ちいさなほしのうえで   作:ゲンダカ

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十章 人狼の章(後)

 結論から言うと。

 ヒルダとか言う妖精種(フェアリー)は、想定よりも賢くて。

 ICPOを始めとした警察組織は、その日が来るまで、アイツの尻尾を追いかけるだけで精一杯だった。

 

―― ―― ――

 

「イェシカ、またか」

「ええ、また、よ」

 とうに零時を過ぎた狭い部屋。四月のニューヨークはまだ寒く、夜となればまだ冬のようだ。

 そんななかで、イェシカと揃ってため息を吐いている。

 二月のこと。パブ「サンクチュアリ」での監視は成功したが、それっきり会合を覗き見ることができなくなってしまった。どうもあれからすぐにイェシカの魔法がバレたらしく、それ以後は魔法防壁が更に強化され、集会場所も北米中を転々とするようになってしまった。

 サンクチュアリの偵察から二ヶ月。こちらが監視魔法を仕掛けるたびに、向こうから解除されている。

 最初に居場所を突き止め、偵察するのは容易かったというのに、この徹底した「逃げ」はどういうことか。

「…………う、ぐ、あー……。とりあえず、これだけ分かってれば……最悪の事態は防げる、か」

 ノートパソコンの前で大きく伸びをした。画面には、部下からの報告をまとめ上げたレポートがある。

「これは?」

 ディスプレイの右上に腰掛け、画面を覗き込むイェシカ。気づけばいつもここにいる。どうやらこの場所が気に入ったらしい。

「インターポールへの報告書だ。奴らの決起場所と日時が分かった」

「あら、それは僥倖ね。やるじゃない」

「腕の良い部下たちのおかげだよ」

 場所はアイルランド首都ダブリン。日付は今月、四月二十四日、正午。

「―――それから、お前のおかげでもある。礼を言う」

「へ、あたしの? なんで?」

 ぽかん、と顔を上げ、俺を見つめるイェシカ。その額に、こつんと人差し指を当てた。

 これをするとこいつは額を両手で押さえ、むうっと顔をしかめる。これもお決まりになってきたなと苦笑し、会話を続けた。

「お前、サンクチュアリの集会のとき、こっそり別口で盗聴魔法仕掛けてただろ? アレ、勝手にヒルダの野郎を追跡してたみたいでな、ついさっきログが届いたんだ。ノイズだらけだが、要点は拾えた」

 パソコンを操作して、そのログを再生する。イェシカは目を丸くしていた。

「……それ、ほんと? だって、ただの盗聴魔法よ、アレ」

「は、お前の執念が乗り移ったんだろ」

 けけけ、と笑いながら言ってみたが、イェシカは表情を変えて真剣に考え込んでいる。

「…………おい。今の、冗談だぞ」

 俺の言葉に、イェシカは顔を振った。

「―――いいえ。ありえない話ではないわ。妖精種の魔法は、エルフ達のものよりも精霊種寄りのものでね。無意識下で応用を効かせていたりするものなの。それも、強力に」

精霊種(エレメント)? なんでエレメントの話が出てくるんだ」

「……そうね、いい機会だし、教えてあげるわ」

 そう言ってイェシカは、何か吹っ切れたふうにふわりと飛び立ち、キーボードの上に降り立った。

「―――妖精の、生まれ方を」

 

 

―― ―― ――

 

 

「妖精種に、親が居ないって話はしたわよね」

「ああ、そんなことも言ってたな」

 キーボードの上を、右へ左へ、てくてくと歩きながら語るイェシカ。その姿はまるで、ミュージカルを演ずる女優のようだ。

「妖精種っていうのはね、本来は存在しない種族だったの。ある間違いを犯してしまったある種族が、いわば堕天(・・)して成ってしまったのが、私達妖精種(フェアリーズ)よ」

「堕天? じゃあ何か、お前ら元々は天使だったってのか」

 呆れた俺の声に、イェシカがくすりと笑みをこぼした。

「今のは喩え話よ。でも、あながち間違いでもないかもね」

 もったいぶるように、イェシカがそっと両手を合わせた。

「―――私達はね。元々は、精霊だったの」

「な―――」

 精霊?

――――エレメントたちに、自我はない。

 それくらいは俺でも知っている。奴らは一応亜人種のカテゴリになってはいるが、どちらかというと魔法のような「現象」に近い存在だ。魔法使いに使役される、ペットのような、使い魔のような、意思を持たない操り人形。

 それが、妖精になる?

「あら、貴方なら想像がついていたかと思っていたんだけど……。まあ、妖精種の成り立ちに関しては、妖精種以外ほとんど知らないことだもの、仕方ないかしらね」

「…………お前らそのものが、ふわっふわしてっからな。成り立ちなんぞ、気にしても仕方ねえだろ」

 俺の投げやりな言葉に、イェシカはふっとはにかんだ。

「ええ。それが世間一般の考え方よ。そのおかげでこの情報化社会においても、私達の成り立ちは秘密にしておくことができた」

 すう、と息を吸い込み、舞台女優は語り続ける。

「―――精霊種が自我を得ると、かつて持っていた強力な魔法と引き換えに肉体を得る。でもね、そんなふうに自我と肉体を持ってしまえば、もはや精霊なんて呼べないわ。変わり果てた彼らは、妖精種として新しく生まれ変わるの。……ああ、勿論記憶もほとんどまっさらよ。そもそも精霊に人間らしい記憶なんて無いもの」

「――――――」

 少し話が難しい、が。

 要は、精霊が「格落ち」したのが、このイェシカということか。

「ん? ってことはお前、元はエレメントか」

「ええ、そうよ。擬似妖精は別として、私達妖精種は皆精霊種から派生した存在なの。ほら、こんなふうに霊体化出来るでしょう?」

 イェシカがそういうと、キーボードの上にいた彼女がしゅるりと消えた。

「……なるほどな。それ、霊体化してたのか。さしずめ、擬似精霊(デミエレメント)ってとこか」

 今度はディスプレイの上にぽん、と実体化するイェシカ。

「んー……、ま、そんなものかしらね。―――精霊は妖精を上回る魔法を行使できるけれど、自我も実体も持たない。妖精は精霊ほどの魔法は使えないけれど、それを補う自我と肉体を手に入れた。一長一短だから、どちらがいいかなんて、一概には言えないわね」

「そうだろうな」

 とりあえず、納得はした。

 だが、なにか引っかかる。

 こいつ、何か一番重要なところを、まだ話していない、ような…………。

「隠すようなことでもないんだけどね」妖精はまた、歌うように言葉を紡ぐ。「知られてないんならそのままでもいいかな、っていうのが妖精種全体(わたしたち)の意見よ」

 ディスプレイの中央にぽてんと座り、脚をぷらぷらさせるイェシカ。

 その姿はなんとなく、哀愁が漂っていて。

 それを見て、何を訊いてないか思い当たった。

「…………お前。ひとつ、言い忘れてるぞ」

「ん? 何?」

 わざとらしく首を傾げるイェシカに言葉を投げる。

「エレメントが自我を得る条件だ。それなりにキツい条件じゃなけりゃ、この世からエレメントなんてもんは消え失せるだろう」

 ぴしりと、座るイェシカに指をさす。

「――――ふふ。やっぱりあなたは頭が回るわね。人狼にしておくのは勿体無いわ。気づかなければ教えないつもりだったけれど……、ご褒美として、それも教えてあげましょう」

「なんだよ、隠すようなことじゃねえんだろ?」

「いいえ、これは別よ。これを精霊たちが知ってしまうと、貴方が言ったようにこの世から精霊種(かれら)が消え去る可能性がある。……そう簡単には、いかないと思うんだけどね」

 さっきまでとは打って変わって、うつむきながら話すイェシカ。

「…………あー、その、なんだ」頭を掻きながら、イェシカから視線を逸らす。「話しづらいことなら、別に話さなくていいぞ」

「……優しいのね、人狼さんは」そんな俺に、イェシカはまた、優しく微笑んだ。「でも、いいの。これを知っていれば、ヒルダとの戦いに役に立つかもしれないから」

 イェシカがディスプレイの上に立ち上がる。

「精霊はね―――」

 立ち上がった妖精は腰に手を当て、高らかに声を上げた。

「―――恋をすると、妖精になるの」

 

 

 

 しばし。

 静寂が、部屋を包んだ。

「――――」

「…………」

 仁王立ちし、ぴこぴこと羽を動かすイェシカ。

 頬杖をつき、そんな妖精を呆然と見上げる、俺。

「…………ロマンチックにも程がある」

「ふふ。良い反応ね、嬉しくなるわ」

 イェシカは、本当に嬉しそうに微笑(わら)っていた。

「恋をするって言ってもね、別に相手がなんだって構わないの。大抵は純人だったり、エルフだったり、吸血種だったりするけど……、何かの建物とか、何かの技術に固執することで『格落ち』する精霊も多いわ」

「つまり、恋ってのは……何か特定の事柄に強く興味を持つ、ってことか?」

「ええ、まさにその通り」イェシカは大きく頷いた。「自我、目的のないはずの精霊たちが、そういう『強い関心』を持つ―――それは自我の芽生えとおなじこと。そうなってしまえば、もう自我のない精霊(エレメント)では居られなくなってしまう。関心を持ったから自我が芽生えたのか、自我が芽生えたから関心を持ったのか。それはもう、鶏と卵のお話と一緒ね」

「どっちが先でも同じ、か。ふうん、面白いじゃないか。妖精に女が多いのは、それが原因か?」

「ええ。恋する乙女は、種族を問わず多いものだから」

 腰の後ろで腕を組み、意味深な笑みを浮かべるイェシカ。

 と、なると。

 気になるのは。

「……お前は、何に惚れたんだ」

 俺のぶしつけな問いに、イェシカはこれ見よがしに溜息を吐いた。

「ちょっと、もう少しくらい上品な言い方は出来ないの? これだから獣人は荒っぽい、なんて偏見を持たれるのよ。……まあいいわ、もう百年以上前のことだから。……あたしが恋をしたのは、とあるケンタウロスよ」

「へえ」

 意外だ。

 てっきり、なにかもっと「あやふや」な、概念とかに惚れたのかと思っていた。

―――ああ、そうか。

 前に、獣人に興味がある、とイェシカは言っていた。

 このことだったか。

「彼はね。セント・レースの、冴えない競走馬だったの」どこか遠くを眺めるようにして、イェシカが語り始めた。「スポンサーはひとつかふたつくらいしかついてくれなくて、レースでは下から数えて二番目の順位が定位置で。いっそ最下位ならコアなファンもつくのだけれど、中途半端な彼にはそんなファンも少なくて。……でもね、彼はとても努力家だったわ」

 ぺたん、と座り込み、イェシカの話は続く。

「文字通り、彼は粉骨砕身、努力したわ。でも、才能までは補えなかった。努力はそのまま負荷となって肉体を蝕み、体のほうが先に音を上げてしまった。あたしはそんな彼の治療のために呼ばれた精霊だったんだけどね。今思い返すと、彼の体はとんでもない状態だったの。脚の骨も腱もぼろぼろで、心臓への負担も尋常じゃなかった。走るなんてもってのほか、立っているだけで激痛が走っていたはずよ」

 語るイェシカの、顔が曇る。

「でも、彼は治して欲しいってせがんできた。折れかけた骨をくっつけて、無理矢理腱を繋いであげたけど、結局レースになんて出られなかった。でも、それでもいいって彼は笑って、リハビリを続けた」

「…………いい、男だな」

「ふふ。貴方が言うのなら、間違いないわね。ええ、彼は本当に格好良い半馬(ケンタウロス)だった。雄々しくて、努力家で、謙虚で、真面目で、優しくて。―――それでね。気づくとあたしは、妖精として彼の前に立っていた」

 当時を思い出したのか、イェシカはくすりと微笑んだ。

「彼、ほんとうに驚いていたわ。『キミは誰だい』って。―――ああ。今でも。あの声も、顔も、風景も、ぜんぶ、ぜんぶ思い出せる。そういう彼に、あたしは『わからないわ、名前も何もわからないの』って答えた。そうしたらね、彼が『イェシカ』って名前をくれたわ」

「そいつが、お前の名付け親か」

「ええ。由来は、彼の亡くなった奥さんの名前。ジェシカって名前だったんだけど、それをスウェーデン風に読んで、イェシカ」

「…………ジェシカとイェシカ、か」

 綴りは確かに同じだ。スウェーデン読みなのは、北欧が妖精の起源(ふるさと)だからだろう。

「凄く嬉しかったわ。彼と話せることも、彼と触れ合えることも、彼に名前を貰えたことも、なにも、かも」

 懐かしむように話すイェシカ。

 でも。

 その顔は、ちっとも嬉しそうじゃない。

「…………なあ。そいつ、今はどうしてるんだ」

 つい、俺はそう言っていた。

―――訊かずとも分かることだった。

 百年前のできごと。死にかけの競走馬。

 その末路。

 だが、ここまで話を聞いた手前、訊かないでおくのは、イェシカに無礼だというものだとも思ったのだ。

「亡くなったわ」俺の問いに、イェシカはあっさり返答した。「彼、無理をしすぎたの。彼の無理は脚だけじゃなく、心臓にまで負荷を掛けていた。何度も何度も治癒の魔法を使ったけど、格落ちしたあたしに出来たのは、最期を先延ばしにしてあげることくらいだった」

 ぽてんと、イェシカは座り込んでしまった。

 やはり、わかりきったこと。

 訊くべきでは、無かった。

「…………イェシカ、すまな―――」

「彼は最期まで、競走馬として居ることを望んだ。心臓が保たないって、何度も言ったけれど、そのたび彼は『構わない』って走り続けた」

「―――イェシカ」

「あたしも、胸が張り裂けそうだった。あたしに出来るのは、傷を癒やすことだけ。避けられない死はどうしようもない。彼をこのまま走らせていたら、すぐに死んでしまうって、あたしにだってわかってた。でも、でも、でも、彼の脚を止めることは、そのまま彼を競走馬として殺すってことでもあった。だから―――」

「イェシカッ」

 びくり、と体を震わせる妖精。

「――――もう、いい。すまなかった、イェシカ。そこまで話す必要は、無いだろう」

 座り込み、うつむいたイェシカ。彼女へと手を伸ばし、人差し指で、零れ落ちる雫を拭う。

「あ―――」

 自分が涙を流していることに気づいていなかったのか、彼女はひどく驚いた顔を浮かべていた。

 その顔が、ふっと緩んだ。

「…………ありがとう、ジョゼフ」

 イェシカは俺の指をそっとのけ、自分の手でぐしぐしと顔をこすりはじめた。

「…………獣人はみんな、優しいのかしらね」

「……どう、だろうな」

 俺は、そう返すだけで精一杯だった。

 

 

―― ―― ――

 

 

 四月二十三日。

 ゴブリン反乱テロの前日。

「情報はこんなもん、か」

「……仕方ないでしょう。ここまで分かっただけでも上出来よ」

 今日までで判明したのは、敵の魔法の起点が六つあるということ。それから、襲撃、籠城する場所がトリニティ・カレッジだということ。

 トリニティ・カレッジを襲撃地点に選んだのは、インテリのヒルダならではだろう。様々な亜人種が生まれたとされる北欧。その中で最後まで「魔法学校」として残っていたのがあのカレッジだ。今でこそ普通の大学だが、二度目の千年紀(ミレニアム)を迎える直前まではロンドンのウエストミンスターと肩を並べる魔法学校だった。

 そして、魔法陣。六つの「爆破の陣」は全て下水道に配置されているようで、既に人狼、吸血鬼、エルフを三人一組にした部隊を六つ、探索に向かわせてある。人狼と吸血鬼は対ゴブリン戦用の戦闘員、エルフは魔法陣の場所の探知と魔法陣の解除、分析が役目だ。

 あとに残った人狼部隊は俺を含め十人。これらは皆、トリニティ・カレッジの警護に回る。

「カレッジ、本当に封鎖しないの?」

 部下をカレッジ周辺に配備し、ホテルの一室で報告をまとめるのが今日の俺とイェシカの仕事だ。イェシカはいつものように、テーブルの上のノートパソコンに腰掛けている。

「封鎖するにも証拠が足りねえよ。上に掛けあってみたが、結果はこのザマだ。陣の一つでも見つかりゃあいいんだが」

「それも仕方ない、か。あそこが襲撃地点だって分かったの、昨日だったものね」

 そう。アメリカじゅうを点々としながら集会を開く以上、ゴブリン達もそれなりに動きまわることになる。それらしいゴブリンを見つけ、捕らえるのは本来そう難しいことではないはずだったが、ヒルダの手回しのせいで一人捕まえるのが精一杯だった。

 そいつから襲撃場所と日時を聞き出せたのが昨日のこと。事前に吸血鬼らの人員はICPOに確保させていたので間に合ったが、それでもかなりギリギリだった。

「ヒルダ、か。お前の言うとおり、厄介な奴だな」

「……ええ。優れた名探偵こそが、恐ろしい殺人鬼になるってことね」

 どこかで聞いた話だ。

 幾つもの事件を解決する名探偵は、その過程で犯人がどのようにして証拠を残してしまうかを知っていく。ならば、そんな名探偵が殺人を犯した場合。ソイツは今までの犯人のミスを知っているのだから、同じ過ちは繰り返さない。証拠は極めて残りにくいということだ。

「お前、ヒルダの動機に心当たりは無いのか」

「…………強いて挙げるなら、擬似妖精かしら」

「あん?」

 今の質問は、これまでに何度も繰り返してきたものだった。その度コイツは知らないと言っていた。

「お前、知らねえっつってたじゃねえか」

「だから、強いて挙げるなら、よ。ヒルダ先生は擬似妖精が完成した頃、『魔法の使えぬ妖精などにはなんの価値もない』ってとても怒ってたの」

「そりゃ、見当違いも甚だしいな」

 擬似妖精に求められたのは、妖精種の勤勉さや、情報通信能力、つまり秘書だ。魔法を使ってほしいわけではない。

「頭の良いひとだったから、考えもちょっと吹っ飛んでたんでしょうね。先生が世間に不満を持ってるとすれば、擬似妖精くらいしかあたしは知らない。兄弟弟子にもちょっと訊いてみたけど、みんな心当たりは無かったわ」

 足を組み、複雑な顔をするイェシカ。

「貴方は何か知らないの、ゴブリン?」

 その顔のまま、視線をベッドに移す。

「オレ、ヨク、シラナイ」

 ベッドの上には、昨日捕らえた中東のゴブリンがちょこんと座っている。

 コイツがここに居るのには、まあ、ちょっとした経緯がある。

 

 

 ゴブリン種はつい最近まで…………いや、今でも、種族的差別を受けている。

 三度の大戦に於いて尖兵として扱われたゴブリンたちは、その知能の低さから、ほかの亜人種、純人種の身の回りの世話をする奴隷としても扱われていた。

 大戦後もテロの際には実行犯として扱われ、平時では中流・上流階級の下僕として扱われるゴブリン。彼らの性格がねじ曲がってしまうのも、仕方のないことだといえるだろう。

 そういったわけで、国によってはゴブリン種に対し有害指定を出しているところまである。

 しかし、ゴブリンはきちんと整った環境で育ててやれば、純人並みの知能を得る。ドワーフほどの器用さやエルフほどの魔力は無いが、腕力や魔力など、身長以外の能力は純人の上を行くまでに成長する。

 そんな彼らを見直す動きが、ここ数年でようやく純人の中からも出始めた。

―――まあ、確かにゴブリンはよくテロを起こす。良くてヤンキー、悪くてテロリスト、というのがゴブリン種だ。

 だが、俺のような人狼を始めとした亜人種は、純人よりも前から、ゴブリン種の可能性に目をつけていた。彼らが悪いのではなく、彼らを育てる環境が悪いのだ。そして、更生の余地もあるのだとということを、亜人種は純人種にずっと提言していた。

 それが大戦後数十年経って、ようやく受けいられつつある。

 その矢先に、これ(・・)だ。

「ヒルダ先生ってのは、お前らに恨みでもあるのか」

「センセイ、ワルクナイ。オレラノ、ミカタ」

「味方、ねえ」

 警察機関からは、未だゴブリン種に対する差別の根が抜けきっていない。そんなところにコイツを預けていればどんなことになるかくらい、俺とイェシカはわかっている。

 ゴブリン達は単純だ。自らが危険だと感じれば、秘密くらい簡単に漏らす。だから、彼らに過剰な拷問は意味を成さない。せいぜいビンタを一発食らわせるくらいのことをしてやれば、洗いざらい全部話してくれるだろう。

 それが駄目でも、こちらには、イェシカの「眼」がある。

 妖精種は程度の差こそあれ、皆魔眼を有する。石化、魅了など、効果は個体ごとに違うが、イェシカの魅了の魔眼はそこそこ強力らしい。

 その魅了の魔眼を使って、今、この状態である。

「ゴブリン、せめて、魔法陣の配置くらいわからないの?」

 パソコンから飛び立ち、ベッドに着地するイェシカ。

「ゴメン、シラナイ。マホウ、ツカウ、ゴブリン、アタマイイ。デモ、オレ、バカ……」

 ゴブリンはそれきり、しょんぼりとうつむいてしまった。

「ま、仕方ねえよな」

 魅了の魔眼まで使っても知らないというのなら、本当に知らないのだろう。ヒルダはこの辺り、とことん徹底しているらしい。

 と、机に置いていた無線機が音を立てた。

「こちら第五分隊、敵ゴブリンを発見。奥に魔法反応も確認しました。数は十。交戦許可をお願いします」

 六つの部隊は、魔導通信ではなく無線機で通信を行うようにしてある。念話はツーマンセルには最適だが、規模が大きくなるとどうしても混線してしまう。何より、魔導通信ではヒルダにジャミングされるかもしれない。

「敵の装備は?」

「特に何も。防弾チョッキなんかもなさそうです。――あ、いや、腰にナタみたいなナイフをぶら下げてますね。それから、一番奥にいる奴はハンドガンを持ってます。トカレフのようです」

「――――」

 つまりは、そういうことだ。

 ヒルダってやつは、魔法陣を使う連中にマトモな装備をさせていない。

 これは明らかに、囮だ。

 魔法陣によるテロは、成功してもしなくてもどっちでも良いのだろう。六つに分けたのは、こちらの戦力を分断させるため。存在だけを漏らし、場所を徹底的に秘匿させているのも、あからさまな時間稼ぎだ。

「―――銃は使うな。その程度、お前達なら素手で十分だろう」

「了解」

 ぷつりと途切れる無線の音。

 ほどなくして、制圧の報告が上がってきた。

 

 

―― ―― ――

 

 

 結局、今現在に至るまで見つかった魔法陣は三つだけ。思ったよりもバラけた配置になっていたので、待機させていた人狼部隊も動かして探させたが、半分しか見つけることは出来なかった。探索に当たっていたエルフ曰く、入念な魔力隠しが施されているため、魔力探知がアテにならないのだとか。

 なにより、地下道一帯が大幅に「組み替えられて」いるらしい。どの道がどうつながっているかさっぱりわからないそうだ。これはヒルダの回廊操作だろう。

 それから、追加でゴブリンがもう一体捕まった。

 報告によればリーダー格で、そこそこの知能を持っているらしいが、部隊の拠点に運ばれてきた頃には虫の息だった。どうも、魔法で生命力を吸われすぎたらしい。イェシカが応急処置を施したが、急いで目を覚まさせるとかえって危ないそうだ。というわけで、コイツから情報を引き出すわけにもいかない。

 一度沈んだ陽はまた昇り、刻々とテロの開始時間が迫ってきた。

 現在の時刻は朝七時。

 そろそろ、こちらも動かなければならないだろう。

 机の上の無線機を手に取り、通達する。

「各部隊に連絡する。カレッジの警護を予定していた人狼部隊はそれぞれ持ち場に戻れ。他の人員は引き続き、残りの魔法陣を探してくれ」

 手を離し、無線を切る。

「…………行くの、ジョゼフ?」

 真剣なイェシカの声に「ああ」とだけ返答し、装備を確認する。

 魔法陣の配置や、わざとゴブリンを捕まらせてその陣に誘い込む周到さから、俺達人狼部隊が動いていることもヒルダにはお見通しだろう。

―――俺達(じんろう)の弱点はただひとつ、純銀だ。

 その銀も、体表に触れなければ、体内に侵入されなければどうということはない。全身をスーツで覆い、重要な部位はプレートで守り、顔面にはマスクを付けておけばいい。……結局は、普通の戦闘装備であるが。

 一般の装備と違うのは、肌を一切露出させていないこと。それなりに金のかかる装備だが、人狼の力は強力だ。それを上回る収入を簡単に得られる。

「……イェシカ」

「なに?」

 イェシカは、俺の「お目付け役」。俺の働き、能力を審査し、ICPOに報告するのが仕事だ。ならば、こういった事件の当日こそ、俺たち人狼部隊の能力を見定める絶好の機会だ。お目付け役にとっては。

 しかし。

 今ではもう、コイツにすがるしかない。

「……この作戦、一番良い解決策は、魔法陣を全て壊し、ヒルダを拘束することだ。探索に出ているエルフ達が駆けつけてくれれば、妖精の捕縛ぐらい造作も無いだろう。だが―――」

「最悪の場合(ケース)。魔法陣を壊せず、エルフを呼び寄せる訳には行かなくなったとき。あたしが先生を捕縛、あるいは無力化……端的に言ってしまえば、殺せっていうんでしょう?」

「……ああ。だが、無理にとは言わない。なにせあいつは、お前の恩師だろう」

「構わないわよ。テロなんて計画するようなら、消えてしまったほうが世のため人のためってものでしょう。恩はあるけど、情はないわ」

 つーんとそっぽを向いて話すその顔には、確かに情のようなものは感じられない。

「頭の悪いほうのゴブリンは魔眼で眠らせたから、あたしが解呪するか、丸一日経つかしないかぎり起きないわ。そっちは安心して頂戴。死にかけのほうも容体は安定してるわ」

「あ? ……ああ、そうか、わかった」

 まだ夜が明けて直ぐなので、ゴブリンが大いびきを立てて寝ていることに何の違和感も感じなかったが、魔眼で眠らせているらしい。

「……じゃあ、行くぞ。ついてこい」

「言われなくても」

 さて。

 鬼が出るか、蛇が出るか。

 

 

 

 俺を含めた十四人の人狼部隊で、トリニティ・カレッジの警護に回る。

 予定通り事が運べば、魔法陣の探索に出させているエルフ、人狼たち全員で警護をさせたかったが、こればかりは致し方無い。

 ホテルからカレッジへの移動中、車中にて四つ目の魔法陣の破壊報告が入った。

 残る陣はあとふたつ。ここまでの配置から察するに、魔法陣はカレッジの中心を囲うように配置してあるはず。あとふたつの位置はこれで大分絞り込めたので、人狼を三人だけ、探索から警護に切り替えた。

 吸血鬼は昼間なので、下水道からは出られまい。一応、対紫外線装備を持ってこさせているが、アレは重い。あんな装備を抱えた吸血鬼よりかはまだ人狼のほうがマシだ。

 とりあえず爆破魔法を発見したことをICPOに報告し、現地警察にカレッジを封鎖するよう要請を出した。ガランドウになってしまうと流石に怪しまれるので、カレッジ周辺から私服警察をなんとか百五十人ほど寄せ集め、エキストラ兼警備員をやってもらっている。もちろん、危険性は知らせた上で。

「―――ジョゼフ。貴方がこのカレッジで籠城し、城にするなら、どこを選ぶ?」

 人員を散開させたあと、かつかつと石畳を歩いていると、イェシカが話しかけてきた。

 足を止める。眼前にあるのは、世界一美しいと言われる図書館だ。

「…………俺なら、ここだな」

「でしょうね。北欧最大の学び舎、トリニティ・カレッジの中でも最大の価値を持つ建物。エジプトのパピルスまで所蔵している、特権図書館。その貴重性はいわずもがな、ね。ここで銃火器は使えない。魔法なんてもってのほか。それどころか、貴方達人狼の爪でさえ、ここの書物を切り裂きかねないわ」

「ふん、知らねえな」

 がしゃん、と硬い金属の音。俺が手に持った短機関銃(サブマシンガン)に、初弾を装填した音だ。

「…………はあ。まあ、データとしては十分バックアップを取ってあるだろうし、どうせ放っておいても壊されそうだものね」

「そういうことだ」

 

 

 

 一歩一歩、本棚の影を入念にチェックしながら奥へ進む。無線からは、未だにゴブリン発見の報告は上がってきていない。この図書館の中にも私服警官が配備されているはずだが……。

「へえ、初めて来たけど、噂以上ね。本当に綺麗」

「…………」

 俺も来るのは初めてだ。確かに、テロの鎮圧、なんて物騒な目的で来たい場所ではない。

 長細い「ロングルーム」は流石に壮観だ。左右にずらりと幾十もの本棚が並び、そのなかには幾百、幾千の古書が詰まっている。ちらほらと国宝まで混じっている……とまでくると、もはやこの図書館を国宝にしたほうが早そうだ。

「…………あたしね、妹が居るの。本が好きな、ね」

 しゅるり、という音とともに、肩に何かが乗っかった。確認するまでもない、イェシカだろう。

「なんだ、いきなり」

「今朝、連絡があってね。別に大したことじゃないのよ。今ダブリンに来てて、あの図書館に行くかもしれない、なんて話をしたら、心底羨ましそうにしてたわ」

「ふうん」聞き流しかけたところで、違和感を感じた。「…………待て。妖精(おまえ)に、妹だと?」

「―――やっぱり察しが良いわね、貴方は。そう、妖精種には姉妹も兄弟も無いわ。無いけど、他の人種で言うところの、義兄弟、みたいなものかしら。特別仲が良かったり、生まれたときから面倒を見ていると、義理の親や兄弟になるものなの」

「ああ、そうか。お前が『ホールリン』を名乗るのは、お前にとってヒルダ、が―――」

 そこまで口にして、言葉が詰まった。

「姓を受け継ぐ」という言葉の意味を、なぜもう少し考えなかったのか。

「ふふ、察しが良いのも考えものかしら。言ったでしょう、恩はあれど情はない、と」

 肩に座るイェシカを見る。ここに来ても、表情に変化はない。

 思うところはあるのだろう。ないはずがない。コイツは、そういうヤツだ。

 義理人情、人助け。そういうのが好きでたまらない、根っからの善人。俺のような戦争屋とは全く違う。……生まれが生まれなのだから、まあ、当然だろうが。

「…………ん?」

 ふと、妙な匂いがした。

「どうしたの、ジョゼフ」

 鼻をひくつかせる俺を訝しむように、イェシカが小声で話しかけてきた。

「……霊体化してろ。血の臭い(・・・・)がする」

「っ」

 肩の重みが消えるのを確かめて歩を進める。物陰を確認しながら、臭いのもとへ近寄っていく。

 そして、居た。

「………………」

「そんな……」

 棚を四つほど挟んだ向こう、壁際に倒れていたのは私服警官だった。口から一筋、赤色が流れ出している。

 インカムで無線を飛ばす。

「報告、カレッジ内図書館にて警官一名の殉職を確認。各員、周囲の警戒を続けろ」

 無線を終え、今度は肩のあたりに声を掛ける。

「…………イェシカ、お前はそのまま霊体化してろよ。これじゃあどこに敵が居るか分かったもんじゃない」

「……ええ、分かってるわ」

 そっと、遺体を調べる。遠目では分からなかったが、首を斬られているらしい。そう大きな傷ではないが、致命傷なのは確かだ。

 そして、血の臭いに鼻が慣れた頃。何か別の、妙な匂いを感じた。

「…………ジョゼフ、またなにか?」

「ああ、いや、なんかヘンな匂いがするんだ。…………こっち、か」

 私服警官を少し退け、本棚から数冊の本を抜き取る。

「なんだ、こりゃ」

 小さな紋様が、青い線で描かれていた。

「…………ついつい忘れがちだけど、さすがは人狼ね。魔法陣を魔力でなく、におい(・・・)で見つけ出すだなんて」

「これが陣?」

 小さすぎる。せいぜい直径五センチほどしかない。

「ええ。でも、これひとつじゃ成り立たないわね。たぶん、これと同じものをいくつも配置して初めて発動する術式よ。……見たこと無い陣だわ。先生のオリジナルでしょう。けど、壊してしまえばこんなもの、全く無意味になる」

「そうか」

 その言葉を聞き、本棚の板ごと魔法陣を破壊した。

「……グーで殴るとは、思ってなかったわ」

 木材の散る音に混じって、イェシカの呆れた声が聞こえる。

 

「―――――応、儂もじゃ」

 

「な」

「え」

 背後で。

 しゅるり、という音がした。

 

 

 

「――――っ」

「ヒ、ヒルダ、先生……?」

 ロングルームの真ん中に、ひどく年老いた、一匹の妖精が浮かんでいた。

「応とも。その結構な(つら)を見るのは百年ぶりか、二百年か、小娘。どちらでも良いがの、よくもここまで恩師の邪魔が出来るものだのう?」

「先、生……」

 イェシカは変わらず霊体化している。だが、ヒルダの目は俺のすぐ横、ちょうど肩のあたりを見据えている。妖精同士ならば、霊体、実体は関係ないのか。

「…………ふん」

 まあ、なんでもいい。

 銃を構える。

 照準を合わせる。

 安全装置(セイフティ)を外す。

 すべての動作を一呼吸で済ませ、躊躇わずに引き金を絞る。

「ジョゼフッ」

 広い図書館に、きっかり三発分の銃声が響き渡った。

「…………てめえ」

 銃底から頬を離す。今ので殺るつもりはなかったが……いつの間に呼び寄せたのか、ヒルダはゴブリンを二匹宙に浮かせて自らの盾としていた。

「流石獣人だの。その思い切りの良さ、獰猛さはまさに(けだもの)。お前のような(つわもの)を見るのは久方ぶりだわい」

 どしゃり、どしゃり。二つの体が、床に落ちる。たかが三発の銃弾だ。死んではいないはずだが、動く様子もない。

「…………転移の、魔法? 先生、貴方はもう魔法を使えないのではなかったのですか」

「なんじゃ、昔のままなのはその外面だけか、小娘。陣魔法ならば知識と魔力さえあれば発動できる。知識は儂から、魔力はこやつらから絞り出せば良い。儂はほんのわずかの点火剤を注ぐだけで済む―――このようなこと、魔法学の基礎の基礎じゃろうて」

 呵呵と嗤う、妖精。

 耳元でぎり、と鳴る、見えない歯ぎしりの音。

 それも仕方ないだろう。ヒルダがここまで落ちぶれていた(・・・・・・・)となれば、コイツの嘆きも苛立ちも、当然のことだ。

 さて。

 妖精種というのは、基本的に討伐が難しいとされる。エルフ種以上の魔法を難なく行使し、危険だと察すれば霊体化し逃げられる。

 魔法使いでも、精霊使いでも、妖精に太刀打ちできるほどの手腕を持つものは限られる。

 故に、妖精種を討伐、あるいは捕縛する場合―――

「イェシカ。やれるな」

「ジョゼ、フ……」

―――同じ妖精種が、事にあたるのが望ましい。

 

 

「呵呵、小娘、貴様が儂を捕らえるか。儂を討ち取るか。面白い。やってみよ。弟子の分際で師に背くとどうなるか、思い知らせてくれる」

 老いぼれ妖精が、にたりと気色の悪い笑みを浮かべた。

 増援のエルフを呼ぶにはもう遅い。人狼部隊が駆けつけるのにもあと数分を要する。だが、恐らくこのヒルダはいくらでもこの図書館内にゴブリンを呼び寄せられるだろう。お互いが増援を呼べば、逆に事態は深刻化する。ヒルダしかいない今のうちに、俺たちでどうにかするしかない。

「…………ほう? 小娘よ。どうやら儂の陣を分析しておるようだが……どうだ? 成果は出たか?」

 小首を傾げるヒルダ。余裕シャクシャク、なんて表情だ。

「―――はい。貴方はこの陣に、少なくとも五つの魔法を仕込んでいる」

「ほほう、言ってみるが良い」

「ひとつは、魔力隠し。それから、あなたやゴブリンのための姿隠しと転移の陣。すべての陣の魔力源は、恐らくどこか別の場所にいるゴブリン達の生命力。搾取の陣で、魔力に無理やり変換している。そして、それら全ての魔法を、反射……というより、感知の陣によって発動させていますね」

「ほう、よくぞそこまで見抜いた。現代の妖精種も捨てたものではないな」

 それでも余裕の表情を崩さないヒルダ。

 それも当然だろう。これだけ巧妙に陣を組んでいる上に、奴は霊体化できる。逃げに徹されると、俺達は奴を捕らえられない。

『ジョゼフ』イェシカからの念話だ。『一分頂戴。それで、どうにかしてみせる』

 一分、か。

『わかった』

 それくらい、どうということはない。

「で、ヒルダさんよ」銃口はそのままに声を掛ける。「手前(てめえ)の狙いは何だ。手下のゴブリンは、えらくお前さんを慕っていたが」

「捕らえたか。今代の警察組織も、なかなか優秀だの」

「そりゃどうも」

「成程確かに、ここまで儂の邪魔をするだけのことはある。さて、儂の狙いか。良かろう、その手腕に免じ、教えてやろうではないか」

―――かかった。

「光栄だな」

 少しだけ、下へと銃口を下げる。 

 こういう講師ヅラをする輩相手に時間稼ぎをするには、話をさせるのが一番手っ取り早い。なにせ、いつでもどこでもお喋りしたくてウズウズしている人種だ。

 更にコイツは銃口を向けられる極限状態でなお、霊体化すればいつでも逃げられると慢心している。

 ならば、その口はよく滑る。

「狙いはふたつ。ひとつはゴブリン種の尊厳を奪回すること。ひとつは妖精種の権限を奪回すること。質問は?」

 腰の後ろに手を回し、首を傾げるヒルダ。今すぐ撃ち抜きたいほど腹ただしいが、ここは我慢だ。

「……そうだな、まず、ゴブリンの尊厳ってのは何だ。お前の行動は、ゴブリンを侮辱しているようにしか見えないんだが」

「そうじゃろうて。儂はそう見えるように、彼奴(きゃつ)らを動かしているのだから」

 ……こういう手合いは話が遠回しすぎる。面倒で嫌いだ。だが、今日に限ってはそのほうが望ましい。

「へえ、その心は」

「儂が子鬼共をかつての大戦のように使い捨てることで、現代人にゴブリン種の現状を叩きつける。その後、各国にゴブリン種の有害指定を解除するよう宣告するというわけだ」

「あ? 有害指定の解除?」

「いかにも。昨今の純人共のゴブリン種に対する態度は、些か以上に目に余るのでな」

「は、そりゃあお優しいことで。だがその為にゴブリンを使い捨ててるんじゃあ、尊厳の奪回、なんてのは建前だな」

「呵呵、頭の回る人狼だわい。小娘が付き従うだけのことはある」

「…………」

 イェシカは答えない。その代わり、俺に念話を送ってきた。

『ジョゼフ。一度だけしか言わないから、良く聞いてね』

『ああ』

『先生の陣魔法は、複数の陣を組み合わせることで結界になってるわ。たぶん、ちょうど六角形のカタチ。その頂点同士、全ての間に線を引くように、壁みたいな結界を張ってある』

『それで?』

『最初にひとつ壊したでしょう?たぶん、あとはあたしたちの背後と、右の本棚あたりに結界の起点があると思うのだけど、詳しい位置は分かる?』

 イェシカの言葉を聞き、すう、と空気の匂いを嗅ぐ。

―――確かに、先ほどの青い紋様と同じにおいが、俺の真後ろの床と、右のほうから放たれている。

『…………ああ。今、分かった』

『あと少しで合図を送るわ。そうしたら、出来るだけ素早く全部の陣を壊して。それから―――』

 そこで、イェシカは深呼吸するように、一度言葉を切った。

『―――それから、先生を撃って』

 

 

「で? 本音はなんだ、爺さん」

「―――儂のもうひとつの狙いは、擬似妖精どもの根絶じゃ」

 擬似妖精、と口にした途端、ヒルダの目つきが鋭くなった。

 老人のそれではない。

「ふん、それこそお笑い種だ。まだゴブリン種の指定解除のほうが現実的だぞ、爺さん。擬似妖精の根絶? あいつらは情報(データ)だ。殺しようが無えだろ」

「抹消することはできよう。彼奴らの存在は許せぬ」

 鋭い目に、怒りの炎が灯る。

「わからねえな。なんでそこまで擬似妖精を憎む?」

「彼奴らは魔法を使えぬ。精霊から格落ちしたはずの我ら妖精種が魔法まで使えぬとなれば、もはや価値などあるまい」

「それで行くと、アンタにも価値はないぜ」

「そう、そのとおりじゃ。今の儂には知識、データとしての価値しか無い。だが、それでも、それだけしか無い儂にも、まだ成し遂げられることはあった。擬似妖精どもでは、到底真似できぬことが」

「それが、このゴブリン騒ぎか」

 床に転がるゴブリンに目をやる。

「応。魔力が足りぬならば確保すれば良い。手足が足りぬなら奪えば良い。儂が司令塔となり手駒を動かし、そして我が意思を世に伝えるのだ。この図書館、この学び舎は、そのための儂の牙城とする」

「ふざけないでっ」

 女の叫び声がこだました。

「んん?」

「それでも―――それでも、ホールリンの名を継ぐ妖精ですかっ。貴方は、マリア大師の一番弟子ではないのですかっ。その貴方が、なぜそこまで―――」

「そこまで? そこまで、なんじゃ? その言葉の後に、貴様は何を続ける?」

 射るようなヒルダの視線を受けて、一瞬、イェシカが言葉を切った。

 

「―――なぜ、そこまで、正気を失ったのですか。ヒルダ・ホールリン」

 イェシカの言葉を聞き、ヒルダは満足気に頷いた。

「良かろう。ではここで死ね。死に損ないの人狼と、師に歯向かった妖精よ」

 

 

 

 

『―――ったく。なにが一分頂戴、だ。お前がぶっ壊してんじゃねえか、バカ』

『う、うるさいわね。しょうがないでしょう』

『はあ。ま、それもそうだな』

『何ため息吐いてんのよ』

『そりゃため息のひとつも吐きたくなるぜ、これ見てりゃよ』

『……まあ、それもそうね』

 目の前で、目を覆いたくなるような惨状が広がっている

 ざっと見ても五十は超えるゴブリンの大部隊がどこからともなく現れ、世界一美しいと呼ばれる図書館を埋め尽くしていく。彼らはすでに正気でなく、手に持った銀の剣をところかまわず振り回す。貴重な書物、国宝級の本、すべてがその価値を失っていく。

『予定は少し遅れるわ。一分って言ったけど、あともうちょっとかかりそう』

『好都合だ』

 ヒルダは天井のあたりでふわふわしながら、戦場と化そうとする場を俯瞰している。

「全員正気を奪ってある。全員銀の剣を持っておる。殺さねば、殺されるぞ、人狼よ」

 不敵に笑うヒルダ。

「ああ、そうじゃろうなあ。人狼とはいえ、この数相手では太刀打ちできぬか。なにせ月夜でも何でもないしのう」

「―――はっ、それなら心配いらねえよ、爺さん。冥土の土産だ。現代に生きる人狼の戦い方を見せてやる」

「ほう?」

 また小首を傾げるヒルダ。その首に向かって右手を掲げる。

光れ(Licht)ッ」

 右手から、ほのかに輝く球体が現れる。

「これは―――」

 球体はまっすぐヒルダに向かい、ちょうど目の前で留まった。老妖精はそれを目を細めて眺めている。

「――――――月光か」

 

「そうだ」

 二の腕が膨らむ。

「人狼部隊が皆最初に覚える基礎魔法、最後に使う奥の手だ」

 伸びた爪が手袋を破る。

「月がないなら造ればいい」

 膨らんだ筋肉がスーツを破る。

「光がないなら照らせばいい」

 露出した肌を、黒い獣毛が覆っていく。

「昼間だろうと新月だろうと、これさえあれば俺たちは―――」

 磨かれた床に映るその姿は、もはやヒトではなく。

「―――獣に成って果てられる」

 その姿は、二本の足で立つ狼だった。

 

 

 

「こりゃ驚いた。こりゃ知らなんだ」

 はしゃぐヒルダの声が、図書館じゅうに木霊する。

「人狼どもにそこまでの知恵があったとは。獣風情が月の光を生もうとは」

 それをかき消すように、肉を裂く音が響く。

「ま、人狼部隊(おれたち)だけの知恵じゃねえけどな。先達と、それに関わるエルフのおかげだ」

「………ほう。そこまで獣化が進んでいながら、意思の疎通まで可能とは。いや、いや、いや、それは貴様が隊長であるからか。貴様が優秀であるからか。並の人狼では正気を失うに違いない。奥の手というのは、そういうことじゃろう?」

 前から斬りかかるゴブリンの腕をちぎりとり、後ろから斬りかかるゴブリンに投げつける。

「―――そんな感じだ」

「面白い。実に面白い。長生きはするものじゃのう」

 げらげらと笑い転げるヒルダをよそに、俺は動けるゴブリンを片っ端から切り裂いていく。

 殺しているわけではない。いや、五分も放っておけば死ぬだろうが、それでもまだ死んでいない。こいつらは大量失血によるショック死を起こすようなヤワな人種ではない。

 イェシカの魔法なら、きっとどうにか出来る。

 

 妖精種はそれぞれに、とびっきり強力な「固有魔法」を生まれ持つとされる。妖精ひとりひとりバラバラの、この世にひとつきりの魔法。どういう基準でどういう固有魔法が身につくのかは、全くもってランダムだと聞いていた。

 だが、イェシカの話から察するにそれはおそらく嘘だ。

 イェシカが格落ちした理由は、傷ついたケンタウロスに惚れたから。もっと具体的に言えば、そのケンタウロスを「治したかった」から。そこから察するに、コイツの固有魔法は―――

『そう、治癒よ』頭のなかで、声がした。『あたしの固有魔法は、治癒魔法。どんな傷でも、死なないかぎりは治すことが出来る』

 俺の思考を勝手に読んでいたらしい。状況が状況なので、気にしない。

『じゃあ、(くだん)のケンタウロスはどうして助けられなかった?』

『わかりきったことを聞くのね。死なないかぎりは治せるけど、避け得ぬ死はどうしようもないの。あたしのは蘇生魔法じゃなくて治癒魔法なんだから。でも、避け得る死なら一瞬で治せるわ。魔力はたくさん使うけど、こうなったら無理してでも治してあげるわよ。だから、あなたは思う存分、殺さない程度に暴れなさい』

『―――言われるまでもない』

 既に六十は越えたか。血に濡れたゴブリンの体が床に横たわっている。

 俺の両手はそれより赤い。体じゅうに返り血を浴び、襲いかかる子鬼を引き裂くさまはまさに伝説通りの「狼男」なのだろう。

『ジョゼフ。そろそろ、陣をお願い』

『おう』

 飛びかかるゴブリンの腕を銀の剣ごと掴み、引き抜き、陣のにおいのするほうへと放り投げる。ばかん、と割れるような音を立てて床板が砕け散った。

『あと幾つだ』

『もうひとつ壊せば十分ね』

 同じ動作をもう一度。大きな本棚が木くずになる。

「おお、おお、儂の用意した大事な陣が、粉々に―――」

「そのわりには余裕だな」

「まあ、それはそうじゃろう。いくらお主が獣化しようが、霊体化すれば逃げられる。そこの小娘の魔法とて通じはせぬ。なにせ、儂の弟子じゃからなあ。通じるわけがなかろうて。―――ところで、余裕が無いのはどちらかの?」

「っ…………さすがは、ホールリンか」

 あの老いぼれの言うとおりだ。この獣化は仮初めのもの。人工の僅かな月明かりでは、獣化を長く保つことはできない。現に、脚の体毛が剥がれかけている。上がった息を整えるだけでも一苦労だ。

 とはいえゴブリンはあらかた無力化した。戦えるほどの体力が残っている者は居ない。そしてこれ以上の増援を呼ぶ気配もない。

 残るは本命、ヒルダのみ。

『――――ジョゼフ。大丈夫よ。やって(・・・)

 だが。

 まだひとつ、訊いておかなければ。

「―――爺さん。爆破魔法を仕掛けたのは何故だ。ここはアンタの城にするんだろ? 無関係な人間を巻き込んで城を壊して、一体どうする」

 俺の言葉を聞いて、ヒルダはまた愉快そうに笑った。

「嗚呼、アレか。ほんの戯れじゃわい。お主が踏んでおるとおり、成功せずとも良い仕掛けじゃ。無論、成功すればゴブリンの悪名は世界に轟き、それに連なり儂の存在も世に知れよう。発言力が高まるというわけじゃ」

「……そうかい。それもここまでだ」

 完全にヒトのそれに戻った腕。その腕でハンドガンを取り出し、照準を合わせる。普通なら発砲と同時に霊体化されてしまうだろう。実際、ヒルダの気配が少しずつ薄くなっている。

 だが、イェシカのゴーサインは出た。コイツが何を仕掛けたかは知らないが、やれというのならば従おう。

 人差し指に力を込める。引き金を、じりじりと絞ってゆく。

「―――じゃが、まだ全部壊しきっとらんとは思わなんだ。あの程度、現代の無能なエルフ共でさえ、半刻ほどで見つけ出せるじゃろうに」

「え―――」

 イェシカの声は、乾ききった銃声にかき消された。

 

 

 

「こ、ふ」

 宙を舞っていた妖精の師は、朱に染まる地に堕ちた。自らの盾、矛としたゴブリン達の血溜まりで、みすぼらしく藻掻いている。

「……霊体化を、阻害する、とはの。しかもこれは……お前の仕業ではないな、小娘」

「―――はい。ここから一番近い場所にいるエルフの遠隔魔法です。私が中継することで、彼の魔法を正確に貴方に発動させられました。私自身の魔法が貴方には通じないことは、わかっていましたから」

 俺の目の前で、イェシカがしゅるりと実体化した。

「小娘と侮った……儂の、油断……か。まあ、儂らしいといえば、そうじゃろう……」

「先生。何故貴方は、魔法が使えなくなったのです。そのような事例、聞いたこともありません」

 胸の前で手を組み、今にも泣きだしそうな声でイェシカが問う。

「……ほ。簡単な話じゃ。儂は、ちと、永く、生きすぎた。魔力は尽き、補充も、ままならぬ。これ以上魔法を使おうとする、のなら、儂の存在、そのものを……代償に、しなければならなくなった。それだけの、こと。土壇場で、死が、恐ろしくなった。それだけの、ことじゃ……」

 肺から逆流する血液を、何度も何度も吐き出しながら、ヒルダは語る。

「そう、ですか。……貴方は、魔法を使いすぎたのですね」

「そう言われると、身も蓋もないのう……。じゃが、ここで死ねたのは、幸運だったのかも知れぬ」

「先生?」

 倒れこんだヒルダに、ふわりとイェシカが近寄る。そのイェシカに構わず、血を零しながらヒルダは語り続ける。

「お前は、儂の弟子の中でも、とびきり優秀で、あった。報われぬ恋に身を、焦がしたお前は、その反動からか、魔法学へとのめり込んだ。儂には、とても若く、鮮烈に見えたものだ。次代を担うのは、このような妖精であろうか、と……」

「先生」

 血の池にイェシカが降りる。

「教え子に看取られるとは、堕ちた儂にとっては、この上ない褒美であろうな、イェシカ…………」

「…………」

 イェシカがヒルダのもとにたどり着いた頃には、もう、血の音はしなくなっていた。

 

 

―― ―― ――

 

 

 暖かな治癒の光が図書館を照らしている。

 倒れ伏したゴブリンたちに手をかざすその姿は、まるでちいさな女神のようだ。

 その手の先で、裂傷程度は言わずもがな、ちぎれた手足までもが復元されていく。

「さすがは固有魔法だな」

「疲れるけどね」イェシカがため息を吐いた。「余裕のあるゴブリンから魔力をもらってるわ。状況が状況だし、文句は言われないでしょ」

「……ああ、そうだな。足りないなら俺のも使え。そいつらをやったのは、俺だ」

「そうね」

 そう言いながらも、イェシカは俺から魔力を取ろうとしない。

「でもねジョゼフ。それを言うなら、彼らがこうなったのはあたしの師のせいよ。そして、その師にのせられた(・・・・・)彼ら自身の責任でもある。あなたは彼らを解放したの。それ以上、力を浪費する必要はないわ」

 ちらりと俺の腕を見るイェシカ。

「別に大したこと、ねえんだけどな」

 袖が破れ、むき出しになった腕。無理やりな獣化の反動で血管がぶつぶつと切れているらしく、どす黒い色に染まっている。

「ほっときゃ治るぜ」

「でしょうね」

「……なんだよ、つめてえな」

「それもあなた自身の責任よ。前線に出る機会がないからってはしゃいじゃって」

「ぐ」

「獣化なんてしなくても、あなたならゴブリン程度は捌けたでしょう」

「た……たまには使わねえと、腕が鈍るだろ」

「やりすぎよ」

「ぐう」

 イェシカは涼しい顔のまま、治癒の魔法を使っている。

 俺は所在なく、壁に寄りかかっている。

 どうも、こいつには口喧嘩を挑まないほうがいいらしい。

 

 

 

 炸裂音がした。

「なっ」

 音は地の底から。続いて、崩落音。地面を揺るがすような、大きなおとが図書館のなかへと響き渡る。

「……くそ。ヒルダの野郎、なにが成功せずとも良い、だ。自分が死んだら爆発するようにしてやがったな」

「…………どうかしらね」

「あ?」

「いえ。気にしないで」

 ゴブリンの治療は終わったらしく、イェシカがこちらへふわふわと飛んできた。

 銃の安全装置をかけ、無線機を取り出す。

「捜索部隊、報告しろ。どうなった」

「―――こちら、第三分隊。同伴するエルフが、カレッジ地下の二つの魔法陣の起動を確認しました」

「……イェシカッ」

「ええ。行きましょう、ジョゼフ」

 血の海から飛び立ち、図書館のエントランスへと一直線に飛ぶイェシカ。俺はその後を全速力で追った。

 

 

 

 図書館を一歩出ただけで状況は把握できた。

 カレッジの被害は甚大だった。メインの講義棟は崩落し、アパートメントも幾つか崩れかかっている。

「…………狙いはカレッジそのもの、だったな。図書館に仕掛けられてなかったのはラッキーだったか」

「いいえ。仕掛けられていたわ」

「何?」

 あたりを見回していたイェシカがこちらに向き直った。

「さっきヒルダ先生の霊体化を阻害したエルフはね、貴方が時間を稼いでいる間に、出来るだけあたしのそばに来て貰っていたの。ちょうど図書館の真下にね。そうしたら、昨日壊した魔法陣の場所に着いたらしいわ」

「…………成程。クソ、もうちっと早く気付いてれば、こうはならなかっ―――」

「それも間違いよ、ジョゼフ。たとえ魔法陣の全てがカレッジの主要な建物の下に配置されていても、あたしたちには見つけられなかったでしょうね」

「どういうことだ」

「先生が言っていたでしょう、半刻もあれば見つけ出せるはずだと。あれだけの規模の術式だもの、魔力は駄々漏れになるはずよ。そうならなかったのは、強力、なんてレベルじゃない魔力隠しが施されていたから。先生の回廊操作と相まって、この人員と状況じゃ、全部見つけるのには相当な時間がかかるでしょうね。それで、さっきのエルフに魔法陣をもう一度調べてもらったのだけど、どうもヒルダ先生一人で創ったようには見えないらしいの」

「助力したヤツが居た、と?」

「ええ。恐らく、先生の想定していた以上の魔力隠しを仕込んだのよ、そいつは。どこのどいつだか知らないけど、エルフの魔力探知に引っかからないなんて相当な術式よ。てっきりヒルダ先生が新しく考案したものだと思っていたけど、それも違うみたい。先生の使う魔法は北欧のものだけど、その魔力隠しは東洋のものらしいわ。―――たぶん、先生が亡くなったら起動するように仕組んだのも、そいつの仕業」

 イェシカは遠くを睨みながら、ぎり、と歯ぎしりした。

「心当たりでもあるのか」

「ないわけではないけど……あくまで容疑者ね。まだ、わからない。魔法陣のサンプル、しっかり取らせておかなきゃ。……それで、これからどうするの? 警官たちにも相当な被害が出ているはずだけれど、救助は?」

「ああ、それは部下にやらせる。ゴブリンの回収も。俺たちはいつもどおり、ホテルで司令塔だ。―――それに、シャワーを浴びねえとな」

「え?」

 言って、自分と俺の体を見るイェシカ。俺たちの体は、ゴブリンの血で真っ赤に染まっている。

「……そうね。まあ、人狼さんが(いち)ダースも居れば、救助活動は十分かしら」

「ああ、そういうことだ。戻るぞ」

 

 

―― ―― ――

 

 

 配備していた私服警官はその多くが殉職した。それだけに留まらず、カレッジの周囲に居た一般市民にまで被害が出た。

 もちろんICPO本部からはこっぴどくお叱りを受けたが、その一方でゴブリンの捕縛等、我々の情報、行動により被害を抑えられたこともまた事実……ということで、お咎めは無しらしい。

 魔法陣に捜索にあたっていた部隊は、優秀なエルフたちのおかげでなんとか身を守ることができたようだ。多少の怪我はあれど殉職者までは出なかった。地上で警備していた人狼部隊も同様である。

 だが、一般市民に被害が出たのは痛恨の極みだ。今のところ死者は出ていないはずだが、本来なら怪我人すら出すべきではなかった。相手の魔力隠しが厄介であれ、これは俺のミスだ。

 無線を通じての連絡と、外を走る救急車の音だけが聞こえる。

 日の暮れた薄暗い部屋のなか、イェシカは窓の外を眺めている。

「…………お前、ヒルダの固有魔法は知ってるか」

「勿論」視線は窓の外へ向けたまま、イェシカが頷いた。「増幅の魔法よ。ありとあらゆる魔法を、膨大な魔力と引き換えに強化する魔法。……先生らしい魔法だったわ」

「じゃあ、ヒルダが精霊から『格落ち』した原因は?」

 ヒルダ亡き今、どうでも良い事だった。尋ねたのは、ただなんとなく。その気まぐれの問いに対し、イェシカはこちらを向いて真剣な表情で答えた。

「いいえ。でも、想像はつくわね。貴方は?」

「……恐らくヒルダが惚れたのは、魔法という概念そのものだ」

「…………」

 イェシカは何も言わない。

「魔法に惚れ込んだヒルダは、それを極めることに固執した。だからこそ、魔法が使えない擬似妖精に憤りを覚え、魔法が使えなくなった自分にも憤りを覚えた。まあ、惚れた相手にフラレたようなもんだわな。温和だったヒルダはそれをきっかけに変貌し、このテロを画策した。…………ってのは、どうだ」

「どう、って言われてもね……。まあ、大体こっちも同じ意見よ。でもね、先生は最期の最期に、自分を取り戻したんだと思うの」

「根拠は」

「先生は姿を現した時から、あの人はあたしのことを『小娘』としか呼ばなかった。先生はあたしの名前を知らなかったから、仕方ないといえばそうなんだけど……それでも、名前のなかった頃は妖精(フェアリー)って呼んでくれてたのよ。でも、死の間際に、最後の瞬間にあの人はあたしをちゃんとイェシカって呼んでくれたわ。あたしの名前、どこのどいつから聞いたのか知らないけれど、ちゃんとあたしを弟子だって、自分はこの娘の師匠だって、そう思い出してくれたんじゃないかしら」

 ぼう、と視線を漂わせながら、イェシカはそう語った。

「…………根拠としちゃ、弱えな」

 俺は頬杖をついて、それだけ言葉をこぼした。

「そうね。別に、根拠にする必要もないでしょう」

「は、それもそうだ」

 

 

 

 事件は一応終結ということで、こちらで確保していた二匹のゴブリンは一足先に現地警察に引き渡した。そこからICPOによる長ーい聞き取りが始まるのだろう。先に捕らえた頭の悪いほうは、たぶん大した罪に問われることはない。テロ計画に加わってはいたが、それだけだ。結局ヒルダに踊らされていただけ。俺たちに拿捕されていたから、実行犯になったわけでもない。

 しかし、もう一匹のマックとかいうやつは実行犯だ。それなりの処罰が下される。それでもやはりヒルダの操り人形に過ぎないわけで、これまでのゴブリンに対する差別を考えれば、少しくらいは情状酌量の余地もあるだろう。

 ヒルダももう死んだ。これ以上、ヒルダの作り上げた組織が動きを見せることはない。

 

 そんな中。

 イェシカと共に現場の被害状況、救助活動を統括しているとき、日本にいるというイェシカの妹からの通信があった。応答したのはイェシカだが、使ったパソコンは俺のものだ。この妖精はいつの間にやら俺のパソコンに入り込んでいやがったらしい。

 通信の向こう側、極東はなんとも平和そうであった。

―――それにしても、擬似妖精の名付けとは。因果な頼みごとだ。

ヨセフィーナ(Josefina)、ねえ……。イェシカ、あの妹の名前は偶然じゃねえな?」

 通信を終え、ベッドに座るイェシカにじろりと視線を送る。俺は通信中のカメラに割り込もうとしたところをイェシカに部屋の隅まで押し込まれ、そのまま寝っ転がっている。

「……まあ、隠してもしょうがないわね。ええ、あの子に名前をつける必要があったから、あなたの名前を使わせてもらったの」

「へえ、なんでまた名付けの必要があるんだ。デミフェアじゃあるまいし」

「妖精は恩師の姓を貰って、同時に名を貰うものなの。あたしの場合は生まれたときにあのケンタウロスから貰えたけれど、そういう妖精は少ないわ。ふわっと生まれて、ふらっと学んで、ようやく一人前になったら名前が貰える。あたし達はね、そういう種族なの」

「ふうん。面倒なんだな、お前ら」

「あら、あたしからすれば貴方達人狼のほうが大変そうに見えるわ。満月の度に獣化するなんて、この現代社会じゃ玉に瑕なんてレベルじゃないでしょう。……ああでも、貴方は獣化してなかったわね」

「月光浴びなきゃ大した事はねえよ。外に出るとマズいが、まあ俺は特例だ。獣化はしてるが、気合でねじ伏せてる。ほかの人狼部隊の連中も、まあ各々折り合いはつけてるさ。そうでもしねえと仕事にならねえからな。変化が得意な奴は獣化の度に純人(・・)に化けてるぜ」

「あら、便利なものね。そういえば貴方はゴブリンに変化していたっけ。じゃあ、他の、人狼部隊じゃない普通の人狼達はどうしているの?」

「どうもしねえよ。お前の知ってる通り、人狼にとって満月の夜は有給休暇だ。部屋に引きこもって鎮静薬飲んで、グッスリ寝てるだろうぜ。その代わり、他の日に純人の何倍も働いてんだよ」

「大変ねえ」

「お互い様だ」

 ベッドに歩み寄り、イェシカの額を小突く。

「むう」

「で。お前はこれからどうするんだ」

 俺の問いを受けた妖精は、額を押さえながらしぶしぶ口を開いた。

「……どうもしないわ」

「は? お前、俺の働きを視察するのが仕事だろ。なら後は事後処理さえ済めばお役御免で任務完了、大手を振って帰還できるんじゃねえのか」

 怪訝な顔をする俺を見て、イェシカはぷいと顔を背けた。

「あたしもそうだと思ってたんだけどね、さっき本部から、『今回のテロ対策は成功であり失敗である故、成功例のデータを持って来い』なんてお達しが来たの。だから、次の仕事も監視することになるわ。……それに」

「それに?」

「…………魔法陣を手伝ったのは、ホールリンの関係者かもしれないの。他人事じゃないわ」

「なんだ、そこまで掴んでるのか」

「掴んでるわけじゃない……けど、爆破の陣のサンプルを見た限りじゃ、たぶん間違いないわね」

 なんだか歯切れが悪い。イェシカの顔も険しいが、ここはずばり聞き出すべきだろう。

「そいつの名前は?」

「……コーラル」

「コーラル・ホールリンか?」

「馬鹿言わないでよ。あんなのがホールリンを名乗っていいはずないわ」

 語気を荒げるイェシカ。言葉にも、表情にも、あからさまな敵意がある。

「…………姓はヤマムラよ。コーラル・ヤマムラ」

「ヤマムラ……ねえ。どっかで聞いたような……」

 顎をさすりながら記憶を紐解いてみると、ある指名手配犯のことが頭をよぎった。

「―――ああ、アレか。9.11の」

「ええ。あのときも、魔力隠しだった」

 そうだ。あの同時多発テロで大々的に国際指名手配を受けていながら、今日に至るまで捕まっていない謎の魔法使い。目撃情報は皆無で、世界中の魔力探知にも引っかからない。生きているかすら怪しいという話だ。

「…………ソレが相手か。骨が折れるな」

「でも、やらないと」

 イェシカを見る。

 その目には曇りはなく、その顔には(かげ)りもない。

「―――ああ」

 

 次の仕事は決まりだ。

 だが、まあ、生憎と証拠が少なすぎる。とりあえずはまだ、ICPOからの連絡を待つことになるのだろう。

 また、いつもの日々に戻る。

 俺たち人狼部隊の日常は、依頼が来なければ、ただ食って寝て、それだけだ。今回の一件でICPOに正式加盟できるかは知らないが、どちらにせよ頭目は果報を寝て待つしかあるまい。

 だが。

 こいつが残るというのなら。

 それはそれで、退屈はしないか。

「じゃあ、これからも頼むぜ、イェシカ」

「―――ふん」

 俺の言葉を聞いて、イェシカはベッドに倒れ込んだ。

「……あたし、寝るから。起こさないでよね」

 彼女は不満そうにそう言って。

「…………頼まれたって、起こしゃしねえよ」

 満足そうに、眠りについた。

 


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