サイラオーグとの再戦。それ自体は容易いだろう。シンが彼に頼めばそれだけで成立する。問題なのはそれだけだと前回と同じような展開にしかならないことである。
サーゼクスが秘密裏に進めてきてくれたことでさえ、バアル家の大王派に知られてしまっていた。シンがどう足搔こうとも情報を隠し切るのは難しい。
シンの現状は何処の馬の骨かも分からない悪魔と人間との間を彷徨う中途半端な存在であり、わざわざサイラオーグと真面目に戦わせるのも馬鹿らしく、そんな暇があるのならサイラオーグを使って有望な悪魔とパイプを繋げる方が有意義という認識である。
そうなると大王派の連中の認識を変える必要がある。上が口を挟まなければサイラオーグも自由に戦うことが出来る。
その認識を変える手札は、シンには今のところ一枚しかなかった。
オカルト研究部男子部員一同での夕食会が終わり、それぞれが帰路についたときシンは去り行くセタンタを呼び止めた。
「お話、いいですか?」
「何か御用で?」
シンはサイラオーグとの再戦を望んでいることをセタンタに話す。
「それは構いませんが……サーゼクス様を通じてサイラオーグ殿に話を通すということですか?」
若干戸惑いながら答えてくれるセタンタ。セタンタもシンが考えていたように、同じような横槍が入ることを考えている様子。
「それだけじゃないです」
「また、グレモリー領の地下空間を利用したいということでしょうか?」
「それもありますが──」
シンは自分が今使える手札──大王派を釣る餌とも言うべきある考えをセタンタへ告げた。その途端、セタンタの表情は険しいものとなる。
「……それは本気で言っているのですか?」
「冗談では言わないです」
「寧ろ、冗談であって欲しいですね」
セタンタの目付きが明らかに険吞なものへと変わる。今までリアスの友人として接してきたシンを明らかに敵として見始めていた。
「全部聞かなかったことにします。では」
一方的に話を打ち切ろうとするセタンタ。シンは彼の前に回り込む。
「それで? 出来ますか? 出来ませんか?」
「話を聞いていなかったんですか? 私は聞かなかったことにすると言ったんですよ?」
「そっちも話を聞いていないじゃないですか。俺は出来るか、出来ないかを聞いているんですよ?」
場の空気が凍り付くような殺気が放たれる。主に放っているのはセタンタであり、シンはそれを真正面から受け止めていた。
「貴方はご自分の立場を理解していない。正直に言いましょう。貴方自身がどうなろうが私個人は興味ありません。リアス様が悲しむでしょうが、それも仕方のないことだと割り切ります。──ですが、貴方の我儘でサーゼクス様に迷惑が掛かるのは見過ごせない」
「それは本人に聞いてみないと分からないです」
殺してやろうか、この小僧。という言葉を寸での所で呑み込んだセタンタ。短気な自分が良くここまで耐えていると自分で自分を褒めたくなる。反面、激情を抑え込んだせいで血が逆流しそうになる。
図太い、無神経、傲慢にしか見えないシンの態度に我慢しながら、なるべく穏便且つ丁寧な対応を試みようとするセタンタ。
「ですから──」
「まあ、かなり無理なお願いだとは自覚しています。そもそもサーゼクスさんにこの話をした所で出来るかどうか……」
別方向から仕掛けてきたのは分かった。申し訳なさそうな──表情は全くそう見えないが──口調でサーゼクスの能力を疑うようなことを言ってくる。
ここでヘラヘラと笑って誤魔化し、シンに同調すればこの馬鹿げた話を終わらせることも出来たであろう。しかし、セタンタはグレモリー家に忠誠を誓う者。ましてや、サーゼクスは彼にとって唯一無二の友である。サーゼクスが馬鹿をやったときには厳しい言葉で罵倒することもあるが、誰よりもサーゼクスに敬意を持っている。
そんなセタンタの口から例え嘘でもサーゼクスを信じない、とは口が裂けても言えない。
「──ッ。それは」
「出来るんですね?」
ほんの少しの間でセタンタはシンに内心を見抜かれてしまった。何て可愛くないガキだ、と心の中で吐き捨てる。
一瞬でも言葉を詰まらせてしまった時点でセタンタの負けであった。だが、どうしても自らの忠誠心に嘘を吐けない。
「……サーゼクス様に聞けば、確かに何かしらの策を思い付くでしょうね」
「なら、お願いします」
強引なまでに話を通そうとするシン。
「ですから──」
「お願いします」
シンはセタンタの瞳を真っ直ぐ見つめ、同じ言葉をもう一度言う。
敵意を通り越して殺意すら覚える。夕食や酒で温まっていた体が激情によって煮え立つような熱を内包しているのも自覚している。
何かしらの切っ掛けがあれば、シンの眉間に槍を突き刺す──どころかくり抜いてやるという想像まで描いていた。
貫き殺すような視線を返すセタンタだったが、シンの目を凝視したとき不可思議な感覚に捉われる。
自分の奥底にある自分も知らない何かが浮き上がってくる──そんな生易しいものではなく掴み上げられていくような感覚。
吐き気を覚えるそれに耐え切れず、セタンタの口から出てくる。
「分かり、ました……」
全く言うつもりも無かった了承の言葉が絞り出されるように出てきた。それは殺意も激情も想像も全てを裏切る思惑とは真逆のもの。
(……はっ?)
自分で言っておいて信じられなかった。先程まであった感情は何だったのかと呆然としてしまう。
今も尚シンへの殺意が渦巻いている筈なのに何故頼みを引き受けてしまったのか。自分で自分が分からなくなる。
「ありがとうございます」
シンが礼を言うと、セタンタは愕然とした表情のまま別れの言葉も告げず、彼に背を向けて夢遊病者のような力の無い歩みで行ってしまった。
シンは小さくなっていくセタンタの背中をジッと見つめ続ける。
(これは嫌われたな……いや、それ以上か)
自分が無理を言っていることは百も承知していた。そして、その無理な願いを叶えるには冥界に精通しているサーゼクスの力がどうしても必要であった。
セタンタはシンの面倒事にサーゼクスが関わるのは心底嫌がっている。隠そうともしていない殺気からも分かる通り、最悪の場合あの場で刺されていてもおかしくなかった。
しかし、シンはそれが分かった上で我を通した。相手の心情が分かっていた上で無視して踏み躙るように己の考えを通した。
(彼奴より質が悪いな、俺は)
それが鈍感よりも邪悪であることをシンは自覚していた。目的を成就する為ならば手段を選ばないのが、もしかしたら己の本質なのかもしれない。
とはいえ、これで目的まで一歩前進した。場合によってはこれを切っ掛けにサーゼクスにも嫌われるかもしれないし、一歩の前進が大きな後退に変わるかもしれない。全てはサーゼクスの返答次第である。
セタンタへの目線を切り、シンもまた帰路へ着く。先に帰させておいたピクシーたちと合流する必要もある。
暗い道を一人歩くシン。彼は少しだけ気になっていたことがあった。
あれだけこちらに敵意を向けていたセタンタが、思いの外あっさりと頼みを引き受けてくれたことである。何か考えがあるのかもしれないが、どういう訳か了承後のセタンタが呆然としていたのが気になった。
ぼんやりとそのことを考えながら、シンは暗い闇の中へ溶け込むように消えていく。
シンとセタンタ。二人の知らない世界を飛び越えてもまだ残る見えざる繋がり、縁。まるで操られたかのようにセタンタがシンの頼みを聞いたのはその縁によるもの。無意識の善意だったのだ。しかし、過去の記憶が無いセタンタからすれば何故こんなことをしたのか気付くことが出来ない。今ある彼のアイデンティティを酷く傷付けることとなった。
互いを結ぶ縁。シンとセタンタがそれを自覚するのはもう少し先のことであった。
◇
「……以上です」
冥界へと帰ったセタンタは、代理の役目を終えたこととシンから頼まれたことを報告していた。シンとの件はセタンタの中で握り潰せば良かったものの、どうしてもそれが出来ず馬鹿正直に報告をしてしまった。
「成程。再戦の為とはいえ彼も随分と危うい橋を渡ろうとするね」
苦笑混じりに言うサーゼクスだが、その苦笑には関心も秘められていた。
「まさか、魔人であることを餌にしようなんてね」
大王派はシンに興味がほぼ無い。ならば、無理矢理にでも興味を持たせる必要がある。そこでシンが考えたのはシンが魔人であるという情報を大王派にリークというものであった。
三界から忌み嫌われている魔人。興味を持たない筈が無い。同時にそれは相手へ大義名分を与えることを意味する。
魔人ならば仮に殺したとしても誰も責めはしない。
そして、大王派は今も権力を求めている。正確には自分たちの地位を盤石にする為の力を欲している。魔人討伐は現魔王ですら為していない偉業。その名誉を手に入れれば四大魔王すらも凌ぐ名声が得られる。
だが、相手に大義名分を与えたところで、それがどうサイラオーグとの再戦へ繋がるのか。
「彼は、悪魔というものを良く理解している」
もし、シン討伐に動き出すとしたら真っ先に捨て駒にされるのはサイラオーグである。
サイラオーグはバアル家の次期当主候補だが、バアル家の当主の資格を満たさない魔力がほぼ無しの欠陥品という扱い。
仮にサイラオーグがシンを殺せばそれで良し。サイラオーグの成果は全て大王派へ還元される。逆にサイラオーグが返り討ちにあって死んでも良し。認めていない次期当主候補を自分たちの手を汚さずに排除出来る。
大王派にとって最も望ましいのは相打ちによる共倒れであろう。邪魔者二人をまとめて排除でき、名声を根こそぎ頂ける。サイラオーグの死をプロパガンダに利用する手もある。
どのような結果になったとしても大王派は特に損は無いのだ。
「大胆で面白いことを考えるね、彼は」
だが、と続き少しだけ真面目な表情になる。
「事はそう上手く運ばない」
サーゼクスはシンの大雑把な策──もしかしたら策ですらないかもしれないが──の成功率は限りなく低いものと考えていた。まず成功することはないだろう。
「しかし、それはそのままやった場合だ」
サーゼクスもシンから聞かされたままの方法を実行するつもりはない。話を聞いた時点でサーゼクスも可能な限りサポートをする気になっていた。
今後の冥界の為──というのは建前であり、サーゼクスもまた見たいのだ。未来を担う若き悪魔と混沌の可能性を秘めた成長途中の魔人との決着を。
至って個人的な理由であるが、逆に言えばサーゼクスにとってサイラオーグとシンは魔王のお眼鏡に適う魅力的な存在になっているということ。
「そうなると知恵と知識が必要になってくる。バアルの長老方の目や耳を欺く為に」
サーゼクスがどんどんやる気になっていく。グレイフィアはいつものことだと呆れていたが、セタンタはサーゼクスがシン関連でやる気を見せるのが嫌だった。まるで、シンに動かされているようで。
「アジュカとファルビウムの力を借りるとしよう」
四大魔王の名前を出され、セタンタは天を仰ぎそうになる。
(どんどん話がでかくなる……)
その二つの頭脳があればシンが望んだ通りの展開になるだろうが、残り二人の魔王もシンと関わりを持つことをセタンタは嫌悪する。そして、シンの望み通りに事が運ばれていっていることにも不安を覚えた。
「早速準備に入ろう。楽しくなってきたな」
「……そうですか」
セタンタの素っ気無いというべきか、覇気の無い態度にサーゼクスは密かに眉根を寄せる。傍に立つグレイフィアも似たような反応を示している。
普段の彼ならば『どこが楽しいんだ? 馬鹿かお前は?』と素の口調で罵倒の一つでも浴びせてくるものだが、そんな気配は全く無かった。
「セタンタ。彼と何かあったのかい?」
「……ありました」
セタンタは素直に答える。
「一体何があったんだい? 君がそこまで元気が無いなんて普通じゃない」
「普通じゃない……かもしれません。彼、というよりも私が。……申し訳ございませんが、当分の間、私は彼と接触するのを止めます。……これ以上接触すると今までの私を否定されかねませんので」
シンに了承した瞬間、今までグレモリー家の為に尽くしてきた時間、積み上げてきた忠誠、振るってきた武勇、全てが最初から無かったかのようにシンの願いを受け入れてしまった。
セタンタからすれば自己否定に等しい。言い様の無い嫌悪感を自身に覚える。だからこそ、これ以上シンと関わりたくなかった。自分の中に在る忠誠心が確かなものであることを再認識するまで。
「……失礼します」
退出するセタンタをサーゼクス、グレイフィアは止めなかった。グレイフィアは不安そうな目でサーゼクスを見る。
「分かっているよ。私も心配だ。だが、どうも言葉や気遣いで今のセタンタを救える気がしない」
二人にとって親友であるセタンタが、あれだけ弱々しい姿を見せるのは初めてのこと。或いは親友だからこそセタンタは弱った姿を二人に晒したのかもしれない。
「やはり、彼に関わると変わってしまうのかもしれない。それが良い変化なのか悪い変化なのかはまだ分からないが」
去り行く友の背を見送りながらサーゼクスは静かに呟いた。
◇
セタンタからサーゼクスへのメッセージを頼んでそれなりの日数が経ったが、まだ返事は来ない。そろそろリアスとサイラオーグのレーティングゲームが迫ってきている。出来ることならその前に戦いたいが、シンが出張ってやれることはない。自らが投じた一石がどのような波紋を広げるのかを待つのみ。
おでん屋での食事会以降、一誠とリアスの間に流れる空気は少しだけ変わった。まだ、ギクシャクしているところはあるが会話をしている姿をチラホラと見掛ける。ただ、必要最低限の会話に留めており会話が弾むこともなく、まだお互いに吹っ切れていない。
それでも当初の空気と比べれば遥かにましである。
そんなことを考えているとシンの携帯電話が振動する。時刻を見るときっかりと午前零時。相変わらずこういうことだけは正確であった。
誰なのか分かっているので流れ作業のように電話に出る。
「お前も飽きないな。そんなに暇なのか?」
『いつも開口一番にムカつく台詞を吐く奴に言われたくない!』
皮肉と憎まれ口が電話越しに衝突。いつものライザーからのレイヴェルの様子確認の電話である。
「いい加減妹と直接会話したらどうだ?」
『それが出来たら苦労しないと言っているだろうが……! お前が思っている以上に妹の中での俺の株は低いんだぞ……!』
何とも痛ましく情けない台詞であった。引き籠っていたときにウジウジと情けない姿を晒し続けていたことと、人間界の学校に通っていることを色々と口出しし過ぎて疎まれたことで底を舐めるぐらいにライザーの株は下がり切ってしまっていた。
『何とか……何とかレイヴェルに見直されるようなことをしなければ……何かアイディアはないのか?』
「お前の悩みを聞く為の電話じゃないぞ」
溺れる者は藁をもつかむ、という言葉があるが、ライザーがシンに相談してくる辺りそうとう思い悩んでいる様子。だからといってシンに起死回生のアイディアなど思い浮かばない。
電話越しでライザーがグチグチと愚痴り始める。昔のレイヴェルは俺を慕ってくれていただの、兄上たちよりも俺の方が仲が良かっただの、シンからすれば心底どうでもいい話を延々と垂れ流している。
聞きたくもない内容なので、そろそろ電話を切ろうかと考え始めたとき、玄関のチャイムが鳴らされる。
こんな時間に訪問者が現れることに疑問を覚える。もしかしたら、リアスか一誠たちが来たのかもしれない。
『おい、どうした?』
「誰かが来た」
『そんなものは後回しにしておけ』
愚痴しか吐かないライザーのこの言い草。もし、一誠だったら不意打ちで声を聞かせて慄かせてやろうと思い、電源を切らずに携帯電話をポケットに入れて玄関へ向かう。その間ポケットの中の電話から聞き取れないが、ライザーが騒々しい声を上げていた。
「はい」
玄関の扉を開けたとき、向こう側に立っていたのは意外な人物であった。
「夜分遅くに失礼いたします」
グレイフィアが丁寧に頭を下げる。
「こんな時間にどうかしたんですか? グレイフィアさん」
グレイフィアの名前を出した途端、喚いていたライザーの声がピタリと止まる。
「サーゼクス様より伝言をお預かりしましたので、間薙様へお伝えに参りました」
サーゼクス、伝言と来れば思い浮かぶのは一つしかない。
「サイラオーグ様との件、全て準備が整いました」
サイラオーグと再戦する為の道が開けたのだ。
「自分で頼んでおいて言うのもなんですが……もしかして、かなり無茶をしてもらいましたか?」
シンの感覚からすれば自分が魔人であり人修羅と呼ばれているという情報を適当に流せば相手が食いつくと軽く考えていた。シンは策謀家ではないのでほぼノープランに等しい。
「サーゼクス様たちは楽しんでおられたので大丈夫かと」
サーゼクス様たち、という言葉に引っ掛かりを覚える。他にも協力してくれた者がいる様子。正直な感想を言うと、物好きだと思ってしまった。
「色々とありがとうございます」
礼を言い、グレイフィアを見つめる。てっきりセタンタが報告をしに来るのかと思っていたが、グレイフィアが来たのは意外であった。
「セタンタならこちらには来ません」
シンが考えていることを見抜いてグレイフィアは先に答えてくれた。
「用事でもありましたか?」
「セタンタ自身が貴方に会いたくないとのことです」
嫌われたと思っていたが、顔を合わせるのを拒絶されるぐらいに嫌われてしまったらしい。
「彼と──セタンタと何かトラブルがありましたか?」
グレイフィアは無表情であったが、その銀色の瞳に宿る光が強くなる。露骨な敵意を放っている訳ではないが、相手がこちらをどのように思っているのかは伝わってきた。
(色々と嫌われたかもな)
強引に物事を進めたツケかセタンタだけでなくグレイフィアからの評価も下がったと思われる。
シンは詳しく知らないが、セタンタとグレイフィアは友人である。セタンタを傷付けるようなことがあれば、当然ながらグレイフィアも黙ってはいない。
「強引に頼んだことは認めます。ですが、それ以上のことはしていません」
銀眼から放たれる圧に屈することもなく、シンは目を逸らさずに言った。
サーゼクスの『女王』であるグレイフィア。彼女が宿す力は並外れたもの。それこそ、あの魔人たちにも後れを取らないかもしれない。
異変を感じ取り、ピクシーとジャックフロストが壁の陰から二人の様子を眺めていた。とてもじゃないが声を掛けることなど出来ない。
暫し沈黙が続いた後、グレイフィアはゆっくりと頭を下げた。
「そうですか。差し出がましい真似をして申し訳ございません」
疑ったことを素直に謝罪する。
「信じるんですか?」
「正直に申し上げますと、私では計り兼ねます。──間薙様御自身が持つ力が危険なものであることは周知の事実です」
同類である魔人がこれまで行ってきたことを考えれば危険視することは当たり前のこと。
「ですが、間薙様のこれまでのご活躍を無視することは出来ません」
魔人の力を以ってリアスたちと協力して様々な騒動や事件を切り抜け、解決してきた点も考慮する必要がある。
「私個人の感想となりますが、間薙様の先程の言葉は信じるに値すると思っております」
「──そうですか」
「それに失礼ですが、間薙様は御自分の力を全て把握していないのでは?」
「まあ、そうですね」
自分の力を完璧に把握していれば、今頃はマタドールやだいそうじょうとも互角に渡り合えていたであろう。
「……セタンタも自分の全てを把握しておりません。もしかしたら、間薙様とセタンタのお互い知らない何かが作用したのかもしれません……」
あくまで私の想像ですが、とグレイフィアは付け加える。
「──申し訳ございません。私の都合で無駄話をしてしまって。サーゼクス様の伝言は確かにお伝えました。あとは日にちを決めるだけですが……あまり猶予はございません」
「はい。分かりました。いつやるのかは決まり次第連絡します」
「では、失礼します」
グレイフィアが一礼すると開いていたドアが勝手に閉じられた。ドアを少し開け、隙間から覗く。グレイフィアは既にそこには居なかった。
サイラオーグと再戦出来る条件は整った。後はサイラオーグに伝えるだけである。
シンが直接伝えに行けば大王派に警戒されるかもしれないが、丁度いいことに代理の人物が居る。
シンは通話状態のままの携帯電話に耳を当てる。
『……おい。どういうことだ? どうしてグレイフィア様がお前の元へやって来た? それにサイラオーグという名も聞こえたぞ?』
グレイフィアとの会話の内容を断片的にしか聞き取れておらず、ライザーの混乱がよく伝わってくる。
「サイラオーグさんと練習試合をしようとしているだけだ」
簡潔に伝えるとライザーが息を呑む音が聞こえた。
『馬鹿な。もうじきリアスとのレーティングゲームだぞ? このタイミングでやるというのか? だとしても何故グレイフィア様がお前にそれを伝える?』
内容を知ってもますます混乱するだけのライザー。
「詳しいことはその内話をしてやる。……ところで、お前はサイラオーグさんと会う予定はあるか?」
『あ? 今日、ゲームへの調整を兼ねて俺の眷属たちと合同練習を……おい、お前まさか……』
ライザーとサイラオーグが良く顔を合わせているのは聞いている。レーティングゲームも近いので何かしら手伝っているのではないかと予想をしていたが、大当たりであった。
「一つ頼みたいことが──」
『お前! このライザー・フェニックスを顎で使うつもりか!?』
伝言役を頼もうとしていることを先読みし、ライザーは怒声をシンに浴びせる。
「お願いをしたいだけだ」
『俺を使おうとしているのは変わらん! 言いたきゃ直接言いに行けっ!』
シンに使われることを非常に嫌がる。シンも快諾してくれるとは思っていなかった。言うことを聞かせるには何かしらの条件が必要になってくる。
『大体……』
急に電話越しのライザーが黙った。その沈静具合にシンも訝しむ。
『……いいぞ。伝えておいてやる』
さっきまでとは百八十度違うことを言い始めた。
「……何か企んでいるな?」
『お互い様だろうが。別に大したことじゃない』
企んでいることを隠そうともしないライザー。とは言え、ライザーが言うように大事になるようなことは企てていない感じはした。
「……じゃあ、頼んだ」
『ああ、伝えておいてやる』
若干の不信感はあったが、ライザーに任せることにし、シンは伝える内容だけを教えて電話を切った。
その日のうちにライザーから電話を来る。内容は、サイラオーグが再戦を受けたというものであった。
◇
以前と同じグレモリー領地下の広大なトレーニングルーム。
「正直、来てくれるとは思っていませんでした。レーティングゲームは明日ですよね?」
「俺も思ってもみなかった。お前の方から誘いがあるとは」
シンと向かい合う既に戦闘準備を済ませたサイラオーグ。
「納得いっていないので、あの結果は」
「……ああ、そうだな。同感だ」
「だからこそ、ここで白黒付けようかと」
「感謝する……お陰で最高の状態でリアスたちと戦えそうだ」
「もしかしたら、ゲームに出られないかもしれませんよ?」
「そのときはそのときだ。俺がその程度の男だったということだろう。──尤も、自分の身を心配するのはそっちかもしれないが」
「再戦といきましょうか?」
「この瞬間を与えてくれたお前に感謝し、全力で挑もう!」
サイラオーグが構えることはせず、自然体のままであったが既に四肢の封印は解いており、白い闘気を纏っている。
今回の戦いでサイラオーグは眷属たちを連れて来なかった。シンを警戒していた『兵士』の仮面の少年もいない。万が一の場合、危機的状況になったとしても眷属たちが乱入してこないようにする為である。シンもまた仲魔たちを連れて来なかった。理由は空気を読まずに騒ぐのが目に見えていたからである。
この戦いに於いて客観的に見るならばサイラオーグに何の益も無い。前日にレーティングゲームを控えているのに実戦と変わらない試合を行うなどデメリットしかない。この戦いはサイラオーグ個人が望んだもの。彼にしか理解出来ない益がある。
だからこそ、サイラオーグは今回の件を自分の眷属たちに話さなかった。もしも、他の眷属たちが居れば彼は自分がブレてしまうと分かっていた。個人ではなく他の悪魔たちの夢や希望を背負い、彼らの未来を拓くサイラオーグ・バアルという存在として。
シンとの戦いはそんな彼らを裏切るに等しい行為だろう。シンが言っていたように下手をすれば大事なレーティングゲームを台無しにし、これまで積み上げてきたものを失う。
しかし、そのことが気にならない程にサイラオーグは昂っていた。一誠と戦ったときとはまた違う不思議な高揚。シンと初めて戦ったときは、しがらみがあったせいで集中し切れなかったが今は違う。
サイラオーグの本能がシンとの戦いを心から求めている。
既に準備が整ったサイラオーグを尻目にシンは自分のペースで準備をしていた。今回の戦いでは前回審判をしていたサーゼクスたちは居ない。二人が確認し合ったときに戦いは開始される。だから、無駄に焦る必要もない。
前の戦いのときと同じくシンは上着を脱ぐ。そして、そのまま投げ捨てる──
「お、お預かりしますわ!」
──ことはせずに顔を紅潮させているレイヴェルへ手渡す。
「……ありがとう」
「当然のことをしたまでです!」
嬉しそうな笑顔を浮かべ、シンの上着を大事そうに抱えながら壁際へと戻っていくレイヴェル。トレーニングルームの白い壁にはライザーが背を預けて立っていた。
ライザーがここに立ち会っている理由はまだ分かる。サイラオーグと戦う為の言伝を頼んだからだ。だが、何故かレイヴェルまで同行させていた。
(売ったな、あいつ……)
答えは至って簡単。落ち続けている兄としての株を上げる為にレイヴェルにシンとサイラオーグが戦うことを教えたのだ。頼みごとをしたときにやけにあっさり引き受けた理由が分かる。
レイヴェルからすれば一誠のファンであると同時にシンのファンでもある。しかし、シンはソーナのときのレーティングゲームを最後にレーティングゲームから身を引くことを決定していた。レイヴェルからすればファンになると同時に引退されたようなものであり、それをひどく残念に思った。だが、運命とは常に分からないものである。
兄から知らされた試合。それも若手悪魔最強と称されているサイラオーグとシンとの戦いである。非公式ではあるが、公式ではまず見ることは叶わない組み合わせにレイヴェルは気絶しそうになるぐらい興奮し、思わずライザーに抱き着いて感謝した程である。
審判などは用意されていないが、二人の間では暗黙の了解が交わされていた。それは、最悪の場合、死ぬかもしれないということ。それだけ本気で戦い合うという証明である。
レイヴェルはここから一秒たりとも瞬きをしないことを誓う。外に一切洩らすことを許されないこの戦いを全て網膜へ焼き付ける。それは、レイヴェルの隣に立つライザーも同様であった。真剣な表情で向かい合う二人を睨むように見る。
シンは両手の指をゆっくりと折り曲げ、五秒程の時間を掛けて拳を作った。強く握り締めると空気が張り詰める。
緊張や恐れなど一切感じさせない揺れぬ瞳でサイラオーグを見詰める。サイラオーグは逆に闘志や覇気で燃える瞳で見つめ返した。
静と動。そうとしか言い様がない両者。だが、共通する思いは同じ。目の前に立つ相手を倒す。それのみ。
今、二人が待っているのは開始の合図ではない。準備を済ませた時点で戦いは始まっている。二人が待っているのは相手の僅かな隙が生じる瞬間である。
物音一つ無い沈黙が場を支配した。衣服が擦れる音も聞こえず、呼吸音すらも最小へ抑えられている。
二人の戦いを第三者の位置で見ているライザーは、これがレーティングゲームでなかったことに感謝する。とてもじゃないが、ゲームを楽しみにして観戦しに来た悪魔たちを喜ばせられるような空気では無い。
息苦しく、精神に重く圧し掛かってくる場の空気。大概の悪魔はこの空気に耐え切れなくなって観客席から逃げ出してしまうだろう。或いは気圧されていることを誤魔化す為に雰囲気をぶち壊す野次を飛ばすかもしれない。
どれもこれもがこの戦いを穢す行為である。ただ向き合っているだけでこれだけの空気を生み出せる二人にライザーは戦慄すると同時に嫉妬する。もし、シンかサイラオーグのどちらかの位置にライザーが立っていてもこの空気を生み出すことは出来ないのを自覚しているからだ。
嫉妬の炎を静かに燃やすライザーの傍らでレイヴェルは気圧されそうな空気に負けずに二人を凝視し続ける。レイヴェルの目は業火のような輝きに満ちていた。この他者を圧倒する雰囲気は、レイヴェルは嫌いではない、好きと言ってもいい。上に立つ者、もしくは立とうとする者が持つ覇気。レイヴェルの心が際限なく昂る。
その心の昂ぶりについ無意識で前のめりになっていき、靴裏が床を擦る。
音にすればほんの小さなものであったが、自分の心音すらも煩く聞こえるこの空間内では良く響いた。
限界まで張り詰められた空気の中で起こる僅かな変化。シンはその変化に耳に意識が割かれ、サイラオーグは目に意識が割かれる。
僅かな集中の欠け、微かな瞳の動き。それを相手から感じ取った瞬間、二人は動き出していた。
互いの顔面中心を狙って繰り出される拳。拳同士が交差するタイミングでシンは手首を返してサイラオーグの腕を掴み取る。
指先一点に力を集中させ、サイラオーグの腕を握り潰そうとするが側面から音を切り裂くサイラオーグの蹴りが迫っていた。シンは掴むのを止め、サイラオーグの腕に指先を滑らせるようにしながら後退。サイラオーグの上段蹴りがシンの前髪を揺らす。
一瞬交戦し一瞬で離れた両者だったが、サイラオーグの腕からは血が滴っており、シンも右眉上から血を流していた。
サイラオーグの腕の傷は引っ掻き傷という生易しいレベルではなく抉られており、しかもそれが五本の分もある。シンの右眉上の傷も深く、かなりの量の血が顔を伝って顎先から雫となって落ちている。
闘争の空気に血のニオイが加わる。戦いを好む者ならばこの場に満ちる空気を、我を忘れて胸一杯に吸い込むことだろう。だが、当事者の二人は至って冷静であった。この場に於いては冷静さを欠いた時点で負けへと繋がる。戦いの中で否が応にも高揚し、熱を帯びてくる体を絶対零度の精神を以って鎮まらせる。
離れた両者が再び動く。血が伝うサイラオーグの拳が放つ突き。速過ぎて散った血が霧のようになる。
その突きを紙一重で躱すシン。一度避けてもサイラオーグは手を緩めることなく両の拳で連打する。当たれば重傷を免れない突き、しかも連打をどれもこれもギリギリで回避し続ける。流れ落ちる血がシンの回避の足跡を描くように飛び散っていく。
見ている方の精神が削られそうな攻防。しかし、決して目を離すことが出来ない。
両者の戦いを瞬き一つせずに見ていたライザーとレイヴェルは喜びと同時に哀しみを覚える。
この戦いの記録を独占出来ることを。この戦いが衆目の前で行われないことを。
◇
「素晴らしい──が勿体無い。この戦いがレーティングゲームであったのなら、さぞ盛り上がっただろうに」
今回の件の立役者の一人であるサーゼクスはモニターに映る二人の戦いを見ながら残念そうに言う。
「あの年でこれ程の戦いをするとは末恐ろしい二人だよ」
妖艶な顔付きをした異性だけでなく同性すらも虜にしてしまいそうな美青年──アジュカ・ベルゼブブは興味深そうにモニターを眺めている。
「いやいや頑張ってるねー……というか頑張り過ぎじゃない? まぁ、珍しく働いた甲斐があったってことかな? ふぁぁぁ……」
欠伸をしながら、だが決してモニターからは目を離さないスキンヘッドの男。巨躯に反して言動に全く覇気が無い。この男性もまたサーゼクスとアジュカと同じ魔王のファルビウム・アスモデウス。
アジュカは術式などの技術開発の最高顧問であり、ファルビウムは戦術を担当しており冥界の軍事を統括している。
大王派の息が掛かった者たちを炙り出し、泳がせながら重要な情報を握ったように思わせる為に色々と工作をした。戦い後のアフターケアも万全である。
大王派には気付かれていないだろう。そもそも一介の悪魔と人間を戦わせる為に魔王が三人も手を貸しているとは思うまい。大王派にも優秀な悪魔たちは居るが、その傲慢さが考え方の死角を作ってくれる。
この三人の魔王が協力してくれたことでこの戦いを用意することが出来たが、彼らはモニター室で離れて見学していた。理由は魔王三人が並んで見学をしていたら気が散るかもしれないと思ったからである。そんなことで動揺するようなシンとサイラオーグではないことをサーゼクスは知っているが、なるべく余計なものを見せないというサーゼクスたちなりの配慮であった。
「色々と面倒なことが多かったけど、ちゃんと割に合うよね?」
普段は重要な仕事以外は眷属に丸投げしているファルビウムだが、若手悪魔ナンバー1であるサイラオーグと魔人であるシンの戦いに珍しく喰い付き、働いてくれた。今の段階でもそれなりに興味を惹かれているが、まだ弱い。
「戦いが進めばいずれ答えは分かるさ。今度は彼らを止めるものは何一つ無い」
「今はじっくりと観察させてもらうよ。──今後の為にね」
冥界に何度も侵入してくるマタドールに対抗する為、対マタドール用の結界を冥界に張り巡らせて冥界に二度と踏み入れられないようにしたことがあるアジュカ。シンもまたその対象になるかもしれないと暗に告げる。
アジュカもファルビウムも魔人に対して好意的ではなく、シンも今の所は悪魔にとって無害ではあるが、他の魔人たちと同じような評価であることをサーゼクスは知っている。
彼らが協力してくれた理由もシンが敵となった場合に備え、少しでも情報を得る為だろう。サーゼクスもその考えが無いとは言えなかった。だが、同時にシンという魔人を見ていると疼くものを感じる。
嘗てサーゼクスはマタドールにより限りなく死に近付いた。魔人が放つ死の気配。長い生を持つ悪魔にとってそれは劇薬染みた刺激であった。
今、サーゼクスの中で疼くものは悪魔の業なのかもしれない。
「──君は、悪魔に何を見せてくれるんだい?」
その呟く声に込められたのは未知を齎してくれる期待か、或いは──
サイラオーグの好感度が大幅に上昇した
レイヴェルの好感度が大幅に上昇した
グレイフィアの好感度が少し下がった
セタンタの好感度が大幅に下がった
セタンタに敵視されてしまった