――解離性同一性障害って言葉を聞いたことがあるだろうか。
一般的には二重人格とか、多重人格って言葉で耳にしたことがあるだろう。この障害は、本人にとって堪えられない状況に陥ったとき、それが自分の事ではないと感じたり、その時期の感情や記憶を切り離して思い出せなくすることで、心のダメージを回避しようとすることから引き起こされる障害だ。
中でも、この解離性同一性障害はもっとも重い症状で、切り離した感情や記憶が成長して、別の人格となって表に現れるものだ。
「――不知火。後半も、よろしく頼む」
「……あ、あぁ」
今、俺の目の前にいる駆は、その症状に完全に一致してるんだが(白目)
それともなんだ? 今の駆は高校生になって中学の頃を思い出してしまった二年生的な感情を隆起させているんだろうか。所謂中二病だが。
俺の呼び方がヤスから不知火に変わってるのは人格が変わった兆候の一つなんだろう。そうとしか思えん。いつだか駆が兄貴と巻き込まれた事故で、自分だけ生き残って兄貴が死んでしまった……その記憶を忘れようとしてるのか、それともダメージ回避のための自己防衛本能だろうか。
ま……取り合えず、本人に異常がない事が一番だが。
いたって普通にサッカーしてるだけにしか見えないからなぁ、普通は。
だが岩城監督の表情は厳しいし、奈々も前半、駆の雰囲気が変わったぐらいの時からハラハラした表情になってたから、もしかするともしかするのかもしれん。
「……では、後半からは火野君と海王寺君を交代します。いつも通り、海王寺君は不知火君のポジションに。火野君のスペースには……兵藤君に下がってもらいましょう。不知火君はCFに。逢沢君は不知火君の後ろ」
「は、はい」
おっと、今までにないポジショニング。
マコ先輩を後ろに下げて? 駆が俺の後ろ?
岩城監督、完全に攻撃する事だけを意識してるなぁ。俺の代わりに海王寺先輩が入ったとは言え、マコ先輩を下げてFWの枚数を増やすなんて。
……あれ? 攻撃、意識してるのか?
俺がFWになって駆が後ろで、マコ先輩が下がって……前線からのプレスを期待してるのか、それともカウンター型にしようとしてるのか。まぁ、どこでも良いからボールを奪ったら前に運んでそのままゴールを狙うという形にしたいんだろう。
前半じゃ駆が1点奪ってるのに、俺を最前線にする理由は分からんが、駆にパサー的な役割でも期待してるのだろうか。
・前半
FW 逢沢
高瀬 的場
MF 兵藤 荒木
MF 沢村 織田 火野
DF 堀川 不知火
GK 紅林
・後半
FW 不知火
高瀬 逢沢 的場
MF 荒木
沢村 織田 兵藤
DF 堀川 海王寺
GK 紅林
「……よっし! このポジショニングは初めてだけど、岩城ちゃんが言ってるんだ。俺たちは勝つためにここにいる! ……そうだろ?」
『おぉっ!!』
激を入れたのはマコ先輩。
やはり、と言うかマコ先輩が言うと皆の雰囲気が違う。チームの中心だけあって、皆の気持ちを一つにまとめるのが凄く上手だ。
……しかし、駆が俺の後ろってのがなぁ。変、じゃないんだが大変な事になりそうだ。
『――さぁ、運命の後半戦! 鎌学は特にこれといった動きは無いようですが……江ノ高の方は選手交代があったようです! 火野選手に代えて海王寺選手! そして、DFとして活躍していた不知火選手は最前線、FWに! 逢沢選手は少し後ろのポジションに落ち着いていますが、これは後半、どのような展開になるのでしょうかっ!!』
まぁ、俺は基本的に前線でボールを待って、後ろからのパスを待っていれば良いのだが。同点で折り返してしまった事に加え、後半も鷹匠さんを中心にガンガン攻撃してくるだろうことを考えると、俺もDFに参加した方が良いのだろうか?
……とりあえずは江ノ高の守備陣と駆の様子を見つつ、だな。
後半、キックオフは鎌学からのスタートだ。
同点の状態。ゆっくりと攻め上がってくるのかと思いきや、鷹匠さんがボールを持ったまま真っ直ぐドリブルし始めた。俺がDFからFWに移ったことを良い事に、一気に中央を突破しようという戦法かっ!?
と心の中で叫んでみるものの、実際現実的じゃないこの戦法。
戦法とも言えない、ただの蛮勇としか取られないこのドリブルだが、これがまた鷹匠さんがするから通用してしまうという難点。なぜこのタイミングで鷹匠さんがドリブルをしたかと言えば、恐らく今のうちの守備力、対応力を見るための策略の一つでしかない気がする。
実際、向こうの監督も焦ったそぶりを見せてないし、そういう事なんだろう。
そんな鷹匠さんに走り寄ってプレスを仕掛けたのは駆だった。
いつもの駆なら、強引に前へ進もうとする鷹匠さんに押し負けるはずだが、今の駆は何と体をうまく使って鷹匠さんに喰らいついていた。強めに身体を押し当てられても上半身と下半身の体幹を巧く動かし、逆に駆が鷹匠さんにプレスしている。
普段の駆だったら簡単に抜かれてたかもしれないが、ここで時間稼ぎができたおかげで江ノ高の守備陣も態勢を整えられた。
まぁ、他にも怖い選手がたくさんいるから的は絞り切れないんだが、それでも江ノ高は変則的ポジションで守備を固めている。
「っく……!」
「いただいたぁ!!」
『鷹匠選手、逢沢選手の寄せに溜まらずバックパスを選択……が! そこに不知火選手が走り込んでいたぁ!』
「なんだとっ!?」
巧い事走り込んでパスカット。
いつも以上に力を込めてスタートダッシュしてしまったが問題ないだろう。
チートと言うか、人間卒業おめでとうなんてネットでタグが付けられるかもしれないがそんなの関係ない。チームのために俺は頑張るんだ! 的熱血な感情はそこまで昂っちゃないが、少なくとも負けたいとは思ってない。
カットされたボールを奪い返そうと鷹匠さんと世良が詰め寄ってくる。
前門の世良に後門の鷹匠とか、マジ怖いんですけど。
「う、ぉおっ!」
「んなっ!?」
エラシコ、からのドリブル突破と見せかけてのパス!
どこにも視線を向けてないからフェイントミスだと思われるかもしれないが、俺が蹴り出したボールにはそれなりにスピンを掛けていて、ちょうど駆が走り込んでくるであろう所に行くように調整はしていた。
ホンの少し、想定の場所からずれてしまったものの、少し驚いたように目を見開いた駆に、半分だけ顔を向けるようにしてニヒルに笑って見せた。
これぐらいお前にだってできるだろぅ? と内心ネットリ呟いてみる。
顔は良い感じだからニヒルに笑っても似合っている、と自覚している。ナルシストではない。
意図が通じたのかどうかは知らんが、小さく笑みをこぼした駆は足元に収めたボールを前に蹴り出し、ドリブルを開始。ちょうど、俺に張り付いていた2枚すぐに追い抜いていった。
駆のドリブルに合わせるように、俺は前線へと向かって駆け出した。
一人だけのドリブルだとDFはその一人だけを対応すれば良いのだが、俺が突っ走るとあら不思議。相手は戦力を分散せざるを得ない! 当然だよネ!
何とか前に行かせまいと世良が後ろから強引にタックルを仕掛けるが、頭の後ろに目が付いているんじゃないかと思うぐらい正確なタイミングでボールを宙に蹴り上げ、スライディングを回避。
もう、あいつ一人で良いんじゃないかな?
……正直言わせてもらえば、少しボールを前に蹴り出しておいて、足だけで世良のタックルを受けたと審判に思わせられれば、最低でもイエローは固い。最悪、一発レッドってのもあり得るから、今後はそういった技術も覚えていけばいいかもしれない。
まぁ、それを本人が許容するかどうかは別として。
驚いた表情で駆を見る鷹匠さん。
唖然とした貌を晒している世良。
攻撃は最大の防御とも言うし、ここからはガンガン攻め上がってみますかね。