ハイスクールD³   作:K/K

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月光校庭のエクスカリバー編
聖剣、復讐


 男が一人、光と人気の無い道を全力で走っていた。

 息する暇すらも惜しむ程の必死の走りを続ける男の両足は既に限界に近い状態となっており、徐々にだがその速度は緩まっていく。しかし、男はそんな疲労困憊の状況でも首から下げた十字架を握り続け、ひたすら神への救いの言葉を呟き続けていた。

 

「主よ……! 我らが父よ……守りたまえ! 我が身をあの悪魔の手から……!」

 

 もうどれほどの距離を走ったのかすら男は覚えてはいない。それでも男は背後から迫ってくる何かの気配に怯え、後ろを振り向かずにただ前を見て走り続ける。

 やがて走る男の前方に木々が生い茂る雑木林が広がるのを見つけ、男はそれを好機と捉えた。雑木林の中に飛び込むとひたすら奥へと進み、男はそこで隠れやすい茂みを見つけるとその中に身を潜め、ただひたすら心の裡で神に祈りを捧げる。

 幸いこの夜は月の光も雲によって遮られ、その他に照明となる物は周囲に一切無い。当然、雑木林の中は黒の絵の具で塗り潰したかの様に暗闇に覆われていた。

 がたがたと震えながら祈りを捧げる男の耳に、草の踏み潰す音が聞こえてくる。間隔を置いて聞こえる草同士が擦れ合う音は紛れも無い追跡者の足音であり、その音が聞こえる度に男の心臓の鼓動が早まる。

 時間が過ぎていく度に足音は大きくなり、確実に自分の方へと近付いて来ることを理解し男は自分の服の袖を強く噛んだ。こうでもしなければ、追い詰められていく恐怖から絶叫を上げてしまいしまいそうになる為である。

 足音が男の潜む茂みのすぐ近くで止まる。

 男の心臓の鼓動は限界にまで達し、雑木林の中で喚く虫たちの羽音よりもうるさく聞こえてくる。

 足音はその場から左右に動いて周囲を探っている様子であったが、この場に男が居ないと判断したのかすぐに足音が遠ざかっていく。

 男は止めていた呼吸を戻し、足音の主に聞こえない様に深く、ゆっくりと息を吸い込む。

 足音はもう既に聞こえないものの男は慎重に慎重を重ね、朝日が昇るまでこの場から動かないことに決め、時が過ぎていくのをひたすら待つ。

 長時間動かないことと緊張が解けたことによる眠気に耐える男。その程度の苦痛は追いかけられていたときに比べれば遥かに楽なものであった。

 やがて空が薄明るくなってきたとき、男は安堵の溜息を吐いて茂みの中から動き始める。長時間同じ体勢をしていたことで、動く度に軋む音が体の内側から響いてくるが、今の男の心境ではそれですら心地よかった。

 男は十字架を両手で握り締め、何度もしてきたように神に祈りの言葉を捧げる。

 

「主よ、救っていただいたことを感謝します」

「――と思うだろ?」

 

 背後からの声。振り向こうとした男の頭に背後の存在が手を乗せる。ただ軽く乗せただけにしか見えない筈だが、男の首はその乗せられた手によって微動だにしなくなり、背後の存在を視界に入れることすら叶わなかった。

 成人男性の頭が容易く収まる手を乗せられただけで悟った。この手には、一秒もかからずに自分の頭など容易に捩じ切る力が秘められていることを。

 

「そう怯えるなよ。一晩中追いかけっこをした仲じゃねえか」

 

 口調は軽く、友人にでも話し掛けるような気さくなものであったが、男にはそんな言葉などで心を落ち着ける訳も無く、震える声で喉を恐怖で痙攣させながら一つ一つ言葉を紡いでいく。

 

「何が……狙いなんだ……! 私を殺しても……お前が得る物など……何も無い筈だ……」

「私を殺しても、か……へへへ」

 

 賢明な様子の男を背後の存在は笑う。それは話した内容を笑っているのか男の無様とも言える様子を笑っているのか、歯の根が合わない程怯える男には理解できなかった。

 

「安心しろよ、苦痛なんてねえぜ。すぐに楽になるからなあ……」

「やめろ! やめろぉぉぉぉ! 主よ! 主よ! この悪魔から私を守りたまえぇぇぇぇぇぇ!」

 

 神への救いの言葉を絶叫するが、その甲斐も空しく男の体は背後の存在に引きずられ、男がさっきまで潜んでいた茂みの中に連れ込まれる。僅かの間、茂みは激しく揺れ動いていたがやがてそれも納まり、雑木林の中に静寂が訪れる。

 すると再び茂みが音を鳴らすと、その中から引きずり込まれた男が姿を現す。だが、その男の態度は引きずり込まれる前と後では別人であった。

 怯えて青褪めていた表情は、ふてぶてしさを感じさせ、口角を吊り上げて笑う顔は粗野な印象を受ける。そしてなにより如何なる時も肌身離さず持っていた十字架を、指先に鎖部分を引っ掛けて回すという雑な扱いをしていた。

 男は軽く首と肩を回しその場で二、三度足踏みをして、体の状態を確かめる動きをする。

 

「借りてくぜ、色々とな」

 

 男は十字架を回すのを止め、その十字架を自分の首に架け纏っている神父服の上にぶら下げる。

 

「さて、一仕事といくか」

 

 

 

 

「それでこれがイッセーが小学校に入学したときの写真。このときから同級生の女の子のスカートをめくったりして大変だったわぁ」

「ちょ、母さん! そんなこと言わなくてもいいから!」

「あらあら、小さい時からイッセーくんは女の子に興味深々だったんですね」

「……三つ子の魂百まで」

「幼いわねイッセー」

「イッセーさんの小さい頃可愛いです!」

 

 嬉々とした様子でオカルト研究部の女子たちに一誠の幼い頃のアルバムを見せ、一つ一つ思い出のエピソードを語っていく一誠の母。その横では一誠が写真を見せられる度、思い出を語られる度に顔を真っ赤にし羞恥心から身悶えしていた。

 和気藹々とする女子一同の中にはさり気無く木場とピクシーも混じっており、木場が一誠のアルバムを微笑ましく見ているのに対して、ピクシーの方はアルバムをめくる度に出て来る写真を見てはケラケラと笑う。それを見て木場からアルバムを奪おうとし、ついでにピクシーの頭にはたきの一つでも入れようと一誠が動くが、木場とピクシーに軽々と避けられ、おまけにピクシーから舌を出されて馬鹿にされていた。

 そんな光景を横目に見ながらシンは何故か一誠の父親と向かい合っては世間話をしており、時折一誠の学園の様子を聞かれていたりしていた。

 

(気不味い)

 

 会話をしながらそんなことをシンはずっと考えていた。

 正直な話、特に用事が無い限り、シンは一誠の家に足を運ぶつもりはなかった。しかし今回、リアスの鶴の一声によりオカルト研究部の会議を一誠の自宅で行うことが決定し、シンはそれを当日のオカルト研究部部室にて知らされ、一誠の家へと来ることとなった。理由をつけて断ろうかと考えもしたが、一度部室に来てしまった以上下手な嘘を吐くことも出来ず、大人しく従うという結果になった。

 

「ははは。いやー、父としては木場くんや間薙くんのような大人びた子がイッセーの友達でいてくれて良かったと思うよ。私も松田くんや元浜くんのことも気に入っているが、どうにもあの二人とイッセーは相性が良すぎてね……部屋に集まって猥談をしたりエッチなビデオを鑑賞したりばっかしていて親としては、それだけの青春でいいのかと思うところがあってね」

「――心中お察しします」

 

 ほぼ初対面ながらも親しげに話してくる一誠の父にシンも悪い気はしなかったが、会話をする度に頭の隅で初めて一誠の家に来たときのことが蘇っていく。当の本人たちはリアスの魔力によってそのときの記憶が曖昧になっているが、あの階段を降りたときに会った一誠の両親の極限まで引き攣った笑みは、中々忘れることが出来ない。

 一誠の父親と会話し無難な返事をしていると、シンはズボンの裾を引っ張られているのを感じる。するとシンは自然な動作で、座っているテーブルの上にある包み紙に入ったお菓子を手に取って中身を取り出し、一つは自分の口に運びもう一つはさりげなくテーブルの下へと向ける。そうするとテーブルの下から白い手が伸び、お菓子を受け取ると咀嚼音の後、満足した声がテーブル下から聞こえてきた。

 

「ヒホー」

 

 テーブル下に隠れたジャックフロストと、この家に入ってから既に何度か行われたやり取りである。この手間のかかる行為は、ジャックフロストたちの姿は見えないと分かっていても念の為にという措置であったが、ジャックフロストも特に不満は見せずかくれんぼでもしているつもりなのか、楽しんでいる様子であった。

 

「最近になってイッセーにもようやく女の子の知り合いが出来てくれたし、何よりも未来の花嫁候補となってくれる娘が二人も出来てくれて親としては早く初孫の顔が見たくてね。……ふっ、女の子がいっぱい……若い時の夢をまさか自分の息子が叶えてくれるとはね。私も年を取ったという訳だ」

「――ええ、本当に将来が楽しみですね」

 

 やや目を潤ませて自分の家の現状に感極まっている一誠の父に、シンは内心でやはり一誠の肉親なだけはあると思っていた。

 会話からも滲み出て来るが、人柄は両親とも悪くない。むしろ良い人と称してもいいほどである。身寄りのないアーシアを引き取っただけでなく、アーシアからも自分たちの娘同然に可愛がってくれて感謝しているという話も良く聞く。

 そして、最近ではライザーとの婚約破談後一誠の自宅に同棲し始めたリアスも暖かく迎え入れているほどお人好しである。

 ちなみにではあるが、一誠からその話を聞かされたシンはその後に続いた、上級悪魔の考えってよく分からないよな、という台詞を聞いて、一誠という男は心底バカであることを確信するのであった。

 色々と思うことはありながらも暖かみを感じさせる時間を過ごす一同であったが、ある瞬間、その空気に線を引かれたかのようなある意志が部屋の中を奔る。今まで日常生活を送ってきた一誠の両親たちは気付かなかったが、それ以外の人物はその意志が敵意であることを敏感に察知し、談笑しながらもその敵意を放つ人物に全員が視線を向けていた。

 その視線の中心にいたのは木場であった。木場は一誠のアルバムのとある写真を凝視し、隠しきれない程の感情を内から外へと放っている。

 

「これ、見覚えは」

 

 写真を指差す木場にシンもその写真に目を向ける。そこには幼稚園児、あるいは小学校低学年頃と思わしき一誠と、栗色の髪をした、男か女か一見しては分からない、中性的な容姿の同年代の子供。そして、その子供の親。

 木場が指していたのはその親が持つ鞘に入った西洋の剣。造りは至って簡素な物であり、目立つような装飾は一切無い。

 だが、木場がその剣を見る目は尋常では無く、瞳の中に殺意と敵意、更に憎悪が入り混じり、濁っているかのようであった。

 質問をされた一誠は小さい為覚えがないと言っていたが、木場はそれを聞いて特に残念がる事無く、いつもの様な笑みを浮かべて指差す剣の名を言う。

 

「これは聖剣だよ」

 

 木場の口から出た言葉に温度は感じられず、ただひたすら負の感情が込められている。

 その言葉を聞いたとき、シンはいつかのライザー戦で見た木場の顔を思い出していた。その後もいくつか質問をする木場であったが、一誠の回答は昔のことであり曖昧なものであった為、木場を満足させるようなものではなかったが、一通り聞いた木場は誤魔化す様に微笑し、自分から別の話題に切り替えた。

 そんな木場の背に、シンは訝しむ視線を向けるのであった。

 

 

 

 

 

 手に持つ金属バットの重みを感じながらグリップを絞るようにして握り、石灰で描かれたバッターボックスの上でシンはバットを振り子のように左右に揺らした後、顔面の側面近くに立てる。

 鋭く尖った視線の先に立つのはピッチャーマウンドで堂々と構えるリアスの姿。リアスは構えた状態で二度ほど首を横に振る。それはキャッチャーである小猫の示したサインでは投げることが出来ないという合図。

 しかし、三度目のサインには納得いったのか首を縦に振ると投球姿勢へと移行し、その細く長い脚を高々と上げ、下ろすと同時に全力を込めた投球がシンへと迫る。

 細身の女性とも思えぬ剛速球であったが、シンも怯むことなく目を細め唸る速球に対し目を凝らす。集中して見るシンの目には段々とボールの回転が緩やかに見え、やがてボールの縫い目までもはっきりと見えるにまで至る。

 同時にシンは左足を軽く上げ身体を捻り始める。そしてボールがバットの届く範囲まで来たとき、身体に込めた力を一気に爆発させた。

 上げた足を周囲の土が跳ね上がる程の勢いで踏み下ろし、それによって得た力を腰にまで伝わらせ、その力を発条にし捻った腰を逆方向へと回転させて握り締めたバットを振るう。金属バットとボールが接触するとボールは大きく変形し、そのまま晴天の空へと高々と舞い上がる。

 

「あー」

「ヒーホ」

 

 観客として打ちあげた白球の行方を追っていたピクシーとジャックフロストから同時に気の抜けた声が出る。上がったボールの落ちていく先、そこにはグローブを構えた一誠の姿があったからだ。

 一誠のグローブの中にボールが落ちるのを見て、シンは特に残念がることはなく手に持ったバットを地面に置いた。

 

「ナイスキャッチよ、イッセー。シンも初めて野球をした割にはいいバッティングセンスよ」

 

 上機嫌な様子でリアスは二人を褒める。

 現在、オカルト研究部の面々は来週行われる球技大会の為の練習を行っていた。球技大会にはクラス対抗と男女別競技の他に部活対抗戦というものもあり、シンもオカルト研究部に名を置く身として練習に参加していた。

 

「さあ! 次いくわよ!」

 

 リアスが部員の中で誰よりも闘志を見せる。リアスを良く知る朱乃曰く、リアスはこの手のイベントが大好きであり同時に負けず嫌いを発揮すると、球技大会の練習を始める前に一誠とシンに語っていた。

 その言葉通りリアスは誰よりも積極的に動き、誰よりも大きな声を張り上げて皆に檄を飛ばしていた。そんなリアスの態度に知らず知らずのうちに引っ張られていくメンバーであったが、そんな中唯一人例外がいた。

 

「おい、木場!」

「え?」

 

 守備をしていた一誠が声を出す。その声に反応して木場が一誠の方へと顔を向けるが、一誠が声を出したのは自分の方へと向かせる為ではない。

 木場のすぐ側をリアスが打ったボールが転がっていく。ボールが背後まで転がって行ったときになってようやく木場はボールの存在へと気付いた。

 普段の彼を知るならば考えられない程の鈍さである。通常の木場であったならば、仮に一メートル内の場所からボールを飛ばしたとしても軽々と捕球出来る程の反射神経を有している。そんな彼が、十数メートルも離れた場所から打ったボールに気付かないのは異常なことであった。

 切れの無い動きで木場がボールを拾いリアスへと投げ返すが、その狙いは外れリアスへの球出しをしていたシンの方へと大きく逸れていく。シンは向かって来る球を無言で取った後に木場の方を見るが、既に木場の視線はリアスたちから離れ、一人考え込むような表情で虚空を見つめていた。

 掴んだ白球をリアスへと渡すときリアスと目が合う。互いに考えていることが分かったのかシンの顔を見ながらリアスは溜息を吐き、眉間へと皺を寄せた。

 練習が始まったときから何度か見る木場の気の抜け様、その度にリアスから注意を受けているが一向に止める気配は無い。木場の異変は練習だけに留まらず学園生活やオカルト研究部内でも見られ、そのらしくない態度に誰もが心配をしていた。

 実際、リアスたちも木場に何かあったのか尋ねることがあったが、木場は何も答えず、曖昧な笑みと曖昧な言葉でその場を誤魔化すのであった。

 その日の練習が終わり、帰宅をしようとするメンバーであったが、一人木場だけが誰よりも早く帰り支度をし、急ぎ足で部室を出ていく。

 

「お先に失礼します」

 

 止める間も無く姿を消す木場を、ピクシーはシンの肩で頬杖をした状態で不思議そうな目で見ていた。

 

「ねえねえ、ゆーとってさ、最近ずっとあんな感じだよね? ボーッとしたりせっかちだったりでさ」

「まあな」

「やっぱあれが原因か?」

 

 一誠の言う、あれとは一誠の自宅で見た『聖剣』の写った写真のことである。しかし、シンはそれのみが原因であるとは思えなかった。確かにその日の木場の態度は不審に思えるものであったが次の日にはいつもと変わらない様子であり、それを見て自分が感じたことは考え過ぎであったと軽く安堵した記憶がある。木場の様子が本格的におかしくなったのはこの日から少し経った後のことであった。

 木場に対しコンプレックスや邪見な態度をとる一誠であるが、その実力には憧れとライバル意識を持つ故に、木場の腑抜けている様子を心配していた。

 

「部長は木場と『聖剣』との間に何かあったのか知っているんですか?」

 

 純粋な疑問から出た言葉に部室内の空気が一瞬張り詰める。朱乃と小猫はリアスの方へとどうするのか、という視線を向けたが、リアスは考える様に目を瞑り、暫くした後首を横へと振る。

 

「イッセー、ごめんなさい。私たちは祐斗と聖剣にどんな因縁があるかを知っているわ。だけどね、それを本人がいない場所で許可なく易々と口には出せないの」

 

 問いへの答えは回答の拒否であった。リアスからの思わぬ返答に、一誠は驚く顔をするが納得しきれないのか、少しでも情報を得ようと食い下がる。

 

「それって、やっぱ嫌なことが木場の過去に――」

「やめておけ」

 

 一誠の言葉をシンが遮る。

 

「木場が居ない所で過去を掘り返しても意味なんて無いだろ。仮に聞いて同情を増した所で、当の本人にとってはいい迷惑になるのが落ちだ」

「だけどよ……」

 

 表面化するシンと一誠の考えの差。実際の所、内心ではお互い相手の考えも一理あると思っている節があるが、それを口に出来ないのは長年に渡って染みついてきた自らの性格の為であった。

 

「イッセー」

 

 リアスの一声が、険悪には至らないが張り詰め出した空気を消し去る。

 リアスが一誠の名を呼び、もう一度首を横に振る。それをこれ以上言うつもりは無いというサインと解釈し、釈然としない表情のままであったが一誠はそれに従い、深く問うことを止めた。

 その日の放課後。

 夜の悪魔の仕事まで空いた時間を利用し、一誠とシンは日頃行っている実戦方式の訓練をしていた。

 

「よっ!」

「うおっ!」

 

 ピクシーの指先から放たれた電撃を一誠の『赤龍帝の籠手』で弾く。散った電撃は空気中へと拡散され威力を失うが、それを見届ける暇も無く一誠は視界の片隅でジャックフロストに動きがあるのを感じ、急いで視線をそちらの方へと向ける。

 

「ヒホー!」

 

 それを大口を開けて待っていたジャックフロスト。底の見えない口の中から、吹雪を思わせる極寒の息が一誠目掛けて吐き出された。一瞬で視界全体が白く染まるのを見て防御は不可能と判断し、冷気に包みこまれる前に両足で地面を押し出し反動で範囲外へと逃れる。しかし、それすら予測していたのか第三の攻撃が一誠へと迫る。

 一誠の移動した場所には既にシンが待ち構えており、ジャックフロストの攻撃から逃れた一誠の肩を掴むと自分へと引き寄せ、同時にその脇腹に拳を叩き込む。

 

「ぐうっ!」

 

 体が『く』の字に折れる一誠に追い打ちの膝を腹部に叩き込もうとするが、脇腹の痛みを押し殺して防御へと転じた一誠の左腕がそれを阻む。一誠はシンの攻撃を受け止めると同時に、右拳をシンの胸部に密着させその状態で押し出す。威力自体はあまりないが、シンとの間合いを広げるには十分な威力を持っていた。

 後ろへと押し出されるシンだが、そのまま大人しくはせず間合いが広がる前に左足を軸にして体全体を捻ると、一誠の顔面目掛け、右による後ろ回し蹴りが放たれた。

 一誠の目には片足を上げたかと思えば、その足が顔のすぐ側まで接近している程の速度。反射的に首を後ろへと仰け反らせると風圧が顔を叩き、足が掠めた髪が何本か宙へと舞う。

 紙一重で回避した一誠が視線を蹴りからシンに戻すと、蹴りが当たらず避けられたせいで体勢が崩れたのか、自分の方へと背を向ける形となったシンの姿があった。

 この機会を逃さまいと一誠が一気に距離を狭めようとした瞬間、眼前で魔力の光が降り注ぎその中心から突如ピクシーが現れる。驚く一誠の表情を悪戯が成功した子供の様な顔で笑うピクシー。そしてその笑顔のまま指先を一誠の顔に向ける。

 咄嗟に腕を交差し電撃に備える一誠であったが、想像していた衝撃は来ない。何故かと考えた次の時に顎下から突き上げる様な衝撃が来た。交差した腕の隙間から突き上げられた掌打はそのまま一誠の首を限界まで伸ばす。

 一誠は首筋が軋む音を感じながら倒れまいと両足で地面に踏ん張ろうとしたが、力を入れた途端足から力が抜け空中へと放り出される。このときの一誠には確認することが出来なかったが、少し離れた場所でジャックフロストが両手を地面に着け、一誠の立つ一帯を凍結させていたのだ。

 

「痛っ!」

 

 一誠の体が背中から地面へと押し倒される。固い地面と押し出す力が合わさり、呼吸が止まる程の痛みが生じたが何とか起き上がろうとする一誠の視界一杯に、靴底が映し出される。顔を潰す勢いで放たれたそれに一誠は次に来る痛みと衝撃に身を固くするが、寸での所で靴底は止まり、僅かに鼻先が触れる程度であった。

 

「あー……参った」

「オイラたちの勝利だホー!」

「イエーイ、連勝! 連勝!」

 

 一誠の降参を聞いて高らかに勝利を祝うジャックフロストとピクシー。そんな中倒れている一誠の下に観戦をしていたアーシアが走って近寄って来た。

 

「イッセーさん、大丈夫ですか!」

「ガー、ガー」

 

 寄ってきたアーシアの腕の中で蒼い鱗を持った小さなドラゴンが、一誠の様子を見て鳴き声を上げる。それは以前使い魔を手に入れに行った際、アーシアが使い魔として契約した蒼雷竜(スプライト・ドラゴン)の子供であった。ラッセーとアーシアに名付けられたそれは、本来なら悪魔とは契約しない希少且つ高位な存在であるが、アーシアという少女の心の在り方が気に入ったか例外中の例外として契約をした。しかし、この蒼雷竜も困った点が一つある。

「立てますか?」

「ああ、大丈、あがぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ!」

 

 倒れている一誠に手を伸ばすアーシア、その手を握ろうとした一誠にラッセーから電撃が繰り出される。

 倒れている一誠の体から白煙が上がり、傷付いた体は更なる傷を負う。

 

「だ、大丈夫ですか! ラッセーくん! 駄目です!」

「ガー」

 

 一応叱るがあまりラッセーから反省の色は感じられない。この様にラッセーだけに限らずドラゴンの雄は他生物の雄に対し非常に攻撃的であり、一誠が電撃を浴びせられるのが日常と化しつつあった。

 

「キミも容赦がないねー」

「程々にしないとダメホ」

「ガー」

 

 先程の行為を窘めつつも笑みを浮かべながらラッセーの頭を撫でるピクシーとジャックフロスト。ラッセーが来てからすぐに意気投合したのか、他の使い魔と同様によく遊んでいる光景を目にする。ピクシーは異性である為攻撃はせず、ジャックフロストも生物という分類に入らない為か攻撃はされない。そして、シンもこの二人にラッセーが懐いているせいかその恩恵からか、今まで攻撃を受けずにいられた。

 

「少し休憩だな」

 

 そう言ってシンが一誠の側に行くと、手に持った缶コーヒーを一誠へと差し出す。上体を起こし礼を言って受け取るとプルタブを開け一口飲み、そして渋い表情を作る。

 

「ブラックかよ……」

「慣れれば意外と飲めるものさ」

 

 休憩の間、アーシアの『神器』による治癒を受けながら横目で一誠はシンを見ていた。

 訓練の際、一対三という自分にとって圧倒的不利な状況で戦うように頼んだのは一誠の意志であった。現在、シンと一誠の実力の差は『神滅具』の能力を最大限にまで活用した場合一誠の方に軍配が上がるが、互いに能力を使わず対等な条件で戦った場合、シンの方が一誠を上回っていた。

 一誠が合宿のときから実感していたことであったが、戦いの才に於いてはシンの方が自分の二歩三歩前を行っている。ほぼ同じ時期に戦いのある世界へと足を踏み込んだが、先を行くシンに嫉妬の感情を覚えないと言ったならば嘘になるが、同時に木場と同じライバル意識も持っていた。相手が一歩先を行く度に自分も追い付こうと必死に一歩前に踏み出そうと努力する。この一対三の訓練もその努力の為のものであった。

 しかし実際の所、中々上手くはいかない。いつの間にかシンが手に入れた能力、仲魔の召喚によっていいように振り回されているのが現実であった。

 

「ふふーん! アタシたちのコンビは最強だねー! ほらほらもう一回勝負しよ!」

「ヒーホー! 戦うホー!」

「ガー」

 

 連戦連勝し調子に乗り始めるピクシーとジャックフロスト、それに合わせてラッセーも機嫌が良さそうに鳴く。

 

「うぬぬぬ! そう何度も負けてられるか! 次は勝つ!」

 

 治癒の終わった一誠は勢い良く立ち上がり、残った缶コーヒーの中身を一気に流し込むと気合と共に構えをとる。

 

「イッセーさん、無理しないでくださいね」

「おう! 心配するなアーシア」

 

 気を配るアーシアの頭を撫で快活な笑みを向ける一誠に、アーシアは心配と喜びを半々に混ぜ赤面する。

 一見すると仲睦まじい光景。だが、それに対し露骨に不満を持つ存在がこの場に居た。

 

「じゃあ、そろそろ始めるか」

「おう! さあ、来い――ってアレ?」

 

 一誠の前に並ぶのはシンとピクシー、ジャックフロスト、そして何故かラッセーの姿が。

 

「ガー!」

「うん? キミも戦いたいの? いいよ、いいよ。イッセーも多い方が戦い甲斐があるだろうし」

「オイラたちの強さをイッセーに見せつけてやるホー!」

「シンもいいよね?」

「俺は別に構わないが――」

 

 そう言いながら横目で一誠の方を見るシン。そこには一誠の意志を確かめるものが含まれていた。

 

「あ、あの無理しない方が……」

「……ええい! まとめて掛かって来い!」

 

 一誠がややヤケクソ気味に叫ぶ。それを聞いてピクシー、ジャックフロスト、ラッセーが質の良く似た笑みを浮かべるのを視界の端で見ながらシンは戦いの構えに移る。

 数分後、どこまでも広がっていく赤みかかった空に一誠の悲鳴が木霊していった。

 

 

 

 

 次の日の放課後。シンたちが部室へと入室しようとしたとき、部室内からリアスたちとは違う悪魔の気配を感じた。その気配に眉を顰めるものの特に悪意や敵意というものが含まれていない。それどころかその気配には身に覚えがあった。シンはやや慎重になりつつも部室のドアを開く。

 中に居たのはリアス、朱乃、小猫の姿。ただし、やはりと言うべきか木場の姿はそこには無かった。

 そして、その他にも見慣れない人物が二人いる。その二人がシンの方へと顔を向けたとき、ピクシーとジャックフロストが声を揃えて上げる。

 

『ソーナとサジだ!』

 

 嬉しそうに笑う二人に、ソーナこと支取蒼那は普段の冷徹な表情から想像がつかない程柔らかな微笑を浮かべ、サジこと匙元士郎も口の両端を上げて笑みを形作る。

 

「久しぶりね、二人とも。相変わらず元気そうで安心したわ」

「よお、チビども。いきなり姿消しちまったから結構心配したんだぜ?」

 

 親しげに話す両者にリアスたちも軽く驚き二人と何があったのかソーナへと尋ねると、ソーナはリアスたちが一誠とアーシアの使い魔探しで不在であったときの出来事を説明した。

 

「間薙くんは名前は知っていますが、この場では悪魔としての名前を紹介させていただきますね。この方の本当の名はソーナ・シトリー。部長と同じ七十二柱の上級悪魔であり、シトリー家の次期当主ですわ」

 

 学園での生活の中で何回か廊下をすれ違い、その度に尋常では無い気配を感じていたが、リアスと同等であると聞き納得した。

 

「どうも初めまして……でいいですか?」

「リアスから貴方のことを聞かされているけれど、ちゃんと話をするのはこれが初めてね」

 

 頭を下げるシンに先程と比べ若干感情が薄い笑みを浮かべる。ピクシーたちに見せる一面が例外であり、本来の笑みがこれなのかもしれないという考えがシンの頭の中に過ぎった。

 そのとき、アーシアを迎えに行っていた一誠がアーシアを連れて遅れて部室の中に入り、そこにソーナたちの姿を見て驚く。

 

「せ、生徒会長……」

 

 驚く一誠たちを見て、匙はリアスに自分たちとの関係性を教えてないか尋ねるが、その質問をソーナが静かに窘める。

 

「サジ、私たちは表向きは一般生徒と同じよ。悪魔となってそれ程月日が経っていない彼らならば当然の反応よ」

 

 会話の中に出てきた悪魔という単語に、一誠とアーシアの驚きが増す。その反応を見てシンは、ふたりがこのオカルト研究部以外に悪魔が存在することを想像していなかったのであろうと推測した。

 二人の驚きが引いたのを見計らって朱乃が再びソーナの紹介をし、そしてソーナはリアスと共にこの学園の実権を分担して握っていることも説明をする。

 

「ソーナも偉いんだねー」

「羨ましいホー! オイラも実権というのを持ってみたいホ!」

 

 言葉の意味を詳しく知らなくとも何となくではあるが凄いことであると理解したピクシーとジャックフロストがソーナを褒める。すると何故か匙の方が嬉しそうに胸を張り、我が事のように喋り出す。

 

「だろ? 会長や俺たちシトリー眷属の悪魔が日夜学園の平和維持の為に努力しているから楽しい学園生活を送れるんだぜ? 感謝しろとまでは言わないが、覚えてくれておいても損はないぜ?」

「サジ、凄いホー!」

「サジ、凄ーい!」

 

 パチパチと拍手し匙に賛辞を送る二人。一見すると馬鹿にしているようにも見えなくはないが、本人らは至って真面目であり、褒められた匙も満更ではないのか頬を少し赤らめ照れていた。

 

「まあ、そう褒めんなって。あ、そうだ名乗りが遅れたが俺の二年の匙元士郎。『兵士』だ」

 

 匙の自己紹介を聞き、一誠が嬉しそうな表情となる。自分と同じ学年で同じ『兵士』であることに親近感が湧いた様子であった。が、匙本人は全く嬉しそうな顔はせず、逆に悪い意味で有名な一誠が同じ『兵士』であることを恥じていることを態度と言葉で表す。

 流石にこれには一誠も絶句し、友好的な笑みがどんどんと怒りで顔が吊りあがっていく。

 

「で、そっちが間薙シンだったな。結構こっちじゃ有名だぜ? 変な力を使う人間として」

「そうか。こっちも何度かそっちの名前は聞いたことがある」

「へっ、碌でもない話と一緒にだろ?」

「想像に任せる」

 

 特に尾を引くことなくあっさり二人の自己紹介が終わる。続いてアーシアも匙へ自己紹介をするが、一誠、シンのときとは打って変わってにこやかな笑顔でアーシアの手を取ると両手でその手を握り握手を交わす。やや刺々しさを含んだ態度もすっかり軟派なものへと変わり果てる匙であったが、その行為を黙認出来ない一誠がその手を離させ、代わりに自分が匙と握手をする。

 

「ハハハ! 匙くん! 僕への暴言は、まあ百万歩譲って許すとしてもさっきのは頂けないなー! というかアーシアに手を出したら殺す」

「おやおや? 殺る気ですか兵藤くん! こんな金髪美少女と仲が良いだけでも死刑ものなのにその人物との細やかな交流すら許さないなんて君も狭量な男だね! っていうかやれるものならやってみろ、こう見えても駒四つ消費の『兵士』だ。お前なんかに負やしねぇよ」

 

 互いに笑顔であるが交わす握手は血管が浮き出るほど力を込めている。そんな中、シンは匙が何気なく言っていた言葉を、目の前の光景を我関せずと放っておいて考える。

 

(駒の四つ消費……匙は『神器』持ちか? あるいは悪魔として高い素質があるのか?)

 

 握手する二人の熱が徐々に上がっていくのを見かねたのか、ソーナが溜息を一つ吐く。

 

「サジ」

 

 鋭く睨むソーナを見て、流石にこれ以上は不味いと思ったのか匙の方から手を離す。それを見た後でソーナは釘を刺すように、一誠が駒を八つ消費して転生したこと、ライザー・フェニックスを倒したことを話す。

 その事実に匙は、目を丸くした状態で一誠を見た後に悔しそうに表情を歪める。匙にしてみれば、戦わずして敗北感を味わらせられた心境であった。

 

「それでも、俺以外の生徒会メンバーはリアス部長たちの眷属よりも強いからな」

 

 それでも納得し切れないのか他のメンバーを引き合いに出す。自分自身の負けず嫌いというよりかは、自分のせいでソーナの実力が低く見られたくないという意地の様なものを感じさせるものであった。

 それを理解したのかリアスは匙を微笑ましく見て、何やらソーナにしか聞こえない声量で小さく喋る。聞き終えたソーナは、まだまだですという言葉だけを残した。

 

「それでは私はこれで失礼します。リアス、球技大会を楽しみにしているわ」

「ええ、私もよ」

 

 互いに微笑みながら言葉を交わした後、リアス以外のメンバーに軽く頭を下げる。匙もまた主に倣いやや不満そうな表情で頭を下げた。それを見たメンバーも非礼が無いように頭を下げてそれに応じる。

 

「じゃあねー!」

「バイバイホー!」

 

 例外としてピクシーたちは手を大きく振って別れの挨拶をするとソーナも小さく手を振り、匙も軽く手を挙げて応じ二人は部室を去って行った。

 

「……そう言えば、木場の奴はまた遅刻か?」

 

 二人が去った後、一誠はこのときになって木場の不在に気付く。

 

「……木場先輩は今日は来ないそうです。……そう連絡を受けました」

 

 一誠の疑問に小猫が答える。今までは部活への遅刻だけであったが、不参加にまで悪化してきたことに一誠は不安を覚える。

 

「あいつ、一体何をしているんだろうな?」

「さあな。――出来ればこっちの心配が杞憂であって欲しいがな」

 

 誰もが木場のことを考えていたとき、木場は一人、人ごみの中を歩き続けていた。

 その瞳には穏やかさなど無く、視線を向けられた誰もが一瞬歩みを止めてしまう程の険呑とした暗い光を放っていた。

 彼が尋常では無い様子で周囲を探るようにして見ているのは、ある目的の物を見つける為。

 それを見つけるのは復讐の為、果たすべき仇を討つ為。

 暖かな日々を送り続けたことで、その想いに瘡蓋のような膜が出来て心の奥で眠っていたが、あのとき一誠の家で写真を見つけたとき、その瘡蓋に僅かな亀裂が生じ、奥から血膿のように濁った感情が溢れ始めた。

 それでも周りの仲間たちへ心配を掛けまいと何とか押さえつけ、少しの間は木場祐斗として振る舞うことが出来た。

 決定的な亀裂が生じたのはそれから間もなくのことであった。

 

 

 

 

「どうもこんばんは」

 

 ある日の放課後自宅へと帰る木場の前に一人の神父が現れる。年の頃は三十前後、茶色の髪に特に特徴の無い目鼻の造り、無理矢理特徴を上げるとすれば外国人であるという点だけの地味な外見をしていた。

 木場はその服装と首から下げた十字架に内心嫌悪感を覚えながらも、一介の神父と判断し、軽く会釈をしただけで通り過ぎようとする。

 

「たしか……木場祐斗さんでしたっけ?」

 

 その際、神父の口から出てきた自分の名に、木場は一切の躊躇いも無く手の中に魔剣を創造すると、流れる様な動作でその喉元に突き付けた。

 

「教会の『悪魔祓い(エクソシスト)』かい?」

 

 口調は変わらないものの、負の感情で冷めきった双眸は見る者に悪寒を与えるほど冷え切っていたが、その目を向けられた男は口の端を吊り上げ、まるで木場の行動を愉しんでいるかのようである。

 

「おお、恐ろしい恐ろしい。やめて下さい。俺――じゃなくて私は貴方を祓いに来た訳ではありません」

「それを信じろと?」

 

 台詞自体は恐れをなしているかのようであったが木場の目から見て、少なくともそれが演技であることは丸分かりであり、小馬鹿にされていると感じた木場は剣を持つ手に力を込める。

 

「あまり言いたくはないが、僕は君たちのような存在が大嫌いだ。命が惜しければ早々に消え失せた方がいい」

「『聖剣計画』」

 

 男から出てきた思いがけない言葉に、木場から顔色が消える。

 

「まあ、あんなことがあれば教会、いや神そのものも憎んでも仕方はないでしょうねぇ」

 

 沸々と血が煮え滾っていく感覚を木場は覚えた。次の瞬間、思考よりも体が勝手に動き、木場は男を背中から近くの壁へと叩きつける。

 

「何故それを知っている! 一体何が目的だ!」

「落ち着いて下さいよ木場さん。私は貴方にとって得になる情報を持ってきたんですから」

「情報……?」

 

 感情を昂らせる木場を前に全く動揺も見せず、自分のペースで話し続ける男。その男が発した次の言葉に、木場は頭から冷水を浴びせられたような錯覚を覚えた。

 

「いま、この町に聖剣――それもエクスカリバーが存在していますよ」

「なっ……!」

 

 言葉に出来ない程の衝撃。そのあまりのショックに男から手を離し、そしてあろうことか握っていた魔剣も落としてしまう。

 

「聖剣が……この町に……」

 

 呆然と呟く木場の前で男は乱れた服装を正し、軽く埃を払うと何事も無かったかのようにその場から離れようとする。

 

「……待ってくれ」

「はい?」

「……その情報を僕にもたらして一体、君に何の意味がある。君はキリスト教側の人間の筈だ」

 

 その言葉を聞いて男は歯を剥いた笑みをつくり、へっへっへっと下卑た笑い声を出した。

 

「まあ、それは秘密ということで。ああ、そうだ。この際一応名乗っときましょう」

 

 男は十字架を指先で弾きながら木場へと向き直る。

 

「私の名は『アダム』と申します。もう会うことは無いかもしれませんが、一応覚えておいてください」

「……偽名かい?」

「まあ、似たようなものです。それでは御機嫌よう」

 アダムと名乗った男は、言うだけ言って木場の心を荒らして去って行った。

 一人残された木場は俯き、ぽつりと言葉を洩らす。

 

「僕は……」

 

 両手を強く握る。その強さに血が通いにくくなり手が白く染まっていく。

 

「僕は……」

 

 握る手の強さは緩まることは無く、更なる力によって爪が掌の肉を裂き、指の隙間から血の雫が垂れ落ちる。

 

「僕は聖剣(エクスカリバー)を許さない――」

 

 

 

 




今回より三巻の話に入っていきます。
新しいキャラも出ましたがオリジナルキャラという訳ではないです。
この段階で正体が分かっても内緒でお願いします。

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