垂れる黒髪を全て後ろへと流してオールバックにした髪型。
生まれつきなのか自然体でも目付きが鋭く、それでいて近寄りがたいというほどでもない不思議な親近感のような雰囲気に混ざって、やはりわかる人にはわかる鋭利な牙を持つであろう危険性を孕む目の前の男。
身長はオレと同じくらいの175cmほどでロングコートのせいで体重までは不明。中に武器を隠している可能性は大いにある。
アストゥリアス州の守り神と呼ばれるドラゴン、クエレブレの要望で協力者のモニカなる人物に会えたまでは良かったが、会ってすぐに出現した男によってこれが罠であったことを告げられた。
逃走用の車を運転するヴィッキーはすでに運転席でぐったりしていて意識があるかどうかも不明で、モニカを名乗る人ならざる者と男にオレと理子は挟撃に遭ってしまう。
しかもその男とはオレは過去に面識もあり、意味深なことを言ってくれたおかげで男が誰かわかったのはいいが、それはあまりに残酷な仕打ち。望まない再会となってしまった。
霧原勇志。今はそう名乗ってはいるが、元はオレの先祖と同じく真田を守る十勇士の1人だった
オレより2つ歳上の彼は、去年に警視庁公安部の所属となり、そこの第0課──とんでもない超人も数多くいる殺人ライセンス持ちの公務員だ──に配属されていたのだが、首相が変わったことで事業仕分けという名目で0課を解散させられ、それ以降から消息不明となっていたのだ。
その事を留学前に知人の繋がりとして真田の家から幸姉を経由してオレに話だけが来て、彼に関する情報を聞いたら報告するようにと言われていた。
その時に警察学校卒業時の写真を見たので、その特徴が一致する目の前の男はまず間違いなく霧原勇志その人だ。が、何故ここに……
「最後に会ったのはお前がまだ5歳の時だが、武偵になっていたとはな」
「ほとんど成り行きではありましたけどね……」
「そこのリュパン4世と竜悴公姫、ヒルダ・ツェペシュが仲間とは、ずいぶんとバラエティーに富んだ人選だが、もう少しリーダーは優秀にならねば扱いきれないな。宝とまでは言わんが、持ち腐れ。フルパフォーマンスをさせてやるにはお前では足りない、京夜」
オレの疑問など答えるつもりもなさそうな勇志さんは、昔を懐かしむようなことを言いつつも気配に油断は一切なく、構えなど腕さえ下げたままなのにこっちから先に動ける気がしない。
その勇志さんが理子とまだ姿さえ見せてないはずのヒルダについてすでに情報を入手済みで、4世とだけ呼ばれることに少しコンプレックスのある理子がイラッとした雰囲気を背中越しに出すのを堪えさせるが、この感じは違和感がある。
「……『いつから』オレ達を見ていたんです?」
「それには俺が答える権利はないな。どうですか?」
罠に嵌めてきたことからも、明らかに勇志さんはオレ達のことを前から監視して仕掛けるタイミングを計っていた。
それが一体いつからだったのかさえわからない現状、迂闊に会話をするのも危ういと察して情報を引き出しにいくと、意外にも勇志さんはオレの後ろにいるモニカと名乗る女性に確認するように口を開いたので、振り向くことはできないがそのモニカの言葉に耳を傾ける。
「日本語はわからんと言っている。何を聞かれたのだ」
「失礼。これらをいつから監視していたかと尋ねられたのです」
おそらくはスペイン語で話したモニカが日本語がわからない的なことを言ったことに謝罪してから、オレ達にもわかるかとあえて英語で喋った勇志さんに合わせて、モニカも通訳が必要になるならと英語での会話に興じてくる。
「いつからか。それに答えるメリットはこちらにはないが、そちらの口を開かせる意味では多少は有意義か」
「オレ達から何かを聞き出すつもりなのか」
「手段などいくらでもあるが、痛みが伴うのは生物として嫌であろう?」
話しかけた時の優しげな印象とは打って変わって高圧的な女性の口調になったモニカは、オレ達を罠に嵌めた理由の1つとして何か情報を引き出したいらしいことを言う。
その過程でオレ達の処遇が決まるみたいな怖いことを言うものの、それに臆して屈するわけにはいかないだろう。
「仮にあたし達がお前らの求める情報を吐いたとして、その後にあたし達を見逃すって選択はあるのか?」
「……ないな。悪いがたとえ
「ちっ。殺す時点で配慮はないんだよ」
ただし差し出せる情報がこちらにとって不利益にならず、命も助かるのならと理子が素の状態でもしもの話をするが、至って冷静に、冷酷に見逃す道はないと断言されてしまう。
それならばもうオレ達が取れる行動は1つしかない。
「勇志さん、アンタは今、Nにいるって認識でいいんだよな」
「どこまで嗅ぎ付けたかは知らないが、警告は以前にもしたぞ」
「…………やっぱりあの時にもいたのか」
「あそこで素直に死んでいれば今のこの状況はなかったんだが、お前が死を偽装していなければ我々も欲していた情報を得られなかった。そう考えれば、お前が生きていて良かったと捉えることはできるな」
「もう情報を得たつもりでいるんですね」
「我々と対峙した時点で、お前達はすでに敗北している。それが現実なんだ、京夜」
勇志さんとモニカの撃破。は、現実的に無理がありそうなのは対峙してわかってしまっているから、この場でのオレ達の勝利は全員で勇志さんとモニカの包囲から脱して振り切ること。
そして勇志さんが残念なことにNの一員である確認が取れたところで、話すことはこれ以上ないと告げる言葉で勇志さんとモニカから攻めてくる気配が漏れ出す。
霧隠才蔵の子孫とはいえ、オレは勇志さんがどんな戦い方をするのかを全く知らないし、その勇志さんの上役っぽいモニカはさらに強いと考えるべきだろう。
だが幸いこちらは辛うじて数的優位はあるので、1人でも包囲を抜けて動けないヴィッキーの乗る車を動かせれば……
まだ陽があるためにヒルダの調子が上がらないことは、向こうが竜悴公姫と知ってる時点でバレてるだろうから、オレが勇志さんを、理子がモニカを相手するのがいいかと理子の背中に指で触れて
「指信号とかやってる場合じゃないぞ、京夜」
「何だって?」
だが返事を指信号ではなく口頭で伝えてきた理子の緊迫具合が半端ではなくて、また理子と立ち位置を入れ替わりモニカに振り返る。
180度変わった景色では驚くべきことに、後方の海から2つの水の竜巻がモニカの頭上にまで伸びてきていて、それは先日のテムズ川での襲撃に出現したものと酷似していた。
「水……アンタがそうか」
「紫電の魔女を動かすのも良かろうが、感電しても責任は持てんな」
「来るぞ京夜!」
「クソッ!」
状況からしてこのモニカが件の襲撃者で間違いなさそうだが、今はそれをどうこう考えている場合ではないので、理子の掛け声と同時に左右別方向に動いたオレと理子は、狙いを分散させつつ2人の挟撃に対して視野を広げる行動に出る。
横に動けば多少ではあるが勇志さんとモニカの2人を同時に視界に捉えることは不可能ではなく、理子はヒルダと視覚を共有して上手く立ち回れそうな雰囲気。
気になるのは再び捉えた視界で勇志さんが全く動いていないことだが、不動の勇志さんに対してモニカの方は容赦なく、頭上に浮く渦巻きから先の水のつぶてをオレ達へと散弾のように放ってきた。
何か情報を引き出すつもりでいるからか、水のつぶての威力は以前の半分ほどで当たりどころが悪くなければ死にはしないだろう。
さらに幸いなのは前回はモニカ。術者の姿を捉えることができずに防戦一方だったのが、今回は見えている。これは大きいぞ。
「勇志、遊びはいらんぞ」
「俺が遊んだことなんてないでしょう。むしろあなたが遊ぶ傾向にある」
状況は悪いが思考は冷静な確認が取れたことで対処までを算段し始めたのをまるで見抜いたかのように口を開いたモニカと勇志さんに思考が乱されて2人の行動に集中せざるを得なくなる。
それでモニカに暗にサボるなと言われたに等しい勇志さんは、やれやれといった様子で短い息を吐くと、くるっと回れ右して後退し後ろに控えていた車に乗るヴィッキーに近寄っていく。
──ビリッ。
と、それを見た瞬間にオレの全身の細胞が反応し、ヴィッキーの身の危険をかなり早くに察知。
これはオレの死の回避のバリエーションである『
そうと考えるよりも先に体が動き出していたオレがモニカの攻撃を掻い潜って勇志さんを止めに迫るが、勇志さんが懐から拳銃を抜いてヴィッキーの頭に銃口を向けるまでに間に合いそうにない。
勇志さんも考えて位置取りし、理子からは撃っても当てるのが難しいか、頭しか狙えないか、車のエンジンに当たるかしかなく、オレ達が武偵法9条──活動上での殺人を禁じられている──に縛られていることも折り込み済み。
それでなくても勇志さんは元0課の武闘派。迂闊に間合いに入れば訳もわからず無力化される可能性も高い。
となれば間合いの外からの攻撃で勇志さんを一時的にでも退かせる必要があるが、クナイや手裏剣は狙いこそ正確だが速度が圧倒的に足りないから軽く避けられるか防御されて終わりだ。
まさかこんな早くにこれを使うことになるとは思わなかったが、時間があれば使っていたこともあって体は自然とそれに手を伸ばしてくれて、ロスなく懐のブローニング・ハイパワーが勇志さんに向けられた。
撃つために一瞬でも止まる必要があったので、モニカの水のつぶての間隙で1発撃つのが精一杯。
戦闘の保険レベルのオレの射撃では勇志さんの銃を持つ手は狙えないので、大腿部に当てて機動力を削ぎ昏倒を狙う。
──ガゥン!
おそらく実践で人に向けて当てるつもりで撃ったのは初めてのその1発は、狙い通りに勇志さんの下半身には当たる軌道で放たれた。
だが撃つ寸前にオレの方をチラッと見た勇志さんが銃を持つ左手とは反対の右手をオレの銃弾の軌道上に乗せて、命中したタイミングでぐるんっ! 360度しゃがみながらのターンを決めて元の位置に戻る。
そして驚くべきことにオレの撃った銃弾は発射時のスピン運動をしたまま、勇志さんが右手にはめていた黒い指輪の上で威力だけを殺されてコマのように回っていたのだ。
「『マキリ』さんみたいにはやはり出来ないか」
恐るべき絶技。理屈では今のを理解はできるが、やろうと思って出来るものでは毛頭ないことは明らか。
銃弾の速度と全く同じ速度で指輪に当たった瞬間に手を引き、その勢いを殺すために体も回転させて推進力をゼロにした。テニスなどで迫ったボールに添えるようにラケットを引き勢いを殺すあれと原理は同じだ。
それをマッハで迫る銃弾で平然とやってのけた勇志さんに呆気に取られてモニカの水のつぶてを危うく受けそうになったが、呟いたマキリという人物が今の技のオリジナルってことなのか?
だが今の銃撃の防御で勇志さんが体を回転するアクションをしてくれたことで、理子がヒルダに指示をしてくれたか、太陽に小さな雲が重なって薄い影が広がったところで理子の影から離れ高速で車の下まで移動。視覚的には勇志さんには見えていなかっただろうが……
「だから遊ぶなと言っている」
「正当防衛ですよ」
バッチリと目撃していたモニカの声で気づいたか、サッとその身を車から離してヴィッキーの頭を撃ちにいくが、それを阻止しつつ攻撃するように車の影からヒルダの武器である三叉槍が飛び出してくる。
惜しくも外れはしたが、当たったら当たったで死んでたかもしれないので肝を冷やしつつブローニング・ハイパワーを懐に仕舞って、車の影から三叉槍を持って出てきたヒルダが勇志さんを牽制しながら車を移動させようとしてくれて助かる。
そしてここまででわかったのは、モニカにもまた突くべき弱点があることだ。
水のつぶては容赦なく襲ってくるが、狙いをつけて撃ち出されるのはオレと理子にのみ。戦闘開始から動けないヴィッキーを狙われたら確実に窮地に陥っていたのはこちらだったが、そうはならなかった。
単に射程の問題かもしれないが、ヴィッキーを狙えない、狙わない理由があるのはこっちにとって喜ぶべき事実なので、雲の影があるうちにヒルダに車を移動させてもらおうと牽制で動けないヒルダを助けるために再度オレが勇志さんに接近。
それも察した勇志さんがオレにも意識を向けた瞬間にヒルダが影の中から理子の所持品で危険物指定されてるウィンチェスターM1887のソードオフを取り出して三叉槍と持ち換える。
ウィンチェスターは対人仕様では殺傷力の高い散弾銃。しかも近距離で弾を拡散させるためのソードオフまで施してるので、勇志さんとの距離だと確実に逃げ道がない。
「ちょちょちょい!」
当然、接近しようとしていたオレまで射程に入ってしまうので慌ててブレーキをかけてモニカの水のつぶてを回避するが、その間に勇志さんもウィンチェスターを見てオレが撃ったさっきの銃弾を鋭いスナップで投げてウィンチェスターの銃口に突っ込む。
あまりの早業でヒルダが対処までに思考が遅れてしまい、その隙を突いて一気に距離を詰めにいった。
接近戦に弱いヒルダでは危ういと考えるより前にミズチのアンカーを射出して、遠心力も加えた技で勇志さんの体に巻き付けようとしたが、しっかり見てきた勇志さんはその軌道より姿勢を低くしながら走るのをやめずに潜り抜けてしまう。
だがアンカーが勇志さんを捉えられずにヒルダの持つウィンチェスターにアンカーがくっつくようにと保険をかけていたのが幸いし、防刃グローブを絶縁性のものにも変えていたのでミズチと繋がるワイヤーをグローブで掴んで電撃を遮断。
ワイヤーに触れたヒルダはそれを迫る勇士さんの体に触れるように動かしてから、自前の電力をワイヤーに流して感電させにいった。
殺傷力はそれほどないので、筋肉を硬直させることができれば御の字。
バヂンッ! と勇志さんの肩に触れていたワイヤーから火花が弾けて、電撃を受けただろう勇志さんも倒れる。
「ヒルダ! 行け!」
「私に命令しないでちょうだい!」
すぐに起き上がってこなかったのを確認して叫びヒルダの離脱を促すと、悪態をつくヒルダも何をすべきかはちゃんとわかっていて、動けないヴィッキーを助手席に乱暴に押しやって乗り込む。
勇志さんはまだ起き上がらないが、何か違和感はあって不用意には近づけないと判断して、車をUターンさせたヒルダが離脱の前に「理子が死んだらお前を消し炭にするわよ、サルトビ」と死んだあとに灰も残してもらえない宣言に苦笑。
モニカも逃げる車を攻撃することはなく、予想より簡単に2人を逃がせたのが怖いが、これはチャンスかもしれないと理子とアイコンタクト。
もしも本当に勇志さんが動けないなら、勇志さんを人質にしてモニカから距離を取り、それで離脱ができるかもしれない。
ただオレの勘はそれをよしとせず、理子も博打になるかもといった表情でオレを見てくる。
博打は勇志さんのことだけではなく、なんとなくこのモニカと勇志さんの間には仲間意識が薄い気もするため、人質として機能するのか、それも怪しいということ。
「策があるなら使わんと、死ぬぞ?」
その辺での迷いがモニカにも見て取れたか、水のつぶてを放ちながら殺気を込めた目でオレと理子を睨み付け、それに気を取られた瞬間にオレと理子は意図せずに急に転倒。
あまりにいきなりのことと、あり得ない現象だったから思考も停止しかけたが、オレと理子はスリップしたのだ。『氷の上』で。
何故この春も終わるというこの時期にと思うしかないことのようだが、もちろんこれはモニカが起こした現象に他ならなく、散々撃ち続けて水浸しになっていた足場の水を一瞬で氷結させてアイスバーンにしたんだ。
しかもこのアイスバーンがなかなかハードで、並みの雪国をしのぐレベル。立ち上がるのも生まれたての子鹿みたいになっちまうぞ……
そんなガクガクのオレと理子に容赦ないモニカが水のつぶてを絶妙のコントロールでぶつけて滑らせて、オレと理子は防御に手一杯で思惑通りに動かされていく。
「チェックメイトだ」
そして1ヶ所に集まるように滑らされたオレと理子が辿り着いたのは、いつの間にか起き上がっていた勇志さんのそばで、その勇志さんのいる地点を区切りに氷は終わっていて、ホイホイされてきたところをガッ! 後ろ首を同時に掴まれてしまう。
当然、チェックメイトだのと言われて黙っているわけがないので水のつぶてを受けながらも拘束を抜けようとした。
──動かない。
恐怖で体が動かなくなったとか、そんな話じゃない。マジでピクリとも動かない。
「な……んだこれ……」
「んー!」
理子も同様に体を動かせなくなったのか、必死の抵抗を声にしていたが、声は出せる。呼吸もでき、思考も首も回る。だが首から下が全く動かない。
「さて、大人しくなったところで話を聞こう」
何をされたのか理解すらできない状況で混乱気味のオレと理子に対して、首から手を放した勇志さんがオレ達を生かしておいた理由である情報を聞き出すために、等身大の人形のようになってしまったオレと理子の正面に回ってくる。
「ああ、その前にあっちは片付けておくか」
「竜悴公姫は簡単には死なん。手ぬるいぞ、勇志」
さらに絶望を与えるように口を開いた勇志さんは、まるで忘れ物をしていたかのような調子でそう言うと、次にはオレ達の後ろから何かが爆発する音が微震動と共に伝わってきた。
それが示すのは間違いなく、逃げたヒルダとヴィッキーの車が爆破されたのだ。
それを実行しただろう勇志さんの表情に変化がなく、何も感じていないかのようなそれに戦慄していると、攻撃をやめたモニカが近づいてきて勇志さんに文句を言う。
確かにヒルダはあのくらいで死にはしないが、ヴィッキーは別だ。くそっ、完全敗北だぞこれは……
「竜悴公姫なら様子から見てこの女が餌になるでしょう。拷問だって加減がいらない分、人間より気遣いが必要ない」
「貴様のその考え方は我らも含むようで気に食わんな。まぁ今はいい」
「……痛覚は問題なく通っている。五体満足で死にたいなら、素直に話せ」
どうやっても逆転の手が打てないと確信してしまったところにまた残酷なことを言う勇志さんが、本当にオレの知る人なのかと疑いすらする。
これが公安を目指して努力していた霧原勇志だと言うなら、オレは認めない。
だがオレの否定など無意味と言うように拷問も辞さないと宣言した勇志さんは、拳銃を手にして聞き出すべき情報についてを口にした。
「バンシーはどこにいる」