「それじゃあ話してくれ。その光栄な依頼の内容とやらを」
あのメヌエットから直々の依頼という怖すぎる展開に腰が引けそうにはなるが、しっかり退路を断ってくるメヌエットの話術によって乗るしかなくなったのはもはや仕方ない。
命の危険も十分にあるようだが、今回はメヌエットの不自由な足の代わりといった意味合いにも思える依頼だと勘づきはしていて、その辺は隠す気もないメヌエットも依頼の内容について詳しく説明するため、チェリーの精油をパイプに香らせながら仕事のように口を開く。
「先に述べた通り、これは女王陛下から私とお姉様への勅命。故に他言無用の上、書類など形に残したものもありませんから、全て頭に入れてくださいな」
「アリアにもか。ってことは向こうも向こうでチームを組んで……」
「京夜はバカなのですか? 本来であれば京夜にこうして話すことさえも何らかのお叱りを受けかねないもの。お姉様もおそらく……そうですね。可能性としてキンジだけには協力を求めているやもしれませんが、口は多いほど災いを呼び込みます」
先に述べた通りとか言って、女王陛下からの勅命とは言ってなかったことには目をつむるとしても、アリアにも話がいってるならと共同戦線も見えかけたが、極秘も極秘の案件なのだとちょっと怒らせてしまい反省。
それを顔にして沈黙すると、バカは仕方ないですねと言わんばかりの呆れ顔をしてから話を再開。その顔ヤダ。
「京夜は留学の手前でイギリスについても多少は学ばれたことでしょうから、イギリスがEUでどういった立場にあるかはご存知ですよね?」
「本当に多少だぞ。EUって日本があまり関係ないからピンとは来ないが、国としてはイギリスは先頭に立ってるレベルだろ?」
「そうです。第二次世界大戦後、ただ資源や経済圏を奪い合っていたかつてのヨーロッパを、融和政策によって経済的な抑止力で戦争を防ぐ最先端。その最前線にイギリスは背負って立っているのです」
国境を緩めたり、通貨を統一したりで国同士が助け合うというのがEUの理念なのはわかるし、そのおかげで今日の平和が保たれていることも事実だ。
まぁトップとか言っといてイギリスの通貨がユーロじゃなくてポンドなのはどうかと思うが、それを言っちゃうとお国自慢をしたメヌエットに悪いし話の腰を折るので黙って話を聞く。
「ですがそのイギリスは現在、歴史的な不況に陥りつつあります。京夜もイギリスの物価には少し頭を悩ませることもあるでしょうから、これは実体験として身に染みているでしょう」
「傷口に塩を塗るな」
「そんな不況や戦争などの非常時に備えて、終戦時に旧枢軸国から接収した黄金172tがサウサンプトンに保管されてあったのです。その隠し財産を切り崩してでも難局を凌ぐことはイギリスの義務とも呼べますが……」
「サウサンプトンに保管されてあった……『過去形』か」
「仕事になると理解が早いですね。今回の案件は『そういうこと』になります」
そのお国自慢から本題へと突入した内容はどうやらかなりの大事らしく、察するにサウサンプトンにあった隠し財産が丸ごと『無くなっていた』とわかると、肯定するようにメヌエットもあえて口にはしないでパイプを吹かせる。
だがそんなことが現実に可能なのかという率直な疑問が浮上するのは当然。
何せ172tもの黄金を誰にも気づかれずに持ち出してしまうなど、どれほど綿密な計画を立てたところで不可能に見えるからだ。
「京夜が察してくださったように、この案件には現実的ではない要素が見えています。まずこの隠し財産が無くなっていたことに気づいたのは、消失した直後ではなく、ある程度で時間が経過していたこと。これは管理体制にも少し問題があった証明ですが、そうとしても外部からは侵入すら不可能な保管をしていた黄金を、誰にも気づかれずに、侵入の痕跡さえなく、残さず持ち出したということ。これはどう考えても非常識」
「メヌでもその方法は思いつかない?」
「既存の科学技術や人間の繰り出せる技術ではどうしようもないでしょうね」
「《
メヌエットでも既存の技術力ではどうやっても人の目に触れてしまう大がかりな作業になるはずだと推理し、そのメヌエットが無理だと言うなら可能性は1つ。
人や人外の生物が稀に発現する超常の能力。分類やら何やらとその業界には色々とあるようなのだが、今はそれをあまり考える必要はない。
「ですからそれを京夜に調べていただきたいのです。いくら私でも詳細が判然としなければ推理することは難しい。形に残せない事柄ゆえに、まだ私にも事の全容は見えていませんので、私には自由に動ける目と耳と手足が必要なのです」
「なるほどね。それなら確かに協力体制だな。んじゃ今のところ唯一の友人の助けになるために奔走してきますか」
「京夜の性格ではこれから先も私以外の友人など出来はしないでしょうが、その働きには期待していますよ」
事が事なだけにメヌエットにも資料という形で何かが持ち込まれたわけではなく、事実だけが伝わって勅命を受けた感じ。
さすがのメヌエットでもそれだけで解決に導けるほど予言者めいてはいないから、オレが見聞きしてきた情報を元に推理するってのがメヌエットの考え。
「ちなみにこの案件が解決しないとどうなる?」
「そうですね。推測の域ではありますが、不況を乗り切れなかったイギリスは内情不安に陥り、最悪でEUを離脱することになるかもしれません。そうなればイギリスの後を追って離脱する国も出てくることでしょう。それはつまり今の平和の崩壊に繋がるということ」
「また世界大戦、まではいかなくても、ヨーロッパが戦火に包まれる可能性もあるってことか……重てぇな……」
「引き受けた以上は重たくても完遂しなさい。さしあたってはまずは武装探偵らしく現場検証をして来てくださいな」
「……サウサンプトンってロンドンからどのくらい?」
話はわかったので最後にこの案件の成否でどういった結果になるかを尋ねると、聞かなきゃ良かったと思える惨劇の可能性を告げられて急に責任という重圧が増す。
それでも誰かがやらなければその惨劇が生まれてしまうなら、白羽の矢が立ってしまったオレの持てる力でやるだけやるさ。失敗しても……イギリスに消されるくらいで済むかな。糞がっ!
ロンドンの南西約130kmほどのところにある都市サウサンプトンは、ロンドンから鉄道を使えば2時間程度で辿り着ける港町だ。
あのタイタニック号が出港した港町として有名であるサウサンプトンには、メヌエットから依頼を受けた翌日の昼に到着。
日帰りする予定なので日中でここでやることはやってしまおうと、到着してすぐにメヌエットに教えられた隠し財産があった場所に向かっていく。
しかし1kg約50立方cmの金の延べ棒で換算してもそれが約172000個。
それだけ大質量の黄金を隠しておくとなるとかなりのスペースは確保しなければならないし、下手に警備を敷けば隠し財産として名前で敗北してしまうので、人の出入りも自由にできず人目にもつかない場所が必須。
メヌエットが事前に話を通してくれていたので、指定された銀行に行って武偵手帳を掲示すると政府の人間が奥へと招いてくれる。
なんでもこの銀行の地下にある通路から隔離された人為的な空洞空間に隠し財産を入れていたらしく、入り口は通ってきた通路のみ。
すでにMI5とMI6も立ち入って調査はしているということで、どこかに別の通路を貫通させられたということには疑いの目は向けずに隠し倉庫に到達。
網膜認証やらのセキュリティーもあってオレではどうやっても侵入は不可能な倉庫の分厚い扉が開かれて中へと入ってみると、10m四方の金属の壁に覆われた空間には話に聞いた通りすでに何もなく、もぬけの殻という表現がピッタリなほど閑散としていた。
それでも収穫なしで戻ればメヌエットにどんな役立たずのクズ野郎がな視線と罵倒を浴びせられるかわかったものじゃないので、何もないにしてもちゃんと調べておくことにする。
「壁は厚さ10cmってところで、壁の向こうは土の壁。両方の隙間は……限りなくゼロに近い、と」
そこでまずはこの空間を作り出す金属の壁に着目して歩いたり壁を叩いたりして構造を把握。
掘り出した空間に金属の板を貼り付けた感じだが、使われてる金属は戦艦の装甲板などにも使われるものと同等の強度だろうな。
満遍なく壁を調べても金属の壁の向こうに空洞があるような感覚はないので、どこかを掘り進んできたという可能性は潰えて、強度的に脆くなる角と辺と辺の繋ぎ目にもしっかりと目を向けたが、これも手が加わった形跡は全くない。
まさに神の手が黄金をかっさらっていったとしか思えない状況はMI5もMI6も驚愕したことだろうよ。オレもこの場に1人なら目が飛び出ていたかもしれん。
「ふぅ……何かないか」
超能力にしてもここまで鮮やかだと誉めるしかないが、ここで手詰まりになってはメヌエットの推理まで手詰まりになる可能性があり、それなしにオレが今後どう動けばいいかの指針もなくなり迷宮入りも有り得る。
そうなったら女王陛下の期待に応えられなかったメヌエットに殺されるし、イギリスにも殺されるダブルプレーに加えて、歴史から抹消される3アウトでゲームセットだ。
そうして背筋に寒いものを感じながら1つでも手がかりをと集中力を上げて目を凝らし倉庫を観察。
小さなことでもいいと色々な角度から観察していると、倉庫の床の金属板の表面にほんのわずかだが違和感があることに気づく。
それを見るために床に貼りつくように顔を近づけてどういうものなのかをじっくりと見ていたら、それに集中していたせいでいつの間にかこの倉庫に入ってきた存在に気づくのが遅れてしまう。
「……相変わらず薄気味悪い接近方法だな」
「驚かせるつもりはなかったが、ここまで近づいて気づかないほど集中していたか、猿飛京夜」
「それに関しては言い訳しないが、意味もなく気配を殺して近づかないでくれ」
あまりに希薄な存在感と無音の接近にはオレと同様の技術を思わせるが、その実で別の技術を要しているだろうその人物は、扉のそばに立っていた政府の人間が目の前に出現してから気づくほど自然と意識に滑り込んできて、完全に背中を向けていたオレからすれば必殺も可能な技術。
オレは専門として背後はよほどのことがなければ取られないが、こうも簡単に背後に立たれると自信を無くすね。
まぁ今回のこいつは特例としても、今後は本気で気を付けておこう。
そうして反省しつつ立ち上がって背後に立っていた五厘刈りの黒スーツ姿の同世代ほどの男と向き合って改めてそいつがMI6の00セクション。そのナンバー7である人類最強の1人、サイオン・ボンドであると認識。
「どうしてここに?」
「昨夜、メヌエット・ホームズ女史よりここの視察に入る許可を下ろすように連絡があり、実際に足を運ぶのは懐刀であるお前ではないかと踏んで来てはみたが、本当にそうだとはな」
「良い読みだな。MI6もこの件は色々と嗅ぎ回ってはいるんだろうが、ろくな成果も出せずに焦ってるのか」
「否定はしないが、焦っているというのは訂正願いたい。本件の迅速な解決は優先度は高いが、今日明日で国がどうこうなるほどイギリスも脆くはない。それに我々にも我々のやり方がある」
「怒るなよ。別に喧嘩を売ってるわけじゃないんだ。そっちと友好的でありたいのはオレも本意だし、ここにお前が来たのは何かしらの手がかりをオレが見つけるかもと思ったから、オレを協力的にするためなんだろ」
2ヶ月ほど前にアリアを取り巻く問題解決の最中に遭遇したサイオンとは明確に敵対したわけでもないが、一時的に対立関係にはなったことがある。
その時のことを根に持ったりとか小さいやつではないし、個人の感情を持ち出すほど人間的でもない、お国のための存在なので、ロンドン留学中のオレがイギリスに牙を剥くことさえなければ味方、ということにはなる。
敵に回ればオレがたとえ10人いたとしても敵わないほどの戦闘力を有しているサイオンがここに来た時点で、オレの生殺与奪権はサイオンに握られてしまっているのだ。ここで喧嘩を売ったところで完全なる無駄死に。
なのでMI6の命令なのか個人の判断なのかはともかく、メヌエットの推理を教えるのは無理だが、ここで見つけたものについては共有しておこうと素直にサイオンを呼び込み、今まで見ていたものを教えてやる。
元からそうであった可能性も捨てきれないが、無視してもいいものではないだろうと、そばに寄ったサイオンがわかるように懐から予備の弾倉を取り出して、そこから銃弾を1つ抜いてそれを金属板の上に置く。
するとその銃弾はゆっくりではあるが床を転がって、ちょうど倉庫の中心部分でその動きを止めた。
「……平面ではないのか」
「普通にしてたら気づかないほど小さな傾斜だ。触ったところで気づきもしないだろう」
その結果に眉をひそめたサイオンはさっきのオレと同じように床に顔を近づけて床面が完全な平面ではないことを確認。
とはいえハッキリとわかるような傾斜でもなく、床板全体が平面でも傾きがある場合もあるが、銃弾が中心部分に転がったことから『中心部分に向けて傾斜が存在している』ことがわかる。
実際にどのくらいの傾斜になっているのかを視認できるように、今度はミズチからワイヤーを取り出してサイオンと一緒に対角線の角から床にワイヤーを張って、そのワイヤーと床が作り出す空白を見てみる。
「2mmあるかくらいだな」
「傾斜の始まりは角から2mほどから中心に向かって深くなっている。もう1つの対角線と等分するラインも見るぞ」
頭も良いサイオンだから逆に指示されてしまったが、やりたいことは同じなのでテキパキ動くサイオンに感謝しつつ、もう1つの対角線でも同じことをして傾斜の傾向を観察。
追加で辺の中心と対面する直線を2本調べて同じような観察をしてみて、それを終えてワイヤーをしまったオレとサイオンが出した結論は全く同じ。
「中心に向けて直径6mほどの円形に傾斜ができている。これはこの床の設計ミスではないな」
「ここまで滑らかな傾斜が金属板にできるもんかね。ちなみにここにあった隠し財産の配置って……」
「もう少し乱雑ではあったが、収めようと思えばこの円形の範囲内に収めることはできただろうな」
「となると、何者かがこの倉庫に侵入して、この円形の範囲内に黄金を配置して、何らかの手段で持ち出した? 現実的じゃねぇ……」
「だがこの円形の窪みに意味がないと俺には思えん。しかしこれを見つけるとはな。日本人でなければMI5辺りにいてほしい人材だ」
「そりゃどうも」
MI5って防諜専門のところだったか。
どのみちオレはお国のためとかサイオンのように大層な理念に基づいて自己犠牲の精神では動けないので、たとえイギリス人だったとしてもなりはしないだろうが、評価だけは素直に受け取っておこう。
それから新たに何かが発見できたりといったこともなく、オレがこれ以上は無駄だと悟ればサイオンもあっさりと諦めて政府の人間と3人で地上へと戻る。
時間にしてみれば1時間とかかっていない作業だったが、これでサウサンプトンでやることは全て終えたので、さっさとロンドンに戻って報告するかと鉄道駅に向かおうとする。
だが気前が良いのかサイオンが車で来たらしくて、帰るなら乗っていけと安上がりになりそうな提案をしてくれる。
サイオンと2人きりとか間が持てない気もするが、出費が抑えられるならとその提案に乗ってみれば、反応も薄いサイオンは近くに停めてあるという車に向かって気持ち悪いほど静かな移動を始める。普段からそんなんなの?
「猿飛京夜。遠山キンジは元気か?」
オレも人のことが言えないくらい生活音は出さない主義だが、呼吸するようにスニーキングするサイオンは群を抜いてるなと車まで辿り着く間に考えて、いざ車に乗り込もうとしたところでふと、サイオンがキンジについて尋ねてきた。
そんな仲良かったっけ? と思いながらも近況が気になる程度には意識しているらしいサイオンに武偵らしい答えで返しておく。
「さぁな。今頃は『日本は小さすぎるぜ』ってどっか別の国にいるかもな」
「チップだ。正確に教えろ」
「わかってるな。武偵高を留年して肩身が狭い思いをしてるよ。アリアも呆れて機嫌が悪かったな。今月中にでもローマ武偵高に留学って形で行くはずだぞ。新高校2年生じゃなくて留学扱いだから、実質的な国外逃亡だ」
「…………」
武偵はタダでは動かない。それがわかってるサイオンも始めこそポロリを期待したようだが、オレも抜かりはないのでお口にチャックした回答をしたら、速攻で100ポンド──日本円で約15000円くらい──ほど差し出して金で情報を買いに来た。
キンジの近況なんてMI6が調べれば割とわかりそうなものだが、私情で組織は動かないという意思なのだろう。
一応、キンジとはいま同じ武偵チーム『コンステラシオン』のメンバー同士ってことでその辺の話はリーダーのジャンヌ・ダルク30世から聞いてはいたから、何か不都合がないだけの情報をサイオンにサクッと売って小遣い稼ぎ。儲けである。
まぁチームメンバー6人中の2人──キンジとサブリーダーの
「あの男は本当に計れないな。
「上手いこと言ってやるな。あとオレが漏らしたことは直接会ってもバラすなよ」
「ああ、わかっている。俺は頭も固いし口も固い。安心し……」
そんなキンジの近況は笑い話にもならなくて、念のためオレから提供された情報なのは伏せるように釘を刺しておき、自覚はあったか頭の固さに加えて口も固いと言うサイオンは、しかしそれを言い切る前にその眉をピクリと動かしてチラッと視線だけを左右に向ける。
「……何だ?」
「……いや、なんでもない。日があるうちにロンドンに戻るぞ」
「ああ。よろしく頼むよ」
わずか2秒に満たない行動だったが、あのサイオンが何かに反応したと見られる行動に意味がないなどあり得ない。
それがオレにもわかってる上で『なんでもない』として車に乗り込んだサイオンにも何か考えはあるのか、気づきもしなかったオレではどうしようもないのでその場は合わせることで車へと乗り込み、サイオン同様に静かに動き出した車はロンドンに向けて速度を上げていった。