密度の濃い一日もようやく終わりを見せ、やるべき事をほぼやり尽くしたシンは自室の簡素なベッドに腰を下ろしていた。
仲魔は各々好きな事をしており、シン一人だけ。数少ない自由な時間と言える。
シンの視線がチラリと向けられる。ベッドの上に無造作に置かれた携帯電話。それを目にした途端、シンは無意識の内に頭の中でカウントダウンを始めていた。
先に述べたようにやるべき事はほぼやり尽くした。ほぼということは全部ではない。これから起こることは、その残された僅かな部分である。
60から始まったカウントダウンがそろそろゼロを迎えようとする。
(5、4、3、2、1……)
脳内でゼロと呟くと同時に携帯電話が鳴り始めた。
誰が掛けているのかは分かっている。人間界へ留学している妹のことが心配で心配で堪らないライザーからの定期報告の催促である。
色々とだらしない印象を受けるライザーであるが、この電話だけはいつも決まった時間に正確に掛かってくる。予定通りというのは悪くないが、それをライザーという男がやっていると思うと──
(気色悪いな)
そんな感想を心の中で思ってしまい、鳴っている携帯電話を手に取ると──
「気色悪いな」
『いきなり喧嘩を売っているのか! お前っ!』
──開口一番で思っていたことを遠慮なく出す。当然ながらいきなりそんなことを言われたライザーは激怒した。
初撃をシンの方から行ったこともあり、そこからライザーの怒涛の罵声が放たれ続ける。
最初のうちは一言一言耳で拾って時折相槌を打っていたが、最近は最早慣れてしまいシンはライザーの罵声を完全に聞き流し、向こうが喋っている間は音一つ漏らさない沈黙に徹する。
気が済むまで勝手に喋らせ続けるシン。
『あの……そろそろ本題に入られては……? ライザー様が怒鳴ってばかりいられても話は進みませんので』
ライザーの罵声に全く意識を向けていなかったことで、電話向こうのユーベルーナがおずおずとライザーを諌める声を拾った。
眷属の、しかも『女王』であるユーベルーナに宥められたことでライザーの溜飲も下がったのか溜息を吐いた後、声のトーンが下がる。
『ちっ。お前のせいで俺の貴重な時間を無駄にした』
「ああ、そうか」
シンの平然とした声が癪に障ったのかミシリという電話を握り潰さんとする音が聞こえてきた。
『電話越しでもムカつく野郎だ……!』
「それはどうも」
これが基本的な二人の会話の様子である。ライザーが不死鳥らしく熱の入った喋り方に対しシンは常に冷静で感情の揺らぎを全く見せないという対極。
どちらも相手に遠慮することなく喋る。別にこいつになら嫌われてもどうとも思わないという二人の考えがこの遠慮の無さとなっている。
ある意味では一誠やリアスたちよりも気安い関係と言えるが、それ以上に破綻し易い関係でもあった。何か間違えれば二人の関係はすぐに断ち切られる綱渡り状態。そんな状態でも繋がりを惜しむことなく思ったことを口に出す。
『……それで? 今日もレイヴェルは学校生活を楽しめていたのか?』
「少なくとも普段通りだったな」
一旦感情を押し込めて本題に入る。
『本当にそうか? ちゃんと調べたか? レイヴェルがもしもイジメにあっていたとしたらいじめっ子共々お前も燃やすぞ?』
「燃やすならいじめっ子だけにしておけ」
『連帯責任だ!』
どう考えても言葉の使いどころを間違っているが、それを指摘すると話が逸れてしまうので黙っておく。
「前にも言ったが、レイヴェルはクラスにすっかり馴染んでいる。それどころか中心的な存在になりつつあるみたいだ」
彼女をフォローしている小猫とギャスパーから聞いた。容姿もあるが性格の方も人を惹きつけるらしくレイヴェルの周りには常に人が居る状態とのこと。
『ほう……? 流石は我が妹。いや、フェニックスの血を継ぐ者だ』
レイヴェルを褒められると我がことのように喜ぶライザー。一気に機嫌が良くなる。
『それで? 他にはどんな感じだ?』
「……毎回言っているが、そんなに気になるなら妹と直接話せばいいんじゃないか?」
『それが出来たら苦労しない!』
レイヴェルも言っていたが、又聞きしたような偏見に満ちた人間界へのにわか知識を晒したことでレイヴェルを不機嫌にさせて以降全く会話の無い状態だと言う。
『これが反抗期というやつか……』
妹とどう接していいのか分からなくなってしまったのか本気で困ったような声を洩らす。
「妹であると同時に眷属でもあるだろうが。兄としても主としてもしっかりしろ」
『眷属……? ああ、そうか。お前はまだ知らないのか。レイヴェルは俺の『僧侶』をとっくに止めている』
「止めた? 眷属は止められるものなのか?」
主から独立するという話は聞いた記憶があるが、眷属を止められるというのは初耳であった。
『俺が不調だったときに母上と未使用の『僧侶』の駒とトレードした──というかレイヴェルの方から言ってきた。トレードというのは『王』同士が了承すれば同じ種類の駒と交換が出来るルールだ。母上はレーティングゲームをしないから実質フリーになっている』
「成程」
悪魔間での新たなルールを知れたが、あまりこちらには関係のない話である。リアスはトレードをまず行わない。
その後のシンとライザーの会話は特にこれといって重要なものではなかった。最近学園祭の準備を行っており、レイヴェルもそれを手伝っているという近況報告。
言うべきことは全て伝え、これで会話が終わるかと思ったとき、シンの方からライザーにある話題を振る。
「──一つ聞きたいが、フェニックスはバアルとは仲が良いのか?」
大王と称され、上級悪魔たちに強い影響力を持つバアル家。知り合いにもその影響が及んでいないのか確かめたくなった。
『何だ急に? ……バアル家相手に何かをやらかしたか?』
ライザーの声から緊張が伝わって来る。同じ上級悪魔という立場でもバアル家はやはり特別なのが分かる。
「やらかしてはいない。この間、サイラオーグさんと会ったときにその名が出て来たから気になっただけだ」
戦ったというのは黙っておく。言ったら話が脱線しそうに思えたので。
「やっぱり仲は良いのか? 同じ上級悪魔同士で」
『生憎、バアル家に媚を売る程フェニックス家は困ってはいないんだよ』
ライザーの口振りからしてあまりバアル家を良く思っていない様子。
『関わりはある。冥界で生きていく以上バアル家とはどうしても繋がりを持ってしまうからな。だが、それでも最低限には留めてある』
「サイラオーグさんと付き合いがあるのは良いのか?」
『サイラオーグとは俺個人との付き合いだ。それに、あれだ……サイラオーグは──』
「色々と事情は聞いている」
『それなら話は早い。サイラオーグの身の上話はそれなりに有名だ。それを知っているからこそ父上も兄上たちも何も言って来ない』
言い方は悪いが、サイラオーグは次期当主だが本家こと大王派から軽んじられているせいで、派閥に取り込むような真似はしてこないと思われているのだろう。
『……ただ、最近は少し目を付けられているようだ。バアル家からしたら俺とサイラオーグの繋がりが気に入らないのかもしれない』
フェニックス家はフェニックスの涙により安定な収入を得ている。レーティングゲームや『禍の団』との諍いがある限り需要は伸びていく。それはつまりフェニックス家の繁栄に繋がる。
三男とはいえ今後も繫栄していくだろうフェニックス家がサイラオーグと交友があることで、後ろ盾の一人になるかもしれない可能性を危惧している、というライザーの推測を聞かされる。
もしかしたら、サイラオーグに対する大王派の目が厳しくなった遠因の一つである可能性があった。
『……バアル家は筋金入りの純血主義者だ。古くから続く上級悪魔以外は悪魔に非ず、を素で言えるぐらいの。あまり大きい声では言えないが悪魔至上主義の旧魔王派と思想の具合は変わらない。……正直、引く』
「お前も純血主義者じゃなかったか?」
リアスとの結婚を望んでいた男とは思えない台詞である。
『ふん。俺はバアル家程頭が固くないんだよ。それにお前みたいな一般人には理解出来ないかもしれないが、受け継いだ伝統や血を跡に繋げていくのは貴族としての義務みたいなもんだ。あと──』
そこで一旦喋るのを止める。無言の中に言うか、言わないかの葛藤があった。
『あと……転生悪魔にやられておいて、そいつを認めないなんてダサいだろうが……』
言っていて恥ずかしかったのか、早口な上に段々と声が小さくなっていった。
「……」
『……』
「……」
『……』
「……」
『何か言えっ!』
気遣った沈黙が反って羞恥心を煽ることとなり、ライザーは堪らず怒鳴る。
「そうか」
『が、ぐっ……! ぐぉ……! ぐぅぅぅぅ!』
ライザーの悶える声。淡々とした答えに助かる反面、素っ気無さ過ぎるせいで折角恥を偲んで本音を喋った甲斐の無さ。相反する感情によりどう反応すべきか苦悶している。
「そんなことよりだ」
『そんなことだとこの野郎! もう知らん! 切るぞ!』
へそを曲げたライザーが電話を切ろうとする直前に、シンは気になっていたことを訊く。
「ディハウザーさんもやはり大王派なのか?」
電話はまだ切られていない。その問い掛けにライザーの動きは止まっていた。
『……何でそこで皇帝ベリアルの名を出す?』
「サイラオーグさんのアドバイザーだろ? ディハウザーさんは。……言い方は悪いが大王派とパイプを持つ為にしているのか、或いは大王派と繋がりがあるからアドバイザーとして選ばれたのか気になっただけだ」
ディハウザーと話していてサイラオーグに親身になっているのは分かっている。それは純粋にサイラオーグを思ってのことか、それとも目的があってのことなのか少し気になる。裏表があるからといって嫌悪することはないが、ディハウザーの立ち位置が知りたかった。
『ディハウザー・ベリアルは千年に一人の逸材とまで称される魔王にも匹敵する実力者だ。彼の強さなら一々権力者にすり寄ってパイプを作る必要もない。向こうからやって来るからな』
「なら違うのか?」
『ディハウザー・ベリアルが大王派かどうかは知らないが、彼の父親が大王派寄りの派閥に入っているのは知っている』
いまいち判断し難い何とも微妙な情報である。
「ディハウザーさんは例外で、ベリアル家自体はそこまで特別ではないということか」
『貧乏貴族というやつだ。領土は特別栄えておらず、特産品を売ろうにもそれを宣伝する金が無い。まあ、珍しくも無い話だ』
成り上がることよりもそれを維持し続けることの方が困難とは良く聞く。
『ただ、領民からは慕われていたそうだ。金が無いからといって領民から搾り取るような真似はしなかったらしい。一族集まって領土や領民たちの生活を守っていたとか……言っておくがフェニックス家も領民から慕われてるからな? ちゃんと与えるものは与えているからな?』
「そんなことは聞いていない」
変なところで対抗意識を見せるライザーにシンは呆れた反応をする。
『……そんな貧困に喘いでいたが、ディハウザー・ベリアルがレーティングゲームで頭角を現すようになって一変した。彼のおかげで領土の宣伝も出来たし、ゲームを通じて色々な貴族たちとの繋がりも出来た。……大王派とのパイプが出来たのもその頃だろうな』
豊かではない領土を豊かにし、安定させる為に大王派に属したとしてもおかしくはない。思想まで共有しているかは分からない。大王派の権力が魅力的に見えても不思議ではない境遇でもあった。
ディハウザーの情報が色々と手に入ったが、ディハウザーの隠し事に関する情報は無いし立ち位置もまだ判断出来ない。これ以上知るにはディハウザー本人か彼の身内に訊く必要がある。
「そうか分かった。情報、感謝する」
『……お前、本当は皇帝ベリアルと何かあったんじゃないか?』
ライザーが疑ってくる。シン自身も不自然なタイミングだったかもしれないと思っているので、疑問を抱かせるのは仕方のないことであった。
「何も」
感情の揺れ一つ無い完璧なまでに平坦な声。本当にも嘘にも聞こえてしまう、相手に迷いを与えるような返答であった。
『……まあいい。せいぜい皇帝ベリアルの不興を買って叩き潰されないようにでもしておけ』
ライザーは迷った結果、疑いを保留にして忠告のような嫌味のような言葉を送って電話を切った。
(さて、どうするか……)
自分が首を突っ込むような立場では無いことは自覚しているが、知ってしまったからには何かしら考えるべきだとは思う。
徒労に終わるかもしれないが、これからどうするべきか考えようとした矢先、手の中の携帯電話が震える。
ディスプレイを見ると掛けてきた相手は一誠であった。
考えるのは後回しにし、シンは電話に出る。
「もしもし──」
◇
翌日の夜。シンはグレモリー領の修行場こと地下トレーニングルームに居た。居るのはシンだけでなく当然リアスと眷属たちも揃っている。
ロスヴァイセとゼノヴィアは離れた場所で一緒にトレーニングをし、ギャスパーや小猫はシンの仲魔たちとそれぞれのサポートを行っている。アーシアはイリナと共に神聖の術式について勉強。リアスと朱乃は見守りながら時折アドバイスを行っていた。
そして、木場と一誠はシンのすぐ傍に居り、近くではレイヴェルが見学している。
「僕が誘ったときは断ったのに」
前回はダメで今回は参加してきたシンに木場は少し恨めし気に見る。
「前回は気が乗らなかった。今回は乗った。それだけだ」
木場にも言ったが、前日に散々総司に斬られていたので木場と一緒にトレーニングする気が起きなかった。日を置けば気分も変わる。
「恨みますよ、師匠……」
原因である総司に対し、木場は冗談っぽく恨み言を言う。
ふと、シンはあることに気付く。木場の両手に包帯が巻かれていた。今日の学校ではそんなものは巻いていなかった。
「ああ、これ?」
木場がシンの視線に気付き、苦笑を浮かべる。
「時間があったから、少しでも慣れさせようと頑張ってみたんだけど油断しちゃったよ」
ペットでも手懐けるような台詞を喋っているが、木場が指しているものはそんな可愛らしいものではない。
木場は亜空間から一振りの剣を取り出す。シンはその剣を知っている。ジークフリートから体を張って奪い取った二振りの魔剣の内の一本──ノートゥングである。
木場は取り出したノートゥングを握る。
「とんでもないじゃじゃ馬だよ、これは。使い手を認めない限りまともに振らせてもくれない」
「そう言って握ってるじゃん」
一誠の言う通り、実際に木場はノートゥングの柄を握っている。
「ああ、これはね──」
そのとき、ゾクリとする妖しい気をノートゥングが放つ。それに危険を感じたシンと一誠は木場にノートゥングを手放すように言おうとするが、その前に木場は柄から手を離していた。
木場の手から滑り落ちたノートゥング。地面に刺さると音も無く鍔本まで沈むように突き刺さる。相変わらずの凄まじい切れ味であった。一誠もその危険過ぎる切れ味に目を剝いている。
木場の手に巻かれていた包帯が切れて落ちる。掌には治り掛けの傷が幾つも刻まれていた。
「偶にこういうことをするから質が悪いよ……」
木場は刺さったノートゥングを抜くことはせず、そのまま亜空間へ戻した。
「……なあ? もしかして、あのまま握ってたら……」
「まあ、指が飛んでいたかもね」
うへぇ、と一誠は顔を顰めた。魔剣の名に恥じない凶暴性である。
ジークフリートから魔剣を奪取したときから木場は魔剣の力を己のものにする為に魔剣に使い手として認めさせようとしたが、中々険しい道のりであった。
ノートゥングは容赦無く木場の指を斬り落とそうとし、もう一本のダインスレイブは木場の手を凍傷で壊死させようとしてくる。最初のうちは満足に握らせてもらうことすら出来なかった。
それでも木場が剣士として中々の実力があると魔剣が判断すると振るうことを許されたが、今度は振り方や扱い方が気に入られないと先程のように嫌がらせをしてくる。ノートゥングならば指や掌をざっくりと切り、ダインスレイブは超低温により柄に手を張り付けさせてくる。
木場の掌の傷はそれによって出来たもので、アーシアの神器で治療を受けるぐらい深い傷を負う場合もあった。
「敵ながら大したものさ、ジークフリートは。あれだけ使い難い魔剣を五本も同時に扱えるんだから」
ジークフリートの実力を素直に認める木場だが表情は真剣そのもの。実力を認めるということは同時に自分との差を認めるということ。実際、ジークフリートはシン、木場、ゼノヴィア三人相手に互角以上の戦いをしていた。
「出来ることならレーティングゲームまでに使いこなせるようになっておきたいけど、まだまだ時間が掛かりそうだよ」
性能は木場が神器で創造する聖剣、魔剣を上回っているが、使用するリスクは高い。戦闘中に魔剣に裏切られて敗北しようものなら死ぬまで恥として残る。
「じゃあ、今回の特訓は魔剣を使いこなす為のものか?」
「それも大事だけど、もう一つの方さ」
「ああ、新しい技の方ね」
「早く形にしたいとね」
一誠は知っている様子だが、シンは木場がどんな技を編み出そうとしているのか知らない。
「新しい技を編み出すのはいいが、俺に協力出来ることなのか?」
「大丈夫。簡単なことだよ」
すると、木場が神器により剣を創造する。だが、その剣は木場が普段使っている魔剣ではなく聖剣であった。
「君とイッセー君で僕を徹底的に追い込むだけで良いんだ」
「そういうことか」
シンプル過ぎる説明にシンは即座に納得する。同時に木場がどんな技を編み出そうとしているのか凡そ察する。
「合図はいるか?」
「イッセー君の禁手の発動が合図だよ」
シンは一誠の方を見る。いつの間にか『赤龍帝の籠手』を装備しており、禁手までのカウントダウンも始まっていた。
カウントダウンの最中三人の会話が途切れる。構えなどをとっていないが、戦いに向けての集中力を高めている。
三人が実戦に近い模擬戦闘を行うのが周りも分かったのか自分たちの特訓を一旦止め、三人の戦いに注目する。
レイヴェルに至ってはファンとして一誠とシンがタッグで戦う様子を最前列で見ることが出来る垂涎もののシチュエーションに興奮し過ぎて顔を真っ赤に染めている。
カウントダウンがゼロへと近付く。そして──
『Welsh Dragon Balance Breaker!』
禁手と同時に一誠は真っ直ぐ木場へ飛び掛かる。魔力の噴射による加速を得て繰り出される先手の突き。
木場はギリギリまでそれを見極め、頭を傾けることで紙一重でそれを避けてみせた。
木場の見切りは称賛に値するものであったが、木場本人は全く余裕など無い。まるで暴風が耳元を突き抜けていったかのような暴力的な風切り音。掠めてもいないのに木場の精神をごっそりと削り取っていく。
突き出していた拳を素早く引き、一誠は次弾を繰り出そうとする。
木場は反射的に聖剣による防御を選ぼうとしてしまった。初撃によるプレッシャーが木場に比較的安全な方法を本能的に取らせようとしている。
一誠が拳を強く握る様子がスローモーションのように感じられた。集中力が増している証拠でもある。
固く握られた拳が放たれる──かと思ったとき、一誠は何故か拳を打たない。
完全に来るタイミングだと思っていた木場は虚を衝かれる。次の瞬間、足から脳天まで突き抜けていく痛みが木場を襲った。
膝から下が斬り飛ばされたのかと錯覚するような痛み。その正体は側面へ回り込んでいたシンの膝裏へのローキック。
良くも悪くも目立つ一誠をデコイにしてシンは密かに移動し、目も意識も離せない内に攻撃する。しかも、『騎士』にとって持ち味を活かす為に必要な足を狙った。
木場の顔に脂汗が浮かぶ。情け容赦の無いシンの蹴りは思考を乱す程の苦痛を生む。
痛みという雑念により働きが鈍る頭を動かしながら木場は一旦二人から離れようとするが、反射と速度が鈍っている今の木場をシンが捕えるのは容易いことであり、木場の肩を掴み、握る。
指先が筋肉の中へ沈み込んでいき、骨を圧迫する。
肉と骨を掴まれる激痛により木場の動きは一瞬だったが完全に止まってしまい、そこへすかさず一誠の拳が飛ぶ。
木場は気力を振り絞って聖剣で防御しようとするが、一誠の拳は木場の聖剣を易々と打ち砕き、木場の顔面を突く──手前で寸止めした。
一誠が寸止めしたのを見て、シンは木場の肩から手を離す。木場はその場で片膝を突いた。
木場の顔は冷や汗と脂汗で濡れ、血の気の失せた死人と見間違いそうな顔色をしている。
「木場? 大丈夫か?」
やり過ぎたと思った一誠は木場を心配して声を掛ける。
「一瞬だけで本気で死ぬかと思ったよ……甘く見ていたつもりはなかったけど、イッセー君と間薙君二人掛かりだとここまで手も足も出ないなんて……」
二人の実力に敬意を持っている反面、木場は内心ショックであった。少しはやり合えると思っていたが、それが思い上がりだと思い知らされるような瞬殺。これが実戦でなかったことに心から安堵してしまう。
「やっぱり一人ずつ交代でやった方が良いか?」
一誠が無難な提案をしてきた。一誠の言っていることは実に正しい。一瞬で負けてしまうようなら特訓にもならないし、技を完成させる暇も無い。
「いや……このままでお願いするよ」
木場は立ち上がり、深呼吸を繰り返す。すると、悪かった顔色が徐々に戻っていく。
「これぐらい追い詰められないと意味が無いんだ。実際、頭の奥底で何かが開きそうな感覚もあったんだ。このまま続けてくれないか?」
シンと一誠は顔を見合わせる。本人が望んでいる以上、これ以上気遣うのは野暮である。
「──分かった。次はもっとマジでやる」
「……死んでも恨むな」
次からはもっと容赦無く攻めてくる二人に対し、木場は微笑を見せるが余裕は感じられない。
「お手柔らかに……とは言わないよ」
◇
明くる日の朝。シンは普段通りに登校する。だが、次に見えた光景に目を細めた。
一誠たちが登校しているのだが、一誠とリアスの間にやけに距離がある。一誠は情けない表情をしており、アーシアはオロオロとしている。
一誠とリアスの間にあった不穏な空気が悪化して表面化までしている。レーティングゲームも近い筈なのに主と眷属の間でトラブルが起こっているのは笑えない状況であった。
(どうしたものか)
事情を確認するべきかどうか迷う。両者の問題に対して、シンが首を突っ込むのは介入し過ぎだと思ったからだ。しかし、いつかは爆発するかもしれないと分かっていた不発弾をみすみす放置していたことにも多少は責任を感じる。
時間があれば一誠かリアスに何があったのかを確認しようと決めた。
「お、おはようございますぅぅ」
「ヒ~ホ~。おはよう~」
最初の一言は元気良く、後半になるにつれて小声になっていく挨拶と間延びした挨拶。
「おはよう」
いつものギャスパーとジャックランタンの挨拶にシンは普段通りに返す。
「あ、あの……」
ギャスパーが何か言いたそうにしている。その視線は一誠とリアスの方を何度も往復していた。
「イ、 イッセー先輩と部長にな、何かあったんですか?」
ギャスパーにも二人の不和が分かり、心配そうに聞いてくる。
「トラブルがあったのは間違いなさそうだが理由は分からない」
ギャスパーの表情はやはり不安のままであった。
「だ、大丈夫でしょうか……?」
「二人も馬鹿じゃない。ゲームまでには解消する筈だ」
宥めるように言うと、ギャスパーは何故か今度は落ち込んだ表情になる。
「間薙先輩は、やっぱり冷静ですね」
「そうか?」
「そ、そうですよ……僕なんて見ただけで不安で不安で……イッセー先輩や部長にどれだけ寄り掛かっていたのか情けないくらい分かるんですぅぅ……」
二人の様子がおかしいのが分かったことで必要以上に動揺している自分の弱さに不甲斐なさを覚えているギャスパー。
「動揺することはおかしくない。そもそも俺はゲームに参加しない。俺とお前は立場が違う」
参加者ではない傍観者だからこそ平然としていられると説明するが、ギャスパーにはそれが謙遜にしか見えなかった。
「そ、それでも憧れます……。もし、僕が立派な男に成れるならイッセー先輩のような熱くなれる男か間薙先輩みたいなクールな男になりたいですぅぅ……」
随分と両極端な希望だな、と思ったが口には出さない。ギャスパーは至って真剣に言っている。
「──別に俺は冷静な訳じゃない」
「そ、そうとしか見えないです」
「感情表現が下手くそなだけだ」
自分を下げたように評する。だが、ギャスパーはその評に対して不満な顔付きとなる。
「そ、そんなこと決してありません……! 間薙先輩は素晴らしい先輩です!」
シンが自らを下げることに反発するようにギャスパーは上げてくる。
「ギャスパ~はシンのこと大好きだね~」
茶化すように口を挟んでくるジャックランタン。
「は、はい! 間薙先輩大好きです!」
釣られて言ってしまったギャスパーの言葉に周囲が瞬時に騒めいた。
「朝から告白!?」
「お、俺のギャスパー君が……」
「いや、僕のギャスパーだよ」
「違う。私のよ!」
勘違いが波紋のように広がっていき収拾がつかなくなっていく。
誤解を解こうとすれば泥沼になることは分かっていたので、シンは全てを放棄して足早に学園内へ入っていった。
こうしてシンに関する良からぬ噂が一つ増えるのであった。
◇
その日、シンは生徒会の仕事として職員室に資料を置きに来ていた。
「よお」
資料を置いたシンに声を掛けて来たのはアザゼル。片手には丸めた新聞紙が握られている。
「いつ見ても忙しく働いてんなー」
感心、感心と笑うアザゼル。
「そういう先生は──」
シンはチラリとアザゼルの机の上を見た。資料を思わしき書類の束。良く見れば何枚もの写真が添付されており、写真の人物には見覚えがあった。サイラオーグとの対戦のときにサイラオーグを見守っていた眷属の一人である。
「──働いていますね。次の対戦相手の資料ですか?」
「おっと」
アザゼルは資料の上に新聞を放って隠す。
「……皆には言うなよ? こうやって地道にデータを纏めているのは俺のキャラじゃねぇ」
アドバイザーとしてちゃんと仕事を熟しているアザゼルは、陰でしている努力をあまり他人には知られたくない様子。
何気なく置かれた新聞の表紙を見る。
『おっぱいドラゴン、スイッチをぶちゅううううっと吸う!?』
酷い見出しからも分かることだが、人間界の新聞ではなく冥界の新聞であった。
「ははははっ。酷い見出しだろ?」
シンが呆れている様子を見てアザゼルは面白そうに笑う。
この前、ゲーム前のリアスとサイラオーグの合同記者会見があり、その際に記者からインタビューされたときにポロっと洩らした言葉が元となってこのような酷い見出しが出来上がったとのこと。
「真面目な雰囲気が一気にぶち壊されて笑い一色になったのは中々愉快だったな」
アザゼルは思い出し笑いをする。
「健全な生徒を捕まえて、何を吹き込むつもりですか? アザゼル先生」
話している二人の姿が目に入ったロスヴァイセは話に入ってくる。
「人聞きの悪い……俺は悩み事を抱えているシンの相談相手になってやろうと思っただけだぜ?」
「悩み事って……普段通りの間薙君に見えますが?」
「はぁ……青いなぁ。良く見ろ。いつも以上に無表情だぞ、こいつ」
「ええ……そんなことを言われても……」
ロスヴァイセはジッとシンの顔を見る。見られているので臆せず見返す。
少しの間、見つめ合っていたが先にロスヴァイセの方が恥ずかしくなって目を逸らした。そして、そそくさとアザゼルの方へ行き、小声で話す。
「いつも通りに見えましたが……?」
「見る目ねぇなー。何年ヴァルキリーやってきたんだ? もっと男と付き合え」
「そ、そんなこと関係ないじゃないですか! セクハラですよセクハラ!」
ロスヴァイセが涙目になって反論してくるが、アザゼルはロスヴァイセを無視してシンと話す。
「原因はあれか? イッセーとリアスのことか?」
「無視しないで下さい!」
「──色々と良く視ていますね」
「可愛い生徒の変化に目敏く気付くのが良い先生なんでな」
「成程」
「何で二人共無視するんですか!?」
ロスヴァイセが会話に入り込もうとするが、二人は入る隙間を与えずに話を続ける。
「理由は聞いたか?」
「いえ、何も。ただ、前から少しピリピリしていた感じはしました」
「だな。あーあ。来るべき時が来たって感じだな。タイミングは最悪だが」
前以って知っているだけあって二人の会話は早い。ロスヴァイセは内容を理解出来ずに困惑している。
「あ、あの。リアスさんとイッセー君に何かあったんですか……?」
「男女の問題だ。それともお前が解決してくれるか? ロスヴァイセ先生?」
「え、えーと……その……あの……」
女性としての経験不足を自覚しているロスヴァイセは、アザゼルに何と言っていいのか分からず顔だけ赤くしながら二文字以上の言葉を喋らなくなってしまう。
「仲直りするに越したことはないですが、外野があれこれ言えば余計に拗れるだけじゃないですか?」
見かねて助け舟を出すシン。シンがアザゼルに話し掛けたことでロスヴァイセはホッとした表情になっていた。
「まあ、その可能性は大いにあるわな。ただ、放っておくのもなぁ……今は燻っている状態だがそのまま鎮火すりゃあいいが、今以上に燃え上がる危険もある」
見守るべきか口を出すべきか。デリケートな問題のせいで答えは中々出せない。
「取り敢えず放課後にミーティングがあるし、そこで様子見だ。あんまり酷いもんならリアスとイッセーに説教の一つでもしないとな。あんまり私情で周りを心配させんな、ってな感じの」
「一応期待しています」
「一言余計だ」
◇
放課後。生徒会の仕事を一段落させ、シンはソーナに許可を貰ってオカルト研究部部室へと向かう。
朝以上に酷くなっていないことを願いながら部室を目指すとすれ違う。泣きながら走り去るリアスと。
自分の願いは儚いものであったことを知り、シンはオカルト研究部の部室へ入った。
狼狽している一誠と彼に対して批判的な眼差しを向けている眷属たち。唯一レイヴェルだけが今にも泣き出しそうな表情でオロオロしている。
「あ、間薙……」
シンが部室に入ってきたことに気付き、一誠は情けない表情をシンへ向ける。
「取り敢えず、事情を聞かせてくれ」
何があったのか把握しなければ結論も判断も出せない。
「えーと……」
一誠はシンが不在の間に何があったのかを説明する。
それを踏まえてのシンの判断は──
「この馬鹿が」
「おおぅ……」
──一誠は馬鹿だという結論であった。