ハイスクールD³   作:K/K

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圧倒、助力

 時折考えることがある。

 自分の命はあとどれぐらいの年月持つのであろうか、と。

 せいぜい百年程度の人とは違い、定められた命の期限を明確には知らない。人は老いや病で死ぬことがあっても、堕天使である自分にとって、それは当て嵌まるものではなかった。

 老いることの無い肉体。それは聞く者にとってはさぞかし羨むものであろう。不老不死という言葉は、どんなに月日が経とうとも人の中から消えることの無い言葉である。

 だが、もし不老を持つ者がいたのならば、それを求める者に対して口を揃えてきっとこう言うだろう。

 

『やめておけ。ただ退屈なだけだ』と。

 

 老いずに存在し続ける。それによって最も変化するものがあるとすれば、それは恐らく精神である。

 余りある時間、その過程に於いて精神というものは知らず知らずの内に蝕まれ、本人が気付いたときにはその形を歪なものへと変えている。

 少しでもそれを和らげたければ精神に強い刺激を与えることだが、心を揺さぶる程の刺激に出会うには自分は少し強すぎた。

 しかしあるとき、退屈な日常を破壊する程の刺激が突如として起こった。

 神を筆頭とした天使、魔王が擁する悪魔、そして自分が属する堕天使たちによる三つ巴の戦い。

 老いや病で死ぬことの無い堕天使も、天使や悪魔の力ならばその命を落とすこともある。空前絶後の戦いに、錆びついていた心が久々に踊った。

 悪魔が天使の光によってその身を塵に変えたかと思えば、その天使は堕天使が放つ同じ光によって刺し貫かれて天から堕ち、その様を見ていた堕天使は悪魔の魔力によって消滅させられる。

 死が死を呼び、その死が別の死によって覆い尽くされる。まさにこの世の終わりが形を見せたような一連の流れ、その流れの中で自分は大いに生を全うした。

 かつての同胞であった天使が視界に入れば、手に持った槍でその翼を貫き、落ちた所を今度は剣で斬り伏せる。顔見知りとも何度か会い、その度に『何故こんなことをするのか』と問われることがあったが、その度に自分は笑みを浮かべ『愉しいからだ』と答えていた。

 天使たちを殺すのに飽きれば次に悪魔を殺す。悪魔は天使と違い、その身に光に対しての抵抗が無い為に、まるで雲を斬るかのような手応えの無さが逆に面白く思い、何十、何百の悪魔をこの世から消し去っていった。

 まさに生を謳歌していると称していい戦争であったが、それでも不満に感じることもあった。

 一つは同じ仲間である幹部堕天使の存在であった。他の堕天使の幹部は自分とは違い、敵味方とも最低限の犠牲で済ませようとしている為、降伏した無抵抗の相手でも殺害すること、また自分が派手に動くことで下の堕天使たちも動くので、それによって不要な犠牲も出ていることを何度も咎めてきた。

 不満を持たなかったと言えば嘘になるが、そのときは渋々ながらその言葉に従った。長い年月を共に過ごしてきた数少ない存在故、一抹の仲間意識があった為である。

 しかし同時にこうも思った。

 

『こいつらと殺し合うのも悪くは無いかもしれない』

 

 信頼、友情といった時間を掛けて積み上げて来たものを自分の手で破壊する。それを想像する、と熱を失いかけていた心に再び火が灯るような昂揚を覚えた。

 だが実際の所、それを実行することは無かった。否、出来なかった。

 三つ巴の大戦の中で予期しない異分子が紛れ込んできたからだ。

 一つは二天龍と呼ばれる存在。『赤い龍〈ウエルシュ・ドラゴン〉』、『白い龍〈バニシング・ドラゴン〉』と後に呼ばれるようになる、ドラゴンたちの介入であった。正直なところ介入などという丁寧な言葉ではなく、ただ戦場の中心でその龍たちが私闘を繰り広げただけであったが。

 しかし、そのドラゴンたちの戦いはあまりに激しく、神も魔王も入り込めない程の力を持っていた為、三勢力の戦争は無理矢理中断される羽目となった。

 そしてその存在を疎ましく思った三勢力は戦争を継続させる為、急遽同盟を組み二天龍を倒そうとしたとき新たな乱入者は現れた。

 それが『魔人』という存在である。

 このとき現れた魔人の数は全部で九体。『殺戮者』『大僧正』『獄天使』『白騎士』『赤騎士』『黒騎士』『蒼騎士』『大淫婦』『吹奏者』と自ら名乗った。

 突如として現れた魔人たちは暴れ狂う二天龍の戦いに介入し始めた。自分たちの戦いを邪魔されたドラゴンたちは怒り狂い魔人たちと戦い、それらは互角の勝負を続けていた。只でさえ規模の大きかったドラゴンの戦いは、魔人が加わったことで更に規模と被害を大きくする。

 魔人とドラゴンの戦い。それは七日七晩も続く苛烈なものとなった。

 そして八日目にして事態は動く。互いに消耗が見えたところで三勢力がこの戦いに参戦し、それによってドラゴンを封印したのだ。

 これによって邪魔者であったドラゴンの存在は消え、ようやく三勢力の決着がつけられる。しかし事はそう上手くは運ばなかった。

 今度は魔人たちが三勢力に襲い掛かってきたのである。

 元々戦争で疲弊していた三勢力はこれによって戦争の継続が出来ない程の大打撃を受け、結果として失うだけの戦果のない戦争となった。

 二つ目の不満があるとすれば、決着が着かないまま終わってしまった戦争である。優劣が決まる事無く、振り上げた拳が振り下ろす場所を見失い、勝ちも負けも無い結末。行き場の無い感情だけが残った。

 そして最後に不満、否、後悔として残ったのは、あのとき二天龍と魔人たちとの戦いに入ることが出来なかった、己の不甲斐なさであった。輪に入ることすら出来ず、外から終わるのを眺めていた。

 戦争の結果を考えればあのとき、指を咥えて見ているのではなく、命を捨ててでも参戦すべきであった。そうすればその後に続く怠惰で無味乾燥な年月を過ごすことは無かった。

 この日から次に心震わすときが来るまで、長い間があった。

 大戦が終わり、堕天使側に限られた戦力しか残らず、二度目の戦争が困難であることを知らされた後、世界が灰色に染まったかのような詰まらなさだけが残った。

 思えばそのときから、他の幹部たちとの間に意識の差というものを感じていたのかもしれない。特に堕天使の頭であるアザゼルには、戦争は無いという宣言をされた瞬間から殺意に近い感情を抱いていた。

 天使も悪魔も戦争を起こす程の戦力も気概も無い、平和と言う名の退屈な日々。落ちた錆が再び精神に張り付き、感情を鈍らせていく。

 これがいつまで続くのか。途方も無い未来を想像し、その刺激も昂揚も無い反吐の出る未来絵図に絶望を覚えたとき、思いもよらない出会いがあった。

 堕天使たちに襲撃を仕掛けてくる『魔人』の存在である。

 大戦時『獄天使』と名乗った魔人は、理由も目的も無く、突如として『神を見張る者』へと強襲を掛けてきた。

 多対一。傍から見れば絶望的な戦力差であるが、実際の所追い詰められていたのは堕天使側であった。

 下級の堕天使ではまず相手にならず、近寄る前にその魔人が持つ炎で焼き尽くされ、運よく免れた堕天使も魔人が跨る見たことも無い乗り物、鋼の馬と呼べるような代物に轢殺された。

 結局の所まともに戦えるのは幹部級の堕天使のみであり、魔人は幹部全員と相対し、互角以上の戦いを繰り広げた。

 魔人との戦い。それは自分にとってあのとき駆け抜けていった戦場を彷彿とさせる程の高まりを覚えた。焼け付いた亡骸、むせかえる血と臓腑のニオイ、怒り、悲しみ、憎しみが混ぜかえった叫び、生にしがみつこうとする足掻き、死を与えるための暴力、それらが全て混ぜ合わさり混沌と化したもの。

 まさしく戦場と呼べるものであった。

 あの日に残った後悔を消し去るように、死に物狂いで魔人と戦い続ける。骨が折れ、血が流れ続けても戦うことを止めなかったが、最後に浴びせられた炎によって、望まない戦線離脱をしてしまった。

 死ぬことは免れたが、いっそ死んでしまいたいような後悔が再び心の裡に残る。

 居場所も死に場所を同時に失ったような気分であった。

 そしてそこから幾月日が流れ、ある決意をする。

 起きないのならば自ら戦争を起こそう。あの日の続きを、あの日の記憶を蘇らせるために。例え独りであっても、例え命を散らすとしても。

 この手でもう一度、あの時の『俺』を蘇らせよう。

 

 

 

 

 燃え盛る右手を掲げながら、コカビエルは息が詰まる程の重圧を発する。もとより狂気的な輝きを放っていた眼はより一層輝きを増し、その眼を見るだけで心臓の鼓動が無意識に早まる。

 コカビエルは注目される中、下げていた左手を挙げる。その動作一つだけでリアスたちの緊張が高まっていく。

 左手に光が灯り始め、掌に収まるほどの光球が形成されたとき、コカビエルはそれを無造作に突き出す。

 すると光球から鎖の形をした光が幾つも伸び、リアスたち目掛けて一斉に襲い掛かる。

 光の槍と同等の速度で迫る光の鎖。至近距離ならばまず避けきることの出来ない速さであったが、幸い距離があった為に回避に移る間があった。

 リアス、一誠、木場、ゼノヴィアはそれを何とか避けきり、空中にいた朱乃も身を翻して躱す。シンも側に居たジャックフロストを抱きかかえてから地を蹴り、同じく躱した。

 

「小猫さん!」

 

 しかし、ここでアーシアの悲痛な叫びが聞こえる。その声に皆が視線を向けると地面に横たわるアーシアとピクシー、そして光の鎖が足に巻き付いている小猫の姿があった。

 リアスたちが避けていく中、補助を主としているアーシアにはコカビエルの鎖を回避する程の身体能力は無く、反応できずに立ち尽くしてしまっていた。そのとき咄嗟に動いた小猫が自らの身を挺してアーシアとピクシーを光の鎖の範囲外へと突き飛ばし、代わりにその身に受けるという結果となってしまった。

 光の力によって巻き付いた部分が焼かれていく。普段は無表情の小猫も声は洩らさなかったものの、その顔に苦痛の色を浮かべていた。

 

「釣れたのは一匹か」

 

 コカビエルは口の端を吊り上げながら笑い、左手を引く。その勢いで小猫の体は地面を引き摺られ、コカビエルの方へと引き寄せられていく。

 小猫も抵抗しようと地面に爪を突き立てて抗うが、『戦車』の力を上回るコカビエルの膂力が、嘲笑うかのようにその爪を地面から引き剥がす。

 

「小猫さん! 私の手に!」

 

 引き寄せられる小猫にアーシアが手を伸ばす。が、次の瞬間に小猫の姿が消えた。

 

「えっ!」

 

 驚くアーシアは小猫の姿を急いで探す。

 右を見る、いない。左を見る。こちらもいない。

 

「上! 上!」

 

 アーシアから離れた場所にいたピクシーの声に上を向く。そこには十数メートルの高さまで振り上げられた小猫の姿があった。

 

「小猫!」

 

 リアスが悲痛な声で叫ぶ。しかしコカビエルは無情にも振り上げていた左腕を、今度は背後に向けて振り落とした。

 宙に浮かぶ小猫の体はコカビエルの腕の動きに合わせて勢いよく引っ張られ、そのまま校庭に背中から叩きつけられる。離れた場所で立つリアスたちでも、足から微震が伝わってくる程の速度での落下であった。

 叩きつけられた小猫の体に合わせて校庭の土は凹んでいた。仰向けで倒れている小猫は微かに動いているものの呻き声一つ洩らしておらず、かなり危険な状態と言えた。そもそも高い防御力を持つ『戦車』の特性を持っていない小猫でなければ死んでいたかもしれない。

 

「小猫ちゃん!」

 

 容赦の無い攻撃に一誠が思わず名を大声で呼ぶ。

 

「心配か? ほら返すぞ!」

 

 コカビエルはそのまま小猫に巻き付いた光の鎖を引くとリアスたちの方に向かって振るう。あろうことか小猫を武器の様にして扱って攻撃を行ってきた。

 しかし、これはある意味で効果的な戦い方ともいえる。避ければ繋がっている小猫の命の保証は無く、まともに受け止めれば両者ともに大きなダメージは免れない。だが、この場には少なくとも前者を選択する人物は存在しなかった。

 

「させないよ!」

 

 怒り露わにして真っ先に飛び出したのは木場であった。木場は振るわれた小猫の前に向かって構えずに身を晒す。

 

「ぐぅ!」

 

 その行動に応じるかのようにコカビエルは鎖を操って木場の胴体に小猫を衝突させる。木場は激痛の奔った表情をするものの歯を食い縛って耐え、叩きつけられた小猫の体を両手で強く抱き締める。コカビエルに良い様に弄ばれない為に。

 

「この子は返してもらう!」

「なら二人まとめて空を飛んでみるか?」

 

 片手ではなく今度は燃える右手も鎖に添えて持ち上げようとするが、横から現れたシンが持ち上げる前に鎖を掴み取る。

 

「むっ」

 

 コカビエルは力を込めるが鎖は上がらず、その場で張るだけに終わる。シンは害あると分かっていてもその手に鎖をしっかりと絡ませて動きを固定し、コカビエルの狙いを阻止する。

 

「少しそのままにしていてくれ」

 

 張られた鎖を縦に振るわれた光が断ち切る。切断したのはゼノヴィアの『破壊の聖剣』であった。

 

「助かる」

「礼はいい。一時の同盟とはいえ、当然のことをしたまでだ」

 

 最低限の会話であったが二人の素の性格を考慮すれば十分な内容であった。

 

「小猫ちゃん! 小猫ちゃん!」

 

 小猫を取り戻した木場が必死に小猫の名を呼ぶが小猫は僅かに瞼を震わせるだけで、それ以上の反応を示さない。もう一度名を呼ぼうとした木場であったが何かに気付き、小猫の後頭部に回していた手を離す。

 その手は血で真っ赤に染まっていた。

 

「アーシアさん! 頼む!」

 

 小猫を抱きかかえると、木場はすぐにアーシアのもとに走り寄り小猫の治癒を頼んだ。名を呼ばれたアーシアは泣きそうな顔をしながらすぐに『神器』を発動させ、小猫の治療を始める。

 暖かみのある光がすぐに小猫を包み、その傷を癒していく。だが、それを悠長に眺めている相手では無かった。

 

「『聖母の微笑み』か……『神滅具』といい希少な『神器』をよくもまあ揃えたものだ。アザゼルの奴が見たら目の色を変えるかもしれんな。俺には全く興味が湧かないが」

 

 治癒するアーシアの姿を見ながらコカビエルは何を思ってか鼻で笑う。侮蔑ではなく呆れの混じったそれは、少なくともアーシアに向けられたものではなかった。

 コカビエルは左手にすぐさま光の槍を造り出す。そしてその先をアーシアたちに向け、投げ放つ構えをとったとき、何かを感じ取ったのか、視線がアーシアたちではなくその頭上に向けられた。

 そこには紫電を纏う朱乃の姿。

 

「雷よ!」

 

 その両掌が向けられるとそこから雷が放たれた。

 コカビエルは手に握る光の槍を雷の方に向けてその形を変化させる。槍は紐が解けるようにして解かれ、それが光の膜となってコカビエルの周囲を包み込む。

 雷が光の膜に触れるとその場から消失していく。全力で放てば体育館一つ簡単に消し飛ばされる雷を受けても、光の膜を突き破ることが出来ない。先程とは違いリアスとの同時攻撃ではなく、また『赤龍帝の籠手』の能力上昇も切れた状態で放っている為仕方ないとはいえ、二人の力量の差をまざまざと見せつける。

 

「どうした、そんなものか? もっと必死になったらどうだ! バラキエルの名が泣くぞ!」

「言った筈よ! 私とその者に何の関係も無いとッ!」

 

 朱乃の神経をわざと逆撫でするコカビエル。普段の大人びた姿からは想像出来ない程に朱乃は感情的に叫ぶ。

 

「もっと魔力を込めてみろ! 血の全てが蒸発する程の怒りと殺意で俺を貫いてみろ! それが全力か? もっと足掻いてみろ! 足掻け! 足掻け! 足掻け!」

 

 降り注ぐ雷光の中でコカビエルが焦熱する右手を開く。そしてその五指を鉤爪のように曲げ、一本一本が細かく震える程の力を押し込む。

 

「そうでなければ!」

 

 コカビエルの放つ光と燃え続ける炎が入り混じり、橙色の光と化した右手を後方へと引き、次の動作の為の準備をする。

 

「死ねッ!」

 

 腕だけでなく体全体を大きく捻りながら振るわれた、五指から放たれる五つの閃光。降り注ぐ雷光を斬り裂き、天に向かい逆らうかのように昇っていく。

 放たった雷が紙のようにあっけなく裂かれていくのを目の当たりにした朱乃は、すぐに避けようと羽を動かすが、コカビエルの放った橙色の光はそれよりも早かった。

 

「きゃああ!」

「朱乃!」

 

 五つの光の内の一つが朱乃の脇腹を掠め、光はそのまま天に向かって消えていった。光を受けてしまった朱乃は堕天使の持つ光の毒に侵されたのか、空中で体勢を崩し羽ばたこうとしないまま、地面目掛けて頭から落ちていく。

 その姿に思わず冷静さを失って一誠は名を叫んだ。

 

「朱乃さん!」

 

 走り出した一誠が勢いよく飛び込み、朱乃が頭を地面に打ち付ける前に両手で受け止める。大事に至らずに済んだが、朱乃の負った傷の箇所を見て表情を蒼褪めさせる。

 掠めた部分からは血が流れているということは無かったが、衣服の裂け目から覗く傷は前面から後ろにかけて大きく抉れており、傷口が炭化しているのか黒く変色していた。元々の肌の白さとの対照のせいで、その傷はより無残なものに映る。

 

「イッセー……くん……」

 

 弱々しい朱乃の声、そして尋常ではない汗の量に、一誠の心臓は鼓動を早める。只でさえ悪魔にとって堕天使の光は有害であるのに、その上であの得体の知れない炎まで受けている。一刻も早くどうにかしなければ、朱乃の命に関わるのは明白であった。

 

『相棒、早く治癒の神器でこの娘を治療しろ』

「ドライグ!」

 

 話し掛けてきたドライグに一誠は自分の左腕に目を向けた。

 

『残り火とはいえあの喧しい魔人の炎だ。見た目からじゃ分からないが、今もこの娘の体の内側に向かって燃えている。俺たちの力を使って傷を治さなければ、その内体の内側が焼け爛れるぞ』

「――マジかよ」

 

 一誠は恐ろしい未来を想像し、それ以上の言葉が出なかった。そしてすぐに朱乃を持ち上げると小猫を治癒しているアーシアの下に走る。

 

「アーシア! 俺の力も貸す! だから小猫ちゃんと一緒に朱乃さんも頼む!」

「はい! お願いします、イッセーさん!」

 

 治癒をしているアーシアの左手に一誠の左手が重なる

 

『Transfer!』

 

 『赤龍帝の贈り物』によって一誠からアーシアに力が送り込まれ、アーシアの持つ『神器』の能力を一気に高める。

 アーシアが放つ翠色の光はその輝きと範囲を更に増し、負傷している小猫と朱乃を包み込んだ。光の中で朱乃の負った傷が徐々に小さくなっていき、血の気を失っていた顔も血色を取り戻していく。

 

「借りものとはいえ、この炎の傷を癒すか。ハハハハ! やはり『神滅具』は侮れないな! いいぞ、早くそいつらを治して立たせろ、そしてもう一度掛からせて来い!」

 

 二つの『神器』による負傷者の治療を、妨害するのではなく寧ろ催促させる。

 コカビエルは想像を上回る治癒の速度を見て、このまま潰すのもつまらないと思い、相手が何度でも戦える様に手を出そうとしなかった。

 

「同時に仕掛けるぞ」

 

 シンと木場に聞こえる程の声量で、ゼノヴィアはコカビエルに挑むタイミングを合わせようとする。

 木場とシンは声に出さず、軽く頷いてゼノヴィアの言葉に同意を示した。

 

「戦いの中で私も『切り札』を使用する。そう覚えておいてほしい」

 

 そう言うと同時にゼノヴィアが駆け出す。木場とシンも反応し、すぐにその後を追った。

 駆けていくゼノヴィアはその最中に、両手で握っていた『破壊の聖剣』を左手へと持ち替え、そしてある言葉を紡ぎ始めた。

 

「ペトロ、バシレイオス、ディオニュシウ、そして聖母マリアよ」

 

 挙げられたのは教会の歴史に携わる偉人たちの名。

 それが何を示しているのか明かされない状態のままゼノヴィアは『破壊の聖剣』を振り上げ、コカビエルに斬り付けようとする。

 一度は軽くあしらった聖剣を懲りずに振ろうとするゼノヴィアを鼻で一笑しながら左手を挙げようとしたとき、コカビエルの目が細める。

 ゼノヴィアが飛び掛かるとほぼ同じタイミングでコカビエルの周囲に無数の聖魔剣が出現し、その切っ先を一斉に向けた。

 

「数で押すか」

 

 それを無駄な足掻きと笑い、コカビエルは左右に掌を向けた。

 

「我が声に耳を傾けてくれ!」

 

 続きの言葉を言いながらゼノヴィアは聖剣を振り下ろす。それを見計らって聖魔剣の群もまたコカビエルに向かって降り注いだ。

 迎え撃つコカビエルは斬り下ろされた聖剣を残る左翼で受け止め、聖魔剣には両掌で放つ光の塊を衝突させた。

 しかしこのとき、コカビエルにとって予想外のことが起こる。弾き返す目的で放った光によって、射出された聖魔剣が次々と砕け散っていく。いくら力を込めて放ったからといって、あまりに脆すぎた。

 

(見てくれだけの張りぼてか!)

 

 そこで木場に一杯喰わされたことに気付く。コカビエルの考えの通り、木場の創造した聖魔剣全て形だけの偽物であった。

 

「この刃に宿りしセイントの御名において我は解放する!」

 

 ゼノヴィアの右手の先に在る空間が歪む。その歪みの中心にゼノヴィアは、躊躇いも無く右手を入れた。

 

「――デュランダル!」

 

 右手を引き抜き、その手に握られているのは『破壊の聖剣』を上回る両刃の大剣。青みがかった金属の剣身に黄金の刃が施されている。その輝きは統合された四本のエクスカリバーを超えていた。

 

「デュランダルだと!」

 

 これにはコカビエルも瞠目する。

 ゼノヴィアは引き抜いたデュランダルをそのまま、翼を斬りつけているエクスカリバーに重ねる様にして振るおうとしたが、コカビエルはこれを真正面から防ごうとはせず、後ろに身を引き回避を優先とした。二つの聖剣をまともに受け止めるのは少々不利と考えての行動であった。

 だがこのとき、コカビエルの意識が目の前のことに最も集中している隙を狙い、追い打ちが仕掛けられる。

 下から囲むようにして突出する魔剣の群。まるで地がコカビエルに牙を向くような光景であった。

 デュランダルのせいで僅かに反応が遅れた為、逃げ場のない状況にされたコカビエル。軽く舌打ちをしながら両手に光の剣を造り、二本の剣で群れなす魔剣を次々と砕いていく。

 ほぼ同じタイミングで放たれたにも関わらず、魔剣たちはコカビエルに触れる前に破壊されていった。

 砕けた魔剣の欠片たちが宙に舞う中、全てを迎撃したコカビエルの視界に映り込んだのは、飛び掛かる二人の人物、シンと木場であった。

 二人の内最初に仕掛けたのは木場、その手に持つ聖魔剣をコカビエルの頭部に向けて振り下ろす。しかし、その斬撃をコカビエルは左掌で受け止め、そのまま剣身を握り締め固定する。だがこれによってコカビエルの片手はすぐに動けない状態となる。

 そこにすかさずシンが右拳を放つ。それを魔炎で包まれた右手で掴み取ろうとしたとき、下から突き上げるシンの左拳がコカビエルの右手首に打ちこまれた。元より狙いをコカビエルの右手に絞っていたらしく、咄嗟ではなく予定調和を感じさせるシンの動き。

 魔炎に触れた部分が瞬時に焼け爛れていくが、左手を捨てる覚悟で構う事無く砕くつもりでシンは拳を振り抜こうとする。

 ここまではシンの考え通りであったが予期せぬことが起こる。振り抜く筈の拳が、打ちつけたまま上がらない。コカビエルの腕力に力負けをしていた。

 

「こんなものか?」

 

 コカビエルの右足が僅かに浮いたように見えたかと思えば、シンの背筋に悪寒が走る。何が来るかと考えるよりも先にその場で素早く身を捩った。直後に胸の前を吹き抜けていく風、その風に触れた衣服の一部は千切れ飛びその下の皮膚に赤い裂傷を刻む。

 風の正体はコカビエルの繰り出した蹴りであった。風が巻き起こる速度で放たれた蹴りは目立った予備動作も無く、動き始めから終わりまで殆ど誤差を感じさせないものだった。

 木場はその間、片手を離しそこに新たな聖魔剣を創り出すと、コカビエルの胴体に斬りかかる。

 

「甘いわ!」

 

 蹴りつけた右足が元の位置に戻ると同時に今度は左脚を持ち上げ、それに合わせて左腕を下げる。聖魔剣の腹が、下から突き上げた左膝と上から落とされた左肘によって挟まれた。

 木場は斬撃を封じられたのを見て別の箇所を狙おうとするが、コカビエルの突き上げられた左脚がそのまま伸び、痛めている木場の脇腹に足裏を埋没させる。

 無理矢理肺から空気を押し出されながら木場は、これ以上踏み留まると骨が折れることを察し、あえて脱力して攻撃の流れに逆らわず、そのまま蹴り飛ばされる。

 横目で木場が飛ばされようとしているのが見えたシン。そこを狙ってコカビエルの右手がシンに突き出された。五指を揃えた貫手が額を貫こうと迫る。

 触れれば焼き尽くされる炎に何度も接触する訳にもいかず、シンは上体を後ろに逸らしてそれを回避し、それと同時にコカビエルの顎目掛けて右足が蹴り上げられる。

 それもコカビエルは見切って足の間合いから後退し、左手に掴んでいる聖魔剣を放り捨て、代わりに光の槍をその手に握る。

 このままシンの攻撃が空振り、コカビエルの反撃を受けるかと思われたそのとき、周囲を舞っていた魔剣の欠片がシンの右足へと集い、そこで新たな聖魔剣が再構築される。

 それによってシンの間合いは聖魔剣の剣身の長さほど伸び、足の甲に吸いつくように張り付かれた聖魔剣が、コカビエルの顎から右頬までかけて裂傷を刻んだ。

 血が滲む程度の傷であるが、反射的に避けたことでコカビエルの体はよろめき、その場から後退する。シンは蹴り上げた勢いでそのまま後転。両手を地面に着けると、木場たちのいる方へと大きく飛び後退した。

 下がった場所にいる脇腹を押さえた木場は痛みからか頬に汗が伝っているが、してやったりといった微笑を浮かべていた。

 

「僕たち三人でダメージ十、といったところかな?」

「作戦も無い行き当たりばったりでやってそれなら上等だ」

 

 シンは右足を上に向けて軽く振り上げると、張り付いていた聖魔剣があっさりと剥がれて宙に飛び、そしてそれは木場の手に収まるのであった。

 

「まさかこの場にデュランダルまで出て来るとは……予想外だった。そんな大層なものを持っているならさっさと見せて欲しかったがな」

「デュランダルはお前が思っている以上に暴君でね。通常の空間に置いてあったら触れるもの全て斬り刻む恐れがある」

 

 斬られた箇所を指でなぞりながら、コカビエルの目がゼノヴィアの持つデュランダルに興味深そうに向けられる。

 以前、部室で交渉していたとき会話の中で漂わせていた、切り札の正体がこれであるらしい。

 

「バルパーの話だと聖剣の因子はデュランダル程の聖剣を扱える段階まで至らなかった筈だが?」

「生憎、私は人工の聖剣使いではなく生まれつきの聖剣使いだ」

 

 それを聞いた途端、コカビエルは火が点いたかのように笑い出した。まるで最高の冗句で聞いたかのようである。

 

「フハハハハハハハハハ! ハハハハハハ! アハハハハハハハ! そうか! 天然の聖剣使いか! しかも上位の聖剣を扱える程の因子を持つ! ハハハハハハハハハ! いやいや、どうやら俺がバルパーの命を奪って正解だったみたいだな! これを聞いていたらあいつは憤死していたかもしれん! ハハハハハハハ!」

 

 心底可笑しい、楽しいというのを現すかのような爆笑。

 

「死してなお哀れな奴だよ、バルパー。お前が超えたかったもの、手に入れたかったものがすぐ近くにあったとはなぁ。まだ魂がここらにさ迷っているなら見えるか! お前が望んだものはここにあるぞ! ハハハハハハハ!」

 

 コカビエルは宙へと視線を向け、バルパーを嘲笑う。

 未だに血は流れ続け顔色は悪くなる一方であり、右手の火は肘近くまで浸食されながらも、その表情に焦りなど微塵もなく、他者への罵倒に時間を割く程の精神的余裕すらあった。

 

「――私の存在が、バルパーが望んだものだと?」

「クハハハ! その通りだ。バルパーの目指すべき場所、すなわちこの世のあらゆる聖剣を操る程の因子を持った聖剣使いの量産だ」

 

 初めて聞かされたバルパーの目的。何処までも私利私欲で研究を進めてきた男の終着点。

 

「そんなことをして一体何になる! 自分を追放した教会への復讐か!」

「『復讐』――恐らくそれは間違いないな、ところで」

 

 コカビエルはそこで話を切り替える。

 

「お前たちは何故、バルパーは聖剣使いに『なる』のではなく『造る』側になったと思う?」

「奴の言葉が正しければ聖剣を扱う程の『因子』を持っていなかったからだ……」

「その答えは間違いじゃない。だがこの世で最も聖剣を愛していると豪語するほど崇拝している男が、自らの体に自分の研究成果を施さなかったと思うか? それこそ危険を減らす為ならば何百の死体も喜んで重ねる男が」

 

 そこまで言われてゼノヴィアたちは言葉を詰まらせる。バルパーとの邂逅は短いものであったが、触れた狂気の一端は並々ならぬものであり、聖剣の為ならば他者も自分も平気で犠牲に出来るような男であった。

 答えの出ないゼノヴィアたちを見てコカビエルは口の端を吊り上げて笑い、これから最高の冗句でも言いたげな表情なる。

 

「あいつには自ら生み出した成果を自分に活かすことが出来なかった。何故ならあいつは『因子』を受け付けることが出来ない特殊な体質を持っていたからな。娘、お前とあいつは対極の存在だ。お前が生まれながらにして聖剣使いになることが約束された存在なら、バルパー・ガリレイは生まれながらにして絶対に聖剣使いにはなれないことを約束された存在。バルパーの方法ならそこいらにいる一般人ですら最低でも1パーセントの確率で聖剣使いになることが可能だが、あいつ自身が同じ方法で聖剣使いになれる確率は天文学的数字以下だ」

 

 そこまで言い終えると、こらえきれなくなったのかコカビエルは額を押さえ、再び哄笑する。

 

「全くもって愉快な話だとは思わないか? 恐らく最も聖剣に執着した男が、最も聖剣から離れた場所にいるとはな!」

 

 コカビエルの言葉を聞いて木場は、死に際のバルパーの台詞を思い出す。

 

『それは私が本当に欲しかったものを手に入れられなかった『持たざる者』だからだ』

 

 あの言葉は自らの先天的欠損からくる言葉であったらしい。

 

「復讐。娘、お前の言った通りバルパーはきっと復讐をしたかったのだろう。だが本当に復讐したかったのは教会でも天使でもない」

 

 コカビエルはゼノヴィアが握る二本の聖剣を見て喉を震わせ、押し殺した声で笑う。

 

「あいつはきっと、いくら自分を捧げようとも応じず報いなかった、聖剣そのものに復讐したかったのだろうな」

「聖剣への復讐……」

「選ばれた存在しか扱えない聖剣を高みから引き摺り下ろし、凡百な者たちでも扱えるようにする。聖剣が持つ高潔を悪徳で穢し、尊厳を凌辱したかったのだろうな、恐らく」

 

 バルパーの本心を推測で語るコカビエルの顔には常に笑みが浮かんでいた。ただ、それはバルパーの人生を憐れむような笑みではなく、その愚行を嘲るものであった。

 

「ただの逆恨みだ……そんなことで多くの犠牲が――!」

「信仰、信奉、愛といった感情は、捧げている本人が裏切られたと感じたならばすぐに反転する。理解できるだろう? お前も教会に捨てられたとき、似たような感情を抱いた筈だ」

 

 的を射たコカビエルの言葉に木場は、咄嗟に反論することが出来なかった。コカビエルの指摘は決して間違いでは無く、現にそれが理由で教会に属しているゼノヴィアやイリナに、敵意を持って接触していたことがある。

 

「まあ、尤も俺が言った例はすぐに実物となって見えるかもしれないがな――」

 

 加虐的な笑みを含ませ、コカビエルの視線がゼノヴィア、そして治療を続けているアーシアへと向けられる。コカビエルの言葉の意味、そしてその視線の意味が何をしめしているのか今はまだ定かではないが、コカビエルはそこで一旦言葉を区切り、左手をゼノヴィアの方へと向けた。

 

「お前がデュランダルの継承者ということは分かった。次は使い手としての実力を見せてもらおうか」

 

 ゼノヴィアに向けた左手の人差し指と親指が重なり、弾きあって乾いた音を鳴らした瞬間、閃光が一直線に走る。放たれた閃光にゼノヴィアはエクスカリバーとデュランダルを十字に重ね合わせた。

 二つの重なった聖剣は互いの光が影響し合い、その輝きを更に深めていくとゼノヴィアの体を包み込む程になるが、コカビエルの光はそれを薄紙でも破るかのように軽々と貫き、構えている二つの聖剣に直撃した。

 金属がたわむような音が響き、防いだゼノヴィアを数歩後退させる。

 それを見たコカビエルは次に右手に槍を形成しようとするが、動き始めようとするシンと木場の二人が目に入り、虫を払うような仕草で左手を振るう。振るった左手から無数の光の鎖が飛び出し、変則的な動きで二人に襲い掛かる。

 下から伸び上がってきた鎖がシンたちの頭上まで行くと、そこから急角度で降下する。シン、木場と共に最小限の動きで躱そうとするが、降ってきた鎖が今度は直角に曲がり二人の首元を狙ってくる。

 しつこく動き、狙いを変えてくる光の鎖に二人は、相手の思惑通りに動いていると理解しつつもその場から大きく移動させられ、ゼノヴィアとの距離が開いてしまった。

 そこにすかさずコカビエルの光の槍がゼノヴィアに投げ放たれた。開戦時に見せた柱のような太さを持った光の槍を前にゼノヴィアは回避するという選択はせず、エクスカリバーとデュランダルを頭上で交差する。

 

「聖剣たちよ! その輝きを以って堕ちたる天使に神罰の一撃を!」

 

 干渉しあっていた輝きはより一層激しくなる。そしてその輝きを維持したままゼノヴィアは迫る光の槍に双剣を叩きつけた。

 光と光が反発し、互いを削り合う様にして、光が粒子の様に場へと散らばっていく。その光に触れないようにシンと木場は光の範囲外まで逃げた。

 最初にあれを防いだときは四人の魔力で相殺するのがやっとであったが、今は同じ光に属する力を持っているがゼノヴィア一人で拮抗している。これだけ見ればまだこちらにも勝てる要素があるかも知れないと思えたが、不意にシンがコカビエルの方に目を向けたときその考えが曇りを見せる。

 コカビエルは自らが放った槍と聖剣とが拮抗する光景を見て、酷く不服そうな表情をしていた。先程のまでの狂気で輝かせ見開いていた眼は冷めたものとなっており、ただ詰まらなそうに目を細めている。

 やがて、交差した聖剣が光の槍を×の字に斬り裂き、完全に消失させたとき、コカビエルはそのまま冷め切った視線をゼノヴィアに向ける。

 

「娘、どうやらデュランダルに選ばれただけで使い手に至る程の経験も技量も無いみたいだな。全く使いこなせていないのがよく分かる」

 

 思わぬ指摘にゼノヴィアは一瞬何かを言い掛けたが、そのまま閉口した。相手の挑発に乗らないようにする為か、あるいは図星を突かれたか。苦いものを噛んでいるような表情から後者の可能性が高いが。

 

「先代のデュランダルの使い手を知っているが、お前とは強さの格が違うな。常軌を逸するとはまさにあれのことをいうのだろう。少なくとも先代ならば先程の一撃、拮抗する間も無く斬り裂き、そのまま俺に刃を届かせていただろうな!」

 

 失望、期待外れといったものが言外に含まれていた。敵に未熟さを指摘されゼノヴィアは感情を露わにすることはなかったが、その頬が少しだけ膨らむ。奥歯を強く噛み、感情を抑えている為であった。

 

「もっと経験を積めば俺に刃を届かせる程の逸材になったかもしれないが、出会うのが早過ぎたな! ここで散れ!」

 

 コカビエルは大きく左手を振り上げ、そのまま弧を描く形をとる。構えた左手は指先から肩に掛けて発光し、力が集まっているのを露わにする。

 コカビエルはその状態の左腕を、残光が見える速度で足下に振り下ろす。三日月の形をした光が地面に触れると、そこから数十メートル程の長さの横の亀裂が生じた。

 コカビエルの行動に誰もが疑問を覚えるが、その数秒後に行動の意味が形となって現れる。

 地面から伝わってくる細かな震動、それを感じ取った次の時に刻まれた亀裂から光が噴き出す。高さ、幅と共に亀裂と同じ大きさの光で出来た壁、それがそびえ立ったかと思えばシンたちに向かって迫り始める。

 光の槍に比べればやや遅いと思えるがそれでも並みの速度ではなく、地面を抉りながら向かってきた。

 左右どちらに避けようとしても間に合うか間に合わないか判断がし辛い範囲を持った攻撃。ましてやこちらには怪我をして動けない仲間が二人もいる。

 悩む時間は殆ど無いにも関わらず、助けるべきかどうかの二択が頭の中で過ぎる。

 そのとき――

 

「三人とも急いで逃げなさい!」

 

 リアスの凛とした声が響く。

 

「この子たちは私が守るわ!」

 

 リアスはアーシアたちの前に立ち、その全身に真紅の魔力を纏っていた。

 リアスの言葉に躊躇しようにもシン、木場、ゼノヴィアでは、後ろにいる一誠たちを救う術は無い。全てをリアスに託し、迫ってくる光の壁を避ける為にその場から全力で駆け出す。

 

「いい? 私の後ろから絶対に離れては駄目よ」

 

 正面を向いたままリアスは背後にいる一誠、アーシア、ジャックフロスト、ピクシーに忠告する。

 

「部長! 少しだけ、少しだけ耐えて下さい!そうすれば俺の『赤龍帝の籠手』で!」

 

 リアスと朱乃に力を贈与した為倍加の状態が既に解けてしまい、再び倍加を開始し始めたが倍加するよりも光の壁が来る方が速い。

 

「大丈夫よ。私の下僕は私が守るから」

 

 僅かの間だけリアスは振り向いて微笑む。そして正面に向き直り、辛うじて光の壁の範囲から抜け出せたシンたちの姿に安堵の息を吐いた後、その表情を引き締め、纏っていた魔力を両手に集め、迫る壁に向けてその両手を撃ち付けた。

 

「くうう!」

 

 体に残る全ての滅びの魔力を光の壁にぶつけたことにより、リアスの周囲が壁を突き破るようにめり込んでいく。ゴムに針を刺す様に、一点だけが動き続ける壁に反して逆らった動きをするが、光の壁もまた反する動きを押し戻すように強引にリアスの力と反発する。

 色も質も異なる力がぶつかり合うが、一見互角かと思えた両者の力は徐々に片方に傾いていく。

 魔力を放出し続けているリアスの両手から、白煙が立ち登り始めていた。未だ放つ魔力に衰えを見せてはいなかったが、リアスの魔力を掻い潜りコカビエルの光がその白い肌を焼いていく。きめ細やかなリアスの手の至る所に赤い火傷のような跡が出来始める。肌の白さと赤い傷が対照的なせいで、より一層痛々しく見える。

 

「部長!」

「部長さん!」

 

 リアスの手が傷だらけになっていくのに耐え切れず一誠とアーシアが名を叫ぶ。

 

「早く! 早く!」

 

 一誠は倍加までの時間を異様に長く感じられた。急かしても焦っても無意味であることが分かっているが、それを口にせずにはいられなかった。

 

『Boost!』

 

 待望の倍加の声が響き、すぐさまそれをリアスに譲渡しようとするがリアスの鋭い声がそれを制止する。

 

「駄目よ! まだ倍加を続けなさい!」

「そんな……!」

 

 思いもよらない指示に一誠は愕然とする。

 

「貴方の力は私に渡すのではなく、コカビエルにぶつける為にとっておきなさい!」

 

 それは必ず皆を守るというリアスの意思表示であった。それを理解してしまった一誠は、血管が浮き出る程、体中に力を込める。そうでもしなければ、すぐにでもリアスの意志に反して力を渡してしまいそうになる。

 

「わかり……ました……!」

 

 左手を強く握りしめながら、絞り出すような声でリアスの言葉を受け入れる。

 

「力を渡されなくてもよく粘る。『魔王〈サーゼクス〉』の名を汚さない素質だな! だが辛かろう! 苦しかろう! どうだ? とっととその背中にある足手まといな荷物を捨てて逃げたらどうだ? 今ならお前一人でも逃げ出せるかもしれんぞ?」

 

 堕ちているとはいえ天使が悪魔に甘言を弄する。その言葉にリアスはコカビエルを睨みつけた。

 

「私の下僕への侮辱は万死に値するわ!」

 

 リアスは怒り、放つ魔力はそれに応じてより勢いを増す。

 

「なら見せてみろ! サーゼクスだけでなく『紅髪の滅殺姫〈ルイン・プリンセス〉』の名に恥じぬ力を!」

 

 コカビエルの左手が何も無い空間を押す。すると光の壁の圧力が増し、更なる負担がリアスの両腕に負荷された。

 

「この、程度で!」

 

 押されるリアスもその圧力に耐えるが、光の壁によってリアスの手は増々傷付いていく。火傷のみならず手の至る所から血が皮膚を裂いて流れ出し、その血も雫となって地面に落ちる前に光の力によって蒸発していく。

 血のニオイを纏いながら必死になって耐えるリアスであったが、その抵抗を妨げる事故が前触れもなく起こった。

 

「きゃあッ!」

 

 リアスが相殺していった筈の光力が弾かれ、運悪くリアスの膝に直撃する。貫く程の威力は無かったが接触した箇所は赤く腫れ、そして光の毒によってその箇所から力が抜けていく。

 膝に力が入らないことでリアスの体勢は崩れ始め、光の壁に押し込まれつつあった。何とか力を込めようとするが、どんなに力を送り込んでも、生まれたての草食動物のように震えるだけでまっすぐ立てない。

 このままでは光の壁を突き破ることも出来ず、それどころか背後に居る一誠たちの命も危機に晒してしまう。

 

「私が、この子たちを――!」

 

 しかし、無情にもリアスの膝が折れていく。完全に防ぐ構えが崩れこのまま自分の下僕の命をみすみす失ってしまうのかと思い、救えなかった自分の不甲斐なさに涙が浮かびそうになったとき――

 

(――冷たい)

 

 折れそうになった膝を支えるひんやりとした感触。

 

(――暖かい)

 

 倒れそうになる背中を押さえる暖かな感触。

 

「まだです部長!」

「ヒーホー!」

 

 押し切られそうになったリアスを支えたのは一誠とジャックフロストであった。ジャックフロストは両手を使って傷付いたリアスの足にしがみつき、頭で後ろから支える。一誠は両手でリアスの背中を押さえ、崩れそうになる体勢を支えていた。

 

「――二人とも! 前に出るのは危険よ! 巻き添えを貰うわ!」

 

 いきなり現れた二人にほんの少し呆然としてしまったが、すぐに二人に下がる様に言う。

 

「力を送らない代わりにここで部長を支えます!」

 

 リアスの言葉を一誠は拒否し、両肩を掴んでその華奢な体の隣に並ぶ。

 

「嫌だホー! オイラはここに居るホー! 守られているだけの王様なんてカッコ悪いホ! 王様っていうのはカッコ悪くちゃいけないんだホ!」

 

 ジャックフロストもリアスの足にしがみつきながら首を横に振った。

 

「いいから早く離れ――」

「聞こえない、聞こえないホー! オイラは王様になるんだから少しぐらい我儘だって良いんだホー! ここからオイラは動かないホ!」

 

 リアスの言葉を遮り、ジャックフロストは断固として動かないという意思を示す。

 

「死ぬかもしれないわよ」

「死にませんよ、部長も俺もこいつもアーシアたちも」

 

 リアスの最後通告にもはっきりとした言葉で一誠は断言した。

 

「俺のご主人様があんなイカレ堕天使なんかに敗ける筈が無いです! それに――」

「それに?」

「俺もハーレム王という夢をあいつに邪魔される訳にはいかないんで!」

 

 生死を賭けた場面においておよそ似つかわしくない煩悩溢れる台詞であったが、それを聞いた途端リアスの疲労一色であった顔に笑みが浮かぶ。

 

「フフフ。本当にスケベな子ね、イッセー。でもそんな貴方だからこそ――」

 

 その言葉の続きは口にしなかったが、リアスの顔付きは凛々しいものへと戻る。

 支えてくれる二つの存在。それが萎えかけていた意志に活力を注ぎ込む。

 

「今は主人として道を切り開くわ!」

 

 呑まれつつあった紅い光がコカビエルの光を逆に呑みこみ始めていく。光の壁の中に紅い光が逆流し、血管のように光の壁の中に浸透していく。

 

「ごめんなさい。後は任せたわ……」

 

 その言葉の後に目が眩むような紅い閃光が学園を照らす。そして紅い閃光の中でそびえ立っていた光の壁が一気に崩壊していく。

 

「部長!」

 

 支えていたリアスの体から一気に力が抜け、掴んでいる一誠の両腕に全体重が圧し掛かってきた。一誠はそのまま抱きかかえ、ゆっくりとリアスの体を地面に寝かす。

 完全に魔力が枯渇したらしいリアスの体は至る箇所に光によって出来た傷があり、特に光の壁を押し留めていた両腕の傷は一段と酷く、見ている一誠も思わず血の気が引いた。

 

「アーシア……部長も頼む」

 

 一誠は慎重にリアスを運び、アーシアの『神器』で治癒を頼み、そのまま向き直ってコカビエルの方へと歩き出す。

 

「ヒホー……」

「お前も部長のことを頼んだぞ」

 

 心配そうにしているジャックフロストの帽子に手を置いた後、左手を固く握りしめ拳を作る。

 

『Boost!』

「コカビエルゥゥゥゥ!」

 

 倍加の声を合図として、一誠は倒すべき敵の名前を叫びながら一気に駆け出した。その左腕の『赤龍帝の籠手』は一誠の感情に反応し、甲の部分にある宝玉が赤く夜の闇を消し去るような光を放つ。

 飛び出した一誠は脇目も振らず、左腕を振り上げながらコカビエルに殴り掛かった。

 決して速いとは言えない動きであったが一誠の拳はコカビエルの頬に叩きつけられ、そのまま殴り抜ける。

 殴られた衝撃で中を切ったのか、コカビエルの口から血が飛沫となって飛び出るが、殴られた当の本人は殴られた頬を歪ませながら、どこか正気の抜けた笑みを浮かべている。

 しかし、そんな表情を介することなく一誠は感情のまま、二発目の拳を繰り出した。持ち主の想いに応じるのが『神滅具』で在る為、最高潮まで感情を昂らせた一誠は普段以上に『神滅具』の能力を引き出している。

 二度目の打撃音。しかし続いて上がったのはコカビエルではなく一誠の呻き声であった。

 

「中々重いな。芯まで響いたぞ」

 

 一誠の左拳に肘が当てられていた。二発目の殴打に合わせ、コカビエルの右肘が叩きつけられたのだ。一誠の拳が最大の威力を発揮する一歩前に振り下ろしたコカビエルの右肘は、一誠の人差し指と中指を的確に狙い、『赤龍帝の籠手』越しに中の骨を折っていた。

 痛みで一誠の体が硬直した間に、手慣れた動作でコカビエルの炎上する右手が一誠の左手首を掴み、左手が喉を掴む。

 

「く、そ……!」

 

 掴む手に爪を立て必死に抵抗しようとするが『神滅具』を装着されていない方では抵抗もたかが知れていた。

 

「さっきハーレム王になりたいと騒いでいたが、女をはべらかせることを目標にでもしているのか、赤龍帝? 煩悩をここまで力に昇華出来るとはな、稀に見る赤龍帝だ」

 

 感心しているのか馬鹿にしているのかはっきりとは分からないコカビエルの言葉であったが、受けた拳の一撃の重さについては正直な感想らしく、その証拠に喋りながらも何度か噛み合わせを確かめるように、下顎を左右に動かしていた。

 

「その眼、随分と活き活きとした輝きを持っているな。クククク、そうした眼をする奴を見ると戦争のときを思い出す。昂ってくるな――お前たちにも理解できるか?」

 

 一誠に語りつつもシンたちの僅かな動きを察し釘を刺す。一誠が捕らわれている状況でこうも簡単に察知されてしまったのならばシンたちも下手に動けない。

 

「知っているか? 怒りの声、哀しみの慟哭、むせかえる血のニオイ、死体から沸き立つ死臭、昂揚していく心臓音、絶え間なく続く痛み、それすらも消し去る快感、それらが全て混ざって出来上がるのが『戦争』だ。ハハハハ! いいなぁ! 欠けたピースが埋まりつつありどんどん戦争らしくなっていく! ククク、ハハハハハハ! 混ざれ混ざれ混ざれ混ざれ混ざれ混ざれ混ざれ混ざれ混ざれ混ざれ混ざれぇぇぇ!」

 

 常人には理解出来ない狂人の境地。吐き気を催す邪気を当てられながらも一誠は気力を奪われる事無く真っ直ぐコカビエルを睨みつけ――

 

「この、サイコ、野郎!」

 

 ――悪態を吐く。

 

「そう言えばまだこの戦争に欠けたピースがあったな……」

 

 未だ闘志を失わない一誠を好ましくも嬲るような目線を向け独り呟く。

 

「それはお前に埋めてもらおう――『断末魔の叫び』をな!」

 

 一誠を中心にして光が集まる。そしてそれらは束ねられ光の一柱と化し、一誠の体を光の中へと閉じ込めた。

 

 

 

 

 静寂に満ちた空間。その中で語る事無く目の前に置かれたカップの紅茶を飲む三人の姿。

 ただカップがソーサーに置かれる音が時折響くだけであり、この空間はほぼ完璧と言っていいほどの無音であった。

 その静けさがいつまでも続くかと思われたとき、ハンチング帽を被った金髪の青年――ベル――がその静寂を破る。

 

「このままでは彼は消えるね」

 

 呟いた声に反応するかのように、カップに摘んでいた金髪の少年――ルイ――が、カップの中で揺れる琥珀の波紋を感情が浮かべていない瞳で眺めていた。

 只一人ゴシックロリータ調の黒いドレスを着た少女のみ、この場において特に関心を寄せることなく、他の二人とは違い、紅茶のカップを口に運んでいた。

 

「君はこのままでいいのかい? オーフィス」

「ここで消えても、ドライグ、いつか蘇る。いつものこと。だから、何もしない。いつもの天龍。でも、ヴァーリだったら、手を貸す、かも。ヴァーリ、アルビオン、少しずつ、違っている。我、不思議」

 

 オーフィスは一旦手を止めて答えた後、すぐに元へと戻る。

 

「君はどうする?」

 

 ベルがルイに尋ねる。ルイは紅茶のカップを見つめたまま口だけを動かした。何か喋っているのは分かるが殆ど言葉になっておらず、擦れたような音しか聞こえない。しかし、ベルは彼が何を言っているのか理解し頷く。

 

「そうだね。旧い友人が目を掛けた存在だ。少しだけ手助けをするとしよう」

 

 ベルは、目の前に置かれていたカップの端を指先で軽く弾く。その衝撃で中の紅茶は波打つ。

 その紅茶の表面には一誠の姿が映り込んでおり、その映像を中心に向かって波が集まっていくのであった。

 

「頼んだよ。君の友人もまた、僕の友人であるからね」

 

 

 

 

 最初に異変に気が付いたのはコカビエルであった。光の中に閉じ込めた一誠を掴んでいるが、その中からいつまでも感触が消えない。

 通常の悪魔ならば数秒も経たずに消滅する光の中で、いつまでも形を留めている。

 それを不審に思い更なる力を注ぎ込もうとしたとき。光の柱が内側から崩壊する。そして代わりに赤い光の柱が中から現れた。

 

「何だと――」

 

 意外な展開に僅かに戸惑うコカビエル。掴んだ手を引き、光の中から一誠を引き摺り出そうとしたとき、爆ぜる様な音が響く。

 その音が鳴ると同時にコカビエルは光の中から左手を抜く。掴んでいた筈の手は五指全て、本来向く筈の無い方向を向いていた。

 そして、光の柱の中を突き破り飛び出してくる存在。頭から爪先まで覆う龍の意匠が施された紅い鎧。

 

「『禁手化〈バランス・ブレイク〉』……だと!」

 

 代償を払いライザー・フェニックスとの戦いで見せた、『赤龍帝の籠手』の更なる発展系『赤龍帝の鎧〈ブーステッド・ギア・スケイルメイル〉』が、再びこの戦場に姿を現した。

 

 




バルパー、コカビエルに関してかなりオリジナルの設定を加えてしまいました。
バルパー、コカビエルファンの人がいたら御免なさい。

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