「あれぇ? なーんで京夜がいるのかなぁ?」
「偶然って怖いよなぁ」
「あ、兄者! 久方ぶりにございます!」
劉蘭の毒殺未遂事件から一夜が明け、今回の会議で何がなんでも計画を通してやろうと決意を新たにしたオレ達は、翌日の昼前に会合のために蘭盛街へとやって来た幸姉こと真田幸音を迎え入れていた。
他にも韓国の要人やらマレーシアの貿易商。インドの大商人やらと各国の国と国を繋ぐ手段を持つ人物も到着していて、幸姉もその1人として招かれている。
幸姉は最後の来客だったが、律儀にフロントで待ち続けていた劉蘭に反応するよりもまず、その近くにいたオレに反応し絡んできて、オレの実の弟で瓜二つとまで言える
仕事モードなためビジネススーツを着込んで長い青みがかった黒髪をポニーテールでまとめる幸姉はいつ見ても超がつく美人だが、さすがにもう見惚れて立ち尽くすほどオレも愚かではない。
12、3年にしてようやく慣れた。物心ついた頃からの換算だが、まぁそんな頃から飛び抜けて綺麗だったしな。
その幸姉が劉蘭との挨拶を割と適当に済ませるほどにオレの存在が気になっているのか、オレも話さないわけにもいかないので、これからの会合の準備に取りかかる劉蘭はメイファンさんに任せてその場に残り少し話をする。
「かいつまんで話せば、蘭の護衛の依頼でここにいる」
「人材豊富な藍幇で護衛の手が足りないってこともないのに? っていうか蘭ってアンタ……ふーん。なるほどねぇ」
「察しの通りこっちから願い出た護衛だよ。わざわざロンドンから来た理由は私情もあるけど、それと護衛の利害は一致してるってところだよ。あとその顔やめて」
話すと長くなるし、Nについても含めると立ち話では済まないこともあって、まずはオレの存在理由についてザックリと説明したのだが、幸姉の場合はそっちよりもオレが劉蘭を呼び捨てにしていたことに注目してニヤニヤするから困る。女子は何でこっちの反応が良いのか……
なまじ物心つく前──幸姉からすればオレが生まれた時からだ──からの家族同然の関係だったせいで色々と言わなくても察せてしまうくらいには物分かりの良い幸姉は、オレが説明を省いた理由について腰を落ち着ける必要があると判断して言及はしてこなかった。
そこは本当に以心伝心というか元パートナーの意思疎通が成せる技って感じで、オレもそれに甘えてニヤニヤするのをやめてくれた幸姉と誠夜を連れて会合の部屋へと案内する。
「ロンドンでの生活はどう? 日本と勝手が違うんじゃない? メヌエットちゃんと仲良くやってるの? お姉さんそういうことは定期的に連絡してほしいんだけどなぁ」
「オレはシスコンか何かかよ。そんなこと幸姉に報告する義務はないが……メヌとは仲良くやってる。それだけは確実だ。じゃないととっくに死んでる。精神的に」
「アハッ。確かに機嫌を損ねたら殺されてるよねぇ。そうなってないならメヌエットちゃんも京夜のことを気に入ってるってことか。モテ男は役得だねぇ」
「メヌとは別に恋愛感情はないからモテ男とか関係な……そもそもモテ男じゃない」
「照れないの。私の目から見ても京夜スキーは少なくないわよ。理子然り。劉蘭然り。エトセトラぁ」
その移動中でもオレと話すのが楽しいのか、仕事の合間の息抜きのつもりなのか、やたらとテンション高めで話しかけてくる幸姉にちょっと気圧される。
昔からこんな人だし、律儀に付き合っていたら終わりがないこともわかっているのに、無視できない存在感というかそんなので話は途切れさせてくれない。というか無視したら何されるかわかったもんじゃない。
「オレのことはいいよ。それより百地さんから連絡があったと思うけど」
「あー、あったあった。あの件でしょ。百地の旦那の口から京夜の名前が出てきた時はビックリしたわよ。でも無事に面識できて良かったわ」
「面識とか言うなら留学前の連絡の時にでもちゃんと伝えてくれれば良かっただろうに……」
「だって話自体はもののついでくらいだったし、百地の旦那もデスクワーク中心でICPOの本部からあんまり出ない人だって聞いてたから、会うことないだろうなって思ってたの。それなのにどういう運命の悪戯が働いたのか」
幸姉ペースで話させると会合のギリギリまで喋ってそうだからオレから強引に話の流れを変えて、先日にNの一員として遭遇した霧原勇志さんについての報告を百地さん経由で聞いているかを尋ねる。
自分の興味のある話を切られて少しムスッとした幸姉ではあるが、真面目な話ではあるからすぐに切り替えて表沙汰になっていない話の内容を具体的には言わず進める。
その中で百地さんの協力を知っていたのにオレに伝えなかった理由が凄い言い訳くさくて呆れた。
確かに勇志さんの捜索に関してはそれ自体に腰を据えてやる必要はなく、どこかで存在を匂わせるようなことがあれば知らせてくれればいいくらいの依頼とも言えないレベルのことだったのは事実。
百地さんもNの捜査線上でたまたまオレや勇志さんと遭遇しただけで、Nという共通点さえなければ幸姉の言う通り出会うことはなかったかもな。
そんな感じで愚痴を漏らしておいて1人納得してしまってる自分勝手さを自虐しながら、超真面目な声のトーンになった幸姉にオレも少し強張る。
「……どのみち、相手があのNなら下手に関わらないのが得策よ。
「モリアーティ……確か羽鳥のやつが昔に言ってた……」
「表立った史実には名前すら載ってないわ。ただ100年くらい前に歴史の裏で死んだって噂は流れたみたいだけど、それも姿を眩ませるための情報操作だったのかもね」
決して張らない声でもハッキリと何を言っているのかを聞き取れる幸姉の言葉からは、敵対するNのトップの名前が出てきて驚く。
シャーロックが昔からその存在を知っていたのはすでに知るところだが、それをイ・ウー時代に幸姉にも話していたのか。
これが当時からシャーロックが狙って残した情報なのかはわからないし、本当に謙遜なしで自分の条理予知が未熟だと言ったのか判断はつかない。
それでも羽鳥が去年になんとなしに話していた事柄とも繋がって現実味を帯びたそれに、明確となった敵をどうやって捕まえるか考える思考になる。
それ自体が危ないと注意されてるのにそうしてしまうのは、やはりもうオレも後に引けないところに立ってしまっていることを自覚しているんだろうな。
幸姉はオレの心配をしてくれているのは十分にわかってるから、今回の護衛もNと関わることになることは伏せておこう。
もうオレも幸姉に守られるだけの男じゃないんだから、幸姉まで巻き込むわけにはいかない。
まぁそれも幸姉には悟られていそうな気がするくらいには勘が冴えてるから困る。
そうこう話していたら会合の行われる部屋に辿り着き、その中に入ったらオレと幸姉も自分の仕事に集中しないといけなくなるので、私語は出来ない。
その前にオレも最後の用件だけ伝えておく。
「そうだ幸姉。会合が終わってからまた話す時間とかある?」
「上海には1泊するから夜は比較的空いてるわよ。そうじゃなくても会合が終わったらしばらくは暇だから、話があるならその時ね」
オレが幸姉を頼ったのは現在進行形で頭を悩ませているメイファンさんからの課題の功夫で行き詰まってしまっているから。
明日の夕方には今後の修行を継続してくれるかの進退を決める試験が待っているので、そこで未来に繋ぐためになんとしても課題をクリアしないといけない。
だが現状でオレはまだ自分の体を巡る気の流れとやらを感じ取ることすら出来ていないし、手の平に垂らした水の雫を気の力で動かすことなど不可能レベルの進捗だ。
マジで初日から何の進歩もない危機感から、オレは超能力者でもある幸姉になら何か感覚を掴むアドバイスを貰えると淡い期待をしていたのだ。
それを知らない幸姉はオレと話せるとあって嬉しそうに了承し、待たせてる身としてはニコニコしていたらダメだろうと気を引き締め直して真面目な顔になると、部屋の扉を開いて堂々たる出で立ちで会合に臨んでいった。
会合は食事も交えて行われる予定になっていたので、蘭盛街の飯店を任されてる料理人が腕を振るって歓迎していたが、昨日のこともあるので劉蘭には事前に料理には一切手をつけないと公言してもらっている。
そうすることでこの場にもしもNの構成員が紛れていたとしても毒殺という手段に及ぶ可能性を下げられる。
あくまで下げられるだけなので、最終的にはオレの死の予感で料理に手をつける人の危険を察知する態勢はしっかりとしつつ、物理的な暗殺の方もメイファンさん達が万全で警戒してくれている。
集まった要人は国も言語もバラつきがあるものの、最初から『英語を最低限で習得している者』という通達もあったことから通訳は基本的に必要ないとのこと。
だからなのか集まったのは必要最低限といった感じで、各企業やらから多くても3人とか少数で護衛側も把握しやすくて助かる。
会合の目的は今度の会議でこれまで進めてきた提携などがどのくらいスムーズに進行するのかなどの説明が主で、こういうのはだいぶ先まで見通しが出来ていないと企業も首を縦には振ってくれないものだからな。
しかしオレはこの計画が通る前提で進む話には少し疑問もあり、もしも会議で否決でもされたらどうなってしまうのか不安になってしまう。
本決まりでもない現状であれこれ言われたところで慎重な企業などならオッケーは出さないし、こうやって会合を開いたところで集まることもなかったはず。なのに何故?
「キョーヤ、何でこの会合が上手くいってるか気になるカ?」
「機嬢か。そりゃそうだろ。会議はまだ先の話だ。今から準備しても頓挫する可能性だってあるんだ。そこに幸姉含めて人が集まる理由がわからん」
「劉蘭には『9億人の味方』が付いてるよ。それは藍幇でも無視できない大きな力ネ」
料理には危険がないとほとんど判断がついたところで、それでも一応は最後まで自分の仕事を全うしつつのオレが難しい顔でもしていたからか、近寄ってきた機嬢がその疑問に答えてくれる。
9億人の味方だって? そう思ったのは一瞬で、それほどの数を聞いたのは直近でも中国の人口くらいなものだったから、それが指す味方は全国にいる9億人の農村戸籍の国民だとわかる。
劉蘭の計画は大雑把に言えば今の中国から戸籍問題を排除してしまおうって話だが、それを望むのは圧倒的に格差をつけられている農村戸籍の人。
計画にはもちろん段階があるので、可決されたからといってすぐに改善されるほど速効性のあるものではないし、藍幇だけでは国全体を改革するまでには至れない。
一定の利益を出しながら藍幇以外の優取得者が同じようなことに手を出さなければとてもじゃないが中国全土を救う手は広がらない。
それでもだ。その1歩を踏み出すかどうかで未来が大きく変わるのは事実で、その期待を一身に背負う劉蘭のプレッシャーは考えるにおぞましい。
オレなら確実に押し潰されて再起不能にさえなってそうなその期待というプレッシャーを、まるで感じていないように気丈に立ち話をする劉蘭を見ていると、本当に同じ世代の人間として尊敬してしまう。
「……強いよな、蘭は」
「たぶん劉蘭は早死にするネ。いずれ胃に穴が開いて心臓が破裂するヨ」
「話を聞いて同じ立場になったらって考えるだけで胃が痛いもんな……」
そうした意味でボソリと呟いたオレに賛同するように機嬢が悪口のようなそうでないような言葉を劉蘭に贈り、その気持ちがわからんでもないので否定はせずにおく。
でも早死にするはやめてあげろ。劉蘭には長生きしてほしい。あの子はまだまだ人類に必要な存在だよ。
一応は劉蘭支持派なので、将来的には同じ立場になろうとしている機嬢には「上を目指すならあのくらい強心臓じゃなきゃな」と他人事ではないぞと言ってやると、あの場に自分が立つ想像でもしたのか、顔からは血の気が引いて真っ青で狙姐達のところへと戻っていった。
あの調子で中将だなんだ言ってられるんだろうか心配しかないぞ。
「えっ? 今そんな修行してるの?」
「素養はあるって言われたから、可能性があるならってやってみてるんだけど、今まで培ったことのない感覚だからコツが掴めなくて」
会合はオレ達の緊張やらを裏切る形で2時間程度を経て無事に終わり、どこも実りあるものとなったようだった。
続々と部屋を出ていく人達を見送りながら、会合の後にでも話そうと約束していた幸姉がさっそく仕事モードを切って話しかけてきたので、余計なことはなしで功夫のことを説明。
オレが発勁に手を出したことにちょっと驚きつつも咎めたりはしない幸姉は、全くの見当違いとも言えない自分を頼ったオレにどうアドバイスすべきかを悩む。
「そうねぇ……私の超能力は魔眼を例外としても基本的には『五行思想』が元になってるのよ」
「あー、なんだっけ。火は水に弱いとか木は火に弱いとかそういうのだっけ」
「そんな曖昧な覚え方してる辺りが京夜よね。ざっくり言えば『循環』。私は自然界で発生している循環する力の一部を切り出して超能力を行使してるのよ。分類で言えば第Ⅱ種超能力。ジャンヌとかヒルダも方法論とか違ったりするけど、基本的にはこの法則から逸脱してないわ」
気という目に見えない力を操るのと、魔力という目に見えない力を操る原理はどうやら本当に似るところがあるらしく、循環という言葉で表現した幸姉に先日のメイファンさんの言っていたこととが重なる。
超能力は専門外すぎて今までちゃんと理解しようとして聞いたことはあまりなかったが、それを怠らなければコツを掴めたかもしれないと思うと自分の怠惰には怒りたくなるね。コラ。
「例えば火を1つ出すにしても、1度は循環の過程をイメージするから、本当は見た目よりもずっと難しいものなのよ。それを洗練させてイメージの短縮を出来て初めて実践で使えるレベルになるの」
「要は反復ってことか」
「反復させるにしても循環する力を感覚的に理解しないとそもそもスタート地点には立てないわよ? 京夜はそのスタート地点に立てなくて困ってるように理解できたんだけど、違う?」
「おっしゃる通りで……それでどうすればいいかわかる?」
それでオレが聞きたいことを噛み砕いてこれと同じことでしょと話してくれる幸姉は、具体的にその感覚はどうすれば培えるのか超能力者目線で話してくれる。
ただしそれは超能力者の感覚であって気を操る発勁とは結びつかないかもと保険はかけられてしまった。そりゃそうだ。
「自然界の循環は大きすぎるから、まずは自分がその流れの中のちっぽけな一部だってことを自覚するところから入るのよ。それで自分の矮小さと、その矮小な存在の集合体が循環であることも理解して、ようやく感覚は掴めた感じ。これだけでも半年くらいかかったけどね」
「半年って……オレあと1日しかないんだけど」
「それは知らないわよ。でもそのメイファンさんって人も始めから無理難題を突きつけるような人じゃないでしょ。だったら何らかの可能性はあって然るべきだと思うわ。それも京夜がすでに培ってる何かで掴める何かがね」
その話の中で半年とかまた目眩がする時間が出てくるから気絶しそうになるが、本当に本来ならそれくらい大事に培う感覚ってことなのだろう。
そうなるとマジであと1日というタイムリミットが無理すぎると落胆。
しかし幸姉は今日初めて見たのだろうメイファンさんに対して謎の信頼を持ってそんなことを言うから、説得力があるようなないようななそれにオレもそうなのかと思う。
そこに見送りを終えた劉蘭達が戻ってきて、メイファンさんが鋭い目付きでオレ達の会話の内容を察したか「それ以上は反則やで」と口止めされてしまった。
師匠からそう言われてしまえばオレも幸姉も逆らうことはできないので、仕方なく会話を終了させて仕事モードを切った幸姉と劉蘭は女子な会話をするのを話し半分で聞きながら内容をまとめる。
超能力界隈での循環はとてつもない大きな流れから力を切り出して使うみたいなことだったが、気の流れはオレの体の中で完結してしまう流れだ。
幸姉はこの流れの中の一部であることの矮小さを自覚して感覚を掴んだんだよな。それはこれとは違う……いや。
「自分の無力さ……か」
気やら魔力やらとは全くの別物ではあるが、矮小さという点で何か引っ掛かったオレは、ここ最近の自分の実力不足を痛感し、それがあって今回の発勁の修行に繋がってることを思い出す。
小さい。そこからイメージを膨らませたオレは、目を閉じて常に気の入れ換えが行われているというオレの体を頭で思い描き、その全身に巡る仮想の気脈を構築。
血管のように体を巡らせた1本の気の通り道を丹田で生成された新しい気の塊。1つの個体としてイメージして、オレという意識がそれと同期している感覚で、それが気脈を通る様を想像。
流れは自然発生するもので、オレはその流れに逆らわずに気脈を通る。
途中には開いている気穴があるので、一部はそこから体外へと放出されるが、オレはひたすらに体内を循環していってまた丹田の辺りへと戻っていく。
たぶん、循環というのはこういう一連の流れの中で発生するものなのだろうと、無意味かもしれなかったそのイメージから離れて目を開けてみると、オレが突然に集中し出したからか興味津々で見ていた幸姉と劉蘭の顔が近くにあってちょっとビックリ。
「な、なんか変だったか?」
「うーん……いやね、ちょっと驚くくらい活力が上がったから何したんだろって」
「私はなんといいますか、無視できない何かを京夜様が放出していたというか……上手く言葉にできません」
単に自分の世界に入ってしまっていただけの自覚しかなかったからか、不思議そうにする2人の言葉にオレもよくわからない。
特別なにかをしたとも思ってないから疑問は大きくなるばかりだったものの、神妙な面持ちで見てきたメイファンさんが、オレに近づきその手を握ってくる。
「自分、今のもう1回やれるか?」
「はっ? やるって、オレは何も……」
「あん? ワイがわからんとでも思とるんか。おどれ今、頭の中で循環のイメージを膨らませたやろ。それもかなりの強度でや。それをもう1回やれ言うとんねん! どないなもんか見たる」
何が何やらな展開に困惑しているオレをほとんど無視して、いま起きたことに理解があるようなメイファンさんがズバリオレがしていたことを言い当てて、もう1度やれと促してきて、それがオレが望む気の流れに関係したことだとわかると、やらないわけにはいかなくなった。