ハイスクールD³   作:K/K

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選択、進路(後編)

「く、うぅぅ……」

 

 呻きながら一誠は体を起こす。視界の先では黒歌とシンが激闘を繰り広げていた。一誠も初めて見る技で黒歌に攻め勝っているシンの姿を見て、悔しさが込み上げてくる。

 禁手に至る為の時間を、体を張って稼いでくれているシン。それなのに黒歌に一蹴され、今みたいに無様に地を這い蹲っていることが、涙が出るほど悔しかった。

 部長を守ることも小猫を守ることも出来ていない。自分の無力さが恨めしい。何故欲しい時に欲しい力が無いのか。

 思えば初めて神滅具の力を発揮したとき、アーシアが人としての生を終えた時だった。初めて禁手に至ったのは、リアスが望まない婚姻をさせられたからであった。ヴァーリと辛うじて互角に戦えたのは、リアスの涙を見たからであった。

 今以上の力が解放された時、誰かが泣くか、誰かが苦しんでいる時であった。

 物語の主人公ならば珍しいシチュエーションではない。王道、基本、テンプレートの様なもの。

 だが――

 

(それで……それでいいのか?)

 

 合わない。しっくりとこない。当然と受け入れることが出来ない。

 

「……イッセー先輩」

 

 身体を起こした一誠に気付き、小猫が声を掛けてくる。守りたかった少女に逆に心配をされ、余計情けなさを感じる。

 

「小猫ちゃん……ごめんな。俺には伝説のドラゴンの力が宿っている筈なのに何にも出来ないんだ。……俺がもっとドラゴンの力を上手く使えていたら、こんな風に蹲っていることも、間薙やタンニーンのおっさんに戦ってもらうことも無かったんだ……ドライグ、ごめん。――俺は才能の無いダメ悪魔だ」

『相棒……』

 

 戦いたい時に上手く戦えない自分の才能の無さに絶望すら抱いてしまう。

 

「歴代の赤龍帝はさ、皆、短期間で禁手に至ったんだってさ……禁手に何カ月もかかっているのは俺ぐらいだって」

 

 赤龍帝のことについてドライグやアザゼル、時には自力で調べた。その結果知ったことは、一誠の劣等感を一層煽るものであった。だが、タンニーンに鍛えられたら、マダに鍛えられたらという一縷の望みを懸け、見て見ぬ振りをしてきた。

 それも限界だった。心の奥底で蓋を締めていた劣等感が一気に溢れ出す。

 

「わかってたんだ。もうずっとわかっていたんだよ。赤龍帝の力が宿っていても俺自身がクズなんだ……俺がダメだから、部長や小猫ちゃんに何も出来ない……俺は、間薙〈あいつ〉の様に戦えない……」

 

 殆ど同じ時に人ならざる力を得た。だからこそ感じてしまう差。シンが目に見えて強くなっていく一方で、ずっと同じ場所で足踏みをしている気がした。

 こんな時に言うことなど間違っているとは自覚している。しかし、一度弱音を出してしまうと止まらなくなってしまう。

 小猫に失望されるかと思われたが、小猫は一誠の話を聞き微笑を浮かべながら首を横に振った。

 

「イッセー先輩はクズじゃないです……知っていますか? 歴代の赤龍帝は皆、力に溺れた者が多かったって。……絶大な力に呑み込まれたんだと思います……。でも、それはきっと大きな力を一人で操ろうとしたから。……私、知っています……イッセー先輩とドライグが、仲良く話していることを……。実はちょっとだけ聞こえているんです。心の中で話しているのが」

 

 猫魈としての力の影響からか、小猫の耳には声を出さない心の中の会話が僅かに聞こえていた。内容までは分からなかったが、お互いに笑ったり、時には一方を怒っていたりと、伝説のドラゴン相手とは思えない程仲の良さを感じていた。

 

「どんなに力があっても……優しさが無ければ、独りよがりの力なら……必ず暴走してしまう。……でも、イッセー先輩は優しい赤龍帝です、だからドライグとも仲が良いんです。……ちょっと力が足りなくても……二人なら、それもすぐに埋められる。それは素敵なこと……。きっと先輩は歴代の赤龍帝の中で初めての優しい赤龍帝です。……間薙先輩の生き方は……間薙先輩にしか出来ません。だから、イッセー先輩はイッセー先輩のまま――」

 

 小猫の言葉に胸の奥が熱くなってくる。その熱が体中を駆け巡り、四肢に力を与えてくれる。

 

「優しい『赤い龍の帝王』になって下さい」

 

 こう言われて。ここまで言われて、立てない筈が無い。

 一誠は奥歯を噛み締め、痛む体を無理矢理立たせる。

 小猫に言われ、ようやく自分の中にある何かが分かった気がした。

 だからこそ、それに従い行動に移る。

 

「――部長。俺、自分の何が足りなくて禁手に至れないのか、少し分かった気がします。俺が禁手に至るには恐らく部長の力が必要です!」

「分かったわ! ――それで私は何をすればいいの?」

「――おっぱいをつつかせて下さい」

 

 その一言に皆の視線が集中するのを感じた。全員呆気にとられているのも感じる。

 当然の反応と言えたが、言った一誠は微塵も後悔していない。

 アザゼル、マダとの会話以降、ずっと頭の中にそのことが残っていた。特訓で死ぬような目にあってもふと思い浮かぶのはリアスの胸を突くという妄想。一誠にとってそれほどまでに衝撃的なものであった。

 リアスはポカンとした表情をした後、赤面していく。

 正直、己の中の願望を言っただけで九割満足していた。遥か遠く彼方にある夢を語れただけである種の満足感があった。この後、リアスに拒否の平手打ちを貰うのも、軽蔑の視線を向けられるのも覚悟の上である。

 

「……わかったわ。それであなたの想いが成就出来るなら」

 

 拒否ではなく応諾。それを聞いた時一誠は、自分は起きながら夢を見ているのではないかと最初に思った。

 自分で言い出したというのに、一誠は大きく動揺する。

 

「ほ、本当ですか! 冗談じゃないんですよ! つつくんですよ! 俺が! 部長の! 乳首を! 指で! 本気ですよ!」

 

 リアスもまた本気であることを示す為にドレスに手を掛け、一気に下ろす。

 戦いの真っ只中でその乳房を曝け出してみせた。

 

「わっ! 何やってるんだにゃん! リアス・グレモリーは何を考えているにゃん! ――どいうことなの?」

「……俺に聞くな」

 

 リアスの行動に驚愕し、その真意をシンに聞いてくる。シンは無表情のまま一蹴するが、その身から放つ気迫が明らかに失せていた。

 

「一体どんなことをしようってんだぃ! 何かの秘策か? タンニーン! あんたもこの件に一枚噛んでいるってのかぃ? 俺っちと戦っているのはあれをする為の時間稼ぎ――」

「そんな訳あるか馬鹿が! 俺が知りたいぐらいだ!」

 

 変な濡れ衣を着せられそうになるのを怒鳴って否定し、これ以上変な勘繰りをされたり、何が起きているのか深く考えるのも止める為に戦いを再開させる。

 一方マダとケルベロスはというと。

 

「ハハハハハハハハハハハハハハハ!」

 

 マダは腹を抱えて爆笑。

 

「グルル……」

 

 ケルベロスは興味無さそうにそっぽを向いていた。

 色々な意味で戦いの中心になっている一誠とリアス。リアスは毒で血の気の引いていた肌を羞恥で真っ赤にしていた。一誠は、目の前に晒された二つのものを凄まじい眼力で凝視し、興奮で顔を真っ赤にしていた。

 

「……は、早くなさい」

 

 リアスの急かす声。その恥じらいに満ちた声に鼓膜が蕩けそうになる。悪いとは思うが、正直何回も聞きたいくらいであった。

 

「で、では……」

 

 右手の人差し指を立てると、緊張に満ち満ちた表情でゆっくりとそれを近付けていく。――が、何故か突然その動きが止まる。

 

「た、大変だ……」

 

 焦燥に震える一誠の声。緊張した面持ちから一転、苦悩に満ちたものへと変わる。

 

「おっさん!」

 

 いきなり呼び掛けられたタンニーンは、驚きつつも美候に炎を吐き出し、自分から離れさせるとその声に応じる。

 

「どうした! 何かあったのか!」

 

 声、態度から非常事態でも起きたのかと思った。

 

「右のおっぱいと左のおっぱい、どっちをつついたらいい!」

 

 予想の斜め下を行く一誠の発言に、タンニーンも雷鳴の様な怒鳴り声を落とす。

 

「この馬鹿野郎ォォォォォォ! 何だその質問は!」

「俺が禁手に至れるかどうかの選択なんだ! 真剣なんだ!」

「どういう因果でつついたら禁手に至れるというんだ! ああ、もういい! どっちも同じだ! 右も左も! さっさと突いて至れ!」

「しょうがないだろぉ! 初めてなんだから! ファーストブザーなんだから! だったら参考までに教えてくれ! タンニーンのおっさんは、最初の時嫁さんのをどっちからつついたんだ!」

「何てこと聞くんだこの大馬鹿野郎! 言えるかぁぁぁ! ああ、チクショウ! 何か涙が出そうだ……。おい! 美候! さっさとかかって来い!」

 

 一誠の問いに答えるよりも美候との戦いを優先する。タンニーンから模範解答を得られなかった一誠が次に声を掛けたのは――

 

「間薙!」

「後で殴るから今のうちに覚悟しておけ」

 

 ――聞く前に突き放される。

 頼れる友人も答えは与えてくれなかった。ならば最後に頼れる者は一人しかいない。

 

「マダ師匠! 俺は右と左、どちらをつついたらいいでしょう!」

「というより、本当につつくのはその指でいいのか? その手でいいのか?」

「はっ!」

 

 当たり前の様に右人差し指でつつこうとしていた一誠は、気付きもしなかったという表情で己の両手を見る。

 

『この期に及んで選択肢を増やすな!』

 

 流石に黙っていられなかったらしく、ドライグが怒声を上げる。

 

「もう! どっちでもいいでしょう! 両手で同時につついたら!」

 

 いつまでも胸を晒していることにいい加減限界が来たのか、リアスは一つの解答を出す。

 雷にでも打たれた様な顔をした後、両目から滝の如き涙を流しながら一誠は両手の人差し指を立てる。

 

「――そう、させてもらいます」

 

 リアスの答えを自分の答えとした一誠は、涙に溢れる目で正確に押すべき箇所を狙い定めると、目的に向け一気に両手を突き出す。

 ずむっ、と指先が先端に埋まる。

 質感、感触、弾力が指先から脳に光速に伝わってくる。

 脳に送り込まれる未知の感覚。否、正確には未知『であった』感覚。もう既に脳にはこれが何の感覚か、深く深く刻まれる。

 

(これが……これが! これがぁぁぁぁぁぁ!)

 

 脳が気化しそうになるほど興奮する一誠。しかし、内なる興奮とは裏腹に表の一誠の表情は『無』そのもの。全ての力を指先に集中させている為である。

 

「……ぃやん」

 

 そのときであった。リアスの口から零れる様に甘い声が漏れたのは。

 蕩ける。耳が、脳が、体が蕩けてしまうほどに官能的。男として、そんな声を女性に出させてしまったことに若干の罪の意識と、それを上回る程の活力が蕩けていく全身を駆け巡る。

 ――が、それがダメであった。

 苦行そのものといってよい修行と禁欲の生活。そこにただでさえ味わったことの無い興奮の最中に更なる興奮が圧し掛かってきたせいで、一誠の脳の容量を完全に上回ってしまう。

 結果、一誠は鼻から勢いよく鼻血を噴出したかと思えば、そのまま白目を剥いてしまう。

 

『――相棒? おい! 相棒!』

 

 いち早く異変に気付いたドライグが声を掛けるが返事は無い。

 兵藤一誠。戦いのど真ん中で胸を突いたせいで意識を失う。

 

 

 ◇

 

 

「ぁぁぁぁぁぁぁぁ! ……ああ?」

 

 興奮して叫んでいた一誠であったが、目の前の光景ががらりと変わったことに気付き、叫びも治まる。

 四方が壁に囲まれた部屋。その中央に置いてある派手派手しい円形ベッドの上に何故か腰を下ろして座っている。しかも、一誠にはこの場所に見覚えがあった。

 

「ここは……」

「胸を突いて意識を失うなんて貴方らしいと言えば貴方らしいわね。イッセーくん」

 

 聞き覚えのある言葉。聞くだけで背中に氷を入れられたかのような寒気が立つ。

 

「レイナーレ……!」

「はあい。何日ぶりかしら? でも、この姿の時は夕麻って呼んでね」

 

 一誠の前で足を組んだ姿で椅子に座っているレイナーレこと夕麻。その姿は、初めてデートした時と同じワンピース姿であった。

 

「……また、俺の夢に出てきたのかよ」

 

 彼女の姿を見ると同時に過去にも同じ夢を見たことを思い出す。目覚めたときに全部忘れてしまっていたが。

 

「私に文句を言わないでよ。これって貴方の夢よ?」

「だったらもっと良い夢を見たかったね。夕麻ちゃん」

 

 絶頂にあった興奮もすっかり冷めてしまった。刺々しい口調でその名を呼ぶが、当の夕麻は一誠のささやかな抵抗にクスクスと笑っていた。

 

「名前を呼んでくれてありがとう」

「どうだっていい。そんなことより早く起きたいんだ、俺は! 間薙もタンニーンのおっさんもまだ戦っている! 早く禁手に至って――!」

「はいはい。焦らない。別に夢の中の時間イコール現実の時間って訳じゃないのよ?」

 

 ベッドから急いで立ち上がろうと腰を浮かす一誠を宥める。そう言われ納得した訳では無いが、目を覚まそうとしても全く変わらない現状に気付き、仕方なく再び座った。

 

(何でまたこんな夢を見ちまっているんだ、俺……)

 

 二度と会いたくないと思っていた女性と顔を合わすことになり、思い出したくない記憶が蘇ってくる。

 

「見るのは私のせいじゃないわよ。全部、貴方のせいだから」

 

 心の中で思ったことを見透かされ驚く一誠に、夕麻は呆れた表情となる。

 

「あのね。ここは貴方の夢、つまりは心の中なの。思っていることなんて筒抜けなの」

「……ああ、そうかよ」

「そうなのよ」

 

 そこで会話が途切れ、沈黙が下りる。

 一誠は夕麻との会話に違和感を覚えていた。前に見た時は、こちらの心の傷に爪を立てる様に責め立て、罵倒してきたというのに今回の彼女は妙に大人しい。

 

「きっと、リアス・グレモリーの胸をつついたことで精神的に少し余裕が出来たからじゃないかしら? 私って貴方の記憶から作られたものだし」

 

 一誠の疑問を聞いてもいないのに答える。

 

「にしても傑作よね。胸をつついたら禁手になるって……ぷふっ! イッセーくんらしいと言えばらしいとも言えるけど」

 

 一瞬噴き出すが、その後は笑いを噛み殺した表情をする。

 

「もっとカッコいい成り方もあったんじゃない? 例えば大切な人を傷付けられたーとか、大事な人が泣いたーとか。もっとこう主人公的な――」

「いいんだよ。俺はこれで」

 

 別の方法を勧めてくる夕麻の言葉を遮る。

 リアスや仲間たちが傷付く所なんか見たくもない。泣く所も見たくもない。そうやってしか手に入らない力なら求めない。求めるのはそれを未然に防ぐ為の力である。そして、考え思い付いた別の方法があれであった。

 不真面目? 度し難い? ふざけすぎ? 馬鹿? 阿呆? 大いに結構。謗られ、軽蔑され、馬鹿にされようとも、選んだ道を真っ直ぐ行く覚悟は完了している。

 

「だから、俺はこれで良いさ」

 

 握る左手を見る。決意の言葉であり、ある意味では今までの赤龍帝たちとの決別の言葉でもあった。

 小猫が願った優しい『赤い龍の帝王』になる為に。

 

「やらしいの間違いじゃない?」

「うるせぇ。自覚はしてる」

 

 一誠の言葉にしていない決意に夕麻がつっこんできた。

 

「……まあ、至れるかどうか分かる前にここに来ちゃったが……」

「――大丈夫よ。今のイッセーくんなら出来るわ。禁手が」

「え?」

 

 夕麻の言葉に虚を突かれ、顔を上げると夕麻は微笑を浮かべていた。

 

「貴方の神器は岐路に立っていた。そして、貴方は一つの答えを出した。それは神器を扱う上で大事なこと。イッセーくんは進むべき道を選択したの」

 

 かつての怨敵の口から背中を押される様な事を言われ、心中複雑な気持ちになる。

 

「そりゃあ、イッセーくんの頭の中の私だもの。――今の私ってイッセーくんにとって都合の良い女ね」

「嫌な言い方……ん!」

 

 すると突然、夕麻の姿が薄らぐ。それだけではない周囲のものが徐々に色味を失い始め、白くなっていく。

 

「そろそろ起きる時間みたいね。イッセーくんの相棒が呼んでいるわ」

「ドライグ……よし!」

 

 一誠がベッドから立ち上がると、部屋が白くなる速度が増していく。

 

「またね。イッセーくん。と言っても起きたらきっと私のことも、ここのことも忘れているとは思うけど」

「……出来れば二度と会いたくねぇよ」

「そう思っている限り、きっとまた会えるわね」

 

 最後に笑いを含んだ表情を見せると夕麻の姿が消える。それと同時に部屋の中に白い閃光に満たされ――

 

 

 ◇

 

 

『相棒!』

「――ああ、聞こえてる」

 

 流れた鼻血を左手で拭い払う。払った左手に出せなかった筈の『赤龍帝の籠手』が装着されており、輝きを失っていた緑の宝玉には元の輝きを放っていた。

 

『――至ったッ。分かるぞ、この感じ! 本当に至ったか!』

 

 ドライグ本人もまさかあの方法で禁手に至れるとは思っていなかったらしく。大きく笑う――が、一誠には若干ヤケクソの様にも感じられた。

 

「いくぞ! ドライグ!」

『ああ!』

 

『Welsh Dragon Balance Breaker!』

 

 全身から放たれる赤い龍の魔力。夜の空が赤によって染め上げられる程の膨大な量であった。

 赤い魔力は一誠の全身を覆い尽すと、形無き魔力が装甲と化し、それらが連なって鎧と成る。吹き荒れていた魔力が全て一誠に取り込まれると、そこには龍の鎧を纏う一誠の姿があった。

 

「禁手、『赤龍帝の鎧』ッ!」

 

 この鎧を纏うのは四度目。一度目はドライグに左腕を代償として纏えた。二度目は謎の助力によって纏わせられた。三度目はアザゼルの補助によって成れた。全て誰かの手を貸してもらっていたが、四度目となる今回は自力によるもの。

 

「主のおっぱいつついてここに降臨っ!」

 

 ある意味では助力はあったかもしれないが。

 鎧を纏った一誠を見て、各々の反応は様々であった。

 

「……最低です。いやらしい赤龍帝だなんて……」

 

 過程が過程なだけに驚き半分呆れ半分となる小猫。

 

『ついにやったな、相棒。何かもう色々と酷くて笑うしかないな! ハハハハハ』

「ソンナニ面白カッタカ? 今ノガ?」

『やかましい! 笑わなきゃ泣いてしまいそうなんだよ!』

「ごめんな。エロい赤龍帝で……」

 

 少し荒れるドライグに素直に謝罪する。

 

「色々言いたいことがあるが……まあいい。ついに至ったな」

 

 修行の目的であった禁手に至った一誠の姿を見て、タンニーンは静かに笑みを浮かべた。

 一誠は視線を感じ、そちらに目を向ける。シンが無言で見ていた。言葉にしなくとも『早く来い』というのが伝わり、禁手の喜びはひとまず胸の奥にしまい、シンの方に一歩踏み出す。途端、地表が爆発したかの様に抉れ、弾丸の如き速度で一誠は前進した。

 いつものような感覚で動いたつもりであったが、鎧によって強化された身体能力から繰り出される力は、一誠自身も鍛えられたこともあり一誠の想像以上のものであった。

 上手く制御出来ず、このままシンの側を通り抜けていってしまうかと思われたとき、肩に軽い衝撃を受け、一誠は急停止する。

 側を通るタイミングに合わせて伸ばされたシンの手が、一誠の肩を掴んで力で止めていた。

 

「落ち着きが無いな」

「悪い」

「場は持たせておいた。さっさと終わらせて戻るぞ」

「おう! ありがとうな! 後は任せろ!」

 

 禁手の時間を稼ぐという役目を終えたシンは、一誠が応えた後その肩を軽く叩いて後を託す。

 この行動に対し、黒歌は不機嫌な表情になる。戦いの決着がつかなかったことは勿論のことだが、シン自身がこの戦いに全く執着をしていないことも苛立つ要因であった。言外に黒歌の存在など眼中に無いと示しているかのようであった。

 

「ハッ! おもしろいじゃないの! あれだけいいようにやられていた赤龍帝が、どれだけ強くなったか試してあげようかしら!」

 

 積もる苛立ちの矛先を一誠に向け、その手に二つの異なる力を顕現させる。シンとの戦いのときにも見せた妖術と仙術の合わせ技である。

 胸の前で手を合わせる。二つの力は反発することなく混じり合い、一つの力となる。

 

「妖術と仙術のミックス、味わってみる?」

 

 その答えを聞くよりも先に、黒歌は両手からその力を撃ち出した。

 迫る力を前にして、一誠の心中に焦りは一つも無かった。少し前の自分だったなら、くらえば細胞一つ残さずに消えていくであろう力に対し、不思議な程に平静でいられた。

 直撃する。黒歌の目にそう映った時、混合された力が爆ぜ、四散した。

 飛び散る力に混じる赤い魔力。それが広がり囲っている結界を激しく揺さぶる。

 仙術、妖術の力が消え去った後に残るのは、拳を突き出した一誠のみ。それに黒歌は、信じられないといった表情になる。

 

「効かない! 嘘でしょ!」

 

 かなりの力を練り込んだというのに全くの無傷。驚くべきことだが、更に黒歌は拳を突き出すまでの動きも一切目で追えていなかった。

 拳に僅かな衝撃を感じ、煙も立ち昇っているがそれだけであった。恐ろしく頼りになる程の堅牢さは、まさにドラゴンの鱗そのものであった。

 

「――こんなものか?」

 

 一誠の言葉に黒歌の頬が引き攣る。一誠は挑発する為に言った訳ではない。つい先程まで一方的に嬲ってきた相手の全力を容易く防いでしまったことに若干戸惑いを覚えて、今の台詞を零してしまった。尤も、そんな心情など知ることが出来ない黒歌にしてみれば、猫魈としての誇りに傷をつけるには十分過ぎる。

 

「調子に乗らないでよッ!」

 

 牙を剥きながら怒声を上げる。すると周囲の木々が騒めき立つ。

 

「これならどう!」

 

 指揮する様に腕を振るうと、木々から木の葉が一斉に落ち、それらが全て一誠に向かう。更には地面が盛り上がり、そこから無数の木の根が現れ、一誠の動きを拘束しようとする。追い討ちをかけるように黒歌の両手が二つの力を纏い、いつでも撃ち出す構えをとる。

 全ての力の矛先が一誠に向けられる。

 黒歌がその手から力を撃ち出そうとしたとき、一誠の姿が消えた。

 

「え」

 

 すぐに視界を動かし姿を探す。一誠の姿は見つけることが出来たが、立っている場所は、先程居た場所から百メートル以上も離れている。

 動きが見えなかったことに焦るも、それを押し殺して標的を失った力を修正する。が、またしても一誠の姿が消える。

 今度は先程の位置から右斜め前十数メートルほどの位置に姿を現したかと思えば、姿を消し、そこから左斜め前の位置に姿を現す。

 目視出来ない速度でジグザグに移動する一誠に、黒歌はただ首を左右に往復させることしか出来ない。狙いを定めようにも、定める前に動いてしまう。

 しかも、一誠が確実に黒歌との距離を詰めていく。

 消えた一誠が姿を現す。また消える。姿を現す。そして消える。

 翻弄される黒歌。ならばと、凡その位置を予想しそこへ逃れられない程の広範囲の術を放とうとする。

 姿を見せる一誠。ならば次の位置は――。直後、一誠は背部から魔力を噴出させ、一直線に黒歌を目指した。

 虚を突かれた黒歌は反応が遅れる。

 回避を脳内で選択した時には、既に一誠の繰り出した拳が眼前にあった。

 直撃する。同時に覚悟を決める黒歌であったが、次にきた衝撃は顔面を撃ち抜く様なものではなく、吹き抜けていく突風であった。

 寸止めをされたと理解するが、怒りよりも先に全身から冷や汗が噴き出す。目の前にある固められた拳。そこから放たれる威圧感に畏怖を覚えた。

 

「俺の大事な先輩と可愛い後輩を苦しめるんじゃねぇよっ」

 

 拳が解かれ、そこから人差し指が跳ね上がり黒歌の額を小突く。

 その軽い衝撃に黒歌は正気に戻ったらしく、すぐに後方に飛び退いて距離を取った。

 

「舐めてるの? 今のを止めなければ致命傷を与えていたのかもしれないのよ? 私をあまり見くびるなっ!」

 

 手心を加えられたと思い激昂する黒歌に、一誠は右腕を見せる。肘から下が赤ではなく白に染まっており、その色は黒歌にも見覚えがあった。

 白龍皇の白である。

 

「舐めてなんかいないさ。あんたは俺の敵だ。だけど小猫ちゃんのお姉さんだ。だからこの技を使わせてもらう」

 

 一誠が徐に両腕を上げ、肩幅まで開く。リアスたちが初めて見る構えであったが、マダだけはそれが何を意味するのか理解しているらしく、木の株から腰を浮かし注目する。

 広げたられた両手が、一誠の胸の前で打ち鳴らされ、金属音が場に響き渡る。

 変化はすぐに起きた。

 

「うっ」

 

 黒歌が苦しそうな声を上げ、体を丸くする。

 

「うう……」

 

 なおも苦し気な声を出し続ける小猫。

 

「おい、黒歌」

 

 仲間故か黒歌の異変をすぐに気付き、美候がタンニーンとの戦いを中断して急いで筋斗雲を向かわせる。

 

「大丈夫か?――ッ!」

 

 すぐに無事を確認しようとする美候。側に寄り黒歌の姿に驚き、そして――

 

「アハハハハハハハハ! 何だその格好!」

「うる、さい! 笑うなクソ猿!」

 

 ――爆笑。笑われた黒歌は顔を赤くして怒鳴った。

 身に纏う黒の着物が、体のラインがハッキリと分かる程に密着しており、裾も丈も異様なまでに短くなり、腕は二の腕部分まで露出し、足は大腿部全て曝け出された状態であった。こうなる過程で破れたのか黒の着物にはいくつか裂け目が出来ており、そこから白い肌を覗かせていた。

 黒歌の衣服が全体的に『縮んで』いるのだ。

 

「ハハハハハ。はぁあ……早く立てよ。肌見せて恥ずかしがる程清純じゃないだろぉ?」

「それが、出来たら、あんたなんかすぐに殴っているわよ!」

 

 見た目は冗談の様だが、黒歌本人は冗談では済まない状況である。密着した服のせいで腕は上がらず、脚を伸ばすことも開くことも出来ない。明らかに縮む前よりも衣服の強度が上がっており、全く伸び縮みしないのだ。

 黒歌は完全に身動き出来ない状態となっていた。

 

「見たか! 俺の持てる全ての力と技を組み込み、マダ師匠との修行の末に編み出した新技! 『洋服拘束〈ドレス・クロス〉』だ!」

 

 切っ掛けはマダの一言であった。何気ない会話の中に出てきた『半裸』という言葉。全裸になれば全てエロイと考えていた一誠にとって青天の霹靂とも呼べるものであった。

 半裸。半裸。修行中、その言葉はいつまでも頭の中から離れなかった。忘れようとも忘れられない言葉。やがて一つの決心をする。

 修行の合間に出来た時間を使いマダに問う。

 

『半裸って本当に良いものなんですか?』

 

 マダはその言葉で一誠の心中を全て理解し、優しく告げる。

 

『聞くんじゃなくて、実際に確かめてみろ』

 

 そこからは、修行の中で僅かに出来た時間を利用してのマダとの特訓の日々であった。

 思考。想像。工夫を凝らし、どうすれば理想に近付けるか試行錯誤を繰り返す。

 長く苦しい時間であった。だが、目指すべきゴールがあればそれも耐えることが出来る。

 そして完成し、今実戦で初めて使用したのが、この『洋服拘束』である。

 白龍皇の力を利用し、衣服を縮小。その衣服に赤龍帝の力を送ることで繊維を強化。ここで問題なのが強化をするタイミングである。遅ければ衣服は縮小に耐え切れず完全に破れ落ち、早ければ何も起きないまま普通に縮む。一誠がこの技を編み出す上で最も苦労した部分でもあった。

 だが、そのタイミングさえ合えば、今の黒歌の様に肌が見え隠れするあられもない姿となる。

 今ある全ての能力を注ぎ込んだ技の完成に一誠は鎧の下で静かに涙を流す。

 ふと、師であるマダの方を見ると、マダは無言で拍手を送っていた。

 だがこれも完成では無い。『洋服崩壊』がいずれ見ただけで服が破ける様になるのが目標なら、『洋服拘束』は破ける箇所を細かく指定出来る様になるのが目標。先は長い、だがようやくスタートラインに立てたのだ。

 独り感極まる一誠と何故か拍手を送っているマダを他所に周りの反応はというと――

 

「修行して覚えたのがこれか……」

『俺を見るな! 俺に拒否する権利があると思うな!』

「ううん、まあ、イッセーらしいというか……」

「……最低です。やっぱりいやらしい赤龍帝です」

「ナニカ意味ガアルノカ? コレハ?」

 

 ――呆れ、困惑、疑問といったものであった。

 一方で黒歌たちは笑えない状況であることを理解しつつあった。

 

「なんだこれ。硬すぎるぜぃ」

 

 拘束されている黒歌を解放しようとするが、肌に密着している着物に隙間一つ無く、爪先すら引っ掛けることが出来ない。

 

「黒歌! 恥を覚悟で仙術や妖術で服を吹き飛ばすんだぜぃ!」

「もう、やっているわよ! でも出来ないの!」

 

 美候の考えは、既に黒歌も考えており実行もしていた。だが、言った通り出来ないのである。

 体内で力を練り、それを体外に出そうとするも力が別の力によって抑え付けられ、術どころか力も発揮できない。

 動きだけではなく力すらも阻害し完全に無力化させる。ふざけた技かと思っていたら、実体は恐るべき技であった。

 戦慄している黒歌であったが、実際の所、一誠は『洋服拘束』にそんな力があることなど全く知らない。意図せず生み出された副作用なものである。

 

「はあ……まあ、こうなったら仕方ねぇや。そこで大人しく見とくんだぜぃ、黒歌。俺がドラゴンの親玉二匹の首を取るところをな」

 

 救出することを諦め、黒歌を適当な場所に転がしてから美候は如意棒を構える。雑な扱いにギャーギャーと文句を言ってくるが、交戦体勢に入った美候の耳には届かない。

 緩んでいた空気が美候によって再び張り詰められたものに変わる。

 

「さあ、行くぜ――」

「そこまでです」

 

 しかし、その緊張に満ちた場に似つかわしくない冷静な声が、文字通り空を裂いて掛けられる。

 

 

 ◇

 

 

 ジャアクフロストの頬に拳が叩き込まれ、そのまま地面に叩き付けられる。小柄なジャアクフロストの身体は叩き付けられると大きく跳ね、錐揉みしながら再び地面に顔から落ちる。

 何度目か数えるのも嫌気が差す程の回数、ライザーはジャアクフロストを殴っていた。

 しかし、ジャアクフロストはすぐに地面から立ち上がる。

 頑丈だとは分かっていたが、ここまで頑丈だとは想定していなかった。手応えは十分だというのにジャアクフロストが受けているダメージは少ない。攻める側と受ける側の嚙み合わない結果に、ライザーは苛立つ。

 

「どうしたホ? もう終わりかホ?」

 

 土塗れの顔で挑発してくるジャアクフロスト。それがやせ我慢であったのなら、ライザーの気も楽になっただろうが、しっかりと立つ姿を見ればやせ我慢でないことがすぐに分かってしまう。

 しかし、同時に不審に思う点もあった。戦いが始まった最初のうちは冷気や氷を使って攻撃してきたが、戦いが進むにつれ何故か使用を控えるようになった。また短い手足を振り回して殴りかかってきていたというのに、今は一方的に殴られ続けている。

 何か相手の流れに乗らされている嫌な気持ちであったが、攻撃の手を緩める訳にもいかない。与えられる内にダメージを少しでも与える。それがライザーの考えであった。

 挑発に応える様に、足の甲がジャアクフロストの顔面に埋まり、そこから蹴り飛ばす。縦に回転するジャアクフロストは頭を数度地面に接触させながら数十メートルも飛んだ。

 仰向けに倒れたジャアクフロストを見て、追撃しようと一歩踏み出したとき、背筋に感じたことが無い冷たいものが走る。

 それが何を意味しているのか戸惑っている間に、倒れていたジャアクフロストが上体を起こした。

 

「ヒー……ホー……」

 

 ジャアクフロストの赤い目が爛々とした輝きを放ち始め、黒い体からは同じ色の魔力が立ち昇る。

 それを見た時、ライザーは心臓を掴まれた様な気分であった。ジャアクフロストが放つ光に見覚えがある。

 フェニックスは不死身である。しかし、不滅という訳では無い。完全なる生命が無い様に、フェニックスにも弱点はあった。

 一つは祝福を受けた武器、あるいはもの。一誠との戦いでやられた様にこれを受けると再生能力が著しく低下する。

 そして、もう一つはある特別な力である。矛盾した言い方になるかもしれないが、基本的には恐れる必要は無い。どんなに鍛えてもフェニックス程の上級悪魔を葬るには至れないと歴史が証明している。だが、何事にも例外が付き物である。故にフェニックスの歴代の当主たちは『もしも』を考えて、一族にその力について危機感を覚えさせていた。

 ライザーも父から資料を見せられていたからこそ知っていた。ジャアクフロストの発する光は、魔を滅する『破魔』と対となる光。

 

(『呪殺』の力かッ!)

 

 直感に従い、ライザーは炎の翼を広げ、空に向かって飛び上がる。その瞬間、ジャアクフロストが纏う呪殺の光が解き放たれた。

 

「ヒホォォォォォォォォ!」

 

 黒い光がジャアクフロストを中心にして森に広がっていく。あらゆる生命を呪い殺す光が通過するだけで木から色が失われ立ったまま枯れ落ち、地面に生える雑草は一瞬にして朽ち果て、森に棲む生物たちは呪殺の影響により骨も残さず消えていく。

 草木が、生物が、大地が、生命そのものが死に絶える。

 空の上から広まっていく死を見て、ライザーは息を呑んだ。

 フェニックスが死に瀕した状況からも生還することが出来るのは、体の中にある核――言うなれば魂の存在にある。肉体が消し飛んだとしても、この魂が無事ならば再生することが可能なのだ。だが、『破魔』『呪殺』となると話は違ってくる。

 その二つの力は肉体だけでなく魂にまで影響を及ぼす。魂が滅ぼされればいくら肉体が不死身であっても意味を持たない。

 悪魔にとって最大の効果を発揮するのが『破魔』だが、『呪殺』の力も『破魔』程では無いが魂に影響を及ぼす。

 ジャアクフロストが放つ『呪殺』は範囲もそうだが、威力の方もライザーが過去に見た資料とは比べものにならない。

 もし、あれを受けていたら。そう考えた瞬間、一度だけ体が震えた。

 息絶えた大地の上で力を放ち終わったジャアクフロストがキョロキョロと周囲を見渡している。姿が見えなくなったライザーを探している様子であった。

 隙だらけの姿。攻めるならば今――だと分かっている筈なのに、思いとは裏腹に体がその場から動かない。

 ライザーが場に止まっている間に、ジャアクフロストは顔を上げ、空に居るライザーを発見する。

 好戦的な笑みを浮かべ、走り出そうとした時――

 

「はしゃぐのはそこまでです」

 

 ジャアクフロストの背後から腕が回され、持ち上げられた。持ち上げられたジャアクフロストの短い足がジタバタと空を蹴る。

 その光景にライザーは瞠目する。ジャアクフロストの背後から伸ばされた腕は、何も無い場所から生えているのだ。よくよく見ると腕が生えている場所に小さな裂け目があり、そこから声が聞こえてくる。

 

「邪魔するんじゃないホ!」

 

 ジャアクフロストは特に驚いた様子は無く、腕の主が知っている相手なのか、怒鳴りながら更に足をジタバタさせて文字通り足掻く。

 

「予定の時間が過ぎていたので嫌な予感はしていましたが……」

「お説教なんか聞きたくないホ! オレ様はあいつに勝つんだホ!」

「そういう訳にもいきません。悪魔たちに気付かれそうなんです。早く帰りますよ」

「いーやーだーホ!」

 

 我儘を言うジャアクフロストに大人の態度を努める声。しかし、次に言われた言葉でジャアクフロストの動きがピタリと止まった。

 

「ヴァーリに迷惑がかかりますよ?」

「うっ……」

 

 苦い顔、悩む顔、悶える顔と表情を二転三転した後暴れるのを止め、手足をだらりと垂らす。

 

「……分かったホ」

「良い子です」

 

 腕がジャアクフロストを裂け目の中に引き込んでいく。裂け目に入る直前、ジャアクフロストは空のライザーに指を突き付け叫ぶ。

 

「お前の顔は覚えたホ! 次に会う時こそオレ様の恐ろしさを思い知らせてやるホ!」

 

 そう言い残し、ジャアクフロストは裂け目の中に消えていった。

 一人になったライザーは、暫く呆然とした様子で飛んでいたが、やがて地面に降り立ち、何を思ったのか仰向けに倒れ込む。

 

「だあああああああああああああああ!」

 

 ライザーは叫ぶ。腹の奥底から喉が裂けそうになるほどの声量で叫ぶ。

 結果を見れば決着のつかない終わりであった。負けてはいない。だが、そんなことなど些細なこと。

 

「らああああああああああああああああああ!」

 

 ジャアクフロストが最後に見せた『呪殺』。あれを見た瞬間、ライザーは紛れもなく恐れ、逃げるという選択をした。

 

「おあああああああああああああああああああああああ!」

 

 正しい判断だったのは間違いない。しかし、間違っていなかったとしても、必ずしもそれが許せれることとは限らない。

 相手に臆した。その事実が、ライザーの中で言葉に出来ない怒りとなり、業火と化して臓腑を焼く。

 

「おおおあああああああああああああああああああああ!」

 

 こうやって叫んで少しでも怒りを外に出さないと頭が怒りで煮え尽くされそうになる。

 ライザーの叫びは、当分の間止まることは無かったが、やがて喉が枯れ果て声が出なくなってくると、最後の最後に一つの言葉を残す。

 

「……クソッ」

 

 怒りの叫びとは比べものにならないほど小さな声であったが、そこには詰め込むだけ詰め込まれた悔しさによる重みがあった。

 空を見上げたまま吐いた言葉は虚空へと消えていった。

 

 

 ◇

 

 

 皆の目線が声の方へと向けられた。そこには一の字の裂け目。

 

「黒歌に美候、遊ぶにも限度がありますよ?」

 

 一の字に更に縦の裂け目が生まれ、大きく広がった裂け目から男性が一人現れる。

 品の良い背広を着て、眼鏡をかけた若い男性。落ち着きと知的さを醸し出していたが、腰のベルトにある大剣と手に持っている朝日の様に輝く剣が、男性の異物感を強めていた。嫌でも目を引いてしまう輝く剣の威圧感もさることながら、鞘に納められている大剣もまた同等の威圧感を放っている。

 男性の登場に、美候と黒歌は気まずそうな表情になる。

 

「お前、ヴァーリに付き添っていた筈じゃなかったかぃ?」

「今、何時か知っていますか? 予定していた時間を覚えていますか? とっくに過ぎているので迎えに来たんです。予定場所を探しても彼しかいないから少し焦りましたよ。全く、三人とも何をしていたのやら」

 

 ため息を吐きながら、手に握っている剣を一回転させ、柄頭で眼鏡を押し上げる。

 

「そいつに近付くな! 手に持つ剣もあまり見るな!」

 

 タンニーンが警戒を飛ばしながら地面に降り立った。

 

「聖王剣コールブランド……カリバーンと呼んだ方が分かり易いか? まさか最強の聖剣が白龍皇の下にあるとはな……しかも、その二本目、同じく聖剣だな?」

 

 抜いている剣が聖剣ならば、同じ気を放っている帯剣もまた、聖剣であることが分かる。

 男性は頷き、鞘に収めていた剣を僅かに抜き、剣身を見せる。月明かりに反射し輝く剣。その光はシンたちの目の奥に小さな痛みを起こす。

 

「ご指摘の通り、こちらは最近発見された最後のエクスカリバーにして七本中最強のエクスカリバー、『支配の聖剣〈エクスカリバー・ルーラー〉』です」

 

 コカビエルとの騒動の中で唯一現れなかった最後のエクスカリバー。それを目の前に立つ男性が所持している。悪魔側にしてみれば最悪のニュースと言えた。天敵である聖剣。それも最強クラスが『禍の団』の手に落ちているのである。

 

「ああ、そういえば自己紹介が遅れていましたね。私の名はアーサーといいます。以後お見知りおきを」

 

 丁寧にお辞儀までするアーサーであったが、そこに黒歌が口を挟む。

 

「ちょっと、名乗るのも聖剣についてぺらぺら喋るのもいいの?」

 

 仲間から見ても情報を出し過ぎているらしい。

 

「別に構わないでしょう? 彼らに色々と見せて貰った様子でしたし、こちらのことも色々と知って貰わないでフェアじゃないです。――というよりもどうしたんですか? さっきから蹲って」

「……動けなくされたにゃん」

「――どうやら迎えに来て本当に正解だった様ですね。返り討ちに合うとは情けない」

 

 やれやれと首を振って呆れを態度で示す。黒歌は悔しそうな表情をするも、事実なだけに反論出来なかった。

 アーサーは動けない黒歌に近付き、その首根っこを掴むと猫の様に持ち上げ、そのまま空間の裂け目に放り投げる。

 

「にゃっ!」

「ヒホ!」

 

 裂け目の中に飛び込んでいった黒歌。既に裂け目の中にジャアクフロストも居るらしく、いきなり現れた黒歌に驚いた声を出す。

 

「重いホ! さっさと退くホ! オレ様を圧殺するつもりかホ!」

「ホントにうちの男共はデリカシーが無いにゃん!」

 

 裂け目内で言い争う声が聞こえてくるが、アーサーは無視して話を続ける。

 

「では赤龍帝殿。私たちは退散させてもらいます。ああ、そうそう。聖魔剣の使い手さんと聖剣デュランダルの使い手さんによろしく言っておいて下さい。いつか一剣士として相まみえたい、と」

 

 一瞬、穏やかな目に鋭い光が宿ったが、すぐに消えた。

 

「帰りますよ」

「あいよ」

 

 アーサーの指示に従い、美候は筋斗雲に乗ったまま裂け目の中に入る。

 

「さようなら、皆さん」

 

 微笑と言葉を残し、アーサーは裂け目を潜る。裂け目の内に入ると切断された部分が閉じ始め、あっという間に傷一つ無い空間に戻る。

 ヴァーリの仲間たちが完全に去ったことが分かると、一誠は長く息を吐きながら鎧を解除する。

 

「終わったか……」

「お疲れ」

 

 シンが側に立ち、労いの言葉を掛けた。

 

「おーい。二人ともこれを飲め。スッキリするぞ」

 

 マダが黒歌の毒霧に侵されているリアスと小猫に瓢箪を渡す。突き付けられた瓢箪に二人は少しだけ躊躇するが、リアスが先にその瓢箪を手に取り中身を飲む。

 効果はすぐにあった。青白く生気の無かった肌に一気に赤みが戻る。

 リアスは自らの変化に驚くがすぐにそれを小猫に飲ます。小猫もリアス同様に健康的な色艶の肌に戻った。

 その変化を見ていたシンが言葉を洩らす。

 

「あの瓢箪――」

「ああ、あれか? マダ師匠が持ってる薬みたいなもんだよ。すっげぇ効くんだぜ」

「そうか。だったら問題無いな」

「ん? ふごっほぉ!」

 

 一誠の両足裏が地面から離れ、体がくの字に折れ曲がり、顔から地に突っ伏す。

 

「すみません。こっちにもそれを下さい」

 

 

 

 

 

 

「ヴァーリ。戻りました」

「お帰り。どうだった?」

「ええ、実は――」

 

 アーサー、先程までのことを報告。

 

「そうか! 自力で禁手に至ったか! ようやくスタートラインに立ったな!」

『落ち着け、ヴァーリ。……所で黒歌。どうしたのだその姿は?』

「これはにゃんというか――」

 

 黒歌、洋服拘束について説明。

 

『……今すぐ赤龍帝を殺しにいくぞ、ヴァーリ』

「落ち着け、アルビオン」

 

 

 




これにて前中後と長くなった話は終わりです。
次回からはメインとなるレーティングゲームに入っていきます。

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