シルキーの一件が片付いて、無事に今日を終えられると思った矢先、引っ越しを終えたシルキーが何やら不穏な気配を察知して立て掛けてあった大太刀の単分子振動刀を何もない空間に振るってみせると、それを受けたボロ布1枚だけの白髪の幼女が突如として現れてオレとシルキーの前の床に転がる。
もう超能力的な現象は見慣れてきたからリアクションのバリエーションも出尽くしてきたと思ったが、眠気もあったからかその光景には目の覚めるような衝撃を受ける。
そして突如として現れた幼女は単分子振動刀で打たれた頭を擦りながらガバリと起き上がって、その目に涙を浮かべながらこっちを睨んでくる。
「ぐっ……誰だお前!」
「わたくしはシルキー。本日よりこの住まいにて皆様のお世話をさせていただく者です」
「シルキーだってぇ? まったく何でそんな面倒臭いのがここに来てんだよ。そこのガキが連れてきたんだな?」
「ガキって……あー、そういう系か……」
かなり生意気な性格なのは言動から丸わかりだが、殴ったのがシルキーとわかると怒り自体は少し収まり、代わりに連れてきたオレに矛先が向けられ睨まれてしまう。
そしてオレを見てガキ扱いするということは、この幼女は見た目など当てにならないシルキーと似た感じの存在で、シルキーさえ少し見下してるところを見るに、相当な年月を生きてる。
オレの知る中では各色金が最年長の生命体──2000年を越えている──で、次はおそらく斉天大聖、孫悟空の猴──1400年ほどだったはず──で、その次が
さすがに玉藻様クラスの化生って可能性は考えたくないが、選択をミスるわけにはいかないので、慎重に事を進める。
「確かにオレがシルキーをここに連れてきたが、オレも突然シルキーがこうしたから状況が飲み込めない。まずは自己紹介してもらえないか」
「ふん。人間が俺の姿を見られるなんて光栄なことなのだからな。得と見て驚け。俺はバンシー。あらゆる命を見届け、その寿命を報せる者だ」
まずは偉そうなこの幼女が何者なのかを特定するために頭を低くして問いをぶつけると、オレの態度に気を悪くはしなかった幼女はボロ布1枚でガッツリ床にあぐらで座り、腕まで組んで偉そうに名乗る。
「バンシー様!? これは失礼を働き申し訳ありませんでした! この無礼はこの命を以て償わせて……」
「ああ、良いから良いから。過ぎたことを気にするほど俺は懐が小さくはないからな。その礼儀だけで許してやる」
「…………シルキー。ちょっと来て」
その名前を聞いた途端、あのシルキーが豹変したように血相変えて土下座まで始めて謝罪し、やっとわかったかみたいな態度のバンシーと名乗った幼女もシルキーの様子にご満悦。
しかしながらその辺に疎いオレはどのくらいこの幼女が凄いのかわからないため、シルキーを呼び寄せてその知識を借りる。
「このお方はバンシー様。スコットランドやアイルランドが主な伝承の出どころですが、生きとし生ける者の死の前兆を予見し、時にはそれを報せる
5倍!? シルキーが約500歳だから、紀元前から生きてんの!?
その役割はなんか死神じみているが、神聖視さえされているっぽいバンシーは目を見開いて驚くオレを見てふふんっ! 鼻を鳴らして偉そうに胸を張る。
「ちなみに言っておくが、シルキーの見立ては甘いぞ。俺は人間がようやく青銅器を作った頃にはもう存在したからな」
「青銅器って……確か紀元前3000年頃だよな……シルキー、5倍どころじゃないぞ?」
「も、申し訳ございません!! 何ぶん、わたくしも人の歴史の中でうかがい聞いた伝承を元にお話ししたため、バンシー様のご年齢には誤差が……」
5倍どころか10倍くらい長生きしてるバンシーには引っくり返りそうになり、シルキーも想像以上の大先輩にもはや頭を上げられずにいると、オレ達の反応が面白かったのか怒った様子もなく笑ってみせる。
しかしそんな大層な大精霊様が何でこんなチンケな事故物件にいたんだろうか。
「ん、ってことはこのマンションの死神っていうのも、バンシーのことを言ってるのか」
「それは違うぞガキ。俺が住み着いたからそう呼ばれるようになったんじゃねぇよ。逆だ逆。死神の住むマンションとか呼ばれてたから俺が住み着いたんだ」
それを考えたらこのマンションが『死神が住むマンション』なんて呼ばれていることと関係があるのかもと疑問を口にしてみると、なんかよくわからないがバンシーのせいでそう呼ばれるようになったのとは違うらしい。
それならそれらしいところを選んで住み着いたのかと思うのだが、その辺の事情を聞くより前にバンシーが幽霊的に浮き上がって近づき、オレの顔の前に顔を近づけると、少し怒った風な顔と血のように赤い瞳で睨んでオレの鼻をツンツンしてくる。
「だいたいだな、場所によって俺は死神と呼ばれはするが、別に俺自身が死を振り撒くような悪霊なわけじゃねぇ。むしろ俺は死が迫る人間達に『もうすぐ死ぬぞ』と宣告してやってるんだ。この前のロンドンへの空襲でだって場所は違うが俺が報せてやったから生き延びた奴らが大勢いるくらいだぞ」
「この前のって、ロンドンに空襲なんて来たのは第二次世界大戦の話じゃ……」
と思ったが、5000年くらい生きてるバンシーにとっては60年前のことなどつい最近の出来事くらいの感覚なのだろうとすぐに思い至って口を閉じるが、年配者への配慮が足りないとツンツンが強くなってベッドに倒されてしまった。
さらにバンシーは倒れ込んだオレの正面に股がって座り、胸に両手を押しつけてマウントを取ってくるのだが、ボロ布は相当な痛み具合で100cmあるかどうかなバンシーの体のところどころが布の穴の隙間から見えてしまっている。
そこから先はバンシーの肌が見えているので、ボロ布の下には何も身に付けていないことがわかってしまった。パンツも穿いてない。これ系は玉藻様と同じかぁ……
まぁおそらくだが、こうやって人前に出ることさえ皆無だったから身だしなみにも無頓着。或いは人のように羞恥心を持つことがそもそもないかなんだろう。
オレも年齢はともかく見た目がこれほど幼ければ異性として見ることはないので、何が見えようと動揺はしない。が、見えるもので気が散るのは事実。
そうした意味で視線をバンシーに固定できずにいると、やっぱりバンシー側からはオレが動揺しているように見えたのか、にやぁ、と悪い笑みを見せてくる。
「おいおい、ガキとは思ってたが、まさかお前、俺みたいな体つきの女が好みなのか?」
「……言い訳に聞こえるかもだが、真面目な話をしてるのにそんな穴だらけのボロ布を着た幼女が目の前にいたら気が散るだろう」
「人間の趣味嗜好は多種多様だ。だから俺もお前の好みをとやかく言うつもりはないぞ。ほれほれ、見たければ好きなだけ見て堪能しろガキぃ」
そう言いながらオレの主張をほぼ無視してボロ布をペロペロめくり上げて女性なら本来は恥じらうべき場所を躊躇なく見せてくる。面倒臭いなこのお婆ちゃんは……
目の前で痴女がセクハラしてくる光景は初経験だが、心底イラッときたことだけは確かなので、面倒だからとボロ布を脱いで全裸にでもなろうとしていたバンシーをいきなり起き上がりつつ両手を掴んで拘束。
すかさず掴んだ手を持ち上げて、くるっとその体を180度回転させてオレと同じ向きにしてあぐらをかいた懐に下ろして収めてしまう。
「話を続けていいか?」
「からかい甲斐のないガキだなぁ。それとも、こういうのがいいのか? んん?」
これで手を封じてしまえば大人しくなるかと思ったら、オレの顔を下から見上げながら怪しく笑ったバンシーは、今度はその腰をクネクネと動かしてオレの股間を攻撃。このクソババアが!
さすがのオレも敬う心を上回るいじりに怒りが噴出し、ミズチからワイヤーを取り出してバンシーをグルグル巻きにして手足を動かせないようにしてからベッドに投棄。
その扱いに大いに怒るバンシーだったが、暴れるとほぼ地肌な体に食い込んで相当に痛いので、早々に大人しくなって、観念したか沈黙。
これで話を再開してくれるかと確認しようと少し近づいたら、いきなり体を浮かせてオレに突撃してみぞおちに頭突きをお見舞いしてきて、見た目と同じで軽いバンシーの全体重を乗せた頭突き程度なら受けたところで大したことはない。
なので突っ込んできたバンシーの体をホールドして軽くジャンプしてベッドの上でバンシーの頭を叩きつけるパイルドライバーを炸裂させてやると「ふんぎゃあ!」と悲鳴を上げてバンシーは撃沈。
天地逆さまな状態になったバンシーはオレが手を放すと前に倒れてうつ伏せでベッドに沈み目を回していたので、ちょっとやり過ぎたかなと思っていたら、そこまでを黙って見ていたシルキーが我慢の限界とばかりに声を張り上げた。
「お二方! いい加減にしてください!」
その後、オレとバンシーは床の上に正座させられて、プンプン怒るシルキーを前に強制的に黙らされてしまった。
圧倒的に偉いはずのバンシーはブツブツと「何で俺がシルキーなんかに怒られなきゃならん」とか漏らしていたが、大太刀の単分子振動刀を鬼教官のように柄頭を上に両手を置いて睨みを効かせるシルキーに上から物は言わない。
「もう夜も遅く、京夜様もお疲れなのです。なのにこうも騒がれては進むお話も進みません。お気持ちの整理ができないようでしたら、本日はもう就寝なさるかしてください。お話を続けるのであれば、お二方ともまずは友好を示して握手をし、それからお話を続けてください」
「……はぁ。悪かったよシルキー。オレも少し我慢が足りなかった。このくらいの挑発を受け流せなかった未熟さを叱ってくれてありがとう」
「むっ、なんだガキが大人ぶりやがってからに。まるで俺が子供みたいな言い方しやがって。だいたいお前が俺の体に欲情したのが悪いんだろうが」
「そうですねバンシー様。そこはオレの至らないところでした。いくらでも謝りますので、お許しいただけたら話を続けてくださいますか」
オレも精神的にはそろそろ大人にならないといけないので、バンシーの扱いを玉藻様と同等レベルに引き上げて接することにし、握手のために手を差し出したのだが、18歳のガキに5000歳のババアが精神的に劣るような態度の変化にイラッとしたのか、差し出された手をパシッと弾いて、むぅ。明らかに機嫌を損ねた顔をする。
しかしその態度にまたシルキーがギロリと睨みを効かせてきたおかげで、自分は悪くないという態度を崩さなかったバンシーも、不機嫌そうな顔はしたままで無言で手を差し出し、オレがその手を取って握手。これで一時休戦だ。終わったらシメる。
そんな意思を握手に込めてちょっと強めに握ったら、バンシーも気づいたか握る力をその体で出せる最大出力に上げて返してくる。徹底抗戦だな。
それをシルキーに悟られないように完了させて握手を終え、ようやく話が再開となると、シルキーも床に正座して3人で小さな輪を作る。
「あー、それでどこまで話したっけ?」
「死神が死神の住むマンションに居着いた理由です」
「そうだったな。まぁ知っての通り、俺は元々はアイルランドとスコットランドを住処に転々としてたんだが、100年くらい前だったか、妙な連中が俺を探してる動きを察知した。俺に何をしようとしてるかはわからねぇが、気味悪ぃからそれまで行ったことのある場所と国を避けてイギリスに逃げたわけだ。それでもなーんか嫌な感じが拭えなくてな。イギリスでも80年くらいは結構な数の引っ越しをしたんだが、ジリジリと詰め寄ってくる感じは消えなかった」
「……ああ。だから『逆』なんですね。バンシー様が由来と思われる噂の建物はその追跡者にとっては狙いやすい的。ならその追跡者が1度は調べたであろうそこに逃げ込んだ」
「そういうこった。俺は超能力的にもかなり接近しないと探知されない術を持ってる。ここのシルキーも興味本意で近寄った俺が3m以内に入ってようやく気づいたくらいだからな」
「さ、さすがバンシー様です。この建物を依代にした時にさえ気づかなかったことに驚きはありましたが、そこまでの隠密性をお持ちだったとは……」
話によればバンシーは100年ほど前から誰ともわからない追跡者に執拗に狙われ続けていて、そのおいかけっこの果てに今はこのマンションに隠れ住み着いたということらしい。
80年ほど逃げていたってことは、このマンションには20年近く住み着いて、かなり安定した隠れ家として機能していることを意味する。
隠密性も高いらしく、建物自体がシルキーになったに等しい状態でもバンシーの存在に気づかなかったことからシルキーは感激し持て囃し、悪い気はしないバンシーも鼻高々に胸を張る。
「100年以上も狙われて……今も狙われてる可能性があるということは、その追跡者もバンシー様やシルキーのような存在ってことですか?」
「さぁな。ただ言えることは、そいつは1人じゃねぇ。複数で何か明確な目的があって俺みたいなやつを狙ってた。風の噂じゃアストゥリアスの『小僧』やレス島の『小娘ども』も接触されてたみたいだが、どうなったかは知らん」
だが話の中じゃそこまで凄いこと、恐ろしいことができるわけでもないバンシーを執拗に狙うやつの目的がさっぱりで、その辺に何かあるのかと探ってみるが、暗躍している追跡者は組織である可能性と、バンシーの他にも異能のような存在を狙っていることだけ。
バンシーの言う小僧や小娘どもっていうのがまた誰なのか気にはなるが、そういうのを追及していくと本題が逸れるので、もう少し情報を整理してから聞き出そうと考える。今は眠気もあって冴えがないし。
「なんだか話が大きくなりそうですけど、バンシー様がここにいる理由は納得しました。もう少し話は聞きたいですが、今夜はもう色々とあって疲れました。なので日を改めてお話しできますか?」
「ハハハ、精神と肉体が繋がってる人間は活動限界があるからな。俺も人間と会話したのはクー・フーリン以来だったから楽しかったぞ。ただヤツとは違ってお前はやんちゃだったな」
「クー・フーリンって……頭痛ぇ……」
「ハハッ、ヤツも有名になったな。俺はヤツの死を宣告してやったが、恐れるどころか覆してやると息巻いてたか。まぁ俺の宣告は外れないからヤツも結果的に覆せはしなかったが」
このマンションから出ていく気配が今のところはないバンシーなら、日を改めても話はしてくれるだろうとそんな提案をしたら、あれでなんか楽しんでいたらしいバンシーは人との会話が久しぶりなことも口にする。
だがオレの前に話したのがケルト神話の半神半人の英雄であるクー・フーリンだと言うからもう頭が痛い。
そんな人物が実在していたこともだが、そのクー・フーリンすら見下してるバンシーの態度の大きさは威厳すら出てきた。
そのクー・フーリンもバンシーの死の宣告を受けた後に亡くなったことも語られたが、その時のバンシーの瞳はその死を悲しむかのように潤んだ、ようにも見えた。
「……話は日を改めるのだな。ならば今夜はゆっくりと休め。都合はお前の許す時で構わんぞ。俺は基本的に暇だからな。いや、むしろ働かせるな。ここに住む武装探偵とかいうガキどもは8人に1人は俺の死の宣告を受けてるぞ」
「死が付きまとう職業なのでオレにはどうしようもないですし……その宣告を受けるのがオレじゃないことを祈っておきます」
「せいぜい死なんように励めよガキ。少なくともお前がここにいる間は俺が死ぬ時くらいは教えてやる」
表情の変化など微々たるものですぐに調子を戻したから観察は出来なかったが、さすが死神の住むマンションだけあってここに住む武偵の死亡率も割とバカにならない数値を叩き出していることを教えてくれたバンシー。
最後にブラックジョークのようでマジなことを言ってからその体を浮かせたバンシーは、元々はその姿も消しているからか、ふわふわと壁に近づいてどこかに行こうとした。
──ごちんっ!
だが普通に壁も透過しようとしていたバンシーは、その壁に触れた瞬間に透過することなくガッツリ壁に激突。
顔面から壁にぶつかったバンシーはズルズルと落ちて床に座り込んでしまうと、心配して近寄ったシルキーに抱き起こされる。
「ど、どうなさったのですかバンシー様!?」
「ぐぬ……お前のせいだぞシルキー! この建物全体をお前が『領域』設定したから、建物が俺を弾いたんだ!」
「……はっ! わたくしとしたことが本当に申し訳ありませんー!」
オレにはそうなった原因がわからなくて呆然としていたら、抱き起こされたバンシーはそうしてくれたシルキーに対してポコポコ叩きながら怒る。
それでシルキーも原因がわかったか叩かれるのを物ともせずにバンシーから離れて土下座。
どうやらシルキーがこのマンションを依代にして一体化したから、超能力的なある種のバリアがマンション全体に張られてしまって、バンシーが透過できなくなってしまったようだ。
「で、ですがこの領域はわたくしがどうのうできるものではありませんので、ど、どういたしましょうか……」
「えっ……じゃあバンシー様はこのマンションを自由に動けなくなったってこと?」
「うぅ……一応、不可視化は可能だが、そういうことだ……」
しかしそれを解決しようにもシルキーに自由の利くものではないようで、バンシーもそれはわかってたかその姿を1度パッと消してからまた現れるという動作をしてみせたが、現状ではそれしかできないとお手上げポーズ。
「それに、あまり可視化を多用すると俺の気配が漏れやすくなる。またヤツらに捕捉されて移動するのは面倒だ」
「ですが、シルキーを追い出すのはその、連れてきた身としては避けたいのですが……」
「わ、わたくしも出来ることならここを離れるのは……」
バンシーの都合を思えばシルキーをどうにかすべき案件ではあるのだが、オレもシルキーもその解決策は出来るなら避けたいと懇願するようにバンシーを見る。
バンシーもバンシーで自分本意な性格はしていないのか、有無も言わさずにシルキーを追い出すようなことを言わずに何やら思案に入ってくれたものの、本当に苦肉の策といった表情でその目を見開いてオレとシルキーを見る。
「……俺も鬼じゃないからな。そこまで言うならお前らが責任を取れ。可視化は不可視化と行き来すると気配が漏れる。ならそれをやらなきゃいい。だが建物を透過できねぇなら不可視化する意味が特にねぇ。だから俺をこの部屋に住まわせて世話をしろ」
バンシー本人もやったことはないといった雰囲気もありながら、シルキーを追い出さずに現状を維持するための方法を口にしたはいいが、それが意味するところはつまり、オレの部屋でバンシーが人間のように生活することと同義だったのだ。マジかよ……