…………憂鬱やわぁ。
アメリカへの武偵教習に行くためにようやく解かせてもろた海外への外出どすが、心配性な親にもちょっと困りもんどす。
そもそも武偵になることに対してもえろう反対しはった両親やから今更っちゅうこともありますけど、エエ加減に娘を信用してくれと思いますわ。その点に関してはお祖父様とお祖母様の方がよっぽど理解がありますな。
2010年4月4日。
アメリカ行きを快く思ってへんかった両親が、それでも行くならと約束したお見合いの席に渋々で着いとるウチやけど、相手方の到着が少し遅れて待ちぼうけ。このまま来れへんなんてことになってくれたら御の字やけど、そう都合よくはいきまへんやろな。
京都でも随一の座敷と広い庭がある料亭と、店選びからして金の臭いがプンプンなところも嫌やけど、両親のやる気がまたウチとの温度差を広げて居づらさを助長します。
このお見合いの両親の魂胆は見え透いとりますが、まぁ約束したことやし、先方に失礼がない程度に付き合うたるつもりどす。
わざわざこの日のために雅らから休みを取らなあかんかったのが納得いきまへんが、何の休みかは教えてへんから、後日に「お見合いしてフラれたん? ウケるー!」とか愛菜はん辺りに言われることはないはずやけど、雅が余計なことしてへんとも言い切れんのが厄介どす。
ただ座って待つっちゅう暇な時間ができるとろくでもないことばかり考えてまいますが、感覚だけは鋭くなっていたおかげでお座敷の外から人の気配が近づいてくるのがわかり、ようやく到着どすかと思いつつ失礼のない破談へと持ち込むための思考へと切り替えます。
医者家系の薬師寺っちゅうこともあって、相手方も同業の医者。それも花形の外科医の先生で、研修医時代からお父様が知ってる将来の有望株。
まだ26歳や言う話で、然したる功績も経験もあるわけやありまへんが、お父様が有望株っちゅう評価をするなら間違いはないやろうな。
写真で見た限りでも裏表のない若者な印象は強かったどすし、お父様もそんな人間やからお見合い相手に選んだんやと……
そう考えとりましたら、お座敷に当の本人がご両親を引き連れて入室してこられまして、礼儀だけはしっかりとしてから対面で座り直します。
実際に対面してみると写真はちょっと修正が入ってるような気もしますが、歳下相手やからか向こうには余裕がうかがえて、ウチが見つめると爽やかな笑顔で返してくれます。
最初は両親同士の聞くのも無駄な話が繰り広げられて暇どしたが、ウチと相手方が自発的に喋らない空気を察してくれたお母様の機転で、早くも2人きりにさせられてまいました。こんな時にカウンセラーの本領を発揮せんでもエエんどすが……
「眞弓さん、と呼んでもいいかな」
「構いまへんえ」
そうして2人きりになったお座敷でまず口を開いたのは相手方。
名前は何て言いましたかな。興味がなくて下の名前が出てきまへんが、藤木っちゅう名字なのは間違いあらへん。
その藤木さんは話の主導権を握りたいのか、ウチとの距離を縮めるような会話へと持ち込んできますが、まぁ向こうから晒してくれはるんなら、わざわざウチから踏み込む必要もありまへんな。楽どすわ。
「眞弓さんは確か、最年少で医師免許を取得した天才少女だったとお父様からうかがってます」
「そない大層なもんとちゃいます」
「海外でも祖父母についてご活躍されていたとか。そして今は関西で有名な武偵チームのリーダー。まだ20歳の女性とは思えない経歴だ」
「…………おおきに」
ウチも話題性っちゅう意味ではそれなりやと思いますが、藤木さんも無知やあらへんことを暗に示してきた感じやろ。
それだけならウチも社交辞令程度で済ませたかもしれまへんが、この男。どうにも違和感がありますなぁ。
その違和感が何なのかは今のところわかりまへんが、ウチのこれは昔から悪い方向性やと外れたことがほとんどありまへんから、注意はしておきましょか。
言葉遣いからして関西出身っちゅうわけでもなさそうな藤木さんやけど、こっちから向こうに探りを入れるのは興味を持ってると思わせる要因になってしまいますから難しいところどすが、会話の主導権が向こうのままでも誘導することはできます。その辺はお母様の話術が活きますな。
「眞弓さんは家事などは自分でやられるんですか?」
「やらへんように見えますか? ウチはそない箱入り娘な印象を与えるんやろうか」
「いえいえ、眞弓さんのお父様がずいぶんと溺愛されているのをよく耳にするもので、やりたくないことはやらなくてもいいような環境があるのかと思っただけですよ。よく言うじゃないですか。甘やかされて育つと社会に出てから苦労すると」
「社会に出て苦労するのは育った環境だけが全てやありまへんえ。大切なんは自分がどう生きたいかをしっかりと見据えて、そのために何が必要かを考えることどす。それができへん人間がダメになりやすいだけの話どす」
「では眞弓さんはどのような将来のビジョンを見据えているのですか? 女性ならば結婚などが挙げられると思いますけど」
「ウチは結婚を見据えて生きとりまへん。結婚願望もそれほど強くありまへんし、主婦になって牙をもがれるんはもっと先でエエと思ってます」
藤木さんはずいぶんの乗り気な見合いなのは話からもわかりますが、それに付き合ってあげるのもそろそろ終いやろと考えて、話題が結婚にシフトしたところでその気がないことを匂わせて反応を見てみる。
しかしそれだけの言葉やと、向こうは『今はまだ』的な解釈で受け取ったみたいで、交際には前向きな雰囲気は変わらへん。
昔から表情が読めへん言われるウチやけど、ハッキリとものを言えへん状況になるとそれも引き立ってしまいますな。こっちの意図が伝わりまへんわ。
対面して座ったまま言うのがなんや堅苦しいっちゅうことで、ベッタベタなシチュエーションにはなりますが、場所を庭に移して散歩しながら生産性のない会話を続けます。
何か決定的に相容れない価値観なんてものが出てくればと期待して話に付き合うとりますが、どれも統計学的に見れば平凡な価値観で突き放すレベルではないのがホンマに困りますな。
いっそ性癖でも暴いてドン引きするくらいのことをしてもエエかもしれまへんな。と、ウチの口から出るはずもない話題の切り出しで主導権をこっちに持って来ようとしましたが、それよりも先にウチの携帯がバイブで着信を知らせてきました。
休みは貰とりますが、雅達以外の個人的な要請もありますから、その辺で何かあったら仕方ありまへんし、それがどんな連絡かはバイブの種類で分けてますから、ラグは生じますが……
そう思いながらバイブの震え方を確認してみますと、緊急性のある、ウチの設定で最も上の優先度の連絡やとわかります。
しかもメールやなくて電話。これにかけられるんは武偵庁と雅達以外だと片手の指で数えられる程度。
「すみません眞弓さん。少し外しますね」
さすがに出ないとマズイ思とりましたら、藤木さんも何や電話の着信があったみたいで話が聞こえないところまで移動してしまいます。
お見合いはそれなりに力を入れていたように見えましたから、よほどのものやないと無視しそうなもんどすが、それができへんような案件や言うことどすか。
そんな引っ掛かりが気になりつつも、ウチもウチでさっさと取らな切られてしまうと携帯を取り出してみますと、相手は同業の先生。京都で『2番』の衛生武偵どすな。
そんなことを言うても先生は自分が1番や言うと思いますが、それはそれとして電話に出ると、開幕から「さっさと出んかいアホんだらっ!」と怒声が飛んできます。
そら出るまでにラグはありましたが、怒鳴らんでもエエどすやろと内心で愚痴っといて、緊急性のある連絡やいうことを念頭に本題を切り出してもらいます。
『この騒ぎでお前がいないことにこっちが驚いとるんや! ニュースも観てへんようやから教えたる! デパートでフロア火災があってん! 原因はなんやまだわからんが、結構ヤバめの爆発が何度かあって、死傷者の数もまだ把握できとらん! 現場は収まりつつあるようやけど、こっちが手が足りんねん!』
その先生の話やと、だいぶてんてこ舞いな現場になっとることはわかります。
今も誰かの治療の片手間にかけてるんやろうし、先生のことやから陣頭指揮もやってはるのでしょう。
その先生が手間を増やしてでも要請してきたなら行かないわけにはいきまへんな。
ウチは慈善事業だけでやっていけん武偵どすが、苦しんでる人を助ける機会を与えられて黙ってられる冷血漢でもありまへんえ。
「報酬はどこから出ますのや?」
『そんなん追々や! まずは人命を1つでも救いや!』
「ごもっともどすな」
それでも貰うもんは貰えんと無駄骨どすから、先生をちょっとイラつかせてから電話を切って、とりあえずこのお見合いを終わらせる口実ができましたさかい、電話を終えた藤木さんに堂々と用事ができた旨を伝えます。
そやけど、ウチへの要請とほぼ同じタイミングで来た藤木さんの電話が全く関係あらへんなんて思えんかったウチは、先にどんな電話やったかを尋ねてみます。
「いえ、病院からちょっと連絡が入っただけですから、お気になさらずに」
「そう、どすか」
先生の方は武偵病院でしたが、そちらがパンク寸前なら一般の病院かて似たような状況ですやろ。
そやったら病院から来た言う連絡も藤木さんの手が欲しいとかそんなものであって然るべきどす。それを詮無きことのように振る舞ってお見合いを続けますか。
「…………藤木さんには悪い思いますが、ウチは心から尊敬できる、信頼できる人なら、旦那が家庭を省みない仕事優先の人でも構いまへんのどす」
「はい?」
「公私をしっかりと分けられる人が壊れにくいのもわかっとりますが、ウチはそれでも『人として大事にすべきものを持っとる人』と結ばれたらエエと思とります」
ウチが電話の内容を知らないと思てる藤木さんには唐突な話でピンとは来おへんようどすが、お見合いを断っとることはなんとなく理解できたようで、ちょっと慌てた様子が見えます。
それと同時に庭にお父様の姿が見えて、おそらくはお父様にも同様の要請が入って呼びに来たいうところと予測して、呆然とする藤木さんには1度だけお辞儀をして近づいて来ていたお父様を追い抜いて、追い抜く際に武偵病院に行くことを告げ、すかさず早紀はんに連絡。
その早紀はんはどういうわけか現在進行形でウチのいる料亭に向かってるところで、どうせ雅辺りが事故の情報から先手を打ってくれはったんやろうけど、これで愛菜はん達にいじられたら雅のせいにしときましょ。
「マユがオフの時にこないな大事故が起きるとか、マユは呪われとんのかね」
「神様には見放されとりますさかい、今さら呪いがどうこう言われたところで痛くも痒くもありまへん」
「……皮肉が通じんマユはおもろないな」
「おおきに」
待ち時間は10分とありまへんでしたが、その間にお母様からビジネススーツを剥ぎ取っ……拝借して着替え、行き先もわかっとる早紀はんの車はまっすぐに市内の武偵病院を目指して走り出し、その間に早紀はんの皮肉を軽く受け流しておきつつ、雅にも連絡。
どうせ動いとるやろと挨拶もなしに電話に応じた雅によれば、現場の方は出る幕なし。
愛菜はんと千雨はんと一緒に現場にいるようどすが、消防も救急も警察も迅速で野次馬が変なことせえへんように怒鳴ることくらいしかやってへんようや。
車のテレビを点けて緊急中継も観ておりましたら、丁度その姿と声がテレビに流れて、雅にやかましいから報道の邪魔はせんようにだけ注意して電話を切る。マイクも寄ってへんのにやかましい人達どす。
まぁこないな状況でも各々が考えて動けるこのチームはずいぶん良くなりましたし、愛菜はん辺りは京夜はんへの依存も緩和されてアホ具合は抜けてきましたな。バカなのは変わりまへんが。
「早紀はんはもう帰ってもエエどすえ」
「アホ。私が帰ったらマユの帰りの出費が余計やろ。待っといたるからはよ助けてきや。それは私ができんことやから」
「そうですか。ほなら雑用としてこき使ったりますから、ついてきてもらいましょか」
「……えっ」
最短距離と時間で武偵病院に辿り着いた早紀はんの運転はさすがどすが、ここで待ちぼうけするとかアホなこと言いはるのは見過ごせまへんなぁ。
やからウチの手足になってもらおうと仕事を与えたら、なんや「楽しようとしたのがバレた」みたいな顔をしはりました。
早紀はんは真面目やけど抜くところは抜きますから、ウチくらいしかケツを叩いてやれまへんのがズルいどす。他は隙あらば手抜きしますさかい、人のこと言えん状態どすから。
そんな早紀はんを連れて武偵病院に入ってみると、えらい騒がしい感じで人が行き交っててまさにてんやわんや。
ニュースを見た限りやと死傷者合わせて200人近いかもと言うて張りましたから、そら手も回らんって話どす。
来たばかりで状況がわかりまへんから、とりあえず先生のいる場所に仕事を貰いに行きますと、ウチらを見つけるなり白衣を投げつけて「見分けがつかんから着とけアホんだら」っちゅう怒声と共に担当する区画をざっくり指示してくれます。
まずは事前にやってくれてます患者の優先度を示した院内トリアージ──色分けされてます──を見て、残念でもウチがその目で判断を下さなあきまへん、黒。要は死亡者の確認を手早くしていきます。
先生や他の救護武偵が診てるかもしれまへんが、人が入り乱れすぎて確認も難しそうやし、いちいち担当を確認する方が面倒どす。
急ぐ必要はありますが、亡くなった命をないがしろにはできまへんから、手早くではありますが、出来る限り丁寧に小さな見逃しもないように診ては、両手を合わせます。これはいつになっても辛いどすなぁ。
ウチがいたら防げた事故や言うんはあまりに傲慢どすが、ウチがもう少し早く駆けつけていたら助かったかもしれん命が、この中に一体いくつあったのか。
そんなことを考えながら、これ以上の死者を出さないために自分の出来る最善の処置を早紀はんの助けを借りながら、迅速に、丁寧に、ミスもなくしていきます。
──生きてさえいてくれれば、必ず助けます。
それをウチはいつも口にしますが、現実は時に非情で残酷で、叶わんことも少なくありまへんでした。
現代の医療では治せへん怪我や病気。いくらウチでも出来へんことは出来まへんから、仕方のないことと言うんは簡単どす。
やけど、医者っちゅうんは出来ないから諦めるを繰り返してエエ職業と違います。
何百、何千ものトライアル&エラーを繰り返してでも、今日は治せなかったものを明日には治せるようにする。そういうものどす。
「…………救えなかった命に報いるには、その何倍もの命を救わないとあきまへんのや」
「それを原動力に動いとるお前は凄いと思うで、眞弓」
世間話をする暇もなかった現場でしたが、全てを終えて一服してみれば静かなもんどす。
早紀はんは運転する余力もなさそうやったから少し休んでもらってますが、先生はあれだけ先頭で動いとってまだウチと会話する余裕がありますのは、さすがのウチも化け物やないかと目を疑いますな。
そんな人の皮を被った化け物の先生は、経過を見なきゃあきまへん患者の様子を見にそれだけ言うて行ってしまいますが、それなら先生は何を思ってあない必死に人の命を救ってはるんでしょう。
その答えを聞くのは簡単やけど、ウチの中ではなんとなく答えはわかってて、やいややいやと怒鳴り散らすのが常な先生どすが、あの人ほど命と真剣に向き合う人はそうおりまへん。
やからきっと先生は、目の前に助けられる命があるから助けるんやろ。お人好しどす。武偵である必要がどこにありますのや。
引き受けたからにはウチも妥協はしまへんので、診た全ての患者の安全が保証されたところでお仕事を終了。
その時には日も完全に落ちて、早紀はんなんか起きてから腹が減った言うて牛丼食べに出掛けてしまいましたが、もうすぐ帰ってきはるでしょう。
何故かそうやって待つ立場の人間を待つ逆転現象に見舞われながらも、お父様へ今さらながらお見合いの途中で抜けたことを謝罪しようと電話しておきます。
ウチ的にはラッキーなことどすが、親としては残念な結果やろうし、また日を改めてとかそんな感じになっててもしゃーないかと思とりましたが、電話に応じたお父様からは意外なことを聞かされます。
なんやウチが出ていった後にお見合いを優先して緊急要請に応じなかった藤木さんに酷く落胆したお父様は、あの段階では当然、藤木さんも一緒に病院に行くものと思っとったらしいどす。
それでお見合い話も破綻っちゅう流れになったらしいんどすが、そうなると向こうも本性が出てきたみたいで、お父様に目をかけられることで薬師寺の家に上手く取り入ろうとしとったようどすな。
実際、お父様はその長い仕込みに引っ掛かってお見合い話を持ち込んでますから笑えへん話どすが、初対面やったお母様は藤木の家族と会ってから少し怪しんでおりましたみたいで、ウチらが2人きりでいる間に両親からそれとなく腹の内を探っていたようどす。
その辺でお母様が鋭いのは頼もしいどすが、ウチが感じた違和感はこれに起因するところやったのかもしれまへん。直感は遺伝するんどすかね。
「お父様はこれに懲りてお見合い話は当分、持って来おへんでください」
結果的にウチの見合い話は破談になりましたが、今日の見合いでわかったことは、ウチの結婚願望は今のところ地の底にあるいうことどすか。
それを言うとお父様は泣いてしまうやろから、今後の見合い話は慎重にといった意味の言葉を残して通話を切って、腹を満たして満足したような早紀はんが到着したところで武偵病院から退散。
報酬の方は武偵病院から先生の評価を加味して払われる言うてましたが、どうせ「後から来てこれだけしかやってへんのやから文句言うなや」とかなんとか言うて叩きつけてくるんどすやろ。知ってますよって。