「まだずいぶん雪があるなぁ」
「雪解け水が凍ってアイスバーンが怖い時期でもあるらしいぞ」
3月もいよいよあと10日ほどになった今日この頃。
来週には卒業式と終業式も控えて進級も見えてきたが、学期末試験がまだ残っててちょっと嫌だなぁと思いつつもジャンヌと一緒に呑気に北海道旅行に出かけたわけだ。
完全に試験をナメてるだろってタイミングだがそれはまぁいいのだ。オレもジャンヌも何気に成績が良いから赤点回避は最悪でもできる。武偵高で赤点ってなかなか取れないものでもあるが。
そんなわけでやって来たのは北海道の南に位置する函館。
札幌は来年の雪まつりで行くから、今回は函館に1泊2日の日程で基本的にはグルメ旅みたいな感じで楽しむ予定。
函館空港は函館の中心地から少し離れた位置にあるが、函館山に向かう途中に都合よく有名な温泉を有するホテルなどがあるので、そちらに先にチェックインして荷物を置き身軽にしてから市内を満喫できるタイムロスの出ないメリットもある。
オレ達も例に漏れずに空港から先にホテルへとチェックインを済ませてから中心地を目指すが、旅行ガイドを片手にウキウキするジャンヌは何やら非常に可愛い生物と化している。
「京夜、競馬場があるぞ」
「シーズンじゃないからレースはやってねぇよ」
「誰も入ろうなどと言っていない。ただあるぞと言っただけだ」
「実況はしないでくれ。恥ずかしいから」
そんなジャンヌは移動にもこだわって、全国でも運営がそれほど多いわけでもない路面電車でゆっくりと函館山を目指すと決めていたので、道路のど真ん中を車と一緒に走る景色にちょっと興奮気味。
別に路面電車なら東京にも都電荒川線や東急世田谷線があるし、京都でも嵐山本線の一部がそうなので珍しいという感覚はオレにはない。
しかしながらこの路面電車はガソリンやらではなく電力による供給で動かしているので環境に良い市民の足として長年親しまれている。
そんな古き良き函館文化に揺られながらまずは五稜郭へと差し掛かって下車し、歩いてすぐにある五稜郭公園へと行ってみる。
上空から見たら星形をしていることで有名な五稜郭だが、それを見下ろして一望できる五稜郭タワーは数年前に建て替えされてまだ真新しさがある。
「この見える範囲でどれほどが桜の木なのだろうか」
「それはオレにもわからん。見たかったなら開花の時期に来るんだったな」
「それでは間に合わんだろう。確か北海道の桜の開花は5月になることもあるのだろう?」
「まぁそうだが……こりゃ函館もまた来ることになりそうだな」
「その時はみんなで花見でもしようではないか」
数千本の単位で植えられたという桜の木はまだ開花するには寒すぎるのでどれがそうかはわからないものの、それ見たさに花見で訪れるのもいいかもなとジャンヌの話に素直にそう思う。
近い将来には北海道にも新幹線が開通するという話も聞くし、そうなれば東京から3時間とかからずに陸路で来られるわけだしな。
まぁその頃に日本を拠点に武偵をやってるかも今のところはわからないが、やれないこともないので前向きに考えつつ、この五稜郭が新撰組の鬼の副長、土方歳三の没した地だということを思い出し、遠巻きながらも千雨さんと所縁があるんだなぁと、五稜郭の中心に建つ資料館辺りを何気なく見下ろす。
「…………うん。昼飯にしようかジャンヌ」
「なんだ。まだ11時になったばかりだが、もうか?」
「この時期は卒業旅行の客とかも多いし早めの方が待ち時間に悩まなくて済む」
「それは確かに……ではそうしよう」
見下ろした先になーんか見えた気がしたので、何か起きる前にここから離れようとウキウキのジャンヌに悟られないように提案。
理屈ありきで言えばチョロいリーダーは疑問も大して持たずに賛同してくれて、逃げるように五稜郭タワーを下りてすぐ下にあったご当地グルメのハンバーガーショップで昼食。
ハンバーガーショップと言いながらもカレーやらピザやらとそのラインナップが豊富なメニューにジャンヌもあらかじめ決めていたとはいえ、現地ではやはり目移りして割り増しで注文。
オレも興味本意で一品を追加してしまったが、それを後悔しない味には大満足だった。
「しかしだなジャンヌさんよ。これから朝市にも行くのですが、お腹の方は大丈夫でございますか?」
「も、問題ない。夕食の海鮮丼までには消化は済むだろう……おそらく」
「もし食えなくても隣でオレが美味しそうに食べてやるから安心しろ」
「それは嫌がらせなのか!? 嫌がらせなんだな!!」
一品を追加したとはいえ、サブメニューの唐揚げだったオレに対して、がっつりハンバーガーとピザを食べたジャンヌさんは、店を出て路面電車の停留場に向かう道中で何度か苦しい表情を見せたので、これからのグルメ旅が心配になる。
グルメ旅と言ってたのにこのペース配分だからアホとしか言いようがないが、アホはオレの美味しそうなグルメリポートを指を咥えて見るくらいのことがあって当然なので、主導権を握る発言で優位に立つ。
しかしこれが気に食わないのか両頬を膨らませて怒ったジャンヌは「トイレで吐いてくる」とかまたアホなことを言い出したので主導権を渡して止めてやるのだった。乙女がそんなことするなよ……
「おい京夜。あれがやりたい。
「言われなくてもついていきますよ、お姫様」
路面電車に揺られて次に訪れたのは、普通に線路を走る電車の駅が目と鼻の先にある函館朝市。
本当は午前中のうちに来るのがベストなのだが、贅沢は言ってられないので人の混雑もそこまでじゃない昼時に見て回っていると、ジャンヌが他の客がやっていたイカ釣りに興味を持ち意気揚々とやり始める。
そうして釣ったイカを店の人が捌いてその場で食べられるのが売りのようだが、まだ腹の膨れ具合が万全なジャンヌは刺身を何枚か食べてあとはオレに丸投げするという暴挙。釣ったら食べて?
食べられないのに朝市にいるのも悪いかと、ジャンヌを責めるのを無理矢理にやめてパパッと朝市を抜け赤レンガ倉庫の方に足を運ぼうと提案してみる。
するとジャンヌも「食べ物を見てると食べたくなるし、いいだろう」と自らの満腹とオレへの押し付けをちょっとは気にしてるような発言で了承してくれて助かる。
手のかかるお姫様だが、なんだかんだで楽しんでるオレもオレだし、わがままを聞くのは幸姉で慣れっこだ。悲しいけど。
オレとしては正直、カニなんかも食べておきたいが、それは夕食の海鮮丼で融通は利くだろうと我慢して路面電車の停留場へと行ったものの、ここで痛恨のミス!
「いえーい!」
「よっしゃあ、ですね」
「京夜ー!」
五稜郭で見かけて絶対に鉢合わないようにと思っていた理子、劉蘭、猴のトリオが、丁度良く五稜郭方面からの路面電車を下りてオレ達を発見。
すぐに寄られて騒がれ、周りに迷惑になりそうだったから停留場からは離れて嬉しそうにする3人を見て、オレとジャンヌはげんなり。くっそぅ……
「…………いちおうは聞こう。何でここにいる?」
「そーんなのキョーやんが理子に内緒でジャンヌとお忍び旅行をするからだよぉ」
「私は理子様から京夜様が不穏な動きをされているから、浮気を暴いてやろうと」
「猴は劉蘭の付き添いです!」
「…………どこだ?」
「まぁぶっちゃけジャンヌがやたら浮かれてたから、ほっちゃんを事前に買収しただけなんだけど、蘭ちんの都合がついたのは偶然のラッキー!」
幸帆……お前ってやつは……
無邪気な猴が腰に抱きつくのを受け入れつつ、このタイミングで函館にいた理子達がやはり偶然ではなかったのを確認――わかってたけど――し、感情が丸出しだったらしいジャンヌにジト目を送って鳴りもしない口笛で誤魔化される。こういうところがポンコツなんだよ……
「ていうかキョーやんさぁ、五稜郭で理子達に気づいて逃げたよね?」
「はっ? 何を根拠にそんなこと言ってんだよ」
「猴ちゃん鼻が良いんだからね。キョーやんの匂いがしたって言うから、絶対に逃げたと思ったし」
「酷いです京夜様。私達がまるで邪魔者のような扱いを」
「実際に邪魔しに来てるよね? 間違ってないよね?」
「……猴は邪魔者ですか?」
「あー! キョーやんが猴ちゃん泣かせたー! いーけないんだ!」
「ぐっ! 卑怯な!」
このポンコツめと思ってたら、なんかオレもやらかしていたようなことを理子が言うので、シラを切ったものの猴の鼻を持ち出されたら勝てん。
しかしジャンヌの希望での2人での旅行に割り込んできたのは邪魔以外の何物でもないからそこは正論で通したら、泣きそうな猴を武器にされてげんなり。
「…………仕方ない京夜。こうなってしまった以上、ここから別行動というのも気が引ける。皆で観光を楽しもう」
「……はぁ。ジャンヌがいいならオレも文句はねぇよ。ただジャンヌにこう言わせたお前らは謝っとけ」
『めんごっ!』
「ふ、ざ、けるな」
『あうちっ!』
どうせ突き放したところで後でグチグチと言われることもわかってるジャンヌは、せっかくの旅行だからと理子達の愚行を許して、それに喜ぶ理子達だったが筋として謝るのは道理なので謝罪させる。
が、その謝り方が打ち合わせしてたようなテヘペロッをしやがったので、1発ずつ脳天にチョップをお見舞いしてやるのだった。っていうか藍幇の中将にテヘペロッとかやらせるなよ!
「函館って言えばやっぱりイカだよねぇ! ゆきちゃんとかにお土産買わないとだしぶーん!」
「や、やめてくれ理子。そんなあからさまにはしゃがれると恥ずかしい……」
「こ、猴は果物の方がいいですよ!」
それでみんなで改めて行動を開始して、赤レンガ倉庫に辿り着くや否や理子のやつがジャンヌと猴の手を引いてグイグイ歩いていってしまい、オレと劉蘭は恥ずかしいのでその3人とは無関係を装いつつ並んで歩く。
「そういや趙煬は? こういうプライベートでもあれはついてくるものだと思ってたが」
「趙煬は今とても忙しいのです。先日に私達がスポンサーをさせていただいてる映画製作会社の新作の撮影で、悪役の俳優が怪我をしてしまいまして、急遽スタントを趙煬がやることになりまして」
「なりましてって、そうなるように助言したんじゃないのか?」
「いえ。確かに京夜様のお小言は意識して撮影現場の見学をさせてもらいましたが、非常事態で初めて趙煬が自ら進んでスタントをやると言い出したんです」
歩きつつ、本来ならいても不思議はない趙煬の姿がないことに疑問を持っていたオレは、付き添いなのにナチュラルに仕事放棄してる猴を遠い目で見つつその辺を尋ねると、どうやら夢への1歩を自ら踏み出したようなことを話してくれる。
「そうしていざやってみましたら、監督さんに気に入られてしまいまして、そのまま全ての撮影で趙煬を使いたいと懇願され、趙煬も異存はないと言うので置いてきちゃいました」
「そりゃ藍幇でも指折りの超人がスタントやったら凄いよな」
「撮った作品は日本での公開はされませんが、京夜様にはDVDが出来次第、お送りさせてもらいますので、楽しみにしていてください」
「そりゃ嬉しい。でも趙煬には知り合い面するなって言われてるから自慢のネタには出来ないのが寂しいね」
「フフッ。そうなのですか?」
その作品がヒットすれば趙煬の夢も大きく前進するかもしれないと思うと、他人事ながらにちょっと嬉しくなり、劉蘭もやりたいことをやる趙煬を応援してる感じが見てとれた。
「こっちにはいつまで?」
「実は今夜にも日本を発たないとなりませんので、京夜様とご一緒できるのはあと数時間程度になります。ご夕食までは大丈夫かと思いますが」
「相変わらずお忙しいことで。だが……」
趙煬のことはわかったので次に滞在時間の方を尋ねると、こっちもオレが聞かなきゃ言わなかったような感じで過密スケジュールを話すから、そうとわかると邪険にしたオレも悪いような気がしたので、劉蘭の手を取って引っ張り、ちょっと戸惑った劉蘭に言ってやる。
「それならちゃんと作ろう。日本での楽しい思い出をさ」
「京夜様……はい」
そんなオレの言葉に嬉しそうに笑った劉蘭に小さく笑い返して、言った通りの楽しい思い出を作るために店でうるさくする理子達と恥を忍んで合流していったのだった。
「あー! キョーやんのイクラやっぱり美味しそう! ちょーだい?」
「知るか。活イカの踊り丼を迷わず頼んだお前が悪い」
「り、理子様……う、動いてますよ?」
「は、早く食べてやれ理子……うわっ! 醤油をかけたらより凶暴にぃ!」
「き、京夜ー! イカが猴の口にくっついてくるです!」
赤レンガ倉庫での買い物を楽しんでから、1度は函館山に登ってみようかと意見を出したものの、どうせなら夜景を見たいという女子のロマンチック思考に負けて、ハイカラな衣裳が貸し出しで着られる公会堂に行ってそちらを満喫。
オレもタキシードなんてパリ以来に着させられて恥ずかしかったが、女性陣が華やかなドレスに身を包んでツーショット写真をせがんできたことの方が恥ずかしかったので、必殺の雲隠れしてやり過ごしてレンタル時間を逃げ切る。
その代償に延滞料を取られたが仕方ないと割り切って、ジャンヌのお腹もキャパシティーがようやく空いたので少し早く夕食にして今に至る。
しかし生け簀の活イカをその場で捌いて1杯をほぼ丸々使った踊り丼を頼んだ理子と猴の丼にジャンヌと劉蘭は戦々恐々。
胴体から切り離された頭と足がまだウネウネと動くイカがどんぶりの上に乗っていて、さらにそれを食べるというのだから、見る人が見ればなかなかにおぞましい光景だが、好奇心から足にかぶりついた猴が吸盤に引っ付かれて四苦八苦。
理子は理子で大人しく海鮮丼を頼んだオレやジャンヌや劉蘭からネタを勝手に拝借しながら吸盤など物ともせずに食らいついてむしっていたが、野生児っぽいそれにはジャンヌと劉蘭が引き、猴は真似する始末。ワイルド過ぎるわ。
「ほらほら早く早く!」
「ですよですよ!」
「ま、待て理子、猴。食後にすぐ走るのは少々キツい……」
「そんなに急いでも劉蘭の足は速くならないぞ」
「す、すみません皆さん……本当に体力がなくて、悲しく、なります……」
戦慄の夕食を済ませてすぐに、劉蘭と猴がもうすぐ帰国の時間となるため、サッと函館山の展望台に行って夜景を見て戻るというミッションに挑んだオレ達だったが、路面電車を下りてもロープウェイの乗り場までちょっと距離があり、その距離を走るわけだが、運動音痴の劉蘭節が発揮され先頭の理子との差が広がるばかり。
結局は理子達を待たせる形で急いだ意味は全くなくなってロープウェイに乗り、展望台へと3分程度で到着。
その頃にはすっかり日も暮れて天候も良好なため見事な夜景を望むことが出来た。
「おっほぅ! これが日本三大夜景の1つですかぁ!」
「その三大なんとかーって、日本特有らしいぞ」
「確かに日本はやたらと三大なになにというジャンルがあるな」
「日本人は3が好きなのですね」
「あの、皆さん、もう少し夜景への感想を……」
人もそれなりにいたのでバカみたいに騒いだりはさせずにいたものの、夜景に対して関心がないようなオレ達の脱線した会話に劉蘭がまともなことを言って割り込む。
至極まっとうな意見なのでみんなして反省しつつ、改めて函館の夜景を眺めると、やはり街の明かりが輝いて見えてとても綺麗だ。
「綺麗だねぇ、京夜」
「京夜、こういう時に女に言う台詞があろう? 私にだけ言ってくれ」
「京夜様はどなたをお褒めになるのか気になります」
「京夜、ちょっと猴では見えにくいです。体を持ち上げてはくれないですか?」
「うんうん。猴だけがオレの心のオアシスだよ。3人ともプレッシャーが半端ない……ほーら、たかいたかーい」
オレが綺麗だと思ったのだから、感性が男よりもある女性陣も同じく感想を抱いたはずで、何故かこういう時だけ結束する女性陣がオレから何やらくさい台詞を引き出そうと言葉を分けるようにプレッシャーをかけてきた。
だがそれに上手いこと加われなかった猴の癒しで助けられたオレは、夜景ではなくオレを見る3人の視線を無視して一心不乱に猴と夜景を堪能するのだった。怖いよぉ……
「それでは皆さん、ごきげんよう」
「京夜、また遊びに来るです」
「おう。今度はちゃんと連絡してくれ」
「蘭ちん、ばいちゃ」
「達者でな」
函館の夜景を見てロープウェイで下りてからすぐにタクシーを拾った劉蘭と猴は、迫るフライトの時間に追われるように別れの挨拶を手早く済ませて行ってしまい、オレとジャンヌも明日は午前中のうちに東京へと戻るのでホテルへと戻る。
しかしまぁ予想通り理子も同じホテルにチェックイン済みで、すぐにオレ達の部屋に乗り込んできて騒ぎ始める。
基本的に何かしてないと落ち着かない理子のこういうところは時々鬱陶しいので、ジャンヌに温泉に連れ出してもらってようやく1人の時間を作り出せたオレは、遅れて温泉へと向かってゆったりまったりくつろいで旅の疲れを癒す。言うほど疲れてないけど。
「さーて、理子への誕生日プレゼント。どうしよっかねぇ」
湯に浸かりながら考え事する贅沢な時間を理子のために使ってるのは癪だが、年に1度の記念日くらい頭を悩ませてもいいかと割り切ってぼんやりとプレゼントについてを考えるが、これといったものが浮かばない。
なんとなく理子はオレがプレゼントすれば何でも喜びそうな絵が浮かぶから楽観視してるのもあるが、あいつが普段から本心を隠すタイプの人間だから、本当に欲しいものってやつがよくわからないのもある。
「…………悩む幸せねぇ」
オレとしてはつい昨日に理子が言っていた『プレゼントを悩む幸せ』ってやつがいまいち掴めないが、これを楽しめる理子が特殊なのかオレが特殊なのか。
結局はほとんど進展しないままプレゼント選びは保留となって温泉から上がり、まだ騒ぎたい理子に付き合って夜遅くまでゲームやらをやっての翌日に、3人一緒に飛行機で東京へと戻り、1泊2日のプチ旅行は終わりを迎えた。