ヴィッキーが受けた依頼でニューカッスル・アポン・タインの近くの街、ヘドン・オン・ザ・ウォールに来たオレとヴィッキーは、老朽化した屋敷に住む亡霊シルキーをどうにかして屋敷から離れさせるための手段を考えていた。
現状ではシルキーは屋敷を依代に現世に留まれているような話を本人がしていたこともあり、街としての目的である屋敷の取り壊しはシルキーの死を意味する。
シルキー自体は共生さえできれば家計を圧迫しない──食事も服も必要ない──有能なメイドとしてほぼ無償で働いてくれるので良い事ばかりなのだが、人ではなく家に憑くタイプは移動だけは不自由なのが悔やまれる。
「…………あっ。イングランドの隣人の魔女がいた」
シルキーを無事に屋敷から離れさせる方法さえ見つかれば、悩んでいる問題も解決できるのだが、オカルト的なものへの知識が不足するオレやヴィッキーでは限界がある。
そのことに食料の調達のために屋敷から出ていたオレが思い至り、早くもメヌエットを頼る案が頭をよぎったが、それよりも専門の人間がいることに気づき携帯を取り出す。
「でもなぁ……『プロ』は仕事にうるさいからなぁ……」
以前に番号だけは教えてもらっていたので登録リストにもあったそれを選んで通話を試みるが、たとえ繋がったとしても素直に教えてくれる可能性はまずない。
何せ相手はプロ中のプロの傭兵で何をするにも見返りを要求してくる。
その辺の危惧はあるが話だけでも聞いてもらえたらと繋がるのを待っていたら、きっと向こうでオレの名前が表示されて嫌な顔でもしたのだろう微妙な間を置いて携帯が繋がる。
『……仕事の話なら今は無理』
「いや、本当に申し訳ないんだが、仕事の話じゃない。ただ……」
──ぶちぃぃん。
開口一番にいつもの仏頂面してそうな声ですでに別の依頼を引き受けてる旨を伝えてきた
が、仕事じゃないと聞こえた瞬間に通話を切りやがったあのガキに「プロ気取りの痴女が!」と悪態をつきたくなる衝動で携帯を投げそうになったものの、ギリギリで踏みとどまる。
あの魔女様は風の超能力を使っているくせに、その風でぴらっぴらなびくミニスカートを穿いてやがるので、すでに何度かスカートの中を目撃してるが、一向にスパッツの1つも穿かないから、もうそういう趣味の残念な子として勝手に諦めている。
だが今はその痴女に1つでも意見を述べさせるべく、込み上げた怒りを腹に落として再度チャレンジ。
『……しつこい』
「今日はスパッツを穿いてるんだろうな?」
──ぶっちぃぃぃん!
何故か変わらないはずの通話を切る音が怒りを帯びていた気がするが、オレも大人げなかったな。メヌエットとそう変わらない歳の少女をいじめても仕方ないだろう。大人になれ猿飛京夜。
『…………用件は?』
「始めから話だけでも聞いてくれればこんなこと言わないのに」
と思って3度目は真面目に行こうとしたら、セーラも不毛すぎると思ったのか素直に用件を尋ねてきてくれたので、お言葉に甘えてシルキーについて意見を求める。
「セーラはシルキーって妖精のことは知ってる?」
『当然。それが何?』
「そのシルキーを屋敷から離れさせる方法なんてあるのかなぁと思って」
『そんなことをしたらシルキーは消える。終わり』
「だから、そうならない方法が万に1つでもあるならと思っただけなんだけど、専門家の目線からしてもその可能性はない?」
魔女であるセーラは超能力やオカルトな事柄について詳しいので、何かしらの可能性は出てきてほしいと願うが、無情なセーラは1秒でも早く通話を切りたいというあからさまな不機嫌オーラを声に込めて話を終わらせようとする。
しかしオレが食い下がればまた電話がかかってくると思ったか、真面目に思考してくれたような沈黙のあとに携帯越しにその答えが返ってくる。
『そのシルキーはどのくらい生きてる?』
「えっと、ほぼ500年だったかな」
『屋敷の状態は? シルキーが屋敷に居ついた頃からある所縁のものとかがあれば、可能性はあるかもしれない』
「屋敷は人が住まなくなった200年くらい前のまま綺麗にされてる。所縁のものは……本人に聞いてみないことにはわからないが、探せばあるかもしれない」
『ならシルキー本人に言ってみて。────』
真面目にさえなれば有能この上ないセーラの助言で、オレは今後やるべきことを明確にすることができ、あくまで可能性だと言うセーラにお礼を言って通話を切ると、まずは腹を空かせて死んでるヴィッキーを復活させるために買い出しを再開。
セーラには今度会った時に失礼を働いたお詫びに頭を撫でてやろう。うんそうしよう。
買い出しに出たのはセーラに連絡するためではなく、他にも目的があった。
どちらかと言えばセーラへの連絡がもののついでということになるのだが、その辺は曖昧でいいやと放棄してテイクアウトの出来る飲食店に入り、注文がてら中年のオジさん店員にそれとなくシルキーについて話を聞く。
「この街ではシルキーは嫌われているんですか?」
「……そんなことはないんですよ。私なんかが生まれる前からこの街にいる年長者で、彼女のお世話になった人も多くいます。この街とシルキーは長い年月と共に当たり前に存在するものになっています」
「そう、ですか」
次に寄り道として小さな酒店に入って、飲むかは不明だがシルキーへのプレゼントとして赤ワインを1本買おうとした。
しかしそれを止めるように店の奥から店主を押しのけてお婆さんがわざわざ出てきて、オレがこの街に来た理由についても理解があるのか、棚から1本の白ワインを取り出してオレに差し出してくる。
「シルキーさんはこの白ワインが好きなんだよ。でもあまり強い方じゃないから、飲ませ過ぎないように気を付けておくれ」
「……ではこの白ワインをいただきますね」
年の功なのかオレが飲むわけじゃないと悟ったお婆さんの経験値はさすがだが、シルキーも酒は嗜むんだなと思いながら、お婆さんの厚意に甘えて白ワインを購入。
これでまぁほとんど目的は達せられたので、酒店を出てからはまっすぐ屋敷へと戻り、待ちわびていたヴィッキーが飛び付いてきたのを押し返して少し遅めの昼食を開始した。
「これはシルキーに。酒店のお婆さんがシルキーの好みだからって勧めてくれたよ」
「酒店の……あの子ももうお婆さんと呼ばれる年齢になったのですね。昔はよく家出をしてはここに籠城していた子でしたが、厄介になる時は自分用の食料と一緒に、いつもこの白ワインを持ってきてくれました」
昼食の前にシルキーには勧められた白ワインを手渡してあげると、やはり人とは違う時の流れを生きてる言葉が飛び出して反応に困るが、この街にシルキーが根付いている何よりの証拠が示されたことにはなる。
そこでオレは念動力で食器棚からグラスを取り出したシルキーと、オレの分まで食べそうな勢いのヴィッキーを放置して改めて2階へと足を踏み入れ、その部屋の中で屋敷の正面の景色が見える場所のベッドを調べる。
予想通り、ここのベッドだけは他のベッドよりも使用頻度が多いのか、少し古くはあるがマットレスが存在している。
酒店のお婆さんがシルキーの言うように家出少女でここに来ていたのなら、一夜くらいはここで過ごすこともあっただろう。
さらにそんな子供があのお婆さんだけだったということもまたないはずで、この街の子供は少なからずこの屋敷に逃げ込んではシルキーのお世話になっていたのだろう。
それならばこの屋敷を出ることができないシルキーなのに、街の人がお世話になったこともあると言う理由は納得のいく話だ。
言ってしまえばシルキーはこの街の人達にとって第2の母親みたいな存在で、この屋敷にはシルキーがいるから他の幽霊などが悪さをするようなこともない安心感があったはず。
「……助けないとな。この街もシルキーも」
そんな事情が見えたところで、今更ながらにだがこの依頼が何故ロンドン武偵高にまで下りてきたのか、そのカラクリについてわかってしまった。
依頼書にそうと書かずともシルキーが関わる問題だとプロにはわかってしまい、解決のためには非情にならざるを得ないことも、解決しても人の信頼を得ることができない悪循環を生むと判断し引き受ける武偵企業がなかったから、その下部組織である武偵高に回ってきた。
武偵高生ならまだ組織ではなく個人の枠に収まるし、事細かに依頼の全てを履歴として残すこともないから、影響が少なくて済むからな。
そういった裏事情がわかったものの、本当にその通りにするつもりもないオレは、大団円のエンディングを目指して行動を開始する。
その1歩を踏み出すために再び1階リビングに戻ってみると、なんかヴィッキーがソファーで正座してシルキーと向き合っている構図が飛び込んできて困惑。
「らかられすね……わたくひはこにょ屋敷にこりゃれりゅ方の味方で、何百年もそうひてきたんれすよ」
「はい。はい。よーくわかりました」
「らいたいれすよ? わたくひがこの街の人たひに何か気に障るようなことをしまひたかと言いたいれすよ」
その謎は顔が見えない位置ながらも完全に呂律の回ってないシルキーの様子ですぐに解け、ヴィッキーと目が合うと助けを求めるアイコンタクトをしてきたので、シルキーもオレの存在に気づき振り向いてくる。
そうすればまぁ見事に頬を赤く染めて泥酔していらっしゃるようで、白ワインのボトルの中はグラスに注いである量を計算しても2杯飲んでない。下戸かよ……お婆さん、強い方じゃないからじゃなくて圧倒的に弱い方です……
まさかシルキーがこんなことになるとは思ってなかったが、グラスがヴィッキーの分も出されながら注がれた様子がないことから、ワインを勧められて断ってこうなったと推測。
イギリスの飲酒制限は18歳から解禁なので、ヴィッキーはまだギリギリ18歳になってないのだろうし、ここは今年の4月1日で18歳になったオレが選手交代をしてやろうとヴィッキーと入れ替わりでソファーに座って、白ワインを飲みシルキーに付き合うと意思表示。
ヴィッキーは長くなりそうと判断して昼寝でもするのか2階へと上がっていって逃走を図ったが、あいつやる気あるのかないのかわからなくなってきたぞ。
そこからのシルキーは物凄くて、酔うと日頃のストレスを言葉にして吐き出すタイプらしいシルキーは、ギリギリ丁寧語を保とうとはしてるが乱暴な言葉もいくらか飛び出すほどには思考低下はしてるみたいだ。
このタイプは変に相槌を打つより、共感する言葉で心に寄り添って溜めてるものを出し尽くさせてしまうのがいいので、半分くらいは聞き流したものの約2時間は愚痴に付き合わされてしまった。
それが落ち着けばシルキーもオレが差し出したジュースを飲んで呂律は元に戻ってきた。
そのタイミングならとお酒の力も借りてシルキーから本音を聞き出す作戦に乗り出す。
「シルキーがこの街の人に大事にされてきて、シルキーもこの街の人を大事に思ってるのは話からもわかったよ。だから聞かせてほしい。シルキーは本当は街の人達がやろうとしてることを否定したいわけじゃないんだよな?」
「…………わたくしだって、街の方々の言い分を理解していないわけではありません。このお屋敷がすでに限界なのは、このお屋敷を依代にしているわたくしが一番よくわかっております。ですが……だからといってわたくしがここにいた証すらも奪おうとする行為に……わたくしが消えることを選んだ街の方々に、簡単にそうですねと言えないことが、そんなに悪いことなのでしょうか……」
「自分が消えることをすんなり受け入れることなんてほとんどの人ができないよ。シルキーは何もおかしくはない。でもこのままじゃダメだってこともシルキーはわかってる。これ以上は街の人にも迷惑になってしまうならって考えもあるんだろう」
思考の低下でポロッと漏れたシルキーの本音はやはり、今の状況をしっかりと理解して、その上で何か解決策はないかと問題を先延ばしにしてきた旨のもの。
自分が消えれば終わることではあるが、それが出来るならどれほど楽なことか。だがその選択をすることで悲しむ街の人がいることももう知ってしまった。
それら全てを考えながら、ソファーの肘置きにもたれかかってうつむくシルキーを見ながら、愚痴を聞いていた時に気になったものを見るために立ち上がる。
買い出しの時にセーラは屋敷とシルキー、両方にとって所縁のものはあるのかどうかを確認しろと言っていたので、それらしいものをこのリビングで探していた。
そしてそれらしいものに目星をつけて、その中で有力そうなものからシルキーに尋ねようと、暖炉の上の棚にあった純銀製の大きめの杯に触れようとする。
「それに、触れないでいただけますか」
しかしそれに触れる前にうつむいていたシルキーが顔を上げて止めに入ったので、機嫌を損ねたくはないから杯には触れずにその理由についてを尋ねる。
「その杯はこのお屋敷を建てた初代の家主様が、お屋敷の完成の記念にとお作りになられて、わたくしが住み着いた486年と52日前に、6代目の家主様が歓迎の印としてお酌をしてくださった杯なのです」
「じゃあこの杯はこの屋敷が出来た時からあるのか。今も新品みたいな輝きだが、シルキーが錆びたりしないようにしてたんだな」
「大事なものですから、家主様以外の方には触れさせてこなかったのです……」
それによればこの杯は屋敷の建設当時からある代物で、シルキーとも切っても切れない縁があることがよくわかる。
それならばセーラの言っていた可能性も芽が出てきたかもと、シルキーにそのことを話そうとしたら、思い出話をして心地よくなったのか静かに寝息を立ててしまっていたので、起こすのもあれだからとオレもグラス1杯分のワインのアルコールを抜くためにソファーで仮眠を取ることにしたのだった。
アルコールのせいにするつもりはないが、少し深い眠りについていたオレは、ヴィッキーが2階から下りてきた時の階段の軋む音で目が覚めて時間を確認すると、すでに日が暮れて18時を回っていた。
シルキーはまだ眠っていて寝顔は美人そのものだが、3時間以上は寝ていた事実に落胆しつつ近寄ってきたヴィッキーが武偵の顔になって口を開く。
「わずかにだけど匂わない?」
「…………揮発性の高い……ガソリン辺りか。中じゃないな」
「ええ。2階からじゃ違和感くらいにしか思わなかったけど、1階に下りて確信したわ。この屋敷にはガソリンなんてなかった」
言われて気づいたが、普通の人ならかぎ分けるのは難しいレベルの希薄な匂いが屋敷の中に入り込んできてるのを確認し、それがガソリンの匂いだとわかると一気にオレとヴィッキーの警戒レベルが引き上がる。
しかしそれは時すでに遅しなタイミングだったのか、屋敷の裏から真っ赤な光が立ち上って、それはすぐにこの屋敷を取り囲むように広がって室内を照らし出す。
──炎。この屋敷が燃え始めたのだ。
「ッ! シルキー! 起きろッ!」
炎の勢いは物凄く、あと数分で外周のみならず室内にまで入り込んで全てを燃やし尽くしてしまうだろうことを察してシルキーを起こす。
だがシルキーも炎が上ってすぐに屋敷の異変を察知したのかソファーから飛び起きてくる。
「これは……早く火を消さない、と……」
「お、おいシルキー!?」
状況を完全に把握してはいなかったが、やることに迷いがなかったシルキーがすぐに消火をしようと超能力を使いかける。
しかしシルキーはその前に急にその膝を折って床に座り込んでしまい、苦しそうに胸を押さえてしまった。
それはこの屋敷を依代にしているシルキーだから、屋敷の燃焼がシルキーの力を奪っていっているゆえの現象。
「くそっ! ヴィッキー! お前は先に外に出ろ!」
「キョーヤはどうするのよ! それにシルキーも!」
「オレもシルキーもすぐに外に出る。死ぬつもりなんてない。いいから行け」
シルキーに寄り添いつつ、本格的に火の手が回り始めたリビングに長居すれば危険だと先にヴィッキーだけを逃がして、心配しながらもこの状況で冷静な口調に戻ったオレを信じてヴィッキーは屋敷を脱出。
息遣いも荒くなってきたシルキーはあと数分で消えてしまいそうなほど弱ってきていたが、まだ姿を保てているうちにオレも一か八かでセーラに言われたことを実行しにかかる。
「ごめんなシルキー。触るぞ」
苦しむシルキーをソファーに座らせて、謝罪をしてから暖炉の上の杯を手に取ってシルキーの手に持たせる。
火の手は2階にも回ってきたか、いつ天井が崩れてきてもおかしくないぞ。
「シルキー、君は自分で思うよりもずっと強い存在なんだ。力は大きく損なうかもしれないが、この屋敷と同等の価値があるこの杯になら、新しい……いや、一時的にでもシルキーの依代になるはずなんだ」
「……わたくしが、この杯を依代に?」
「そうだ。500年って時間はシルキーという存在をより強固にした。ずっとは無理かもしれないが、この杯を依代にすれば、君は今ここで消滅しないで済む。ぶっつけ本番になって悪いが試してくれ。オレはこの街の人も、シルキーも悲しませたくないんだ。だからこんな結末で終わらせたくない!」
オレも一酸化炭素中毒の危険が出てきたので、手早くシルキーにしてほしいことを告げて、心肺機能で呼吸してるわけではないシルキーは屋敷が燃えていくことでどんどん弱々しくなっていて、互いにもう1分程度が限界。
セーラはシルキーのような存在は長い年月のうちに土地や建物に縛られずに、人と共に住み処を移動する術を得られるらしいのだ。
だがシルキーのように屋敷に思い入れがあるとそこに固執してそういうことが出来ることに気づかずに消えてしまうことが多いらしい。
だからオレがそれを教えてあげることでシルキーはやってくれると信じると、消えることに抵抗していたシルキーも最後の力を振り絞るようにして手に持つ杯を胸に抱き寄せる。
するとシルキーの体が淡い光を放って消えていき、入れ替わるように杯が強い光を放ち始めて、シルキーの体が完全に消えて杯がソファーの上にポトリと落ちて光は消えてしまう。
失敗したのか? と思って杯を持ってみると、火事の影響ではないと確信できる優しい温かさを帯びているのがわかり、だめ押しするように杯がカタカタと勝手に震えてみせた。
ならばとオレも1秒でも早く屋敷を脱出するために立ち上がり、扉を蹴破る勢いで外へと脱出したのだった。