ハイスクールD³   作:K/K

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継戦、勝敗(後編)

 小さな頃から鏡に映るのが嫌いだった。

 鏡に映ると怖いものが向こうから覗いてくるからだ。

 ずっとずっと鏡が怖くて泣いていた。両親を困らせるのが悲しかった。

 だけどある日、怖い日は終わりを告げた。

 私の恐怖を終わらせてくれたのは一人の悪魔。

 ソーナ・シトリー。

 貴女の為ならば、私は何度でもこの身を鏡に映そう。

 

 

 ◇

 

 

 視界全てに映り込む鏡の破片。椿姫の鏡の神器による結界。それに囲まれ中心に立つ木場は、体の至る箇所から流血していた。深い傷では無いが、それでも数が多い。

 流れ落ちる血によって、木場の足元は赤く染まりつつあった。

 

「はあ……はあ……」

 

 大量の出血のせいで木場の顔色は悪く、疲労の色も濃い。しかし、その両手に一本ずつある聖魔剣は強く、そして固く握られており、木場の意思まで弱っていないことを表していた。

 

『こういった嬲る様な真似はしたくなかったですが……』

 

 同じく鏡の結界の中にいる椿姫。重なり合う声が示す通り、椿姫の姿は一人では無く、複数あった。

 鏡に映った像を利用した魔術であり、それにより声や姿だけでなく、まるでそこにいるかの様な存在感すらも感じられた。

 かつて似た様な技を使ってきた者がいたが、その人物と比べれば幸い椿姫の身体能力は劣る。木場一人でも目の前の数を捌くことは可能である。

 しかしながら、目の前の分身たちには一つ厄介な仕掛けがあった。

 本物を含めた椿姫の幻影たちが一斉に長刀を構える。その動きに一切の違和感は無く、見るだけでは見抜くことは出来ない。

 椿姫たちが同時に木場へと攻撃を仕掛ける。ある者は右から。ある者は左から。別の物は正面から。頭上から。足元から。とことん逃げ場を潰してくる。

 左右から首を刈る様に刃が挟み込んでくる。振るわれた刃の質感や、肌で感じた圧迫感も本物のそれであった。

 だが木場は聖魔剣でそれを防ぐことはしなかった。限りなく本物に近い。しかし、何処か違和感を覚える。言葉では正確に言い表すことが出来ない感覚。ただ漠然と何かが違うとしか言えなかった。

 長刀の刃が木場の首元へと迫り、そして交差し通り過ぎる。刃が通過した木場の首から血は流れず、傷一つ無い。感覚に従った通り、幻影であった。

 息する暇も無く正面から長刀が突き出される。これもまた己の感覚に従い、無防備で受ける。刃が木場の胸に突き刺さるが、背中から突き出た刃に血は付いていない。これもまた幻影であった。

 幻影の刃をその身で受ける木場であったが、決して楽なことではない。これ以上体力を消耗させない為の策である。いくらまやかしといっても、精神的にはかなり負担を強いられていた。誰であろうと何であろうと、斬られて良い気などしない。

 最初は回避や斬るなどして幻影を散らそうとしていた木場であったが、前述の事情によりそれも封じられていた。

 担いだ構えから振り下ろされる斬撃。この時、木場の直感が警鐘を鳴らす。この一撃は本物であると。

 すかさず木場も聖魔剣を斬り上げた。駒としての格は椿姫の方が上であるが、身体能力ならば木場の方が上回っていた。一瞬遅れたとしても、先に刃が届くのは木場の方である。

 

「っ!」

 

 しかし、木場が目を見開く光景が次の瞬間に起こっていた。

 木場と本物の椿姫との間に割って入る幻影の椿姫。振り抜く斬撃を途中で止めることが出来ず、木場の刃が幻影を斬り裂く。

 幻影と共に砕け散る音。椿姫の姿が消えた後に細かく砕けた鏡の破片が現れ、そこから波動が生まれ、木場に襲い掛かる。

 

「くうっ!」

 

 斬った直後に放たれたそれを、身を捩って回避しようとする木場であったが、間に合わず脇腹を掠めていく。掠めた制服の箇所は斬られ、皮膚まで達しており、流血で赤い染みを作っていく。

 不安定な体勢から聖魔剣を床に叩き付け、その反動で追撃を避けられる位置にまで移動する。

 今受けた攻撃こそ、この合わせ鏡の結界の厄介な仕掛けである。

 椿姫の幻の中に『追憶の鏡』の破片を紛れ込ませることで、木場からの攻撃を反射しているのだ。最初のとき何も知らずに幻を斬った途端、胸に切り傷を刻まれ、その痛みと何が起こったのか分からず戸惑ってしまった。

 幸いと言うべきか、本来の能力なら相手から受けた衝撃を倍にして返すのだが、破片ということで等倍、あるいはそれ以下の衝撃としてしか返ってこない。それでもダメージと痛みは無視することが出来ないものであり、仮に手を抜いて幻の相手をしようならば、即座に本物が攻めてくる。

 相手する側としては嫌らしいと言うしかない。

 逃れようにも木場の周囲には常に鏡の破片が漂い続けており、攻撃すれば当然カウンターとして返ってくる。

 やれることがあるとすれば、偽物と本物を見極めて戦うことぐらいである。

 距離をとった木場に対し、椿姫たちが再び攻めてくる。

 本物の攻撃と偽物の攻撃。神経を削る様な見極めをしながら、木場は反撃の機会を窺う。

 だが、やはり今の木場には精神的余裕が無いと言える。何故ならば、幻影に対し対処しつつある現状を前にして、相手が今まで通りの戦い方をし続けると無意識に思っているからだ。

 肌にヒリつく殺気の雨を浴び続けながら待つ。刃が腕をすり抜け、胴をすり抜け、頭部をすり抜けていく中、無数の中にある唯一の本物を探る。

 嘘の刃に紛れ込み、本物の刃が木場の胴体目掛けて薙ぎ払われた。

 長刀の刃が木場の胴体に食い込む――直前に木場は床の上を滑らす様な歩法によって後退。刃先が制服の生地を僅かに掠るという紙一重の回避をしてみせた。

 大振りを空振ったせいで椿姫の体勢が横に流れる。木場にとって十分過ぎる程の隙であった。

 それを狙い、聖魔剣を振り下ろす。

 

 パキン

 

 最早聞き慣れた破砕音。触れてもいないのに鳴ったそれを警戒し、木場は反射的に視線をそちらに向けてしまう。

 音の先にあるのは、空振りした椿姫の長刀が鏡の破片を砕いている光景。

 ミスをした。という甘い考えなど木場はしなかった。これは椿姫の編み出した結界である。そんな中でこの様な単純な失敗をするなどと思えなかった。

 砕かれた破片から波動が椿姫に向かって飛ばされる。しかし、椿姫はそれに目線を向けることをせず、上体を後ろに反らすという最小の動きで避けてしまう。割ればどのタイミングで衝撃を跳ね返してくるのかを熟知しての動きであった。

 狙いを外された衝撃が何処かへ飛んで行く。かと思いきや破砕音と共に衝撃が方向を変え、今度は木場に向かってきた。

 それを回避する木場だったが、背後でまたもや聞こえる破砕音。木場が振り向くのと脹脛に裂傷が生じるのはほぼ同じタイミングであった。

 痛みにより思わず声を上げそうになる。しかし、この機会を逃さずに長刀を振り下ろしてきた椿姫の行動に対処するため、苦痛ごと呑み込み耐える。

 椿姫の長刀を受け止めたとき、脚に力が入り負傷した脹脛から血が溢れ出る。痛みと血を失っていく喪失感に力が抜けそうになるが、それを悟らせない様に必死にやせ我慢をする。弱みを見せれば一気にそこを攻めて来る。

 刃を数度交えたが、負傷していても接近戦の技量は木場が上回っており、また聖魔剣も警戒した椿姫も深追いはせず、不利になる前に退いてしまう。

 木場は呼吸を整えながら、何が起こったのか冷静に振り返る。

 衝撃を反射させて死角からの攻撃。新たに見せた戦い方である。これからは自分だけはなく、椿姫の攻撃による反射にも注意しなければならない。

 これだけ優位な立場になっても慎重さを失わない椿姫。付け入る隙を見せないその姿勢は、敵としてこれ以上無い程に戦い難い。時間が経過すればする程に、自分が追い込まれていくのが分かる。

 

『リアス・グレモリー様の『騎士』一名、リタイヤ』

 

 追い詰められている木場を更なる窮地に追い込むアナウンス。合流することを約束していた筈のゼノヴィアの退場を告げられた。

 

「ゼノヴィア……くっ!」

 

 共に戦う筈であった仲間の退場に木場は唇を噛み締める。そして同時に思う。誰がゼノヴィアを倒したのか、と。

 聖剣という悪魔特攻の武器を持つ彼女が敗北したのは信じ難いことであった。椿姫の『追憶の鏡』の様な力を跳ね返すカウンター系の能力を扱う者とは相性が悪いが、椿姫は木場と戦っており、他にカウンター系の神器を使う者は居なかった筈である。巡の様な、資料には無かった反転させる神器を持つ者がまだいるとなれば話は別だが。

 一方、ゼノヴィア退場という情報に椿姫もまた少し驚いていた。当初の予定では椿姫を含むカウンター系の神器を有した者たちが相手をする予定であった。しかし、巡はリタイヤし、『反転』を持つ『僧侶』もまだ動いてはいない。ならば彼女を倒したのは誰なのか。

 木場との戦いに集中していた為、把握出来なくなってしまった戦況を通信機で密かに尋ねる。

 

(会長、聞こえますか? 戦況は今どうなっていますか?)

(……)

(会長?)

(……サジがゼノヴィアさんを倒してくれました。予定通りこのまま進めていきます)

 

 返ってきた答えに椿姫は身震いする。匙がゼノヴィアを倒したということに驚いたからではない。それが気にならなくなるぐらいにソーナが激怒しているからだ。

 声に抑揚が全く無い。今にも外に出てしまいそうな感情を無理矢理押し殺しているらしく、機械の様な平坦な喋り方になっていた。ソーナの片腕として付き合いの長い椿姫には、今まで感じたことが無い程ソーナが怒っていることが分かった。

 

(そ、そうですか。分かりました)

(……貴女も頑張って下さい)

 

 これ以上会話をすることが恐ろしくなり、早々に通信を切上げる。あまり情報を得ることが出来なかったが、改めて考えると匙がゼノヴィアを倒したという事実に遅れて驚きがやってくる。相性から見て決して優位とは言えないが、何らかの方法で勝ったのだろう。そして、その方法がソーナの逆鱗に触れたのが容易に想像出来た。

 兎に角、こちらは二名、あちらも二名リタイヤしたことになる。数としては互角だが、流れを見ればこちらが優位と言えた。

 ここでエースに匹敵する木場を倒し、優位を確固たるものにしたい。

 長刀を構える椿姫。木場もまた両手に握っている聖魔剣を構え、そのまま床へと突き刺した後に手離す。

 

「何の……つもりですか?」

 

 自ら武器を手放す愚行と呼べる行為に思わず聞いてしまった。仲間が倒されて自棄になったとは少なくとも思えない。何故なら木場の目には強い決意の光があった。

 

「両手が塞がっていたら、新しい剣も握れないので」

 

 わざわざ聖魔剣を手放すぐらい強力な剣があるのかと考え、椿姫は警戒する。

 木場が右手を伸ばす。すると空間に歪みが発生し、その歪みに右手を沈める。歪みから手を引き抜くと、そこには一本の剣が握られていた。

 

「アスカロン……!」

 

 一誠が所持している筈の龍殺しの聖剣が、今木場の手の中にある。しかし、聖魔剣とアスカロンを比べると聖魔剣の方が性能的に上である。

 だが、木場から発せられた力ある言葉に椿姫は耳を疑う。

 

「ペトロ、バシレイオス、ディオニュシウス、聖母マリア。我が声に耳を傾けてくれ!」

 

 左手を突き出す。左手の先で空間の歪み、そこから裂け目ができ、裂け目の中に手を差し込む。

 

「嘘でしょう! そんなことが!」

 

 木場が何をしようか理解した椿姫から冷静な表情が剥がれ落ち、驚愕を浮かべる。

 

「聖なる刃に宿りしセイントの御名において僕は解放する。――デュランダル!」

 

 空間の中から取り出したのは、ゼノヴィアが所持している筈のデュランダルであった。

 

「どうして貴方がデュランダルを!」

「ゼノヴィアからの提案です。もし自分がリタイヤした場合、この剣をそのままにしておくのは勿体無いから、限定条件ですが僕に使用の権利を譲る、と」

 

 巨大な力を放置しておくのは確かに勿体無いと思えるが、それでも椿姫には納得出来ないことがあった。

 

「しかし、貴方には聖剣の適正が――」

 

 椿姫の見ている前で木場はデュランダルを掲げる。すると、その剣身からは眩い聖なる気が発せられる。それは、聖剣を扱えている証拠であった。

 

「たしかに昔はありませんでした。――でも、禁手のおかげ……いや、かつての同志たちのおかげでこうしてデュランダルを扱えるようです」

 

 聖なる気を静かに放つデュランダルであったが、それを持つ木場の手は何かを抑え付けているかの様に震えている。

 

「本当に、じゃじゃ馬だな。よくゼノヴィアは平然と振るっていられるね」

 

 デュランダルに込められた力が解放されることを望んで暴れる。それを何とか抑えているが、気を抜けば暴走しそうであった。そういう意味ではもう片方の聖剣がアスカロンで良かった。この聖剣は癖が無く、非常に手に馴染む優等生である。

 極端な性格の聖剣二本。だからこそ扱うことが出来るとも言えた。

 

「聖剣二本とは……計算外だわッ!」

 

 すぐにソーナにこの情報を伝える。一刻も早く伝えなくてはならない。

 木場がアスカロンを下斜めに構え、デュランダルを掲げる様に構える。椿姫はそれを見た瞬間、周囲に漂わせていた鏡の破片を可能な限り自分の前方へと移動させて壁にする。

 アスカロンに向け、木場はデュランダルを振り下ろす。打ち鳴らされる両剣。相乗し合う聖なる気。交差させたことで生まれる閃光が立体駐車場内を奔る。

 周囲に浮かぶ鏡の破片が瞬時に砕け散り、同時に幻影も消える。椿姫が壁にしていた破片も全て粉砕された。だが、『追憶の鏡』の特性上聖なる光は椿姫には届くことは無く、それら全てが破壊の力として木場へ反射される。

 自ら発した大き過ぎる力が、全方向から木場へと襲い掛かる。

 逃げ場の無い木場は観念したのか、避ける素振りも見せない。

 勝った、と椿姫が確信した瞬間――

 

「――デュランダル・バース」

 

 突き刺された聖魔剣を中心として立体駐車場の地面を突き破り、大小様々な聖魔の刃が飛び出し、反射された力を次々に防いでいく。

 先程までの木場ならこれ程までの聖魔剣を創り出すことは出来なかった。だが、デュランダルの力を借りることで、一帯に花の様に聖魔の刃を咲き乱れさせることが出来た。

 聖魔剣とはいえ、魔が混じる刃。相反する力に対し反発することなく力を貸してもらったことこそ、木場もまた聖剣自身に扱われることを認められている証とも言えた。

 

「そんなっ!」

 

 完全に防がれたことに椿姫は愕然とする。多少の計算違いはあれど、ここまでは椿姫のペースで戦いが進んでいた。しかし、二本の聖剣の一撃によりその戦いの流れは一気に木場へと流れ込む。それも最早取り返しのつかない程に。

 合わせ鏡の結界全てを破壊され、無防備となった椿姫に木場は最後の攻勢をかける為に、持てる力全てを込めて駆ける。

 一歩踏み込むことで姿が消え、二歩踏み込むことで音が消える。

 その速さは、『女王』である椿姫ですら反応できず、動き始めることが出来たのは手に持っていた長刀が破壊されたときであった。

 眼前に迫る木場。神器を使おうにも短い時間で連続しては使えない。この時になってあの結界を張ったことでのデメリットのせいで為す術が無くなる。

 吹き抜けていく風を感じた瞬間眼前にいた木場の姿は消え、跡には十字の傷が刻まれた椿姫。

 聖剣による傷。最早リタイヤを免れないと悟った椿姫の行動は速かった。

 仕舞っておいた、いざという時の為に取っていたフェニックスの涙を、転送魔術によってソーナの下へ送る。

 これで折角の回復手段を失わずに済む。

 

「次に……戦う機会があれば……必ず勝ってみせますよ、木場君」

「はい。ですが、僕も負けるつもりはないです」

 

 消え行く椿姫。最後まで仲間の為に尽くす彼女を、木場は敬意を以て見送る。

 

『ソーナ・シトリー様の『女王』、リタイヤ』

 

 椿姫の姿が消えた後、木場の勝利を告げるアナウンスが聞こえてきた。

 苦戦を強いられた木場の体が休みを求め、痛みという形で悲鳴を上げる。気を抜けばどこかの壁にもたれ掛り、そのまま目を閉じたくなる。

 だが、そんな猶予など無い。ソーナの『女王』を倒しても、まだ倒すべき強敵は残っている。

 リタイヤした人数は、ソーナはこれで三名。しかし、楽観視出来るものではない。攻撃の要であったゼノヴィアがリタイヤしたとなると、当初の作戦を変更しなければならなくなる。それを埋める為に本陣の朱乃が出るか、もしくはリアスたち全員が出るか。一誠たちの戦況も気になる。

 それと今後のことを確認する為、木場は通信機の向こうにいるリアスに喋りかけるのであった。

 

 

 ◇

 

 

 至近距離での拳の応酬。それがシンと一誠、小猫の間で行われていた。

 一誠が大振りの拳を放てばシンはそれを拳で打ち落とし、小猫が気を込めた拳打を出せば、触れずにそれを避ける。更にその動いた先を読んで一誠が攻めようとすると、シンはそれを先読みし、攻撃が繰り出される前にその部位を殴り付け動きを潰す。

 

(強ぇ……!)

 

 攻防することで実感するシンの強さ。既に何回も倍化して能力も高まっており、小猫にも『赤龍帝からの贈り物』によって力を譲渡している。最初の頃に比べれば少しずつだが一誠の攻撃は届き始めていた。その証拠に、シンの頬や手に一誠の拳が掠めたことによる擦傷が出来ている。

 だが、どうしても直撃しない。二対一という有利な状況で果敢に攻めているのに、シンはそれを尽く捌いてしまう。

 先の先により一誠の動きを封じたシン。しかし、それにより小猫に対し背を見せる格好となってしまう。触れるだけで魔力の流れを断ち、体の内部にダメージを与える気の拳にとって大き過ぎた程の的であった。

 その背に向け掌打が放とうとする。だが、小猫は見落としていた。シンは背を見せながらもそれ越しに小猫の動きを感じていた。

 シンは森で魔獣たちの集団に襲われたときを思い出す。他の魔獣に構っているとき、別の魔獣がシンの喉笛に牙を突き立てようと大口を開けながら殺気を放っていた。今の小猫に殺気は無いが、嘘偽りの無い攻め気が感じられた。どこぞの性根の悪そうな槍使いと比べれば心地良いぐらいである。

 フェイント無しに放ってくると確信する。その直後、白い気を纏った掌打が放たれた。

 シンは、一誠に打ち付けた拳を引きながら一誠の腕を掴んだ。腕を引っ張り、自分に引き寄せる。

 

「ッ!」

 

 前のめりになり攻撃の軌道上に入ってしまう一誠。寸での所で掌打を止める小猫であったが、無理矢理止めたせいで動きが硬直してしまう。

 その瞬間シンは掴んでいた手を離し、前傾姿勢となっている一誠の背に掌を叩き付け、それを支えにしてシンは体を持ち上げる。

 跳び箱の様に一誠を跳び越えながら、小猫に向けて横蹴りをする。

 足の爪先が小猫の側頭部に突き刺さるかと思われたが、硬直から抜け出した小猫の交差した腕がそれを受け止める。

 直撃は避けたものの蹴り飛ばされる小猫。

 着地したシンに体を起こした一誠が拳を振り上げて殴り掛かってくるが、振り下ろされる前に懐に入ると一誠の頭を腕で挟み、殴り掛かってきた勢いのまま床に向けて投げ飛ばす。

 一誠は水切り石の様に床を何度も跳ねながら小猫の側で止まる。背中に手を当て痛がりながらもすぐに立ち上がり、シンの方を見た。

 

「痛ぅ……! どうすりゃいいんだか……」

 

 現状に思わず本音が漏れる。

 焦りが生じる。先程のアナウンスでゼノヴィアか木場がリタイヤしたのを知った。どちらにしろかなりの痛手である。

 一誠たちの戦況も良くは無い。

 こちらは攻め切れ無いことや体の痛みで表情を歪めているというのに、シンは相変わらずの無表情を続けており、顔色一つ変えない。左手からは未だに血が滴っており、巻き付けた布がそれを吸って赤黒く変色しているというのに。

 状態だけみれば一番の怪我を負っているが、当の本人はそれに構わず普通に左手も使っている。

 何一つ変化を見せないというのはこれ程までに畏怖と重圧が掛かるということを一誠は初めて知った。

 そして、一番効くのがシンが放つ一発一発の拳である。兎に角、痛いという以外説明しようが無い打撃。体に打ち込まれる度に痛みが杭の様に刺し込まれ、それが残る。修行で散々痛みに耐えてきた一誠も出来れば避けたいと思う程であった。

 

「こうなったら……!」

 

 最終手段である禁手を使用することを考える。ただし、発動すれば禁手に至る二分間は、倍化も譲渡も出来ない状態でシンの攻撃をやり過ごすしかなくなる。

 賭けに近いが、現状を打破するにはもうこれしか無かった。

 

「スター――」

「……ちょっといいですか?」

 

 開始しようとした直前小猫が制服を引っ張り、待ったをかける。

 

「……一つ試してみたいことがあります」

「試してみたいこと?」

 

 シンに悟られない様に小声での会話。

 

「……上手くいけば間薙先輩に私の気を打ち込むことが出来るかもしれません」

「一体どういう方法で?」

 

 小猫は手短に自らの案を説明する。聞かされた内容に一誠は少し驚いた表情をするも、すぐに真剣な表情となる。

 

「それで行こう」

 

 即決する一誠に小猫は目を見開く。

 

「……いいんですか? イッセー先輩も危険なんですよ?」

「まあ、そんときはそんときさ。それに俺を信じろって言ったのに、俺が小猫ちゃんを信じないなんて不公平だろ? ドライグもいいだろ?」

『好きにしろ。これはお前の戦いだ』

「だってさ」

 

 一誠が歯を見せて笑う。小猫は目を伏せ、少し赤くなりながらも礼の言葉を言った。

 

「……ありがとうございます」

「じゃあ、やろうか!」

「……はい!」

 

 構える二人を見て、シンは少し目を細める。何か仕掛けてくるつもりらしいが、それが何かは全く分からない。

 二人はシンが余裕そうに見えているらしいが、シン本人は決して余裕がある訳では無い。二人同時に相手をすれば嫌でも体力は消耗していく。『戦車』の特性を持つ小猫が頑丈なのは分かるが、一誠もまた硬く頑丈になっており、何発打ち込んでも倒れる気配が無い。一体どんな修行をしてきたのか、シンは少し気になった。

 魔力による大技を使用すれば二人揃って倒せたかもしれないが、今のシンはそれを使用することを避けていた。原因は左手の傷である。小猫の気によって体内の流れを乱されていたことを気にしていた。流石に右手も左手の様にはしたくない。

 また一誠の禁手に関しては強く警戒しており、素振りを見せたらどんな状況でも即潰しに掛かるつもりだが、中々その動きを見せない。

 一誠の禁手を倒せるかどうかは分からないが、発動したらそのときは使用時間を可能な限り消費させるつもりでいた。

 小声で話し合っていた一誠と小猫が横並びになって構える。何かを仕掛けてくるつもりらしい。

 油断せずに二人を見詰めるシン。

 先に動いたのは一誠側であった。

 並走しながら距離を詰めて来る一誠たち。

 すると一誠がシンに向け左掌を突き出す。『赤龍帝の籠手』に覆われた掌の中央で赤い魔力が収束し始める。ドラゴンショットを放つ構えであった。

 周囲を破壊する覚悟で放つのかと思い、どう対処するべきか思考を動かす。

 すると一誠は、掌の中で圧縮された魔力をシンに向けて放つのではなく、掌で握り潰してしまう。

 途端、『赤龍帝の籠手』の端部から魔力が噴出し、それによって一誠の動きが加速。間合いを一気に詰めた。

 相手の思わぬ動きに回避が間に合わなかったシンは、迫る拳に対し両手を重ねて受け止める。

 受けた瞬間腕内部を抜けていく衝撃で肩が脱臼しそうになる。踏み締めていた筈の両足は一誠の勢いに負け、床を滑っていく。重ねていた左手に力が籠り過ぎて血が噴き出してくるが、それでも力を緩めず一誠の拳を受け切った。

 シンが数十メートル後退した後、『赤龍帝の籠手』の噴出は収まる。

 思いもよらない技に内心舌を巻く思いのシン。一方で一誠もまた似た様な心境であった。

 マダとタンニーンとの修行があまりに酷過ぎて少しでも逃れたい、何処か遠くへ行きたいという切実な想いから生まれたこの技。『赤龍帝の鎧』状態で使用した噴射を限定的に発現させたものだが、初見で受け切られるとは思わなかった。因みマダとタンニーンの前で初めて使用したときは、いつもよりも十秒程長く逃げることが出来たが、その後に捕まりいつもの二倍しごかれる羽目となった。

 しかし、受け止められた一誠に焦りの気持ちは無い。この形こそ一誠たちが望んでた状態であったからだ。

 シンは一誠を押さえ付けながら小猫の姿を探る。が、右にも左にも小猫の姿が無い。

 彼の探している人物はすぐ側にいた。目の前に立つ一誠のその背後。一誠の背に手を当てて構えていた。

 白い気が小猫の手に灯る。この時になりシンは小猫が一誠の背後にいることに気付く。だが、最早手遅れであった。

 小猫は短く切れる息を吐きながら、押し当てていた手を突き出す。一誠は背に軽い衝撃を感じると共に、体の中を何かが通り抜けていく感覚を覚えた。

 痛みは無い。暖かみすら感じる。

 打ち込まれた力は一誠の体を通り、その先にあるシンの体に流れ込んだ。その瞬間、シンの右肩が一度だけ震える。外の変化はそれだけであったが、内部ではあらゆる気脈を乱され、体内を蹂躙されていた。

 俯くシンに、一誠は小猫の策が成功したと悟る。

 一誠の体を通して、シンに気の一撃を与える。それこそが小猫の策であった。気は体内を巡る気脈に乗せることで別の気脈まで届かせるという、荒業にして精密業。これにより、一方は無傷のままで片方を再起不能にすることが出来る。だが、一歩間違えば一誠をリタイヤさせていたかもしれない。実戦でこれを成功させた小猫。それを了承した一誠。どちらも並外れた精神を持っていたからこそ、それを可能とさせた。

 気の一撃による内部破壊。どれだけ頑強な肉体だろうと耐え切れるものではない。

 一誠も小猫も、このときは少なくとも勝ちを意識してしまっていた。

 

「……先輩っ!」

 

 最初に気付いたのは小猫。断ち切ったと思われたシンから微かに気が発せられている。それは、まだ意識を失っていないことを示している。

 一誠が反応したときには側頭部に手の甲が叩き込まれていた。

 脳を揺さぶる衝撃。頸部に掛かる圧力。

 

『耐えるな! 折れるぞ!』

 

 いち早く察したドライグの指示が脳内に飛ぶ。その言葉に従い一誠は両足から力を抜いた。突如、世界が逆さまに映る。

 一誠にはこのとき分からなかったが、後ろに立っていた小猫は、殴られた勢いで体勢が百八十度回転する一誠の姿を見ていた。

 何が起こったのかと一誠が理解する前に、腹部に一撃を受ける。

 一誠の体を抱き止めた小猫だったが、一誠の背後にいたせいで反応が遅れ、きちんと止めることが出来ず、追撃で二人揃って飛ばされた。

 

「ご、ごめん! 大丈夫かい!」

「……大丈夫です」

 

 下敷きになっている小猫から慌てて退く一誠。しかし、殴られたせいでその場で二三歩よろけてしまう。

 視界がぶれる中、一誠はふらつきながらもシンの方を見た。幸い拳を突き出したままの体勢でその場から動いていない。だが、その静けさが不気味とも言えた。

 俯いていた顔を上げる。その顔に苦痛の色は無く、不変とも言える無表情を貫いている。

 効いている筈。きっと効いている筈なのに、一誠も打ち込んだ本人である小猫も、もしかしたらという疑念を抱いてしまう。

 

「……ドライグ、行くぞ」

 

 目の前の敵を確実に倒すには最早これしかない。

 

「スタート!」

『Count Dawn!』

 

 遂に発動させた禁手。宝玉に至るまでの時間が表示される。これから二分間、倍化も譲渡も出来ない。地獄の特訓でいじめられた、もとい鍛えられた肉体を信じ、耐えきってみせる。

 目の前の敵に集中する一誠。故に最初にそれを感じ取ったのは小猫であった。

 

「……っ! イッセー先輩、誰かが――」

「え?」

 

 四方から現れた黒いラインが一誠の両手両足胴体に巻き付く。途端に地面に引き摺り倒され、そのまま凄まじい勢いで何処かへ引っ張られていく。

 

「先輩!」

 

 咄嗟に手を伸ばすが間に合わず、一誠の姿はすぐに食料品売り場の外へ消えてしまった。

 

「間薙ィィィィ!」

 

 食料品売り場に響き渡るは匙の声。

 

「こいつは俺が相手をする! そっちは任せた!」

 

 返事は待たず一方的に言い残していく。

 特に反対することは無く黙って見送るシン。しかし、懸念することもあった。匙の魔力が普段以上に大きくなっており、尚且つ何かが混じった様な感覚がした。あのときデパートを揺さぶった咆哮から大凡理由は察せる。全く不安が無いと言えば嘘になるが、あれだけはっきりと自分の意思を告げたのだから、恐らくはまだ正気なのだろう。

 一対一となり不利となった小猫。だが、その顔に焦燥は無く確固とした意思が感じられた。寧ろこの状況を望んでいたのかと思える程、その目は闘志によって激しく燃え盛っていた。

 

「……間薙先輩は凄い人ですね」

 

 小猫は構えながらシンとの距離を詰め始める。

 

「……手加減無く気を打ちました。きっと貴方の体の中はボロボロの筈です」

 

 シンは答えず、突き出した拳を引いて迎え撃つ構えをとる。

 

「……それなのに顔色一つ変えないなんて」

 

 じりじりと詰められる距離。やがてその距離は互いの間合いと重なる。

 

「……凄いですけど、怖い人です」

 

 苦しみや痛みを全く外へ出さないシンへの敬意と畏怖を混ぜた、小猫の率直な感想であった。

 互いの拳が届く位置。そこで打ち合わず微動だにしない二人。次の一打を思考する静寂。それだけで空気が張り詰め、見る者に緊張感を与える。

 沈黙を続ける両者。それを破り二人を動かしたのは、遠く離れた場所から聞こえてきた破壊の音であった。

 それを合図にして二人は拳を放つ。

 先に動けたのは小猫。その後にシンが動く。突き出される小猫の拳とシンの縦拳。その軌道は重なっており、間も無く打ち合うこととなる。

 気を纏う拳に触れた瞬間、シンの敗北は決まる。相打ちを覚悟して放った小猫は、シンの行動に僅かな疑問を抱いた。

 やがて両者の拳が衝突し合う――かと思われたとき、突然シンの拳が軌道を変え上向きに逸れていった。

 小猫の拳が腕の下に潜る形となったとき、シンは腕を曲げ突き出された肘を小猫の腕目掛けて振り下ろす。

 腕に鉄杭でも捻じり込まれた様な痛みと共に拳が叩き落される。丁度、気を纏った箇所とそうでない箇所との境目を上手く狙っての一撃であった。

 『戦車』の特性を軽々と貫いていく激痛に、小猫の体が刹那の間硬直する。

 その有るか無いかの隙を見逃さず、シンは更に踏み込み、小猫の胸部に右腕を叩き付けた。

 背部に突き抜ける衝撃。しかし、気を失う程では無い――これでシンの攻撃が終わりだったのなら。

 押し付けた右手で小猫の制服の右肩口を掴むと、小猫を掴んだ状態で走り出す。

 小猫の体は浮き上がり地面と足が離れる。この状態ではシンの走りを止めることが出来ない。ここにきて二人の身長差が大きく影響してきた。

 シンは小猫を持ち上げたまま走る。目指す先にあるのはデパートの壁。

 小猫も逃れようと抵抗するが、シンの腕が小猫の肩と腕を押さえ付けている為動かせられない。

 壁へと接触しようとした瞬間、右腕に交差させる様に左腕が押し当てられる。

 前から炸裂する貫く『突撃』。その力は小猫の体を通り抜け背後の壁に伝わると、小猫を中心として大きな亀裂が発生。罅割れは床、天井まで伸びる。足元の舗装は割れて歪になり、上からは大小の破片がパラパラと落ちて来る。

 破壊。その一言に尽きる一撃を受けた小猫は声すら発することが出来なかった。不思議と痛みは無い。ただ間も無く自分の意識が途切れることだけが分かった。

 シンは小猫を掴んでいた手を離す。浮いていた小猫の足は地面に着き、そのまま前のめりに倒れる。

 だが、小猫の体が地面に横たわることは無かった。前に立つシンの胸に額を押し当てる形で止まる。

 

「……ありがとうございました」

 

 意識を失う前にこれだけは伝えたかった。ある意味で感謝の言葉だった。シンの強さを信じて全力を出し、そして負ける。きっと自分はもうこの力に怯えることは無いだろう。何故なら間違った道を行こうとしても止めてくれる人、正してくれる人が居ると証明されたのだから。

 

「……やっぱり強いですね。先輩は」

 

 その言葉を残し、小猫の体は光に包まれ場外に転送された。

 

『リアス・グレモリー様の『戦車』一名、リタイヤ』

 

 アナウンスが小猫の退場を告げる。

 シンが咳き込む。咄嗟に手で口を押える。その手を離すと、掌にはべっとりと血が付着していた。

 決して楽な戦いでは無かった、それがシンの抱いた感想。

 シン自身も気付いていなかったが、この戦いの中で一つの幸運があった。一誠越しに打ち込まれた気。本来の状態ならばあの一撃で戦闘不能まで追い込まれていてもおかしくはなかった。だが、あの時のシンは()()()()()()()()()()

 負傷した左手。あれこそシンが生き延びた理由である。

 気とは即ち生命の流れ。気の一撃が流し込まれる際、シンの左手からは大量に流血していた。それによりシンの左手から腕は殆ど死んだ状態であった。生命の流れが無い物に気は流し込めない。これによって、小猫の気の効果は半減以下となっていた。

 それでも気を流し込まれたのは事実。小猫が言った様にシンの体内は傷だらけの状態となっている。気を打ち込まれてから一言も発しなかったのは、今の様にダメージを負っていることを悟られない為であった。

 

「強い、か」

 

 一人残ったシンが呟く。

 

「――楽なことじゃないな」

 

 手に付いた血を振り払いながら、シンは次の戦場を目指す。

 

 

 リアス・グレモリー残り5名。

 ソーナ・シトリー残り5名。

 




後半投稿しました。
あと二、三話で次の巻に移りたいですね。
まだまだ書きたいシチュエーションがあるので。

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