文化祭の開催日も徐々に近付き、毎日が少しずつ忙しくなっていく。
シンは生徒会役員とオカルト研究部の二足の草鞋を履いているのでその日はオカルト研究部を手伝い、次の日は生徒会を手伝い、忙しければ一日の内にオカルト研究部室と生徒会室を行ったり来たりすることになる。
生徒会の仕事自体はそれ程ハードなものではない。各クラスの出し物を確認し、それが風紀を乱さないものか、学園が定めた規則に違反していないかを判断する。また、文化祭当日のスケジュールの調整などがあるが、そちらは会長のソーナや副会長の椿姫が担当しており、シンがやるのは書類作成などの手伝いぐらいである。
それに比べるとオカルト研究部の催し物はかなり大変である。旧校舎全体を使用し、『オカルトの館』という名でお化け屋敷、占い部屋、喫茶店、オカルトの研究報告など部員が出した案を全て合わせた催しとなっている。
魔力を使えばすぐに準備は終わるが、リアスが手作りにこだわり、周りも反対しなかったので材料や工具を集めて自分たちの手で旧校舎を学園祭仕様に変えることとなった。
幸い、レイヴェルもオカルト研究部に所属することとなったし人手はそこまで困っていない。シンも仲魔たちをお菓子などで釣って手伝うよう頼んである。
因みにシンは『紫藤イリナの愛の救済クラブ』という名前だけ貸した三足目の草鞋を履いているが、まだ同好会レベルなので今回の文化祭には参加出来なかった。イリナ本人はやる気だったので非常に残念そうにしていた。
シンはイリナにどんな催し物をするのかと尋ねたところ、教室の一室を借りて教会やミカエルを始めとした四天使の素晴らしさを伝える布教をやろうとしていたとのこと。例え、参加出来たとしても却下されそうな内容であった。
仕方なくシンは、今回はオカルト研究部との共同の催し物にし、リアスに頼み売り上げの一部を寄付することで救済クラブの活動とし、今後の正式な活動の為のソーナへの説得材料にする、という助言をしてみた。この案をイリナは大喜びして採用し、やっぱりクラブ名に間薙シンの名を入れるべきだと勧められたが丁重に断った。
催し物の準備は男女に分かれて行われる。女子は主に衣装作りや模様替えの作業。男子の方は大工作業。補足としてギャスパーは女子の手伝いをしている。力作業よりも衣装作りの方が向いているからだ。
一定のリズムで、トンカチで叩く音が聞こえる。ノコギリが木材を切る音が聞こえる。
大工仕事に精を出す一誠と木場。その傍ではシンもまた作業を行っているが、釘だけ持っており大工道具を持っていない。
シンは釘の先端を木材に刺す。釘頭に親指を押し当てると、そのまま押し込んで木材を接合させてしまった。シンは次の釘を刺し、素手で押し込む。それを淡々と繰り返す。素手なのにトンカチよりも速く、静かに釘を刺していく。
「……何か見てるとシュールだな、それ」
「まさに手作りだね」
「うるさいぞ」
シンとて好きでやっている訳では無い。大工道具はどこのクラスも必要としており、十分な数を確保出来なかったので、仕方なく素手でやるしかなかった。普通なら無謀だが少し力を使えば出来てしまうからしょうがない。
トンカチが無くとも釘が打ち込め、ノコギリが無くとも指先で引っ掻けば木材は切断でき、釘抜きが無くとも爪で挟めば力業で抜き取れる。大工道具要らずである。
黙々とシンは作業を続けていたが、ふと仲魔たちがサボっていないかを確認する為に視線をそちらへ向ける。
ピクシーたちは一応約束を守って作業の手伝いをしていた。あのジャアクフロストも意外なことに真面目に手伝っている。自分の体よりも大きく、重そうな物を頑張って運んでいる。どうやらトレーニングとして作業を手伝っているらしい。サイラオーグの姿に色々と触発されたのかもしれない。
仲魔たちがちゃんと作業を行っているのが分かり、シンは自分の作業に戻ろうとして途中で止まる。
リアスが衣装作りの手を止めて一誠を見つめていた。それだけなら特におかしいとは思わなかったが、リアスが一誠に向ける視線に違和感を覚えた。
いつもと変わらない好意はある。だが、それだけでなくじっとりとした重いものも含まれているような気がした。直感的に思い浮かんだのは焦燥である。
すると、視線に気付いたのか一誠が作業の手を止めて振り返ろうとする。リアスは慌てて作業を再開して誤魔化す。一誠は誰も見ていなかったと思い、勘違いだったのかと首を傾げながら作業を続ける。
それを一部始終目撃していたシンは、リアスが一誠に向ける感情に揺らぎが起こっていると感じた。何が原因かは分からない。一誠と暮らしているリアス以外のメンバーがギクシャクしていない所を見ると両者間で何かがあったらしい。
放っておいても良かったが、シンとてオカルト研究部の部員である。部員同士でいざこざがあれば放置しておく訳にはいかない。
とは言え、生徒会にも顔を出すことが多いのでシンが不在の間に何かが起きた可能性がある。まずは、切っ掛けを知る為に不在だったときのことを聞く必要があった。
当人である一誠とリアスに聞くのはなるべく避ける。探られていると知ればいい気はしないので。代わりに周りの部員たちからそれとなく聞いてみることにした。
その1。朱乃に聞く。
「あら? どうかしましたか?」
「進行状況の確認を。不在が多いので」
「間薙君は生徒会のお仕事も手伝っていますからね。働き者ですね」
「成り行きみたいなものです」
その会話をきっかけにして不在だったときのことを聞いてみたが、特に気になる情報は無かった。習慣となっている一誠のドラゴンの力を吸う作業が、小猫が仙術治療するようになって短くなったと少し愚痴られた。
「もっとイッセー君と触れ合いたいのに……」
不満気な表情の朱乃はいつもよりも幼く見える。最近こういった表情を見る機会が多くなったような気がする。
父親との蟠りが解消出来て、年相応の振る舞いが増えたからなのかもしれない。
その2。アーシア、ゼノヴィア、イリナに聞く。
「調子はどうだ?」
「あ、間薙さん」
「うーむ……中々慣れない。絵なら上手く行くと思うのだが……」
「ゼノヴィア。今は絵よりも衣装作りを頑張りましょう」
衣装作りに悪戦苦闘しているゼノヴィアをアーシアとイリナがフォローする。最初は、ゼノヴィアがこういった作業に慣れていないことと大雑把な性格なせいでかなり悲惨なできだったらしいが、少しずつ良くなっているとのこと。
結局二人についての有力な情報は手に入らなかったが、ゼノヴィアの成長を知れた。
その3。小猫、ギャスパー、レイヴェルに聞く。
「で! す! か! ら! ここはこの配色が良いと何度も言っていますわ!」
「……派手過ぎる。喫茶店に合ってない。……これだから焼き鳥姫は」
「あ、ああ……ああ、うう……」
小猫とレイヴェルが考え方の違いでいがみ合っている。そのまま掴み合いが始まりそうな程険悪な雰囲気だが、間にギャスパーが居るので辛うじて免れている。二人に挟まれているギャスパーは死にそうな顔色になっているが。
言い争う二人を止めようとして結局何も出来ずにオロオロしているギャスパー。二人の剣幕を恐れて傍にいたジャックランタンを持ち上げるとローブの下に頭を突っ込んで顔を隠してしまう。
「きゃあ~。セクハラ~」
棒読みでわざとらしい台詞を吐くジャックランタン。ギャスパーはローブの隙間から目だけ覗かせてオドオドと左右を見ている。流石に気の毒に思えてきたのでシンが声を掛ける。
「二人共」
シンが声を掛けると小猫とレイヴェルはびくりとし、言い合うのを止めた。
「熱が入るのはいいが、もう少し静かにしろ」
「はい……」
「……はい」
みっともない所を見られたと思った二人は、恥ずかしそうに視線を下に向ける。
「あ、ありがとうございますぅぅ。間薙先輩!」
ギャスパーが礼を言って来たので、そこから会話へ繋げていく。
先ずはギャスパーに何か特別なことが起こっていないか、という内容の話をそれとなくした。成果は特に無し。最近準備で忙しいのでジャックランタンと遊べる時間が無いので寂しいとのこと。
今度はレイヴェルに話し掛ける。内容は何でも良かったので近況について聞いてみた。
クラスメイトとはすっかりと打ち解けられたと語るレイヴェル。だが、まだ人間世界の文化に慣れていないのでどうすればいいのか分からないことがあるらしい。そのときは、ギャスパーと──非常に不服そうな顔をしながら──小猫に手助けをして貰っている、と言っていた。
「順調ならライザーにそう報せれば良いと思うが?」
「嫌ですわ。お兄様ったら根掘り葉掘り聞こうとして鬱陶し……しつこいですもの。しかも、にわか知識で人間世界のことをあーだこーだ言ってきてウンザリしますわ」
顔を顰めながら兄に対しての不満を洩らす。身内からこれだけ言われるとなると、相当鬱陶しかったのだろう。
「成程。それなら仕方が無い。だが、それでも偶には連絡を入れてやれ……妹と話が出来ないと愚痴ってたぞ」
「まあ!? お兄様ったら間薙様にご迷惑を! 兄に代わって謝罪しますわ」
頭を下げようとするレイヴェルを止めるシン。小猫は二人の会話の中で聞き捨てならないことがあった。
「……間薙先輩。もしかして、ライザー・フェニックスと個人的に連絡を取っているんですか?」
そうあって欲しくない、と顔に書かれている小猫が訊いてくる。
小猫の中でのライザーの印象は未だに悪い。チャラチャラした軽薄そうな軟派男であり、敬愛するリアスを結婚という形で奪おうとした男である。それがシンと個人的な付き合いをしているのが信じられなかった。
「まあ、一応」
「……今すぐ絶交すべきだと思います」
「絶交するほど親しくはない」
「そんな! お兄様の数少ない同性の御友人ではありませんか!」
「違う」
「ど、どっちなんですか?」
言っていることが食い違っているせいで聞いていたギャスパーも混乱してしまう。
結局、本命の話をすることが出来ないままシンとライザーは友人か、友人ではないかという話で終わってしまった。
その4。木場に聞く。
「今日は間薙君が手伝ってくれるから助かるよ」
いつもの爽やかな笑顔の木場。作業を進めながら最近の出来事について話を聞く。
「文化祭の準備はいいが、レーティングゲームの方はいいのか?」
「各種トレーニングはやってるよ。イッセー君の新しい能力の訓練を一緒にしたり、僕も新しい技を試してたり。──出来れば、もっと接近戦の特訓もしたいんだけどねー」
木場が遠回しに誘ってくる。この間、断ったことを根に持っているのかもしれない。
「……気が向いたらな」
「なら早めに気が向いてくれたら僕としては嬉しいな……ところで」
木場が少しだけ表情を引き締める。
「この間ははぐらかされたけど、どうして僕の師匠と戦ったんだい?」
いずれは聞かれると思っていた。つい口を滑らせてしまったが、今更ながら言うべきでは無かった。
沖田総司と戦闘──もとい特訓をやったことを話すとなるとそうなった経緯を説明しなければならず、そうなるとサイラオーグとの対戦したことも話す必要が出て来る。ここで正直にサイラオーグと戦ったことを話せば、サイラオーグ陣営に肩入れしていると思われるかもしれない。もしかしたら、士気に影響を及ぼす可能性もある。
考え過ぎかもしれないが、本当のことはリアスとサイラオーグのレーティングゲーム後にでも言えばいいと思い、この場は嘘の説明をすることにした。
「ピクシーたちが冥界のテレビに出ているのは知っているだろ?」
「ああ。レヴィアタン様の番組だね」
「この間、それの付き添いで冥界に行った。そのときにお前の師匠と偶然出会ったんだ」
我ながらペラペラと嘘を喋れるものだと思う。
「向こうはこっちのことを良く知っていた。──色々と師匠に話していたらしいじゃないか」
「はははは……ちょっとだけだよ」
木場が誤魔化すように笑う。これは本当のことなので話の信憑性が一気に増す。
「そしたら、木場が自慢していた俺の腕前を知りたいって流れになった」
「何やっているんだよ、師匠……」
嘘の流れだが、木場が強く否定しないところを見ると、総司ならあり得るかもしれない事なのかもしれない。話していて、今は傷は残っていないが皮膚一枚を滑っていく冷たい刃の感触を思い出す。
総司は生前病を治す為にあらゆる手段に試み、その中で魔に関する儀式を行っていたと戦う前に説明された。死を回避する為にそれを繰り返した結果、身体中が魔物の巣窟となったという。
シンとの戦いでは使用しなかったが、その気になれば一人で何十人分の働きが出来ると思われる。
そして、剣の腕はというとまさに本物の『人斬り』と称するに相応しいものであった。
戦ったときはわざとらしく剣に殺気を乗せて振るい。これから何処を狙うかをシンに丁寧に教えてくれた。
シンがそれを避け続けると、楽しくなってきたのか少し本気を出してきた。
そこで振るわれたのが一切の感情を排した無の剣。人を斬ろうとしているのに心を全く揺るがさない冷徹を極めた剣であった。
無情の剣は避けることが出来なかった。殺気という予備動作のようなものはなく、来ると思ったときには剣が振るわれた後であった。殺気などに敏感なシンもそのせいで回避動作が遅れ、一方的に何度も斬られる結果となってしまった。
とはいえ無駄な時間を過ごした訳では無い。総司との戦いの中で助言を貰い、それによりある閃きがあり、今はそれを形にしようとしている最中である。
「まあ、師匠が相手なら剣士の相手に嫌気が差すよね……」
シンの話に木場は納得する。木場もまた似たような経験をしていた。
「はあ……サイラオーグさんとのゲームも近いっていうのに……」
思うように事が進まず溜息を吐く木場。
「そういえば、サイラオーグさんで思い出したことがあったんだ」
「何だ?」
「間薙君が生徒会の手伝いに行っていたときのことなんだけど、僕とイッセー君が作業しているときに部長が来てね、サイラオーグさんの執事から個人的にお願いがあるってイッセー君を連れて行ったんだ」
これか、とシンは当たりを引いた感覚を得る。遠回りになってしまったが、求めていた情報への取っ掛かりに触れた。しかし、サイラオーグ関連で一誠らが呼ばれていたと知り、因縁のようなものを感じる。
「何があったんだ?」
「ごめん。僕も詳しくは聞いていないんだ。でも、気のせいかもしれないけど……」
木場が表情を少し曇らせる。
「その後から部長の様子が少しおかしい気がするんだ。表情が暗くなったというか、思い悩んでいるというか……」
何かあるとは思っていたが、木場の話からして大当たりだった様子。サイラオーグの執事のお願いのときにリアスの気持ちが沈むようなことがあったのだ。
「話は……聞いていないか」
「うん。ごめん」
主であるリアスに一歩踏み込むことが出来ず、不甲斐なさそうにする木場。
「気にするな。時が来れば分かるかもしれない」
「そうだと良いんだけどね……あ、そうだ。落ち込んでいると言えばドライグもなんだけど」
「何か落ち込むようなことがあるのか?」
『赤龍帝の三叉成駒』という新しい能力を得たばかりで上機嫌そうにしていた記憶がある。ただ、木場の言う通り最近一誠と会話している所は見ていない。
「実は、京都の戦いのとき何だけどね。異世界の神様の乳神が、使いのおっぱいの精霊を通じてドライグに力を与えて覚醒を──」
「木場。あいつに影響を受けるのは良いが程々にしておけ……」
「ち、違うよ! 僕が考えた訳じゃないよ!」
シンの憐みの眼差しに、木場は慌てて説明する。
「本当にイッセー君から聞いたんだよ! 信じられない話かもしれないけど! 言っていたイッセー君も『決して頭がおかしくなった訳じゃない』って前置きしているぐらいだから信じ難い話かもしれないけど!」
そう言われても、はいそうですかと納得出来る筈も無い。悪魔も天使も神も実在するこの世界で否定するのはナンセンスかもしれないが、逆にそれをあっさりと信じようなら本来在るべき何かを失ってしまいそうになる。
「へぇ……」
「その目……きっとイッセー君から話を聞かされたときの僕もそんな目をしていたんだろうね……」
疑う、疑わない以前に相手の頭の中身を心配するような労わりの眼差し。
「……いる、いないはひとまず置いておくとして、信じるからにはそれなりの根拠があるんだな?」
「根拠という訳じゃないけど……心当たりはあったんだ」
「心当たり?」
「間薙君も覚えている筈だよ? ジークフリートとの戦いが終わった後のこと」
木場に言われて思い返す。ジークフリートに腕を切断され、その治療をルフェイにされている最中に何故かゼノヴィアとイリナ、ルフェイの声無き声が聞こえて来るという超常現象が起きた。
「あのときは状況のせいで深く考えることは出来なかったけど、思い返してみると声が聞こえていたのって僕と間薙君だけだよね……?」
木場の言う通りであったが、嫌な予感を覚える。
「イッセー君が言った通り乳神の力で覚醒したとしてイッセー君以外にも影響を与えていたとしたら? イッセー君は女性限定の読心術を使えたよね? もしかして……もしかしてだけど、僕たちも知らない内に影響を受けていて、あのとき僕たちが聞いていたのは胸の──」
「木場。もう、この話はよそう」
結論を言う前にシンが遮る。
「仮にそれが真実だったとして、俺たちが幸せになる訳じゃない。分からないなら分からないままで良いこともある」
木場が何を言いたいのかは分かる。だが、それを知った所で誰も幸せになどならない。だからこそ、全力で目を逸らして無かったことにする。
「俺たちは何も知らない、分からない。それでいい」
「……うん。そうだね」
シンに倣って木場も見て見ぬふりをする。例え、頭の片隅では真実を理解してしまっていても、それを口に出さなければそれで終わりである。
「……作業を続けてるよ」
「……ああ」
気不味い空気になっていても、何故そうなったかは決して認めようとはしなかった。
◇
木場から重要な話も聞けたシンは、そろそろ深く探りを入れようする。
その5。一誠に聞く。
「調子はどうだ?」
「調子? いつも通りだよ」
他愛のない会話から始まる。当人に探りを入れるのはリスキーだが、そこに触れなければ得られない情報もある。リアスの方は今は不安定な感じがするので、普段通りの一誠の方を選んだ。
「お前じゃない。ドライグの方だ」
「ああ。お前も聞いたのか……」
一誠は申し訳なさそうな表情をする。
「こうなったのは俺のせいだ……ああー、話さなきゃよかった……」
乳神の件について説明したことを後悔する一誠。
「そこまで深刻なのか?」
「アザゼル先生に頼んでカウンセラーを探してたって。はぁ……俺、強くなったことばっか喜んで、ドライグの状態に全然気付けなかった……」
カウンセリングが必要なほどドライグの心が病んでいるのに軽く驚く。そして、相棒の心労に気付けなかった己の不甲斐なさで一誠も凹んでいる。どちらも精神的によろしくない状態である。
「随分と追い込まれているな?」
一誠ではなくドライグへ話し掛ける。
『こんなことは初めてだから、俺にもどうしたらいいのか分からん……』
実に弱々しい声が聞こえて来た。最強のドラゴンとは思えない程に覇気が無く、死にかけのトカゲを連想させる。
『ふ、ふふ……笑いたければ笑え……乳だの胸だのに翻弄されている俺を……俺は他人の評価など気にしない性格だとずっと思っていた……だが、現実はこうだ。俺も人目を気にするぐらいの繊細さはあった訳だ……ははは……』
何とも痛々しい自嘲。唯一無二の力を持ったドラゴンとしてのプライドに満ちていたドライグが、そのプライド故にメンタルをズタズタにされている。
「そんな調子でサイラオーグ戦に挑めるのか?」
一誠もドライグも本調子とはかけ離れている。少し手合わせをしたシンからすれば、この状態では本気を出したサイラオーグに文字通り一蹴されるだろう。
『相棒のパワーを引き上げるぐらいなら問題ない……』
「なら負けるな」
シンの無慈悲な言葉に一誠は思わず『おい!』と強く言ってしまう。
「ドライグだって調子が悪いのに俺の為に頑張ろうとしてくれているのに、そんな言い方は──」
「万全じゃない状態で勝てる相手なのか?」
一誠は言葉を詰まらせた。手合わせのとき一誠が禁手でもサイラオーグは圧倒してきた。しかも、ハンデが付いている状態で。万全であっても勝てるかどうか分からない。シンが指摘したように今の状態では間違いなく負ける。
「それは……」
「……まあ、ゲームに参加しない俺が偉そうに言った所で何の意味も無いな」
このまま詰め寄るかと思えば、シンは簡単に引いてしまう。あれこれ口に出して発破をかけることも出来たが、シン自身が言っているように彼はゲームに参加しない外野に過ぎない。説教を垂れる程自分は偉いとも思っていないし、自分と一誠は上下が出来るような間柄だとも思っていない。
「思ったことがつい口に出た。悪いな」
「い、いや、別にこっちのことを思ってのことだし……」
あっさりと謝られてしまうと一誠も感情の矛先を失ってしまい、少々腑に落ちないと感じながらも許すしかなくなってしまう。
「それで実際どうするんだ? ゲームまで時間はあまり無いぞ?」
ドライグの不調をどうカバーするのか一誠に訊く。
「うーん……やれるとしたら新しい能力をもっと洗練させるしか思い付かねぇ……持続時間を延ばすとか特性の切り替えをスムーズにするとか技のチャージ時間を出来るだけ短縮させるとか……」
何だかんだ一誠も色々と考えているのが伝わって来る。同時に新しい能力を上手く使いこなせていないのを不安視しているのも伝わる。
一誠の中では新能力は強いがまだ付け焼き刃。サイラオーグに勝てるレベルには達していない。
良くも悪くも無難な方法である。だが、それも仕方のないこと。シンにも言えることだが、ある程度若しくは命の危機に瀕する状況でないと新たな力が目覚めない。
土壇場で覚醒するなど都合の良いと思われるかもしれないが、そこまで追い詰められないと入らないスイッチが存在するのだ。
シンや一誠とて手に入るならすんなりと新しい能力を手に入れたい。マゾヒズムに溢れる能力の獲得など二人共望んでおらず趣味でもない。だが、それは叶わぬ願いであり対価のように苦痛や苦難を体験しなければならないのだ。
「通用するとしても初見か極短い時間だな」
「そう、それ! 俺も思ってたんだよ……多分、一つでも特化能力を見せたら気付かれる」
レーティングゲームがどんな内容になるかはまだ分からないが、もし連戦があるとしたら切り札の『赤龍帝の三叉成駒』を切れるタイミングは限られる。出来ることならサイラオーグとの戦いでの一発勝負、それが最も望ましい。それ以外で使用してしまえば初見ではないサイラオーグに通じる自信が無かった。
「サイラオーグさん、手合わせのときもそうだけど俺のことかなり評価していてくれたからなぁ。レーティングゲームまでの間に新しい能力が増えていることも予想しているかもしれない。京都で英雄派とドンパチやったことも耳に入っているだろうし」
慢心とは無縁の性格をしているサイラオーグ。隙を衝くにしても慎重に考えなければならない。
一誠の口からサイラオーグの名前が出たので、この流れで話を聞こうとする。
「──そういえば、お前と部長はサイラオーグさんの執事に呼び出されたという話を聞いたが? 大丈夫だったか? 不利になるような話はしていないよな?」
「いや、部長がいたからそんなヘマなんてしてねぇよ。それに、執事さんが俺たちを呼んだのはレーティングゲーム絡みじゃなくて、サイラオーグさんのお母さんが──」
「母親?」
一誠は口を滑らせたと思ったのか顔を顰める。あまりペラペラと表に出すような話でないことは分かる。だが、聞いてしまったからにはシンも追究しなければならない。
「ゲームの話では無くとサイラオーグさんの身内関連の話か……興味深いな」
話に喰い付いた様子を見せると、一誠は動揺して視線を左右に動かす。話すべきか話さないべきか迷いを表していた。
「他に言わないから安心しろ」
一誠は腕を組みながら眉間に皺が寄るぐらいに強く目を閉じながら首を傾ける。これでもかと言わんばかりの悩むポーズ。その状態のまま一誠は一分ぐらい黙り込んでいた。
やがて、ポーズを解きシンの方へ向き直る。
「あのな……」
シンの口の固さを信じて何があったのかを話し出す。
最初はサイラオーグの生い立ちと母親に関することであった。これはサーゼクスから聞いた内容とほぼ同じである。
次に聞かされたのは、そのサイラオーグの母が現在病に冒されており、シトリー領の医療機関で治療を受けているとのこと。シトリー領は自然が豊かで医療機関が充実していることで有名とのこと。シンもソーナのレーティングゲームに参加するということでシトリー領へ行ったことがある。あまり外を出歩かなかったが、一誠が言うように確かに自然が多かった。
サイラオーグの母が罹っている病は治療方法がまだ不明の難病であり、深い眠りに陥ってしまい目を覚まさなくなり、やがて体が衰弱して生命維持装置無しで生きられなくなり、最後は死に至るというもの。
サイラオーグから生き急いでいるような雰囲気を感じ取ったのは、もしかしたら病の母親が理由の一つなのかもしれない、とシンは思う。
死んだように眠り続ける母が本当の死を迎える前に自分の夢や理想を達成させる。母が死ぬ日は分からない故になるべく無駄を省き、困難であろうが最も理想に近付く道、最も強くなれる道を模索している最中なのかもしれない。
そう考えるとバアル家の者たちとなるべく諍いを避けようとするのも納得である。限りある時間の無駄だ。
「サイラオーグさんの事情は分かった。それでサイラオーグさんの母親に何の為に会わせられたんだ?」
理由を聞くと一誠は気不味そうに口をもごもごと動かす。言い難い理由があるらしい。
「……してくれって」
「何?」
小声だったので聞き取れなかった。もう一度、声を大きくして言うように頼む。
「サイラオーグのお母さんに……『乳語翻訳』してくれって……」
「……どうやらその執事も看病で相当参っているらしいな」
トチ狂った理由にシンは同情を込めた感想を言う。辛辣とも言える台詞でもあったが。
「いやいやいや! 執事さんはちゃんとまともだったって! 本当に! おかしいと思うのはしょうがないけど! しょうがないけどもっ!」
一誠も正気の沙汰──もとい大胆な提案であると理解しているらしい。
一誠が説明するに、一誠が女性の胸関連で様々な奇跡を起こしているという噂が一人歩きし、更には『乳語翻訳』という技も持っているという話も広まっているとのこと。その話を聞いた執事は、その力が有れば深く眠っているサイラオーグの母の声無き声を拾えるのではないかと思い、リアスの母経由でリアスと一誠に頼んで来たという。
「俺も正直面食らったよ……だってあれは、その……エロを基にした技だし……しかも、相手はサイラオーグさんのお母さんだし……病人だし……」
あまり気乗りしなかったという当時の様子が伝わって来る。その辺りの線引きはきちんとある模様。そういったモラルがあるのに何で変な技を思い付くのか、とは言わない。個々で定めたルールや線引きは本人しか分からない独自のもの。シンとて他人には理解出来ないルールを持っている。
「やってはみたんだな?」
「まあな。頼まれたし」
一誠の眉間に微かに皺が寄る。その表情が結果を物語っていた。
「──ダメだったか」
「……ああ。禁手で出力を上げてやっても何も訊こえなかった。技は完璧に入っていたけど、どうやら病気で意識を失っていると訊こえないみたいだ」
禁手まで使用したことに少し驚く。だが、それを以てしても駄目であったとのこと。不発のパターンも知れて無駄ではなかった、という考えが頭を過ったが口には出さなかった。言えば薄情と怒りを買うことになると思ったからである。
何度か試してみた後にサイラオーグが病室に現れたのでそこで終わりになったと一誠は語った。
「何かさ……お前にサイラオーグさんとのこと話していて改めて思ったよ。やっぱ、このままじゃいけないって。同情とかを抱えて戦っても勝てると思えない相手だっていうのに……。間薙の言う通り俺たちの調子が不完全なら勝てない」
サイラオーグとの会話を思い出し、心身の強さを再認識して気持ちを引き締める一誠。
『確かにその通りだな……』
一誠の気持ちはドライグにも伝わっていた。
『俺も心を強く持たなければいけない……お、俺も克服すべきなんだ……! お、恐れたり泣いたりしている場合じゃない……!』
ドライグも強い意思を見せる──が、声が思い切り震えていた。
『こ、怖くない! 怖くないぞ……! 乳や胸がどうした……! 俺は怖くなんてないもんっ!』
「おい。危うくなってきているぞ」
声は雄々しいのに言葉遣いが何故か幼稚になり出している。精神を守る為なのかしらないが傍から見れば危険信号であった。
『だ、大丈夫だ……! 俺は大丈夫! これぐらい克服してみせるぞ……!』
「ドライグ! 取り敢えず一旦落ち着こう! 深呼吸しよう、深呼吸!」
危うさを感じさせるやる気を出すドライグを一誠は落ち着かせようとする。
二人のやりとりを傍から見ていたシンは、『不安』という言葉しか頭に浮かばなかった。
なるべく早めに戦いのある話まで行きたいですね。