「うん、やはりサイズがしっくりすると気持ちも上向きになるね」
「そんなに嫌だったら修道服着たままで良かったろバカが」
リバティー・メイソンから支給された防弾スーツを着込んでホテルの一室にやって来た羽鳥は、自分でオレの制服を拝借したくせにそんなことを言うので、わがままだなと思いつつもそれ以上はツッコまずに、すでに部屋に揃っていたジャンヌとワトソン、それからカイザーとかいうリバティー・メイソンの男とローレッタさんで作っていた輪に羽鳥を加える。
「さて、話を進めようか、バチカンよ」
それらの人物が揃ったことでオレが持っていたボイスレコーダーを出して、カイザーがローレッタさんを見ながらに話を切り出す。
フェルウェ広場でバチカンと警察に挟み撃ちされたオレ達だったが、羽鳥奪還作戦の決行より前にワトソンに一報入れて合流を図っていたため、ギリギリだったがワトソン達の到着が間に合い、警察の中にもリバティー・メイソンのメンバーもいたことから騒動は内々で処理。新聞にもニュースにも大して取り沙汰されずに済んでいた。
今いるホテルもリバティー・メイソンの息のかかった場所で、ようやく落ち着ける場所に留まれたオレはあとのことを任せたいレベルでいたのだが、こうして今も話の中心に据えられている。
「私達が真に押さえるべき人物。それは猿飛京夜さん、あなただったようですね」
「それは違いますね。オレが自由に動けていたのは羽鳥とワトソンのおかげだ」
「おや、ずいぶん謙虚だね。その殊勝な態度は評価しようじゃないか」
「茶化すなフローレンス。謙虚ではあるが、この状況下でこれだけ動けたのはサルトビだからだよ。それは君もわかってるだろ」
ワトソン達の到着で一旦は保留となっていた話が再開して早々、ローレッタさんがオレに向けて言葉を紡ぐので事実を返すが、羽鳥とワトソンの言葉が飛び交い、あまり掘っても仕方ないからか羽鳥もそれ黙って話を進める。
「何はともあれ、フローレンスと猿飛の働きでお前達の企みは暴かれた。これが意味するところはわかってるな?」
「はい。ですが今この状況で表面上は味方である我々を師団から排除するのは、かろうじて保たれたパワーバランスを一気に崩しかねませんね」
「追い込まれた立場でよく言う」
「カイザー。それでは話は進まないよ。そこでボク達からあなた達バチカンに『協力』を求める」
どうにも自制心はあるのに喧嘩腰のカイザーの進行に難ありといち早く割り込んだワトソンの提案に、ローレッタさんも立場があれだからか聞く耳を持ち、その話を事前にジャンヌ達と打ち合わせていたオレは黙って聞いておく。
「バチカンが眷属のスパイであることはまだボク達しか共有していない極秘情報。当然、あなたがバチカンのもっと上の者に報告でもしていたらすでに手遅れだが、そうでないなら君達が今まで眷属にしてきたことにちょっとした誤情報を加えて報告してくれればそれでいい」
「…………つまり私達が眷属に通じていることは知らぬ存ぜぬを、然るべき時まで通すと。そういうことですね」
「その通り」
その提案に理解が早いローレッタさんは言葉を返してから少し沈黙し、ここでの決定権がまだ自分にあることで吟味し始める。
オレ達はいま話したように、ここでバチカンを師団から排除することで戦況が悪くなることを悟り、まだスパイの案件はこの場だけに留められている。
しかしバチカンからの情報が途切れてしまえば、眷属にもスパイ発覚のことがバレて、バチカンは師団に全面協力せざるを得ないか排除の流れ。
そこでバチカンのスパイ行為をこちらが利用してやろうという腹黒い戦術に至ったのだが、まぁこの流れはバチカンがスパイと判明する前から羽鳥が色々と考えていたようで、その話をし始めた途端にベラベラと喋っていた。
「…………その企みは戦況がどちらに転がろうと、我々に責が来ない前提ならば」
「よくもまぁこの状況でそのようなことを言える」
「カイザー。それで構わない。バチカンは究極的にどちらが勝ってもいいという考えで動いている。それを上手く利用しようというのがボク達の策だ。やってくれるというならこちらの妥協はある程度許容しなければならない」
「それにカイザー、君はバチカンのように後のことを色々と考えているようだが、別にそんなことを眉間にシワを寄せて考える必要はない。大事なのはこのチャンスで確実に欧州戦線を師団が勝利すること。それができればバチカンがどうのこうのなど些細なことだろ」
長考の末に口を開いたローレッタさんの言葉は身勝手以外の何物でもなかったが、これも羽鳥が事前の回答として予測していただけに本音をすぐ口にするカイザー以外は冷静なもの。
そしてこの作戦の首謀者たる羽鳥のこの自信は不敵以外の言葉が見つからない。それだけの爆弾を投下してるから納得でもあるんだが。
そこから少し話を詰めて段取りなどを調整する段階に入り、そちらはすでに打ち合わせ済みのカイザーとワトソンが受け継いでオレとジャンヌと羽鳥は別件を片付けるために部屋をあとにする。
「猿飛京夜さん」
その気配を察したのか、話の最中にローレッタさんが話しかけてきてそれに立ち止り、視線の合わないローレッタさんの顔を見る。
「これより我々バチカンは、あなたに対して最大限の敬意と脅威を表すため、勝手ながらに2つ名を差し上げようと思います」
「いりません」
「武偵のところの公式とは違いますから、そう堅いことを言わずにお受け取りください」
何の用かと待ってみれば、どうにも嫌な流れだったので慎んでご遠慮したのだが無駄なようで、胸の前で手を組んだローレッタさんはその勝手に付けたという2つ名をオレに賜る。
「影の中に潜むさらなる影。深淵より伸びる見えざる手。気付いた時にはすでに手遅れ。ゆえに『
「…………理子が聞いたら絶対に興奮する2つ名をありがとうございます……」
影の陰でファントムとか、理子的な中二病を患った感じがひしひしとしてるし、わざわざ紙に書いてくれてありがとうだよホント……
そうした嫌そうな表情を声色でしか悟れないだろうローレッタさんの笑顔が見たくない類いのものだったので、さっさと部屋を出たのだが、ついてくるジャンヌも羽鳥も「なかなかにセンスがあるな」とか「私ももっとシンプルな2つ名が欲しかった」とかマジのコメントをするもんだから頭を抱える。これ、定着したら嫌だなぁ……
「さて、と。こっちもこっちで面倒そうな案件だね」
ワトソン達と分かれて羽鳥の部屋に移ったオレ達は、バチカンのスパイ案件の熱も冷めやらぬままに次の面倒案件を片付ける作業に入る。
取り出したのは地図、地図、地図。床に広げたベルギー、オランダ、フランス、ドイツといった欧州諸国の地図は見てるだけでワクワクする人種もいるだろうものだが、オレは萎える。その広さにただただ萎える。
「では状況を整理しプロファイリングから行動の予測をしていこうか」
萎えてるオレとは違ってずっと拘束されてて暇だったからか、やる気もなかなかな羽鳥との温度差は酷いが、やると決まってしまったからにはやるしかない。
オレ達がやること。
それは一夜明けながらに未だ発見できていないキンジの捜索だ。
「エルの話では失踪直前にスパイの嫌疑をかけられたところで逃走。ブリュッセルでの検問にもリバティー・メイソンの網にも引っかからずに未だ発見には至っていない」
「位置的に最後に遠山を見たのが……ここだ。移動手段はいくつかあるだろうが、検問も敷かれていたし、車は除外していいかもしれんな」
「オレ達と同じで変装してる可能性もあるが、身分証明の部分で引っかかるからな。というか……」
「あの遠山キンジが1人で逃げ切れるわけがない、かい?」
手がかりもほとんどないキンジ捜索だが、順を追って地図に直接書き込むジャンヌに推測も交えていく。
だがあのキンジがリバティー・メイソンの網を掻い潜って今も逃げているという状況に違和感しかないオレに羽鳥がズバリなことを言う。
自慢じゃないがオレが同じ状況ならばまず不可能に近いと思えるからの根拠だが、事実としてそれは起きている。
「前提を変えておく必要はあるだろうな」
「さすがジャンヌ。彼は普段は並程度の武偵だが、ある条件が揃えばHSSという特異体質が手伝うことになる」
「そういう前提なら今の状況も納得できる、か」
だから普段のキンジではなく、HSSになったキンジを前提にここからの推測を立てることを満場一致で決め、その状態における最良の策をいくつか考える。
「まず遠山はまだ行方不明になった私がスパイである可能性と、自分が疑われている状況。そしてスパイが誰かを知らずに逃走している」
「ふむ……ではジャンヌ。君がこの状況ならば、どの方角に逃げる? 眷属が支配を広げた南か、師団勢力にある北か」
「私ならば……師団の目の届かない眷属勢力圏に入ると言いたいところだが、京夜はどうだ?」
「…………北じゃないか?」
「ちっ、意見が合ったか」
「そりゃ光栄だ」
そういった前提を踏まえつつ、まずは逃走ルートを大雑把に取捨選択する羽鳥に意見を求められ、オレもジャンヌもそれぞれで意見を述べるが、羽鳥と合って舌打ちされる。やめろやそれ。
「どうして北なのだ?」
「キンジはまだスパイの嫌疑をかけられた状態。キンジがスパイじゃないことはこっちも本人もわかってる。つまりキンジと眷属の繋がりはない。そんな状態で眷属勢力圏に入って眷属に見つかって捕まりでもすれば目も当てられない」
「そうしたリスクを鑑みた時に、師団に見つかった場合と眷属に見つかった場合のリスクの差は歴然だよ。HSSでこの考えに至っていたとしたら、遠山はほぼ間違いなく北に逃げている。どうやってかはこの際に重要ではないが……」
と、理屈についてを説明しつつ、キンジが徒歩で逃走していた場合の大雑把な移動距離を経過時間から逆算して扇状のラインを書き込む。
次に何らかの移動手段を得ていた場合の移動距離を逆算して書き込むが、これはまた酷い。すでに逃走から20時間は経過してるので、イギリスやらドイツを越えてデンマーク辺りまでライン内に入ってしまった。
「今も移動しているとなるとまだ広がる可能性はあるけど、あまり最前線から離れすぎれば嫌疑をいざ晴らそうとした時にタイムロスが厳しいからね。デンマークまでは行ってないと願いたい」
「リバティー・メイソンってのはどの程度の規模でコミュニティーを持ってるんだ?」
「欧州諸国の都市部に最低限の人員は確保されているが、細部までとなると無理がある。田舎町なんかはほとんど情報は入ってこない」
「ではその都市部……オランダで言えばここ、デン・ハーグや首都のアムステルダム、ロッテルダムなどは潜伏するには適していないということだな」
逃走をどこまでしているかはわからないが、根無し草では精神的疲労は半端ないだろうから、どこかで落ち着くことを予測し、その際にリバティー・メイソンの目が届く範囲からは逃れるとまず最初に都市部を排除する。
隣のドイツからもドルトムントやらケルン、ボンといったところが塗り潰され、なんとなく希望が見える捜索範囲になって……るわけねぇ。まだ広すぎる……
「車での移動の可能性はないとしているから移動手段だが、彼はフランス語、或いはオランダ語は出来るのかい? 何にしてもそれらの言語、最低限の英語は出来なきゃ公共交通機関も不自由というか無理があるが」
「HSSならその辺なんとかなってそうって考えてた方がいいかもな」
「だろうな。ならば車、バスを除く交通機関は列車になり、その線路と各停車駅とリバティー・メイソンの目を掻い潜る町は……」
「ブリュッセルを抜けた後ならばいくらでも乗り換えは可能だろうね。こちらの時刻表は便りにならないが、大雑把な発着時間などを調べれば何十パターンかのルートは探れるかな」
「逃走の時間も時間だったし、そう頻繁に列車もバスも出てなかっただろうしな……とか思えればいいが、目眩しそう……」
ある程度絞ってもまだまだ広大な捜索範囲から、さらに移動ルートを限定しいくつも書き記すジャンヌと携帯片手にジャンヌと話しながらルート潰しをする羽鳥の手際はヤバいの一言。
1時間ほどの潰し作業を一旦落ち着かせて、それでもまだだいぶ広い捜索範囲ではあったが、最初のババン! 地図ですよのところから考えれば奇跡的な絞り込みと言えるだろう。
「あとは人海戦術といくしかないだろうけど、時間的猶予もそうない」
「バチカンと連携して動くタイミングはタイムラグが生じるが、遠山の力はその時までに出来る限り戻しておきたいところだ」
「キンジ捜索は1週間。それに間に合わないようなら仕方なしか」
絞り込みをあらかた終えて、日も沈んでしまってほどよく空腹になったことで今日のところは終了。
焦ったところで状況が好転しないのはわかってるのでジャンヌも羽鳥も落ち着いたものだが、明日以降はまた忙しい日々になりそうだ。
ひょっこり帰ってこないかな……
「まぁ! まぁ皆さん! ご無事で何よりです!」
翌日。
アムステルダムに移っていったワトソン、カイザー、ローレッタさんを見送ってから、実は近くのロッテルダムにまでは来ていたメーヤさんがホテルまで合流してきて、今まで姿を眩ませていた顔が3つもあったことからメーヤさんは心底嬉しそうにジャンヌに抱きつき、羽鳥と握手し、オレにも両手を取って至近距離で笑顔を向けてきた。
「メーヤ、喜ぶのもいいのだが、私達はやらねばならないことがある。早速ではあるが話を進めるぞ」
「はい、遠山さんの所在についてですね。私もそちらに尽力するように仰せつかっておりますよ」
再会の挨拶もほどほどでほんわかした雰囲気のメーヤさんにこっちが流される前に気を引き締めたジャンヌによって、事前に連携の話は聞いていたメーヤさんもやる気十分といった感じでエイエイオーをやるが、その拍子にまた大剣を背中から落としたので学習能力があまりない。そのドジなのか天然なのかな性格は改善の余地ありだと思う。
「まずは昨日、我々がいくらか絞った遠山キンジの潜伏先をバチカンとリバティー・メイソンで分担したい」
時間的猶予ものんびりはしてられないくらいにはないので、取り急いで羽鳥が作成した地図を広げて大雑把に北と南で捜索範囲を区切ってみせ、どちらが都合が良いかをちょっと話し合うと、オレ達とリバティー・メイソンが南側――要はブリュッセル――から北上する形で、バチカンはデンマークくらいから南下する形で捜索をすることになる。
「こちらの地図は有効に活用させていただきます。こうして再会できましたのにまたお別れになるのは寂しいですが、一刻も早く遠山さんを見つけ出しましょう」
そうした捜索方法に文句の1つもなく承諾したメーヤさんは、チャッチャッ、と胸の前で十字を切ってオレ達の武運を祈り、善は急げとばかりに他のシスター達を連れてホテルをあとにし、オレ達もブリュッセルに戻るために準備を開始する。
「なぁ、やっぱりメーヤさんには話さないのか」
「話してどうなる。彼女は信じることでしか生きられない。話さないことが優しさでもある」
その最中に、やはり気になってスパイの件をメーヤさんに話していないことをどうかと思って羽鳥とジャンヌに問いかけるが、返ってくるのはそんな言葉だけ。
「メーヤは聡い。おそらくは自分がバチカンに利用されていることにも気付いている。それでも彼女は味方を疑えん。メーヤの強化幸運はすでに転じれば死を免れないほどの悪運を溜め込んでいる。それにバチカンのためにしていることがイコール、師団のためとなるとは限らない良い例だ」
「……そういうのを聞くと、信仰ってのも良いものばかりじゃないって思うよ」
「何事にも良し悪しはある。人はその悪いところをちゃんと見ようとしない生き物なのさ。最近の世論では欠点ばかりを見ると騒がれてもいるけど。主に日本はその傾向が強い」
「そういうのはちゃんとしたデータとして出してくれ。日本の括りは聞きたくない」
結局は2人に丸め込まれてしまった形だが、心ではやはり秘密にしておくことを良しとはできない。
だからといってこっそりメーヤさんに教える、なんてことをしたところでメーヤさんにとってはあまり意味がないということもわかるので言う通りにしておく。
でも全てが終わった時に、そうしたことがあったと教えることくらいはしてもいいかな。思い出話として、な。
そこからはまぁ早いもので、車を飛ばしてブリュッセルまで舞い戻ったオレ達は、そこからキンジの足取りを追うようにして街を歩き、おそらく高確率で使われたであろう列車の経路を辿るため、街の駅を南から北へ調べていく。
どうやらここら辺の駅では切符の購入履歴も見られるようで、時間帯さえ限定すれば購入者の有無や行き先までわかるっぽい。
それを踏まえてキンジが逃走した時間から30分程度あとのブリュッセルから抜ける列車の発着時間と購入者リストを作成。
「…………妙だね」
「妙だな」
「右に同じ」
その購入者リストを見ながらにオレ達が出した疑問は完全に一致。
キンジが列車を利用したのはほとんど確実で、ここである程度今後の捜索も進展すると思っていたが、そうもいかなかった。
何故か購入者のリストの中に1人分の切符を購入した履歴がないのだ。
元々時間が時間なだけに購入者自体が少なかったから見逃しという線もない。
「ここから察すると遠山キンジは列車に乗っていないという推測が立つんだけど」
「まさか徒歩でブリュッセルから抜けたって? それこそリバティー・メイソンが見つけられるだろ」
「だがそれしかなくなるのも事実だ」
完全にここ頼りだっただけにオレ達の落胆も大きいが、そうした徒歩での逃走の場合は今度はブリュッセルから抜けた先での詳細なバスやらのダイヤルを調べなきゃならないため、アホみたいな作業が待ってる。
「不可能を可能にする男、エネイブルだったか。こんなところでその名に恥じない働きをしてくれなくても良いだろうに。君の友人は本当に厄介極まりない」
「敵っていうか、味方じゃなくなるとそれは実感できて心底嫌になる」
「これでこそ遠山とも言えるわけだが……」
『本当に厄介だ……』
そんなこれから先の苦行を考えてか、思考がネガティブ一直線なオレ達は、きっと必死に逃げたのであろう姿なきキンジの本気に対し、全く同じことを口にしてうなだれる。
しかしいつまでもそうしていたからといって状況は好転しないので、切り替えるように携帯を取り出してリバティー・メイソンのメンバーに指示を出す羽鳥はさすが。
ジャンヌもやれることがまだあるからかやる気を入れ直して地図とにらめっこを始め、オレもそんな2人の前でうだうだと言いたくないので欧州のどこかにいるだろうキンジに恨みの念を飛ばしてからジャンヌのにらめっこに参加していった。
こうしてオレ達のキンジ捜索の長き道のりは幕を開けた。