片思い的な僕ら。   作:肩仮名

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逢いたくなかった君がここにいる

 

 

 

 

 

 ここのところ妙に右手が疼くと思ったら、腱鞘炎だった。

 二日目くらいまでは、僕も遂に僕の封印されし右手が云々とか言っている余裕があったが、三日目で焦り始め、四日目にてようやく危機感を抱いて病院に行ったら腱鞘炎だと診断された。僕の右腕に何らかの存在が封印されていなかったことに安堵の息を漏らしつつ、書類ばかり押しつけてくる管理局の仕業だと責任の所在を上部に放り投げる。

 幸いなことに、魔法の発展した現代医療のおかげで僕の腱鞘炎は数日で治るらしく、この数日間の仕事をしない言い訳ができて寧ろ嬉しいくらいだった。

 

 力を入れる気のない手をぷらんぷらんと揺らしつつ、太陽の光が分厚い雲に遮られて薄暗い病院の帰り道をふらふらと力なく進む。空を見れば、今にも灰色が黒色に変わりそうな曇天に湿気が加算されていた。傘を持ってくれば良かっただろうか。湿気で濡れた土の香りに気が滅入りそうになる。

 

 都会と田舎を行き来する景色。中途半端に開発が進んで停滞が町中に蔓延しているような空気が薄暗い天候と融合して、活気のあるゴーストタウンみたいなよくわからない感想が浮かび上がってきた。

 狭い道幅には人工物だけが幅を利かせているのに対して、自然の割合は極端に少ない。見える緑がせいぜいアスファルトを突き破ってモグラ叩きのモグラごっこに勤しんでいる雑草くらいのもので、宇宙船ミッド号の一員として思わず苦言を呈したくなりながら脚を動かす。

 人の影が見当たらない寂寥とした雰囲気の町並みの角から、人影が近付いてくるのが見えた。

 もしテロリストだったらどうしよう、とか考えることができるのも、治安の悪いミッドチルダだからこそできることだ。いいことかどうかは別にしてだが。

 

「あら」

「おや」

 

 サラサラとした長い金髪に、上品そうな顔つきが目に入る。パーツパーツを見ると好みの範疇なのだが、全体を総合してカリムさんというフィルターを通して見ると、その全てが生理的嫌悪を催すものに早変わりだ。

 カリムさん。

 そう、カリムさんである。

 顔を見た瞬間、心を瞬間冷凍して出会い頭に罵声を吐かないように気を付けた。同時に顔面も接着剤で塗り固めて、内側に蔓延る不快感を外に出さないよう苦心する。

 彼女の顔も僕に遭遇してからというもの、微動だにしていないところを見ると僕と同様なのだろう。その気持ちはよくわかる。現在進行形で僕も味わってるし。

 

「こんにちは」

「ええ、こんにちは」

 

 湿った空気中の水分を吸い取りそうなほど、表面だけの乾いた挨拶を交わした。

 言うだけ言って、足早に去ろうとする。互いに町中で偶然会っただけで世間話をするような間柄でもないし、話したとしても誰も幸せにならない。強いて言うなら頭痛薬や胃薬作ってる会社ぐらいだろうか、得するのは。

 腱鞘炎の痛みと今日の晩ご飯の内容に意識を向けて、カリムさんのことを頭の中から追い出そうと試みた。既にカリムさんは後方に過ぎ去っていったから、多分強制退去は容易だろうと踏んで脳味噌をぎゅるんぎゅるん回して思考を切り替える。

 

「────少し、お時間よろしいですか?」

 

 ……全力で、よろしくないとか言いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カリムさんに連れられて入った喫茶店は、屋外の閑古鳥が合唱をしている様子に似つかず大盛況だった。満席をいいことに、店員さんに男女の二人組だからという理由だけであれよあれよとカップルシートに案内されかけたので、慌てて断った。吐きそう。

 普通の席に案内されてから、カリムさんは鋼と氷の微笑を顔面に浮かべたまま微動だにしていない。何とも格闘に弱そうだとふざけた感想を持てるくらいには、僕にも多少の心の余裕ができている。だが、気を抜けばすぐに酸っぱい液が食道を登ってきそうだから、安心はできない。

 

 注文を終えてから一言も喋っていない現状に不思議はなかった。誰だって、嫌なことはできるだけ後回しにしたい。さっさと飛び降りればすぐに終わるとわかっていてもいざバンジージャンプの台に立つと躊躇するのと一緒だ。僕はぶっちゃけ彼女と話したくない。きっと彼女もそう思っているのだろう。

 居心地の悪さと抑えきれない不快感を何とか誤魔化すべく、紅茶に砂糖を入れて胃に流し込む。カリムさんが誘ってきたのだから、料金は彼女持ちだ。人の金で飲む紅茶はいつも以上に美味しい気がしたが、現在顔を突き合わせている相手がカリムさんだということで相殺されていた。

 

「……何かご用でしょうか?」

 

 沈黙に飽きてきたと言うより、これ以上カリムさんと向き合って座っているのが耐え難くなって言葉を発した。

 

「あら、フィアッテさんが素敵でつい見入ってしまいました。話をするのを忘れるほど熱中してしまうなんて、いやですね」

「いえいえ。カリムさんも相変わらずお美しく、僕も危うく見蕩れてしまうところでしたから、お互い様でしょう」

「まあお上手」

 

 白々しく内心と舌先を乖離させて八百じゃ足りない嘘を吐き出す。人工的な笑顔を顔にべたべたと塗りたくり、なるべく建前だけで自身の表面を構成しようと試みた。カリムさんと話す時はいつもこうだが、本音を少しでも外に出すとそれに罵倒が付随しかねないから仕方のない措置だろう。僕だって無意味に波風を立てたいわけではないのだ。

 うふふあははと一通りピーマンのような談笑を披露した後、もういいだろさっさと本題に入れよと眼力で促した。だがカリムさんは僕の電波を受信できるほど感度良好ではなく、煽ってるのかと思うほどにこにこ口角を吊り上げる。

 

「フィアッテさんとこうして二人きりでお茶するなんて、初めてですね」

「ええ、何しろ僕のような身分では首長様にお目通りするなんて、とてもとても」

「首長様って私のことですか?いつの間にそんなに出世したんでしょう、私。でも、もしそうだとしたらフィアッテさんに気軽に会えないのは悲しいですね。首長の座を引退してシャッハにでも明け渡してしまいましょうか」

「いえいえ、そんなことをしたら全人類の損失です。カリムさんはどうぞ、終身名誉首長として風の噂だけで僕にそのご活躍を教えて下さい」

「それがいいですね。もし気軽に顔を合わせることができてしまったらきっとお互いの愛が溢れ出して仕事が手に付かなく……すみません、ちょっと吐き気が。風邪でしょうか」

 

 カリムさんが笑顔のまま表皮に土気色をまぶして、紅茶を流し込んだ。紅茶によって上下に移動する喉が少しだけ扇情的に見え、僕も胃液が逆流を開始しそうだ。

 けほけほと、わざとらしく咳き込んだカリムさんが角砂糖を紅茶を介せずに口に含んだ。その様子にリンディさんを思い出して、歳を取っても外見の変わらない秘訣は糖分の過剰摂取にあるのかと戦慄する。最近、過労か何かで肌に張りがなくなってきたと愚痴っていたはやてさんに教えてあげるべきか否か。

 

 一度話が途切れてしまうと、口を開きたくないという空気がお洒落な喫茶店の一角に蔓延する。僕たちとは無関係な、楽しげな雰囲気の会話だけが鼓膜に反響して紅茶が進む。その空気は、誰も発言をしなくなって停滞した会議の雰囲気にちょっと似ていた。

 

「……………………聞きましたよ。ミュッケテを捕獲したのは、フィアッテさんなんですね」

 

 数度、口を開こうか否か逡巡したように金魚の物真似を披露した後、一瞬だけ苦虫を咀嚼した顔になってから、カリムさんは話し始めた。

 

「ミュッケテ……?」記憶を検索中、該当が中々見当たらない。「…………あ、オリヴィエか」とか言いそうになったけど、ギリギリのところで踏み止まった。これ以上喧嘩を売って何になるというのだ。

 

「いえいえ、僕だけの成果ではありませんし、むしろ僕が手伝っただけのような形になりまして。報告は僕が捕まえたってことになってますけど、本当に働いたのは別の人ですからね」

「それでも管轄外の職務なのに多大な貢献をしたのですから、賞賛はされるべきですよ」

「僕のしたことなんてほんのちょっと、しかも誰でもできるようなことですから、過大評価を頂いても返却せざるを得ません」

「まあ、そう言わずに受け取ってくださいな。教会としても、今回の事態には大騒ぎだったんですから」

 

 危うく管理局とも喧嘩になるところだったんですよ。

 カリムさんはそう言って上機嫌そうに見えるように顔を作って笑い、唇に指を置く。動作だけは魅力的で、キャロがその動作をしたらと想像すると、顔と頭の中が茹だったように熱くなった。とはいえ、カリムさんが目の前にいるというのにいつまでも想像上のキャロにかまけてもいられない。いや、本音を言うといつまでもかまけていたいのだが、それをしていたら無意識下でカリムさんを罵倒しかねない。

 相変わらず、コントロールの効かない身体である。誰かが設計段階でリモートコントロール機能を付けてくれていればこんなことで悩まなくとも良かったのに、と責任転嫁を電波に乗せて遥か彼方に飛ばした。

 

「それで────」

 

 ふっと、雰囲気が変わる。

 今までの薄っぺらいだけの笑顔でなく、胡散臭さと敵意か警戒心かわからない何かが付随された薄っぺらい笑顔。ちなみに、厚みが変わらないのはデフォルトだ。きっと僕はこの人の心のこもった笑顔を生涯見ることがないだろうという確信があった。実際、今までもなかったし。

 

「ミュッケテを捕獲する際、何かありませんでしたか?」

 

 硬直しかけた身体と額に噴出した汗を誤魔化すべく、ぽりぽりと頭を掻く振りをする。

 もう痕が残っていないにも関わらず、右手の甲を左手で隠した。

 

「……何か、ですか。随分アバウトな質問ですね。そういえば、駐車違反の車を見つけましたが、緊急事態ということもあって見逃してましたっけ」

「いえ、そういうことでなく」カリムさんの吹けば飛ぶような薄っぺらい笑みが、彼女の顔面から離脱した。きっと空調の風が当たったのだろう。「誰かが、そのロストロギアに傷を負わされませんでしたか?」

 

「……………………」

 

 落ち着け。

 落ち着け落ち着け落ち着け。

 カリムさんとはここで偶然会った。呼び出されるわけでもなく、まったくの偶然だ。だから聖王教会の総意として行動してるわけじゃない。聖王教会としての意志なら、僕を拉致るか、呼び出すか。その二択のはずだ。それにカリムさんは自分の立場────聖王の遺伝子の所持者と結婚しかねない立場にいるということも、わかっているだろう。なら、大丈夫だ。彼女が僕と結婚する可能性を残しておくなど、世界が一周でもしなければありえない。もし一周しようとも、そうしないと世界が滅ぶ云々でもない限り、ないと言っていいだろう。

 だから、大丈夫。

 もし嘘がバレたとしても、きっとカリムさんなら見逃してくれるはず。

 

「……いえ、ざっと思い返してみましたけど、特に怪我をした人はいませんでしたね。ですが、僕が見つける前となるとわかりませんね。お役に立てなくて申し訳ないです」

 

 声が震えないように気を付けて、ゆっくりと発音を意識しながら言った。多少の演技臭さは抜けきらないかもしれないが、演技臭いのなんてカリムさんとの会話では今更のことだ。管理局や教会の重役たちと腹芸の最前線でご活躍なさってるカリムさんの演技と比べると劣るだろうけど、だからといってバレる道理もない。

 

「そうですか」

 

 と、あっさり引き下がるカリムさん。にこやかな笑い顔に隠しきれない安堵の色が浮かんでいるのを見るに、僕がオリヴィエによって負傷したかどうかは、彼女にとって多大なるストレスをかけ続けていただろうということが容易に予想できる。僕だって彼女の立場にいたとしたら、四六時中胃を痙攣させてマーライオン(第97管理外世界の吐瀉物を摸したモニュメント)の山を築いてもおかしくはない。

 

「それなら良かったです。万が一にも誰かが怪我をしていたら、それはもう大変なことに……」

 

 カリムさんが口を開いたまま、一時停止した。そして、筋肉を鉱物に変えたまま顔を青く変色させて、ブロンズ像の気分でも味わっているかのように体温を下降させる。きっと大変なことを具体的に想像してしまったのだろう。僕もちょっと気持ち悪くなってきた。

 

「……と、失礼」カリムさんが僕を手で制して、錠剤のようなものが入った小瓶を取り出した。瓶の中から錠剤を二粒手の上に移し、一気に胃の中に落とす。「大変失礼しました」

「いえ、お気になさらず。それは?」

「胃薬です。お一ついかがですか?」

「いただきます」

 

 カリムさんとの間に形成された見えない壁を手だけ通過させて、胃薬を貰う。間違っても手に触れないようにと気を付けて高所から落下した胃薬は、僕の手で一、二回バウンドしてからギリギリ掌に収まった。「ととと」と思ったら角度の影響で落ちた。根性の足りない胃薬だと思ったが、きっと若いから跳ねっ返りも強いのだろうと、年長者としての寛容さを見せ付けることにした。この胃薬の製造日は知らないが、まさか二十歳を超越する秘伝の薬ということもあるまい。

 落下した薬を拾って、口に放り込む。面白みのない味が口中に広がって、紅茶の味に染まった舌を塗りつぶした。こんなことなら紅茶を残しておけば良かったと思うが、カップの底の紅茶の残りからは時間を戻してやろうという気概が感じられない。これだから最近の若いもんはと自分の年齢を棚に上げながら悪態をつく。

 

「…………」

「…………」

 

 しかし、こう一度黙り込んでしまうと沈黙が中々解除されないのは何とかならないものか。

 話がもう終了したから黙ってるのか、ただ僕なんぞと喋りたくないから黙っているのかが判別しにくくて膠着状態に陥る。

 いたずらに時間だけが走り去っていく中、腱鞘炎の違和感と痛みだけが僕を現実に留まらせる。

 もういっそトイレに行く振りしてさっさと帰っちゃおうかなとか思ってたその時だった。

 

「お客様、申し訳ありませんが相席はよろしいでしょうか」

 

 僕らをやたらとカップルシートに案内したがったウェイトレスさんが、意識の外側から声を掛けてきた。このどうしようもない状況に颯爽と現れた救世主のご尊顔を一度でも拝謁してみたいと思って、焦点をカリムさんの後ろの壁から動かす。

 そして、目を見開いた。

 思わず顔に貼り付けた表情が崩れそうになる。理由はわからないが、特に意味のない汗が額を支配する。

 光を反射する金髪に、眼鏡の奥の穏やかな瞳。どこかで見たような見目麗しい、優しそうな顔が僕らを見て、ゆっくりと微笑む。歳は二十代前半といったところだろうか。誰とは言わないが、仕事に疲れた三十路間近の女性よりも、肌にハリがある。だからといって、リンディさん以下不老族特有の妙な威圧感も素顔の見えないような感じもない。見たままの年齢のようだ。  

 

 というかぶっちゃけ、カリムさんからリボンと嫌悪感を抜いて眼鏡を足したような人だった。

 入り口からほどほどに遠いこの席にわざわざ来た理由も、カリムさんの妹(もしくは親戚)だという理由ならば説明が付く。

 カリムさんっぽい外見をしていながらも、僕に嫌悪感を抱かせない存在というのは、驚愕の一言に尽きた。何故だか脳味噌がぐるぐる回転している気がする。

 

「お久しぶりです、カリムさん」

「ええ、お久しぶりですね」

 

 僕からでも安堵が目に見て取れていたカリムさんが表情をくるりと変えて、うふふと優雅に笑った。堂に入った変わり身の速さに、流石白い肌を持ちつつ腹の中を黒くするリバーシブルのプロだと感嘆の息を漏らす。

 

「えっとそっちの人は……ああ、フィアッテ・アリネール君かな。君のことはよく聞いてるよ」

 

 まるで最初からいて、ついさっきトイレから戻ってきたかのようなほど自然にカリムさんの隣に着席した。彼女の後ろでふわりと広がる金髪がカリムさんの髪と重なって、微妙にカリムさんの方が色素が薄いことが確認できる。注目したいわけではなかったが、大きな女性のシンボルが僕の視界に入ると同時に、脳内に潜むキャロを虐待し始めた。

 

「私はユーノ・スクライア。なのはがいつもお世話になってるね」

「いえいえ、なのはさんにはどちらかというといつも僕の方がお世話になってます……うう?」

 

 ユーノさんの柔らかい微笑みに対応して失敗する。顔を製造途中で崩したお好み焼きみたいに歪ませて、怪訝を隠さず顔面にぶちまけた。

 ユーノ。僕の知ってる上では男性名である。

 しかも、その名前を僕はなのはさんの口から聞いたことがあった。

 確か、気になっていた男性として。

 

「ん?どうかした……ああ、私の性別についてかな?」

「あんまりお綺麗なんで、つい驚いて見蕩れてしまっただけですよ」

 

 気の利いてなおかつ粋な言葉を思いつかなかったので、使い回しの褒め言葉を急遽代用品に採用した。だけど、僕の見てきた女性の中でもトップクラスに綺麗な容姿をしていたので、あながち嘘だらけってわけでもないかもしれない。男性なのに。

 

「ふふ、ありがとう。でも、そういうのはちゃんと女の子に言ってあげないとだよ?ほら、ちょうどそこにも女……の子とは言い難いかもしれないけど、綺麗な女の人が」

「ユーノさん?」カリムさんが僕に向けていた笑顔と同等のものをユーノさんに向ける。

「事実だし、無限書庫の仕事も教会から回ってくるものが多くなってるし、意趣返し代わりにこれくらいの冗談は許されるんじゃないでしょうか?」

「そんな綺麗な肌しといて寝不足とか言われても信じられませんから」

 

 カリムさんの言うとおり、おそらく同年代のなのはさんたちと比較してもその肌年齢は一目瞭然につるぴかほっこりと若年層を維持している。うむ、擬音が意味不明だ。

 

「これでもシミとかシワとか色々気を遣ってますからね。いざとなったら変身魔法の応用で誤魔化せるとはいえ、あんまり使いたくない手段ですし」

「……ああ、その胸、手術とかじゃなくて変身魔法なんですか」

「そ、昔なんかはフェレットになってた頃もあったしね。ちゃんと感覚も通ってるんだよ?……フィアッテ君、触ってみる?」

「大変心惹かれるお誘いですけど、家訓で誰かの胸を触る時にはお金を払わなきゃいけないことになっているので、無一文の僕には難しいですね」

「そっか、残念」

 

 くすくすと笑って、ユーノさんが店員にチョコレートパフェと紅茶を注文する。どうせカリムさんの奢りなんだし、せっかくだから僕も追加注文しておけばよかったと思いつつも、既に去った店員を呼ぶだけの情熱もない。無くなった紅茶のカップを見ながら、氷が明らかに過剰に入った水に口を付けた。

 

 そういえば、ここ、キャロが今度行ってみたいって言ってた喫茶店だっけ。どうせだから、今度連れてくるのも……うーん、僕にそんな度胸あるかなあ。いくら望みが絶ち消えたとはいっても、キャロを好きなことには変わりないし、どっちかというと三歩下がってストーカーするのが僕の性分に近い気がする。こんなのが管理局のそこそこの役職にいるのだから、もう管理局は駄目かもしれない。

 

「……そういえば、何でそんなことになってるんですか?今まではあえて聞かなかったんですけど」

「一身上の都合というか何といいますか……無限書庫の仕事のストレスで女装にハマったのがエスカレートした結果ですかね?」

 

 マジで駄目かもしれんな管理局。

 いや実際、公務員のくせにブラックすぎだし、重要物の管理は杜撰だし、管理局本部のあるミッドチルダの首都はテロ祭だし……。考えれば考えるほど、僕の所属している組織が詰みすぎて笑えてくる。JS事件からかなり無理がある組織なのはわかってたけど、今では若干敵視していたレジアスさんに敬意を抱いてしまいそうなほどアレな組織だ。給料貰えるしキャロがいるからどうでもいいけど。

 

「あと単純に、この姿が好きなんです。気持ち悪いって思われるかもしれないけど、好きなものを堂々と好きだといえない方が私にはもっと恥ずかしいですから」

 

 思わず、笑顔が乾きかけた。今まで様々なチャンスがあったにも関わらずキャロに気持ちを伝えられないまま可能性をゼロにまで引き下げた僕には、耳が痛い言葉だ。

 厄介……あー、厄介でいいのか?うまく心内を表現するのは困難極まるけれど、荒れ果てた心が焦燥と後悔と疑問あたりの何らかの成分を燃料に、キャンプファイヤーを始めた。そんな穏やかにはほど遠い内心を表皮に表さないよう気を付けつつ、目立たない受け答えをする。

 

「へぇ、そういうの、いいですね」

「そうですか?フィアッテさんはむしろ、秘匿を美徳とか考えてそうですけど」

 

 おおっとここでカリムさんのインターセプト。

 本人にその気があるかは知らないが、僕にとっては卑劣な嫌がらせである。

 

「やはり人間正直が一番ですよ」

 

 言ってはみたものの、説得力は皆無どころかマイナスに近い。日常的に嘘ばっかり吐いて顔面の筋肉が笑顔のまま凝り固まった人間だからこそできることなのだと、無意味に勝ち誇ってみた。でも、この理屈だとカリムさんにも当てはまりそうだから、上手く勝ち誇れるかだけが心配だ。

 

「……まあ、そうですよね。正直でいられるなら、好きなものを好きと言えるのなら、それが一番いいことでしょう。教義でも汝欺くことなかれ、とかありますからね」

 

 カリムさんが何故か不満げに、頬を掻きながら目を伏せた。ひょっとしたら彼女は僕のことを好きなのかな、とか冗談でも思うんじゃなかったと吐き気を堪えながらさっさと考えの破却に努める。今の思考を司った脳の一部分だけをハンマーで原形を残さなくなるまで磨り潰したい。

 

「ま、正直に表現した結果、全てうまくいくならそれでもいいんですけどねえ。そういう言葉は、イマイチ信用しきれませんね」

「教義はどうしたんですか?」出てきたパフェを、女の子っぽくちまちま食べながらユーノさんが尋ねる。

「今はプライベートですから」

 

 本当に困ったものですよ。

 そう呟くカリムさんは今までの鉄と血で作った工業物みたいな表情が乗っていない、まるで困った我が子を心配するような母親の顔のような顔をしていた。外見的には似合うけど、僕の視点からだと似合わない。その姿を物珍しげにぼんやりと眺めていると、「あなたのせいですからね。あー、もう。ホントふざけないで……」言ってから、顔を青くして急いで表情を取り繕った。

 僕の前で気が緩みすぎた結果だろう。理性でなく本能で嫌っているのだから、理不尽な罵倒だって理性でなく本能で出る。しかし、カリムさんがやらかすとは珍しいな。僕みたいな若造なんかよりもよぽど経験積んでる古狸だっていうのに。

 疑念と困惑を前面に出すと、カリムさんが真面目な顔で言葉を発した。

 

「女の子は大切に扱いましょう」

「……はいぃ?」

「復唱してください」

「…………お、女の子は大切に扱いましょう」

 

 あまりにも真面目な顔で何とも言えないような内容の言葉を発するのだから、一瞬だけ思考がその仕事を完全に放棄してしまった。そして、そんな僕の様子を知って知らずか、カリムさんは表情を変えずに続ける。

 

「自分の考えは素直に相手に伝えましょう」

「……自分の考えは素直に相手に伝えましょう」

「許容と妥協は同じものではありません」

「許容と妥協は同じものではありません。…………すみません、何の儀式っすか?これ」

 

 何だろうか。今更道徳の時間?……いやでも、そんなもの昔腐るほど受けたからなあ。身についたかどうかはともかくとしてだけど。

 僕の疑念と同様のものをユーノさんも抱いたのか、小さな顎を指で摘んで、じーっとカリムさんを見る。小首を傾げてぽくぽくと何かを考える仕草は女性よりも女性らしい気がして、……何かなのはさんに猛烈に同情の念を抱きたくなってきた。

 

「気休めにもならないおまじない程度のものですよ。まあ、ほとんど意味なんてないんでしょうけど、私の精神的に若干の差異はあります」

 

 やる気のない疲れた笑顔をうんうんと頷かせ、あからさまに僕を責めている雰囲気。経験を元に何が言いたいかを類推してみようにも、カリムさんがこんなに感情を表に出すなんて僕の前ではほぼ初めてと言っていいかもしれないので、予想ができない。何かを伝えようとしてなのか、つい出てしまったのかさえ区別が付かない。ホント僕にとってこの人は謎生命体で、この人との接触はいつも不快な未知との遭遇だ。

 悪い人じゃないのは、わかってるんだけどねえ。

 

 そろそろカリムさんと一緒にいる拒否反応としての頭痛と腱鞘炎による右手の違和感だけが目立ってきた。キャロのことを考えてなんとか精神衛生を正常に戻そうと苦心していると、ユーノさんが不意に、顎から手を外して目線を地面と平行にした。

 そして、一言。

 

「もしかして、カリムさん。フィアッテ君のこと好きなんですか?」

 

 唐突に投下された爆弾は不安定な僕の精神衛生をぐじゃりと嫌な音と共に崩して脳内に虫を這わせてでろでろと液体化した脳髄が鼻から垂れてきそうな感覚を伴って決壊した。

 

「ちょっと失礼しますね」

「少し失礼します」

 

 僕らは同時に立ち上がって、なるべく顔面の色を海底人から白色人種に戻しながら「あ、ちょっと、ごめん冗談冗談!」というユーノさんの制止を聞いてる暇などなく競歩のスピードで一直線。行き先は青い丸と逆三角形ぬ組み合わさった記号の付いた扉。カリムさんは赤い丸と三角形の扉だろう。時間の余裕など一切ない、緊急事態に痙攣する胃の中が捻れて回転してを繰り返すように暴れる。

 目的地に到達するなり、僕たちは他の人の迷惑とか考えてる間もなく勢いよく扉を開き、速やかに内部に侵入して扉を慣性の任せるままに閉じた。そして、白くて陶磁器のようにつるつるとした表面が僕を映し出す蓋をどけて、底の見える透明な水を見つめ────

 

 僕は吐いた。

 

 

 

 

 

 

 




Q.まーたゲロか
A.ゲロから始まったから、まあ多少はね?

Q.ユーノ君……?
A.ユーノちゃんです



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