「そうですか。やはり人魚と伝えられている生物は実在していましたか」
「本人達が言うには人魚じゃないってことなんだがな」
5月19日、水曜日。
セイレーネスとの対話を完遂し、無事にロンドンへと戻ってきたオレは、とりあえずの成果の報告のために朝早くからメヌエットの家を訪れて、まだ少し眠そうで完全に支度も出来ていなかったメヌエットの髪を梳かしながら会話。
その間に朝食を摂りつつのメヌエットは寝起きとあって普段の毒も吐かずに淡々と話をしてくれて助かる。普段からこうなら良いのに。
「そのセイレーネスという者達に接触したきたという『N』なる組織。その名は私も噂には聞いたことがあります」
「イ・ウーみたいな感じか?」
「広義ではそうなるでしょうが、組織として見た場合はより過激な方向性と言えるでしょうね」
そのセイレーネスから引き出せた接触者達の組織、Nは、名を聞いた羽鳥も何やら知ってそうな気配は出していたし、すでにどこかで世界に影響の及ぶ活動はしていると見ていた。
羽鳥は羽鳥で無事に帰還した後はリバティー・メイソンに何かの文書を送りつけて別の仕事に行ってしまい、Nについてはメヌエットが知ってるだろうと割と丸投げして消えていった。
ひねくれ者のメヌエットから何か1つ引き出すだけでどれほどの苦労があるかもわかっててやってる意地悪だが、生憎とこっちには黄金消失事件に関しての共同戦線があるから問題ないのだ。ざまぁみろ。
という顔を空港を発つ直前の羽鳥の背中にしてやったのも昨日のことで、朝食と呼べるのか不明な苺オンリーな朝食を食べ終えたメヌエットは、同時に髪を梳かし終えたオレにお礼を言ってから、自室を出て仕事部屋の方に移動。
「Nは自分達の力で世界を思うように操り、規模や影響はまだ小さく少ないながらも各地で起きる暴動や紛争に介入しているようです。或いはそれらの事象を引き起こす火種を蒔いている。少なくとも私の推理では、その動きは洗練され無駄がない」
「……組織にシャーロックみたいなズバ抜けた
「それ以上の、と考えておく方が精神衛生上は開き直れるかと」
頭も働いてきたメヌエットは、現状で知っているNの情報をオレに教えてくれるが、話を聞くだけでも嫌になりそうだ。
あの予言に近い推理『
「ともあれ黄金の消失にNが関わっている可能性が高くなった以上は、選択肢は1つしかありません。より多くの情報を手に入れるために、京夜にはすぐ発ってもらいますよ」
「次はどこだっけ? スペイン? 東へ南へ忙しいですなぁ……」
「不満があるのですか? それとも京夜は私といられる時間が短くて不貞腐れているのかしら?」
「それはメヌの方ではありませんか……ね……」
たとえ尻尾を出したとしても、その尻尾を掴むことすら難しいかもしれないなら、現状ではNについての情報を収集するしかない。
それでNの構成員。出来れば幹部クラスを捕らえられれば、黄金の行方もわかるかもしれない。
そのために次なる目的地をメヌエットに示されるが、5月に入ってからのオレの移動距離が半端なくてため息が出そうになる。
移動費だけでもかなり痛いから、その辺でメヌエットに泣きつこうかなとか思ってたら、オレの表情を察したメヌエットがすかさずからかいにきたから困りもの。
この際だから泣きつく口実にでもしようかと話題を広げにいったのだが、そこにオレの携帯が通話の着信を知らせてきてしまい、メヌエットとの会話中にこれは非常に機嫌を損ねる原因だ。
見ればメヌエットも携帯を取り出したオレにジト目を向けて「どうぞお出になったら?」とすでに機嫌が良くない方向に行き始めてる。胃が痛い……
仕方ないから着信が誰かを確認するが、この胃痛の原因は誰であろうと許すまじ!
そんな気持ちで表示を見てみると、登録されてる人物だったのでバッチリ名前が。表示は……理子だよもう……
「……はい」
『出るのおっそーい! 国際線なんだから早く出ないと通話料お高くなるしぃ!』
「それはかけてきた人の都合だ……な!?」
面倒な時に面倒なやつからの電話でもう気が狂いそうになりながら通話に応じてみれば、なんだかんだで電話とはいえ元気そうな理子の声を聞いて少し嬉しくなってしまったオレがそれをわずかに表情に出すと、メヌエットがギラリと目を光らせて睨みを効かせてくる。こ、怖ぇ……
『およ? 変な声出してどしたの? あっ! 久々に理子りんの可愛い声が聞けて声が弾んじゃったとか? キャハッ!』
「……それでいいけど、用はなんだよ。今は取り込み中だから長々と付き合ってやれん」
『…………女だな、京夜』
キモッ! 勘とかそんな次元じゃねぇよこれ!
目の前でも携帯越しでも女が眼光鋭くて蛇に睨まれた蛙な状態のオレが、どっちの機嫌を取るべきか一瞬で考え、すぐにどっちもやらなきゃダメなことに気づく。
まだ間に合う。女とはいえメヌエットは別にビジネスパートナーとして話をしてるのであって、プライベートで仲良く話をしていたわけじゃない。今日はな!
そしてあと10秒でも長引かせればメヌエットが携帯を取り上げて理子と言葉の戦争を起こしかねない! 急げオレ!
「女は女だが、仕事の話の最中なんだ。それをどうこう言う資格はお前にないだろ」
「あら、仕事のお話ならすでにほぼ終了しているでしょう、京夜」
『へぇ。名前で呼ばれちゃうくらい仲良いんだぁ。可愛い声だったしぃ。へぇへぇ』
「うん。もう切る。面倒臭い」
まずは理子を鎮静化させようと仕事を理由に切り抜けようとしたのだが、そのビジネスライクな物言いに友人としてのメヌエットが大変にご機嫌を損ねたのか、わざわざ理子に聞こえる声で割り込んでくる。
それで理子もまたズンと重い何かを言葉に込めてトーンが下がり、オレのどうにかしようという気持ちさえも汲んでくれない2人に思考停止。
完全にどうでもよくなって死んだ目で通話を切ろうとした。
ただこういうオレが諦める態度をすると不思議と効果があることが多く、切られて困る理子の方が「にゃあ! お待ちになって!」とふざけてるのか真面目なのかわからない慌て方で引き止めにきて、切ると思っていたメヌエットはその叫びが聞こえたか切るのを留まったオレに再びジト目。
「慌てるくらいなら最初から面倒臭い絡みするなよ。んで、用件は何だ?」
『久々にキョーやんの声聞いたからテンション上がっちゃったの。それくらい許してよぉ。そんで用件なんだけど、理子とアリアね、去年の
「行けばいいだろ。オレの所在が関係あるのか?」
『あるよぉ! 理子はキョーやんに会いに行くための修学旅行Ⅲだと思ってるんだもん!』
それは修学旅行Ⅲの取り組みとしての捉え方を間違ってるな。目的が公私混同すぎる。
確かに5月の始め頃に修学旅行Ⅲについてのメールは届いていて、ロンドンに来るみたいなことは報告していたが、それにオレの都合を含めるのはいかがなものか。
まぁイ・ウー時代に海外での活動もそれなりにしていたっぽい理子が今さらヨーロッパで必死こいて何かする必要はないんだろうな。隠れ家もいくつかの国に所有してるとか言ってたし。
そういうところで無駄に優秀な理子だからオレも強くは言わないものの、ここでふと思いつく。
「なぁ理子。スペインって土地勘ある?」
『ほえ? んー、マドリードくらいなら行ったことあるけど、地図なしにウロウロ出来るほどじゃないよ。それがどうしたの? まさかこれからスペイン入りっすか』
「そのまさかだ。観光気分のところ悪いが、オレに会いに来るなら必然として仕事を手伝うことになるから、そのつもりでストーカーしろよ」
『ストーカーとかどいひー。でもまぁ、キョーやんなしで修学旅行Ⅲは楽しめそうにないし、時間余ったらデートしてよね』
「それが報酬代わりだって言うなら取引成立だな」
どうせ何を言ったってオレのいるところに来るのはやめないだろうし、スペインに行くことを黙ってすれ違いをしたら呪いの電話が止まなそうなことは把握。
それならもういっそのこと、スペインでの調査を手伝わせてしまおうと思いつき進めてみれば、普通にまとまってしまい拍子抜け。
詳しい行き先などは後でメールしてと言って通話を切っていった理子は機嫌も良さそうだったからあっちは問題なく解決したと見て良いが、もう1つの問題はそうもいかなそう。
「理子というのは、以前に見せていただいた東京武偵高のセーラー服の参考画像に写っていた童顔の金髪女ですね。京夜に好意を寄せていることはわかっていましたが、なかなかオープンな方のようで」
「自分に正直なやつだからな」
「デートもするようですし、早くスペインに発ってはいかがですか? 私との会話など仕事の関係でしかないから、つまらないのでしょうし」
「あからさまに不貞腐れてるな。言葉は悪かったかもだが、オレはメヌとの会話をつまらないなんて思ったことないぞ。っていうかつまらないとか思う暇がないくらい毒吐くし」
「それは京夜が私の機嫌を損ねることばかりするからではありませんか?」
「女の子って何が地雷スイッチかわかりにくいんだよ。そういうスイッチを見えるようにする超能力ってないものかね。見えれば絶対踏まない自信がある」
「見えていて踏むような方はただのおバカさんではないかと」
別にオレと理子の関係に嫉妬してるというわけではないのだろうが、自分以外の人と流れるように会話する姿が友人1号として気に食わなかったらしい。
オレの交友関係に偏見もあるメヌエットは普段からオレが人と話すことすら珍しいみたいな人間だと思っているっぽい。
そんな極端な性格してるわけがないのだが、そういうイメージがあるからメヌエット的には面白くないらしいので、メヌエットとの会話は少し特別だとやんわりと言いつつ、微妙に話題をスライドさせて下らない話にすり替える。
そしてそういう機転の利いた話が不思議とメヌエットにハマることがあり、今回も鋭い指摘をしてから小さな笑みを浮かべて「何故このような当たり前のことを言わせるんですか」とノリツッコミしていた。
「帰ったら一緒に食事でもしに行こう。外食が嫌ならサシェとエンドラとで何か作るよ」
「その時にはお姉様もこちらに顔を出すでしょうから、あまり期待はせずに待っておきましょう」
そうなってしまえばメヌエットも改めて不機嫌になるような労力は働かせないので、簡単な約束を取り付けて話を終わらせてしまう。
スペインに行くにしてもまだやることがあるので明日にでも発てるように今日は学校は休むかと思っていたら、最後の最後でメヌエットから約束のディナーには理子は呼ばないようにと釘を刺されてしまった。
問題ない。元より会わせるつもりがなかった。アリアとでさえまだ化学反応を起こすのに、ホームズ4世が2人もいたらリュパン4世は発狂しかねないからな。
メヌエット宅を出てからまっすぐに帰宅して、出発に備えようと色々やることを考えていたら、オレが帰ってきたことを音で判断したバンシーが見えないところでドタバタするから何事かと覗いてみる。
食費が全くかからないから、デンマークに1週間近くいようが餓死とかの心配がなくて居候としては心配事も少なく楽な部類のバンシーではある。
しかし留守の間に暇潰しにひたすらテレビを観ていたようで、帰ってきた時にシルキーが見張ってなかったのを良いことに、テレビを点けっぱなしで寝ていた時には拳骨をくれてやったものだ。
それがつい昨日のことだから、今度は何をやっているのかと少し怖くもあったが、実際に見てみるとまぁそこまで酷いものではなく、拳銃の弾を使って縦に積むという珍妙なことをしていたみたいだ。
オレの帰宅で集中が乱れたせいで崩れたっぽいが、元から1つも積めてなかっただろうと鼻で笑ってやると、至って真面目に取り組んでいたらしいバンシーはそんなオレを鼻で笑う。
「ふんっ。ガキはこれだから困るな。いいか、全ての物質には必ず『芯』が存在する。その芯を捉えることが出来れば、一見すると無理なものでも絶妙なバランスを保って直立するんだよ」
「ほほう。ならばその手並みを拝見させてもらおうか」
オレがデンマークに行ってる間にシルキーが用意した材料からバンシーの衣服を見事に仕立て上げ、今やシルキーお手製のノースリーブの黒のワンピースに薄茶色のショートパンツを着たバンシーは、綺麗な白い髪も映えてそれはそれは大層な美少女になっていた。
だからといって5000歳のババアなのは変わらないので少女という表現もいかがなものかと思いながら、オレに謎の力説をしてくるからそれが事実かどうかを確かめてやる。
挑発されれば集中力も削がれるから出来たとしても失敗するだろうと高をくくっていたのだが、そんなオレの挑発をものともせずにわずかな振動も起こすなと注意してから、銃弾を縦に置いたその上にさらに銃弾を慎重に置き、芯とやらを探るために微調整を始める。
するとわずか10秒足らずでその芯とやらを見つけたか、ソフトタッチでその位置に銃弾を留めて摘まんだ指を放すと、マジで立ったんだが……
こういうのは質量も重要なはずだが、物理法則を無視するような出で立ちには気持ち悪ささえある。普通は芸術の域なんだろうけど。
「この大きさと重さでは3つ目は積めないが、芯を捉える感覚さえ掴めば物は問わずにできるぞ。どうだ、ガキに出来るか?」
「素直に凄いとは思うんだが、出来るようになりたいとはあまり思わん。それはすまん」
「このぉ……俺が長年で培ったものに対して距離を取るな。一緒に住んでるんだから少しは興味を持てよ」
その気持ち悪い銃弾プチタワーを崩してドヤるバンシーの気持ちはわからんでもなかったが、それが出来たからといって何かの役に立つかと言えば別にとしか思えない。
そういう実用性とかを意識してしまうのは武偵の性分になってしまうので悪気はなかったものの、そんなオレに不満ありまくりのバンシーが面倒な絡み方をしてきたから、理子へのメールを作成しつつ仕方なくご教授をいただくことにする。
しかしやってみるとやはり簡単ではなく、バンシーの言う芯を捉える感覚とやらが漠然としすぎていて掴めない。
仮に1度でも成功すればその感覚を頼りにも出来るが、その成功すら見えないと心が折れる。
「集中力とかなんとか言いたくないが、出来たところでって気持ちがある分、真剣に取り組めん。なんかもっと『身に付けたい!』って思える技術とかないか?」
「これを下らんことみたいに言うな。言っておくがこの芯というのはお前たち人間にも存在してるだろうが。戦いで言うところの重心ってやつだ」
「それはあるけど、そんなの戦闘中は常に位置が変わる。それをどうこうしようってなると人体構造とかそういう知識も必要になる」
「まぁそうだわな。だが芯ってのは何も重心だけを指すものじゃねぇさ。人間の伝達神経にも芯は存在するだろ」
「……脊髄か。だがそれとこれとは関係なくないか?」
「そう思うのも仕方ないが、仮にその芯を捉える感覚ってやつが異常に鋭敏なやつがいて、外部から干渉できる術を持ったとしたら、なかなか面白い人間が出来上がるわけだ」
「仮の話に全くもって意味がないんだが……」
きっとバンシーも実体化したらしたで話し相手は欲しいんだろうなぁと、留守中はシルキーと話していただろうから寂しさを感じたりはなかったはずだが、やっぱり住まわせてる以上は可能な限り構ってやるのも家主の責任ってやつだろう。
そんなモチベーションだから集中力が皆無だったので、バンシーもやる気ないなら教えるのもバカらしいと早々に諦めて芯の話を広げてくる。
その話を聞いて実在するかもわからないそんな人間の話に意味はないだろと構うのもやめようとしたが、神経系の話でまず
確かあれは……親同士の会話を漏れ聞いた時に言ってたか。『伝達神経をなんたら』とか。
5歳くらい時の記憶だから理解も何もなくてほとんど覚えていないが、誰かの何かについての話だったことはなんとなく覚えている。
「どうした? 仮の話に意味がないと言っておいて、ずいぶんと神妙な顔をするじゃないか」
「……いや、ちょっと引っかかることがあっただけだ。仮の話に意味がないのは変わらない。それより昨日も話したが、明日からまた少し留守にするから、シルキーがいるとはいえ贅沢はするなよ。特にテレビは点けっぱなしで寝るな」
「俺をガキ扱いとは失礼なやつだ。人間の生活とやらを俺なりに満喫してるんだから文句を言う……にゃぎゅぅう!?」
それで言葉を微妙に切って思考に入ってしまったからか、表情を読んだバンシーが詰め寄って顔を覗き込んでくるが、言葉を訂正するつもりはない。
話もなんか途切れそうになったのでそのまま強引に終わらせて、明日からのスペイン行きに関する注意事項を5000歳のババアにしてやると、満喫とかいう都合の良い言葉を出しやがったので、そんな言葉が出てくる口を両頬を押さえてアヒル口にして塞ぐ。
テレビを点けっぱなしで寝るようなのは中年のおっさん──完全なる偏見だがな──だコラ。ババアは夜の9時には寝てる──これも偏見だ──んだよ。
といった意味の無言のアヒル口変則アイアンクローを食らったバンシーは、それがわかったかどうか不明ながらもがいて脱出すると、そのまま怒りに任せてオレにタックルしてきたから、幼女のアタックなど取るに足らない威力ゆえに頭を押さえることで難なく阻止。
その程度かと鼻で笑ってやったら、無駄に学習能力はある5000歳のババアは、鍛えようのない皮膚にダメージを与えるために頭を押さえるオレの腕をつねってきやがり、怯んだところで顎への頭突きをお見舞いして昏倒させてきた。
そこからの泥仕合は語るのも恥ずかしいが、オレもオレで見た目は幼女なバンシー相手に本気でやるわけにもいかず、ほどよいダメージでノックアウトしようとするのだが、謎の粘りで奮闘するバンシーに苦戦。
15分にも及ぶ泥仕合は最終的に他の部屋の掃除の合間の休憩に来たシルキーの目に止まることで終息し、いらんことに体力を使ったことを反省しながらシルキーのお叱りを受けるのだった。どうしてこうなる。