永久なるかな ─Towa Naru Kana─ 作:風鈴@夢幻の残響
ユーフィーとルゥと再会を果たした後、混乱を避ける為に姿を隠していたフィアとアネリス、ナナシとレーメも出てきて二人と再会を喜び合った。
その後、家の中へ招かれ──入った途端にユーフィーの父親であるユートさんの、威圧感たっぷりな視線が飛んできたが──あの時……俺達が『世界の狭間』へ行った後の事を訊かれ、ナル・イャガとの戦いの様子を話していく。
ちなみに、ユーフィーのご両親はアネリスの姿にそれはもう驚いていた。ま、当然か。
詳しい説明を求められ──「パパ、それは後にしてください」と言うユーフィーの鶴の一声で後ほどと言うことに。
◇◆◇
ナル・イャガを倒した俺達だったが、俺もアネリスも最早立ち上がる力も無く、『世界の狭間』に漂っていた。
極至近距離で発生した『エンドオブエデン』による、マナとナルの対消滅によって発生した莫大なエネルギーによる爆発は、残り少ない“鞘”の容量を超えて俺達を襲った。
俺やアネリスが本調子であれば問題はなかっただろう。だが、ナル・イャガとの戦いによって極度に疲弊していた俺達にとって、それは凌ぎ切れるものじゃなかった。
咄嗟に懐に抱え込んだナナシとレーメが被害を受けないようには出来たのは不幸中の幸い。爆発の余波が治まった時に、俺とアネリスがイャガのように消滅せずに存在していられたのは、アネリスが爆発のエネルギーのうち、マナに属する部分を使って“鞘”の内部に封印していたナルを消化し、出来たスペースに爆発のエネルギーを収め、再び消化し……と、尋常ではない作業を行ってくれたのに加え、ナナシとレーメがオーブメントを全力運転して、爆発に翻弄されながらも回復と防御のアーツを掛け続けてくれたからに他ならない。
とは言えこの空間においては自然回復は出来ない。そしてオーブメントも爆発が治まるのを待っていたかのようにその駆動を止め、動かなくなった。
最早何もかもが限界で、こうして形を保っていられただけでも信じられないような状況の中、俺もアネリスもこのまま消え去るのか、と思っていた。そんな俺達を助けてくれたのは、フィアだった。
かつて──『枯れた世界』においてのイャガとの遭遇戦の後、レーメが持ち歩くようにしていた『箱舟』。基本的にそれに常駐しているフィアが、俺達を『箱舟』の中へ連れ込んでくれた。
『箱舟』の中は、フィアの存在によって「清浄」と言っても過言ではないマナが満ちた「神域」であり、その内部環境は外部の状態に左右される事は無く保たれている。
このマナすら存在しない凪の海たる『世界の狭間』において、『箱舟』はその名の通り、俺達にとって救いをもたらす箱舟になったというわけだ。
そして──回復した俺達が『世界の狭間』から脱出したとき、そこに現れたのは、思ってもみない人物だった。
そこに居たのは、笑みを絶やさぬ、それでいて隙のない青年。
彼は“
「はじめまして。僕の名はローガス……第一位神剣『運命』の担い手、『運命のローガス』さ」
その意外な人物の登場に驚き固まる俺達だったが、しばし彼と話を続けるうちに、様子がおかしい事に気づく。
そう、彼は……俺のことならいざ知らず、『調和』という永遠神剣を
彼は俺達のことを知っていて来たのではなく、突然大きく乱れた『運命』の、その原因の元へと来てみれば俺達が居た、と言うことらしい。
無論、そんな言い草に納得しなかったのはアネリスだ。
「巫山戯るな、小僧! かつて『聖威』や『虚空』と協力して妾を封じ込めたことを知らぬとぬかすか!」
だが、激昂するアネリスに対しても、ローガスの答えはやはり変わらなかった。
そしてそれだけじゃなかった。
誰にも……それこそ時深さんやユーフィーからも、俺達の事を聞いたことも無いという。
それ以前に、ユーフィーに時間樹に行くよう言った時に出した指示も、「ナルカナの元にその担い手足りえる世刻を導く事」
ユーフィーに初めて会った時に彼女は言っていた。「神剣とは違う力を使う人物のことを見定める、という指令を受けた」とも。
……もうその時には、その場に居る全員が気づいていた。
互いの意見の食い違い。
明らかにこの『神剣宇宙』からその存在を削除された俺達。
そこから導き出される答えは、一つしかなかった。
『渡り』
だとしたら何故、エターナルであるローガスが影響を受け、『神剣宇宙』そのものから俺達の存在が『無かった事』になっているのか。
かつてアネリスがローガス達に『世界の狭間』へ封じ込められた時はそんなことは無かった。では、今とその時の違いは?
明白だ。
そこに考えが至ったとき、フィアが「……そう言うことですか」と小さく呟いた。
自然と集まる視線を受けて、彼女は言う。すなわち、『魂が属する次元の違い』だと。
……つまり、俺が、この『神剣宇宙』が作品として存在する、言うなればこの『神剣宇宙』を始め、さまざまな『世界』を内包する、『さらに大きな世界』から転生し──その『前世』の記憶を有しているのが原因だと。
ただの転生であれば問題などなかった。
普通の『輪廻転生』の場合、俺の魂はリセットされ、この『神剣宇宙』に属する存在として生まれ出ることになる。
けれど、俺は前世の記憶を有したままでここに生まれた。つまり、魂のリセットは行われず、俺の存在は『前世の世界』に属したままなのだという。
だからこそ、俺の“渡り”はエターナルや『神剣宇宙』にも影響を及ぼした。俺の魂が属する世界が、この『神剣宇宙』よりもさらに高位に在る世界であるがために。
言うなれば、俺にとっての『神剣宇宙』は、エターナルにとっての『時間樹』のようなものなのだ。
アネリスに関して言えば、そんな俺と、神剣として深い『契約』を結んでしまったがために、彼女の属する世界も俺と同じところに引き上げられたのだと思われる。
そしてそこから導き出される結論。
俺が開く『
◇◆◇
「……それで、ローガスにこの家の事を聞けてね。尋ねて来たって訳さ」
ユーフィーとルゥが俺達のことを覚えていたのは、正直言って驚いたけどな。
そう続けると、ルゥは一瞬口ごもってから、「少し違う」と答えた。
「違う?」
「うん。正確に言えば、私達も忘れていた。現に、ミゥ達や時深、綺羅も、きみ達のことを覚えていない」
「で、でも! あたし達もそうでしたけど、ミゥちゃん達も時深さん達も、ずっと待ってるんです! ……覚えてなくても、それが、誰かわからなくても……祐兄さん達が帰って来てくれるのを」
「……そっか」
忘れてもなお、待っていてくれる。その事が嬉しくもあり、申し訳なくもある。
「……それで、『忘れてる』って思ってたのに、ユーフィーに会いに来たのは、なぜ?」
それまで黙って俺達の話を聞いていたアセリアさんが、ポツリと問いかけてきた。
……自分の“渡り”の効果を知って、実感して──それでも俺がここに来た、理由。
「……約束を、したから」
「約束って……どんな?」
よかったら聞かせて、とアセリアさんに問われ、少しの間だけ瞑目し、“あの時”の光景と、“いつか”の会話を思い出す。
「……イャガとの決戦の際、『世界の狭間』に落ちる間際に、俺は二人に誓いました。『必ず還る』って。届いたかどうかは解らないけれど……それでも、約束したんです。それに……」
「それに?」
「以前、ユーフィーと話したことがあるんですよ。俺がまだ、エターナルになる前に。彼女が“渡って”……忘れてほしくないのに、俺達が忘れてしまったら。それでも尚一緒にいたいと思ってしまったら、どうするのかって」
覚えてるかなとユーフィーに問えば、彼女はあの日の光景を思い出すように目を瞑り、覚えてますと、忘れるはずがありませんと、微笑んだ。
「“渡り”は忘れてしまうもの。そう言っても、祐兄さんは『俺は忘れない』って言い張ってましたよね。……私が、『それでも忘れちゃったら?』って訊いたら、こう、言ってくれたんですよね。『その時は──」
「──その時は、もう一度、出逢えばいい』」
ユーフィーの言葉に合わせて、あの時の台詞をもう一度口にする。
「『もう一度出逢って、もう一度話をして、もう一度、沢山思い出を作ろう』。そう言ったんですよ」
だから俺は、忘れられているとしても逢いに来たんです。もう一度、出逢うために。
そう告げた俺に、アセリアさんは「そっか」と一言頷いて微笑を浮かべ、隣に座るユーフィーの頭を優しく撫でると、嬉しそうに笑うユーフィー。
ただ……この笑顔を曇らせないといけないのかと思うと、心が痛い。けれど、言わないと。
心を決めて、「ユーフィー、ルゥ」と二人の名を呼ぶと、どうしたのと俺の顔を見た二人は、俺の雰囲気から何かを感じ取ったのか、不安そうな表情を浮かべた。
「……ごめん。最後の『思い出を作ろう』って言うのだけは、もう無理だ」
「無理って……?」
「……ユーフィー、ルゥ……お別れだ。君達を連れて行くことは、できない」
かつて約束した事を、反故にする俺の言葉に、二人は最初きょとんとした表情をした後、すぐに信じられないものを聞いたと言うような顔をする。
「嫌だ。私はきみと一緒に行く」
「嫌です! あたしは、祐兄さんと離れないって決めたんです!」
ほとんど同時に拒絶する言葉を吐いた二人は、絶対に譲らないと言わんばかりの強い視線を向けてくる。
「さっきの説明のときも言ったように……俺の『渡り』は『
「なら、ミゥ達も一緒に連れて行ってくれればいい」
俺の言葉に対し、間髪入れずに答えるルゥ。
やはりと言うか、感情的になっている彼女へ、落ち着いてくれと声を掛ける。
「……よく考えろよ。今のミゥ達は、俺のことを“知らない”んだ。知らない人間に付いて行って、この世界を捨てろ……そんなことを言えるわけないだろう」
俺がそう言うと、ルゥはきつく眼を瞑り──再び開けたそこには、それでも萎える事無く宿る、強い意思。
彼女は言う、ミゥ達を甘く見ないでくれ、と。
「……先程ユーフィーが言っていたように、ミゥ達もきみの事を待って居る。それが“誰”か、明確に覚えていなくても……大切な人のことを、ずっと待っているよ。だから……ミゥ達も、絶対にきみの事を思い出す。思いださせて見せる」
そんな彼女の様子に、彼女の言葉に、「……解った」としか言う事が出来なかったのは……きっと、俺も、思い出して欲しいと思っているからだろうか。
──祐さん。……私達も、ルゥと同じ気持ちです。貴方の事を忘れたくも、忘れるつもりも無いですから──
あの日──アネリスと契約したあの時の、屋上でミゥに掛けられた言葉が頭を過ぎった。
「……祐兄さん。ここでずっと、暮らすことはできないんですか……?」
その時ユーフィーがぽつりと、そんなことを言った。
魅力的な提案だ。
魅力的で、眩しくて──けれど、手に取れない、未来。
俺も、出来る事ならば共に居たいと思う。この世界に永住できるのならば、それでもいいのかもしれない。けど、それはもう無理だから。
神剣でありながら『神剣宇宙』から『無かったこと』にされたアネリス。
その彼女がここに留まるのは、何が起こるかわからない。そう、この『
彼女を手にしたその瞬間から、俺とアネリスの歩む道は同じだ。
それになにより、彼女がそんな状態になったのは、他でもない俺のせいで……ローガスと別れた後、アネリスとはずっと話し合っていた。
彼女は「気にするな」と……俺が居なければ、いずれ自分は消えていたのだから、とそう言ってくれたのだけど……俺だって彼女が居たからここまで戦ってこられた。たくさん助けてもらったんだ。
それに、「色んな世界を見せる」っていう約束もあるしな。
だから──この世界を出て行くことは、変わらない。
そう、ユーフィーに、俺たちの現状と、気持ちを伝えた。包み隠す事無く。
何よりも、ユーフィーと『悠久』。彼女達は、最上位である三本の神剣の一つ『鞘・調律』の転生体だ。その彼女達がこの『神剣宇宙』から“存在しなかったこと”になったとき、恐らく……俺の予想では、『神剣宇宙』は新たな『鞘』の転生体を誕生させるだろう。
それだけならまだいい。俺が一番怖いのは、その新たな転生体が、ユートさんとアセリアさんの間に出来るんじゃないかってことだ。
……つまり、ユーフィーが……『鞘』の転生体が、『天位・永劫』の担い手の娘として産まれた事に何か大きな意味があるのだとしたら、ユーフィーが『居なかったこと』になった場合、新たな転生体は必ずユートさんとアセリアさんとの子どもとして現れるだろう。ユーフィーの代わりとして。
「……ユーフィー。君はエターナルの両親の間に産まれた、恐らくこの『神剣宇宙』の中でも唯一の『生まれながらのエターナル』だ。そのことに意味があるのだとしたら……君がこの『
それでも良いのかという俺の問いを聞いて、ユーフィーはハッとした表情を浮かべて、両親の顔を見る。
ひどい問いかけをしていると思う。けど、それでユーフィーが大好きな両親から離れることなく幸せに暮らせるのなら、それで良い。
けれど、彼女は。
「それでも……」
両手を胸の前で握り締めて、
「それでも、あたしは、祐兄さんと……一緒に居たい……」
その瞳から溢れる雫。それは、彼女の想いの
「……あたしは、もう、貴方のことを忘れたくなんて……ない、です……もう、好きなひと、から……離れたくなんて、ないっ!」
ぽろぽろと、止め処なく涙を流すユーフィーの、搾り出す様な悲痛な声が響く。
ユーフィーの隣に座っていたアセリアさんは、泣き続けるユーフィーを抱き締めてあやすように撫でながら、難しい顔をしていたユートさんへと視線を向けて「ユート」と促すように名を呼んだ。
そのユートさんは一度ユーフィーの様子を見て、「はぁ」と小さく息を吐くと、俺に向き直って真剣な面持ちで声を掛けてきた。
「……その『魂の契約』とやらを俺やアセリアも行えば、ユーフィーの事を忘れずに済むんじゃないのか?」
「それはっ……そうですが……」
思ってもみない言葉が出てきた。絶対反対するだろう思っていたんだけどな。
そのユーフィーにとっての援護射撃ともいえる言葉が出た瞬間に、アセリアさんに抱き締められていたユーフィーは、ばっと顔を上げてユートさんを見る。
「パパ……その、良いん、ですか?」
おずおずと尋ねるユーフィーに対し、ユートさんは……それはもう厳しい顔をしつつも、苦々しく頷いた。
「本当は嫌だ。嫌に決まっている。物凄ぉぉぉぉおおく、嫌だ。……けどな、『時間樹』から帰ってきてからのユーフィーの様子……彼の記憶が無かったにも関わらず、それでも見せていたあの様子と今のユーフィーを見たらな……一緒に行かせてやりたいとも思っちまった」
「私とユートの間に子どもが出来たら、その時はユーフィーに弟か妹ができるだけ」
「……けど、」
「娘の」
世界からその存在を抹消される事に変わりは無い。そう続けようとした俺の言葉を遮って、ユートさんは真剣なまなざしで、俺の目を見据えて言う。
「娘の幸せを願わない親は居ないよ。……そして今のユーフィーの幸せは、君と共に在る事なんだろう」
そう言って、ふっと苦笑を浮かべた彼は、「父親としては複雑な気分だけどな」とため息を一つ。
「……すみません」
「謝るな。それとあとで一発殴らせろ。それで許してやらん事もないから、胸を張れ」
厳しくも優しいその言葉に、俺は「ありがとうございます」と返す事しか出来なかった。
……俺は、ユーフィーにもルゥにも、幸せで居て欲しいと思った。
いざとなればいつでもこの世界に戻って、皆と暮らすことが出来る。そう思っていた前とは違って……俺の“渡り”に付き合わせるなんてだめだって、思ってた。
「……祐」
小さく息を吐いたとき、ふと俺を見ていたルゥと視線が合い、彼女が俺を呼んだ。
「私達の幸せは私達が決める。そして少なくとも私にとって……きみと共にあることが一番の幸せだよ」
だから、必ずきみと共に行くから。
強い決意を篭めた視線と、ふと浮かべられた柔らかな笑み。
……まったく、本当に。
「……敵わないなぁ……」
…
……
………
翌日、再びユーフィー達と会った時、ルゥと一緒にミゥ達が来た。それも、俺達のことを思い出して。
話を聞くに、なんでもミゥ達の記憶は、ルゥが彼女達と“同調”を行う事によって戻ったらしい。……なんとまあ。
「ふふっ……だから言ったんだ。ミゥ達のことを甘くみないようにと」
嬉しそうに笑いながら、ルゥが言う。
俺はそれに「本当にな」と返し──自然と、笑みが漏れる。
ルゥやユーフィーも言っていたが、彼女達は俺達のことを完全に忘れたわけではなく、何となく……そう、本当に何となくだが、心の中に残っていたのだという。
時深さんや綺羅も同じような感じだと言うし、またナルカナにはそんな様子が見られなかったと言う事から、恐らくエターナルや準エターナルの中で、俺達とある程度以上親しくしていた人達の中には、僅かでも俺達のことが、面影として残ったんじゃないだろうか。
原因としては、多分“渡った”先が完全な別の世界ではなく『世界の狭間』──あらゆる世界であり、あらゆる世界ではない場所であったことかなと思う。断定はできないけれど、そんな気がする。
「祐さん!」
「祐!」
「祐さん……!」
「ユウ!」
ミゥが、ゼゥが、ポゥが、ワゥが、俺の名を呼んで──その直後飛びついてきた四人を、草むらに倒れこむように受け止める。
涙に濡れる彼女達を抱き締めて、笑顔が、心に染み渡る。
「……君は幸せものだな。」
俺たちの様子を見て、ユートさんが、微笑みながらそう言った。
本当に、俺もそう思う。エターナルとなって、失ったものも多いけれど、得られた絆はこんなにも強くて──
「時深さん達にも逢いにいきましょう」
俺から離れたミゥ達が、フィアやアネリスともひとしきり再会を喜んだ後、ユーフィーがそんな事を言った。
無論俺達としてもそれは是非も無いことであり、俺達──ユートさんやアセリアさんも含めた全員──は『出雲』へ向かうことにする。
無論、逢ったからといって、彼女達の中から消えた俺達に関する記憶が戻る保障はない。いや、戻らない可能性の方が大きいだろう。
けど、それでも、二人も俺の事を待っていてくれていると言うのなら、逢わねばならないだろう。
…
……
………
その後すぐに『出雲』に向かい、先行したユートさんが話しを通していてくれたために、スムーズに時深さんと綺羅に逢うことができた。
彼から何と話を聞いていたのかは知らないが、どこか緊張気味の二人だったけど、俺が彼女達の前に立った時、不意にふっと、ほっとしたような雰囲気で淡く微笑んで、「……そうですか……」と小さく呟いたのが聞こえた。
「……私達が待っていたのは、貴方なんですね」
そう言って、今度は花のような笑顔を浮かべた時深さんと綺羅。
ああ、本当に……二人も俺のことを待っていてくれたんだ。そう思うと嬉しくもあり、待たせてしまったことが申し訳なくもあり。
ただ、やはり『思い出した』訳ではないようで、もどかしそうな様子を見せる二人。
「何か切っ掛けでもあれば良いのですけど」
時深さんの言葉に、そう言えばと、懐に入れていた物を取り出し、二人に見せると、綺羅が「これは?」と訊いてきた。
俺が取り出したのは、藍色の、口を紐で閉じた小さな袋。『根源区域』に赴く前に彼女達からもらったお守り。
「二人にもらったお守り。……効力抜群だったな。お陰で無事に帰ってこれたよ」
やっぱり覚えてないか。
そう思いながらも答えた俺に、見上げるように視線を向けてきた綺羅は、おずおずと、そのお守りを手にとって──その途端、一瞬顔を顰めた彼女の瞳から、一筋の涙が溢れ出た。
突然の事に驚いたけど、何とか落ち着かせようと思って頭を撫でてやることしばし、顔を上げた綺羅が、微笑を浮かべながら言った。
「……祐様、お帰りなさい」
「思い出したのか?」と訊いた俺に、こくりと頷く綺羅。
まさか本当に思い出すとは……と驚くものの、やはり思い出してくれたのは素直に嬉しい。
「うん……ただいま」
そう言うと、おもむろに抱きついてきた綺羅を受け止める。
俺たちの様子を見守っていたアセリアさんが「……凄いね」と呟いて、「そうだな」とユートさんが返して、アセリアさんの手を握るのが見えた。あの二人も、沢山の絆を失って、エターナルになったことを俺は“知っている”。
その二人を前にして、こうして多くの絆を取り戻せてしまったのは、少し申し訳なく思う……いや、こんな考えは二人にも、思い出してくれた皆のにも失礼、だな。
余計な考えを追い出し、胸の辺りにある綺羅の犬耳の感触を楽しみ──「耳はダメです」と押さえられてしまったのと同時に、「むぅ」と唸る時深さんの声が聞こえた。
どやら綺羅の方は記憶が戻ったのに、自分が思い出さないから、少々焦っているようだ。
別に無理に思い出そうとしなくても、とは言ったんだが、従者であり準エターナルである綺羅が思い出したのに自分が思い出さないのは、主としてもエターナルとしても沽券に関わる、と言う。
とは言えどうしたものかと思ったところで、時深さんが訊いてきた。「貴方との間に、何か私の印象に強く残っていそうなことはないか」って。
要するにそれを再現すれば、ショック療法的に記憶が蘇るんじゃないか……と言うらしい。良いのかそんなんで。
とは言え他に方法なんてないし、やるだけやって見ますかと言う俺。パッと思いついた事が一つ有ったからな。
さて早速……と行く前に、時深さんに「今からやってみますが、怒らないでくださいね?」と念を押すのを忘れずに。
「怒られるようなことなんですか!?」
「いやー……うん、まぁ。……ああそうだ、場所変えますか?」
「……もう、いいから一思いにやってください」
「何だか覚悟が鈍りそうですから」と、どこか疲れたように言う時深さん。──……まぁ、言質は取ったからいいか。いざ。
一応、逃げられないように彼女の両肩に手を置いて──その時点できっと何か感じるものがあったのだろう、後ずさりしそうになる時深さん。無論、俺に両肩を抑えられているため逃げられない。
そして俺は、力有る言葉を紡ぎ出す。
「『
「ま、待ってください! 何だかとても凄く嫌な予感がするんですけどっ!」
うん、だろうね。でももう遅い。
「『
青い空の下、静謐な空気漂う出雲の地にて、花びらが舞う。
……眼福でした。
…
……
………
「……まったく、貴方と言う人は一度ならず二度までも! しかも悠人さんまで居るというのに、もう!」
とまあ、無事に……と言って良いものかどうかは解らないが、時深さんの記憶も戻り──思い出した切欠が切欠なだけに、散々怒られた挙句に謝り倒したが──二人に俺の“渡り”に関する説明を行うと、「なるほど」と納得の声を上げる。
そして『魂の契約』の事を言えば、是非も無いと頷く二人。
次いで俺達はこの後、この神剣宇宙を出て行くことを告げれば──綺羅が俺の手を握ってきて、「嫌です」と俯きながら呟いた。
「……この
「綺羅、我侭を言ってはいけませんよ?」
綺羅を嗜める時深さんに対して、「時深様は平気なのですか……?」と綺羅が問い掛け、言葉に詰まる時深さん。
「それでも……私達は……」
「良いじゃないですか。着いて行ってしまえば」
逡巡しながら紡がれようとした時深さんの言葉を遮る声。
それがした方を見やると、いつの間にか環さんが居て、時深さんに優しげな視線を送っていた。
「良いって……そんな訳には」
「最近はカオス・エターナルとしても行動を自粛していましたし……そもそも“無かったこと”になるなら、同じですよね?」
「けど、ここを護らなければ行けないですし」
「今は『出雲』にはナルカナ様は居ませんし、ここの危険度は格段に下がっていますよ?」
環さんに一つ一つ理由を潰され、「うぅ」と唸りながらこちらをチラリと見て、「ですけど……祐さんにご迷惑がかかると思いますし……」と口ごもる時深さん。
正直俺としては、既にユーフィーにミゥ達五人と大所帯になってしまっているわけで……と言うか、仮に時深さんと綺羅だけだったとしても、全然迷惑じゃないけどな。
……ってことを伝えてみれば、再び唸る時深さん。
そんな彼女に対し、環さんは「はぁ……」と溜め息を一つ吐き、
「時深……私は、貴女も自由にしていいと思いますよ。と言いますか……昨日の貴女と今日の貴女を見比べたら、もっと素直になって好きにしなさいとしか言えないわ」
「~~……はぁ、もう、認めます! 一緒に行きたいですっ!」
環さんの言葉が最後の一押しになったのだろう、そんなヤケクソ気味に、顔を真っ赤にして叫んだ時深さん。言われた俺の方としても、それはそれで恥ずかしいわけで。
とは言え応えないなんてのは無い……ってわけで、改めて、彼女に向かい合って、手を差し伸べた。
「これからも、よろしくお願いします」
「もぅ……ほんと、祐さんに逢ってから、調子を狂わされすぎです」
そんな風に頬を膨らませて言いつつ、時深さんは俺の手を取って、綺麗な微笑を浮かべた。
ちなみにフィアに訊いたところ、『魂の契約』を行える人数には上限と、その数を増やす条件があるのだという。
この能力、俺が訪れ、ある程度滞在した世界の数によって成長するものなのだそうだ。すなわち、最初の世界では一人。次の世界では二人……というように。つまり本来であれば、俺がこの神剣宇宙で『魂の契約』を行える人数は、たったの一人だったのだ。
そしてその人数を増やす条件。それは『その世界で失った肯定的な“絆”の数だけ、契約を行える人数が増える』と言うもの。
例えば死別。例えば完全なる敵対など、だ。そして俺は、この世界でエターナルとなり──旅団の仲間や、学校の友人達、訪れた世界で知り合った人達と言った、数多の人達との“絆”を失った。
そしてだからこそ、ユーフィーやルゥ、ミゥ達……多くの人と『魂の契約』を結べると言うのだから、皮肉なものだ。
それから数日、『出雲』に滞在させてもらう事になった。
……まぁ、時深さんが是非にと言ってきかなかったし、俺としてもユーフィーやルゥに、家族との時間を過ごして欲しかったから。
ちなみに、帰って来ると言う約束を果たすことが出来たので、綺羅との約束もしっかり果たさせてもらった。
もっふもふでした。
…
……
………
さて、旅立つ前に、団欒の時間として『出雲』に滞在を始めた翌日、来客があった。無論その来客は俺達にではなく、時深さんに、だったのだけど。
ちょうど昼食も終わり、皆でくつろいでいる時だった。「お客様がお見えになっています」と呼びに来た巫女の一人に連れられて席を外した時深さんが、その客人を連れて俺達のところへと戻ってきた。
障子を開けて入ってきたその人は、ミゥ達の姿を認めると「久しぶり」と声を掛け、次いで俺とユーフィー、ルゥを見たところで、その動きが止まる。
場に落ちた沈黙。
「あの……」
そして彼女は、
「はじめまして……じゃない、です、よね?」
おずおずと、自信無さげに、そんな思わぬ言葉を吐いた。
“渡り”によって、その記憶の中から俺達のことなど“無かった事”になっているはずの、永峰希美は。
「どうしてそう思うんだ?」と問う俺に対して、彼女は言う。
「私一人だったら、多分こうは思わなかったと思うんです。けど……もう一人の、私じゃない私が、違う気がするって」
「……ファイム」
思わず口をついて出たその名前が耳に届いたか、永峰は「やっぱり……」と小さく呟いて、改めて俺の顔をじっと見てくる。
「……やっぱり、逢ったこと、が……っ」
視線が交差した時間は、きっと一瞬だったのだろう。だけど、長い間見詰め合っていたような感覚が過ぎた後、不意に永峰が頭を抑えて小さくうめく。
……ったく、無理するから。
「永峰、無理に思い出そうとするな。……今のお前にとっては『知らない』ことが自然なんだから。まぁ、こっちに一方的に知られてるってのは嫌かもしれないけどな」
そう彼女に言うと、永峰は伏せていた顔を上げて、ぶんぶんと頭を振る。俺の言葉を否定するように。
彼女は言う。「そんなことはない」と。心外だと言わんばかりの表情を浮かべて。
彼女は言う。「そんなことは、どうだっていいんです」と。今にも泣きそうな表情を浮かべて。
「私のことなんていいんです……! けど、
言葉を紡ぐうちに感情が高ぶったか、透明な雫を零しながら、叫ぶように言う彼女の口から出た、懐かしい呼び方が耳朶を打つ。
永峰自身は、俺をそう呼んだことは気づいていないみたいだった。
その様子に、泣いている彼女を前に思う事じゃないのかもしれないけど、俺は、嬉しくて。
だってそうだろう。
エターナルですら俺の存在を忘れたというのに、永遠存在じゃない彼女が……例え、その精神に共存する存在のお陰だとしても、心の片隅に、俺という存在を置いていてくれたのだから。
本当に、ありがたくて、嬉しくて。だからこそ、そんな彼女に、俺のことなんかで悲しい想いをして欲しくはなくて。
目の前で涙を流す永峰を抱き寄せて、胸を貸す。
「……ありがとう。お前も、他の旅団の皆も、俺にとってはかけがえの無い仲間だと思ってる。それはこの先も、ずっと変わることは無いよ」
そう言うと、永峰は俺の胸に顔を押し付けて、涙に濡れた声を上げた。
しばらくの間泣き続けた彼女が落ち着くまでの間、あやすように頭を撫でていると、涙が止まった永峰が顔を上げる。
どこかスッキリしたような雰囲気で、恥ずかしそうに頬を染めた彼女は、くすりと小さく微笑を浮かべて言う。
「……やっぱり、先輩って撫でるの好きですよね」
そんな、どこかで聞いたことのあるフレーズ。
記憶を探って出てきたのは……『根源区域』に出発する前の一日のこと。
「……って、おい」
「……えへ。なんか思い切り泣いたら思い出しちゃいました」
そう言った永峰は、先ほどまでとは打って変わって、本当に嬉しそうな表情を浮かべて俺から離れると、俺の後ろで見守っていてくれたユーフィーとルゥへ向かい合う。
「えっと……先輩のことを思い出したら、二人のこともちゃんと思い出したよ。……久しぶり、ユーフィー、ルゥ」
「うん、久しぶりだな、希美」
「……~~希美ちゃんっ!」
永峰の言葉に応えて、微笑みながら言葉を返すルゥと、嬉しそうに飛びつくユーフィー。
そんな三人の姿が何となく微笑ましくて眺めていると、隣に来た時深さんが「驚きました」と一言呟く。
「驚いたって?」
「もちろん、記憶が戻ったことが、ですよ。永遠存在になったわけでもないのに、“渡り”によって失われた記憶が戻るなんて……本当に、驚きました」
そう言った彼女は、ちらりと俺の顔を見ると「ですが……」と言葉を続ける。
「そんな奇跡のような事も、その切欠が貴方だと考えると……なんとなく納得してしまいますね」
……まぁ、存在自体が
こうまで多くの人に“思い出して”もらえるとはな、と、時深さんの言葉に苦笑するしかない。
永峰に話を聞けば、彼女もずっと、心の中にずっと“何か”を抱えていたのだとか。
思い出せたのは、“誰か”と“何か”の“約束”をしたと言うことだけで──今日は、そのことを時深さんに相談に来たのだと言う。
「私の心に残っていたのって、先輩だったんですね」
そう言って彼女は、思い出せて良かったと、また逢えて嬉しいと、朗らかに笑った。
その後、「もう忘れたくない」と言う永峰は、俺の『魂の契約』の事を聞いて、それを結ぶことを望んだ。
俺としては、永遠存在ではない彼女が俺と契約を結んだ際、どんな現象が起こるか解らなかったので、「最悪『準エターナル』になって歳をとらなくなるぞ」と言ったら、彼女は「約束、覚えてますか?」と笑って言った。
「あの戦いが終わって……私がまだ、先輩と一緒に行きたいって思っていたら、その方法を探そうって言ってくれたこと」
無論、忘れるはずが無い。それが永峰が言った“約束”だから。
「勿論、覚えているよ」と返しつつ、ここでそれを言うってことは、
「私……皆が望ちゃんがエターナルになった時のために、“忘れない”方法を探そうって言っていた時に、『違う』って思ったんです。『私は、違う』って。あの時は何が“違う”のか解らなかったけど……こうやって思い出して、解りました」
永峰はそこで言葉を一度止めて、俺の顔を見て──真摯な瞳で、見つめてきて。
「私は、先輩と一緒に行きたいです」
ちゃんと整理をつけてくるから、もう少しだけ待っていて欲しい。
永峰にそう言われて──俺は、頷いた。
約束は果たしたいと思ったのもそうだが、何と言うか……ここまで来たらもうやってやろうじゃないかと吹っ切れたと言うか何と言うか。
とりあえず、俺は果報者だと思うことにしよう。うん。
…
……
………
そして。
見送りは、ユートさんとアセリアさん。記憶は戻らなかったけれど、環さん。
確かに少ないかもしれないけれど、「エターナルにすら忘れられる」と言う俺の“渡り”において、こうして覚えていてくれる人達が居てくれるのは、嬉しく思う。
いつか皆で帰って来たときに「おかえり」と言ってくれる人達がいるのだから。
「
ナナシとレーメによる『
──
この
ユーフィー。ルゥ、ミゥ、ゼゥ、ワゥ、ポゥ。時深さん、綺羅。永峰。……気づけばすっかり大所帯だなと苦笑する。
俺の神剣として共に歩んでくれるアネリス。
俺達のことを忘れずにいてくれる人たち。
そして、俺の記憶に今も息づく仲間達。
──
本当に──俺は幸せ者だと、心から思う。
だから、その幸せを与えてくれた人と共に、幸せを与えてくれた人たちに向けて、旅立ちの言葉を告げよう。
──
「──行って来ます」