6月6日。日曜日の朝。
Nによる襲撃から一夜が明けて、外の天気は昨夜で雨は上がり朝霧が少しあるが、今日は青空が見えるだろう。
思わぬ3人目の襲撃者であるセイレーネスの策略に嵌まって、劉蘭がエナジードレインを受け瀕死の間際まで追い詰められたが、Nにとっての想定外、バンシーの助言でその窮地を乗り切り、今は落ち着いた呼吸で眠っている。
そのためにオレは劉蘭に対して非人道的な手段で命を救っている。
今いる誰かの船舶の中には毛布があり、劉蘭が安定してから濡れた服のままでは体温を下げるため、本当に申し訳なく思いながら下着を残して脱がせて毛布を被せてあげている。
バンシーもエナジーコンバートを使ったからか、処置を終えてからは姿も消して休息モードに入ってまだ姿を見せてくれていなく、肝心な話が出来ずじまい。
Nが劉蘭の暗殺失敗に気づいて戻ってくる可能性もあったから、オレは一睡も出来ていないし、気の大放出と、かなり無理をして劉蘭と行為に及んだせいか、体力その他諸々が全然回復していない。今すぐ横になりたいくらいしんどい。
メイファンさん達に連絡して駆けつけてもらう手も考えたが、Nの尾行がないとも限らない以上はリスクを避ける選択で朝まで乗り切ったものの、そろそろ限界……
さすがに襲撃から9時間以上も経過していれば大丈夫かと、メイファンさんに連絡しようと携帯を取り出したところで、寝ていた劉蘭が起床。
完全に寝ぼけた様子で虚ろな目をしたまま上半身を起こした劉蘭は、自分が下着姿なのを理解しないでいたせいで、毛布で隠れていた部分が露に。
「あれ……私、いつの間に眠って……」
そのまま徐々に覚醒しながら頭を整理する劉蘭からオレが顔を背けていると、オレを見た劉蘭が干してある自分の服も発見したか、ようやく自分の今の状態を認識してくれる。
何が何やらな頭で毛布を羽織って体を隠してはくれた劉蘭に向き直ったオレが、順を追って話をしようとすると、タイミングを図っていたらしいバンシーが急に現れて「俺が話してやるよ」としゃしゃり出る。
「えっ? えっと、あの、あなたは……」
「俺はバンシー。5000年くらい生きてる人生の大先輩だ。今は諸事情で京夜と行動してる。上海に来た時からずっと一緒にいたんだぜ」
「おいバンシー。いま出てこなくても……」
「なんだ。京夜から説明するのは色々と気まずいだろうから出てきてやったのに、俺の厚意はいらないか?」
「…………頼む」
猴なんかが化生の類いだから劉蘭もバンシーを割とすぐに受け入れた様子で、わざわざこのタイミングで出てきたことにオレが余計な混乱を招くなと暗に言うと、バンシーもバンシーでちゃんと考えていたらしくて、説明の段階になるとどうしても言葉に詰まるだろうことも事実だったから、大人しくバンシーの厚意に甘える。
本当ならオレが自分の口からちゃんと説明すべきなのかもしれないが、言葉を選びすぎて的確な説明ができなくなるかもしれないから。
その後すぐに落ち着いた劉蘭に昨夜のセイレーネスに襲われてエナジードレインを受けたことから話し始めて、それで瀕死の状態になったこと。
そこから生還させるためにバンシーがエナジーコンバートを使ったこと。
そのエナジーコンバートでオレが劉蘭と交わることになったことまで説明すると、その辺りで現実と認識できなくなったか、思考が停止気味に。
「あの……その……つまり私と京夜様が……」
「ん、だからこういうことだ」
それでも無理矢理頭を働かせて理解しかけていたところにバンシーがとどめとばかりに左手の親指と人差し指で輪を作り、その輪の中に右手の伸ばした人差し指と中指を出し入れして比喩表現。
そこでついに劉蘭が完全に理解して頭がパンク。顔を真っ赤にして毛布で頭までスッポリと隠れてしまって見えなくなる。
「ああ安心しろ。ヤることはヤったが、出した精子は1つ残らず生命力に変換したから、お前が身籠ることはないぞ。それとも残念と言った方が良かったか?」
「そそそそそそんなあの私は安心でも残念でも何でもないですはい!」
その劉蘭に対して遠慮なしに畳み掛けるバンシーの悪さが出て、取り乱しまくりの劉蘭を見て楽しんでやがる。
さすがにこれ以上はバンシーが余計なことをしそうなので、軽くチョップして反応を楽しむのをやめろと制止し、劉蘭には深呼吸させてある程度で落ち着いてから話を再開する。
「それでその……シたあとに濡れた服のままだと体温を下げるから、悪いとは思ったが脱がせて寝かせて今に至ってる」
「そう、なんですね……」
最後に下着姿で寝かされていた説明をして現在に至ることを話し終えると、少し放心気味の劉蘭は自分の意識がほぼない状態で起きたことをゆっくりと受け入れていく様子を見せる。
そしてまだ現実味を帯びていない様子もある劉蘭に対して、オレが今すべきことは1つしかなく、しっかりと正座をした上で頭を下げて土下座。
「悪かった。蘭を助けるためとはいえ、一生消えない傷を負わせたのは、オレの未熟さが招いた結果だ。責任を取れと言うなら何でもする。そのくらいの覚悟はあるし、軽蔑してくれても構わない。この任務が終わってから絶縁しろと言うなら、黙って立ち去って2度と会わないと誓う」
謝罪の言葉など自分の罪を軽くしようとする惨めな行為でしかないのかもしれない。
それでもオレは劉蘭に謝ることをまずしなきゃいけないと思ったし、それで許されなくても仕方ないことをオレはしたんだ。どんな罵りの言葉も甘んじて受ける覚悟はあった。
オレの土下座と謝罪の言葉を聞いた劉蘭は、しばらく何も言わずに静寂が続き、一向に頭を上げようとしないオレを見かねてか、優しい口調で頭を上げるように言ってくる。
その言葉に従って頭を上げると、オレが予想していた軽蔑するような目を一切していない劉蘭がまっすぐにオレを見て優しく微笑んでくる。どうしてそんな顔を向けるんだ。オレはお前を汚した男だぞ……
「お2人がおっしゃったことが事実だということは信用しています。意識が遠退いてからの記憶は私にはありませんが、自分が死にかけたということはハッキリとわかりますから。その私を救うために京夜様が苦悩したことも、今の謝罪から十二分に理解できます」
怒るのでもなく、泣くのでもなく、まずは事実をしっかりと受け止めてオレの苦悩までも汲み取った劉蘭は、依然として優しい目でオレを見てその心の内を話す。
「京夜様は私に傷を負わせたと、辱しめたと言うのでしょうが、それはあくまで京夜様のお気持ちであって、私の気持ち次第で変わるものであると考えます」
「確かにそういうことにはなるのかもだが……」
「ご自身が納得できないというお話ですね。本当に京夜様は優しくていらっしゃいます。その優しさを知るからこそ、私は今回のことを責めるつもりは一切ありません。何故なら京夜様は……こんな私を救うためにご自分の気持ちを押し殺して、犯してはならない罪と自覚しながら、それでも実行してくださったのです。感謝こそすれど、罰を与えることなど、私には出来ようはずがありません」
自責の念に囚われているオレが少しでも納得してくれるようにと話す劉蘭は、話しながらそっとオレの手に自分の手を触れさせて、昨夜まで冷たくなる一方だった手に、今は確かな温もりが戻っていることを伝えてくる。
この命を救ったのは、紛れもなくオレなのだと伝えるように。
「どうかこれ以上、ご自身を責めることがないようにお願いします。許すも何もなく、京夜様は私の命を救ってくださった。その事実を誇りに立ち上がってください。まだ護衛の任務は終わっていませんから」
「…………それでも何かの形で償わせてほしい。ここだけは譲れない。男として」
「……では、いま以上に素敵な武偵になると約束してください。そしてその力で私のみならず、たくさんの方を助けてあげてください。京夜様はそれが出来ると信じております」
劉蘭は本当に……凄い女だよ。
オレの罪は消えたりしない。それでも罪を犯してでも救えた命があったことを忘れるなと言える劉蘭にオレの心も少しだけ救われた。
「それは約束してやるけど、それはそれだぞ。蘭個人に対しては何かさせろ」
「えっと、すぐには思いつかないので、とりあえずは保留ということでよろしいでしょうか。まずは今日の会議に集中しなければいけませんし」
ただ物凄い約束をしても劉蘭個人に対しての償いにはならないから、やはりそこは譲れないと食い下がると、すぐには思いつかないことと、あと6時間後くらいには始まる会議に集中しなければいけない都合でその保留を受け入れるしかなくなる。
それでとりあえずの話は終了して、そろそろ蘭盛街に戻ろうかと切り出そうとしたところで、ずっと黙っていたバンシーが消える前にニヤニヤしながら劉蘭の隣に移動して耳元で何やらささやく。
まぁ読唇術でなんとなくわかるんだが、なになに……お前は京夜が好きなようだから教えておくが、あれを旦那にすると大変だぞ。なんせお前を助けるという名目はあったが、昨夜だけで4発も……
「ふんっ!」
「いだっ! な、何すんだガキが!」
言わんでいいことをわざわざ教える辺りが大変にイラッとしたので最後まで言う前にアイアンクローからの雑な投げで劉蘭から引き剥がす。
投げられたバンシーはプンスカ怒るがそっちは気にせずにほとんど聞いてしまった劉蘭を見ると、思ったよりも頑張っていたオレに顔を赤らめてしまい、知られたくなかったことを知られてオレも何を言うべきか言葉に詰まる。
これ以上の沈黙はオレの苦手な空気が出来そうになったから、無理矢理に乾かしていた劉蘭の服を手に取って渡して着るように促し、背を向けたオレに少し待つように言って受け取る。
着ている最中に「体が持つでしょうか」とか「一晩にそんなに求められるなら、体力もつけないと」とかなんかブツブツ呟いていたが、それは聞かなかったことにしてあげよう。うん。
服は生乾きだったので戻ったら改めてシャワーと着替えは必要だが、とりあえず外に出ても問題ない状態にはなった劉蘭と蘭盛街に戻ろうというタイミングで、そういえばと消えようとしていたバンシーに聞くことは聞いておく。
「なぁバンシー。昨夜のセイレーネスはオレの知らない個体だったんだが、お前は知ってるのか?」
「ん? なんだお前。セイレーネスの4姉妹に会ったことがあるのか」
「4姉妹……オレが会ったのは3姉妹だが……」
「セイレーネスは4個体しか存在しないぞ。テレース、ライドネー、モルペー。昨夜に見たのはテルクシオペーだな。その4体だ」
オレの知らないセイレーネスの個体と、先に会っていた3姉妹が無関係ということも考えにくかったのだが、バンシーが言うにはセイレーネスはその4体しか地球上には存在しないらしい。
それなら3姉妹がNの勧誘を断ったという話にも矛盾が生じるが、おそらく屁理屈なんだ。『私達はそうだが、1人は違う』っていう。騙されたな。
「しかしテルクシオペーだけが単独でとなると、やっぱ『呪い』の影響か、或いは……」
「呪い? そのテルクシオペーってのは他と違うのか」
「ん、テルクシオペーは500年ほど前か。呪術師から『あるもの』と引き換えにその身に呪いを受けたんだよ。解呪は出来ねぇとか、するつもりもねぇとか言ってたはずだが、心変わりでもしたか」
「呪いってのは具体的にどんなものなんだ」
「『声』だよ。それを得るためにテルクシオペーは声を失った。とはいえそれも得たものを使ってる時に限るわけだが」
「声を失ってまでその方は何を得たかったのでしょうか」
「クサい話だぜ? 『愛』さ。あいつは人間の男に恋をした。だからその人間に愛されようと、同じ人間に見られるように『人間の足』を手に入れたのさ」
そのテルクシオペーがNに下った理由についてはバンシーにもハッキリとわからないようだったが、他の姉達とは違って唯一、その身に呪いを受けているというテルクシオペーだけがそうなら、理由はきっとその呪いにある。
そうした推測で呪いについてを詳しく聞くと、なんともまぁオレの苦手な話なようで、種族の壁をどうにかしようとした結果なようだった。
こういうのはやっぱり女の方が食い付きが良いようで、敵側の事情ながら劉蘭が少し嬉しそうにしていて、禁断の恋みたいな感じのそれには事情がありそうだと思う。
「まっ、その惚れた男ってのも時の流れが違う以上は報われねぇし、テルクシオペーも自分がセイレーネスだってバレて色々と辛い思いをしたらしい。それでも人間を好きになった自分が悪いって、人間を憎まないようなお人好しだったはずなんだが……」
「……なるほどな。だからこそだ、バンシー」
普通はそんな辛い思いをしたなら、以降は人間との友好などあり得ないところだ。
しかしテルクシオペーはそんな経験を経ても人間への好意は失わずにいたと聞けば、Nの思想が『異形の存在が受け入れられる世界』にすることにあるから、種族の壁がなくなれば自分も人間に受け入れられると考えても不思議はない。
「テルクシオペーは人間と共存したいんだろう。だからそれを実現しようとしてるNに協力してるんだ。おそらくはな」
「……まったく、バカなヤツだ。その夢の実現のために好きな人間の命を奪うことになるなら、それは本末転倒というやつだろうが」
まだそうと決まったわけではないし、何か転じて人間を憎むようになった可能性だって十分にある。
それでも劉蘭をもっと残酷な殺し方も出来たテルクシオペーがそうしなかったのは、まだ人間を好きな心があるからだと信じたい。
ともかく、昨夜の襲撃で遭遇したNのメンバーは3人であり、そのうちの2人は水の超能力を使う都合で水場や雨天時にしかその力を十分に発揮できないことは確か。
陽陰が言っていたタイミング云々は昨日の雨がそれだったんだろう。
それを考えれば劉蘭の生存を知ったNが再び襲撃してきても、脅威となるのは天候などに影響を受けない勇志さんだけ。水のある場所を避ければ相当な危険回避ができる。
それならと話を終えてからその水場の代表格である川からは一刻も早く遠ざかるべきと、一夜を勝手に過ごした船舶をあとにして蘭盛街へと戻ったオレ達は、さすがにあの襲撃で被害を受けたビルに警察などが入っているのを許容しつつメイファンさん達と合流しようとする。
それも劉蘭の帰還に早々に気づいた住民達が野次馬のごとく群がって心配していたことを口々に言って騒ぐから、向こうからは大変に見つけやすかったようで、騒ぎを聞きつけて人混みをかき分けて近寄ってきたメイファンさんと猴がそれぞれ劉蘭とオレに抱きついてくる。
「ホンモンやな? ホンモンの劉蘭やな!?」
「うわーん! 京夜も劉蘭も生きてたです!」
「2人とも、心配をおかけしました」
「なんとか生き残ったよ」
「あの男と幽霊女。自分らが跳んだ後に『これで目的は果たした』とか言うてさっさと撤退しおって、それで罠やって気づいたんやけど、それもフェイクで尾行されるかもわからんから合流できんかった」
「ごめんです京夜。猴が跳ぶ先を読まれたばっかりに……」
「いや、あそこで跳ばなきゃ蘭は殺されてたと思う。ナイス判断だったよ」
あれから勇志さんとシャナはテルクシオペーが劉蘭を殺すシナリオを信じて撤退したようで、それもフェイクで合流するのを待つ作戦かもと疑ったメイファンさんは留まるしかなかったことを話してくれる。
その判断は正しいし、猴も責任を感じているっぽかったが、あの状況ではどのみち劉蘭は屋上から落とされていたとフォローし頭を撫でる。
そして気がかりだったココ姉妹の安否についてを劉蘭が尋ねると、少し暗い顔をしたメイファンさんは言いづらそうに口を開く。
「あの子らは……まぁ命に別状はなかったんやけど、瓦礫に足とかやられて、まともに動けるんは機嬢だけになってもうた。戦力としては機嬢も期待できんな」
「そうですか。いえ、命があっただけでも幸運なことです。それをまず喜びましょう。とりあえず今は会議に向けての準備をします。彼女達の犠牲を無駄にしないためにも、何としても計画を通します」
「それはもちろんやけど、自分、ちょっとどないしたん?」
あの爆発で全員が生きていたのは奇跡的だったが、さすがに戦力外にはされてしまったようで、ココ姉妹の生存に安堵した劉蘭はその奮闘を無駄にしないためにとさっそく動き出す。
しかしその前にオレを見たメイファンさんが唐突にオレの様子をうかがってその手で頬に触れてくる。疲労が顔に出てただろうか。
「めっちゃ気が減っとるで。こんなんでよく立っとれるな。やせ我慢か」
「正直なところ、だいぶヤバいですけど……大丈夫です」
「大丈夫なわけあるかボケ。自分まで倒れたらウチと猴だけになるやろ。まったく、しゃーないな……」
見ただけで気の減少を悟って、内気勁で確証を得たメイファンさんがオレの限界な状態をバラしてしまったから、劉蘭に心配する顔をさせてしまう。
そんな状態では護衛もままならないだろうという正論にぐうの音も出なかったオレにため息を漏らしたメイファンさんは、そのまま頬に触れた状態でオレへと気を流し入れてくれて、普段と同じくらいの状態にまで回復させてくれた。
これならオレの回復力である程度なら持ち直せるはずだ。
「自分、気の大量放出でもしたんとちゃう? それで寝もせんでおったら気穴が開いとる自分は回復もせんわな。今後は無闇に気を放出するんはやめとき。下手したら死ぬで」
「はい。肝に命じておきます。ありがとうございました」
そうか……オレは気穴が常に開いてるから、丹田で気を常に作ってても、それと同じくらい体から気が抜けてったら回復なんてしない。
それを抑える効果がある睡眠は凄い大事なんだな。まさに体を休めるってやつだ。
意外な欠点がわかったのは良いが、今のオレでは回復も想定して気を扱わないと逆に弱くなるってことだ。メイファンさんみたいにバカスカ放出できないんだな。まぁそんなことまず自分の意思で出来ないんだけど。
とにかく、これであとは食事でも摂ればなんとか護衛任務は続けられそうなので、劉蘭にも体力と気力を回復してもらうために、5時間後に迫った会議に向けて動き始めた。
──今度こそ劉蘭を守り抜く。来るなら来いよ、N。