これは信玄の死の二ヶ月後、江戸の千利休屋敷にて。
「これは.....」
「はい、彼です」
利休屋敷のとある部屋に、ソレはあった。当時はまだ太閤の立場にあった天龍と、関東管理職を北条氏康に譲ったばかりの古田織部が、それを目撃する。屋敷の主である利休は自身の部屋に閉じこもってしまっている。
「誰がこんな事を」
「分かりませぬ。しかし、彼は他人から恨みを買うことが多かったですから」
「しかし、これは.....」
時は3年前に遡る。織田家からの出奔を今か今かと待ち遠しくしていた室町幕府副将軍"天竜"が、利休屋敷の小さな茶会に訪れていた時のこと。
屋敷の主である利休は『連客』に回っていた。主賓である『正客』は利休。その隣りの次客や三客には天竜と古田織部が座った。
そして、肝心の『亭主』ことお点前は、利休の一番弟子の『山上宗二』という少年だった。
「どうぞ召し上がってください」
「.....コクリ」
宗二に出された茶碗を利休が受け取り、茶を啜る。
「...........」
通常の茶会であれば、口で礼を言うのが礼儀であるが、彼女が言葉を閉ざしている事を知っている宗二は朗らかにそれに応じる。それに利休は、口には出さずに思考を相手に伝える妙技を持っている為、脳内でそれなりの応対があったかもしれない。
そして.....
「zzz」
「.....(起きて、天竜)」
「天竜様?」
「んあ?」
「もしかして寝てましたか?」
「んん.....いやいや、何を言う織部。この神聖な場で居眠りするわけないじゃんか!これは瞑想だよ。そう!瞑想だ!」
「相変わらず茶道の心得がないんですね」
「いやぁ、だってさぁ、茶会ってば退屈でな。なんか、茶道の匠みたいな人間しかできない感じがなんともなんとも.....
俺としてはもっと盛大な大茶会とかを開きたいもんなんだよ。羽柴秀長としてはそういうのがやりたい」
「まぁ、殿は華やかなものの方が好きですからね。弓道より流鏑馬。居合より撃剣(剣道)ですしね」
「でもサッカーよりかは野球かねぇ」
「さっかぁ.....南蛮蹴鞠ですか。やきゅうとは?」
「面白いから今度教えてやるよ。相撲、南蛮蹴鞠に代わるメジャースポーツにしたる!」
「それは楽しみですね!」
「コホン.....」
利休が流れを戻した。
「宜しいですか羽柴様?」
「おぉ、スマンスマン」
改めて茶碗が天竜の前に出される。
「そんじゃ、頂きます」
特に形を作るわけでもなく、片手で茶碗を持って中の抹茶を飲み干す。
「うん。まぁまぁ旨い」
「どうも」
利休に天竜についてを聞かされている宗二は彼のそんな態度に怒りを覚えることなく、頭を下げた。
「流石は千利休の一番弟子かね。織部よ、お前の茶より旨いんじゃないか?」
「てっ、天竜様.....!」
隣りで茶化された古田織部は居た堪れない想いになる。
「時に羽柴様.....」
「ん?なんだ?」
ふいに宗二に問われる。
「機会があれば副将軍様にお聞きしたいことがあったのですよ」
「構わん。話せ」
「では失礼を承知で.....」
宗二は天竜に向き直り、物申す。
「副将軍様は何故、『未来の道具』をお使いになるのですか?」
「.....は?」
「副将軍様が"筑前守様"と同様、未来からの来訪者であることは既に聞き入れております。お二人は未来の知識を元に、様々な大業を成し遂げられたとか。
しかし、副将軍様はそれだけに留まらず、未来の道具を実際に持ち込む能力を得ている。この時代の者では到底作り得ない兵器すらも軽々と用意できる程の.....
それらを用い、貴方様はどのような軍勢であろうとも容易く蹴散らし、勝利をもぎ取るお方。その力は最早、主人である"日向守様"は疎か、あの織田様すらも上回るとか」
「諄い。簡潔に話せ」
「失礼致しました。では申し上げましょう」
山上宗二はハッキリと告げた。
「貴方様はもっと我々に敬意を払うべきだ」
「は?」
「宗二!!貴様ぁ!天竜様になんてことを!」
宗二の暴言に織部が突っかかる。
「お静かに織部さん。私は副将軍様と話している」
「なんですって!?」
「そうだ織部。少し黙ってろ」
「てっ、天竜様.....」
主人である天竜に引っ込められてしまう。
「山上宗二よ。この俺にかような事を言うからには、それなりの根拠と覚悟をもって申してるのだろうな?」
「勿論のこと。でなければ、このような命知らずな発言はしませんよ」
「面白い。話してみろ」
天竜の表情は朗らかなものから、鋭いものへと変貌していた。その答えによっては彼を斬ることもじさないといった表情だ。
「時に、副将軍様はどのような武器を好みますか?」
「武器?」
「えぇ、それも刀や槍ではなく未来の武器です」
「そうさなぁ、やっぱ拳銃かね。ライフルとかより扱い易いしね。特にリボルバーだな。俺的には『SAA』かね。弾薬は俺んとこの軍で導入してるウィンチェスターにも互換性も効くしな。シングルアクションは至高!」
「そこまでは聞いてませんよ」
「あらそう」
「では貴方様はそのケンジュウというものをよくお使いになられるのですね。当然、その武器も大量に持込み、この時代の合戦にも導入しているわけだ」
「まぁな」
「ですが、その拳銃を製作されたのはどなたかご存知で?」
「ん?アメリカさんのコルト社だけど?」
「私にはその、あめりかというものについても、コルトという施設についても分かりかねますが、少なくとも副将軍様が生きてこられた時代よりも前に製作されたものなのでしょう。当然、貴方様が作られたわけでもない」
「まぁな」
コルト・シングルアクション・アーミーがアメリカ陸軍に制式採用されたのは1872年。
「そう。貴方が嬉々として使うものの全てが過去の人間の努力によって作られたもの。決して貴方の努力によって作られたものではない」
「..........」
「そのケンジュウとやらの製造に我々日ノ本の民が関わっているかは分かりませぬ。しかし、我が国でも鉄砲の量産をしている以上、全くの無関係というわけではないでしょう。
つまりはです。貴方がこの時代における功績は、我々過去の人間の多大なる努力の結晶があったからこそ成し遂げられたもの。だからこそ、貴方は我々に敬意を払わなければならない!にも関わらず、貴方はさも己が上位であるかのような態度を取りなされる!我々が下等生物であるかのように蔑みなさる!そして尚且つ傲る!それが私には納得いかないのだ!」
「きっ、貴様ぁぁ!!」
織部の堪忍袋の緒が切れ、懐に手を伸ばす。そこには、錬金術にて精製された人工精霊「ナノマシン」が封じられた茶壷がある。
「待て」
「天竜様!?」
だがそれも主人に制される。
「宗二よ。貴様の言い方では、俺がこの時代に持ち込んだ武器の数々が、過去人によって生み出された宝物であるかのようであるが?」
「当たり前でしょう。だからこそ、貴方は.....」
「いや、間違っている。貴様は間違っているぞ宗二」
「何が間違っているのですか!」
「お前が言うこれが宝物か?」
そう言う天竜の手にSAA拳銃が召喚される。その光景を初めて目撃する宗二は唖然とする。
「これは『道具』だ」
「道具?」
「それも人間を殺す道具だ。こんなもんに神聖さもあったもんじゃない。使えば殺せる。殺す為の道具だ」
「いっ、いや!貴方はそれ以外にも様々な未来機器を持ち出している!それら全てが人殺しの道具というわけでもないでしょう!」
「同じだ。それら全てが我が覇道の礎となるべくして利用している。全てを殺し、全てを創り変える為の道具としてな。これは只の道具だ。この俺が好き勝手にやるのに都合が良いのが偶然にも過去のこの時代であり、"偶然にも未来機器を過去に持ち込む術を持ち得ていた"だけのこと。只々利用し、只々殺し、只々征服する為だけに道具を使うだけの事。只々それだけなのだ。神聖味も敬意も何もないさ。俺は狩る側。貴様達は狩られる側。弁えるのは貴様の方だぞ宗二」
「...........」
宗二は唖然とした。ここまで考えが破綻している相手をどう言い負かせればいいというのだ。
「どうなんだ宗二」
「....ふぅ」
一呼吸置き、宗二は瞑想を兼ねてまた茶を立て始めた。ちらりと師匠である利休に目を向ける。話をする機会を与えたものの、ここまで暴走する自分を尻目に呆れ顔を見せている。
そう。元々、羽柴秀長に干渉し過ぎる利休を戒める為に起こした行動だった。秀長こそが天下を治められる人物であると定め、あれ程までに心酔していたはずの織田信奈にまで見切りを付け、この男の織田家転覆の策略に手を貸そうとしているのだ。
結果が全てとはいえ、それに至るまでの過程で大勢の犠牲が出ては、元も子もない。織田家転覆なんてものを起こせば、彼ならば本当にそれが実現させるかもしれない。それを利休が率先して引き起こそうとしている。それを、弟子としてはどうしても阻止したかった。心酔している人物が言い負かされもすれば、利休の敬意も失われるのではと思っていたが.....
「驚きました。まさか副将軍様がそのような考えをお持ちでいらしたとは.....この山上宗二、無知で御座いました。ですが、その上で申し上げましょう」
「なんだ?」
「貴方は強い。かの織田信奈よりも。きっと天下人は貴方になるだろう。だが、それはおよそ人の考え方ではない。国家というものは人と人との尊重によって創り上げられるもの。この国は人の考えによって治められるべきだ。民を全く尊重しようとしない、貴方のような考え方は邪道。天下人の資格などありはしない!」
「民主主義者か、なる程」
「別に独裁だろうと構いません。優れた、人徳のある人物による独裁であれば、きっとその国家は豊かになるだろう。しかし、貴方にはその人徳すらも見受けられぬ。貴方は人間じゃない!」
「何を分かりきった事を言っている?」
「は?」
「俺が人ではない?まぁそうだろうな。今更己を人扱いしてほしいだなんて思わんさ。人外と思いたいのであればそう思うがいいさ。だからこそ、人徳なんぞ持たんさ。民主主義なんて面倒なものも"今は"必要ないさ。全ての人間共は俺だけの為に動き、俺だけの為に死ねばいい」
「巫山戯るな!この神聖な国を脅かす魔め!羽柴天竜秀長、貴方は怪物だ!!」
「悪魔なんだよ俺は」
「くっ.....」
駄目だ。この男は異常を通り越して、最早何者かも理解し切れない。こんな男をどう言い負かせればいい。どう論破する。まるで屁理屈のように言い分をぶつけてくる天竜にどう勝てばいい?
そうか、屁理屈には屁理屈か。
「今貴方は自身を悪魔と、人外であると答えましたね」
「如何にも?」
「私は此度の茶会、貴方を副将軍としてご招待致しました。"人間の副将軍様"としてご招待したのです。その位は幕府の将軍様に認められし『人間』にのみ与えられるもの。当然、人間ではないものは副将軍にはなれない。犬やら猫が副将軍では滑稽ですからね」
「何が言いたい」
「私は人間である副将軍を招待した。しかし、ここには人間の副将軍はいない。だから、この茶はいりませんね」
すると、宗二は天竜に立てていた茶を茶碗ごと囲炉裏に放り投げてしまった。大きな蒸発の音ともに、煙が茶室にたち籠る。
これには見ていた利休、織部は唖然とし、天竜は視線が鋭くなった。
「俺が畜生と同位か。笑わせてくれる」
殺意の篭った眼光。きっと己は殺される。斬首は避けられぬか。なれば、ここは一思いに。
「居ね人外め。人外が服を着るな目障りだ。お前は人の世界に関わるべきではない。魔物は異界へ、黄泉へ、地獄へ居ね!!」
「...........ほう」
「喋るな人外。畜生如きが人の口を聞くな。我々の神聖なる世界に踏みとどまるな。さっさと出ていけ害虫!!寄生虫!!」
「...........」
終わったな。だが、これで利休様は...
「きっ、貴様ぁぁ!!黙っておけばいい気になって、その首たたっ斬ってやる覚悟しろ!!」
とうとう織部が抜刀した。
「斬れ!斬るがいい!かの魔王を言い負かせ死んだとなれば、それも本望!」
己を殺すのは織部さんか.....いや、彼女に殺されるのであればむしろ.....
「織部」
「っ.....!?」
三度、それは止められる。
「ふっくくくく.....面白い餓鬼だ。大抵の輩は俺を見るだけで竦み上がる雑魚が大半。しかし、貴様は違う。恐れるどころか自身の命運にすら見切りを付けたか。貴様の目的も粗方想像はつくが、大したものだよ山上宗二」
「っ.....」
「退屈が紛れたよ。今日はここまでだ。いずれまた会おう」
天龍は立ち上がり、茶室を後にしようとする。
「まっ、待て!まだ話は.....」
「分を弁えろ。キャンキャン吠えるだけなら犬にもできるぞ。貴様の言い分なぞ、俺を論破できなかったから思考を停止して屁理屈でごねているだけではないか」
「くっ.....」
「口先だけで世界を変えられるなら苦労しないさ。運命を変えたくば、自ら行動に移せよ『人間』」
そう言って天竜は退室する。
「待って下さい!」
慌てて織部もそれに追従する。
「...........くそっ!」
宗二は悔しさから床に拳を打ち付けた。
「お待ち下さい天竜様!」
そのまま帰還しようとする天竜を織部が呼び止める。
「何故逃げるように去られるのですか!?あのような無礼な発言を放置していて良いのですか!確たる処分をすべきです」
「あれはまだ若い。餓鬼の言い分だ。大人がムキになっていては可哀想だろ」
「天竜様は足利幕府の副将軍です!その立場を理解した上で、副将軍として彼に向き合って下さい!!」
「.....五月蝿いな」
「え?」
天竜の表情は憤りに満ちている。先程までの余裕綽々な態度が偽りであるかのように。
「お前のはただの私怨だろ。利休の1番弟子の座を取られて、何をやっても奴を抜けんから俺を使って追い落とすのか?お前は本当につまらない人間だな」
「わっ、私は別にそんなことは.....私は天竜様のことを思って!」
「媚びる事などそこらの畜生にもできる。俺に気に入られたいのであれば、愛想など振り撒かず、目を見張る程の結果を残すことだ」
「あ.....」
そう言い残し天竜は馬に飛び乗り、駆け去ってしまった。
「ここが彼の弱さですか」
「っ!?」
茶室から出てきた宗二が言う。
「彼は確かに強い。この日の本の誰よりも覇気を隠し持っている。今の様子では何れ織田から寝返るでしょう。そして彼こそが天下を取る。そんな未来が薄々ではありますが、見えてくる」
「そんなの当たり前です!」
「だが、同時に破滅の未来も見える」
「!?」
「貴方は彼を信頼してるのですか?」
「当たり前です!私は私を、私という存在を認めて下さったあの方を強く信頼している!」
「そうですか。しかし、彼は貴方を信頼していないでしょう」
「つっ!?」
「貴方だけではない。彼を信頼する信用する多くの家臣、同志は彼から信頼されていない。彼自身が信用しようとしていない」
「貴様に何が分かる!!」
「否定しないということは、貴方も自覚しているんですね」
「なっ!?.....何を.....」
「織部さん、彼の下に居続けるのはやめなさい。彼は貴方がたを人と見ていない。彼は人々を利用価値の有無でしか判断しない。そんな彼が作る天下など長続きはしないだろう。他人を尊重しない彼はいずれ.....
時が来れば貴方は道連れだ。奴と共に滅びるなど馬鹿げている」
「うるさい!うるさい!!」
「正気に戻って下さい織部さん。私は貴方のことが.....」
「うるさいつってんだよ!!」
織部の懐から突如巨大な拳が飛び出してくる。それは彼女の武器『ナノマシン』によるものだ。
宗二は咄嗟に自身も錬金術を発動する。茶壺より出した火精霊の爆炎によってナノマシンの拳による打撃を防ぐ。
「ちっ」
攻撃を防がれた織部はナノマシンを自身の茶壺に収納し、踵を返す。
「この礼は何れ兆倍で返してやる。覚えておけ山上宗二」
織部が懐から金粉を撒くと、それが織部を包み、やがて織部を霧のように消してしまった。これが彼女の高速移動術なのであろう。
「くっ、哀れなことだ」
トボトボと茶室に戻る宗二。茶室の入り口には利休がいた。
「好いた女にそうまで嫌われるとは、難儀なものじゃな」
「なっ!?」
突然口を開いたことを含めて、その言い分にも驚愕する。
「ひっ、久方ぶりに言葉を告ぐったかと思えば、いきなりなんですか!」
「別にもう言葉は閉ざしていないよ。これはけじめ。あの魔王に手を貸す道を選んだ私のね」
「それが一番納得いかないのですよ。宗匠ともあろう御方が、見える破滅にあえて進もうとは」
「お前はまだ若いんだよ」
「年齢的にはさほど変わりないでしょう。むしろ外見はむしろ年下...」
「心の在り方の話だ!.....相変わらず煽り方だけは一丁前に成長して...」
「むっ、悪かったですね」
「まぁまぁ、精々気長に待とう。太平の世が訪れた時の真の勝者とは、武人では貴族でもなく、我ら商人達なんだから...」
「何故.....どうしてこうなったのか」
自室で放心状態にあった利休はそう呟いた。
そうして話は事件現場へと戻る。
「彼に恨みを持っていた者はいるのか?」
「いなかったと言えば嘘になります。むしろ彼の人を見下した態度に腹を立てていた人物は数多くいます」
「お前もその1人か?」
「.....はい」
その死体は言わずもがな山上宗二。
雑巾のように身体を捻られ、搾られ、全身から血を抜かれた状態で彼の自室の天井の梁に引っ掛かっていたのだ。
「ですが、彼の客である者らにこれ程の所業ができるでしょうか?人間業であるとはとても思えない。この日の本の人間の仕業とはとても思えないのです」
「何が言いたい?」
「"奴ら"の仕業では?」
十字教連中の仕業。可能性としては高いのかもしれない。彼はスパイを行っていた利休、その女の弟子なのだ。報復の為に殺されたとなれば納得はいくだろう。だが...
「証拠が出たとなればいざしれず、予想だけで決めつけはできんさ。それに奴らがこんな静かな場所でやるか?奴らならむしろ事件を公な場所で起こし、騒動にするだろう」
「しかし、こんな事をしでかす者は特殊な術を使う者以外おりません!」
「それは自身に言い聞かせているのか?」
「...........え?」
織部に冷や汗が流れた。
「それは一体どういう.....」
「ふん」
彼は答えない。私を見ようともしない。だがそれが、私を多大なる重圧で押し潰す。
「責任は己で取れ。俺に求めているようであれば期待外れだな。俺は犬の尻拭いまでする気はない。身の程を知れ」
「.....それでは私がやったかのような言い方ですね」
「違うのか?」
そこで初めて彼は私を見た。それは家臣に対して向けられる者ではない。彼が伴天連どもに向ける視線と同じ。まるで蜘蛛の巣にかかった虫ケラを見るかのような、汚物に塗れた豚を見るかのような、冷ややかな視線。
「あぐ.....その.....」
「精々分を弁えろ。好機は二度無いと思え」
「...........」
そう言い、天龍は去って行った。最後までその高圧的な態度を緩めることもなく.....
織部は血が滲む程唇を噛み締めていた。
「お前のせいだ」
その直後。右腕にナノマシンを纏わせた織部の打撃によって、梁から宗二の死体が叩き降ろされる。
「お前のせいだ!お前のせいだ!!お前のせいだ!!!」
事切れた宗二の死体を何度も何度も何度も何度も殴り続ける織部。死体から吹き出た血が部屋中に"汚れ"を撒き散らす。部屋全体が紅に包まれた頃、織部の怒りは治まり、むしろ笑いに包まれていた。
「ははは.....あははははははははは!!!」
織部は悲壮に満ちた表情宗二の死体を持ち上げ、その唇に口付けをする。
「そうでした。貴方の言った通りだった。その通りだった。貴方の.....うふふふふふふ」
咥内に舌を捩じ込み、恍惚した表情で自慰行為に至る。宗二の死体から衣服を剥ぎ、自身の衣服をも脱ぎ捨て、生まれたままの肉体に血肉を擦り付け、悶え続ける。
「なら、私は私の道で逝くまで.....」
京都御所(旧御所)。現在建設中である東京都の『皇居』(新御所)に天皇を移す計画が進行している途中。未だ彼女はこの京都御所に留まり続けていた。
新インド帝国皇帝、ジャハーンギール。
大日本帝国、方仁天皇。
同盟関係にある二国の皇帝同士がこの京都御所にて初の会見を行った。
「朕こそが新インド帝国皇帝!ヌールッディーン・ムハンマドが・ジャハーンギールである!」
「ちんはこのひのもと、だいにっぽんていこくがみかど、だいひゃくろくだいてんのう、みちひとという」
彼女はあいも変わらず辿々しい日本語で答えた。彼女らの中央に座す天龍が双方の通訳として互いの言い分を伝え合っていた。
「.....っておる」
「は?」
「被っておるのじゃ一人称が!『朕』という一人称は大いなるこのジャハーンギールのみが使うべきもの!他人が使うのはどうもむず痒いのじゃ!」
「〜だそうだ」
天龍は出来る限りそのままの内容でサリームの言い分を方仁に伝える。
「なれば、こちらがあらためよう。もう『ちん』というしょうしかたはするまい」
「〜だそうだ」
「それでは朕が我儘を言ってるかのようではないか!」
「言ってるじゃねぇか」
「朕だけか器が小さいといった状況が嫌なのじゃ。其方がそう来るというのなら、朕が朕という一人称を変えるとする。新しい一人称を考えよヴラド!」
「え〜ヤダ〜」
「考えよ!!(怒)」
「なんでもいいだろ。私でも僕でも我でも妾(わらわ)でも」
「ちゃんと考えておくれよぉ」
「だから好きなの使えったら。俺に何を求めているんだか」
「( ゚д゚ )彡そう!ソレ!」
「は?」
「『おれ』という一人称が気に入った!これからは朕はオレと名乗るぞ!」
「ちょい待ち。いくらなんでも一般庶民の男が使うような一人称を皇帝が使うなんて...」
「嫌じゃ!もう変えんもん!」
「.....そうさな。じゃあ『我』と書いてオレと読むならどうだ?それなら高貴っぽいだろ。かの王様も使ってる」
そもそも、本来ペルシア語を用しているはずのサリームが日本語の一人称を使ってる時点で可笑しく、メタい話なのだが.....
「くすっ、くすくすくす....」
その様子を見て、方仁が微笑する。
「なっ、何を笑っておる」
「いやすまぬ。てんじくのちをたんきにてせいあつしたという、いだいなるみかどがどのようなごうけつであるかきょうみがあったのだが、いささかゆかいなおかたであったとあんしんしてな。いらぬしんぱいであったようだ。こころよいおかたでよかったとおもうておる」
「〜だそうだ」
「っ.....」
褒められたことにサリームは頬を紅潮させた。
「というか、サリームよ。お前は陛下に一体何の用でここまでやって来たのだ?」
「そうじゃったそうじゃった!んとんと.....」
サリームが言葉に困っている中、方仁がふとサリームのもとへと歩み寄り、彼女の手を取った。
「えっ?」
「いだいなてんじくのみかどよ。このひのもとのちではげんごのちがいにおこまりでしょう。だが、"こころとこころのかいわ"であるならげんごになやまされることなく、おもいをつうじあわせよう」
「どっ、どどどどういうことじゃ?ミチヒトの言っていることが理解できるぞ!?」
「方仁は正真正銘、神の子孫だ。手で触れるだけで相手の想いを感じ取り、反対に伝えることができる」
「うむむむ、ジャパニーズの皇帝は奇術師なのか?」
「いや、そうじゃなくて」
「てんりゅう。これよりはふたりきりでかいわする。そちはさがっておれ」
「えっ!?」
「そうじゃそうじゃ!ヴラドは下がれ!」
「お前らいつから仲良くなったんだよ」
渋々部屋を後にする天龍。その刹那、楽しげに会話する方仁とサリームの光景が目に入り、朗らかな表情で部屋の扉を閉めたのだった。
一時間程で会談は済んだようだった。部屋に戻ると、一番にサリームの大きな笑い声に驚かされる。
「会談は上手く行ったようですね。日印双方の宰相を務める私としては、どのように会談が進んだのか知りたいのですが?」
サリームと方仁は互いに顔を見合わせ、答える。
「乙女の秘密じゃ!」「おとめのひみつじゃ」
「なんじゃそら」
少なくとも、悪い方向へは進んでいないのだろう。
「まぁ、恋話も程々にしてくださいな。仮にも大国の皇帝同士なのですから」
「なっ、何で恋話をしていたことを知っているのじゃ!?」
「...あ」
「聞き耳を立てていたな!?」
「違う!侵入者が現れないかどうか、念力で室内を探ってただけだ!」
「同じじゃ!!」
顔を真っ赤にしてサリームに怒られる。
「助けて下され陛下。どうか彼女に説明を」
「はじをしれ、てんりゅう」
「そんな〜」
天皇陛下に見捨てられた。もうこの国で生きていけない。
「これは重罪じゃぞヴラド。罰として明日はこのキョートの観光案内をせい!」
「それはいいの。ちんもどうこうするとしよう」
「勘弁してくれ」
サリームが方仁に会いに来た理由。そんなものは本当に些細ものだったのかもしれない。自身の全てを預けている臣下である俺のもう一人の上司。日本天皇への純粋な興味。己と同じ皇帝の位にある彼女への奇妙な親近感。それがサリームを来日という行動に移させたのだろう。
ひょっとしたら、自分と身分関係なく付き合える初めての友達が欲しかったのかもしれない。
「まぁ、こんな日があってもいいな」
これは、何れ来たる暴風雨の前の刹那の静寂だったのかもしれない。この後待っている悲劇の前の、天龍に与えられた短い安息日。
そう、やがてくる悲しい惨劇の...
あいも変わらず稚拙な文ですみません。織部の闇落ち、二人の皇帝に差し迫る悪夢。なるべく、早い更新ができるように努力したい。
次回予告
裏切りの水鳥
〜希望はすぐに切り捨てられる〜