ハイスクールD³   作:K/K

74 / 190
会場、奇襲

 パーティー当日。

 一誠は、修行時のジャージではなく駒王学園の制服を着ている。その腕にはグレモリーの紋様が入った腕章がつけられており、一目で誰の眷属かを示していた。

 他のメンバーの仕度があるという理由で一人客間で待つ一誠。すると、知っている顔がきょろきょろと辺りを見回しながら歩いているのを見つける。

 

「匙?」

「ん? おお、兵藤!」

 

 一誠の顔を見て安堵した表情を浮かべながら匙が早足で近付いてきた。匙もまた一誠と同じく学生服を着ており、袖にシトリーの紋様が入った腕章をつけている。

 

「何でここにいるんだ?」

「会長が、リアス先輩と一緒に会場入りするって言うから皆で付いて来たんだ。で、会長はリアス先輩たちと少し話があるから客間で待っててくれって言うもんだから、客間探して迷ってた。ちなみに他の生徒会のメンバーは、屋敷の外で待ってる」

 

 あの安堵した表情は、迷っていて少し心細かった時に屋敷内を知っているだろう人物を発見したものであったらしい。

 一誠は視線を動かし、匙の周囲を見渡す。

 

「……間薙は来ていないのか?」

「あいつは、何か呼ばれたらしくて、仲魔連れて寄り道してから直接会場に行くってさ」

「呼ばれた? 誰に?」

「俺も知らん。因みに会長も知らないってさ」

 

 ソーナとリアスを除けば、冥界に知人など居ない筈である。サーゼクスやセラフォルーに呼ばれているのであれば、少なくとも一誠や匙の耳にも情報が入ってきてもおかしくは無い。

 一体誰なのだろうかという疑問を抱くと同時に、一誠はシンがリアスの屋敷に来ていないことに少し安心していた。

 いきなり敵として戦うからという理由も無いことは無いが、それよりも大きな理由がある。

 実は、一誠はタンニーンとの修行後、グレモリー領に連れて帰ってきて貰った際、背に乗せられて空を飛んだ時に、自分の羽では味わえない様な壮大感、圧倒感、爽快感などの感動を覚えており、タンニーンと話して、パーティー会場にタンニーンとその眷属たちの背に乗って向かう約束をしていた。

 本気の殺し合いをした二人。その二人を再び会わせることに気が引けていた。一応、翌日には和解と言っていいのか分からないが、一種のけじめの様なものをつけていたが、それでも不安視してしまう。

 

「おーい。何、黙ってんだ?」

 

 少し離れた席に座った匙が、急に喋らなくなった一誠に声を掛ける。

 

「ん、ああ、いや、何でもない」

 

 知らない内に考え込んでいたことに気付き、適当に誤魔化す。匙は、特に追及することは無かった。だが、そのせいで会話に穴が開いてしまい、互いに話す内容を考え始めたことで沈黙が場に降りる。

 

「……もうすぐゲームだな」

 

 匙の方から話題を切り出してきた。尤も、それは一誠も話したいことである。

 

「俺、鍛えてきたぜ。強くなれることを色々試してきた」

「俺もだ。山でドラゴンに追い掛けられたり、阿修羅に殴られたり、その二人に殺されかけたり……」

「それ、一応修行だよな?」

 

 話だけ聞くといじめられている様にしか聞こえない。

 

「まあ、とりあえずハードなメニューを熟してきたってことだな。でも、それなら俺だって負けていないぜ。普段の会長の特訓もあるけど、最近セタンタさんにも戦い方を教えて貰っているからな」

「セタンタさんに?」

 

 意外な人の名が出てきて、一誠は聞き返してしまう。

 

「知らないのか? うちに間薙が来てからもセタンタさんはわざわざシトリー領まで来て間薙を鍛えているんだぞ? そのついでに俺も鍛えてもらっているんだ」

 

 一誠には初耳であった。だが思い返すと屋敷内でここの所セタンタを見た記憶が無い。セタンタは、サーゼクスやリアスの両親の護衛が主な仕事らしい。それ以外だとミリキャスの子守り、あとは屋敷や領地の巡回の仕事をしている。

 色々と多忙らしいが、殆どグレモリー領内にいるので全く見ないという方が珍しいことであった。

 

「へぇー。そうだったのか。セタンタさんの特訓はやっぱり厳しいか?」

 

 特に他意の無い質問であったが、それを聞かれた途端、匙は黙ってしまう。そして、何やらガタガタという音が鳴り始める。匙の両脚が凄まじい勢いで震え、踵で床を叩いている音であった。

 

「厳しいなんてレベルじゃねぇ……あれは特訓という名の処刑だ……鍛えられている間ずっと『ああ……俺って今から死ぬんだ……』って思ってたんだぞ……」

 

 どんな内容か知りたくもあるが、死人の様な土気色の顔を見ると躊躇ってしまう。それに下手をすると自分の修行のトラウマまで刺激されそうな気がしたので、聞くのは止めて話をレーティングゲームへと戻す。

 

「にしても、匙や間薙とレーティングゲームで戦うなんて思いもしなかったな。いつかは戦うかもとは考えていたけど、こんなに早いとは思わなかった」

「――そうだな。こんな形だが、正式に近いレーティングゲームを早めに経験出来る。……なあ、前に若手悪魔が集まったときのことを覚えているか?」

「ああ、覚えているけど。それがどうかしたのか?」

「あの時、会長が言っていたことも覚えているか?」

「えーと……確かレーティングゲームの学校を作りたいだっけ? 下級や転生悪魔も学べるとか」

 

 ソーナたちが目指す夢。だがそれは、旧家や上級悪魔の権力者たちに夢物語と失笑された。

 その時の怒りと屈辱が蘇ってきたのか、匙の右手が拳を作り、込められた力で震え始める。それを押さえる様に左手が重なる。

 

「絶対に目に物見せてやる……」

 

 抑え切れず洩れた怒りが言葉となって匙の外へと出ていく。

 夢を馬鹿にされた。否定された。笑われた。あの時はソーナに窘められて匙は堪えたが、ずっと胸の奥で燻り続けていた。

 堪えることが出来たのは、誰よりもその夢に真摯に取り組んでいるソーナが堪えていたからだ。本当は誰よりも傷付いている筈だというのに。

 静かに怒る匙に、一誠は若干戸惑いつつ探る様に声を掛ける。

 

「何か燃えてるな……」

「ああ、俺は会長が作った学校の先生になるのが夢だからな」

「そうだったのか……」

 

 言われて何となく納得した。前にフリードと戦った時、苦戦していたフリードが子供を人質にしたことがあった。その時、誰よりも子供の心配をしていたのは匙である。恐らくは、あの時から教師になる夢を抱いていたのだろう。

 

「…………はっ!」

 

 匙が突然目を見開き、口を大開きにしたかと思えば、顔を一気に紅潮させる。

 

「お、俺、い、言っちゃったか?」

 

 黙っているつもりであったことを弾みで言ってしまったらしく、羞恥と照れから組んだ手に額を押し当てて顔を隠してしまう。

 

「そんなに恥ずかしがることじゃないだろ? 立派な夢じゃん」

「……ありがとよ」

 

 一誠に夢を肯定された匙はゆっくりと顔を上げる。その顔からはまだ赤みは抜けていない。

 

「言っちゃったもんは仕方ない。そうだよ。俺の夢は、レーティングゲームの先生になることなんだ」

 

 レーティングゲームが生まれ、悪魔の中で浸透してきたが、伝統、差別という枷のせいで十分とは言えないものであった。一部の上級悪魔だけが恩恵を受け、レーティングゲームの益を独占しているというのが現実である。下級悪魔や転生悪魔にはそれを得られる権利も回ってこない。

 本来ならばゲームの中では如何なる者も平等であり、貴族以外の悪魔も結果を出せば上級悪魔へと昇格することが望ましい。

 だが、それは上級悪魔が許さない。自分たちの地位を脅かす存在が生まれるのを、当たり前の様にあったものを奪われるのかもしれないのを、黙って見ている筈が無い。だからこそ、平等であるゲームを不平等なものへと変える。

 長い時間を生きる者たちならではの歪さとも言えた。尤も、この構造も現魔王たちの尽力によって多少は改善している。しかし、望むものにはまだ遠い。

 

「可能性はあるんだ。たった一パーセントでも。会長は、ゼロだと思っている下級悪魔や転生悪魔にそれを信じられる為に学校を作りたいんだ。兵藤、お前なら分かるだろ? お前も俺も、ほっそい糸みたいな可能性だが自分は上級悪魔になるんだって信じているだろ?」

「ああ、その通りだ」

 

 迷うことなく一誠は頷く。碌に魔力も無く、正直なところドライグや周りの力が無ければ、いつ死んでいてもおかしくは無かった。だが、苦難を超える度に少しずつだが、前に進んでいる気がしていた。匙の言う細い糸みたいな可能性を手繰りながら、確実に前進している。

 

「だからさ、その……俺が先生になって教えたいんだよ。今はまだ全然駄目だけど、これからいっぱい勉強して、ゲームもいっぱい戦って、色んなものを蓄えたい。そんで、それを生かして『兵士』としての役割とかを教える先生になりたいんだよ」

 

 語る匙に一誠は素直に尊敬していた。自分と同じ眷属悪魔であり同年代の相手が、既に進むべき道を見据えていることが格好良いと思えた。

 

(将来かー)

 

 一誠の将来は未だ漠然としている。『ハーレム王になる!』と宣誓しているが、あくまでそれは夢の一つであり、上級悪魔になるのもそれに至るまでの過程である。匙の様に辿り着くべき場所や仕事となると、どうもまだイメージは出来ない。

 

「すげぇな、匙は」

「――いや、そうでもないさ」

 

 褒め言葉を受け取らず謙遜する態度を見せる。

 

「俺って、結構馬鹿なことばっかりやっていた時があってさ、先生からは見放されたし、周りの人間からも嫌われてた。親にも散々迷惑かけたしな……今の俺が昔の俺を見たら問答無用でぶっ飛ばしているな」

 

 そんなどうしようもない自分に手を差し伸べてくれたのが、ソーナであった。自分の道をくれたのも、可能性をくれたのもソーナ。

 ソーナが夢を描いてくれたおかげで、匙は夢を見ることが出来た。

 

「泣いてばっかりだったお袋が、俺の夢を聞いて笑って泣いてくれたよ。まだ、悪魔になったとか色々と重要なことは教えていないけど……それでもお袋のあの顔を見たときは安心した」

「……そうか。やっぱり立派な目標だな」

「ありがとよ。……俺の夢は、会長の夢があってこそだ。会長の夢が俺の夢なんだ。だから――」

 

 強い意思が一誠へと向けられる。気を抜けば気圧されそうになる。

 

「――今度のゲームは俺たちが勝つ」

 

 レーティングゲームに匙たちが勝ったとしても、得られるものは少ないかもしれないし、現状を変えるには小さいものかもしれない。それこそ小さな傷一つ与える程度のもの。だが、それでも十分であった。その小さな傷に指先を掛けられれば先へと進められる。先へ進めば新しい道が見えて来る。

 

「当然、お前にも俺は勝ちたい」

 

 面と向かって言われる宣戦布告。言われた一誠は不思議な気持ちが湧いてくる。

 どちらかと言えば今までの一誠は匙の立場であった。自分よりも強い相手に挑み、噛み付くというのが当たり前だったのだが、今は挑まれる立場になっている。

 話を聞いて一誠は匙に敬意を抱いていた。そんな人物が、自分に勝ちたいと言ってきた。嬉しい様な、誇らしい様なと色々な感情が混ぜ合っていく。

 

「――いや、今度のゲームは俺たちが勝つ。そして、俺はお前に負けない」

 

 互いに自然と笑みが浮かぶ。だが、その目は至って真剣なもの。勝つという意思を互いにぶつけ合う。

 

「イッセー、待たせたわね。あら、匙君も一緒だったの?」

 

 火花散らす時間を終わらせたのはリアスの声。二人が振り向くと、ドレスを身に纏ったグレモリー眷属の面々が立っていた。

 

『おお……』

 

 その華やかな姿に一誠は勿論のこと、匙も感嘆の声を上げた。

 

「どうですか? イッセー君。この日の為に新しいドレスを作ったのですが」

「お似合いです!」

 

 巫女服など和を中心とした朱乃の西洋ドレス姿と、髪を結い上げたことで覗く白いうなじ。いつも以上の色香に、興奮のボルテージも上がっていく。

 

「うーむ。やはり私には似合わないと思わないか?」

「そんなことないです! ゼノヴィアさん! 良く似合っていて、お綺麗です!」

「そうか? 私よりもアーシアの方が綺麗だと思うが」

 

 慣れないドレスを纏ったゼノヴィアが着心地悪そうにしているが、清楚なドレスを着たアーシアがそんなことはないとゼノヴィアの姿を褒める。

 小猫もまた可愛らしいドレスを着ていたが、何も言わずに他よりも一歩下がった位置に立ったままであった。

 

「イッセー先輩」

 

 名を呼ばれ一誠はそちらに顔を向ける。つられて匙も顔を向けた。

 

『ぶほぉっ!』

 

 ドレスでしっかりと着飾っているギャスパーを見て、二人同時に噴き出した。

 

「何でお前までドレス着てんだよ!」

「だ、だって、ドレス着たかったんだもん」

「涙目の上目遣いでこっちを見ないでくれ! なんか色々と掻き乱される!」

 

 『ぐああああああ』と叫びながら頭を掻き毟る匙。似合い過ぎているその姿を少しでも可愛らしいと思ってしまうと、既存のアイデンティティーが崩壊してしまう。

 

「やあ、匙君」

 

 少し遅れて木場も姿を見せる。木場は、一誠たちと同じく制服に腕章の姿であった。

 

「なんだ、てっきり着替えてくるかと思った」

「少し考えたけどね。でも、一誠君が制服なら僕もこの格好でいいなと思って。それに男性の中で僕だけだと浮いちゃうし」

「ギャスパーは制服じゃないぞ」

「うーん。あれは例外かな」

 

 一誠の指摘に、木場は困った様な笑みを浮かべる。

 

「兵藤君。お久しぶりですね」

 

 そこにソーナが声を掛けてきた。いつもはきっちりとした制服姿しか見たことが無かったが、今日だけは華やかなドレスに身を包んでいる。いつものクールな雰囲気と相まって、一誠は月下に咲く花を連想した。

 

「ソーナ会長、お久しぶりです」

 

 若手悪魔の集会振りに顔を合わせる。

 

「見ない間に逞しくなりましたね」

「そうですか?」

 

 何度か言われたが、精神的には逞しくなったつもりだが、見た目の変化についてはあまり実感が湧かなかった。

 

「ええ、少し修正をしなければなりませんね」

 

 ソーナの眼から鋭い眼光が奔り、それが全身を貫いていく様な錯覚を覚えた。何の修正かは気になるが、ただ言えることは、ソーナの中では既にレーティングゲームが始まっているのだ。

 

「タンニーン様とその眷属の方々がお見えになりました」

 

 グレモリー家の執事が迎えの到着を告げる。

 

「では行きましょう」

 

 ソーナの眼光は消え、微笑を残して入口の方に向かっていく。

 その後ろ姿を眺めながら、一誠は匙に小声で話し掛ける。

 

「……会長って怖いな」

「今更知ったか」

 

 

 ◇

 

 

「じゃあ、俺たちは大型悪魔専用の待機スペースへ行く」

「おっさん! ありがとう!」

 

 飛び去っていくタンニーンに、一誠は大きく手を振りながら礼を言う。

 空の旅は、小一時間程のものだったが、空から見下ろす冥界の絶景やタンニーンと談笑であっという間に過ぎ去ってしまった。

 

「それでここからどうします?」

「すぐに迎えが来るわ」

 

 一誠たちが降ろされた場所は、競技会場らしきドームの前。パーティー会場となる超高層ホテルが広大な森の中に在る為、一旦ここで降ろされたのだ。

 リアスの言った通り、間もなくして黒塗りのリムジンが二台現れる。

 前方のリムジンにリアスたちが乗り、後方のリムジンにはソーナとその眷属たちが乗る。

 その車の中。一誠の隣に座るリアスが、一誠の少し乱れた髪型を櫛でとかし、整えている。運ばれる際に格好が乱れない様に風除けの結界が張られていたが、頭部にいた一誠は多少の風の影響を受けていた。一方、胴体部に乗っていたリアスたちには髪や衣服の乱れは無い。

 

「ソーナに宣戦布告をされたわ。『私たちの夢の為にあなた達を倒します』と」

 

 髪を梳きながら一誠にグレモリー邸であったことを話す。

 

「俺も匙から宣戦布告されましたよ。『先生になる』って夢も聞かせてくれました。すっげぇ眼をしてました。ちょっと怖いって感じましたし、カッコいいとも思いましたが」

「そう。『学校を造る』、レーティングゲームの学舎を冥界に建てる為、ソーナは人間界で学生をしながら学校の仕組みについて学んでいたわ。人間の学校は、彼女にとって良いお手本になるから」

「そうだったんですか……」

 

 改めてソーナ側がこのレーティングゲームに対し、強い意気込みを持っていることを知る。

 

「……俺たちが勝ったら、その夢が遠ざかるってことでしょうか?」

 

 口に出してはいけないと思いつつも言ってしまった。リアスにもまた夢や目標がある。どちらかが良い夢、叶えるべき夢などと、比べること自体間違っている。

 

「……それでも私たちは、本気で戦うべきだわ。手を抜いた戦いなんてソーナにとっても私たちにとっても何の意味も無いわ。どんなことであろうと本気でやることで価値が生まれるの」

 

 決意を込めたリアスの言葉。それを受け止めた一誠は、リアスの決意が体に染み込んでいく様な気がした。

 

「そうですね。俺も本気であいつ等にぶつかっていきます!」

 

 尤も、本気でぶつかっていこうにも、まだ神器の方が眠っている状態なので、今の一誠の全力はたかが知れている。あれこれ色々と試しているが、一向に解決策は見つからない。リアスたちもこのことは知っているが、そう焦らなくてもいいと慰めてくれる。とは言ったものの、リアスやソーナ、匙らの決意を知った一誠としては、こんな不十分な状態では無く完全な状態で戦いたいと思っていた。

 そうこうしているうちにリムジンは目的に到着。ドアが開けられ、従業員たちが並んでリアスたちを出迎える。

 パーティー会場となるのはホテルの最上階。エレベーターに乗って最上階へと向かう。

 長い浮遊感を体験した後、エレベーターの扉が開かれ、そこから一歩出ると、そこには更なる扉。

 一誠らが前に立つとその扉は自動的に開く。扉の向こうは豪華絢爛とした光景が広がっていた。

 天井に吊るされた巨大なシャンデリアの下では、きらびやか衣装を纏った悪魔たちが、料理や酒を片手に談笑している。あちらこちらに置かれている装飾品や部屋の雰囲気のせいで、広間全体が光っている様に見えた。

 リアスたちの姿を見ると、話をしていた悪魔たちや食事に手をつけていた悪魔たちも一斉にそれを止め、その視線をリアスに注ぐ。

 見惚れる者、その美貌を讃える者など、リアスの登場で会場の空気が一層盛り上がる。

 

「ううぅ……人がいっぱい……」

 

 一方で皆の視線が集まったことでギャスパーは怯え、一誠の背中に隠れる様に張り付く。その様子に一誠は呆れるものの、逃げ出さなくなっただけ多少は精神的に強くなったと密かに思った。

 

「ヒ~ホ~。相変わらずだね、ギャスパ~」

 

 怯えるギャスパーの背後から声が掛けられる。一誠、ギャスパーが振り返る。

 

「ばあっ」

 

 ギャスパーの眼前に広がるかぼちゃの顔。しかし、ギャスパーは驚くことなくその存在を抱き締めた。

 

「ランタン君!」

「あれ~。ちょっとは驚くと思ったけど~」

 

 予想外の反応だったらしく、少し困惑した声を出すジャックランタン。

 

「よお」

「ヒ~ホ~。久しぶりって程じゃないけど久しぶり~」

「会いたかったよ! ランタン君! ……今日のランタン君はおしゃれだね」

 

 ギャスパーが言う通り、ジャックランタンの格好はいつもと違っていた。いつもは紺色外套を着ている筈だが、今は黒のジャケットに蝶ネクタイというこの場に似合った姿をしている。

 

「用意されてたから着たんだよ~」

「用意? 誰が?」

「あっちでシンと話している人~」

 

 ジャックランタンが指差す。が、悪魔たちが壁になってシンの姿は見えない。

 

「挨拶回りの前にシンと会っておきましょう」

 

 リアスの案に皆賛成し、ジャックランタンが指差す方へ歩いていく。前に立つ悪魔たちを避けながら進むと、すぐに目的の人物は見つかった。

 

「いたわね」

「――ああ、どうも」

 

 

 敵同士と戦うこととなった友人。今度会ったときどんな顔で、どんな話をするのだろうかと、一誠は思っていた。

 そして、会ったときの会話は――

 

「間薙、お前……似合わないなー」

「お前は制服で正解だな。きっと俺以上に似合わない」

 

 ――どこにでもあるような軽口の言い合いであった。

 

「というか本当にどうしたんだ、その格好?」

 

 一誠は、シンを上から下までまじまじと見てしまう。一誠たちの様に制服ではなく、上から下まで高そうなスーツに身を包んでいるのだ。

 黒のスーツとパンツは皺一つ無く。ジャケットの下には白のシャツ。ネクタイは付けずに、襟が大きめに開かれている。

 着慣れていないせいか、若干スーツに着られているという印象を受ける。

「これか……これは――」

「私達が用意しました」

 

 シンの言葉を継いだ人物に皆の視線が向けられる。

 

「――あ、焼き鳥野郎の妹」

「レイ! ヴェル! フェニックスです! 赤龍帝! というより貴方! 今、私のことを一瞬忘れていましたわね!」

 

 レイヴェルの顔を見て反応するまで、微妙に間が空いていたことを指摘する。

 

「悪かったな。……でも、何で間薙と一緒にいるんだ? 服まで用意して……」

「間薙様には色々とお世話になりましたので。聞くと、間薙様は学制服でこのパーティーに出るとおっしゃっていましたので、差し出がましいとは思いましたが、間薙様たちに衣装の方を用意致しました」

「間薙……様?」

 

 一誠の記憶では、レイヴェルは高飛車なお嬢様という印象であった。それがシンに対して敬意を持って接している。これには、他の面々も困惑してしまう。

 

「ヒーホー! いっぱい持って来たホ!」

「早く食べよ、食べよ。あっ、リアス」

 

 料理を盛った皿を頭上に掲げたジャックフロストとピクシーが上機嫌で現れ、リアスたちを見つける。

 ジャックフロストはジャックランタンと同じ、黒のジャケットに蝶ネクタイという姿。ピクシーの方は、いつも着ているレオタードの様な衣装と同色のドレスを着ている。

 

「素敵な姿ね。貴方達」

 

 愛らしいとも言える二人の姿に、リアスの頬は自然と緩まる。

 

「もう一人、じゃなくてもう一体はどうした?」

「外の森にいる。ここはニオイが混ざり過ぎていて気分が悪くなるそうだ」

 

 言われて納得する。見るからに嗅覚が鋭そうなケルベロスには、様々な種類の香水、料理、酒、悪魔のニオイが混ぜ合わさったこの場はきついであろう。

 

「リアス様。レーティングゲーム以来ですね」

「そうね。私が言うのも何だけど、ライザーの調子はどうかしら?」

「そこの赤龍帝に負けたせいですっかり塞ぎ込んでいましたわ。敗北と婚約解消のショックがよっぽど大きかったのでしょう。一時期自分の部屋に籠りっきりでしたわ」

「……そう」

 

 ライザーが引き篭もっていることはリアスの耳にも入っている。望まない婚約だったとはいえ、そこまで追い込んだことには多少ながらも責任を感じた。

 

「……ですが、それももう過去のこと。お兄様もこのパーティーに来ていますわ」

「ライザーが?」

「俺を呼んだか? リアス」

 

 その声に反応し、リアスたちが振り返る。そこには中が満ちたワイングラスを片手に、赤を基調としたスーツを纏うライザーが立っていた。傍らには『女王』のユーべルーナが付いている。

 初めて会ったときと似た様な格好であるが、あの時とは違って着崩しておらず、下から上まできっちりとしており、軽薄そうであった印象は薄れ、貴族としての雰囲気が強く出ている。

 リアスとライザーの邂逅。周りの悪魔たちが騒めき、傍観する。元婚約者同士が顔を合わせたのである、当然の反応とも言えた。

 

「ライザー……」

「相変わらずの美貌だな。いや、更に磨きがかかったように見える。君との婚約が解消されたことが、今更ながら惜しく感じる」

 

 その言葉に、彼女の眷属たちが守る様に自然と前に出ようとするが、リアスはそれよりも先にライザーへと歩み寄り、それを制する。

 

「思ったよりも元気そうね」

「まあな。いつまでも落ち込んではいられない。それに復活はフェニックスの専売特許だ」

 

 周囲の予想に反し、二人の会話は友人と話す様な気軽なものであった。

 

「今度、シトリー家の当主とレーティングゲームをするんだって? 大丈夫か、リアス? 前のレーティングゲームは俺に完敗しただろう?」

 

 リアスの表情に変化は無かったが、他のメンバーは、ライザーの言葉に一瞬だけ身を固くする。嫌味ともとれたが、ライザーの声に嘲りは無い。だからこそ逆に違和感も覚える。ライザー・フェニックスという男は、もっと他者を見下していたというのが共通認識であった。

 

「大丈夫よ。あの頃よりも、私もあの子たちも強くなったから」

「それは良かった」

 

 そこでライザーはリアスから視線を外し、別の人物へと向ける。ライザーの視界に立つのは一誠。ライザーは、手に持っているワイングラスの中身を一気に呷った。

 

「久しぶりだな。赤龍帝」

「……どうもっす」

 

 一度は手も足も出ずに完敗し、二度目は代償を払って辛勝した相手。負けた恨みが今でも残っているのか、睨み付ける様に見てくるが、一誠は怯まず真っ向から睨み返す。

 両者の間に火花散る――かに思えたが、ライザーはふっと笑いあっさりと睨むのを止めた。

 

「最初に会った時よりも大分強くなったな。一目で分かる。神滅具を使うに相応しい感じになってきたな」

「え、あ? ……どうも」

 

 まさか恨み言ではなく、褒められるとは思っていなかったので、若干戸惑いつつ一応礼を言う。

 

「貴様に負けて色々と失ったが、逆にすっきりしたこともある。――ただ黒星をつけたままというのはフェニックスの名を持つ者として、俺個人としても許せない」

 

 ライザーの眼が、一誠からリアスの眷属たち全員に向けられる。

 

「団体戦は俺の勝ち。個人戦ではそちらの勝ち。これで一勝一敗だ。リアス、俺は君たちともう一度レーティングゲームがしたい」

「貴方の方からそう言ってくるとわね……。公式でのレーティングゲームで決着を望むのなら、もう少しだけ待ってくれるかしら?」

「別に構わないさ。その間に力をつけ、戦術を磨かせてもらう。ソーナ・シトリーとのレーティングゲームに負けるなよ、リアス」

 

 すると、ライザーは一誠の肩にポンと手を置く。

 

「お前もだ、赤龍帝。俺に勝ったお前が、もし不様に負けようならこの俺が焼き殺してやる。……だから負けるなよ」

 

 冗談ではなく本気なのが伝わってくる。だが、不思議と悪い気はしなかった。鼻持ちならない焼き鳥野郎だった筈のライザーから一種の応援をされていることに、自然とやる気が湧いてくる。

 

「あのさ」

「何だ、赤龍帝?」

「その赤龍帝、赤龍帝と言い続けるのは止めてくれ。そっちのレイヴェルも。俺には兵藤一誠という名前があるしさ。『イッセー』って呼ばれる方が慣れてる」

 

 一誠の方から一歩歩み寄る。

 

「お、お名前で呼んでもよろしいのですか!?」

 

 レイヴェルは若干嬉しそうに。

 

「はあ? 俺が男を愛称で呼ぶわけないだろうが。気色悪い。赤龍帝なら赤龍帝で十分だろうが」

 

 ライザーは露骨に顔を顰めて言う。

 

「何だその反応は! 前よりも丸くなっているから少しは仲良くした方がいいかなって思ったらそれか! なら俺もお前をずっと焼き鳥野郎って呼んでやる!」

「その呼び方止めろ! 多少認めてやったからって調子に乗るな! こっちは慣れ合うつもりはないんだよ!」

 

 ギャアギャアと言い争いが始まり出す。

 

「イッセー。気持ちは分かるけど、大人しくしなさい。他の人たちの迷惑になるわ」

「お兄様。折角、イッセー様の好意を無下にするのはどうかと思いますわ。もう少し大人になって下さる?」

 

 リアスとレイヴェルに窘められ、燃え上がる直前であった二人の勢いはすぐに鎮火。ライザーは舌打ちをしてさっさと一誠から離れる。

 

「この決着、リアスとのレーティングゲームまでとっておいてやる」

 

 ふと何かに気付き、ライザーの視線が一誠らから外れる。首を動かし見ると、ライザーをシンが半目で見ている。

 

「何だ? 何か文句でもあるのか?」

「今日のパーティーは若手悪魔たちの為に用意されているから、若手悪魔たちは勿論だがその関係者もそれなりの服装をしなきゃならないと事前に聞いていた筈だが?」

 

 制服姿の一誠と木場を目で指す。

 

「そんなこと言ったか?」

「あのね、シン。それは建前で、このパーティーはどちらかというと各御家の交流会みたいなものなの。そんなきっちりとした社交会じゃなくて、お父様方が楽しむパーティーといった方が正しいわ」

 

 とぼけるライザーに対し、リアスはこのパーティーがどういうものか説明する。それを聞き終えたシンは、苦いものを含んだ表情をしながらライザーに鋭い目線を向ける。

 

「地味な嫌がらせを……」

「似合っているじゃないかその姿……くっ!」

 

 ライザーがわざとらしく失笑をする。

 そんな二人のやりとりをリアスたちは目を丸くして驚いていた。

 リアスたちの記憶では、シンとライザーに交流らしい交流など無かった。だというのにお互いに気軽に会話をしている。交流する機会があるとすれば、修行の期間内である。その間に切っ掛けがあったのか、気になってくる。

 

「なあ? いつの間に知り合ったんだ? ライザーもそうだがレイヴェルも」

「間薙様は、お兄様が外に出る切っ掛けを作ってくれましたので。今では、すっかりあのような御友人として――」

『友人ではない』

 

 レイヴェルの言葉を二人揃ってきっぱりと否定する。

 

「レイヴェル。旦那様のご友人がお呼びだ」

 

 『戦車』のイザベラが現れ、レイヴェルに用件を伝えにきた。

 

「分かりました。間薙様。リアス様。失礼します。それと、イッセー様。今度、お茶でも飲みながらゆっくりとお話でもいかがかしら?」

 

 そう言い残し、優雅に一礼するとレイヴェルはイザベラを伴って去って行く。一誠はいきなりの提案にきょとんとした表情をしていた。

 

「なら俺も行くとするか。リアス、またな。赤龍帝、妹が折角誘ってきたんだ。恥をかかせるなよ? シン、赤龍帝にゲームで不様を晒すなと言ったが、お前もそうだからな?」

 

 シンは答えず、さっさと行けと言わんばかりに手を振る。ライザーは鼻を鳴らし、ユーべルーナを連れて去っていった。

 ライザーの背が遠くなっていくのを横目で見ながら、シンは密かに感心していた。

 ついこの間までは一誠の名を聞いただけで膝を震わす程のトラウマを抱いていたライザーだったが、実物を目の前にし怯えず、震えず、いつもの通りの態度で接していた。

 

(いつの間に克服したんだ?)

 

 ライザーは、シンたちの視界内から完全に消えたのをユーべルーナに確認すると、会場の隅に足早で向かう。

 団欒している集団から離れ、壁に背を預けるライザー。よく目を凝らせば、その両脚は細かく震えていた。

 

「うう……ユーベルーナ……酒だ……アルコールを含んでいるなら何でも良い……」

「ライザー様。御立派でした」

 

 ライザーの密やかな奮闘にユーベルーナは涙を流す。

 実際のところ、ライザーはトラウマを克服はしていない。リアスが来たという情報を耳にした瞬間しこたま酒を飲んで酔い、恐怖を鈍らせていただけである。

 方法としてはかなりアレではあるが、やせ我慢出来るだけほんの少しだが前進したともとれる。

 

「うう……ドラゴン……うう……赤龍帝……」

 

 

 ◇

 

 

 ホテルの外でセタンタは、常に神経を尖らせながら周囲の警戒をしていた。華やかなパーティーの外で不穏な輩が居ないか、外の警備をしている。

 護衛の悪魔たちも何十人も居るが、セタンタは敢えて自分から進んでこの仕事をしている。というのも、あまり表舞台に立つこともなく、また立つつもりも無いセタンタは、名ばかり通っているせいでいざ姿を見せると変に注目される。あくまで陰に徹したいと思っているセタンタには非常に窮屈なものである。

 それならば、まだこうやって周りに神経を張り巡らせている方が、気が楽であった。

 ふとセタンタの足が止まり、森の方に目が向けられる。

 

「どうしました?」

 

 護衛の悪魔の一人が、急に動きを止めたセタンタを心配して声を掛けてきた。

 

「少し気になることが……貴方たちは引き続き会場の護衛をお願いします」

 

 セタンタが森の中へと入っていく。

 その姿を遠くから見つめている複数の視線があった。

 

(おいおいおい。今のを気付くかねぃ……)

(ヴァーリから事前に聞いてて正解だったにゃー。普通に眷属使ってたらばれていた所だにゃー)

 

 小声で話す二人の人物。セタンタの情報を前もって知っていた為、目的の人物を招き寄せる最大の障害になると思い、とある細工をしてホテルから引き離したのだが、その細工自体ヴァーリ案のものであり、それを聞かされた二人はその案に懐疑的であった。

 何せプールに一滴の滴を落とす。あるいは針を地面に落とすという様な極小さな変化であり、やった者たちも自分が気付くかどうか半々といったものである。

 だが、その高い能力故にセタンタは、引っかかってしまった。障害は取り除かれたのである。

 

(じゃあ、いってらっしゃいにゃー)

 

 黒い着物を着た黒髪の女性の手から一匹の黒猫が放たれる。黒猫は、にゃーと鳴くとホテルに向かって歩いていく。

 

(あとは待つだけだにゃー。そういえば静かだけどあの子はどうしたんだにゃ?)

(暇過ぎてあそこで寝てるぜぃ)

 

 近くの木を指差す。

 

(あの子、口や態度は悪いけど寝顔だけは可愛いのににゃん)

(その可愛さの十分の一ぐらい普段の態度に回せたら、もう少し可愛げがあるんだがねぃ)

(にゃははは。そんなこといってヴァーリの次くらいに気に入られているくせに)

(体の良い足代わりにされているだけだぜ)

(照れないにゃん。――と、いつまでも喋っている訳にはいかないにゃん。美候。一足先に白音を待っているにゃ)

(おうさ。俺っちは、お前の妹が出てきたのを確認してから行くぜぃ。先に行ってまってな。黒歌)

 

 着物の女性の姿が消える。後に残るのは、一誠とヴァーリとの戦いで伝令として現れた孫悟空の子孫であり、『禍の団』の一員である美候。

 欠伸を噛み殺しながら、このまま何事も無く時が過ぎていく――という訳にはいかなかった。

 一人になって数分。森の中で別の気配を感じ取る。しかもその気配は、明らかに美候に迫って来ていた。

 

(おいおい。いきなりバレたのかぃ? まっ、退屈する時間が無くなったと思えばましかもねぃ)

 

 思うこととは裏腹に、美候は犬歯を剥き出しにして獰猛に笑う。それは、戦いを望んでいる者の顔であった。

 美候は耳へと手を伸ばし、そこから何かを指先で引っ張り出す。目視では確認出来ない程極小のそれは、美候が指の腹を擦ると瞬く間に身の丈よりも大きな棍へと変わる。

 孫悟空の代名詞とも呼べ、望めばどんな長さにも大きさにも変化する武器、如意金箍棒――即ち如意棒である。

 美候はそれを手の中で一回転させ、金箍が填められた先端で地面を軽く叩く。それだけで美候を中心とした半径数十メートルは内界と外界として切り離され、音や気配が内界で遮断される。

 

「さあ。いつでも来ていいぜぃ?」

 

 小声で話すのは止め、逸る気持ちが言葉となる。

 直後、木々の枝をへし折りながら姿を現したのは、銀色の体毛を持つ魔獣。美候の姿を視界に捉えると、問答無用で前足を振り下ろす。

 それを如意棒で受け止める美候。力の最高点の一歩手前で如意棒を押し当てる様にして受け止めたが、それでもケルベロスの一撃の重さに美候の足が地面に沈む。

 

「グルルルルルルル!」

「こいつは驚いたぜい!」

 

 現れた銀色の魔獣――ケルベロスの先制に目を丸くしつつも、その口元には笑みを浮かべる余裕がある。

 空いている片足から爪が飛び出し、横振りでの一撃を放とうとするが、美候はそれよりも先にケルベロスの胴体を蹴り付けた。僅かに曲がるケルベロスの体。しかし、そこで怯まず爪で薙ぎ払う。だが美候は、蹴った反動で後方に跳び下がっていた。

 

「おお。怖いねぃ」

 

 十数メートルもの距離を一足で跳んだ美候は、身に付けている朱色の鎧には触れさせていないにも関わらず、四本の浅い裂傷が刻まれていた。美候は、その傷跡を撫でながら怖がって見せるが、言葉とは裏腹に楽し気な表情をしている。

 

「ナニモノダ?」

「喋られるのかぃ? というか普通襲ってからそういうこと尋ねるのかねぃ?」

「ソンナコトハ、ドウデモイイ。オマエハ誰ダ?」

「一方通行だねぃ。――まあいいや。俺っちは美候っていうんだ。『禍の団』所属で、孫悟空の末裔さね。知ってるかぃ?」

 

 あっさりと自分の正体をばらしてしまう美候。相手を揺さぶるというよりも、どんな反応をするか期待しているようであった。

 

「ドッチモ知ラン」

「そりゃ残念だねぃ」

 

 言い切ったケルベロスに、美候は特に気を害した様子は無かった。

 

「こっちは答えたんだから、そっちも答えてくれるかぃ? お前は何なんだぃ?」

「グルルル。オレノナハケルベロス」

 

 名乗ったケルベロスに、美候は訝しんだ表情となる。

 

「ケルベロス……? 何か俺っちの知っているケルベロスと大分違うんだが……」

 

 じろじろとケルベロスの全身を眺める。

 

「体毛の色も違うねぃ。尾の形も違う。大きさも違うし」

 

 記憶の中のケルベロスと目の前のケルベロスとの違いを指摘していく。だが、その行為はケルベロスの地雷に接近していくものであった。ただでさえ、彼は他のケルベロスとの違いにコンプレックスを抱いている。違いを指摘されている間、ケルベロスの不機嫌と怒りのボルテージは徐々に上がっていた。

 

「一番違うと言ったら、何より――」

 

 そして、美候は特に悪意も無く、ケルベロスにとって最大の地雷を踏み抜く。

 

「三つ首じゃないねぃ。『首が無い』」

「……ホウ?」

 

 最大の禁句を言われたケルベロスの態度は一見すれば落ち着いたものであった。だが、内心は違う。今まさに溢れ出る怒りが全身へと駆け巡っていた。

 美候も言った後に、ケルベロスの先程までとの雰囲気の違いを感じ取り、少しだけ気まずそうに聞いてみる。

 

「あー、俺っち何か不味い事言った?」

 

 答える代わりにケルベロスの口から炎が吐かれた。煮詰まった怒りが変換されて放たれた炎は、その灼熱をもって美候を焼き尽くそうとする。

 

「はっ!」

 

 美候は笑い、如意棒を持つ手を炎に向けて突き出す。そして、手を離すと宙に固定された様に浮き、側面を指先で弾くと、その場で横回転をし始める。高速で回転する如意棒は、残像によって一つの円と化した。

 円と化した如意棒に炎が触れる。途端に炎は四方へと飛び散り、砕けた炎は周囲の木々へとへばりつく様に着弾した。

 一帯が炎に呑まれて行く中で、ケルベロスの炎を浴びせられている美候は火傷どころか汗一つかいていない。ケルベロスの炎が全く届いていない証拠であった。

 ケルベロスの息が持つまでこの攻防が続くかに思えられたが、既に片方は次の行動へと移っていた。

 紅蓮一色に染まる美候の視界。だが、その炎の揺らぎの中に美候は何かを見た。初めは小さな影。しかし、段々とそれが大きくなっていく。

 

「んん?」

 

 目を凝らす美候。影の正体はすぐに姿を現した。

 

「アオォォォォォォン!」

 

 自ら吐いた炎を突き破りながらケルベロスが飛び掛かる。しかし、美候との間にはケルベロスの炎すら防ぐ如意棒の盾がある。

 美候は、迫るケルベロスをその場から一歩も引かずに見ていた。どうやって如意棒を突破するのかという期待を込めた眼差しであった。

 ケルベロスは、最高速を維持したまま大口を開ける。そして、その鼻先が如意棒の回転に巻き込まれようとする直前、木霊する金属音と刹那に煌く火花。

 閉ざされたケルベロスの顎には、丁度中心部分から挟まる如意棒。

 あろうことかケルベロスは、形が溶ける程の勢いで回る如意棒を、その口で咥え、強引に止めたのだ。タイミングを計る様な機会など無かった。勢いと流れのままにそれを為したのだ。

 

「ハハハハハ! やるねぃ!」

 

 あまりに直球且つ単純且つ強引な突破の仕方に、美候は笑いながら称賛する。その間にも、ケルベロスは美候に接近していた。

 爪の間合いに入るのを見て、ケルベロスは前足を上げる。美候は、ケルベロスが咥えている如意棒に両手を伸ばし、如意棒の梢段、把段を掴むと力任せに捻る。

 ケルベロスの首の力は美候の腕力に負けて傾き、それによって跳ね上がった如意棒の先端が振り上げられていた前足首に叩き付けられる。

 痺れる様な感覚が奔る。痛みにまで至らないが、美候の抵抗で力を削がれたと判断すると、振り上げた前足を残りの足と同様に地面へ着け、着地と同時に地面を蹴る。

 突進するケルベロスを両足で地面を踏み締めながら押さえようとする美候であったが、勢いを止めることが出来ず、両足で地面を削りながら押され、轍の様な跡が地面に刻まれていく。

 

「調子に、乗るんじゃないぜぃ! 筋斗雲ッ!」

 

 叫ぶ美候。すると足元に金色の雲が発生する。

 

「グウッ!」

 

 ケルベロスが驚く様に唸る。何故ならば、筋斗雲が発生したのは美候の足元では無い。ケルベロスの足元であったのだ。

 雲と呼ぶに相応しい柔らかな感触がケルベロスの足を包み込む。沈む足。もがいてみるが、筋斗雲の柔らさのせいで力が入らない。文字通り雲を掴む様な感触は、ケルベロスから足の自由を奪う。

 

「立つには結構コツがいるんだぜぃ、それ」

 

 美候はニヤリと笑うと、戸惑うケルベロスの喉元に掌打を当てる。

 

「グルッ!」

 

 衝撃で僅かに咬む力が緩む。その隙を狙い、美候は如意棒を引っ張り出す。

 再び噛み付こうとするケルベロスであったが、美候は揃えた二本の指を上に向かって突き出す。すると、それに合わせて筋斗雲が急上昇する。

 

「空を飛んでみるかぃ?」

 

 一秒足らずで数十メートル程の高さにまで上げられたケルベロス。本当ならばもっと高い場所まで上げられるが、それ以上上げると結界の外に飛び出てしまうので控え目にしていた。

 

「グゥゥゥ……」

 

 地を駆けていたケルベロスが初めて見る高度からの景色。森が小さく見え、遠くの明かりが星の様に輝き、空が近い。とても場違いであるが、この時のケルベロスは素直に空からの光景を眺めていた。

 が、そんな鑑賞もすぐに終わる。

 

「伸びろ! 如意棒!」

 

 美候の声に従い、如意棒の先端がケルベロスのいる高さまで一気に伸びる。それと同時にケルベロスの足元にあった筋斗雲が消え、空中へと放り出される。

 空中で自由に動けないケルベロスの胴体に振り下ろされた如意棒が打ち込まれ、地面に向かって叩き落される。

 数秒後、派手な音と豪快に土を巻き上げながらケルベロスの体は地面に叩き付けられた。

 

「戻れ。如意棒」

 

 伸ばしていた如意棒を元の長さに戻す。

 

「空からの景色はどうだったぃ?」

 

 冗談を口に出す。

 

「グルルルル。ワルクハナカッタ」

 

 答えはすぐに返ってきた。

 土埃が消え、そこには体についた土汚れを身を振るって落としているケルベロスが立っている。まるで何事も無かったかのように平然としていた。

 

「おいおい、丈夫だねぃ。手加減した覚えはないんだが……」

 

 言葉の通り一切の加減をしていない。殺すつもりで叩き付けた。だが、ケルベロスは生きている。美候は、ケルベロスの強さを見誤っていたことを反省する。しかし、これは嬉しい誤算であった。

 待つだけであった退屈な時間が、現れたケルベロスのおかげで楽しい戦いの時間へと変わった。ヴァーリ程ではないが、美候自身闘争に楽しさや充実を見出す人種である。手応えのある敵の登場に喜べない筈が無い。

 

「く、くく、ひゃはははははは!」

 

 嬉しさに堪らず笑いが洩れる。甲高い笑い声。どこか獣染みた外聞の無い笑いであった。

 

「ナニガオカシイ?」

「気を悪くさせたなら謝るぜぃ。ただ純粋に嬉しいんだよぉ。お前みたいな奴と戦えて」

「意味ワカラン」

「戦いに熱くならないタイプかぃ? そいつは残念だぜぃ。そこも気が合ったらさぞかし楽しかっただろうに」

 

 美候が如意棒を旋回させた後、先端をケルベロスに向ける。ケルベロスもまた後ろ足に力を込め、いつでも最速を出せられる前傾姿勢になりながら低く唸る。

 

「――ところで聞き忘れてたことなんだが」

「……ナンダ?」

「何で俺っちのことをいきなり襲ったんだ?」

 

 姿を隠して多少は怪しい点が在ったのは分かるが、襲われる程のようなことはしていない。

 

「グルルルル。簡単ダ。オマエノ存在ガ無性ニ気ニ入イラナイ」

「はっ! そうかい。俺っちも犬は大っ嫌いだぜぃ!」

 

 突き出す如意棒の先が、射貫く様に伸びる。駆け出したケルベロスは眼前に迫ったそれを、僅かに首を動かして避ける。その際如意棒が掠め、ケルベロスの体毛が数本宙に舞う。

 ケルベロスは、口に紅蓮の炎を溜めながら美候へとその牙、その爪を突き立てようと、大地を蹴った。

 

 

 ◇

 

 

 パーティーが始まってそれなりの時間が過ぎた。知り合いとも会話を済ませ、食事も適当に済ませたシンは、特にやることも思いつかなかったのでフロアの隅に置かれている椅子に座っていた。

 彩られた悪魔たちから離れた場所にいると少し落ち着く。パーティーという華やかな空気に慣れていないからだと自覚していた。

 見える範囲では、リアス、朱乃、ソーナらが女性悪魔らと談笑している姿が見え、別の方に目を向ければ、ピクシー、ジャックフロスト、ジャックランタンらが食べ物や飲み物を食べ続けている姿を見える。

 フロアの一角では、男女の悪魔たちが曲に合わせて優雅に踊っている姿も見えた。シンもリアスの母から手ほどきを受けているが、人前で見せるほどのレベルにはなっていない。仮になっていても、見せるつもりもないが。

 

「お前もここに来てたか」

 

 一誠が、アーシアとギャスパーを連れて現れた。心なしか皆疲れた表情をしている。シンと同様にパーティーに慣れていないからだと思われる。

 三人は、そのままシンの側に座る。

 

「あー、ちかれた」

 

 一誠は、上まできちんと止めていた制服のボタンを外し、襟を緩める。心身共に感じていた息苦しさを解放させる為である。

 

「私もちょっとだけ疲れちゃいました。私、こういうのは初めてでずーっと緊張しちゃってて」

「僕もこんなに人に挨拶したのは初めてですぅ……」

 

 質素な生活をしていたアーシアと引き篭もり生活をしていたギャスパーには、このパーティーの空気は中々重たいものであるらしい。

 

「アーシアもギャスパーも結構男の悪魔に声を掛けられてたもんなー」

 

 二人揃って可愛らしい容姿をしている。声を掛けられてもおかしくはない。

 アーシアは声を掛けられると戸惑いつつ無難な返事をし、ギャスパーもどもりながらも一応返事をしていた。中々離れないときは、一誠に助けてもらうなどをしていた。

 

「うーっす」

 

 匙がシンらを見つけ、声を掛けながら近くの椅子に座る。その手には料理が盛られた皿を持っている。

 

「おっす。会長の側に居なくてもいいのか?」

「それなら副会長が付いてるよ。俺よりもお偉い悪魔さんは、副会長の方が話し易いみたいだしな」

 

 ケッと皮肉を言いながら料理に手を伸ばす。

 

「やあ。皆、ここに居たんだね」

 

 匙に続き、木場が軽く手を上げながら現れた。

 

「参ったよ。中々場を離れるタイミングが見つからなくって」

 

 困った様に笑う木場。しかし、それに対し一誠と匙はじとりとした陰気な眼差しを向ける。

 

「それって誰に引き留められていたんだ? 男か女か?」

「え? 女性だけど」

「何人だ? 何人に引き留められていたんだ?」

「えーと、正確な数は覚えていないけど五人以上だったかな……?」

 

 止せばいいのに馬鹿正直に答える木場。案の定、僻みに満ちた男二人の視線を浴びせられることになる。

 

「ちっ! これだからイケメンは!」

「何で世の中こんなに不公平なんだ……くれ! お前の持っている何かをくれ!」

「え、ええ……?」

 

 理不尽な嫉妬され、困惑した様子の木場。

 

「チクショウ! 俺たちにとって奇跡の様な所業を平然と体現しやがって……俺たち『四人』には、そんな奇跡なんて巡って来ないっていうのに……」

 

 匙、一誠、ギャスパーときて必然的に四人目は――匙に自然と自分が組み込まれていることに、混ぜるなと反論したいシンだったが、下手なことを言うと墓穴を掘りかねないので黙っていることにした。

 

「ああ。俺だって幸運と幸運が重なって奇跡に昇華してようやく揉めるっていうのに……」

「全くだ。…………んん?」

 

 同意しかける匙であったが、聞き捨てならない言葉が含まれていることに気付き、一誠の方を見る。

 

「え? え? 揉む? 揉むって言ったのか? う、嘘だろ……? は、ははは。俺をからかっているんだろ? 主さまのを揉んだっていうのか? ど、どうせ揉むって言ったって肩とかっていうオチだろ? そうだよな? そうだと言ってくれ!」

 

 本当は理解している筈なのに理性がそれを拒んでいるのか、椅子から立ち上がった匙が縋る様な目で一誠を問い質す。

 

「……ごめんな、匙。俺はもう階段を一つ上がったんだ……揉むというのは既に過去の目標なんだ。今の俺が目指しているもの、それは――つつく」

 

 雷にでも打たれたとしてもこれほどまでにショックを受けないであろう形相となり、崩れ落ちる様にして椅子に座る。

 

「つ、つつくって……つつくってお前……一体どういう幸運があればそんなことが出来るんだ? どうやったらそんな奇跡が起きる……?」

「まあ、普段一緒に寝たり、一緒にお風呂に入った時に……」

 

 既に日常と化しているリアスとのスキンシップ。しかし、匙にとってはあまりに重く、残酷な言葉の一撃であった。

 

「ね、寝るって……ふ、風呂って……生を見たり、触ったりしたってことなのか? お、俺は、会長とは一度もそんなことは……」

 

 匙の全身が見ていて恐ろしくなるほどガタガタと震え始める。

 

「この裏切り者っ!」

(別に足並み揃えていた訳でもないだろう)

 

 涙目でそう叫ぶ匙に、シンは心の中で割と冷めた言葉を思うが、口には出さない。出せば確実に飛び火する。

 

「ははは。やっぱり皆といるのが一番賑やかだね」

 

 一誠に噛み付いている匙を見ながら、木場は匙に見えない角度で笑う。

 

「騒がしいだけだ」

「僕は、こういう騒がしさは好きなんだけどね」

 

 一誠と匙とは対照的にシンと木場の会話は静かなものであった。淡々とし、取り留めの無い話をする。

 しかし、その会話も長くは続かず、やがて会話の間が出来る。とは言っても、沈黙が続いたのは一分にも満たない。

 生み出された沈黙は、木場の言葉によって斬り裂かれた。

 

「もし、君と戦うことになったら、僕は君に勝つ」

 

 決意としては、随分と淡々な言葉に聞こえた。もっと熱があっても、もっと鋭さがあっても良いのではないかと思う程、木場の口調は普段通りのものであった。

 だが、それなりの付き合いがあり木場の性格を知っているシンは、言葉の裏に潜む本気を感じ取っていた。

 木場は今もなお研いでいた。自らの内にある戦意を。それを外に出そうとしないのは、僅かに漏れ出すそれすらも惜しいと考えていた。

 対等な友人だからこそ本気で戦いたい。剣士としての性であり、エゴでもあるそれを向けるのは、木場からシンへの信頼とも言えた。

 木場の決意を聞かされたシンであったが、返答はしなかった。木場の方もただ自分の決意を伝えたかっただけらしく、シンから視線を外す。

 シンは周囲を見渡す。視界に入る談笑している面々。数日後には、互いに意地と誇りをかけて全力で戦うことになる。そう考えると不思議な気持ちであった。

 

「ここに居たのか」

 

 物思いにふけ始める直前のタイミングで、ゼノヴィアがシンたちのもとに現れた。その手には豪華な料理が盛られた皿を器用に何枚も持っている。

 

「色々と料理をゲットしてきた。皆で食べてくれ」

 

 皆に料理をそれぞれ手渡す。

 

「ゼノヴィア、悪いな」

「いや、何。これぐらいは安いものだ。あと飲み物もあるぞ」

 

 だが、ゼノヴィアの手に飲み物らしきものはない。

 

「おーい」

 

 後ろに声を掛けると、いくつもの飲み物を載せたトレイを運ぶジャックフロストとジャックランタン。小柄なピクシーはジャックフロストの頭に乗ってちゃっかりと楽をしている。

 

「ヒ~ホ~。持ってきたよ~」

「ヒホ! どうぞだホ」

「御苦労」

 

 ジャックランタンのトレイに乗ったジュースをアーシアとギャスパーが手に取る。

 

「ありがとうございます。ランタンさん。緊張して喉がカラカラでした」

「僕もですぅ……」

 

 二人揃ってジュースを口にする。

 

 

「一枚貰っていいか?」

「ん? ああ。構わないぞ」

 

 ゼノヴィアから料理を盛られた皿を一枚受け取ると、シンは椅子から立ち上がった。

 

「何処か行くのか?」

「外に居るケルベロスに差し入れをしてくる」

 

 そう言って会場の外に向かって歩いていく。

 

「ところで、サジって何でさっきからブツブツ言ってるの?」

 

 虚ろな目で、「何故だ」「どうしてだ」「あんまりだ」と独り言を呟いている匙を気にするピクシー。

 

「うーん。軽く言うと――」

 

 先程までのやりとりを掻い摘んで簡単に説明する。

 

「ふーん。要するに仲魔外れになって寂しいんだ。よしよし」

 

 落ち込む匙の頭を撫で、慰める。

 

「ありがとよ……だけど、その優しさは間薙にでもあげてやれ……あいつも俺と同じ、女の胸にも、女と風呂にも縁が無さそうな奴だからな……」

「え? シンも女の人と一緒にお風呂に入ったことあるよ? それもいっぱい」

「!?」

 

 

 ◇

 

 

 棍と爪が衝突すれば、甲高い音と共に発生する衝撃で周囲の木々が揺さぶられ、炎が奔れば如意棒の一閃が奔り、二つの焔に割かれた。

 両者の攻防は短時間で百を超え、あまりに密度の濃い戦いとなっている。

 近い実力故に共に無傷という訳にもいかず、美候は鎧を何カ所か爪によって傷付けられ、炎で焦がされている部分もある。

 ケルベロスも整えられていた毛並みが乱され、爪が一本折られていた。

 美候は汗を流し、ケルベロスも呼吸が少し荒い。二人とも確実に疲労が溜まりつつあるが、それでも戦い方に陰りが見えなかった。

 何度目か覚えきれない程の攻防が終わり、次の攻防の為に共に距離をとる。

 力が拮抗している為に戦況が動かない。戦いの天秤は常に定位置から動かず、ただ時間だけが過ぎていく。

 黒歌との約束がある為、何らかの形でこの戦いを終わらせなければならない美候であったが、彼の胸中に焦りは無かった。

 秘策がある――という訳では無い。ただ単純にケルベロスとの戦いに熱が入り、夢中になりかけているのである。頭の中では分かっているものの、それを片隅に追いやる程にケルベロスとの戦いを楽しんでいた。

 出来ればもっと長く、とそんなことまで考え始めていたとき、唐突に事態は動き出す。

 肩に何かが置かれる感触があった。視線を向ければ、それが人の手であることを知る。

 ケルベロスとの戦いに集中するあまりこんなにも簡単に背後を取られたことも驚きだが、人避けの結界の中に誰かが入ってきたことも驚きであった。

 視線を更に動かし、その手の主が誰なのか確かめようとした瞬間、頭の芯まで届く様な衝撃を受けながら、美候の頭が仰け反る。

 頭突きをされたと理解しながら大きく跳ぶ美候。着地し、すぐに構えようとするが、景色が一瞬ぼやける程の眩暈がし、すぐには移れなかった。

 

「いってぇ……親父の拳骨喰らった時を思い出すぜぃ」

 

 叩き付けられたところを擦りながら、先程まで自分が立っていた場所に目を向けるが、そこに誰も居ない。更に視線を動かすと、その人物はケルベロスの隣に立っていた。

 

「お前は……初対面だけど、俺っちはお前のことを知っているぜぃ。『人修羅』だろ?」

 

 人修羅ことシンは、魔人としての名を呼ばれたことに僅かに顔を顰める。

 

「……誰に聞いた?」

「ヴァーリからだぜぃ」

 

 それを聞いて二つ推測する。恐らくヴァーリは、マタドールを経由して『人修羅』の名前を知ったのだと。『人修羅』と命名したのはマタドールであり、シンはマタドールとヴァーリが親し気であった所を見ている。

 そして、ヴァーリの名を出した目の前の人物は『禍の団』と関わりを持っている可能性が高い。

 

「グルルルル。ナニヲシニ来タ?」

「差し入れ」

 

 ケルベロスの前に料理が盛られた皿を置く。

 

「それを食べている間、交代だ」

 

 小指から順番に折って拳を作ると、紋様が浮き上がり暗緑の光を放つ。

 

「全く。主従揃って行き成りは無いだろう、行き成りは」

 

 二人のやりとりでそう判断した美候は、愚痴りながらも如意棒を構える。

 

「というか結界張ってあったのにどうして気付いたんだ?」

「――何となく」

「何だそりゃあ?」

 

 適当な答えに呆れるが、本当に何となく気付いたのだから仕方ない。

 ケルベロスを探して森に入った所、妙に違和感を覚える気配を感じたのだ。何がおかしかったのかは感覚的なもので説明することが出来ないが、強いて言えば森の中の独特な雰囲気の中で、ある場所だけで不自然に『浮いて』見えた。文字が二重書きされているような、絵の塗り斑があるようなそんな感覚である。

 

「勘で気付いたのかぃ? 結構へこむぜぃ、それ」

 

 それすら騙せ遂せると思っていた美候には割と衝撃的であった。

 

「ならもっとへこむことになるな」

 

 新たな声と共に美候の側面から炎が襲い掛かる。如意棒で地面を突き、その反動で後方に飛んだ美候は、炎で焼かれて出来た道から現れた人物を凝視する。

 

「今度は誰だ?」

「お前なんぞに名乗る程、安い名前じゃないんだよ」

 

 紅蓮の双翼を羽ばたかせ夜の闇を輝かすのは、ライザーであった。

 

「何故ここに?」

「何か不穏なものを感じたからだよ」

 

 シンと似た様な理由を言うライザーであった――が、事実はかなり異なる。

 一誠への恐怖を紛らわせる為にかなりの量の酒を摂取していたが、そのせいで気分が悪くなってしまい、酔いを醒ます為に夜風に当たろうとホテルの外に出ていた。その時、偶然にも森に入っていくシンの姿を見つけ、何をしているのかと動きを目で追っていたところ、急にその姿が見えなくなったのでおかしいと思い、この場所に降り立ったのである。あまり格好の良い理由ではないので、真実はライザーの中で握り潰された。

 

「で? 誰だこいつは?」

「冥界のやつらってのは、問答無用で人を襲うのが常識なのかぃ?」

「ビコウダノ、『禍の団』ダノ名乗ッテイタ」

「こいつが……だと」

 

 立て続けに不意打ちをされる美候の不満を無視して、ライザーの問いにケルベロスが答える。相手が、三大勢力を相手にテロを行っている『禍の団』の一員と聞いて、ライザーは七十二柱の悪魔としての使命感からか、敵意と殺気を込めた視線を美候に向ける。

 

「どういうルートを使って、冥界に来たのかは知らないが、生きて帰れると思うなよ」

「退屈しないねぃ、ここは。好きになりそうだぜぃ」

 

 ライザーが一歩踏み込み、臨戦体勢に移るとシンもまたケルベロスの側から離れる。

 

「手を出すな。こいつを倒して俺が――」

「仕留めるなら確実に仕留めるぞ」

 

 少しの間、ライザーは顔を顰め黙考する。

 

「――まあいい。手を『貸させ』てやる」

「どうも」

 

 上から目線の了承に、シンも素っ気ない態度で礼を言う。

 

「二対一になるが悪く思うなよ? 敵地に来たんだ、これぐらいは想定済みだよな?」

「別に構わんぜぃ。ただ――」

 

 美候が最後まで言うよりも先に場に大きな変化が起こる。ライザーの登場によって熱を帯びていた空気がいきなり肌寒いものへと変わったかと思えば、吐く息が白く染まり始めた。適温であった冥界の空気が瞬く間に、極寒のそれへと変わっていく。

 

「ようやく起きたか、寝ぼすけめ」

「ふぁああーあ……オレ様が寝ている間に何が起こったんだホ?」

 

 童の様な声がした。すると木の葉が揺れ、木から何かが落ちて来る。

 その姿を眼に入れた瞬間、美候を除き誰もが驚いた。

 紫の二股に分かれた帽子。黒く染まった体色と異なる点はあるものの、形は彼らの知っている者に酷似しているのである。

 

(ジャック、フロスト?)

 

 その姿に思い浮かべ言葉を否定するように黒い雪だるまは出て来て早々に叫ぶ。

 

「よく聞くんだホ! オレ様は! 最強にして最恐の最凶で最狂なジャアクフロスト様だホ! オレ様の力の前に平伏すがいいホ! ヒーホッホッホッホッホッホッ!」

 

 高らかに名乗りながら笑う黒い雪だるまことジャアクフロスト。その姿にポカンとする一同。

 

「……まあ、あれだ。こいつも入れて二対二だってことだぜい」

 

 妙にしまらなくなった空気の中、おずおずと美候は中断していた台詞を紡ぐのであった。

 

 




色々と書いていた結果、お披露目会は次回となりました。
とりあえずあと一、二話でレーティングゲームに入ります。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。