永久なるかな ─Towa Naru Kana─   作:風鈴@夢幻の残響

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65.うたかたの、少女。

 ジルオルの言葉に従い、『浄戒』の力を持って絶に巣食う黒き影を、望が切り裂くとともに崩れ落ちた絶。望が慌てて様子を見ると、絶はどうやら気を失っているだけのようで、命に別状は無いらしい。ホッとするのも束の間、崩れ落ちた絶を前に、望はその場にガクリと膝を着いた。

 心臓が激しく脈打ち、止め処ない衝動が襲い来る。それは正に、『浄戒』を……破壊神の力を使用した影響に他ならなかった。

 だが望は、自身を襲うこの衝動がまだ“マシ”な方だと、本能的に感じていた。そう、この衝動の原因たる己が前世、『ジルオル』。彼は今、何かに迷っている。そんな風に感じてならない。だからまだ、この身を襲う衝動はマシなのだと。

 そう思いながら、望はその衝動に飲み込まれない様に己を強く持つ。

 

「ノゾム……ノゾム、大丈夫か?」

 

 心配し、声を掛けてくるレーメに頷いて、頭を撫でてやりながら立ち上がる望。その彼の視線は、自分の近くに居る希美へと向けられた。

 どこかぼうっとした様子の希美。そんな彼女が、ポツリと何かを呟いた。

 

「……ジル……オル」

 

 その声はかすかに望に届き、彼は訝しげな表情を浮かべる。

 何故希美がジルオルの名を呼ぶのか? どこか様子がおかしいのはどう言う事だ? まさか、『浄戒』に彼女の何かが反応した?

 そんな疑問を浮かべながら、希美の様子を見ようと一歩、彼女に近づいたその時だ。

 

「駄目!」

 

 希美の口から出た強い否定の言葉。

 それに進み出した望の……否、望のみならず、同じように希美の様子がおかしいと感じていた者達全ての足が止まった。

 

「……希美?」

「あ……ごめ、ん」

 

 少しばつの悪そうに言う希美。その時、気を失っていた絶がうめき声を上げた。

 

「う……くっ、俺、は……」

「絶!」

「マスター!」

 

 希美の事は気になるけれども、まずは絶の確認かと、彼の元へ集まる皆。折角ここまで来たのだ、失敗したではやりきれない。

 望は絶に手を差し出し、起き上がらせる。

 そんな絶の様子を見ていたナナシは、「あっ」と驚きの声を上げた。

 

「どうした、ナナシ?」

「マスター、神名が……『滅びの神名』が欠損して……滅び、の、因子が……消失、して、ます」

 

 何かを堪えているかの様な、途切れ途切れな声。

 彼女はそのまま、ぽすっと絶の胸に飛び込むと、声も無く、その肩を震わせた。

 『暁絶』と言う存在は、彼女にとっては正しく“全て”だ。彼女は彼のためだけに存在し、彼のためだけに生きるモノ。彼の苦悩を、絶望を、憎悪を……そして、優しさを常に見続けていた存在。『暁天』に目覚めなければ、『滅びの神名』に苦しめられる事も無かっただろう。そんな悔恨の情に苛まれる事もあった。

 

「ナナシ……有難う」

 

 絶の言葉に、彼の胸に顔を押し付けながらフルフルと横に振るナナシ。

 そんな様子を周囲の皆は微笑ましげに見守っていた。

 

「絶……」

「望、お前はまだ『世刻望』……か?」

 

 絶の言葉の意味は、望には何となく理解が出来た。だから彼は、絶を安心させるように強く頷く。

 それを見て、絶は小さく、そう、それこそ側に居たナナシがようやく気付くぐらいに小さく、息を吐いた。

 

「そうか……お前にも礼を言うよ……有難う。……これで、俺にも先が出来た。後は……必ず、皆に託された想いを叶えるのみだ」

 

 絶がそう言った時だった。

 絶の言葉に答えようとした望が、一人ぽつんと離れて立っている希美に気付いた。

 そして次の瞬間──。

 

「っ!」

「何だ!?」

 

 周囲を明らかに異常な空気が包み込み、周囲の空間が、景色が、まるでレンズ越しに見ているかの様に歪む。

 皆がその現象に戸惑いを浮かべる中、何かに気付いたサレスがふと上空へと顔を向け──。

 

「っ! 全員離れろ!」

 

 その声に反応し、その場から飛び退る皆。

 その直後、今まで皆が集まっていた場所へと光線が突き刺さり、濛々たる砂塵を上げる。

 

「何なんだよ、一体!」

 

 ソルラスカが悪態をつき、砂塵が晴れたそこには──今まで居なかったはずの、二人の人物居た。

 赤黒い力場を纏う丸い珠……否、目玉の様なものを持った、黒い法衣の上に、白い肩当の付いた外套を着た老人と、黒と緑を基調とした服に、角の様な飾りの付いた兜を被った壮年の男性。

 老人はぐるりと望達を見回すと、

 

「ふむ……ジルオルとルツルジが共闘しておる等は少々予定とは違うが……誤差の範囲であろう」

「そうだな。とは言え、目的のモノを手に入れるのには何の支障もない」

 

 望、絶と視線を向ける。

 老人の、甲高く、耳障りとも言える声と、壮年の男の、低く、粘つく様な声が酷く耳に残り、望達は知らず顔を顰めた。

 そんな中、その二人を見て明らかに表情を強張らせているのは、絶とサレス、そしてナーヤ。

 

「……理想幹の支配者……管理神、エトル、エデガ……」

「誰なんだよあいつ等……絶の知ってる奴なのか?」

 

 呟く様に言う絶の声に、望が疑問の声を上げ、それに答える前に口を開いたのは、エトルと呼ばれた老人だった。

 

「ほっ……ルツルジにサルバル、ヒメオラか」

「ルツルジよ……貴様には感謝するぞ。よくぞジルオルに『浄戒』を使わせた」

「何を……っ」

 

 壮年の男──エデガの言葉に声を上げる絶だったが、エトル達はそれに答えることなく、視線を動かし──ピタリと、一人離れて立っていた希美へと向けた。

 

「さて……ファイム=ナルスよ。目覚めの時間だ」

 

 エデガに声を掛けられ、「いや……」と呟きながら、押される様に一歩後ずさる希美。

 

「お前等、何を言ってる! 希美が何だって言うんだ!」

「聞こえなかったか? 我等が手勢であるファイム=ナルスに目覚めよと言ったのだ。……さあ、ファイムよ!」

「いやぁ!!」

 

 激昂する望に答え、更に希美へと強く呼びかけたエデガの声に、希美はナニカを堪えるかの様に身体をかき抱き、絶叫する。そう、その姿は、まるで内から溢れ出て来そうなモノを抑えるかの様に。

 その姿は、望には覚えが有った。“前世”と言うものに、自分自身が喰われて行くかのような感覚に怯える、その姿。

 そう、それはかつての“自分自身”と同じ。

 ……だから望は、せめて希美の側に居てやろうと、彼女へ駆け出そうとした。

 だが、その前に絶が立ち塞がる。

 

「望! 永峰に近づくんじゃない!」

「何でだよ、絶! どいてくれ!」

「駄目だ。永峰にお前を殺させるわけには行かない!」

 

 理解が出来なかった。

 希美が、俺を、殺す?

 絶に言われた言葉が、ぐるぐると望の頭の中を巡る。

 その時、望の脳裏にザラリと映像が流し込まれる。

 静謐なる神域。

 希美にそっくりなダレカ。

 感情を移さないその表情は、ただじっと己を見つめ。

 そして──希美が持つ、神剣と、同じ、『清浄』の、一撃が──自分自身を貫く、その、光景。

 それは、記憶。

 絶の言葉によって思い出され、強い感情のうねりによって、望にフィードバックされた、ジルオルの記憶。

 

「……そん、な……」

 

 呆然と。

 その余りにも余りな光景に、呆然と立ちすくむ望の様子に、絶は悟った。

 

「解ったか、望。永峰の……いや、ファイムの狙いは、お前だ。だから……」

「それでも!」

 

 だから、近づくな。そう続けようとした絶の言葉を遮り、望は叫ぶ。己の内を。否定する。認めてはいけないものを。

 歩を進める。苦しむ希美へと。

 

「それでも、俺が希美の側に行けない理由にはならないよ、絶」

「殺されるぞ、望!」

「希美は希美だ、ファイムじゃない!」

 

 前世と自分。その関係性にずっと苦しんでいた。だけど。

 前世は前世。お前はお前だ──。

 そう言ってくれた人が居る。その言葉で、全てではなくとも、確かに救われた自分が居る。

 そんな自分だから、「永峰希美がファイムだから、自分の命が危ない」などと言う事を認めるわけには行かないのだ、と。

 だから望は、希美の元へと行く。一歩一歩を踏みしめる様に。だけど、決して躊躇わない様に。

 そんな望の言葉に、想いに、絶も、他の誰も、何も言う事など出来るはずもなく。

 

「望……ちゃん」

「……希美、ごめんな」

 

 望は希美の前に辿り着いた。

 静かに見つめあう二人の視界は、互いに濡れて、揺れて、小さく歪む。

 もう、望には解っていた。先程感じた予感。エデガの言葉。前世の記憶──。そう、自身が『浄戒』を使ったから、希美が今苦しんでいる、と言う事に。

 そんな望に、希美は小さく(かぶり)を振った。

 

「ううん、望ちゃんは悪くないよ。だから気にしないで。……それに、解っていたの。こうなるってことは」

 

 解っていた。そんな希美の言葉に困惑の表情を浮かべる望に、希美は小さく笑みを浮かべる。

 

「先輩にね、言われてたの。『世刻が『浄戒』を手に入れて、それを振るったとき、お前の中の『相克』が眼を覚ます』って」

「……先輩に……? それに、『相克』?」

 

 困惑気味の望に「うん」と頷いて返す。苦しげに、顔を歪めながら。

 

「先輩を恨まないで上げてね? 私と先輩とで話し合って、私以外に誰にも話さないって決めたの。だってそんな事知ったら、望ちゃん、絶対肝心な所でポカやらかすに決まってるんだから。

 それに、ね。私も、望ちゃんと同じで、青道先輩と話して、気持ちが少し、楽になった、から」

「……そっか」

「うん。…………んっ……くっ……まだ、出てこないで…………お願い、ファイム……力を貸して……」

 

 呟く様に紡がれる言葉は、望の耳にすら届く事は無く。それでもなお、希美は言葉を続けていく。

 

「私の身体を蝕むのは、前世の『ファイム』じゃなくて、『相克』の神名なんだって。

 『相克』は、『浄戒』に対する唯一のカウンター。『浄戒』の保持者を滅するためだけにあるって。……だから、望ちゃん。暁君の言う事は別に間違ってないの」

「だけど、俺は!」

「うん、解ってる。望ちゃんの事だもん。私には全部解ってるよ。でも、ごめんね? 私の意識は『相克』に呑み込まれる。呑み込まれて、深く深く沈んじゃう。浮かび上がれないぐらいに。……だから、私はここで終わり、なの」

 

 離れたくなんてない。ずっと、側に居ると思っていた。ずっと、側に居たいって、思っていた。でも。

 伝えたい言葉が、溢れる想いが、浮かんで、消える。泡の様に。

 頬を伝う雫は、止め処なく。

 身体が、心が、震えて、止まらない。それでも希美は、望の姿を見つめていた。決して逸らす事無く。絶対に、忘れないように。

 そして望は、そんな希美の姿が、自身の意識が別のモノに乗っ取られる。そんな恐怖に苛まれながらも、望に不安を与えない様に、気丈に振舞おうとする希美の姿が、とても眩しく。……気が付けば、望はしっかりと、希美を抱き締めていた。強く強く。自分の身体に彼女の全てを焼き付ける様に。

 

「……希美……絶対に……絶対に助けるから」

 

 涙に濡れた、小さな声。それでも、しっかりと聴こえる声。

 そんな望の言葉が嬉しくて。だから。

 

「うん、待ってる」

 

 震えを押し殺して、囁く様に答えながら、それでも彼女は微笑んだ。

 そして少しだけ、抱き締められた身体を離して、もう一度、望の顔を見つめる。

 

「消える事は無い……って、思いたいけど、やっぱり、怖いね。だから、お願い、望ちゃん。最後に……」

 

 ──ゆうきを、ください。

 

 静かに、そっと、重なる唇。

 それを合図にする様に──希美はその意識を失って、望に預けた身体は、崩れ落ちた。

 

「……ぁ……ぁぁああああああ!!!!!」

 

 慟哭が、響く。


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