聖闘士星矢~ANOTHER DIMENSION 海龍戦記~改訂版   作:水晶◆

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第22話 CHAPTER 1エピローグ ~シードラゴン(仮)の憂鬱2~

 北極海に臨む極寒の国アスガルド。

 聖域と同じく、神の結界によって護られたこの地は俗世から隔絶されており、近代科学の結晶である人工衛星であってもその所在の片鱗すら掴む事はかなわない。

 ギリシア神話に連なる神々とは異なる、北欧神話に連なる神々によって興され、今もなおその神の意志(ビッグウィル)を受け継ぎし者により統べられている国である。

 

「ふぅむ、やはり感じられぬ。巨神の小宇宙が――消えたなぁ」

 

 そのアスガルドの中枢、ワルハラ宮と呼ばれる中世ヨーロッパの古城にも似た建物の最上階。

 華美な装飾の施された椅子に腰かけた、紫を主体とした祭服を身に纏った男――ドルバルが、手にしたグラスを傾けながら呟いた。

 ドルバルのいるテラスからはアスガルドの大森林と、氷に覆われた湖、そしてアスガルドの民が崇める神――オーディーンの巨像を一望する事が出来る。

 

「余はな、この光景が好きなのだよ。静寂に満ちたこの地のなんと素晴らしい事か……」

 

 沈みゆく夕日を眺めながらドルバルが思いを馳せる。それは、眼下に映るこの国の事か、この地に生きる民の事か。

 

「煩わしい騒音など、必要あるまいて」

 

 そのどちらでもあり、ドルバルは更なる先を――国だけではなく、この世界を思っていた。

 暫く、そのままグラスを何度か口にしていたドルバルであったが、やがてグラスを持たぬ空いた手をゆっくりと宙に伸ばす。

 伸ばした手を開き――

 

「余は……そういうものは好かぬよ」

 

 呟く。

 そこにあるであろう何かを掴み取る様に、掌を握り締める。

 握り締めたドルバルの手から紅い輝きが漏れ出していた。

 輝きは、ドクンドクンと、まるで心臓の鼓動を思わせるような、不気味な明滅を繰り返している。

 

「いやはや、全くもって……素晴らしい事だよ。アテナの聖闘士は実に優秀ではないか」

 

 ゆっくりと開かれたその掌から零れ落ちたのは真紅のルビー。それは、ギガスの神、ギリシア神話最大の魔獣――Typhonの魂が封じられた魔石であった。

 クククと、ドルバルの口から抑えきれぬ声が漏れていた。

 暗く、深く、ドルバルは――嗤っていた。

 

「異郷の愚かなる神々など、互いに喰らい合い殺し合えば良いのだよ。何も、我らが直接手を出す必要などありはせん。そうは思わぬか? なぁロキよ」

 

「……教主様の御心のままに」

 

 背後へと振り返ったドルバル。その言葉に答えたのは、彼の後ろで片膝をつき、頭を垂れていた青年であった。

 赤を主体とした、ドルバルの物とよく似た衣服を身に纏ったアスガルドの若き闘士である。

 端正な顔立ちをしているが、その目に宿った光は氷の様に冷たく、鋭い。

 

「ふふふっ、口ではそう言っておるがロキよ、お前としては、一戦交えてみたい、というのが本音であろう?」

 

「……お許し頂けるのであれば。我ら神闘士(ゴッドウォリアー)は教主様の命に従うのみでございます故に」

 

 ロキと呼ばれた青年の言葉と、その身から立ち昇る攻撃的な小宇宙に「頼もしいな」とドルバルは笑みを浮かべ、再び視線をアスガルドの地へと戻した。

 

「ならん。それはならんよロキ。放っておけば良い、我らはただ観ているだけで良いのだよ。少なくとも今はまだ、なぁ」

 

「我々だけでは力不足、そうなのでしょうか?」

 

「ロキ、お前達の力はギガスやアテナの聖闘士に劣らぬ。しかしな、神代と七星、十二人の神闘士を揃えずして勝利は……無い。余はそう考えておる。我らの敵はアテナだけではない」

 

 そう言って椅子から立ち上がったドルバルは、手にしたグラスをテーブルに静かに置くと、祭服の裾を翻してテラスを後にする。

 

「フレイもそうであるが、七星、あ奴らが真に忠誠を向けているのはこのドルバルではない、ヒルダよ。事を起こすにせよ、まずはあの娘を押さえねばならぬ。可能であるのならばあれの妹のフレアも押さえて置きたいが、あまり多くを望んでも良い結果にはならぬであろう?」

 

「確かに。ヒルダを押さえるだけでもジークフリートとトール、そしてフェンリルが邪魔をするでしょう。そこにフレアを加えれば更にフレイとハーゲンへの備えも必要となりますか。では……七星の掌握には今暫くの時間が必要と?」

 

 その後ろを、付かず離れずといった微妙な距離を維持してロキが続く。

 

「まあ、そう長い時は必要とはせんだろうて。アルベリッヒは余につくと申しておるしのぉ。それに、心身掌握の秘術、あの実験は結果からすれば失敗であったが、それなりの成果は見せておる。やはり楔となる物が必要なのだよ。仮面や首飾り、いや、指輪など良いかも知れんなぁ」

 

 二人が進む通路の先では三人の闘士がその行く手を護る様に立っている。

 ドルバルの姿に気付いた三人が床に膝を付けて首を垂れる。

 

「ウルよ」

 

「ハッ」

 

 逆立った白い髪が特徴的な青年であった。

 聖衣にも似た紺色の鎧を身に纏い、その腰には一振りの剣を差している。

 

「ルング」

 

「……は」

 

 猛牛の様な二本の角を持った兜、全身を覆い尽くす薄紫色の鎧に包んだ巨大な男であった。

 ドルバル自身も二メートル近い巨体であったが、この男はそれをゆうに超えている。

 足も、腕も、胸部も、両の拳も、そのどれもが太く、大きい。

 

「ミッドガルド」

 

「……はい」

 

 赤色の鎧を身に纏った男であったが、鎧の色に反して、その男自身の気配は希薄であった。

 鎧を纏った男の存在は認識していても、誰であるのか、そこに意識が向かない。実に奇妙な存在感を持った男であった。

 

「そして――ロキ」

 

「何なりと」

 

「そなたらの、変わらぬ働きに期待する」

 

 四人の闘士を引き連れて歩くドルバルが目指すのは、アスガルドの南東部、海に面した場所にある“祈場”と呼ばれる祭壇であった。

 そこでは、オーディーンの地上代行者であり巫女であるヒルダが昼夜欠かさずに祈りを捧げている。

 アスガルドでは、巫女の祈りが途絶えた時、地上の極点――南極と北極の氷は解け、地上は大洪水に見舞われると伝えられていた。

 それ故に、この巫女の祈りは神聖な儀式とされ、アスガルドの政務の中枢を統べているドルバルですらこの時のヒルダに近付く事は許されない。

 

「今は、静かに祈りを捧げるが良いヒルダ。その時が訪れるまでは護ってやろうぞ」

 

 やがて訪れるであろう時。地上を覆い尽くす厄災の時。その時を思い浮かべたドルバルの口元に笑みが浮かぶ。

 

「そう――余の地上のために」

 

 

 

 

 

 第22話

 

 

 

 

 

 ギガス達の襲撃――現代におけるギガントマキアの終結より二週間の時が流れていた。

 多くの人的、物的被害を受けた聖域であったが、当初懸念されていた一般人への混乱も少なく、この頃には――少なくとも居住区に住まう人々は普段通りの日常を取り戻しつつあった。

 

 聖闘士の活躍も要因の一つではあったが、人々にとっては教皇の存在によるものが大きい。

 

 教皇――サガは、襲撃の中で家族を失った者や傷を負った者、恐怖に怯える人々の元へ足しげく通い、その不安を取り除くべく献身的に動いていた。

 昼夜を問わず、である。

 己の職務を疎かにしていた訳ではない。己の成すべき事を成したうえで、であった。

 死者を蘇らせたわけではない。傷を癒せたわけではない。完全に恐怖を取り除けたわけではない。

 それでも、サガの行為は、人々に手を差し伸べる教皇という存在は、本来手の届かない場所にいる存在が自分のために何かを成そうとしてくれている事実が、救いを求める人々の心に安らぎを与えていたのだ。

 

「教皇様!」

 

「あ、教皇様だ」

 

「教皇様」

 

「おお、教皇様!」

 

 今も、こうして道を歩いているだけで老若男女問わず市中の者が教皇に声をかけてくる。彼らのその表情は皆明るく、視線には敬意があった。親しみに満ちていた。

 そこには畏怖といった恐れに繋がる色は一切混じってはいなかった。

 サガの立ち寄る場所にはどこでも人の輪が出来ていた。

 

「きょうこうさま! きのうはおかあさんの――」

 

「それは良かった。それならば――」

 

 そんなサガの周りには、市民に混じって本来いるべきはずの護衛や付き人の姿はない。

 ただ一人、サガの生み出した人の輪から離れた場所で、まるで眩しい物を見る様に目を細めた包帯だらけの少年の姿があるだけであった。

 

(……人々に愛と安らぎを与え、その徳は全ての人に崇め慕われている、か)

 

 海斗である。

 話しかけてくる人々一人一人に穏やかに接している教皇の背中を眺めながら、アルデバランから聞かされていた教皇の人柄を思い出していた。

 アルデバランが向けた教皇への評価は高過ぎた。それはいくらなんでも過大評価だろうと、どんな聖人だと話半分に聞いていた。聞いていたのだが。

 実際、エクレウスの聖衣を与えられた時の印象が強過ぎ、正直に言ってあまり良い印象を持ってはいなかった。敵視していた、とも言える。

 ムウの言葉もある。

 しかし――

 

(……認識を改める必要があるか? ムウの言葉も気にはなるが、別人だとしても、それで問題が起きているわけでもないし、な。むしろ、以前の教皇を知らない俺が、良いの悪いのと比較できるか!)

 

 生い立ちやら立場やら何やらによって、自分が年齢の割に捻くれた物の見方をしているという自覚はあったが、少なくともここ数日の間、間近で見てきた教皇の人物像はアルデバランの評価そのままであった。

 

(だいたい、探られて痛い腹を持っているのは俺の方な気がする)

 

 そんな取りとめのない思考にふけっていたせいか、気付けば教皇が仮面越しにその視線を自分へと向けていた。

 

「ふむ、どうした海斗? 傷がまだ痛むのか?」

 

 さすがに、本人を前に「貴方を疑っていました」と言える程図太い神経はしていない。

 

「あ、いえ。少し考え事を……」

 

 そう言う海斗はありふれた白地のシャツと紺のズボンといった簡素な服装であったが、身体中の至る所に包帯を巻いている。

 見るからに痛々しい姿であり、普通の感性を持つ者ならばまず心配をする。そのぐらい酷いレベルであった。

 

「それに、見た目ほど酷い怪我をしているわけではありませんので」

 

 これは咄嗟に出た嘘ではない。

 実際、海斗としてはこの姿は大袈裟すぎると思っている。ならば何故、となるのだが。

 

「そうか。あまり無理をする必要はないぞ? 無理を言って供をさせたのはこちらだ。お前に何かあれば私は皆に叱られてしまうのでな」

 

「は、はぁ……」

 

 

 

 ポルピュリオンを倒した後、海斗は度重なる激しい小宇宙の消耗によって意識を失っていた。

 崩壊する異空間に取り残され、そのまま次元の彼方へと投げ出されつつあった海斗を救ったのはシャカとムウであった。

 教皇の命により海斗の捜索に来たシャカは、先に脱出していたシュラやセラフィナと合流し、地下へと海斗の小宇宙を辿る。その道中で、それが忽然と途絶えている事に気が付いた。

 その時のセラフィナの様子についてはシュラは黙秘を貫いていたが、海斗の行方を探るシャカに遥か遠方からテレパスを送る者があった。それがムウである。

 ジャミールから海斗やセラフィナの小宇宙を探り続けていたムウが、海斗の開いた異界への座標をシャカに伝えた事で、海斗はシャカの手によって無事に異次元空間からの脱出を果たした。

 その後、意識を取り戻した海斗を待っていたのはセラフィナによる説教であった。

 また大怪我をしている、無茶をするな、心配させるな、命を大切にしろ等々。

 海斗自身は蓄積されたダメージや疲労、ようやく終わった、という安堵から、目覚めて早々に気を失っておりその話しの殆どを聞いてはいなかったのだが。

 その剣幕は凄まじいものがあり、海斗がジェミニの黄金聖衣を纏っている事について問おうとしたシュラが一歩引いたのを感じた、とはシャカの弁である。

 

 そして、聖域に戻れば――負傷したシュラと半裸の少女、意識を失くした少女に、ジェミニの黄金聖衣を身に纏った、誰がどう見ても重傷な海斗の姿を見たアルデバランが「これは一体どういう事だ!」と、遂に――爆発した。

 色々と溜まっていたストレスが心の防波堤を突き破り決壊してしまったのだろう。

 シャカとシュラを除く黄金聖闘士達は、皆心当たりがあるためか早々にその場を立ち去ったらしい。後に海斗はミロからそう聞かされた。

 

 そんな心温まるやり取りの果て、処々諸々あってが……今の海斗のこの過剰ともいえる包帯姿である。

 

 道行く人々からの、ちらちらとこちらを窺う視線が微妙に痛い。

 大人しく寝とけ、と無言で責め立てられている様な、自分は悪くはないのに謝らなければならない様な、そんな居心地の悪さに海斗は泣きたくなった。

 

(心配してくれるのはありがたい。本当にありがたいんだが……)

 

 心配をかけた、無茶をしたという自覚があるので文句も言えない。アルデバランとセラフィナ(あの鬼二人)を前に反論する勇気が無かっただけだが。

 

 アルデバランからリハビリを兼ねた軽い運動だと勧められれば、何故かこうして教皇の付き人の様な事をしている。

 女神アテナの代行者とも言える教皇と、片や一介の聖闘士に過ぎない自分。接点などロクに無かったはずが。

 ハハハッ、と楽しそうに笑いながら先へと進む教皇の後を、海斗は誰にも悟られぬ様に小さく溜息を吐き、その後を追って行く。

 

(……どうしてこうなった?)

 

 見上げた空は、海斗の胸中に反し、雲一つない澄み渡った青空であった。

 

 

 

 

 

 聖域十二宮、白羊宮内の広間。

 散策を終えた教皇の元を離れ、暇を持て余していた海斗の姿がそこにあった。

 

「いや~。ムウ様のところでさ、色々と壊れた聖衣を見てきたけど……これは……スゴイね。ヒドイ意味で!」

 

 白羊宮内にあって比較的日当たりの良いその場所で、パンドラボックスを開きオブジェ形態のエクレウスの聖衣を取り出して見せた海斗に向けての貴鬼の第一声である。

 

「……だな。あらためて見ると……。うん。これは……。セラフィナ、俺はムウに殺されるかも知れん」

 

 シャカによって回収されていた聖衣は、ハッキリ言って、これでどうやってオブジェ形態を維持できているのかが不思議に思える程の破損状況である。

 なまじマスクのパーツに目立った傷が無い分、それ以外の破損個所が余計に目立っている。

 

「そんな事は……ないと――」

 

「思うか?」

 

「あ、あはははは……」

 

 海斗曰く“過剰過ぎる”包帯を取り変えながら、どこか困った様子で、否定したくても否定しきれない、そんな苦笑を浮かべたセラフィナが答える。

 ギガントマキアの事後処理が終わるまで、セラフィナと貴鬼の二人は聖域に留まる事を命じられていた。ムウの縁者である事もあり、主の不在により無人と化していた白羊宮にあと数日は留まる事になっている。

 

「……精神的にな。こうネチネチと、胃が、キリキリする様な、そんな感じだ。延々と責め立てられそうな気がする」

 

 セラフィナと貴鬼は顔を見合し、海斗の言葉で薄暗い闇の中、無数の破損した聖衣に囲まれて、ただ一人、何やらブツブツと呟きながらカツンカツンと槌を振るうムウの姿を思い浮かべていた。

 

「……ああ……」

 

「……かもねー……。昔ムウ様よく夜中に呟いていたもん。終わらない、終わらない、って」

 

「怖いな、ソレ。……いや、冗談で言ったんだが。お前ら否定しろよ! え、マジなの!?」

 

 さっと目を逸らす二人の様子から海斗は“マジ”であると判断。

 

「ヤバいぞ。こうなりゃ、少しでも被害を散らす方向に動かないと……」

 

 海斗はムウの怒りの矛先をかわすため、この際黄金聖衣を破損させていたシュラも一緒に連れて行こうと、生贄の羊、もとい山羊をどうやって捕まえるかと思案する。

 戦場でなければ、気が抜けてしまえば、この男――最低であった。

 

「ああ、そうだ。ねえお姉ちゃん、あのお姉ちゃんは元気?」

 

「え? ああ、聖良さんね。うん、まだ歩き回ったりは出来ないみたいだけれど、話したり、身体を起こすぐらいは」

 

 聖良とは、エキドナと呼ばれた少女の事である。

 いつまでも名無しでは、と言う事で、セラフィナが聞いたらしい名前を海斗がそれっぽく日本人風に修正して名付けたのだ。

 

 肉体的なダメージはともかく、想定していた様に精神的なダメージが酷かったらしく、彼女は自分の名だけでは無く、自分に関する過去の記憶を全て失っていた。

 現代医療での治療が疑問視された事もあって、今はアイオリアの勧めもあり獅子宮にて療養をしている。

 

「そう、か。まあ、会話ができる状態である事を考えれば、それほど深刻になる必要はない、と思いたいが……」

 

 今、獅子宮にはアイオリアの従者であるガランという青年とリトスという少女がいるため、しばらくは聖良の身の安全や世話に関してさほど気にする必要がない事は海斗にとって幸いであった。

 

「気になります?」

 

「……多少は、な」

 

 

 

「……あの……」

 

 そんな何とも微妙な空気を纏った三人に、おずおずと声をかける者がいた。

 

「ん? ああ、ユーリか。どうした?」

 

 海斗が振り返ると、そこには銀のマスクによって素顔を隠した銀色の髪の少女、六分儀座(セクスタンス)の青銅聖闘士ユーリが立っていた。

 助祭を務める目の前の彼女は白い貫頭衣に緋色の外套という、聖域の女性の普段着とも言える服装をしている。

 

「普通だよな。……やっぱりシャイナや魔鈴のセンスがおかしいのか?」

 

 ちらとセラフィナを見てユーリを見て。そうして呟かれた海斗の声は幸いにして誰にも気に留められる事はなかった。

 ちなみにセラフィナもユーリと同じ服装だがマスクはしていない。

 これは彼女が聖闘士として秘匿された存在である事も理由であったが、今のセラフィナはジャミールでの戦いに巻き込まれた才能ある少女であり、それを居合わせた海斗が保護した、という設定で通している。

 また、立場的にもムウはともかくとしてその場に居合わせたシュラが保護役を担うべきだという海斗の言葉を、シュラは「フッ」と鼻で笑って一蹴し面倒事の全てを海斗に押し付け返した結果でもあった。

 

 教皇の間、居並ぶ黄金聖闘士達に見守られ、おそらくは史上最も情けない理由で聖闘士同士の戦いが勃発した。

 

 一体どこから嗅ぎつけたのか、やんややんやと囃し立てるデスマスク、本を片手に観戦モードに入るカミュ、興味深そうに眺めるだけで止めようとしないミロ、口では止めろと言いつつも血が騒ぐのかうずうずとしているアイオリア、我関せずのシャカ。

 アフロディーテは「美しくない、馬鹿馬鹿しい」と溜息を吐きその場から離れたが、ちらちらと二人の戦いを気にしていた事をシャカだけは気付いていた。

 結局、あまりの騒ぎ――おふざけとはいえ黄金聖闘士クラスの戦いである――に、「何をやっておるか! この馬鹿者共が!!」と怒鳴り込んできたアルデバランにより戦いは治められたが、結果として海斗の黒星で終戦。

 この戦いで海斗の力を目の当たりにしたアイオリア達は、先に教皇が語った“ジェミニの海斗”を好意的に受け止める事となる。

 それがシュラの狙いであったのか、この騒ぎを黙認していた教皇の狙いであったのかは、当人たち以外は知る由もなかった。

 海斗を残し、皆がその場から姿を消していたのだから。

 

 

 

「あ、あの、海斗様? カミュ様とニコル様が図書館でお待ちですが……」

 

 まさかあの恰好が自発的なものだと、などとブツブツと呟き始めた海斗に遠慮がちに声をかけるユーリ。

 ニコルとは教皇を補佐する助祭長を務める若き白銀聖闘士である。祭壇星座(アルター)のニコル。ブルネットの髪の穏やかな眼差しをした、海斗と同年代の知性的な若者であった。

 

「ああ、そう言えば……そうだった。忘れてたな、助かったユーリ。カミュはともかく、ニコルはそういう所がうるさいからな」

 

 二人の用とは海斗の持つ千年前の記憶にある。

 聖域の史書や文献を統括するカミュやニコルにとって、海斗の記憶とは――例えその多くが薄れ、思い起こす事が出来なくなっていても――途方もない価値があったのだ。

 

 事の発端は、海斗が聖域に帰還して数日が過ぎた時の事である。

 

 一通りの治療を終えた海斗は、教皇や他の黄金聖闘士達が集められた中で、これまでの行動とそれに至る経緯の説明を求められ、所々――自分の魂が海将軍に関わる事等をぼかしながらも、答えて行く。

 なぜジェミニの黄金聖衣が海斗の元へ向かったのか。どうしてジェミニの奥義を放てたのか。

 二人の海将軍と冥王軍と名乗ったタキシードの男との接触についても。

 黄金聖衣については、戦いの中、死の淵にあって極限にまで高められた小宇宙が起こした奇跡、それで納得された。

 魂の記憶や、聖衣に過去の聖闘士の記憶が蓄積される事は聖域では実証されている事実であり、海斗の説明に異を唱える者はいなかった。

 海将軍との接触については、この時代に海闘士が覚醒していた事にこそ僅かに驚愕の声が上がったものの、聖闘士と海闘士共通の敵であるギガスの本拠地での遭遇であった事で、今回の接触には何ら意図するものはない偶然であると認められた。

 一時的とはいえ、協力体勢を取った事についても同様であった。

 

 現代においては聖闘士と海闘士はまだ敵対してはおらず、彼らも地上に対して特に何か動きを見せたわけでもない。今はまだ、来るべき冥王との聖戦を前に避けられるべき戦いは避けるべきである、というのが教皇の――サガの結論であった。無論、警戒はすると含めたが。

 海闘士を後回しにするとも取れるこの決定には、自らを冥王軍であると名乗った男の存在が大きい。

 その男はギガス共々海斗によって倒されたとシュラが証言したが、サガが問題としたのはそこではなく、あと数年は封じられているはずの冥王軍が、既に動き出している可能性にあった。

 アテナの、神の施した封印とはいえ、それは未来永劫に続く様な完璧なものではない。

 そうであるのならば、五老峰の老師が二百数十年もの長きにわたり大滝の前に坐したまま冥王軍の封印を監視する必要などないのだから。

 自分の件、カノンの件、聖域の件、冥王軍に海闘士と問題が山積みである。

 次々に起こる想定外の出来事にサガは人知れず溜息を吐いていた。

 

『老師に連絡を取らねばらんな。皆、状況が分るまではしばし聖域に留まって貰う』

 

 結局は、新たに生じた大き過ぎる問題への対応こそが優先される事となり、海斗への細々な追求といったものは行われる事は無かった。

 

 その場では。

 

『ん? て事は、だ。アルデバランの弟子、お前さんの魂の記憶……ああ面倒だな、名前で呼ぶぜ。海斗よ、お前は当時の事を“知って”いるんだな? ならば、当時の他の聖闘士の事も知っているんだろう?どんな戦い方をしていたか、どんな技を使っていたか、等な。その中には……今は失われた秘拳なんかもあるんじゃないのか? 例えば当時の蟹座の黄金聖闘士が用いていたであろう積尸気の奥義、とかな』

 

 このデスマスクの言葉が、その場にいた皆の関心を集めたのは言うまでもない。特に、カミュの熱の入れようは尋常ではなかった。言い出したデスマスクが思わず引いてしまう程に。

 

 

 

 これからの事を思い、やれやれと海斗が首に手を当てて動かすとコキコキと音が鳴る。

 椅子に座って質問に答えるだけ。それだけなのだが、ハッキリ言って海斗にとっては苦行であった。

 一時間程度であればまだいい。しかし、本の虫、知識の虫であるあの二人は、誰かが止めねば延々と続けるのだ。終わらないのだ。

 クールであれと言っているカミュが一番熱く話に喰いついてくるのは心の底から勘弁してもらいたい。寒いのだ、冷えるのだ。

 カミュがアルデバランのように弟子を取っていると聞いていた海斗は、一度その事をネタにして「弟子の事を放っておいて良いのか?」と、弟子への修行を持ち出して、この苦行を打ち切ろうとしてみせたが「水晶(クリスタル)聖闘士に任せているから大丈夫だ」とシレっと答えられ、それで終わりであった。

 カミュの弟子は三人おり、その一人は既に聖衣を与えられた正規の聖闘士であり、基本的な指導は十分に任せられるらしい。

 

 そんな万策尽きた海斗の頼みの綱は、今は蠍座の黄金聖闘士ミロである。

 自他共に認めるカミュの親友である彼は、連日憔悴した様子で解放される海斗をさすがに不憫に思ったのか、それともカミュの“悪癖”の被害者同士としての奇妙な連帯感が芽生えたのか。

 ここ数回は切りの良い所を見計らい、何のかんのと理由を付けては海斗を救出してくれていた。その度に図書館に舌打ちの音が聞こえるのはどうかと思わなくもない。

 

「はぁ~~。まあ、ここでグダグダしていても仕方がないか」

 

 流れに任せる、と言えば聞こえは良いが、なるようになれと開き直っている最近の海斗は、これまでの張り詰めていた糸がぷっつりと切れたのか……駄目人間街道を順調に邁進していた。

 ルーズになったと言うか、ハッキリ言えばだらしがない。根が真面目なニコルからすれば、今の気の抜けた海斗は次期黄金聖闘士にあるまじき、との事。顔を合わせれば必ず一言二言は小言が飛んで来る。

 

「……海斗さんってそういう所だらしないですからね~」

 

「……なあ貴鬼よ。気のせいか、最近セラフィナの俺に対しての当たりがキツくないか? 最初に会った頃に感じられた敬意というか尊敬的なモノが……」

 

「兄ちゃんが悪いんじゃないの? 多分。うん、絶対」

 

 絶対は多分とは言わんだろ、とぼやきながら「で、あの二人は怒っていたか?」と海斗は藁にも縋る思いでユーリに問い掛ける。

 面倒臭いのだ。ただひたすらに。

 

「はい!」

 

 ユーリはハッキリと言い切った。一縷の望みが打ち砕かれた瞬間であった。縋った藁は腐っていたのだ。

 仮面越しではあったが、きっといい笑顔をしているのだろうと察し、海斗はげんなりとした。

 本人は隠しているつもりなのであろうが、ユーリがニコルにどのような感情を持っているのかは、そういう事に疎い海斗にも分る。あえて言うつもりもないが。

 おそらくは「ニコル様に迷惑をかけるんじゃねえよこのダメ人間が」ぐらいは思われている様な気がする。

 張り切って歩き始めるユーリとは対照的に、肩を落としてその後に続く海斗。

 その姿を笑って見送るセラフィナと貴鬼。

 

(まあ、平和なのは……良い事だ)

 

 まるで枯れた爺さんだ、と。若者の抱く感慨ではないなこれは、と。苦笑しながら海斗は空を見上げた。

 今日も、雲一つない澄み渡った青空。

 

「手のひらを太陽に、ってか」

 

 日差しを遮る為に翳した掌を見ながら、いつか聞いた事のある歌を思い出す。

 

「何の因果か……。死んだはずの人間が、さ」

 

 それは、生命を謳った歌だった。

 

「海斗様! 急ぎますよ!」

 

「はいはい、そんなに急がんでも。逃げはしないだろ、あの二人は。むしろ追って来るわ」

 

 急かすユーリ手を振りつつ、きっとニコルは尻に敷かれるぞ、と。愉快な未来図を思い浮かべて苦笑する。

 

ケ・セラ・セラ(なるようになる)ってな。せっかく拾った二度目の命だ。思うがままに――好きにするさ」

 

 日差しの中、海斗はゆっくりと歩き出した。

 

 

 

 

 

 CHAPTER 1 ~GIGANTOMACHIA~ The End

 

 To Be Continued……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無人となったワルハラ宮のテラスに、一陣の風が流れた。

 ビュウと音を立て、雪と氷を抱いた白い風が。

 テーブルに置かれたグラスが白く染まり、傾き、テーブルから離れ――砕けた。

 飛散した破片が、じわりと広がる紅い液体と共に床に広がる。

 

 広がる紅が鮮やかさを失い赤となり、赤が艶を失い、深き海の底を思わせる――黒となる。

 いつしかテラスは黒い水を湛えた湖と化し――そこに、一人の男の姿を浮かび上がらせていた。

 

 黒い襤褸に身を包んだ男であった。青年の様でもあり、老人の様でもあった。

 

『地上を覆い尽くす厄災、それは神の意志によるものだけに非ず。しかし、この流れも我が謀を満たす支流にはなろう』

 

 男の一挙一動に応じて黒き湖面に波紋が広がる。

 

『十四年前、古き時の神の気紛れによってこの世界に落とされた神力(デュナミス)の一滴』

 

 その波紋が、新たに生じた波紋によって形を崩され、それがまた波紋にぶつかり刻一刻と姿を変える。

 

『その雫によって生じた波紋がアベルの目覚めを促し、アベルの目覚めが冥府に施された枷を緩ませ、そこに眠る神々を地上へ喚んだ。神の力はそれに魅せられた人間の闇を増幅し、世界に争いを撒き散らす』

 

 湖面が爆ぜた。

 黒い水が飛沫となって男の周囲を覆い、瞬く間にテラスが黒い霧に包まれる。

 

『平穏など戦いの前の休息にしか過ぎぬ。それで良い、人も、神も、戦わねばならぬ。全ては試練。ヒトよ、神を屠れ。神よ、ヒトを跪かせよ。小宇宙を高め、ぶつけ合え。その果てにこそ――この黒海(ポントス)の願う世界がある』

 

 ――ポントス。大地母神ガイアが生んだ最初の神。(ウラノス)暗黒(エレボス)(エロス)と並び、海を司る四大神の一柱。最古の神。

 

『幾千万の時を経て、終に訪れるやもしれぬその時を。水は既に流れたのだ。ならば、我は、ただ、静かに、眠りにつき、待とう。待つ事、それだけだ。それだけで良い』

 

 黒い霧が晴れたテラスには、椅子と、テーブルと、砕けたグラスだけがあった。

 雪の舞い散る床には、グラスから零れ落ちたワインがその紅い色を広げていた。


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