ハワード王子とサイオンの面倒臭そうな2人と遭遇した翌日の朝。
昨日の段階で不安な言動をしていたアリアが独断で鬼達と会って殻金を取り戻しに行こうとしてしまう。
「チェイニー・ウォークってのはどの辺だ?」
「テムズ川沿いの道の1つだよ。チェルシー・エンバンクメントの横道に当たるけど、バッキンガム宮殿の南西って言えばわかるかい?」
「テムズ川の向こう側か?」
「手前側だよ」
そんな無謀を放置はできないので、現在進行形でアリアのいる場所を目指してオレ、ワトソン組とキンジがそれぞれで向かっていたが、街の中心地から車で向かったオレ達は朝の通勤時間とのブッキングで、緊急車両用の青色警光灯を使っても抜けられるスペースを確保できないなどがあり、最短ルートからずいぶんと迂回させられていた。
これなら走って向かった方が早くないか?
とか思いかけるが、距離も距離で結果的に大差なさそうだし、それなら体力を温存しておくかと助手席で大人しくしつつ、備えあれば憂いなしってことでミズチやワイヤーの装備を万端にする。
「さて、鬼とセーラか。誰なら倒せると思う?」
「竜の港で対峙して理解してるが、鬼と戦っても勝算は限りなく低いだろうね。セーラも瑠瑠粒子の濃度が薄いから超能力もあるし、あの弓の技量で狙撃されたら対抗手段がないかも」
「同感。この際だからサイオン辺りをハワード王子に呼んでもらったら可能性が出てくるかもな」
ようやくバッキンガム宮殿を視界左に捉えて緩やかに南下していくところで、現場でオレ達が何を出来るかを話すものの、2人して勝てそうもない相手にため息。
もう何でも勝算が欲しいからサイオン辺りの名前を出したら、昨日の今日のことで気分が良くないのか、ワトソンはキロッと軽く睨んでくる。仲の悪いMI6には頼りたくないってか。
「まぁその辺は戦闘にならないように立ち回れれば最善。無理ならオレはオレらしくやるし、ワトソンも策の1つくらいあるだろ」
「皆が皆、君のように都合よく状況に合わせて策を練れると思わないでほしいね。君も大概、フローレンスと同種で計りかねるところがあるから」
「あれと同じ扱いは嫌なんだが……」
しかし今回の任務はアリアの奪還であって鬼達との戦闘はしないならしないに越したことはない状況。
楽観視はあれだが、悲観的になるのも早いと前向きに話すオレに苦笑しつつのワトソンは、何故かオレと羽鳥をひとまとめにすることを言うので不満だ。
そうこう話していたら、かなり迂回した上で目的地のチェイニー・ウォーク付近に西側から進入するルートにまで差し掛かって、オレも集中力を高める。
するとテムズ川沿いのチェルシー・エンバンクメントに出てすぐに銃声が響き、出た道にはなんか凄くピッチピチな英国風スーツを着込んだキンジと、その奥で銃を構えながら華麗な身のこなしで車道へと乗り込んでくるサイオンの姿が。
「えっ……何でサイオン……がっ!?」
よくわからない状況をあえて口にすることで落ち着こうとした瞬間に、何故かワトソンがいきなり加速してキンジを通りすぎ、その奥のサイオンを盛大に撥ねやがったから、本気で焦る。
撥ねられたサイオンは道路のさらに奥へと吹き飛ばされて転がったものの、それを気にも留めないワトソンはすぐにバックしてキンジの横までつける。
「
「サイオンをガン見してたやつがよく言う……」
それで平然と撥ねた理由を誰に言ってるのかわからない感じで口にしたワトソンは、昨日の仕返しをしてやったくらいのノリで寒気がする。
だからオレも小声でワトソンにツッコミつつ、ターンして開けた視界の先に鬼とセーラを捉えて気を引き締め直す。アリアの姿は、ないな。
「貴様、サイオンに何をするかッ。だがその叱責は後だ、追え!」
なんか自走するように転がる大きな壺も見えて困惑するが、それよりも割り込むように聞こえた声に振り向けば、後部座席に乗り込んできたハワード王子に仰天。何でいるんだよ……
だがハワード王子がいるならサイオンがいたことにも納得がいくので、状況もやや鮮明になってきたぞ。
完全にお荷物なハワード王子を降ろそうとキンジがしたが、オレとキンジはほぼ同時に後ろで起き上がってきたサイオンを確認し、さらに通りかかったオートバイの運転手を蹴落としたのを見てアイコンタクト。
仕方ないので抵抗するハワード王子はそのまま乗せてシートベルトを掛けたキンジを見て、オレはワトソンに発進のサインを出す。
「お前、後ろは責任持てよ。前はオレが見てやるから」
「ありがたいね。正直、前と後ろを掛け持ちは俺もキツい」
サイオンから逃げるように、先を走る鬼達を追うように発進したポルシェにハワード王子が悲鳴を上げるが、そんなことを気にせずにオレはシートベルトを外して座席に立ち前方を見据え、キンジは後ろから追ってくるサイオンに集中。
おそらくサイオンはハワード王子がここにいるから『キンジが誘拐した』という大義名分で追ってきてる。
それに巻き込まれた形だが、ハワード王子を引き渡したところで命の保証はないのでこのまま行くしかなく、どうにかサイオンの狙いを前の鬼達に向けられないかと考えるが、無理かなぁ……
チェルシー・エンバンクメントは通勤時間でも車通りはそこまでながらも、ジグザグ運転はせざるを得なく、対して鬼達は自走で車並みのスピードを出しながら、走る車は踏み越えていく強引さ。
「キンジ、小さい鬼と転がる壺は?」
「小さいのは
「アリアは気絶でもさせられたか。あれが起きれば向こうも混乱してくれそうなもんだが……」
とはいえ、オレには鬼達に有効打はないに等しいので、とにかく情報が欲しくて初見の鬼のことをキンジに聞くが、向こうもセーラくらいしか遠距離はいなさそうだな。
今のところ逃げに徹してるセーラは追い風に乗って鬼達と並走し、自慢の弓もトランクに入れているようだ。
「スタッドレスタイヤにしてくれば良かった」
しかし超能力は絶好調のようで、悪態をつくワトソンの通りに現在進行形でオレ達の走る道の範囲にだけ雪が降り始める。
テムズ川の対岸は降っていないので、ほぼ間違いなくセーラが雪雲を呼んだのだろうが、風の超能力って便利ね。
突然の降雪とオープンカーのコンボで温室育ちのハワード王子が「寒い寒い」と喚いていたが、そんなことに気を取られてるわけにいかないのでスルーしたら、前方のセーラが持っていたトランクを開けて超能力を乗せた跳躍で走る閻の肩に乗る。
その時にはすでにトランクの中の物を取り出し終えて、左手には弓。右手には矢が持たれてあっという間に射ってくる。
誰を狙ったかはオレの死の回避と死の予感の感覚が教えてくれて、ワトソンも急減速してくれたおかげでキンジの後頭部に飛来した矢を掴んで止めることに成功。
したが、死の予感が更なる危機を察知し、掴んだ矢の後ろに次の矢を忍ばせていたセーラの技術に戦慄する間もなく、再度キンジに迫った矢を掴んでいた矢の羽根の部分で飛来する矢の羽根の上部分を軽く叩き矢尻を上方向へと向けて軌道修正。
その結果、キンジの頭に矢尻こそ刺さらなかったものの、下方向に流れた羽根が掠めて通り過ぎる。あっぶね!
「…………おい猿飛?」
「……すまん。2射目が神がかってた」
完全にオレに任せて背中を向けていたキンジが思わず振り向いちゃって冷や汗を流すが、正直な話、これを止めたオレを褒めろよ。オレじゃなきゃ不可能だったぞ。
あとセーラが即死級の攻撃をしてくれたおかげだ。感謝しろ、セーラに。
だがまぁ、任された以上はオレの至らなさの招いた結果なので本音は口にせずにいると、ワトソンの急減速の隙にサイオンが距離を詰めて真横にまで到達。
ハワード王子が座席でほぼ倒れて座ってる事をいいことに、サイオンが後部座席の方にサブマシンガンを乱射。
それを難なく弾くキンジの化け物ぶりもあれだが、流れ弾は怖いので一旦オレは助手席に収まって難を逃れる。
すぐ後ろで嫌な音が響く中で、前方には巨大なトレーラーが見えてきて、速度差でグングンと近づいてきたそれを避けるようにワトソンがサイオンの方へとハンドルを切って押しやる。
だがワトソンは直前でハンドルを切り返して逆方向へとトレーラーを避け、サイオンとはトレーラーを挟んで並走する形となる。上手いな。
「
その束の間のインターバルでワトソンはポルシェに搭載された加速装置を使うと言うや否や、それを使ったポルシェは爆発的な加速で前方へと突き進み、サイオンを置き去りにする。す、座ってて良かったぁ……
間違いなく立ってたら道に放り出されていた加速を乗り切り安堵しかけるが、その隙を突くように飛来したセーラの矢がまたもやキンジの後頭部に飛来したので、アッパーカットで打ち上げる。
直後にサイオンからも銃撃があったが、そちらはキンジが応戦して事なきを得たものの、こうキンジばかりを狙われるとオレが無視されてるみたいで癪だな。
まぁサイオンに狙われる理由はオレにはないし、そっちはいいんだが、セーラに無視されるのは如何なものかなので、再び座席に立ったオレは弓を構えるセーラに見えるように指をクイッ、クイッと動かして挑発。
ついでに口パクで「殺してみろよ」と言ったら、なんか伝わっちゃったみたいで、向こうも口パクで何か言ってきたから読唇術で読むと「バカなの?」だそうだ。ええそうですよバカですよ。
「矢が切れたら儲けもんだがなぁ……」
そこからの超能力も併用したセーラの本気の射撃がマジでオレを殺しに来たわけだが、変則的な軌道の矢をことごとく掴んだり弾いたりで防ぐと、その度にセーラのご機嫌がななめにおなりになっていき、表情もムッとしていく。
オレの死の回避の存在を完全に知らないとはいえ、セーラは即死級の攻撃を負傷レベルに留めるだけで無力化できちゃったりするわけだが、この辺はマジで情報力だよな。
それでセーラが茹でダコみたいになって無駄射ちをやめようとしたところで、後ろでバリバリ言ってた弾の1発がセーラ達の方に飛んでいき、それを閻が手で掴んで止めてセーラを守る。銃弾がおもちゃみたいに止められたな……
「ワトソン、猿飛、ありがとう」
防戦一方ではあったが、セーラを食い止めることは出来ていた中で後ろのキンジが何か考えがあったのか、そんなことを言ってワトソンの頭にキスをしてポルシェから飛び降り、あやや製であろうエアバッグを銃弾から飛び出させてクッションとして使い、右折してきた女性の乗るバイクに着地。
一瞬のうちに女性を抱えて足場にしたエアバッグに落としてバイクに股がると、それを駆って追撃を再開。
たぶんだが、今もギャアギャアとうるさい後ろのハワード王子がいつ何をやらかすかわからないから、何か起きる前にサイオンの攻撃から遠ざけたんだろう。
同時にセーラの狙いもキンジに向かったので、もうオレはどうしようもないが、お役目御免なわけではないから戦況を観察。
すると前を走る閻が妨害のために露店のパイナップルのカゴをぶちまけてきて、さらに転がっていた壼の中から似たような形の手榴弾がいくつか投下される。
「ワトソン、道から外れるのが良さげだ」
「らしい、ね!」
それを見逃さなかったワトソンはオレの言葉を聞くより早くハンドルを切って右折し、一旦は追跡ルートから外れて難を逃れる。
「それにしてもあのセーラの矢を全部防ぐなんて、サルトビもトオヤマに負けず劣らずだね」
「特定の条件下でだけだよ。セーラは素直だから相性が良かった。反撃はできなかったけど」
前も後ろも脅威がなくなって余裕ができたワトソンは、運転に集中しつつもオレのここまでの攻防を評価してくれたが、攻勢に出るきっかけさえ作れていないのだから働きとしてはプラマイゼロに近い。
大きく道を外れることなく、わずか2分足らずで鬼達の走る道路へと戻って、何やらその間にドッカンドッカンと嫌な爆発音が響いていたが、ビックリしたのは追跡のルートに戻って早々にバイクをサイオンに向けて乗り捨てたキンジがまた飛び乗って後部座席に収まり直してきたこと。
その拍子にハワード王子に軽く膝を入れてたが、オレは関係ないしいいや。
「お前、ちゃんと弁償してやれよ?」
「それは……あとで考えようか」
それでキンジにバイクをぶつけられそうになったサイオンは減速して引き離すことには成功したが、乗り捨てたバイクは残念なことになってたので、アリアの奪還という大義名分があるとはいえ、とりあえず現実は突きつけておく。
それに対して苦笑で返したキンジは、アリアにでも賠償させそうな雰囲気がありつつで切り替えるように前の鬼達を見据える。ズルいやつめ。
さっきまで手榴弾やら爆発物を使ってた鬼達も、全く振り切れないオレ達には無駄と判断したのか使用をやめて、本格的な目眩ましとして赤い煙幕を焚き始める。
それとほぼ同時に差し掛かった五叉路の道路がまた厄介だ。
その道で嫌なことに散開したっぽい鬼達をどう追うか話し合う時間もなかったので、直前に周囲のガラスやら何やらの反射を利用して鬼達の姿をわずかに確認したオレは、聴覚に頼って目を瞑っていたキンジに言葉をかけながら、ミズチを準備。
「……壼は左だ。アリアを追うなら1択だろ」
「だな。ワトソン」
キンジも壼の行き先はわかったようなので、迷うことなく左折するワトソンのポルシェは鋭いドリフトでほぼ直角に曲がり、オレはその前にミズチのアンカーを街灯の柱に付けてポルシェから飛び降り、ワイヤーを巻き取りながら柱をぐるっと1周し慣性の勢いを少し殺して着地。理子との逃走時より負荷は全然なかったな。
そうしてポルシェから降りて猛スピードでテムズ川の方向へ消えていったキンジ達を見送る暇もなく、オレも丁度良く五叉路に入ってきたバイクを引き止めて拝借すると、キンジのように壊さないよう発進させる。
「追いかけられるか心配すぎる……」
アリアの奪還は最優先事項ではあるが、それだけを考えていたら鬼達に先手を打たれ続けることになる。
だからオレは壼を追うのではなく、五叉路を直進していった津羽鬼が見えていたので、そっちを追って先手を打たれる前に潰せたらと思ったのだ。
だが残念なことに、この津羽鬼がスピード自慢なことで追い付ける云々ではなく、すでに見失わないようにするだけで精一杯。
遠目に見た限り、津羽鬼は下駄を履いてたのだが、マジで速い。どんだけ手加減して走ってたんだよあれ……
津羽鬼は緩やかに左に流れる道をまっすぐに走ってから、南西方向のほぼテムズ川の流れと平行の道になってすぐに、徐々にテムズ川へと近づく直進ルートを取る。
そこからは道を多少無視して走るため、バイクでの追跡は困難どころではなく不可能に近かったが、左側に見えてきたテムズ川とその対岸にうっすら見える自然地帯。
おそらくは自然公園的なものだが、その辺りに半径300メートルくらいの妙な霧がかかっていて、テムズ川の一部を覆い隠しているようだった。
この不自然な霧にはオレも見覚えがあったので、すでに津羽鬼は90%くらい見失っていたが、その霧の中心辺りを目指してバイクを走らせる。
「カツェじゃないのは間違いないからな。ならあれはたぶん……」
霧を発生させる超能力はカツェが使う水の超能力の応用。
それであの規模を霧で包むならカツェクラスの魔女じゃないと無理っぽいと判断すると、それが出来そうで最近、その存在を匂わせることを聞いていたことから推理。
完全に霧の中に入ってテムズ川のすぐ横まで辿り着き、そこでバイクとはさよならをしてテムズ川に沿って少し走る。
するとそのテムズ川からぬっと浮き上がるような物体があり、それがオレのいる側にほぼ接岸して停まっていた。
「…………またこれを見る日が来るとはな……」
テムズ川に現れていたのは、呉から消えたというイ・ウーの原潜。
この時、このタイミングで現れたということは、これを盗んだやつが鬼達とも繋がりを持ってる可能性を示し、現に今、この原潜の甲板からはヘリのローター音が響き始めて、ここに来ただろう津羽鬼がそれに乗って合流しようとしてると考えられる。
もはや猶予はないとミズチを使って原潜を強引に登って甲板に到達すると、今にも離陸しそうな武器類を満載した攻撃ヘリが見えて、その操縦席には津羽鬼の姿があった。
「…………やっべ!」
思うや否や津羽鬼の死角から一気に接近したオレは、ヘリの着陸足の下に滑り込んで、素早くワイヤーを両側の足に巻きつけてヘリの底の中央で結び、それを2セット、少し緩めに作り、その2本のワイヤーを凄く痛い椅子のようにして使ってヘリに同乗。
すぐに離陸を始めたヘリはグングンその高度を上げて、原潜を覆っていた霧を抜けその進路を東へと向ける。
緩くたわませたワイヤーはヘリの底との間にスペースを作り出し、オレはそのスペースに落ち着く形にはなっていたが、ワイヤーが切れたり無理な角度で飛ばれたりしたら簡単に落ちそうなバランスに四苦八苦。
何よりすぐ下はロンドンの街。数百メートルの距離から落ちれば間違いなく死ぬ。
「ちょっと……これは何も出来ない、かも?」
あまり丁寧にワイヤーを固定してないせいで着陸足の幅だけワイヤーが前後して安定しない恐ろしさに見舞われながら、もう後戻りもできない事態に舌打ちしつつ、目につく武器を単分子振動刀で落としてしまおうとする。
しかし単分子振動刀を出そうにも手に空きができなく、落ちないようにするので手一杯。
なら着陸足に腰かけるっていう手もあるが、たぶんまだ津羽鬼に気づかれてないだろうから、ヘリの重心を変えてまで視界に入りそうな場所に落ち着きたくはない。
いざという時に移って奇襲を仕掛けるのが最善だと思うしな。
「地上が恋しい……」
半ば勢いで同乗したヘリにすでに泣きそうなオレだったが、そんな泣き言を聞いてくれる相手もいないので本当に寂しい空の旅に遠い目をするのだった。