想いを量れたのなら、どれだけ重いのか   作:千玖里しあ

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2 あなたがわかるまで、ひとつひとつ教えてあげるから

 

 

変わろうとしなくてもいいんじゃないか、と俺は雪ノ下に告げた。

 

そう告げてしまったのは誤りだった、のではと思うほど雪ノ下は沈黙したままで、

考え込んで俯き、何かを言おうとすると顔を上げるのだが、

言葉が見つからないのか、何も言わずにまた顔を俯かせてしまう。

 

俺は言いたかったことを言って、十全に伝わってはいないだろうがそれでも、

雪ノ下が悩んでる様子を見せてたので、

受け止められてはいる、と思いたい。

 

 

けれども、その日はこれまで通り雪ノ下が帰る頃合いまで、会話を交わせずに、

彼女が帰りの挨拶だけをこぼすと去ってしまい、

俺一人が残された病室には、気まずさと後味の悪い空気だけが漂う。

 

 

 ※※※

 

 

 

 

翌日、の夕方。

 

来ないだろうな、と昨日の最後からしてみればそう思っていて、

今にいたるまで一度も見舞いに来ていない両親はどうしようもないが、

妹の小町も、進級と学期が始まって忙しなさが抜けないので来るわけもない。

 

本や文系の参考書は、小町に持ってきてもらったので、

暇を潰すこともできるのだが、

昨日のことが頭から離れないので何かをする気にはなれない。

 

他人のことに思考を費やすとは、ぼっちにしてはらしくない。

 

とりとめも意味もなく思考を無駄に広げてると、病室のドアがノックされ思わずびくっとする。

不意をつかれた。

看護師もノックはしてくるが、この時間帯に聞き慣れた調子のノック。

入室を促してみれば、入ってくるのはやはり雪ノ下だ。

 

普段通りに、高校の制服姿で鞄をスカートの前で両手で持って、背を伸ばして姿勢がいい。

いつも通りにぱっと見では思えるが、

よく見れば昨日訪れたときよりも、憔悴している。

 

そこまでやつれてはいないが、目の下に薄く隈ができてるも、

化粧をしていない素顔は陰のある美人、というかんじで、

それ以外に変わった点と言えば、膨らみが重そうな鞄、ぐらいか。

教科書やノートでも詰めた、かのような分厚く膨らんでいる。

 

 

「こんにちは、比企谷君」

 

パイプ椅子を組み立ててベッドの脇に並べて、その横に雪ノ下が置いた鞄が重そうな鈍い音をたてる。

彼女の声の調子は変わらない。

 

俺に対する拒絶や、否定的な感情は見えず、俺が詰問するまでにしてた会話での声音だ。

 

 

「ああ。こんにちはだ、雪ノ下。

 また来てくれる、とは思ってもなかったから、驚いた」

 

 

椅子に腰かける彼女に挨拶を返す。

平静を装って、挙動不審にならないよう話しかけると、雪ノ下の表情が曇る。

 

 

「また来る、と言っていなかったですもの。

 ……昨日は、失礼な態度のまま帰ってしまって、ごめんなさい。

 正直に言わせてもらえるなら、帰ってからもずっと混乱してたわ。

 あなたの言葉が頭から離れない。

 眠れなくて、今日は、学校でも授業に集中できなかった。

 ずっと考えてばかりよ」

 

 

浮かない彼女の表情。

 

俺がそうしてしまったことに胸が絞めつけられるが、後悔は抱いていない。

言わなければいけないから言った、だけだ。

彼女という人間と関わろうとするなら、

病室に見舞いに来てもらい、会話して、相手からのアクションを待つばかりでは、

俺が退院してからも雪ノ下と関係が続くかは俺には、わからない。

 

友達でなく、知り合いといってもいいのかも定かではない繋がり。

 

雪ノ下と話してることは、素直に認めてしまえば楽しかった。

でもそれは、雪ノ下が責任を負おうとしてるからの行動なのか、何を考えて来てくれてるのかまでは俺にはわからなかった。

自分から動かないで関わりが途切れるのは、それは嫌だ。

考えて動いたうえで、雪ノ下に拒絶されたり、

何もしないで自然とまたひとりになるぐらいだったら、動いてから結果に後悔した方がまだマシだろう。

 

そうした俺の、昨日の行動は彼女を傷つけている。表情を曇らせている。

 

 

「私が言われたことはちゃんと、受けとめたつもり、です。

 でも、比企谷君が私を知りたいって言ってくれても、

 私は自分を偽ってるわけでも、虚言を吐いたつもりもないから、考えてもわからなかったわ。

 だから、これまで通りに接してもいい、とあなたは言ってくれるかしら?」

 

「あー、つまりはその、なんだ、

 雪ノ下とはこのまま、

 俺が退院しても、学校とかで話すことがあっても雪ノ下の迷惑にはならない、ってことか」

 

 

俺を見つめて話す、雪ノ下の目線はまっすぐ揺らがない。

が、俺がつい漏らした言葉に、彼女がむっと顔を歪める。そこにあるのは不満だ。

 

 

「あ……あなた、そんなろくでもないこと考えてたの。馬鹿なの? 馬鹿なんでしょう。愚かね。

 私はあなたと話しているのは、嫌じゃないと伝えたのよ。

 昨日好き放題に言われて、よく思い返してみなければ嫌われてるのではと悩ませといて、

 比企谷君は愚鈍よ。

 私を不安にさせといて言うことがそれなんて、ほんと大馬鹿」

 

 

俺が言ったことが悪いのはわかってるが、

そこまで馬鹿馬鹿言われるのもさすがに、傷つくんですがそこんとこはどうなんでしょう。いや聞かないけどさ。

 

ついでに雪ノ下さん、呆れたようにため息つくのはいいんだけど、

罵倒するときが今まで見たことないくらい、イイ笑顔してますね。

真正のSなのか。どSなんですね。

 

俺はどMじゃないので罵倒されてもご褒美じゃありません。ごめんなさい。

 

 

「俺が悪かった。だから罵声はやめて。

 傷つきやすいので乱暴に扱わないで。

 取り扱い注意って八幡の説明書には書いてあるから」

 

「ふふ、あなたの扱い方はちゃんと熟知してるわ。

 わかりやすいもの。

 比企谷君が私の説明書をしっかり読んでないから、用法容量を分かってなかったのでしょ。

 私を知りたい、って言ってくれたのが嘘ではないのなら、ゆきのマニュアルはちゃんと読みなさい」

 

 

お前の半分は優しさでできてなんかいないぞ。

というか冗談で誤魔化そうとしたのも悪かったんで、皮肉を素で返さないでください。

 

笑みを湛えて、細められた目がまっすぐに俺を見ている。

雪ノ下の、瞳の奥にどこか熱を感じる。そんなもん見間違いだ。気のせいだろ。

 

 

「あら、私は比企谷君にとってのバファリン、みたいな女の子でしょう?

 こんな美少女の笑顔をこれからも見られるんですもの。

 比企谷君は幸せ者ね。

 私が笑いかけてあげてるんだから、感謝してくれないと困るわ」

 

 

確かに、雪ノ下には笑顔が似合う。さっきみたいな曇り顔なんてさせたくない。

 

美少女だってのも認めざるをえない。

けど自分で美人って認めて、言葉にするのはどうよ。自意識ありすぎ。

 

口に出したらまたどS降臨、なのはわかりきってるので言葉にはしないが。

 

 

「あー、ありがとうございます。

 

 で、話題を変えて悪い、

 こうして会話できるのはいいと俺も思う。

 気になってたんだが、なんでまた今日は鞄ぱんぱんなんだ」

 

 

病室の空気が和らいで一息つけたので、さっきから気になることを尋ねる。

鞄に視線を向けて、

両手で持ち上げたそれを膝に乗せると、雪ノ下はにっこりと笑う。

 

嫌な予感。さっきのどSがまただ。

開いた鞄の口から覗くのは、教科書に参考書の群れ。

 

 

「そうね、比企谷君から話題に挙げてくれたので、始めることにします」

 

 

いや何を? まさか勉強か。

 

 

「退院してもすぐに授業に追いつけるよう、ノートと筆記具は持参したので、

 勉強をしましょう。いえ、勉強をします。

 国際教養科、で私が習ったことが基準になってしまうけれど、

 まだ始まったばかりだから範囲は似ているはずですもの。

 私が教えてあげる。

 まさか嫌だとは言わないでしょうね」

 

 

ごめんなさい、勘弁してください、

と拒否できたらそれはそれで楽なんだろう。

 

めんどいと伝える前に表情を読まれ、

まくしたてられた正論と、覗き込むよう近づけられた顔が近く、匂いにくらっとして頷いていた。

いやいや、これってハニートラップだろ。

 

ぶっちゃけマジで勉強したくない。

のだが、病室のテーブルをベッドまで動かして、ベッドの空きスペースに腰を下ろして正面に座る雪ノ下に、

そんな素振りを見せようものなら、

話してるときみたいな、楽しそうな雪ノ下を邪魔するってのも憚られる。

 

 

「どうして文系はできてるのに、理数系になると手がつけられないものなの。

 受験には合格してるのだから、もっとできると考えていたのだけれど、

 これだと公式だけ暗記して、基礎から少し外れるだけで答えを導き出すことはできていないみたい」

 

 

手のかかる子供にするように、あらあらと困った顔で微笑むのはやめてほしい。居たたまれない。

 

 

「ほっとけ。文系となら文脈とか読めば答えは見つかるし、あとは適当に暗記するだけでも回答は埋められるだろ。

 けど理数系は四則演算できて、あとは知識として覚えとくだけで手いっぱいなんだよ」

 

「食べず嫌い、をしてる子供そのものよ、そんなんだと」

 

 

勉強を始めてみれば、彼女の授業に意外とついていける。

 

普通科ではなく国際教養科、偏差値が高いクラスに通ってるだけはあるのか。

 

雪ノ下の教え方は丁寧で、

頭の回転がはやい人間特有の過程を飛ばしがちな説明をすることもあるが、

どこに躓いているのか、わからなくなればそれを察して教えてくれるので気にはならない。

 

俺の理解力よりも、雪ノ下の勉強に対する姿勢、ってのに相性がいいのだろう。

 

 

けれど、休憩なしで頭の中に詰め込まれるのは、疲れる。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

勉強で疲れてしまったのか、彼は彼女が帰ってしまう前に眠ってしまった。

 

彼が理解しやすいよう、それでいて頭をしっかりと働かせてそれに気づかない程度に、

一つずつ丁寧に、きりがいいところまで教えてみせて、

寝落ちしてしまうよう、計算づくでそうなるように仕向けたのもある。

 

無防備に、彼女に寝顔を見せている。

 

 

「ふふ、……かわいい」

 

 

右手の指先で、そっと頬に触れる。撫でたり、つついてその感触を楽しむ。

 

彼が起きてれば、慌てて逃げるのがわかりきってる距離感。

彼の匂いがする。

 

重みをかけて目を覚まさせることないよう、注意をはらい、

ベッドの彼の上に膝立ちで馬乗りとなり、

彼の顔の左右に肘を立てて、じっと寝顔を見逃さないよう覗き込む。

 

力の抜けた表情。

彼女といるとき、起きている彼は捻くれているから、こんな顔を見れるのも彼が眠っているときだけ。

それはとても稀少だ。

 

頬に触れた指先があたたかい。

足りなくて、掌を添えてみる。

それでも温もりがもっとほしいと、彼女は欲求に従う。

 

頬を擦り合わせるぎりぎりまで近づけて、堪能する。

 

 

「美味しそう」

 

 

息を漏らす唇を、ふさぎたい。

舐めて、味を確かめて、舌を絡めて貪りたい。

 

誘惑にかられる。

 

それをしてしまえばさすが、彼も目を覚ましてしまうだろう。

そうなればこの近づけられた距離を楽しむのも、もっと楽しむこともできずに終わってしまう。

 

彼女の家の運転手が、迎えに来る時間は遅らせて指定してある。

それまでは、まだもう少しだけこのひとときを味わえる。

 

 

「ふふふ」

 

 

頬に触れる指先に力をこめる。

彼はくすぐったそうに、もぞりと肩を揺らして顔を背けようとする。

 

 

「だめ、よ」

 

 

逃げるのはゆるさない。

 

彼の頬に添えた両手に力を込めて、動けないようにしてしまう。

それでも彼は目覚めない。

 

 

時間はまだ、ある。

 

 

 

退室する前に、鞄から取り出したスマホからカメラアプリを起動して、

ベッドに寝転ぶ彼の姿、特に寝顔をしっかりと撮る。

 

手ブレもせずに一度で撮れたので、保存して待ち受け画面に設定。

 

これでいつでも彼を見れる。

 

 

時間がもう来てしまったので、今日は彼ともさよならだ。

 

テーブルに書置きを残してある。

起きてみれば彼女がいなく、

書置きが残されてることに気づいたときの、彼の反応を楽しみにする。

 

 

明日に、また彼と会ったらなんてお話ししましょう。

 


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