早朝。
まだ陽も低い位置にある明け方に、オレは横浜郊外にある洋館。紅鳴館の近くまでやって来ていた。
理由は簡単。理子の依頼を遂行するためだ。
しかし、写真で洋館の外観を見ていたにしても、実際見ると3割増しで不気味だなここ。
辿り着いた洋館、紅鳴館は薄暗い鬱蒼とした森の奥にあり、周囲を囲む鉄柵は真っ黒な鉄串を突き上げていて、さらに内側は茨の茂みが続いていた。
一言で言い表わすなら……そうだな……ホラーハウス!
これがしっくりくるな。さらに言うなら、空想の生物、ドラキュラでも住んでいそうな館だ。
そんな洋館をまずは外側から観察していく。
監視カメラの数、位置から死角に至るまで逃すことなく確認記録し、次に仕掛けられた防犯システムを1つずつ見つけていく。
実はそれに関するツールの用意が一番面倒臭かった。昨日はそれを用意するのに午後の時間は丸々潰れたからな。
赤外線センサーからブービートラップの類、果てはないに等しいであろう殺人トラップの有無まで徹底的に調べ尽くしていった。
そして洋館の外周を調べあげるだけでたっぷり3時間使ってしまった。
まぁ、一番調べる範囲が広く面倒臭い作業を先にやったのだ。あとは中に侵入して調べ上げるだけ。
だけとは言うが、この侵入も楽じゃないんだがな。
今調べた外周の防犯システム――調べた限りでは監視カメラと赤外線センサーだけ――に引っ掛からずに、さらに中にいるハウスキーパー2人の目と、中の監視カメラ他を潜り抜けなければならない。
理子の事前調査では、この洋館には主であるブラドは何年も来ていないらしく、今はほとんど来ることのない管理人と、ハウスキーパー2人がいるだけらしい。
外周を調べるついでに時折館の中を観察していたが、やはり中にはハウスキーパー2人しかいないらしく、当初設定していた難易度は下がってくれた。
とは言え、だ。これだけのセキュリティーで、まったく気付かれずに侵入して中を調べ、出ていくなんてのは、諜報科でもなかなかできるヤツはいないだろう。
それなのに理子がオレに依頼してきたのは、きっと出来るという確信があったからだと今更ながらに思う。
理子がどうやって幸姉の情報を得たのかは知らないが、あの人の情報を引き出せたなら、オレの『過去』について調べるなんてのは朝飯前だろうからな。
おっと、今はどうでもいいか。今はその依頼主の期待に応えるとしよう。
失敗したら幸姉の情報も手に入らないしな。
オレはそれから頭を切り替えて、監視カメラと赤外線センサーの網を潜り抜けて、ハウスキーパーが換気のために開けていた2階の窓からするりと侵入。さっそく内部を調べにかかる。
まずハウスキーパーが出入りする場所と廊下には監視カメラくらいしかついていないだろう。
これはほぼ間違いない。そんな場所に防犯システムを仕掛けて、毎回ブーブー鳴られたらたまったもんじゃない。
たとえ仕掛けてあっても、確実にハウスキーパーの活動しない時間帯にしか作動させないはずだ。こっちの確認は最後だな。
オレは侵入した部屋からハウスキーパーと監視カメラの目を盗みながら、事細かにカメラの位置や死角になるところを記録していき、ゆっくりだが正確に、そして確実に歩を進めていく。
2階が済むと3階へ。それも一苦労である。
何せこの館、監視カメラの数がおかしい。何をそんなに警戒してる? ってくらいの数だ。死角なんてないに等しいしな。
それでも死角はあるからこうやって動けてるわけだが。
そうして3階も調べ終わったオレは、休憩がてらに書き込んでいた資料に目を通して見落としがないかをチェックしていく。
こういう防犯システムは、だいたいどの位置に仕掛けられるか中を見れば分かってくるもので、見落としがあればどこかにぽっかりと監視の穴が空いたりする。
そういうのがないかを確かめるのも大事になってくる。
そして休憩と確認を終えて、3階から1階へ音もなく降りたオレは、2、3階同様に隅々まで観察し記録していった。
ここまでは順調と言っていいだろう。
しかし、この洋館最大の難所がオレの前に立ちはだかった。
――地下室。
これは……無理だ……
こいつが理子から渡された見取り図から見ても、出入口が1階に1つあるだけ。
つまりは隔離部屋のような場所なのだ。しかもその地下室に続く扉付近には、昼でハウスキーパーがいるにも関わらず、監視カメラ以外に防犯センサーが作動していた。
隅々まで館を見て回ってみたが、理子の言っていた宝物――理子の話では青く輝くピアスみたいに小さな十字架らしい――とやらは地上階には見当たらなかった。
というか金庫なんかの貴重品入れもなかったし、管理するのに適した物も場所もなかった。
つまりはそういった貴重品は全て地下室にあると仮定できるわけだ。
館内部に侵入してもうすぐ1時間。
そろそろ換気の時間も終わりと見ていいだろう。午後からは確か雨も降るらしいからな。
そうなってハウスキーパーが窓を閉めてしまうとオレはこの館から『痕跡なく脱出する』ことができなくなる。
脱出できなくなるわけではないが、やはりここら辺は確実に行きたいしな。
理子との取り引きをオレ優位で進めるために、宝物とやらも取り返しておきたかったが、どうやら今から地下室への道を突破する猶予はないらしい。
あとは怪盗アリアと怪盗キンジに任せるか。
オレはそれで引き際と思いまた2階へと上がり、侵入した窓のある部屋に入りまたハウスキーパーと監視カメラの目を盗みながら、紅鳴館をあとにした。
しかしその脱出する間に少し気になるものを発見した。いや、ものというか、行動だな。
ハウスキーパーが防犯システムを少しいじっていたのだ。大したことではないが、あれはおそらく定期的に防犯システムの位置を変えているのだろう。
手つきが手慣れていたから、習慣づいてないとハウスキーパーが防犯システムをいじるなどないに等しいからな。こいつも書き加えておくか。
そうして無事に依頼を終えたオレは夕方、理子と合流するために、秋葉原のとあるメイド喫茶に来ていた。
「ご主人様、お帰りなさいませー!」
理子との付き合いで何度か来ることはあったが、やっぱりこの独特の空間は慣れないな。
まずご主人様って呼ばれ方に抵抗があるし、ここが理子イキツケで顔を覚えられてるのも居づらい理由だろう。
さらにご丁寧なことに個室まで用意されてるし、何故かメイドさん3人がにこにこ笑顔で離れず接待してきて、ホントに困る。
「あのさ、他にお客さんいるだろ? そっち行かないのか?」
「理子さまから到着するまで丁重におもてなしするように伝えられておりますので」
「ご主人様がご不自由がないように精一杯のおもてなしをさせていただきます!」
「ですから、なんなりとお申し付けくださいね」
理子のやつ、いらんことを……っていうかなんで理子がここのメイドさんに命令できる!? 店長かあいつは!?
「じゃあ、他のお客さんのところに行ってく――」
「「「それはダメです!」」」
なに? 即答だと?
しかも言った後オレの座るソファーの逃げ道を塞ぐように両隣を占拠され、テーブル越しの正面にもにこにこ笑顔のメイドさん。もう嫌だ、帰りたい。
そんなオレの表情を読み取ったらしいメイドさん達は、途端に涙目になり悲しげな表情をする。
理子に仕込まれたのか? いらんことを教えやがって。
「……わかったよ……理子が来るまでいてくれ」
「「「はいっ! ご主人様!」」」
それからオレは張り切って会話やおもてなしをする3人のメイドさんにほどほどで付き合いながら、依頼主の理子の到着を待ったのだった。
しかしよく話す。というかオレへの質問がやたら多いな。
好みの女性のタイプとか、好きな女性の仕草とか……
「理子りんとーちゃーくっ!」
1時間後、いつものハイテンションで個室に入ってきた依頼主、理子は、接待をしていたメイドさん3人を集めて何やらひそひそ話をしたあと、個室から出してオレの左隣に腰を下ろした。悪いが耳は良いから聞こえたぞ。
「ごめんねキョーやん。ちょっとキーくんとラブラブデートしてたの。きゃはっ!」
「きゃはっ! じゃねーよ。最初からオレを待たせるのが目的だったろ」
「あ、わかっちゃった? んーとね、ここのメイドちゃん達がー、前々からキョーやんとお話したいって言うから、今回取り計らってみましたー!」
「それでまた明日も取り計らうって話をしたのか?」
「キョーやん地獄耳ー。いーじゃんいーじゃん。明日はアリアとキーくんも交えてここで『大泥棒大作戦』会議やるんだからー」
「オレの依頼はこれで達成だろ? なら明日ここに来る理由はない」
オレは言いながら今日調べ上げた紅鳴館のセキュリティー状況を記した資料をテーブルに投げて理子に渡す。
理子はさっそくそれを広げて目を通しながら、持ってきたノートパソコンを開き、書かれた内容を細かくデータ入力していった。
「……京夜、約束と違うぞ。地下室のデータがない」
「……地下室の守りは厳重で、無傷での突破は無理。時間的にも限界だった。加えてお前の宝物とやらは他の隠せそうな場所にはなかった。その代わり、他は申し分ないだろ」
「違うな京夜。あたしは最低でも館のセキュリティー全てを調べ上げてこいと言ったはずだぞ。これはお前の落ち度だ」
ちっ……やはりそう上手くいかないか。
どんなに強気に言っても、理子の依頼を完遂できてないのは事実だからな。
だがオレも素直に退きはしない。
「……理子。お前最初からオレが地下室を探れないと分かってて、それでもオレを動かすために真田幸音の情報を餌にしたな?」
「100%じゃない。だが80%くらいはそう読んでいた。だから始めからお前を『第1の策』として使った。ここで済めばそれが最高だったが、あたしはお前にそこまでの期待をしてないからな」
「それならお前も契約違反だ、理子。始めから失敗の確率の方が高い依頼なら、依頼したそちらにも落ち度がある。それならお前には報酬を払う責任がある。違うか?」
「……確かにな。やはりお前は簡単に丸め込めないか。だが20%はお前を信用していたのも事実だ。なら互いにもう1度正当な契約をしよう」
ああ、なるほどな。だから『明日』か。
「それでオレが改めて契約した依頼を全うできたなら、真田幸音についての情報をくれる、だろ?」
「その顔、理子だーいすき。頭の冴えてる京夜、クラッときちゃう」
「キンジが恋人なんだろ? 浮気はよくないんじゃないか?」
「京夜もキンジと同じで理子の好きを受け入れてくれないんだ。やっぱり『初恋』が忘れられな――」
ガンッ!
理子が言い切る前にオレはテーブルを左拳で思い切り叩く。
そのテーブルにはわずかにひびが入っていた。
「おしゃべりが過ぎるな、理子。何も知らないお前がズカズカと土足でオレの中に入り込むなよ。確かにオレはお前を凄いヤツだと認め、友人として少し親しくはしてるが、心まで許したつもりはない。これは警告だ。次は気を付けろよ」
「くふっ。京夜が感情を面に出すなんて珍しい。レアなもの見ちゃって理子ラッキー。でもちょっとゾクッと来たから、これからは気を付けておくよ」
「……明日はいつ来ればいいんだ?」
「夜にメールしまっす! 本日はおつとめご苦労様でしたっ! 隊長っ!」
オレの怒りが収まってきたのを悟った理子は、それからいつもの調子に戻ってそう話し、個室を出ようとするオレに笑顔で手を振って見送りをしてきた。
ったく、調子の狂う相手だよお前は。
オレもまだまだだな。あんな程度で感情をむき出しにするなんて。
それからオレは頭を冷やしながらメイド喫茶を出て家へと帰り、小鳥の作った夕飯を食べてから、言ったとおりに届いた理子からのメールを確認してさっさと就寝したのだった。
翌日。
理子の指示通りの時間にあの店に行ったオレは、またもあの個室に通されてキャッキャと騒ぐメイドさん達と昨日同様ほどほどに話をしながら、『大泥棒大作戦』なる会議に参加する役者達の到着を待つ羽目になった。
てか、なぜ理子がいない! お前はまず先にいるもんだろうが!
……まぁ、型にはまるような奴なら、オレもあいつを認めたりはしないんだが……
「京夜! あんたがなんで!?」
1時間後、個室の扉が開いて入ってきたのはアリアとキンジ。
入って早々アリアがメイドさんと一緒にソファーに座ってるオレを見てそう言った後、何か怖い目をしてオレを見てきた。オレが何をした?
「依頼人様からの召集だよ。内容はまだ全く聞かされちゃいないがな」
「そう。じゃあその待ち時間は女の子と遊ぶんだ?」
「これも依頼人の悪ふざけだよ。オレの意志じゃない」
「そんな、酷いですご主人様」
「私達がこんなに一生懸命尽くしていますのに」
「それがお気に召さないだなんて」
「「「ぐすん」」」
「……な?」
「猿飛も大変だな」
「……とりあえずあなたたちは部屋から出なさい。あたしが落ち着かないわ」
それからメイドさんを追い出したアリアは、メイドさんの格好を批判しながらご機嫌ななめなまま理子の到着を待つのだった。
「ごっめぇーんチコクしちゃったー! いそぐぞブゥーン!」
それからしばらくして、そんな空気を読まない発言で個室に入ってきた理子は、ゴスロリ制服にしましまタイツ、首にはでかい鈴というふざけた格好だった。
そして理子は自分とオレ達の注文を勝手に取ってからソファーに腰を下ろしていった。
「……まさか、リュパン家の人間と同じテーブルにつくとはね。偉大なるシャーロック・ホームズ卿もきっと天国で嘆かれてるわ」
勝手に注文されたももまんを食いながら、これまた巨大パフェを平らげてる理子にそう話を切り出すアリア。
お前らはここに何しに来た?
「理子。俺たちは茶を飲みに来たんじゃない。まず確かめておくが――アリアと俺にした約束は、お前、ちゃんと守れるんだろうな?」
おっ、キンジが流れを作るとは珍しい。いいぞ。
「もちろんだよダーリン」
しかしそれを打ち砕くのが理子。困る。
「誰がダーリンか」
「ぷは。キーくんに決まってるじゃーん! 理子たちコイビトじゃーん!」
「コンマ1秒たりともお前とそういう関係にあったことはねえ!」
「ひどいよキーくん! 理子にあんなコトまでしといて! やりにげだ!」
「なんもやってねえだろそもそも!」
だんっ、だんっ!
……アリア。タイミング的にはベストだが、机を撃つな。ビビる。
「そこまで。風穴あけられたくなければ――いいかげんミッションの詳細を教えなさい」
「お前が命令すんじゃねえよ、オルメス」
喧嘩腰な2人をオレはやれやれといった感じでスルー。
誰が止めてやるか。こんな奴ら。頑張れキンジ。
男喋りになった理子はそれから昨日データを打ち込んでいたノートパソコンを開いて起動させ、画面をオレ達に向けた。
「横浜郊外にある、『紅鳴館』――ただの洋館に見えて、これが鉄壁の要塞なんだよぉー」
一瞬でいつもの理子に戻ってそう話す中、アリアとキンジは画面から目を離さなかった。
そこには洋館の見取り図と、昨日オレが調べ上げた防犯システムについて、さらに侵入と逃走に必要と思われる作業が……想定されるケース毎、予定日時ごとに緻密に計画されていた。これはさすがに凄いな。
「これ……あんたが作ったの」
「うん」
「いつから」
「んと、先週。仕上げは昨日」
それには聞いたアリアも口あんぐり。
確かにこれだけの計画はなかなか作れない。
「どこで誰に作戦立案術を学んだの」
「イ・ウーでジャンヌに習った」
習った程度で身に付くもんかは怪しいが、あのジャンヌから習ったなら納得もできるか。
「キーくん、アリア。理子のお宝は――ここの地下金庫にあるハズなの。でもここは理子にも1人じゃ破れない、鉄壁の金庫なんだよ。もうガチでマゾゲー。でも……息の合った優秀な2人組と外部からの連絡役が1人いれば、なんとかなりそうなの」
「それで、あたしとキンジをセットで使いたいってワケね」
……ん?
今の話だとオレ必要ないぞ。どうなってる理子よ。
「……で、理子。ブラドはここに住んでるの? 見つけたら逮捕しても構わないわね? 知ってると思うけど、ブラドはあんたたちと一緒にママに冤罪を着せたカタキの1人でもあるんだからね」
「あー、それムリ。ブラドはここ何十年も帰ってきてなくて、管理人とハウスキーパーしかいないの。管理人もほとんど不在で、正体がつかめてないんだけどねぇー……」
「まぁ……分かった。で、俺たちは何を盗み出せばいいんだ」
「――理子のお母さまがくれた、十字架」
「あんたって――ほんと、どういう神経してるのっ!? あたしのママに冤罪を着せといて、自分のママからのプレゼントを取り返せですって!? あたしがどんな気持ちか、考えてもみなさいよ!」
「おいアリア、落ち着け。理子の言うことでいちいち頭に来てたらキリがないぞ」
「頭にも来るわよ! 理子はママと会いたければいつでも会える! 電話すればすぐ話せる! でも、あたしはママとアクリルの壁越しに、ほんの少しの間しか――」
「うらやましいよ、アリアは」
「あたしの何がうらやましいのよ!」
収まることを知らないアリアの怒りはとうとう最高潮に達し、うらやましいと言った理子に立ち上がってからガバメントを抜き放った。
しかしそんなアリアに対して理子は対抗せずに視線を落として寂しそうに言葉を発したのだった。
「アリアのママは、生きてるから」
それを聞いたアリアが、ガバメントを持つ手の力を緩めたのがオレにはわかった。