ハイスクールD³   作:K/K

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両断、業火

 巨大な光の槍とリアスたち四人の技が触れ合ったとき、学園全体が白一色に染まる程の閃光が発せられる。リアスたちの攻撃はコカビエルに届かなかったが、コカビエルの攻撃も又リアスたちに届いてはいない。

 お互いの先制は互角。だがまだ戦いは続いている。光が周囲を満たす中を走る二つの影。光が収まると同時にその影は左右から同時に飛び掛かっていた。

 右から迫るのは小猫。その小さな体躯から繰り出される渾身の一打がコカビエルに放たれる。左から攻めるのはゼノヴィア。振り上げた『破壊の聖剣〈エクスカリバー・デストラクション〉』をありったけの力で振り下ろす。

 片や『戦車』の一撃、片や『聖剣』の一撃。並みの存在ならば絶命は確実。だがそれを見たコカビエルの反応は――

 

「温い。その一言に尽きる」

 

 一笑。小猫の正拳を左掌で容易く受け止め、ゼノヴィアのエクスカリバーを右手の指二本で挟んで防ぐ。あまりに簡単に防がれたことに二人は驚愕した表情となるが、コカビエルはそんな二人の心の隙を逃さず、まず手始めに掴んでいる小猫の拳を光力で蒸発させてしまおうと考え、力を込めようとしたときに迫る気配を感じ取った。

 掴む手を放し引いた瞬間、先程までコカビエルの腕があった場所を高速で通過する人の踵。目を向けるとそこには、いつの間にか接近していたシンが立っていた。

 近付く手間が省けたと言わんばかりにコカビエルは笑みを深め、踵落としなどという派手な蹴りを使用して、体勢を戻す為に隙を生じさせたシンに向けて手を伸ばそうとしたが、今度は右側から狙われていることに気付く。

 背中から生える五枚の左翼を束ねて防御の姿勢を取ると、一瞬遅れて左翼全体に衝撃が走る。攻撃の主は『赤龍帝の籠手』を突き出した一誠であった。

 倍加を限界まで高めた一誠の拳はそれなりの威力があったらしく、コカビエルの表情は変えられなかったものの、その場から二、三歩ほど後退させることが出来た。この間にシンは小猫の肩を掴んで後ろへ下がり、一誠もまたゼノヴィアを後ろから羽交い絞めするような格好で力の限りひっぱり、掴まえられていた聖剣をコカビエルの指から強引に引き離して、シンたちと同様に下がる。

 シンたちが一定の距離を開けたのを見計らって、後方で待機していたリアス、朱乃、ピクシー、ジャックフロストが、一斉に溜め込んでいた魔力を放つ。滅びの力を持つというリアスの魔力弾、朱乃とピクシーが、共に得意とする雷の力を合わせ、空から落雷のようにして雷を触らし、大口を開いたジャックフロストの口からは絶対零度の息が吐き出された。

 それらを一身で受け止めるコカビエル。しかし拮抗する間も無く、胸の前で交差した腕を勢いよく振るうと、その腕の動きに沿って力は左右に割れ、校庭に大穴を開けた。

 

「甘い、甘い」

 

 嘲笑を浮かべながら肩を揺らすコカビエル。口では一連の動きを見下すような発言をしていたが、内心では思った以上の手応えを感じていた。

 最初に受け止めた小猫の正拳。若輩の悪魔であるが『戦車』の特性と合わさって、中々の膂力であった。実際、受け止めた左手には微かに痺れを感じている。そして受け止めた際に微かに感じ取った小猫が放つ魔力、例えるならそれは獣のニオイのようであった。少なくともリアスの『戦車』が、人から成りあがった悪魔でないことにコカビエルは気付く。

 

(ライカンスロープ、あるいはこの国固有の獣人か……)

 

 伸びしろを感じさせるが、少なくとも今の自分を倒すにはまだ実力も経験も不足しているとコカビエルは評価する。

 次に右手でわざわざ挟んで受け止めたゼノヴィアの『破壊の聖剣』。相手との実力差を見せ付ける為ではなく、右腕で受け止めること、すなわち直接刃を受けることを危険と察したがゆえの咄嗟の行動だった。以前に受けたイリナの『擬態の聖剣』を上回る程の威圧感を放つ『破壊の聖剣』、まともに受ければそれなりの傷を負うことを良しとしなかった、コカビエルの判断であった。

 そしてその後、ほぼ同時に攻め込んできたシンと一誠の連携。小猫にコカビエルの意識が傾いた絶妙のタイミングでシンが仕掛け、否が応にもそちらに注意が向けられた瞬間に攻撃の第二波が襲い掛かる。両者とも連携自体は悪くなかったが、どちらも存在感を完全に消し去ることが出来ず、事前に察知出来ていた。少なくとも幹部級の堕天使には通じないが、それ以下ならば一撃ぐらいは完全に入っていただろうという評価を下す。

 最後にまとめて放ってきた魔力の同時攻撃。現魔王の妹であるリアスの実力は若手の悪魔として申し分の無いものであったし、もう一人のそれなりの因縁がある悪魔、朱乃の雷もそれなりの威力があった。

 コカビエル自身は直接の面識は無いが、風の噂で朱乃の素性は把握していた。直接顔を見て、その魔力から繰り出される雷を受け、確かにその技から同胞の顔を思い浮かべる。

 

(これを殺せば奴も怒り狂うだろうか……ああ、彼奴と一戦交わすのも一興だな。そのときお前はどんな顔をする? バラキエル!)

 

 仄暗い感情を胸の奥に宿しながらコカビエルは、まだ見ぬ未来を思い喉の奥で笑う。暇つぶしと言えどこうも粒揃いとなると、自然と心が躍り『殺意』が滾ってくる。

 そのとき、コカビエルの耳にある異音が届く。金属が衝突し砕ける音。それを聞きコカビエルは、別の戦いに終止符が打たれたことを悟った。

 

 

 ◇

 

 

 リアスたちの魔力とコカビエルの光の槍が衝突するほんの少し前。木場の振るう聖魔剣と、フリードの振るうエクスカリバーが火花を散らし合っていた。

 フリードが上段からエクスカリバーを打ち下ろすが、それを難なく聖魔剣で受け止める木場。すると受け止められたエクスカリバーが分裂し鞭のようにしなりながら、木場の首を刈り取る為に空を裂いて迫る。だが木場は眉一つ動かさないどころか眼球をフリードに向けた状態で、迫る刃が当たる直前に姿勢を沈め、数本ほど頭髪が宙に舞うが紙一重で避ける。

 そしてその状態からフリードの脛を爪先で蹴りつける。その痛みでフリードの動きが一瞬硬直したのを見ると、受け止めている聖魔剣の刃をエクスカリバーの刃の上で滑らせながら向きを変え、柄頭の部分でフリードの胸の中心を強打した。

 

「ごっ!」

 

 柄頭がめり込みフリードの目は見開かれるが、フリードの次にとった判断は早いもので、押される勢いを殺さず、その勢いに乗ることで威力を削ぎ、骨へのダメージを軽減させた。

 

「チィ!」

 

 露骨に舌打ちをするフリードに、木場は間髪入れずに追撃を繰り出す。股下から上に向けて聖魔剣を振り上げると、それに反応しエクスカリバーの腹で防ぐが、胸部に一撃を受けているせいか反応が僅かに鈍い。常人から見れば殆ど差が無いものに見えるが、刃を交えている木場の視点から見れば明らかな遅れであった。ただその反応の遅れは数十分の一程度のものであり、まともにダメージを受けた直後の動きとしては敵ながら木場も大したものであると密かに感心させた。

 斬り上げた聖魔剣が防がれるとすぐに木場は持ち手を返し、刃の向きを変えるとそのままフリードの大腿部に斬りかかる。狙われた箇所をすぐさま把握したフリードは、脚を後ろに引くと同時にエクスカリバーを地面に突き立てる様にして防ごうとするが、それこそが木場の狙いであった。

 ダメージを負った体。それによる動きの遅れ。その為少しでも遅れを埋めようと反射的にいつも以上の力が肉体に負荷される。しかし、その負荷は次の動きに移る為の重荷に繋がる。

 木場は大腿部に向けて放った聖魔剣を急停止させるとそのまま直角に振り上げる。木場のフェイントに乗せられたと知ったフリードは焦燥とも呼べる表情を浮かべ、すぐに防御の体勢に移ろうとするが、大きく引いた脚や無理に構えたエクスカリバーがそれを阻害する。

 木場が聖魔剣を振り下ろす。剣先が服へと喰い込み、容易くそれを斬り裂くと、その奥にある肉体に刃が沈んでいく。特殊な加工を施し、防弾防刃に優れた神父服をも裂く聖魔剣の刃の前では、人の体など紙よりも簡単に裂いてしまう。

 自分の体に沈んでいく刃の冷たい感触が脳へと流れ込んでいく。そしてそれがフリードの生存本能に強く訴えかけたとき、フリードの体は生きる為になりふり構わずに動く。

 地面に付いている部分である両足、地に接着しているエクスカリバー。それをとにかく我武者羅な力で動かし、少しでも早く体から刃を遠ざけるようにする。両足はあらん限りの力で地面を蹴飛ばし、エクスカリバーの先端を地面に勢いよく刺し込み、その反動で体を後方に動かす。

 体に沈む刃が深く食い込む前に、フリードは後方へと倒れ込む様にして体から刃をむりやり離すと、そのまま後転して何とか木場との距離を稼いだ。一見すると無様とも言える回避方法であるが、斬った瞬間に手応えを感じていた木場からすれば、体が裂かれる前に逃げ延びたフリードの反射神経と生への執着は、舌を巻くものであった。

 校庭を転がり土で髪も服も汚れた状態となったフリードは、片手でエクスカリバーを向けたまま空いた方の手で傷口を押さえ、何とか乱れた呼吸を整えようとしている。座った状態ですぐに立たないのは、木場から受けた傷が決して軽くないものであることを示していた。

 向けられたエクスカリバーは最初の方と比べれば、その剣身から放つ輝きが鈍くなっている。原因としては聖魔剣との打ち合い、あるいは使い手であるフリードの消耗などが考えられる。

 フリードは屈辱で奥歯が割れるのではないかという程強く噛み締めながら、このまま木場の聖魔剣と延々打ち合い続ければどうなるかを考えていた。木場は息一つ乱れておらず、汗もかいていない。対する自分は荒い呼吸、そして焦燥と重圧からか絶えず汗が流れ続けている。

 フリードは横目でバルパーとコカビエルの様子を見た。バルパーは木場とフリードの方へと顔を向けているが、視線はどこを向いているのか分からず、何かしきりに呟きながら自分の世界に入り込んでいた。一方のコカビエルは完全にこちらの方を意識しておらず、リアスたちの方を注目していた。今の自分に外野からの手助けは一切無い、そのことを深く理解する。

 

「あー、いやだいやだー、何が悲しくてクソ悪魔相手に血塗れ泥まみれの屈辱塗れにならないといけないんですかねぇー?」

 

 短い時間で嫌と言う程に味わう敗北感と屈辱。ここまで来ると怒りも飽和し、変な笑いが込み上げてくる。その衝動に逆らう事無く笑みを浮かべるフリードであったが、その笑みを向けられた木場は警戒を強める表情をした。

 フリード本人は笑っていると思っているが、実際に浮かんでいる表情は笑みなどとは表現できるようなものではなく、顔の至る所が細かく痙攣して、左右非対称の形容しがたい歪な表情を造り上げていた。

 

「……はは、ははは。木場きゅーん、ちょっとこの展開は酷すぎません? 俺様この無敵の聖剣様を手に入れて一度も無双シーンが無くてどれもこれも負けっぱなしが続いてるんだけど? ちょっとボクゥかませすぎじゃありません? ……ということで最初からやり直しましょう! すいませーん! テイク2お願いしまーす!」

「例え何度やり直そうとも同じだよ」

 

 道化のような芝居をするフリードに冷たく突き放すような木場の声が刺さる。

 

「百回だろうと千回だろうと君は同じ結末を辿る。君とそのエクスカリバーでは僕たちの剣は折れない」

 

 フリードはぴくりとも動かなかったがその眼だけは異様な輝きを放っており、血走った眼力を木場に向けてから呪詛の様に重々しくしゃがれた声を出す。

 

「――図に乗ってんじゃねぇよ、このクソが……僕たちの剣? 悪魔と死人の青春ごっこにゃあ反吐が出るぜ……もういいや」

 

 決心したようにフリードはポツリと言葉を洩らす。

 

「もういい、もういい! もういい! この後間薙くんもイッセーくんも斬り刻んでやろうと思ったけど全部ボスに譲るわ。もうお前だけのことしか考えねぇ」

 

 普段の甲高い声で早口で捲き立てるフリードの口調とは違い、ひどく平坦な喋り方をしながら立ち上がると、傷口を押さえていた手を放しそのままエクスカリバーを握る。

 

「ありったけ、ありったけ注いで、てめぇは殺す!」

 

 その宣言と同時にエクスカリバーは再び輝き始める。それも最初のときを大きく上回る程の光。それはフリードに組み込まれた因子を全て流し込んだことによって生まれた光であった。後先のことを考えず、ただ木場を斬り殺すことのみに全てを集中させるフリード、その尋常ならざる殺意は、放つ光を通じて木場へと伝わってくる。

 

(ここまで誰かに殺意を持たれたのも初めてかもね)

 

 渦巻く殺意を一身に浴びながらも、木場の視線はフリードから外れない。冷たく肌に突き刺さる殺気、常人ならば意識を手放してしまいそうになる恐怖を体験するであろうその中で、木場はひたすら心を静め、次に来るフリードの攻撃に備えていた。

 

「伝説って大層な言葉で飾られてるんだからちったぁその部分見せてみろやぁ!」

 

 エクスカリバーの光がフリードを包み込む。そして、そのフリードの言葉に応じる様に、エクスカリバーがその内に秘めた能力を完全に開放する。

 

「これは……」

 

 言葉を失う木場の前で、光に包まれたフリードの体が、焦点がずれたかのように何十にも重なって見える。その重なった部分は左右に展開すると、そこに新たなフリードが立っていた。更にそこから数を増やしていき、やがてフリードの数は二十に達する。

 

「……厄介だね」

 

 フリードの分身に囲まれながら木場は苦い表情をした。おそらく分身を生み出したのは『擬態の聖剣〈エクスカリバー・ミミック〉』と『夢幻の聖剣〈エクスカリバー・ナイトメア〉』の能力を掛け合わせたもの。ただの分身ならばともかく、目の前に立つ分身一つ一つからは、本人と区別がつかない気配が放たれている。そしてこの状況を悪化させているもう一つの要因として、目の前に立つ分身の数以上の気配を木場が察知していたことである。

 少なく見積もっても、見える分身と同じ数程の、姿の見えない気配が取り囲んでいた。二つの聖剣の能力に『透明の聖剣〈エクスカリバー・トランスペアレンシー〉』を上乗せした不可視の分身。それら全て『天閃の聖剣〈エクスカリバー・ラピッドリィ〉』の速度が備わっているのかと想像すると、意識せずとも額から汗が流れてくる。

 フリードは今、全てのエクスカリバーの能力を完全に操っていた。

 

『こんだけてんこ盛りしたエクスカリバーに斬られるなんてお前はしあわせもんだぜぇ! 涙流して感謝しろぁぁぁぁぁぁ!』

 

 声が重なり合い反響したように聞こえる。フリードたちはそれぞれ違う構え方をし、今まさに木場へと斬りかかろうとしていた。

 

(この中のどれかが本体だけど、見極めることが出来るのか……)

 

 フリードが襲い掛かる直前の限りなくゼロに近い時間の中で、木場の思考は熱を帯びる程の速度で回転する。目に見えるフリードと見えないフリードの剣戟を切り抜けて本体を斬る方法。それは何か、そんな手段はあるのか、窮地というべき瞬間であっても木場の思考は停止せず、勝つ為に生き残る為にあらゆる可能性を探り続ける。

 やがて限られた時間がゼロに至ろうとした、そのとき――

 

『――――――』

「ッ!――いくよ!」

 

 先に動き始めたのはフリードでは無く木場の方からであった。重心を低くした体勢から『騎士』特有の脚力を全開にして一気に加速、群れなすフリードたちに向かっていく。

 エクスカリバーを構えたフリードの一人が、突っ込んでくる木場に向かって聖剣を振り下ろす。しかしその聖剣は体を通過するだけであり、木場が傷を負うことはなかった。

 フリードの幻であることは間違いなかったが、その刃が通過する直前まで本物と何一つ変わらない存在感を放っている。幻だと分かっていても、木場の心臓は無意識に鼓動を早めてしまう。肉体への損傷は皆無であるが、精神の摩耗は想像以上のものであった。

 また別の刃が体を突き抜けていく。あまりに現実味が有り過ぎて、本当に刺されているのではないかと脳が錯覚してしまう程の分身。それだけに留まらず、不可視の分身から繰り出される斬撃も気配の察知に長けた木場には鮮明に感じられ、冷たい感覚を浴びる程体感していた。

 それでも木場は、その身に幻影の刃を受け続けても脚を動かすことを止めず、狙い定めたかのように複数存在するフリードのうちの一人に向かって最短距離で迫っていた。

 最奥にいるフリードの一人。その右腕には前の戦いで、シンによって刻まれた傷が刻まれている。他の分身も同じ傷を負っているが、他の分身とは異なる点が一つだけあった。それは右腕から流れる血、それが地面に点々と染みを作っていく。

 どんなに精巧な分身であっても負った傷の流血までは再現できないらしい――

 やがて無数の刃を掻い潜り木場はそのフリードの前に立つ。

 

(――なーんていうこと考えてんじゃないの?)

 

 そんなことを考えながらフリードは、木場が正面に立つ流血をしている分身の近くで、身体を透明にしながら息を潜めていた。

 木場の前にいる分身は、わざわざ本物と見間違えるように細かい調整を加えた、ただの分身の一つに過ぎなかった。本物はそのすぐそばで、木場が偽物を斬るときに出来る最大の隙を狙い姿を隠している。

 本物も偽物と同じく流血をしているが『透明の聖剣』ではそれすらも見えなくし、『擬態の聖剣』と『夢幻の聖剣』の分身は限りなく本物に近い偽物を生み出す。フリード自身ここまで繊細に能力を使いこなせるとは思ってもいなかったが、そのことについて今は深く考えるつもりは無かった。この後すぐに起こるであろう木場を斬殺する光景の方が、フリードにとって重要であった。

 

(お友達が作った抜け道に感謝しながら死ねるんだから幸せだろう? だって君達大好きだろう友情青春遊びがさぁ!)

 

 聖魔剣を振りかざした木場が囮の分身に斬りかかろうと一歩踏み込む。最大の一撃を放つために出来る大きな動き。この瞬間をフリードは待っていた。

 

(青臭い友情ごっこでぶっ殺されな!)

 

 釣られる木場に侮蔑の言葉を胸の裡で吐きながら、フリードはエクスカリバーで木場の首を斬り飛ばそうとした――

 ――そのとき聞こえる砂利の擦れる音。あろうことか側面を向いていた筈の木場が、本物のフリードを正面に捉えていた。

 虚を衝くつもりが、突然木場が踏み込んだ足を軸にして向きを変え、見えない筈の自分をまるで見ているかのように動いたせいで、逆にフリードが虚を衝かれる。

 

(なんで? 何故? Why? どうして? どうやって?)

 

 頭にいくら疑問を並べても答えは出ない。木場は軸足の回転と同時に横薙ぎに聖魔剣を振るう。

 何も無い空間で散る火花と響く金属音。そしてエクスカリバーを握るフリードには、それ以外の音が剣を伝わって体の芯に響いてくる。

 耳を凝らさなければ聞こえない小さな音。だがあってはならない音。エクスカリバーの亀裂音。それが体の奥に響くと、狂気によって浮かされた熱が一気に奪われていく。

 

(マジかよ……マジかよ! マジですかよぉぉぉぉぉぉ!)

 

 どんなに現状の否定を望んでも変わらない現実。フリードの絶叫も空しく消えるだけであった。

 木場が高々と聖魔剣を掲げる。月の光を浴びて輝くそれは、フリードの握るエクスカリバーの輝きが霞む程の光を放っていた。

 そして木場は剣を振り下ろす。そこにかつての自分と同志たちへの無念を込めて、今の仲間への感謝の意を込めて、自分を支えてくれた全ての者への祈りを込めて。

 木霊する破砕音。

 その直後に透明化していたフリードが姿を現す。

 

「……かぁー、酷い結末だ」

 

 毒づくフリード。その右腕は肘から下が無く、切断面からは夥しい量の血が流れ続け、足下に血の池を作っていた。そして出来た血の池に横たわるフリードの右腕。その手にはエクスカリバーが握られているが、エクスカリバーの剣身は半ばで折れていた。

 やがて木場の足下に、旋回しながら落ちてきた物体が突き刺さる。それは折られたエクスカリバーの残りの部分であった。

 木場は空を仰ぐ。

 

「僕らの力がエクスカリバーを超えたよ……」

「浸っている……ところ悪いが……一つ聞いていいですかい?」

 

 話し掛けたフリードの顔は大量の血液を失っている為、血の気は無く死人のような顔色をしていた。

 

「何で……俺っちの居場所が分かったの……」

「――聞こえたんだよ」

「聞こ……えた?」

「『ここにいる』って誰かの声が。もしかしたらエクスカリバーが僕を呼んだのかもね」

「……はっ! なんだそりゃ」

 

 フリードは鼻で笑うと、自ら作った血溜まりの中に倒れ伏す。

 

「自分の武器すら……敵だったら……勝てる訳無いっつーの。あーあ……折れたものを……再利用したのが不味かったかねぇ……じいさん……こいつはとんでもねぇ不良品だったよ……まあ、これで……俺様も……一つ大人に……」

 

 最後まで言い切ることはなくフリードは沈黙した。最初から最後まで軽口を止めない男であった。

 木場は折れたエクスカリバーを一瞥してからバルパーの方に向かう。超えるべき聖剣を超えた達成感に浸るよりも先に、まだ木場にするべきことが残っていた。

 当のバルパーはフリードが敗れたことも、エクスカリバーが破壊されたことすら眼中に無いのか、ひたすら自分の世界に入り、独り考えに没頭していた。

 

「聖と魔の同一……それが意味するのはあるべきバランスの崩壊……つまりそれが意味するのは……」

 

 木場が目の前に立っていてもバルパーは見向きもせず、ひたすら独り言を呟いていた。

 

「バルパー・ガリレイ……覚悟してもらう」

 

 殺気と共に聖魔剣の先を向ける木場であったが、バルパーがそれに対し見せたのは恐怖では無く、自分の思考を妨げる雑音を放った、木場への怒りの表情であった。

 

「静かにしろ。考えが途切れる。今一番良いところなのだ。この考えが正しければ私の研究はより飛躍し、更なる良質の聖剣使いを生み出すことが出来る」

 

 窮地に立っても考えるのは聖剣のことのみ。最早全ての事柄、自分の命すら二の次であり、何時如何なる時でも聖剣のことしか考えない。それは狂気と表現していいものであった。

 

「どうしてそうも聖剣のことしか考えない! どうしてその為に軽々と命を犠牲に出来る! 何故……何故、お前の為に多くの悲劇が生まれる!」

 

 怒りを露わにしてバルパーを批難する木場であったが、返ってきた答えは恐ろしく平坦で、冷めきったものであった。

 

「それは私が本当に欲しかったものを手に入れられなかった『持たざる者』だからだ」

「『持たざる者』だって……?」

「どんなに手を伸ばしてもどんなに他のもので埋めようとも決して満たされない。――理解出来ないと思ったかね? それで結構。恥も外聞も無く言おう、君のような存在を例え千、万、いや億生み出してでも私は満たされない部分を満たしたいのだよ。分かるかね? 君達は所詮私を満足させる為の道具。ただそれだけだ」

 

 後悔、罪悪感、後ろめたさ。そういった感情の一片も感じられない無慈悲な言葉の羅列。

 臆面も無く言い切ったバルパーの前で、木場は無言で剣を振り上げた。これ以上言葉を交わすことの無意味さ、その口から吐かれる毒で同志たちの死をこれ以上汚されるのに耐え切れなかったからである。

 振り上げた聖魔剣。バルパーを斬る直前に感じる剣の重み。それは木場が今まで生きてきた中で経験したことが無い程軽いものであった。

 そして木場が剣を振り下ろそうとしたとき――

 

「木場ッ!」

 

 殺意で滾る脳を一気に冷ます声。誰の声か分からなかったが、それは木場の行為を咎めるものではなく、何か危険を伝えるものであった。

 声が耳に入った瞬間、それに応じるかのように体は動きを急停止させる。その直後、バルパーの胸から突如光の槍が飛び出してきた。持ち前の反射神経で咄嗟に上体を後ろへと逸らす。そのおかげで槍の先は木場の制服に触れるか触れないかという、寸でのところで止まっていた。

 光の槍で貫かれたバルパーは胸から光の槍を伝わって大量の血を流しながらも、背後へと顔を向ける。

 

「コカ、ビエル!」

「お前との暇潰しもそれなりに楽しかったがここまでだ。せめてお前の自慢のエクスカリバーを砕いた奴を葬ってやろうとしたが、中々都合よくはいかないな」

 

 血を吐きながら悪鬼の形相で睨むバルパーであったが、コカビエルは特に悪びれた様子も無く、薄らと笑みを浮かべていた。

 

「貴様の、せいで思考が三秒も、止まってしまった……だが考えは纏まった、聖魔剣の存在、魔王も神も――わけ、だな。どう、だ?」

「一つのイレギュラーでそこに至ったか。死ぬ間際でも思考を止めないお前のその執念と狂気、人間にしてはかなり気に入っていたぞ。褒美に教えてやる、正解だ」

 

 何かの答えに到達したバルパーは血を吐きながら結論を言う。肝心な部分は聞き取れなかったが、コカビエルはその答えを知っていたのか、どこか愉しそうな表情でバルパーの結論を肯定する。

 それを聞いたバルパーは限界に達したのか、そのまま地面へと倒れ動かなくなった。木場が動かなくなったバルパーの首筋に手を当て生死を確認しようとしたとき、いきなりバルパーの手が木場の腕を掴む。腕から伝わってくるのは、死に掛けの老人とは思えない程の力であった。

 

「また……会おう……」

 

 最後にそう言い残し、掴んでいる手から力が抜ける。倒すべき仇敵であるバルパーの死。それは木場にとってわだかまりが残るものであった。

 

「バルパーは貴方の仲間じゃなかったのかしら?」

 

 仲間を切り捨てる行為そのものに対し怒りを露わにし、全身から赤い魔力を噴き出すリアス。だがコカビエルは怒るリアスを一瞥すると一笑する。

 

「仲間? 隣に立ち同じ目的に向かえばお前の基準で仲間なのか、リアス・グレモリー? 成程、情に厚く慈悲深いことだ。あまりの慈悲深さに涙が出そうだ、片腹痛くてな」

 

 リアスへの愚弄。咄嗟に言い返そうとするが、有無も言わさないコカビエルの重圧が場を押さえ込む。

 

「俺もバルパーも所詮は互いの利益で動いていたのみ。そもそも最初からエクスカリバーの統合までが俺の手助けする範囲でな、それ以降は俺の範囲の外のことだ。まあ、統合したエクスカリバーの出来が良かったのならばもうすこし付き合っても良かったが、それも折れてしまったらこれ以上付き合う義理も無い」

 

 尤もあいつの残したものは有効に使わせてもらうがな、と言ってコカビエルは指を鳴らす。するとバルパーがエクスカリバーを統合させる為に使っていた魔法陣が再び輝き始めた。

 

「その魔法陣はこの街の各所に仕込んだ術式と繋がっている。そして魔法陣の媒体には俺の力が混ぜ込んである。つまり俺と魔法陣とも繋がりがあるという訳だ。これが何を意味するか分かるな?」

 

 考えるだけでも最悪に近い展開である。術式を造り出したバルパーは死んだ、だがそれを起動させる鍵はコカビエル自身に移ったということとなる。

 

「フハハハハ! 安心しろ。少なくともお前たち全員が動けなくなるか、戦意を喪失させるまでは術式は発動しない。つまりお前たちが死ぬまでに俺を倒せばいいということだ。やる気が出て来ただろう?」

 

 コカビエルは手招きし、リアスたち全員を挑発する。

 

「さあ来い! 死力を尽くしてみろ! 己の限界を全て絞り切ってみせろ!」

 

 開かれた十枚の黒翼が羽ばたき、校庭の砂が舞い上がる。

 

「俺を燃えさせろ!」

 

 撒き散らす圧倒的な戦いへの渇望。コカビエルの周囲が歪んで見える。

 

「小猫、シン」

 

 臨戦態勢に移ったコカビエルを見てリアスは、小猫とシンの名前を呼びながら二人の顔を見る。それが何を意味するのかを悟りながら二人は同時に頷くと、コカビエルに向かって走り出した。

 先鋒となった二人が動き出したタイミングでリアスは一誠の名を呼び、自分の考えを伝える。

 一誠がその案に同意したとき、既にコカビエルとシンたちとの戦いが始まっていた。

 先に仕掛けたのは小猫であった。踏み込むと同時にコカビエルの腹部に向け、下から拳を突き上げる。だが今度は受け止めることなく、移動のみで回避する。

 大きな動作で隙を造る小猫であったが、コカビエルはその隙を狙おうとはしない。何故なら小猫の動き自体が囮であることを読んでいたからだ。それを証明するように、視界の端からコカビエルに迫る影を捉える。腕を持ち上げてそれの前に出すと、直後に肉と肉が衝突し合う音がした。

 自分の蹴りをあっさりと防がれたシンであったが焦る事は無く、今度は息を吸い込み至近距離からコカビエルに向けて『氷の息』を吹きかけた。

 コカビエルの体を白い冷気が覆い尽くすが、次の瞬間には冷気を突き破って光の槍が飛び出してきた。

 既視感を覚える光景。だが至近距離で放たれたそれを、今度は貫かれる事無く両手で挟んで受け止める。両掌が焼けるような感触を覚え、槍の勢いに押されながらも刺す勢いを殺していく。そして背中から地面に着地する間際、完全に止めた光の槍をコカビエルに向かって投げ返した。

 再び冷気の中に消える光の槍。直撃した音は聞こえない。

 相手の視界を奪っていると思えるこの間に、今度は小猫が冷気の中にいるコカビエルに拳を叩き込む。しかし――

 

「つぅ!」

 

 殴った方の小猫が表情を険しくし、突き出した拳を引いた。現れた拳には至る所に裂傷が刻まれ、血が流れている。

 

「甘いな!」

 

 白い靄の中からコカビエルが姿を現す。至る所に霜が張り付いているが、目立った損傷を受けているようには見えない。そして現れたコカビエルの翼は羽が逆立っており、刃の様な艶があった。恐らくはその翼で小猫の拳を裂いたのであろう。

 コカビエルは投げ返された光の槍を持ち、それを小猫に突き立てようとする。コカビエルの速度に小猫は反応が遅れ、回避出来ない。

 しかし、その槍が突き立てられる前に小猫の背後から木場が飛び出し、コカビエルの脳天に向けて聖魔剣を振り下ろした。しかしそれも、コカビエルの光の槍によって防がれる。不完全とはいえエクスカリバーも断ち切る聖魔剣を、最初の魔剣のときのように自らの光力のみで抑える。

 

「聖魔剣……近くで見ると中々良い造形をしている。センスがいいなリアス・グレモリーの『騎士』」

「お褒めに預かり光栄だよ」

 

 皮肉か本心か分からない言葉に律儀に答えながら、木場は一方の手を放すと新たな聖魔剣をその手の中に創造する。そして着地と同時に首、足を狙い上下別々の箇所に向け同時に斬撃を放つ。

 木場の同時攻撃を前にコカビエルは頬を震わせて笑うと、手に持った光の槍を片手で素早く回し、首と足を狙った聖魔剣に叩きつけて簡単に捌いてしまう。

 純粋な力もさることながら技量も並以上持つことに木場は唇を噛む。だが木場の本当の目的は小猫を援護することでもコカビエルを斬り付けることでもない。出来る限り自分に注目させることであった。

 木場の動きによってコカビエルの死角。そこから『破壊の聖剣』を構えたゼノヴィアが一気に飛び掛かる。

 

「丸分かりだ」

 

 その行動さえ見通していたのか、コカビエルは空いている手の方に光を集めると、そこから槍では無く剣を創造した。コカビエルにとって自在に形を変化させるのは容易なことであるらしい。

 ゼノヴィアのエクスカリバー、コカビエルの光の剣。同じ光に属する力を持つ同士が衝突したとき、互いの力が反発しあう。眩い輝きの中、上下左右あらゆる角度から斬るゼノヴィアに対し、コカビエルは片手でそれらを受け流していく。この間に木場も二本の聖魔剣を用いて攻撃を繰り出すが、こちらも片手、しかも扱い辛い槍で難なく防いでいた。

 右半身と左半身が独立しているかのように器用に動かしながら、三本の剣を防ぐコカビエル。一見すると均衡しているように思えたが、コカビエルが翼を大きく広げたとき、校庭の土が捲り上がる程の衝撃がコカビエルを中心にして放たれた。

 飛ばされる木場とゼノヴィア。二人が宙に舞うのを見計らい、コカビエルは手に持った得物を木場たちへと投擲する。一直線で向かって来る光の槍を、木場は聖魔剣を交差することで辛うじて防ぐが、その威力に一本手から離してしまう。ゼノヴィアは空中で体勢を立て直そうとするが、それよりも早く光の剣が突き立てられようとしていた。だがこのとき横から飛び掛かった小猫が、覆い被さるようにして地面へと押さえ込み、間一髪直撃を避ける。

 

「くぅ!」

 

 しかし完全に避けることが出来なかった為、小猫の背中には小さな切創が出来ていた。制服に切れ目が入り、そこから見える白い肌が微かに赤くなっているが、堕天使の光が猛毒である悪魔にとっては軽視できない傷であった。

 速やかにアーシアの治癒を必要とする状況。だがそう簡単にことを進めさせまいと、コカビエルは追撃の体勢を取る。そのとき、木場たちとコカビエルの間にシンが立ち塞がった。

 シンはコカビエルの前で片足を軽く上げ、それを後ろに引くという奇妙な構えをする。その行為に一瞬眉を顰めるが、その構えの意味はすぐに知ることとなった。

 頭上から聞こえてくる風切り音。その音は段々と大きくなっていく。それが何かと見上げるよりも早く、シンの眼前へと落下してきたのは、先程弾かれた木場の聖魔剣。勢いよく回転するそれを躊躇う事無く、引いていた足で蹴りつける。

 聖魔剣の柄頭が足の甲に当たり、そのままありったけの力を込めて蹴り飛ばす。放たれた聖魔剣は、白と黒の光を彗星の尾のように伸ばしながらコカビエルの胴体に向かって迫る。意表を突く様なシンの攻撃であったが、コカビエルはさして驚くことはなく、その器用さを愉しむような表情をしていた。

 聖魔剣が当たる寸前、コカビエルの右手が聖魔剣を掴み取る。そして手に握る聖魔剣をあっさりと握り砕いた。持ち主の意志に反応して性能を高める『神器』故、木場の手から離れれば、例え『禁手』であろうと十分な性能を発揮出来ない。

 しかし、コカビエルの反応は想定の内のことである。

 シンは聖魔剣を蹴り飛ばしたときには既にコカビエルに向かって駆け出しており、聖魔剣を砕いたのと同時に右手の中で魔力剣を造り出しており、走りながらその中に魔力を充満させる。左眼を失い再生して以降、いつも以上に魔力の操作がスムーズに行えるようになり、右手限定ならば簡略化した『熱波剣』と同じ速度で全力の『熱波剣』を放てられるようになっていた。

 右手を振りかざしながら、シンは今まで余波で攻撃していた全力の『熱波剣』を、初めて直接相手に叩き込む。コカビエルも迎え撃つように左手に光の剣を造り出すと、振り下ろした魔力剣に向かって斬り放つ。

 白色の魔力と光力が零距離で衝突し合う。暴風の様に押さえ込まれていた荒れ狂う魔力が一斉にコカビエルに牙を剥くが、そうはさせまいと光の剣から放たれる閃光が次々とその魔力を相殺していく。だが、それでも相殺し切れない魔力が、逃げ場を求めてコカビエルの周囲を破壊していく。地は無作為に抉られ、大小様々な石が魔力の衝撃で飛ばされ、コカビエルの背後に立つ木々を穿ち、やがてへし折る。

 そんな暴風の中心でもコカビエルは愉快そうに笑い、狂気に近い感情をシンへと向ける。

 

「いいぞ、いいぞ! もっと抵抗してみろ!」

「お前の期待に応えるつもりは無い」

 

 荒れ狂う魔力の渦の中でコカビエルは右手で拳を作る。それを見たシンもまた左手を固く握り締めた。

 破壊の中心でお互いの握り締めた拳が衝突し合う。周囲の破壊音に掻き消されない程生々しい肉と骨がぶつかり合う音。

 シンはこのとき不可思議な感覚に捉われる。

 コカビエルの黒い手袋に覆われた右手から伝わるのはただ衝撃だけではなく、何か本能を揺さぶり、脳まで突き抜けるような、激しくも底知れない熱のようなもの。具体的にどういったものであるかは表現出来ないが、何故かシンはコカビエルの拳から、コカビエル以外の存在を幻視した。

 

「その顔、何か勘付いたか?」

 

 一瞬の戸惑いが伝わったのか、コカビエルは肉食獣のような笑みを浮かべる。そこには、シンが何故戸惑っているのか、理解しているかのような含みがあった。

 シンは答えずに拳を押し込む。それと同じくして荒れ狂う魔力は収束していった。やはりというべきか、中心にいた二人は大きな怪我はないものの、衣服の一部が裂けていたり、千切れていたりなどの箇所が目立つ。

 左手はコカビエルの右手を押さえ込んでいる状況。ならば次にとるべき行動は何か。シンは自由になった右手で拳を作り、コカビエルの腹部に向けて殴り掛かった。

 だが、この攻撃も同じくして空いたコカビエルの左手が受け止め、拳を潰すといわんばかりに握り締めた手から光を放つ。掴んだ手の隙間から白煙が立ちあがるが、シンはこのときを、相手の両手が塞がっている状況を待っていた。

 

「ヒホ」

「――何?」

 

 前触れもなくシンの背中から顔を出すジャックフロスト。いきなりの登場に流石のコカビエルも虚を衝かれた様子であった。つい今まで死力を尽くすように戦っている場にそぐわない、良く言えば愛らしい、悪く言えば間の抜けた表情をしているジャックフロストの登場は、ほんの少しの戸惑いを生み出すのに十分であった。

 ジャックフロストが指先を向ける。その先に魔力が集まったかと思えば、瞬時に変化して最速で氷柱を形作ると、コカビエルの顔面目掛けて発射された。

 惚けた表情をして容赦ない攻撃を繰り出すジャックフロストに内心で感心しながら放たれた氷柱は避けられない速度では無いと評価する。両手を使って防ごうにも、今はシンの手を押さえている為に使えない。ならば体を動かして回避しようかと足を動かした時、動きが止まる。

 コカビエルが動き出すその瞬く間も無いときに、シンの足が全力でコカビエルの足の甲を踏みつけ、その動きを無理矢理制止させていた。

 

「小賢しいな」

 

 次のときには氷柱が命中し、コカビエルの顔が大きく仰け反っていた。しかしこのときシンは一矢報いたことを喜ぶのではなく、すぐに次の行動に移っていた。踏みつけていた足をどけ、そのままコカビエルの腹部に押し当てる。

 そのとき、仰け反っていたコカビエルの顔が起き上がり始めた。一見すれば貫いたかに見えた氷柱は、コカビエルの歯によってしっかりと受け止められている。尤も、シンからすればそう易々と思い通りにことが運ぶとは思っていなかった。

 歯で受け止めた氷柱が噛み砕かれたのと同時に押し当てた足に全力を込め、それを一気に爆発させる。脚部の力でシンの体が後方へと跳ぶ。コカビエルもまたシンと同じく、後方へと蹴り飛ばされた。

 互いの距離が十数メートルほど開く。腹を蹴り飛ばされたコカビエルは特にダメージを負った様子は無い。

 

「まだま――」

「イッセー、今よ!」

「はい!」

 

 コカビエルが言い終えるよりも先にリアスが合図を出す。その声の方へと目を向けたコカビエルが見たのは、リアスと朱乃の肩に手を置く一誠の姿であった。

 コカビエルの見ている前でリアスと朱乃の魔力が瞬時に膨れ上がる。見ている者の肌が粟立つ程の力の波動。

 そして二人はその力をすぐに形にしていく。リアスはコカビエルに両掌を向けると、グレモリーが持つ滅びの力を収束させ、あらゆるものを塵へと変える魔力を生み出す。朱乃は翼を広げ飛翔すると、天に向かって手を掲げる。空が瞬く間に輝き始め、轟音が絶えず鳴り響き続ける。

 それを目の当たりにしたコカビエルの反応は――

 

「――素晴らしい! 若いと思っていたがこれほどの素質を秘めていたのか! 最上級の悪魔にも見劣りしないこの力! 一体どうやって生み出した! ……ああ、成程、『赤龍帝』の力か!」

 

 焦るのではなく喜び、賞賛しながらコカビエルの視線がリアスと朱乃から一誠に向けられる。

 

「『赤龍帝の籠手』が持つ譲渡の力。見る分には初めてだが何度か耳にしたな! 他人に自分の力を分け与える腑抜けた能力だと蔑んでいたが、どうやらその認識は改めた方がいいな! ここまですれば上等だ!」

 

 コカビエルの見解は当たっていた。一誠が『女王』にプロモーションし、その状態で限界まで高めた『赤龍帝の籠手』の力を二人に送っていた。『赤龍帝の贈り物』で複数に力を与えると譲渡する力の倍増分がやや落ちるが、質の異なる攻撃を同時に繰り出すことで防ぎきれない様にするという考えから、リアスと朱乃に与えるという選択となった。

 哄笑を上げながらコカビエルは大地を踏み躙る、あるいは地に根を張るように左右一歩ずつ地を踏むと、左右の手と共に十枚の翼も大きく広げる格好をする。

 

「来い! その力、この身で存分に試してやる!」

 

 真っ向から受け止めようとするコカビエル。その身から溢れ出す鬼気は、魔力を放とうとするリアスたちを呑み込まんとするものであった。

 リアスと朱乃が目配せをする。そして共に大きく息を吸い込んだ後、纏わりつく様なコカビエルの鬼気を祓うかのように、覇気を込めた掛け声と共に最大限まで高めた力を解き放った。

 

「消し飛べェェェェェッ!」

「天雷よ! 鳴り響け!」

 

 消滅の力を秘めた紅の魔力がリアスの手から放たれる。コカビエル一人など軽く覆い尽くしてしまう程の魔力の塊が、校庭の土を消し去りながら向かって行く。

 朱乃が振りかざしていた指をコカビエルへと向けると、空から青光りする雷光が降り注ぐ。雷を数千も束ね柱のように巨大となった雷光は、リアスの魔力よりも先にコカビエルに直撃する。

 ――かに思えた。

 

「ハハハハハハハハ! この貫くような感覚! バラキエルそのもの、いやそれ以上かもしれないな! 血というものはやはり重要だな!」

 

 雷光が直接コカビエルに触れることはなかった。全身に纏うコカビエルの光力が雷を弾き、四方へと散らせていく。

 

「私とあの者に何の繋がりも無い!」

 

 コカビエルの言葉が朱乃の触れてはならない部分に触れてしまった為か、降り注ぐ雷は更に勢いを増す。コカビエルの足がその衝撃で地面に沈み込むが、コカビエルの表情から笑みは消えない。

 そこにリアスの放った全力の魔力が、追い打ちを掛けるように衝突する。

 コカビエルはこれを突き出した両手で受け止める。コカビエルの光とリアスの魔力は反発し、魔力の塊から光力で押された魔力が周囲に飛散していく。

 両方の力と拮抗しているかのように見えるがリアスの魔力、朱乃の雷を同時に防ぐのはやはり難しいらしく、僅かながら纏っている光力の膜を突き破り、本体へと損傷を与えていった。

 突き抜けた雷撃が纏っているローブを貫きその下から煙を立ち昇らせ、リアスの魔力を押さえている両手は浮き出ている血管の一部が裂けてそこから血が流れ、指先は受け止めている衝撃で爪が何枚か剥がれ落ちていた。

 無傷では済まない。だが同時にリアスたちはあることも悟る。

 これではコカビエルを倒しきることは出来ない。

 その証拠に降り注いでいた雷光はその光を弱め、段々と細まっていく。魔力の塊もまた徐々にその形を縮めていき、徐々に崩れ始めている。

 どちらも消え去るのは時間の問題であった。

 

「面白かったがここまでのようだな! サーゼクスの妹! バラキエルの――」

 

 見下しつつも労うようなコカビエルの言葉が止まる。そしてその視線は背後へと向けられた。

 

「――やってくれるな」

 

 背後の人物に話し掛けるコカビエル。リアスたちの方からはコカビエルが壁となってその姿が見えなかったが、注意深く見ると居る筈の場所に居ない人物に気付く。そこには替わりといわんばかりにジャックフロストが座っていた。

 

「魔力の隙間を縫ってここまできたか、命知らずめ」

「見えているからな。おかげでここまでこられた」

 

 コカビエルの伸ばした黒翼の一枚に手を掛けるシンは、いつものように冷めた声で応じる。

 コカビエルの言った通りシンは、リアスと朱乃の同時攻撃の最中にコカビエルへと接近を試みていた。弾かれ四方に散る魔力の合間を通り抜けていくという、文字通りの命懸けの行動。下手をすれば消滅の魔力と雷光を浴びて、戦闘不能状態になるどころか、味方への精神的動揺すら招きかねない独断行動であった。

 それが出来たのは左目のおかげであった。この眼のおかげで周囲の魔力の動きを把握し、適した動きによって命や身を護ることが出来た。

 未だに二つの魔力は消え去っていない。下手にシンに対応しようとすれば魔力を直接もらう危険性がある。

 ならばコカビエルがどういった選択を取るか?

 それはすぐにコカビエルの口から齎された。

 

「命を賭した賭けに成功した報酬だ。持っていくだけ持っていけ!」

 

 不敵に笑うコカビエルにシンは言うまでも無いと言わんばかりに、左手で翼の半ば部分を持ち右手で付け根部分を掴む。覆っている光の膜のせいで掴んでいる手が焼かれるが、苦痛の色を一切見せず、力に任せてコカビエルの翼を引き千切った。

 付け根部分から鮮血が噴き出し、服や顔にかかる。

 

「ぐうう! どうした! こそばゆいぞ!」

 

 右翼の一枚をもがれて僅かに表情を歪めるものの、魔力の相殺の手は緩まず、それどころか挑発の言葉さえ掛けてくる。

 シンは手に持った右翼を放り捨てるとすぐにもう一枚の翼を掴み、一枚目と同じように引き千切った。

 

「く、ハハハハハハ! 何だ? 遠慮でもしているのか!」

 

 それでも哂って見せるコカビエル。もう間もなくリアスと朱乃の力が打ち消されるのが見えたシンは、今度は右手と左手で一枚ずつ掴み取り、コカビエルの背中を蹴りつけると同時に二枚もぎ取り、その勢いのままコカビエルと距離を取る。

 やがてリアスと朱乃の力は完全に消え去り、その場に残ったのは右翼を四枚ももがれ、左右非対称となったコカビエルの姿であった。

 

「褒美はここまでだ!」

 

 二人の力を掻き消したコカビエルは左手に光の槍を出すと、振り向きながら背後にいるシンへと振るう。そのとき背から流れる血が飛散し、宙に弧を描いていた。

 払われる槍を、手に持っているコカビエルの黒翼を斜めにして構え、そのまま受ける。同じ堕天使の一部ということもあり、もがれた翼は光の槍に対して抵抗力を見せ、羽根一つ光で焼かれない。

 斜めに受け止めたことで軌道をずらし、その間に構えた翼の下に潜り込み、手を放すとその状態で駆け出す。

 シンはコカビエルの脇を抜ける形で通り過ぎると、そこから一気に距離をとってリアスたちと合流した。それと同時に離れた場所にいるジャックフロストも手元に召喚して安全を確保する。

 

「――無茶し過ぎよ」

「すみません。後でいくらでも説教を受ける覚悟です」

 

 戻って来たシンを迎えるリアスの言葉は怒り、呆れ、安堵という感情が含まれていた。予想通りの反応であったが、取り敢えず先程の無謀についてのお叱りは後回しにするように頼んだ。

 手痛い損傷をコカビエルに与えたが、リアスたちの陣営も決して万全とは言えない。リアスと朱乃は膨大な力を一気に消費した為に呼吸が荒く、疲労のせいか顔色も優れない。小猫はコカビエルの光の傷をアーシアの『神器』とピクシーの治癒魔法で回復してもらっているが、光の影響で若干蒼褪めた表情をしている。

 今のところ無傷なのは木場、ゼノヴィア、一誠の三人のみである。ただ木場も一誠も『神器』を使用している為、リアスたち程ではないが消耗をしている。

 そしてシンもまた魔力を消耗し、傷を負っている状態であった。両方の手とも拳を作っている為見えないが、両掌はコカビエルの光の槍に触れたせいで皮膚が爛れ、一部皮が捲れあがっている部分もあった。火傷のような状態であるが、幸いシンは普通の悪魔と違って、光に対してそれなりの免疫のようなものがある為、素手で掴んでも即毒には至らず、その程度で済んでいた。

 

「俺の翼がここまで無残なものになるとはな……長生きはするものだ」

 

 翼をもがれたコカビエルは、黒のローブの右半分が血で染まりながらも止血することなく、放置しながらリアスたちに笑みを向ける。

 

「リアス・グレモリー、全くお前は愉快な眷属を揃えている。赤龍帝、聖剣を得る為の残滓、バラキエルの落とし児。そして――」

 

 コカビエルの視線がシンに向けられた。

 

「お前たちを温いだの甘いだの言っていたが、気付かぬうちに俺も随分と生温くなっていたようだ」

 

 自嘲するような笑みを浮かべた後に、コカビエルは最後に残った右翼の一枚を掴む。

 

「こうも左右非対称だと流石に格好が悪い。整えるとしよう」

 

 そう言って掴む手に力を込めて引く。凄絶な表情を浮かべながらコカビエルは、象徴といえる黒翼を自ら引き千切ろうとしていた。その愚行とも言える行動に誰もが絶句してしまう。

 夜の静寂に肉が千切れていく生々しい音が木霊していく。そして一際大きな音がした後に、コカビエルは最後の右翼を地面へと放り捨てた。

 

「ハハハハハ……これで少しは様になったな」

 

 片翼となったコカビエルはその顔に血がついた顔で満足気に笑う。

 

「一体どういうつもり……」

「見ての通りのつもりだが?」

 

 コカビエルの行動を理解出来ず、リアスは咎めるような問いを投げかける。その声は少しだけ震えており、コカビエルの行動に動揺している様子であった。

 

「自ら不利になるようなことをするなんて……その血の量、貴方はじきに満足に動けなくなるわ!」

 

 リアスの指摘した通りコカビエルの足元は、翼の千切れた痕から流れる血によって血溜まりが出来上がっていた。顔色も最初のときと比べれば、白く変色している。

 コカビエルはリアスの指摘を鼻で笑って返す。

 

「流れるなら流れてしまえばいい、こんな温い血はな! 俺に必要なのは身を焦すほど煮え滾るような熱を持つ血だ!」

 

 コカビエルは咆哮のように叫びながら右肩を掴むと、黒のローブの右袖を引き破り、右腕を露わにする。ローブの下から出てきた右腕は、肉が赤く盛り上がり変色している状態で、それが手首から肩にまでかけて続いており、まともな皮膚がない。

 

「火傷の……痕?」

「違うな、リアス・グレモリー。これは痕では無い。未だに癒えることのない『傷』だ」

 

 コカビエルは否定しながら左手を右手の手袋に伸ばす。

 

「かつてある『魔人』と戦ったときに俺が受けた『傷』。それはその『魔人』を封じ込めても消えることなく俺の右手に残り続けていた」

「『魔人』……」

「周りはありとあらゆる方法で、この右手に残り続ける『魔人』の力を消し去ろうとしたが、どれも全て無駄に終わった。――だがな、俺はこれを消し去るつもりは全く無かった。あのとき、あの『魔人』と戦ったとき、俺の心はかつて無い程に高揚した。そんな素晴らしい記憶がこれを消すことで薄れていくのが、耐え難い程に嫌だったからな」

 

 まるで恋人との思い出でも語るような口調で話すコカビエルに、周囲はどう反応するべきか戸惑う。

 

「だから消し去る代わりにこの右手の中に封じることにした。いつでもあのときのことを思い出せるように、あのときの燃え尽くすような血の高ぶりを思い出す為に」

 

 コカビエルの左手が手袋を剥ぐ。その下から出てきた右手は腕よりも更に酷く、皮膚や筋組織が剥き出しとなって爛れており、まるで今出来たかのような生々しい火傷であった。

 

「この『地獄の炎』の残り火を、な!」

 

 剥き出しとなった右手から蒸気のような白い煙が立ち昇ったかと思うと、突如として発火し右手全体が燃え始める。

 

「そう、この感覚! この熱さだ! 蘇るぞぉ! 俺の中の血が再び熱を帯びていく!」

 

 燃え盛る右手を見ながら昂揚した声を上げる。それに応じるかのように炎は激しさを増し、コカビエルの右腕を浸食するように焼いていく。

 

「ハハハハハハハハ! さあ、戦争をしようか! ここまで俺を見せたんだ、頼むから俺を冷めさせてくれるなよ?」

 

 

 




あと二、三回ほどで三巻の話は終わる予定です。
だいぶオリジナル展開を詰め込んだせいでコカビエルが原作よりも弱く感じてしまうかもしれませんね。

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