「美帆が手荒いことをして申し訳ありませんでした」
「いや、こうなったのはオレの力不足だから気にするな」
「せやで劉蘭。趙煬やったら食らわずに反撃しとったで」
「趙煬は人間としての強度が違うんです。比べないでください」
「それはそれでその男が傷つくで劉蘭……」
「…………」
Nの企みの1つを阻止するために訪れた中国、上海で再会した劉蘭。
彼女がその企みの鍵を握る『人類史の分岐点』となりうる人物だと言う土御門陽陰の言葉を信じて来てはみたが、藍幇にとって今後を担うであろう重要な会議が近々行われることを知っていたオレを護衛のメイファンに怪しまれてしまった。
その辺で劉蘭の味方であることを主張してはみてもメイファンには言葉以上に拳で納得させる方法が良かったらしくて、そのテストでたったの一撃で戦闘不能に。
だがテスト自体は合格とかいう謎判定によって引き入れられたオレは、まだ痺れを残す体を劉蘭に起こしてもらって壁に寄りかかる。
その際に謝られたりとあったのだが、事実を突きつけられて結構な精神的ダメージを受けて空笑い。劉蘭も悪気があるわけじゃないしな、ハハハ……
「にしても何でワイの外気勁で気絶せんかったんや。ちょい調べるさかい、内気勁使てもエエか、劉蘭」
「ついでに治療もしてくださると助かりますが」
「それはワイの気分次第やな。ちょっと触んでぇ」
味方と認めれば少し砕けた気配になったメイファンは、先ほどの外気勁なる超絶技で気絶しなかったオレの謎を解こうと劉蘭に内気勁の使用許可を得る。オレへの許可は?
どのみちまだ動けないオレにダメ押しするような行為は無意味なので診察と思って受け入れると、オレの前で屈んだメイファンは両手を握って目をつむる。
「…………あー、あれやな。おどれ、無茶苦茶やわ。人間やめとるん?」
「そんなつもりは全くないが、そう思うようなことでも?」
「説明がめんどいなぁ。劉蘭、場所移してエエか? ここやとあれや」
「では上のお部屋に。京夜様、動けますか?」
「あと1分くれ。全力で回復させる」
「それが無茶苦茶やねんけどな……」
メイファンに手を握られてから心なしか体が暖まるような感覚が広がってきたが、すぐに手を放したメイファンはオレの中の『何か』を異変として捉えて、病気か何かだと凄く怖いんだが、そういうものでもなさそう。
内気勁というのがそもそもどんなものかもわからないから、何を調べられたか理解もないし、話はしてくれるらしいのでオレも動けるようになるだろう目安で話をして回復に努めるが、メイファンがそれすら異常だと呟くのが聞こえた。
それからとりあえず歩けるようにはなったので、場所を建物の3階、劉蘭の応接室へと移動し、そこにあったソファーに座って改めて話をする。
「それで、オレの何が無茶苦茶なんだ」
「……話すんはエエけど、日本人は年功序列が根強いんやろ。やったらワイにも敬意は払わんとな」
「あの、京夜様。見た目がとても若く童顔などと言われたりしますが、美帆は27歳。私達よりも少し歳上なのです」
「マジか……てっきり趙煬と同じくらいだと……」
「若く見られるんは悪い気分やないしエエんやけどな」
その前にメイファンが年齢の話を持ち出してオレの言葉遣いを正そうとしてきて、27歳と聞いて素直に驚く。
どう見ても10代後半から20代前半だと思ってたから、10歳近くの歳の差は確かに敬意を払わないとな。
それで改めてメイファン……さんに話を切り出すと、劉蘭にペットボトルに入った水を貰ってそれを左手に持つ。
「ワイの使う内気勁と外気勁。大きな区分で言えばまぁ、俗に言う発勁の類いと思ってくれてエエよ。ほれ、気を飛ばすーとか、丹田に気を集中させるーとか、そういうやつや」
「気を飛ばす……っていうよりは、何か送り込まれた感じがしたんですけど」
「エエ感覚持っとるな。ワイの外気勁は人体を循環しとる気の流れにワイの気で栓をして逆流させて暴発させるんや。逆流やさかい、どこに撃とうと当然ダメージは全身に行き渡るんやけど、おどれはそれが不十分になったんや。やから想定したダメージが出んかった」
「それがオレの無茶苦茶な部分と関係してるんですか」
「そうやな。ここに水があるやろ。水は導体。これがワイの体を流れる気やとする。ここにワイが気を流せば……」
武術などの話を出すとわかりにくいだろうと、オレにも抽象的でも理解できる説明をしてくれるメイファンさんは、先ほどの外気勁がどういう原理かを実践。
左手に持っていたペットボトルを底の方に持ち替えて、何やら力んだ様子を見せると、ペットボトルの底から水が上から下へと移動し、8割を満たすペットボトル内で循環を始めた。中国マジック。
「気は全体に影響するっちゅうわけや。この流れを循環に例えてさらにこうするとや」
と、ペットボトル内で流れを作り出したあとに今度はその流れとは真逆の気を流してせき止めて相殺し、動きをピタリと止めてしまう。
これがさっきオレの体でも起きた現象ということなのだろう。
「一時的にやけど、人体の気の流れは麻痺して止まる。その間は気が行き渡らんで、いわゆる虚脱状態に陥るし、血液の循環と似た機能やから、脳ミソも再稼働させるために1度落ちるんや。そうなるようにワイが撃ち込んだ」
「ですが京夜様はそれを受けても気絶しなかった。つまり気の流れが暴発はしましたが止まらなかったということです」
「オレは特別なことは何も……つまり……どういうことなんです?」
「おどれの気は人体を循環しとらん。いや、正確には完全な循環をしてへん変異種ってとこやな。人間でそないなことになっとるやつ、初めて会うたわ」
その外気勁を食らえば確実に意識を持っていかれるのに、オレがそうならなかったのは気の流れが完全に止まらなかったからと説明され、何故そんなことが起きたかをメイファンさんが分析し説明してくれる。
でも何でオレの気の流れとやらは他人と違うのか。
その謎もメイファンさんにはわかったらしく、ペットボトルをテーブルに置いて、さっきの内気勁とやらの説明を始める。
「ワイの内気勁は外気勁とは逆の性能やねん。外気勁が相手の気に自分の気をぶつけるんに対して、内気勁は相手の気に自分の気を同調させて流すんや」
「本来、内気勁は気の流れをコントロールして、人体治療にも用いられる発勁なのです。適切な処置をすれば自然治癒力を著しく引き上げたりも可能です。それだけ気の流れというのは人体に影響を及ぼすということなのですが……」
「……コントロールするってことは、人体に悪影響を及ぼすこともできる……」
「気っちゅうのは『
「じゃあ溢れないようにする機能もあるんですね」
「汗腺みたいなもんが気脈にも備わっとって、老廃物と同じで古い気は『
なるほどな。劉蘭がテストの前に内気勁を禁じたのは、その気のコントロールでオレにメイファンさんの気を上限以上に流し込まれて、気脈とやらをズタズタに引き裂く事態を避けるためだったわけだ。
そうなったら気脈の循環が正常に行われずに様々なところで不調をもたらすことになったはず。それこそ自然治癒力が落ちて病弱になったりするのかもしれない。
「それで美帆。京夜様はどのように他の方と違うのです?」
「気脈は他の人間と一緒でしっかりとあるんや。やけど、その気脈のところどころに常に開いとる気穴があんねん。要するにこいつは常に気を一定量で放出しとる。やからワイの外気勁の暴発もその気穴から放出されて軽減されたわけや。加えて丹田からの気の捻出も常時行われとるから、気脈の循環が止まることもない」
「それって大丈夫なんですか?」
「常人やったら丹田が働きすぎで機能不全起こすはずやけど、そうなっとらんっちゅうことは、それが起こらんように作り変わったか、元からそういうもんやったかや。外的要因でそうなったんなら、どっかで1度か2度死んどるかやな。その蘇生のために気の循環を通常やとあり得んくらい活性化させたんやろ」
内気勁の効力に理解がなされたため、劉蘭がオレの体の話へと戻してメイファンさんに改めて質問すると、どうやらオレの気穴とやらが緩んでるみたいで、一定周期でしか行われない気の入れ替えが常時行われているみたいだ。
そのおかげで外気勁の逆流も気穴から抜けることで軽減されたと、そういうことらしい。
さらにオレがそんな体質? になった要因を推測したメイファンさんの言葉に心当たりがあったオレは、11歳の時の猿飛の修行のことを思い出す。
確かにオレはかつてその修行中にどのくらいかは定かじゃないが死んでいた時間があった。
その時にオレはオレ自身を生かそうと必死になっていたのだとわかるメイファンさんの推測に少し合点がいった。
「自分、周りに過剰なスキンシップする人とか、触られることを喜ぶ人とかおらん? あとは自分の意思とは別に動物にすり寄られたり」
「えっ? 確かにそういう人はいますし、動物にも好かれる傾向にありますけど、それも気が関係してるんですか?」
「気っちゅうのは満たされとる状態になることの方が珍しいねん。やから満たされようとする本能が生物にはあって、自分がその気を常に放出しとるから、本能に忠実な人間や動物は自然と引き寄せられるっちゅうこと。人間やと異性のフェロモンにやられる感じや。スキンシップしてくるんは、たぶん女ばっかやろ」
それが関係してか、理子や幸姉、愛菜さんや幸帆がやたらとボディータッチが多かったり、撫でられるのを喜んだりにそれなりの理由があることが判明。
動物に好かれやすい体質も、以前にオレの元
こうなるとジャンヌとかもオレと一緒に寝ることに安心感や心地よさを覚えたりしていたのかもしれないな。
「往々にして人っちゅうんは死にかけたり死んだりすると体が変異するんやけど、多くは後遺症っちゅう形で悪影響が出る。麻痺とかそういうやつやな。やから自分みたいにポジティブな変異は相当珍しい……っちゅうよりもまず、死んで蘇生する体験の方が珍しいわけやけど、気穴が常に開いとるんやったら、自分も使えるかもしれんで。外気勁と内気勁」
話としてはずいぶんと長くなったが、だいたいの理解はされただろうとメイファンさんもひと息ついて水を飲み、ちょっとした雑談のつもりで変異の話をしてくれる。
その中でオレの変異が外気勁と内気勁を扱う素養に結びつくものだと語り、本人としては本当に軽い気持ちで言ったのだろうが、自分の力不足を身に染みてきていたオレからすれば、それは悪魔の誘惑にも思える話に聞こえてしまう。
実際、極めればメイファンさんのように相手に触れるだけであれほどの威力の攻撃ができる外気勁に、人体破壊の内気勁も習得できれば、オレに足りなかった攻撃力の面での強化は十分すぎるものになる。
「その話、実際にやるとなったら、実戦で扱えるようになるのにどのくらいかかりますか」
「はっ? やる気になったところでそう簡単な話やない……いや、気穴が開いとるんやったら気のコントロールを習得すれば課程を大幅に短縮は出来るんか……」
「どうなんです?」
「……やってみんことにはわからんな。実際、気穴の開閉が修行の上で才能の有無が顕著になるんやけど、そこを自分は通過しとる状態やから、本来の行程よりは早く実戦仕様には出来るやろうな。本来なら最短でも1年はかかる話やで。ワイクラスなら3年以上や」
「それは美帆だからでは? 他の方では5年から、最悪10年以上はかかると聞いていますよ」
「マジでか……」
そんな甘い話では絶対にないとわかっていながらも、それにすがろうとする気持ちが年単位の話に落胆したのを自覚する。
少林拳や八極拳といった拳法だって、積み重ねた鍛練の果てに趙煬のような撃力と練度を生み出しているわけで、それはどんな事柄にも当てはまる道理だ。
逆に簡単に習得できるようなものなら、それは強さにあまり結びつかない可能性は高い。
「……美帆。たとえ雑談の上とはいえ、京夜様に可能性を与えたのはあなたの責任です。ダメだったでも構いませんので、京夜様に指導することを求めます」
「劉蘭、何でその男の肩を持つんや。武偵っちゅうんはワイらの仕事の邪魔をすることもある職業やろ。将来的に敵になるかもしれんやつに教える親切はやらん。責任を持ち出してもや」
「あら、仮にそうなったとして、美帆は弟子に負ける可能性を考慮しているということですか? 美帆は意外と小心なのですね。趙煬はもっと自信家ですが、まさか神虎ともあろうお方が負けを想定しているなんて驚きです」
「お、おい劉蘭……」
まだオレが外気勁と内気勁を習得したいとハッキリと言ったわけではないのに、オレの中の強さへの渇望とでもいう感情を汲み取った劉蘭が師事することを懇願してくれる。
それには藍幇の戦士として冷酷ながらも冷静な判断で断ってみせたメイファンさんだったが、そうなるだろうこともわかってた劉蘭は『
さすがに17、8の娘に煽られたくらいで27歳の大人が……と思いながら劉蘭の言動に一応は制止を入れてみたら、趙煬に対してライバル意識でもあるのかこめかみに血管を浮き上がらせたメイファンさんは、大人の余裕だけは辛うじて保つように腕を組んで背もたれに身を預ける。
「そこまで言うんやったら教えるのは構へんよ。ただし、3日以内で見込みがなさそうやったらそこで終いや。ワイもそこまでお人好しやないからな」
「京夜様ならきっと大丈夫です。良かったですね、京夜様」
「あ、ああ。ありがとう劉蘭。メイファンさんも無理を言ってすみません」
「修行言うても1から10まで丁寧になんて教えへんで。1教えたら3くらい理解するつもりでおれよ。あと
意外と扱いやすい部類らしいメイファンさんに苦笑しつつ、こうなることがわかってた劉蘭は何の見返りもない仕事に笑顔を見せてくれる。
そうしてまでオレにチャンスをくれた劉蘭に報いるためにも、この3日以内になんとしても可能性を繋げないとな。
最後のカッコつけとかは完全にどうでもいいので、地味だと言う鍛練を早く始めようと時間を無駄にしない計らいをするが、焦ったところで仕方ないとばかりに手で制したメイファンさん。
「言ったやろ。地味やて。それでも始めは集中力がものを言うもんや。功夫に入るなら風呂の時とか寝る前とかの空き時間にしとき。雑音もないところが好ましいな」
「……それはわかりましたけど、まずは何をするんです?」
「自分の気脈を流れる気を感じられるようになることや。これが出来んかったら始まるもんも始まらん。イメージは血液や。全身に循環する活力の源。それが丹田からポンプみたいに送られて行き渡る感じやな。意識できるようになると、ほれ」
功夫は今からやっても効果的ではないと語るメイファンさんは、練習時間をある程度指定してからどうすればいいかを言葉だけで教えて、その成果を自分で判断する基準として水の入ったペットボトルを投げ渡してくる。
となるとこの中の水を気で動かせるようになればいいのか。と思ったが、それは少し先の話のようで深読みしたオレに面白そうに笑ったメイファンさんは答えを述べる。
「その水を手の平に1滴垂らして、雫を少しでも動かせるようになればエエ。気穴が開いとるから意識すれば出来るやろ。いきなりペットボトルの中の水にまで影響を及ぼす発勁なんて無理やで。ハハハッ」
「ぐっ……」
「フフフッ」
具体的に何をどうするなどは一切教えてくれないが、すでに修行は始まったと判断して、笑う劉蘭とメイファンさんを見返してやりたいというちょっとしたプライドも働き、言われたことを参考にして忘れないようにしておく。
そしてオレがここに来た本来の目的は修行ではないので、それはそれとして切り替えて、仲間として引き入れられたからには、これから劉蘭がやろうとしていることにもちゃんと理解がある方がいいと考えて話を聞くことにする。
劉蘭もそのつもりではあったようで、修行の件に一区切りがついたと判断したら、すでに話をする準備をしてくれていて、オレに数枚にまとめた資料を手渡してくれる。
「それは日本人用に翻訳したものなので問題ないと思いますが、口頭で説明いたしますね」
「日本人用……つまり劉蘭の提案ってのは日本も絡んでるのか」
「お察しの通り、日本のみならず中国の近隣諸国も絡めたアジア圏に。ひいては世界規模にまで至るかもしれない、私の人生で最大級の計画になります」
その資料がオレのために用意されたものなわけがないので、いきなりスケールの大きそうなその話に予測を立てると、オレに渡したものとは別の言語の資料をもう5種類ほどもチラ見せ。
その上で劉蘭の計画としては過去最大級と聞き、その計画の成否を担う護衛任務に就いた重圧がのしかかる。これは失敗できない。
「時に京夜様はどちらの空港からこちらに来られましたか?」
「上海浦東空港だ。寄り道はしてない」
「では実感はなかったかと思われます。一見きらびやかに見えるこの街、上海の貧富の差を。上海だけではありません。それこそ中国全土に暗い影を落とす、富を持つ者と持たざる者の差」
資料に速攻で目を通すことも可能だったが、オレを見て話をしてくれる劉蘭を無視はできなかったので、本格的に話が始まったら目を通しながらにしようと聞きに徹すると、どうやら話は中国の貧富の差の問題が深く絡んでいるらしい。
「私も大別してしまえばこの2択で言えば前者ということになってしまいますが、私はどうしても変えたいのです。得た富を私利私欲のために使い私腹を肥やすのを更正し、この華やかさの裏で汚れるしかない者達が胸を張って道を歩き、家族や仲間達と笑い語らい合える世界に」
こういう話になると本当に凛々しさと力強さを持つ劉蘭は、その人を惹き付けるカリスマでオレまで話へと引き込んで力説を始めたのだった。