……なるほどね……」
この説明と俺の現状、先程の瑞希の説明からするに、どうやらこれはフェイト達を召喚する時とは違い、「俺自身を肉体ごと、該当の世界に送り込む」スキルのようである。
つまり、あの瞬間限定だけれど、俺は『この世界』からの脱出を果たしていたと言うことで──……そんなスキルの存在を、『
ぽつりと漏らした言葉に、横で聞いていた瑞希が「葉月が消えた原因?」と訊いてきたので、スキルの仕様をザックリ説明しようとして──「こういうこと」とステータスウィンドウを見るように示した。
「それでちょっと戦いになって、あっさり負けてこうなった、と」
「……そっか」
「えっと……瑞希、悪いんだけど」
「ん。秘密にする」
皆まで言う前に返事を返してきた瑞希に「よく分かったな」と驚きつつ言うと、「何となく。そうする理由も同じく」とのこと。
まぁ、普通に考えれば「攻略しなくても脱出する目がある」ってことが分かると混乱が起きそうな感じがするしな。……実際のスキルは、今は使えないみたいだけれど。どうやらこれ、説明文に有るとおり、使うために必要な“条件”は俺じゃ無く、向こうが満たす必要があるみたいで。
……と、何はともあれ目も覚めたし、2日も眠ってしまっていたと言うのなら皆にも説明しないとな。そう思い立ち、取り敢えずベッドから出ようとしたのだけど、やはり身体が重い、怠いと行動がキツイ。終いには瑞希に「無理しちゃダメ」と窘められる。
恐らく大怪我からポーションで無理矢理回復させたから……なんだろうけど、前回ズィーレビアに自爆喰らった時はここまで酷く無かったんだよな。考えられる原因としては──頭を過ぎるのは『特定異世界』の単語。……傷を負ったのが、この世界ではなくフェイト達の世界だったから、だろうか。
それと、『リンカーコア』か。
今し方見たステータスウィンドウの中で、リンカーコアの説明文が少し変化していた……と言っても「現在衰弱している」と一言付いただけだけど。
原因は考えるまでも無く『闇の書』による『蒐集』だろう。
完全とは言わなくても、あの時確かに俺のリンカーコアは魔力の蒐集を受けた。それによってコア自体が衰弱し、収縮して魔力を上手く扱えなくなっているんだと思う。現状に慣れればちゃんと動けるだろうとは思うけれど……まぁ、今は瑞希の言う通り、無理する必要も無いか。
それじゃあまずは──
(アルトリア、聞いていたと思うんだけど……)
多分、近くに居てくれているだろうアルトリアに念話を飛ばすと、直ぐに「はい」と返ってきた。
(大体、ですが解りました。とは言え私ではそのステータスは読めませんので、後程詳しい説明をお願いします)
続いて聞こえてきた念話に「了解」と返そうとしたところで「ただ、一つだけ」と続けられた言葉に思考を傾ける。
(……余り心配をさせないでください)
労るような声音……いや、きっとその“想い”が籠められていると感じられる『念話』に、申し訳無く思いつつも嬉しくも思ってしまう。
なので、「ごめん、それと心配してくれてありがとう」と言葉を変えて、念話を送った。
……と、恐らく俺がアルトリアに念話を送るために黙ってしまったからだろう、瑞希が不思議そうに首を傾げて「どうかしたの?」と訊いてきたので、「姿は見えないけど、アルトリアがこの部屋に居るから、念話……思念の会話みたいなのを送っていた」と説明する……と、少しだけビクリとしながら「この部屋って、ずっと?」と問いかけてくる。
「ずっとだけど……どうした?」
何かやましいことでもあるのか? なんて言うと、「な、何もないよ」とぶんぶんと首を振る。
まぁ、他に誰も居ないと思っていたのに実は居た、なんて言われたら焦るよな。本当に何かあるのならアルトリアが何か言ってくるだろうってのもあるけれど、付き合いは短くとも、彼女が信用に足る相手であることは解っているし。
「冗談だよ」と言いつつも、今の様子が何だか面白くてくつくつと笑ってしまうと、むぅ、と拗ねた様子を見せる瑞希に「ごめん」と謝る。
それにしても、こうしてじっくり接してみると、思った以上に表情豊かだな、この娘。
……と、ともあれ、先ずはフェイトかな。自分の状況と、何よりも無事を──あの時フェイトの意識が無くて、俺に気付いて居なかったのなら余計なことは言わないけど──伝えないと。
「今から、フェイトを喚ぶから」と言うと、瑞希は「解った」と頷いてベッド脇に持ってきていたソファを動かし、場所を空けてくれた。
「『
『リンカーコア』が収縮し、思うように使えない状態で喚ぶことが出来るのか、なんて不安も若干あったのだけど、それはまた別の法則なのだろう、今度は俺の身体を覆うこともなく、伸ばした右手の先に無事に現れるいつもの球状魔法陣。
それがカシャンと砕けて消えて、現れたのは聖祥の制服姿のフェイトで──彼女は俺の姿を認めると、目を見開いて。
「──葉月ぃっ!」
「わっ、と」
ダッと駆け寄ってくると同時に抱きついてきて、そのまま勢いに押されて押し倒されてしまった。
俺の上に乗って顔を見下ろしてきながら、ペタペタと身体を触ってくるフェイト。
「大丈夫? 私あの時、ぼんやりとだけど、葉月が傷ついて、怪我して、わた、わたし、私のせいで……!」
若干取り乱した様子で言うフェイトの頭に手を乗せると、一瞬びくりとしつつも振りほどいたりはせずに、動きを止めて、じっと見つめてくるフェイト。
目尻に光るものを、もう片方の手でぬぐってあげて、「大丈夫だよ」と声を掛ける。ゆっくりと、一言一言を、はっきりと。
じわりと、もう一度彼女の目尻に滲む雫。
その直後──
「ぅ──ぁ……!」
ギュッと、俺の胸に顔を押しつけて、声を上げずに、抱きついてきて。
「……大丈夫だよ。俺は、大丈夫。ちゃんと、ここに居るよ」
もう一度、静かに声を掛けながら、優しく撫でる。「大丈夫。ありがとう」と。彼女が落ち着くまで。
…
……
…
暫しして。
ようやく落ち着いたのだろう、フェイトがもぞりと身じろぎし、「落ち着いた?」と声を掛けると、コクリと頷いて。
ベッドに俺を押し倒している状況に気付いたのだろう、慌てたように「あ、すぐ退くね」と起き上がり──固まるフェイト。
彼女の視線の先を追う、と、「わー」と何とも言えない表情でこちらを見やる瑞希さん。
「な、なん、な、え、えええ!? ──~~~……!」
ボンッと音がしそうなほどに一気に顔が赤くなったフェイトは、こっちを見て……「どうなってるの?」と視線だけで訴えて来ているのが良く解ったので、彼女がここに居る理由を一通り説明すると、はぅ、と大きく息を吐いた。
「お見苦しいところをお見せしました……それと、葉月を助けてくれてありがとう」と言うフェイトに、先程の様子を思い出したのか、くすくすと笑いながらも「どういたしまして」と返す瑞希。
そして「可愛い子だね」と微笑みながら言ってくる瑞希に「そうだろう」と返してやり、そんな俺達のやり取りに「ぅぅ……」と再び顔を赤くするフェイト。その様子に、再び俺達に笑みが浮かぶ。
きっと今、フェイトの頭の中からアルトリアの事が抜け落ちてるんだろうなぁ。指摘したらまた恥ずかしがるだろうか……なんて思いつつ、先程までのどこか張り詰めたような空気が和らいだ事に、ふと息を吐いた。
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