幸姉の久々の連絡から直接の依頼を受けて、とりあえずの準備を整えて東京都内へと乗り込み最初のアテとして訪れたのは、新宿区の神楽坂にある雑居ビルの1つ。
事務所の入るそのビルの3階にあったオフィスの扉の前まで来たオレは、立て看板の『松方相談事務所』というちょっと胡散臭い名前に苦笑しつつ扉を開けて中へと入ると、意外にも整理整頓の行き届いているまともで普通のオフィスに驚くが、そこにいた3人の男達にもちょっと驚く。
見てわかる感じの高価なスーツを着込んだその3人は全員、パッと見で普通の社会人っぽいのだが、入ってきたオレを見るや否やその雰囲気に迫力みたいなものが追加されて威圧感を放ち始める。
オレ的にはもっと『らしい』感じのがいるのかと思ったのだが、その辺にちょっとビックリだ。
「おいおいボウズ。入るとこ間違っとりゃせんか?」
「ここはガキが来るとこと違うぞ」
「早く出てきな」
と思ったら見た目だけで中身はいかにも『らしかった』のでちょっと安心してしまう。
これに安心とかおかしな話だけどな。
「入るとこは間違ってないと思うんだが、ここの組長に会いたいって言ったら、会わせてくれるのか?」
――ガタッ!
3人の威圧に全く動じることもなくオレが普通にそんなことを尋ねたら、途端に3人は楽な姿勢からオレへの警戒を強めてくる。
「なんだボウズ。どこの回しもんだおい?」
「どこのでもないが、そう言ったって信じないでしょ。んじゃここの責任者でもいいんだけど……」
オレが普通のボウズじゃないと悟った3人は、その言葉を皮切りにオレへと実力行使。
排除に動いてくるが、どうにも無鉄砲な喧嘩スタイルとは相性が良いオレは、なまじ喧嘩に自信ありといった3人を30秒とかけずにノックアウトし、全員を備えてあったソファーへと寝かせてやる。
こっちは殴り込みに来たわけじゃないからダメージは綺麗に決めて最小にしたが、起きそうにないなこれ……
とりあえず目的を果たすために男達の懐を漁って携帯でもと探すと、そのタイミングで1人の男が事務所の扉を開けて入ってきたのでそちらを向いて止まると、やっぱりすぐに警戒どころの騒ぎじゃなく臨戦態勢に入られてしまうが、その男はオレが見たことがある人物で、向こうも始めこそ反射的に構えたものの、よくよくオレを見てからビシッと気をつけの姿勢に移って綺麗なお辞儀をしてくる。やめてくれそういうの……
「誰かと思ったら旦那じゃねーですか! そうとわからず構えちまってすんませんした!!」
「あー、いや、この状況で構えなかったらそれこそどうかと思いますし、別にいいですよ。あと旦那はやめてください」
「旦那は旦那ですんで、これ以外の呼び方はできません」
明らかに年上であるにも関わらずオレに対して非常に頭の低くなったその男は、とりあえずこうなった事情を聞いてからオレを改めて来客用の席に座らせて、気絶していた3人を叩き起こして有無を言わさずにオレの前に正座させると、
「兄貴、何でこんなボウズに俺らが謝らにゃならんのですか」
当然ブーブー言う3人にそれぞれ1発ずつゲンコツを入れてからその理由について語る。
「バカヤローが! このお方は去年の今頃に死にかけた頭を助けてくださった『伝説の旦那』なんだよ! それなのにテメーらときたらボウズだなんだと突っかかりやがってからに!」
いつの間にか伝説の男にされていたらしいオレのことを語ると、途端にその伝聞は知っているとでも言うようにオレを見てから、深々と「すんませんっした!」と土下座してきた3人に、こっ恥ずかしくなったのでやめさせる。
「そんなことよりシゲさん、でしたっけ」
「はい! 覚えてくださってるなんて感激です!」
「その、以前は恩に着なくていいとかなんとか言いましたけど、今回はちょっとだけ頼らせてもらってもいいですか? もちろん無理ならいいんですけど」
「と、とんでもないですよ旦那! 旦那をこのまま帰したら俺が頭から首飛ばされちまう。あれ以降会う手段がなくてしばらく俺ら頭に怒られまくってたんですから。今から頭に話を通しますんで、ちょっと待っててください。おいオメーら、旦那の寛大さに感謝しながら茶菓子持ってもてなしとけ」
「「「うっす!」」」
それで改めてこの場で一番偉いっぽい顔見知り程度のシゲさんに話を切り出してみれば、用件も聞かずにいきなりトップに話を通し始めてしまって、事務所の隅に移動して携帯を取り出したシゲさんに、言われた通りにお茶菓子を持ってヘコヘコ頭の低くなった3人がご機嫌とりに徹してきてマジで困る。全員年上だからこの状況は居心地が悪すぎる……
彼らはここ東京に根を張っている指定暴力団、『松方組』の組員。
東京都内では中小組織の1つではあるが、腕っぷしの強さと頭を立てる一枚岩な仁義に厚いところが他の組織よりも抜きん出ているらしい。
腕っぷしの方はオレにやられてはいたが、組織の末弟であろう3人はまだ育成中みたいなところだが、あのシゲさんは組織でもトップクラスの武闘派で、過去に遭遇した時は拳銃持ちの他組織の組員5人を1人で倒していた。
オレでもたぶん、本気で相手しないと勝てないと思う。
そんな松方組にはちょうど去年の今頃に顔を合わせていて、その時は不知火やら武藤やらの適当なメンバーでこなしていた依頼の完了後で、覆面警察みたいなことをしていたから制服を着ていなかったのだが、運悪く組同士の抗争と遭遇し放たれた銃弾がオレの近くに着弾してヒヤッとしたのと、直前の依頼でちょっと嫌なこともあったため憂さ晴らしに反撃し膠着状態にあった戦況を傾けて松方組を勝たせてしまった。
だがその時点ですでに拳銃の弾を腹に受けていたらしい松方組の頭が息絶え絶えだったので、その場で応急処置やら何やらして病院まで付き添って行って、一命を取り留めたことだけを聞いてから組員ともろくな会話をせず素性すら明かさずに帰ったのだが、まさかその松方組に頼る日が来るとは思わなかったし、オレのことをちゃんと覚えていたことにも少しビックリしてしまった。伝説にされてるしな。
「旦那、頭が直々に会いたいそうで、これから頭のとこに行きますが、よろしいですかい」
昔の話を思い出しつつ、ヘコヘコする3人に愛想笑いで適当に応対していたら、連絡の最中のシゲさんが確認のためにオレにそう尋ねてきたので、向こうの建前もあるかと思い了承すると、シゲさんはそれを伝えてから通話を切って事務所を3人に任せオレと一緒に外へ。
オフィスビルの前にはシゲさんの愛用車らしき黒塗りのレクサス――おそらくは最高級クラス――が停まっていて、オレを乗せようと助手席のドアを開けるが、足はあるため断りを入れると後ろをついてくるようにとだけ言ってその指示通りにシゲさんの車の後ろをピッタリとついてお頭さんのいる場所へと向かっていった。
神楽坂を東に速攻で抜けてほとんどまっすぐ進み、やって来たのは近々東京スカイツリーで賑わうことになるかもしれない浅草。
その蔵前の辺りで大通りを抜けて細い道に入って辿り着いたのは、高い塀で囲われた立派な日本家屋。
これまた立派なガレージから入ってそこに車とバイクを停めて敷地内へと足を踏み入れ正面玄関へと向かうと、使用人さんらしき人が1人出迎えてシゲさんと挨拶を交わすと、すぐに中へと通されて、なんだかちょっと幸姉の家を思い出しつつ廊下を歩いて池のある中庭が見える部屋の前まで到着。
障子の向こうからはいかにもな存在感が伝わってくるが、シゲさんが1つ断りを入れてからその障子を開けてオレだけを中へと通して、オレが入ってから静かにその障子を閉めてしまう。
「ほほぅ……本当にまだ若い青少年って感じだな」
完全に中ではお頭さんと2人きりにされると、出入り口の前で突っ立っているオレにいきなりそう言って品定めするように話しかけてきたお頭さんは、挨拶もなしにまずは座るように言って正面の座布団に視線を向けるので、その通りに座布団に正座。
お頭さんは部屋着なのか、紺色の着物を着てあぐらをかきながらオレをまっすぐに見ていて、角刈りな頭はもう白髪に染まっているが、その体にはまだ若々しさというか、覇気みたいなものが迸っているように見えるので、歳の割には生命力に溢れてる。
「わざわざ足を運んでもらってすまねーな。俺が松方組の組長やってる
「いえ、それはいいです。オレは……」
「突然だがお前さん、堅気の人間じゃねーな」
相対して向こうが名乗ってきたので、オレも名前くらいはと思って口を開くと、十蔵さんはそれを手で制していきなりなことを言うので、オレもどう返すべきか迷う。
「お前さんを見てひと目でわかった。その歳でずいぶんやんちゃしてそうな迫力みてーなもんがある。こいつは堅気の不良学生程度じゃ出せねーな」
「…………あの」
「ああ、いいってことよ。別にお前さんの素性を探ろうってわけじゃねーさ。話したくねーことは話さなくていい。それが互いのためになるんだったら尚更だ」
「……まだ何も話してないのに、お気遣い感謝します。オレは……キョウ、とでも呼んでもらえれば」
人を見る目は相当な十蔵さんによってオレの素性が明かされそうになるが、それ以上の詮索はしようとせずにその眼光に鋭さをなくしたので、オレはその気遣いに最大限の感謝をしつつ本名を明かさずにここでの呼び名を決めると、十蔵さんもそれでいいとにんまりと笑ってみせた。
本来、武偵とヤクザはそのほとんどの場合で敵対関係にある。
ヤクザの仕事は犯罪行為も多く、それに関わると武偵3倍刑もあるオレ達武偵は内通やら協力関係にあるだけでヤバイ。
それをひと目見てオレが普通じゃないと見抜いていち早く察した十蔵さんは、オレが武偵であることはわかっていないとは思うが、詮索はしない方がいいと判断して語らせなかった。
それならば最悪なにかしらの事情で問題が発生しても知らぬ存ぜぬで押し通すことが可能かもしれないからな。
「自己紹介も済んだところで、改めて言わせてもらうとするか。あの時は見ず知らずの俺を助けてくれてありがとよ。お前さんの手当てがなけりゃ病院に着く前に死んでたかもしれねーって医者が言うもんだからよ。そんな恩人を名前も聞かずに帰すなんてバカ野郎かお前ら! ってシゲ達を怒鳴り散らしちまったが、こうして直接会って礼を言えて良かった」
「……あの時はオレも溜め込んでたものがあって突っかかりましたし、十蔵さんを助けたのも人として当然のことをしただけです。だからお礼とかされても困るからさっさと退散したので、シゲさん達は許してあげてください」
「漢だねぇお前さん。シゲ達もこんくらい仁義の漢になってもらいてーもんだ」
がっはっはっ。
過去にできなかったお礼を述べた十蔵さんに正直な気持ちを返すと、そんなオレに漢を感じたらしい十蔵さんは不甲斐ないみたいにシゲさん達を笑うので、それに苦笑してしまうが、障子の向こうのシゲさんがちょっと泣いてるみたいで可哀想になる。
本人に聞こえてますよ、十蔵さん。
「それでですね。今回わざわざ訪ねたのは……」
「おう。そっちが本題だったな。命の恩人の頼みだ。大抵の頼み事は聞いてやる気概だ。何でも言いな」
「そんな大層な頼み事でもないと言いますか、ちょっと知ってたらいいかな程度で尋ねたいことがあるだけなんです」
「勿体ぶんな。言ってみろ」
これ以上この話を広げてもシゲさん達に悪そうなので、ちょっと無理矢理に話を本筋へと向けて話を切り出すと、太っ腹な台詞を言ってくれるものの、そこまで世話になることでもないので控えめに用件だけを述べておく。
「尋ねたいのは、ここ最近で大量に武器類の密輸をしたっぽい暴力団がないかどうか知らないか。ということなんですけど、噂でも何でも耳に入ってればと思って訪ねた次第です」
「武器っつーと、
質問に対しての答えとしてはちょっとおかしいが、これは暗に『その件に俺の組は関係ない』と言ってみせたということで、要するに前置き。
事実、それを言ってから廊下に控えていたシゲさんを迎え入れて隣に座らせると聞いていただろう話について話すように言い、シゲさんも素直に従って片膝をついた姿勢でオレに話をする。
「そういった話は普通、どこの組でも外にはバレねーようにやるもんですから、噂なんてもんもなかなか耳には入ってきませんね。ただ、金回りの良し悪しとかその辺から探りを入れることは可能とは思います」
「それはやめてほしいです。そちらに迷惑をかけるつもりは全くないので、こんなつまらないことで探りを入れて組の抗争なんかにでも発展されたら堪ったもんじゃないですし」
「確かに余計な面倒は御免だわな。シゲ、なんとかそれとなく探る方法はねーもんか」
「……何かを限定した探りは明らかに怪しまれますが、大雑把に変化のあった組を探る程度なら、情報交換の一環で他の組から得られるものもあるかもしれねーですね」
最初こそ手がかりなしといった感じで空振りかと思ったのだが、わざわざ探りを入れてくれると話すもそれは断固拒否の構えを貫いておき、ではと代案を出してきたシゲさんに十蔵さんはそれでいいかと目で訴えてきて、何か特別なことをしてくれるわけではないのならとグレーゾーンではあるがその厚意に甘える。
「だがどうだシゲ。この程度で俺の命と釣り合いは取れるか?」
「いつもやってることを旦那に密告するだけですから、釣り合いどころか何もしてないに等しいですね」
「だよなぁ。つーわけだからよ、悪いんだが俺が納得できる恩返しは他にないか」
しかしそれだけでは十蔵さんは恩返しにならないと言って、追加の要望をオレに求めてくるのだが、これ以上のことを要求しても仕方ない……
と思ったのだが、間の悪いことに思い当たる件が脳内検索で引っ掛かって、そんな表情が顔に出てしまったのか何だ何だと十蔵さんもシゲさんまで期待の表情をするので、もうせっかくだからと言うだけ言うことにする。というか言わないと怒りそうで怖い。
「じゃあ、できればでいいですけど、こちらの案件が済むまでの間の雨風をしのげる拠点を貸してはくれませんか? 実は資金的に余裕がなくて……」
これは案外死活問題だったのだが、元より情報だけを頼りに訪ねた手前で図々しいにもほどがある。
そう思ったのだが、向こうはそうは思ってないようで、こんな要求でもまだそんなことでいいのかみたいな顔をするので本当に困る。
これ以上のお世話になることはないでしょうよ……
「そんなことならここに寝泊まりするのが一番楽だが……」
「生意気な意見ですが、お互いにこれ以上の接触は可能な限りない方がいいと思います。知らないガキがここを出入りしてるのを見られていさかいのきっかけを作りかねないですし、組員の方のところに厄介になるのも同様だと思います」
「そりゃー……まぁ……そうだわな。そうなると賃貸で済ますか」
「それもこっちで動くとどこでどう耳に入れられるか」
「難儀だな……」
簡単に厄介になるとは言ったものの、松方組と親密になるわけにもいかない関係上、可能な限りの危険を排除しないといけないため、寝泊まりする場所も注意しないといけない。
案の定といえばそうだが、十蔵さんもシゲさんも頭を悩ませてしまって、さすがにこれはダメだなと思って却下の方向に話を進めようとしたら、突然閃いたように目を開いた十蔵さんは、ポンとわかりやすい手のつき方をすると明るい声で話をしてきた。
「それならうちの娘のところに厄介になってくれ。今年から日本女子大学に通ってる華の女子大生だが、一人暮らしで俺のとことも今は関わりが薄い。というかあんまり関わるなと言われて……身の回りの世話も献身的にやってくれるはずだ」
「しかし頭。お嬢も急な話で困るのでは?」
「問題ねーよ。あれもキョウには関心があってな。会えたら恩返しがしたいと言ってたから、快く引き受けてくれるだろうよ。娘も良い歳になったが、キョウなら間違いもないだろうし。いや、むしろ間違いがあってもそれはそれで美味しいか……キョウなら娘を任せられるしな」
「頭ぁ、本人を目の前に不謹慎な……」
「バカ野郎! 娘の男を見定めるのは父親としての役目だろうが!」
……なんだかトントンと話が進んでしまってるが、これは良くない流れじゃないか?
このままだとオレは十蔵さんの娘さんのところに居座ることになるわけで、つまり一時的とはいえ同居。
色々マズイのに十蔵さん的には美味しいとか何これ……
さすがにその案はどうかと断りを入れようとしたのだが、十蔵さんはもう決定事項のように歳に似合わず見事に携帯を扱ってその娘さんに電話。
今日が日曜日なのが円滑さに拍車をかける。
それで滞りも全然なしで娘さんは通話に応じてしまい愕然としつつその会話の様子をうかがっていると、突然シゲさんが十蔵さんの指示を受けてオレを携帯のカメラでパシャリ。
反射的に顔をぼかす癖で斜に構えたが、その微妙に写りが悪そうな撮った画像をメールで誰かに送る。流れ的に娘さんにか。
そうしてオレの顔写真でも見てキッパリ断られるかと期待してみたら、通話を切った十蔵さんはにこやかな笑顔でオレに絶望を与えてきた。
「娘もお前さんなら泊めていいと言ってくれた。時間と場所はこれからメモを渡すから失礼だがそれで1人で行ってくれや。連絡は何かあったらシゲの方から寄越す。接触は避けてこいつを1つ持ってけ。もし何かあったら迷わず壊してくれて結構。俺らの事など考えずに自分の身の安全を最優先にしなさい」
もう拒否権とかないなこれ。というかここで断れるほどオレは強心臓を持ち合わせてないわ。
たぶん大事な娘さんのところに泊めるっていう案も最大限の厚意の表れだろうし、もうなるようになれだ。
「…………ご厚意、ありがたく頂戴します。それとシゲさん、その写メは消しておいてくださいね。顔写真とか一番あったらダメなやつですし」
そんなわけで決まってしまったことを受け入れつつ、十蔵さんからメモと携帯をもらいつつ、シゲさんにも一応そんなことを注意して消したのを確認してから席を立って、十蔵さんに一礼し退室。
シゲさんと一緒に最大限の注意を払って家を出てから別れて、オレはもらったメモが示した場所を目指してバイクを走らせていった。
――今回も状況に流されてるなぁ……オレ……