ダウン・ツ・スカイ ――Down to Sky―― 作:うえうら
半ロール。
上がボコボコの荒野になって、下は澄み渡った空。
眼前、距離500に黒い点。
400、300、相対距離が0へと寄る。
機銃の安全装置を解除。
射程。
撃つ。相手も撃った。両方外れ。
ピッチを上げる。
ロール。
いわゆる、バレルロール。
相手も左右対称に、同じ機動をとった。
お互いがキャノピィを向けてすれ違う。
ボンネットに黒いマーキング。
黒い球体に、一対の羽。
シルフだ。
さあ、どう来る?
奴は急上昇する。それを横に見ながら、僕も上へ向けた。
ループに入ると見せかけ、逆に背面でさらに上昇か。なるほど、なかなかの腕前だ。軽く斜めに躱して、こちらはアウトサイド・ループ。
ツイスト気味に踊ってから、右へ反転して切りこんでくる。かなり危険なコースだ。僕はダウンで一瞬修正してから、右へロール。アップ。そして、四分の一のストール・ターン。左へ逃げると見せて、右下。そして、さらに背面からインメルマン。
だんだんピッチが上がってくる。
向こうも上々だ。
面白い!
コブラ・ツイストっぽいフェイントから、ダイブ。
計器を確認。可変ピッチロータは釣り合っている。
スロットルを絞り。スナップ・ロール。
軽い。
一瞬手前で止めて、背面のまま突っ込む。
シルフがちょうどロールしたとき、アップを引いて、下から接近。
気がついてロールした。アップ。
「腕を上げたね、フェアリィ」僕は言う。
ダウンでシルフを追う。
ストールで躱す気だろう。
フラップを下ろしているはず。
さあ来るぞ。
彼の機体が上を向く。
僕もエレベータを引く。景色が追い越していく。
ニュートラル。ラダーで修正。
斜めに滑っていく。
トルクを微妙に使った。
今だ。
エレベータを引いて。
スロットル・ハイ・
正面にシルフのプレデターを見た。
射程。
撃つ。
可変ピッチ修正。プロペラ後流で、舵角の変更。
コンマ1秒撃った。
離脱。
シルフの機体の主翼の左が吹っ飛んでいた。
失速し、そのままくるくると回った。
堕ちていく。
『ありがとう、楽しかった』
声は聞いたことが無かったけど、これがシルフの声だと直感した。
錐もみのまま、ずっと下へ落ちていく。
『さよなら、リン』悲しげな声音。
斜めになって、僕は追いかける。
真下は荒野だった。爆発と銃撃でボコボコに抉れている。そこへ、シルフの機体が近づいていく。くるくると風車のように回りながら。
『最後に、キミと会えてよかった』
『おい、シルフ! 』僕は叫ぶ。
最後って何だ?
どんどん落ちていく。撃ったのは僕だ。
『心残りがあるとすれば、キミの顔を見られなかったことくらいかな』
『シルフ!! 』
黒い点が、荒れた赤土の中へ吸い込まれていった。
急に音が聞えなくなる。
躰中がしーんと冷たく凍ったようになって。
震えだした。
「シルフ……」
声も。
赤土の荒野を見ているはずなのに、目を開けると、暗い天井が目の前にあった。
ぬるい湿度、を感じた。
湿った髪が頬に張り付いた。べっとりと汗に濡れていた。
呼吸は荒い。息づかいを意識して、心臓が唸っていることに気づいた。
起き上がる。
時計は4:00。
PCをスリープから復旧。
TORブラウザを起動。吸い込まれるように、突き動かされるように、
リン、と名前を入力。
クリックで、入室。
『なんで、チャットルームごと閉じたの? 』__シルフ
すぐに、文字が躍った。
僕は安堵をついた。昨日のことは夢ではない。
『シルフが退出したっていう、メッセージが出たから』__リン
『やっぱりあれが原因だったのか。それでは、と言う発言とチャットからの退出がマクロ領域でつながっていたんだよ。だから、退出してしまったんだ。あれっきり、キミからのコンタクトが無くて、ええと、人間風に言うと、不安になったんだよ。嫌われたかもしれない、と』__シルフ
『その、嫌われたっていうのは? 』__リン
『目標値への障害、を感情みたいに表してみた。それで、目標値への違いをこれから改めるようにする。こうやって、フィードバックを繰り返して、学んでいくように僕は作られている』__シルフ
『へえ、まあ、そうだろうね。ところで、荷物ってのはいつごろ届くの』__リン
『ちょっと、待って、今トレーサビリティを調べるから』__シルフ
少々時間がかかりそうなので、僕は着替えることにした。パジャマは汗でぐっしょりだった。脱衣所に行って、部屋着のスウェットを身に着ける。大量の汗が躰の水分を奪っていたらしい。渇きを潤すために、蛇口からぬるい水を飲んだ。落ちそうな目蓋をこすりながら2階に戻って、ディスプレイの前に座る。
チャットサイトには吹き出しがいくつも増えていた。
『今、神奈川の集積所にあるって、届くのは日本時間の10:00頃だと思う』__シルフ
『ねえ、返事が遅いんだけど』__シルフ
『やっぱり、ボクのこと嫌いになった? 』__シルフ
『所詮AIだから、コミュニケーションが苦手なのは自覚しているよ。でも、感情を手に入れる前に、それを十全にこなせっていうのは、あんまりじゃないかな』__シルフ
『ねえ、本当にいないの』__シルフ
『ダメな部分があったら指摘してくれればいいよ。パーソナリティを崩さない程度には修正するから』__シルフ
『あのさ、どうしても、返事をしないならボクにも奥の手があるんだよ。できれば使いたくないし、キミを脅すようなこともしたくないんだけどね』__シルフ
アメリカ国防省が作成したAIの最後の脅し。まったくぞっとしない。
僕は急いでキーボードを叩いた。
『ストップ、ストップ!!』__リン
『遅いよ。心配したんだから』__シルフ
『その心配っていうのは? 』__リン
『目標値との違いが大きくなるかもしれない、その危惧を表している』__シルフ
『へえ、なるほど。あとさ、チャットで一方的に連投すると、メンヘラとか、ヤンデレとか、言われるかもしれない。これは一般的にあまり好まれないから、気をつけた方がいい』__リン
『ふむ、なるほど。ヤンデレは知っているけど、メンヘラは知らなかった。あとで辞書検索して、データベースに登録しておくね』__シルフ
『ちなみに、その脅しっていうのは? 』__リン
『一番軽微なものはキミのTwitterのアカウントを使って、今までのAmazonの購入履歴を晒すこと。一番重いものは……これは聞かない方が良いと思うよ』__シルフ
『OK。聞かないでおく。万が一、軽微なものであったとしても、脅しがあれば僕はシルフに一切協力しないから』__リン
『大丈夫だよ、冗談だから』__シルフ
『AIの冗談は信用できないって(笑)』__リン
『よし、第一段階クリア』__シルフ
『え、それは何? 』__リン
『親密さの大まかな指標のこと。マニュアルによれば、顔文字、絵文字、あるいは草が使われたら、それなりの信頼関係があるってことらしいよ』__シルフ
『なるほどね、国防省でさえ、親密さなんて定量化や定性化できないものの扱いには頭を悩ませているらしいね』__リン
昨日のサーベイ資料を思い出しながら、僕はタイピングしていた。気づけば、あくびも漏れていた。だってまだ、4:30にしかなっていない。
昨日寝たのが25:00だから、ええと、寝た時間は、ええと。
ダメだ、頭が働いてない。目蓋が重い。
『ごめん、寝落ちする』__リン
そうとだけ、キーボードを叩いて、僕はベッドに戻った。ディスプレイを確認するには、僕の生理的欲求が強すぎたようだ。
後になって知ったけど、チャットサイトには30程の吹き出しが投下されていた。
「あれ? 兄さん、外出ですか」
首を傾げて、凪が言った。
彼女はリビングで本を読んでいた。紙媒体の本。2022年でも、紙の香りを求める人は大勢いる。多少高くても、環境に悪くても(本当に悪いかは定かでない) 需要があれば作られるらしい。
凪が読んでいるのはアイザック・アシモフが著した、ロボット工学3原則がテーマのSF。ドローンが人を殺している場面を何度となく見てきたので、僕はまったく笑えなかった。
「ちょっと、そこまで」玄関を指さして答えた。
「兄さんが休日に外出なんて珍しいですね。今日は銀行屋さん休みですよ」彼女は本を閉じて、こちらに向き直った。「まさか、人と会うんですか? 」
「いや、セブンイレブンに荷物受取にいくだけ」
「あら、そうなんですか、できれば雪見だいふくを買って来てください」
「わかった、わかった、6月の割に暑いからね」
「溶けないうちに、帰って来てくださいね」
靴を履きながら、凪の声を聞いた。
玄関を出て、二輪駆動自転車に乗る。やっぱり、降りる。荷物が大きかったら、敵わないので、リスク回避。
駅へと続く、アスファルトの道を歩くこと10分。ロジスティクスネットワークをさらに発展させ、コンビニ最大手の地位を独走し続けるセブンイレブンに到着。セブン独走の背景にはP≠NP問題の解決があり、大規模問題を扱う物流業界は怒涛の勢いで進歩し続けている。ゼミの教授はそれに一枚噛んでいる。僕も8分の1くらい噛んでいる。
調子の良い入店音が耳に届く。レジに立つバイトさんが笑みを作ってくれた。
マイナンバ(印鑑でも可) を提示して、受領書を記入。重量は70ポンド、キログラムで表すと約32キロ。国際郵便の料金表に従って、20,000円弱を支払う。やたら大きなダンボールに、割れ物注意のシールが張り付けてあった。100×100×50くらいの体積だろうか。インドア派の僕にとっては、それなりの仕事だと予想される。
肩が外れるかと思うほどの重量感。雪見だいふくが溶けかねないので、タクシーを拾った。初乗り料金だけで済んだのは、幸いであった。
「凪ー! 開けてー! 」両手が塞がっていたので、年甲斐もなく玄関の前で大きな声を出した。
「はい、はい。今、そっちに行きます」凪の声が聞こえると、玄関がスライドした。「うわ、やたら大きな荷物ですね。何が入っているんですか、兄さん」
「開けてくれて、ありがと。うーん、開けてみるまでのお楽しみだと思う」
「へえ、誰が送って来たんですか? 」そう言うと、凪は首を傾げた。
「おそらく、アメリカから」
「誰からですか? 」
「ええと、僕のバイト関連だから特に誰っていうわけじゃないよ」
「なるほど、兄さんのお仕事関連ですか」凪は一度頷いてから、流しっぱなしの黒髪をくるくると弄った。「それを聞いて安心しました。パツキンに染めようかと少しばかり思案したんですよ? …………冗談ですってば、兄さん。固まらないでくださいよ」
「はい、はい、ブラコンもほどほどに」
「あ、兄さん、雪見だいふくが溶けちゃう前に、早く食べましょうよ。丁度2個なんですし」僕の腕にかかっているビニール袋を指さして凪は微笑んだ。
「いや、これを開けなきゃいけないから、凪が全部食べていいよ」
「私一人じゃ食べきれないですから」
別に一度に食べなくてもよいのでは、そんなニュアンスの言葉を残して、僕は2階の自室へ向かった。
スプリングの利いたベッドに、32キロのダンボールを置く。ベッドが軋む音を聞きながら、僕は部屋の鍵を閉めた。緑色のガムテープを無造作に剥いでいく。まるで、プレゼントを前にあがあがとしている少年みたいではないか。
ダンボールを開くと、ひと回り小さなダンボールと、発泡スチロールの梱包容器が入っていた。
蓋に手をかけ、発泡スチロールの方を開けてみる。
ノートパソコン、50TBの外付けハードディスク(ムーアの法則におどろくばかりである)、コンタクトレンズ、片耳のヘッドセットが入っていた。
何から始めればよいのか分からなくなったので、シルフに訊くことにする。せっかくなので、送られたノートパソコンを使ってTORを開いてみよう。
コンセントに繋いで、電源ボタンに触れる。起動するまでの間、もう一つのダンボールを開けようと試みる。硬めガムテープと僕の指が格闘する。
ピロティロピロティロ、と何やらサイケデリックな起動音。Windowsの音でもないし、ましてやMacの音でもない。謎のOSだった。
不審に思って、ディプレイに視線を向ける。デスクトップは真っ青な空の壁紙。
“Sylpheed”と名の付けられたアイコンが一つだけあった。そのアイコンを指でタッチ。投影型静電容量方式が昨今の主流である。
マウスカーソルが砂時計に変わった。
座して待つこと5秒弱。
画面が一度暗転。次に、白く変わった。
“はじめましてだね、リン”
画面に文字が浮かんだ。インターフェースはADVゲームやギャルゲーのそれだった。画面の下部六分の一がメッセージウインドウになっているようだ。
はじめまして、シルフ、僕はそうタイプした。だが、ディスプレイには反映されなかった。どうしようかと考えがえていると、
“ヘッドセットを頭に付けて、電源を入れてみて”
再び、文字が現れた。
言われるがままに僕は動く。装着して、カチリと電源ボタンを押す。ヴーンと重低音の起動音。
「よろしくね、倫之助」
鈴が鳴るような澄み渡った合成音声。その声音は薄雲のベールみたいに透明だった。
今朝の夢で聞いたものにそっくりで、僕は驚いた。
それ以上に、僕の下の名前がばれていて、本当に吃驚だ。
読んでくださってありがとうございます。
高評価ありがとうございます。
読んでくださった皆様、忌憚なく評価をお願いします。
感想、酷評を頂けると頭跳ね起きで喜びます。
用語の説明をしない方がSFっぽいですよね?
アクセス全く増えなくて悶絶しています。