8月25日。
現在オレは唐突にやって来た理子にわけもわからないまま連れられて、キンジの部屋の扉前まで来ていた。
「いいかねキョーやん、キーくんが出てきそうになったら打ち合わせ通りにね!」
「やることの意味がわからん」
やらないと喚くので言う通りにはするが、キンジのポカンとした顔が浮かぶな。
そうしてチャイムを押して数秒、扉越しにキンジの気配を察した理子が、両手を鶴の羽を見立ててふわりと広げて片膝をしゅっと上げて奇抜なポーズを取り、オレがそんな理子の腰を持って体を持ち上げた。
やっても意味わからん。
「白雪、忘れ物なら……」
「荒ぶる理子のポーズ!」
扉を開けたキンジは白雪と勘違いしたのか最初にそう言って、理子の姿を見て固まった。そりゃそうだ。
理子はリアクションに困ってるキンジに上げていた足を前に出して蹴りを入れて「ほわたー!」とかどっかの格闘家みたいなことをしたが、その体を支えてるオレは動かれるとしんどいのでさっさと降ろした。
「キーくん大変だ! 落ちこぼれは留年の危機だ!」
ここでやっと来た目的を話した理子は、その荒ぶるポーズとやらをやめてキンジの横を抜けて室内に侵入。
オレも行かないといけない流れか。いや、帰ってみよう。
「キーくんもキョーやんも早くー」
考え至った途端に理子からお呼びがかかってしまったので、キンジと顔を合わせてからすでにリビングのソファーに座っている理子に近寄った。
「そこで理子りんが、なんと全学科共通になる任務をお届けに上がりましたよ!」
オレ達を確認した理子は、そこで最初から背負っていた赤いランドセルからDVDを取り出して、DVDデッキの挿入口にフリスビーのように投げ入れた。すげぇな。
再生されて映った映像は、海外のサッカーの試合。これが任務に関係あるのか。
それから理子を真ん中にしてソファーに座った――こうじゃなきゃ嫌だと理子が言うから――オレ達は、逆ハーだ! と意味のわからないことを言う理子を黙らせて話を進めるよう催促する。
「これ、ついさっき武偵高の校内ネットに出てた緊急依頼なんだよ。依頼元は東京武偵高。『サッカー部全員を停学処分としたため、全国高校サッカーチャンピオンシップ2次予選に出場する代理選手11人を求む』! サッカー部、みんなでダムダム弾を密造してたんだって。そんで全員停学2週間」
「アホくせぇ……いや、
「そしてぇ! 代理で出場して勝てば1.2単位、負けても0.6単位もらえるんだよ!」
ん? 確かキンジの残りの必要単位は0.7。勝てばクリアじゃないか。キンジも表情が明るくなったし。
「よし……やるか。他に良さそうな仕事もないし」
「やったぁ!」
「面子が集まらなかったら声かけろ。サッカーは小学校以来だが下手ではなかったかもしれん」
「あれ? キョーやん戻るの?」
「オレの危険察知能力がこれ以上この場に留まるのを良しとしないんだよ。じゃな」
「待て猿飛! それは俺も危険なんじゃ……」
「知らん」
オレは自らの身体が感じる危ない気配に従い、キンジの言葉をスルーして部屋を出て自分の部屋へと戻った。
その後ちょっとして下の部屋からギャアギャアと騒ぐアリアの声が聞こえてきたので、オレのカンは当たったらしい。
しかしあのアニメ声、久しぶりに聞いたな。
その翌日。
キンジの召集により第2グラウンドに来ていたオレは、そのキンジが集めたというイレブンと顔合わせすることとなった。
のだが、その集まったイレブンは、あまりにも不安でバランスが悪かった。
まず
これで試合になるのかも怪しいし、近年男女平等の精神がどうとかで男女混合でも試合に出ていいらしいルールで、それで女子率が高いのはいただけない。
しかしキンジの手回しではこれ以上人数も集まらないだろうし、やるしかない。
だがそんなキンジのやる気とは裏腹に、皆の結束力は皆無で、30日の試合当日までの練習ではほとんど練習にならず、サッカーの形にすらならなかった。
そんな様子を面白そうだからと見学に来ていた幸姉は、あまりにサッカーをしないオレ達を見かねて自ら監督になると言い出して、途中からああだこうだと仕切っていたのだが、幸姉自身もサッカーをあまり知らないので、結局具体的な指導はできなかったのだった。
それでも当日までにすんごい作戦を考えてくる! と意気込んで、帰ってからも1人で頭を悩ませていた。
そして試合当日。
ユニフォームのないオレ達が試合会場で体操着にゼッケンという恥ずかしい格好で相手チームである港南体育高校を待っていた。
そして前日まで一番張り切っていた幸姉は、肝心な時に限ってその性格を『乙女』に変えて、今は何故か日本代表のユニフォームを着て理子達に弄られてアワアワしていたのだった。
あの感じだと作戦なんてないと確信できる。
元から頼りにしてなかったが、キンジなんかは頼りにしてたみたいで、幸姉の今の姿に落胆していた。
「おいおい。なんだコイツら。カワイイのばっかり出てきやがったぞ?」
「こりゃ当たり甲斐がありそうだぜ」
「見ろよ。今さらルールブック読んでる素人もいるぜ」
「ああ。可愛がってやろうぜ、お嬢ちゃんたちをよ」
姿を現した港南体育高校の選手は、オレ達を見るなりそんなことを言って完全に勝ちムードを漂わせる。
しかも何語かはわからないが、1人外国人選手までいる。
ちなみにルールブックを読んでる素人というのはオレのことだ。
「不知火、レキ。ちょっといいか」
オレはそんな相手の言葉を全く気にすることなく、試合開始前に不知火とレキを呼びとある指示を出しておいた。
まぁ、十中八九防戦一方になるであろう試合。それで勝とうとするなら、一筋縄ではいかない。
そうしてメンバー全員で円陣を組み、
「いいか、俺たちは……」
キャプテンであるキンジが何か言おうとしたが、
「俺たちはまだ
武藤がそんな号令を叫び、全員が「おー!」と叫んだ。憐れキンジ。
それで始まった試合。
序盤から相手はセクハラで訴えられそうなタックルをジャンヌ達に仕掛けて攻めてきて、反則スレスレのプレーや審判に見えない位置からのラフプレーで主導権を握る。
そんな中で唯一相手に対抗できる不知火が、ボールをカットしてすぐさまトップ下にいたオレにパスを送る。
しかしオレはそのボールに全く反応することなくスルーして、呑気に空を見上げていた。今日もいい天気だ。
「ちょっと京夜! あんたやる気ないなら引っ込みなさいよ!」
それを見て早速前線でボールを待つアリアが噛みついてくる。
だがオレはそれすらスルーして心ここにあらずな感じでフィールドをテキトーに歩いていた。
続いて武藤がクリアしたボールをレキが持って、すぐさまオレにパスを送るが、またもオレは見もせずにそれを見送る。
「おいおい。こいついる意味あんのかよ。ははっ」
さすがに2回目となると相手選手も呆れるしかないらしく、それからオレはフリーになっても相手にマークすらされなくなった。
ついでにアリアとキンジ、その他味方側からも無視されたが。
試合はこちらの起点となる不知火を徹底的に潰されてペースを握れず、ゴール前からのフリーキックを皮切りにポンポン失点していった。
実質10対11で戦うオレ達――オレが試合に参加してない――は、前半で唯一通ったキンジへのパスからのシュートが、相手の巨漢なGKユンカースに難なく止められてそれで前半終了。
スコアは0対5。野球かと見間違うスコアだなこれ。
皆が控え室でハーフタイムを過ごしている中、オレは廊下でアリアに呼び出しを食らって現在説教中。
「京夜、あんた勝つ気があるの!? 前半のプレーはなによ!」
「凄いだろ? 中盤以降からはオレがいないみたいに無視されて」
「アウトオブ眼中なだけでしょ! あたしでも無視するわよ!」
「これぞ必殺『いるのにいない』だ!」
「い・ば・る・なー!」
オレのそんな様子にますます機嫌が悪くなるアリア。
現状しか見ないでガミガミ言うのは早計だぞ、ホームズ4世。
「大丈夫さ、アリア。アリアは後半もアリアらしくプレーしてくれ。オレも『オレなりに』プレーするからよ」
話しながらアリアの肩をポンポンと叩いて笑ってみせると、アリアはそれでオレの意図にようやく気付いたようで、さっきまでの剣幕を治めて「うぐぅ」とひと鳴きした。
「……そういえば京夜。あんたAランクになったんだってね」
それで説教終了かと思ったら、急に話題を変えてきたアリア。恥ずかしかったのか。
オレはその問いに首を縦に振る。
「おかしいわね。あたしの見立てでは、京夜は絶対Sランクなのに」
「あのな、アリア。諜報科は強襲科と違って、単純に戦闘能力が高ければランクが上がるわけじゃ……」
「そういう面倒な話は聞きたくないわ。それに武偵ランクなんて飾り。あたしの中で京夜は最初からSランクなんだから、考えてみたらそれで問題ないわ。それにしても、周りは京夜の評価が甘いわ」
などとぶつぶつ言って控え室へと戻っていったアリアは、それで上手くオレから逃げたつもりらしい。
それからオレも控え室へと戻ろうとしたのだが、その途中でまたもアリアと遭遇。
ん? なんかおかしいぞ。
「どうしたアリア。何か言い忘れた……か?」
と言い切ってから、オレはそのアリアの違和感に気付いた。
失礼かもしれないが、本物より胸が大きい。
「……何を仕込む気だ? 『理子』」
「やっぱキョーやんはすぐ気付くかぁ。結構自信あったのになぁ。残念ながら、もう仕込み終わりました!」
そう言ったアリアに変装していた理子は、アリアフェイスを脱いでその素顔を晒すと、何か企んだ時に見せる笑みを浮かべた。
「何が残念なのか知らんが、仕込み終わったなら後半は逆転するぞ。これで負けたらアリアに風穴あけられる」
「アリアだけじゃないよ。理子も風穴あけちゃうからねぇ。後半も『さっきまでのキョーやん』なら確実に風穴だよ?」
そう言うってことは、理子はもうオレの『仕込み』を理解していることになる。
まぁ気付いてないのはキンジとあやや、武藤、風魔くらいだろうがな。
そうして改めてみんなが集まる控え室へと戻ったオレと理子は、人が変わったようにキャプテンシーを発揮し出したキンジの2つの指令を聞き、顔を合わせて笑う。なるほど、理子の仕込みはこれか。
そしてキンジに出された指令は以下の2つ。
1つ。今までの自分のポジションや通常のサッカー理論は、全て忘れていい。
2つ。自分らしくやれ。ただし港南チームを『見習い』、反則を取られない程度にな。
それを命じられたオレ達は、後半開始前の配置からすでに生来のサッカーのポジションを作っていなく、各々が一番やりやすそうな位置に立っていた。
それを見た港南チームは大爆笑。もう完全に勝ち試合と思っているみたいだ。
それじゃあ、オレ達なりのサッカーを見せてやりますか!
「反撃の号砲は受け持とう――
港南のキックオフで始まった後半戦。
前半は序盤でつけていたコンタクトレンズを落としてしまったらしいジャンヌが、危険を覚悟で眼鏡をかけて出陣し油断していた相手選手から華麗にボールを取りパスを繋ぐ。
これで初めて知ったのだが、ジャンヌは軽い乱視があるらしく、たまに眼鏡をするらしい。
今まで見たことなかったから、ちょっと新鮮だ。
そう思いながらオレは前半と同じくボールに絡もうとせずにボーッと空を見ながら、フラフラと前線に歩いていく。
前半にあんなやる気のないプレーをしたオレを、案の定港南は無視して、GKなのに前線へと走り込んできた理子を見て爆笑しながらボールを奪いに来る。
しかしこちらも前半とは違い、簡単にはボールを奪われず、不知火からレキへとボールが渡り、そこで一瞬レキと目が合う。やりますか。
レキはトラップしたボールを前線のGKとDFの間に落ちるような山なりのボールを上げる。
しかしそこには味方は誰もいなく、ミスキックと判断した港南もGKに任せて動きを止めた。
――ぱすっ。
しかしそのボールはGKの手に収まることなく、その後ろのゴールネットに吸い込まれて、港南の初失点となってしまった。
一瞬何が起きたかわからなかった港南も、そのボールが落ちた地点にいたオレの姿を見て、初めて『シュートされた』のだと気付いた。
「反撃の1発はこんな感じでいいよな?」
オレは時間をロスするのを避けるため、すぐにボールを持って自陣に戻りセンターにボールを置き、待っていたキンジとアリアとハイタッチを交わしてリスタートを待った。
今オレがやったことは、試合が始まる前からの長い仕込みによる『奇襲』である。
オレは試合開始前にわざわざ相手が見てる中でサッカーのルールブックを読んで、初心者ですよとこれ見よがしにアピール。
さらに試合が始まってから、無関心を装って不知火とレキからのパスをわざと見逃した。
そしてオレが相手から『いないもの』とされて終えた前半。当然後半もオレはいないものとされる。
そこでオレが急に動けば、相手は当然ノーマーク状態だから、対応がワンテンポどころの騒ぎじゃなく遅れ、結果としてオレが難なくボールを追ってシュートを決めることができたのだ。
たった1度きりの仕込みプレー。
これを成功させるためだけにオレは前半までを犠牲にした。
もう同じ手は使えないし、当然得点したオレにはマークをつけられることになる。
だが、それすらオレの策である。
リスタートして攻めに転じた港南だったが、もはやサッカーという型にはまらない動きをするオレ達に対応できずにボールを奪われてしまう。
そして守勢になった瞬間、オレにマークがガッチリと2人もついた。オレの実力なんて素人中学生が精々なのにな。
そんなオレにボールが渡らないように張り付く相手選手を見ながら、オレは再び我関せずな無気力プレーを開始。
一切ボールに絡む動きをせずに、のそのそとフィールドを歩いていた。
その間にもキンジ達は前線へとボールを運んで、あっという間に得点を上げてしまう。
これがオレのもう1つの狙い。
前半から一転してスゴいプレーをしたオレを見て相手がマークをつけると、理子まで上がっている今のこちらは数的に優位に立てるのだ。
これは必ず誰かがフリーになるということで、戦況的にかなり有効で、そんな中でオレが再び無気力プレーをすれば、相手はマークをするべきなのか判断ができなくなる。
対するオレは、相手の出方を見ながら無気力プレーをするか奇襲をするかを選択することができるのだ。
言ってしまえば駆け引き。心理戦である。しかも相手が圧倒的不利な。
それから後半はずっとオレ達ペースでキンジとアリアのシュートがゴールに突き刺さり、後半終了の間際には同点まで追いついていた。
そしてオレはあのワンプレー以降、1度もボールに触れていない。しかし影の功労者としてあとで労ってもらおうか。
そして後半のロスタイム。
引き分けでも勝ち進める港南は、徹底した守りの姿勢でゴール前を固めて試合終了までの時間を稼ぎに入り、その堅い守りをこじ開けられないアリア達も焦る。
オレを除く全員が相手陣営に入り、徐々にゴールに迫るのをセンターサークルで見ていたオレは、もうごちゃごちゃしすぎて何も見えなくなった相手ゴール付近で、大きな土煙が上がったのを確認し、そのすぐあとに得点したことを知らせるホイッスルが鳴ったのを聞き取った。
どうやら逆転したらしい。そしてすぐに鳴らされた試合終了のホイッスル。
勝ったぞー! これで風穴あけられることもなくなったな。
試合後、制服に着替えたオレは、結局ベンチでアワアワしていただけでほとんどマスコットみたいになっていた幸姉と一緒に帰る支度を済ませて控え室を出ようとしていた。
「あ! そうなのださるとびくん! 伝えるのをすっかり忘れていたのだ!」
そんなオレを引き留めたのは、装備科の天才、平賀文こと、あやや。
彼女は急いで着替えたのか、微妙に乱れた制服を直しながらオレに伝え忘れていたという用件を話す。
「例の『新作』、バッチリ作り終わったのだ! 明日にでも取りに来て大丈夫なのだ! 使い方とか整備の変更点とか色々あるから、時間に余裕がある時に来てくださいですのだ!」
例の新作? と思ったオレは、それですぐに依頼していたとある武装の製作のことを思い出した。
「おお、すっかり忘れてたな。じゃあ明日の昼にでもお邪魔していいかな」
「さるとびくんが夏休みまでに作って欲しいって頼んできたのに、それはないのだ! でもあややも作ってて楽しかったから気にしないのだ! じゃあ明日はよろしくなのだ!」
確かにそんなこと言った気がする。悪いなあやや。
と思いつつも、終始笑顔なあややに見送られて帰路についたオレと幸姉は、それから無言で黙々と歩いていった。
しかし考えてみれば、あややに頼んだあれも、これから必要とされる機会がなくなるかもしれないことに気付いたオレは、すぐ横を歩く幸姉をチラリと見る。
オレはもうすぐ、武偵をやめる。幸姉が真田に戻れば、否応なく。
そう考えていると、今まで黙っていた幸姉が、勇気を振り絞るかのようにオレを見て立ち止まり口を開いた。
「きょ、京夜! あ、明日、平賀ちゃんの用件が済んだら、お話がしたいです! 大事な、大事なお話です! いいかな?」
「あ、ああ、問題ないよ」
それを聞いた幸姉は、大きな仕事を終えたかのように大きな息を吐いてから、また歩き出していった。
大事な話、か。
その後、サッカーの試合がオフサイドという反則に引っ掛かって最後の得点が無効になったことを知ったが、その後のキンジのことは深く詮索しないことにした。