ハイスクールD³   作:K/K

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ハイスクールD×D側の成分が九割な話となっています。


切羽、降臨

 拳と槍。戦いに於いてどちらが有利なのかは子供でも分かる。古今東西、あらゆる戦場で用いられる槍相手に拳で挑むなど無謀の極み。しかし、それを分かっていながらもその無謀を貫く男がここに居た。

 

「うおりゃああああっ!」

 

 高速で移動しつつ何度も立ち位置を変えながら連続して突き出される一誠の拳は、形を見せず赤い残像として何十本も曹操へ伸びて行く。掠るだけで肉は抉れ、直撃すれば抉れるどころか弾け、骨も砕け散るだろう。

 拳一つで挑むなど無謀と笑う者の顔を恐怖で引き攣らせるには十分過ぎるパワーとスピードを秘めている。だが、それを兼ね揃えても目の前の曹操の微笑を消し去ることは出来ない。

 彗星の様に走る一誠の拳を、体捌きのみで回避していく曹操。衣服の一部や体に触れ、服が破れたり、浅い裂傷が出来たりなど無傷では済まなかったが致命傷になる攻撃だけは決して当たらない。

 

「くっ!」

 

 一誠もそれが分かっているのか攻撃の速度を速めるも曹操は軽々と避けてしまう。

 

(当たらねぇ!)

 

『赤龍帝の鎧』の倍化だけでなく『女王』にプロモーションしたことで基礎能力を底上げしているのに未だに直撃しない。

 何度か隙を狙っているのだが、悉く躱されてしまう。

 

(何で当たらねぇ! 隙はある筈なのに!)

 

 焦りが募っていく一誠。攻撃にも無駄な力みが入っていき、熱くなってしまう──筈なのだが、熱くならずにだんだんと頭の中がぼんやりとしてきた。

 

「うおりゃあああ!」

 

 先程の刺突による出血のせいで頭の昇る血が足りず、聖槍のオーラが体を巡って猛毒となって悪魔の体を侵す。アーシアの神器では失ったものを埋められず、また毒も完全に排出出来ない。ただ気合だけが空回りする。

 気合だけあっても無駄に思われるかもしれないが、神器を発動している以上精神が大きく関わってくる。心の昂ぶりや想いが弱まれば一気に勝敗は決する。

 自分を鼓舞する意味も込めて気合だけは緩められない。

 

「うおりゃあああー!」

 

 そこに戦闘による激しい運動と馬鹿馬鹿しい話ではあるが叫び過ぎて酸欠寸前になっている。それらの要因のせいで一誠は戦いの最中だというのに夢の中に片足を突っ込んでいる様な曖昧な意識になり始めていた。

 自分の戦いなのに客観的に見ている様な状態の中で一誠に何かが話し掛けて来る。

 

『貴公の頭は空っぽなのか? それならその目が節穴なのも納得だ。役に立たないものには同じくらい役に立たないものが付いているものだ』

 

 体中が熱くなるどころか逆に冷えさせてくる罵倒。それが頭の中に直接聞こえて来る。

 

『相手の動きをよーく見ろ』

 

 ドライグとは違う声。そしてあってはならない声。

 

『その目が飾りでなければな』

 

 それは虚空へと消えた筈のマタドールの声。当然のことながら本物ではない。一誠にしか聞こえない幻聴の類である。

 打倒トールの為に命懸けでマタドールに教えを乞いた一誠。情け容赦の欠片も無い嬲り殺しに等しい実戦式特訓は短い期間でありながら一誠に忘れられないトラウマを刻み込んだ。今も偶にマタドールに殺される寸前まで追い込まれる悪夢を見る程である。

 実際の所はマタドールとの戦いで学んだことを思い出しているだけなのだが、意識が曖昧になっているせいでその時のイメージを反映され、一誠の妄想力で形作られたイマジナリーマタドールというべき存在になって脳内に宿り、罵倒混じりで一誠に助言を与えて来る形になっていた。

 イマジナリーマタドールに言われた通り拳を突き出しながら曹操の動きを観察する。すると、曹操は一誠の拳が動くと同時に回避動作に入っていることに気付く。

 

『理解したか? 貴公は隙を狙っているつもりだったかもしれないが、実のところは曹操によって誘導されていたに過ぎない。あれだけわざとらしい隙に釣られる辺り、貴公の間抜けさは相当だな?』

(ぐぬぬ……!)

 

 助言はしてくれるが、心を刺す余計な罵倒まで残して来る。マタドールなら言いそうというイメージによるものなので仕方ない。

 これでもまだ一誠のイメージが入っているのでまだ優しい方である。本物ならば見込みがないと判断すれば二つの意味で即座に切り捨てて来る。

 

『折角誘ってくれているのだ。せいぜい乗ってやればいい。──ただし、あくまでフリだがな。ギリギリまで悟られぬことだ』

 

 イマジナリーマタドールのアドバイスに従い、一誠は曹操が罠として作った隙のある箇所に拳を突き出す。当然ながら曹操はそれを予測していたので、既に回避行動に移っている。

 だからこそ一誠は腕が完全に伸び切る前に拳を止める。寸止めをされ、曹操の顔に僅かな驚きが生じた。

 曹操が動いた先を狙った一誠の右前蹴り。しかし、曹操は一誠のフェイントに対して最小限の動揺だけで済ますと、聖槍の両端を持って一誠の右足に柄を叩き付ける。それを軸にして曹操は跳び上がり、一誠の頭上を超える。

 通過する間際、一誠の後頭部へ踵を打ち込んだ。

 

「ぐっ!」

 

 場所が場所だけに目玉の奥で火花が散る。

 

『分かっていたのに上を行かれるか。本当に才能が無いな、貴公は』

(言われなくとも分かってるつーの!)

 

 マタドールの呆れた声。才能が無いのは一誠も自覚している。

 

「くっ! はあ!」

 

 だからこそ自分の中にある手持ちを活かすしかないと思い、背部の噴射孔から魔力を噴出させると同時に孔の向きを変え、素早く反転すると共に背後に移動している曹操へ回し蹴りを繰り出す。

 人間の体なら受けた箇所が千切れ飛ぶ威力を秘めているが、曹操は自らが脆い人間と自覚しているので受けることはせず、蹴りの間合いの外まで移動し空振りさせる。

 

『さあ、良く見ろ』

 

 イマジナリーマタドールが囁く。

 

『今の曹操を見て、何か気付かないか?』

 

 言われるがまま一誠は曹操へ意識を集中させる。途端に全ての動きが引き延ばされたかの様にゆっくりとしたものとなる。

 今までにない集中力が意識的な時間の流れを緩慢にさせているのだ。

 空振りした足が空を切る。曹操の髪がその風圧でゆれる。曹操は聖槍を持ち替える。傍には珠が一つ。

 

(うん?)

 

 一誠は違和感を覚えた。曹操は禁手の力の一部を解放したことにより転移させる能力を持つ珠と問答無用で武器破壊をする珠を周囲に漂わせていた筈。その内の武器破壊の珠が無い。

 

『気付いたか? さて、無くなった珠は何処へいった? もし、貴公が曹操の立場だったら何処へ移動させる?』

 

 一誠を試すように問うマタドール。

 

(俺だったら──)

 

 曹操は目を惹く存在である。普通なら無視することなど出来ない。

 

(俺だったら!)

 

 瞬間、一誠は噴射孔から爆発させる様に魔力を噴射。その場から跳ね上がる。直後、一誠は真下を球が通過していくのを見た。無くなっていた武器破壊の珠である。

 自分に意識を集中させ、背後から密かに武器破壊の珠で狙っていたのだ。曹操が聖槍を持ち替えていたのも珠が一誠の鎧を破壊するタイミングで聖槍を突き出すつもりだったのだろう。

 しかし、それを読んでいた一誠の動きに曹操も驚きを隠せない様子。だが、ここでの攻撃は無理と即座に判断し、曹操は攻撃を中断して回避の体勢に移ろうとしていた。

 

『流石だ。判断が早い。あそこで無駄に攻撃をしようものなら反撃を受けていた。どこかの誰かと違って引き際を弁えている』

(すみませんねぇ! そういうのが分からなくて!)

 

 一々嫌味を言って来るマタドールに心の裡で声を荒げる。

 

『だが依然として好機なのは変わらない。さあ、攻めろ。あれこれと複雑なことは考えるな。その鎧は己の体の一部。手や足を動かすことに逐一考える者は居るか? 居ないであろう? 自分の体を動かすことに無駄な思考など不要!』

 

 マタドールの声に押されるように一誠は跳び上がっている状態から魔力を噴射。

 

『速さとは緩急の差だ。静と動を組み合わせることで真価を発揮する』

 

 と同時に別角度からも噴射し加速と急停止をほぼ同時に行って回避しようとしていた曹操の前に瞬間移動の如き速度で立つ。

 一誠は不思議な感覚に陥っていた。マタドールが言うようにまるで自分の体の延長線として『赤龍帝の鎧』を操り、今までにない精密な動きをやってみせたのだ。

 そのことに対し自分でもらしくないと思いながらも深くは考えない。今は優先すべきことを為すだけ。

 回避、防御、反撃のどれもが間に合わないと察した曹操に残された手段は、転移による仕切り直し。

 一誠が攻撃を行う前に珠の能力で姿を消した。

 

『間違った判断では無い──と言いたいところだが、正しい判断でも無い』

 

 依然マタドールの声には余裕が含まれている。

 

『さあ、感覚を研ぎ澄ませ。今の貴公ならば感じ取れる筈だ』

 

 言われるがまま一誠は精神を統一する。最早、肌と変わらない『赤龍帝の鎧』が一定の空間内に起こる異変を敏感に察知する。

 

(これは……)

 

 ある地点から何かが来ている。言葉では上手く表現出来ないが、しいて言うならば肌がざわつくような感覚であった。

 一誠はそこへ何の躊躇いも無く突っ込んで行く。この時の一誠には、直感のみに従う大胆な行動に対する恐怖は全く無かった。

 目指す先で消えていた曹操が姿を現す。曹操は一直線にこちらへ向かって来ている一誠に驚いている。

 

『どうやら転移中はこちらの動きを把握出来ないらしいな。くくくく。らしくない間の抜けた顔だぞ? 曹操!』

 

 驚いている曹操の顔をそう評する。

 曹操の頭には何故こちらの動きを読めたのかという疑問が湧き上がっていたが、それが脳内を満たす前に塞き止め、思考を即座に切り替える。

 一誠の動きに急にキレが出て来たことを訝しみつつも曹操は先程と同様に一誠の動きを見極めようとする。

 一誠が拳を作るのが見えた。どんなに勢いがあっても曹操は既に一誠の間合いを見切っている。

 一誠が突きを繰り出す。曹操は間合いの外へと逃げる。

 

『甘いな』

 

 一誠の脳内でマタドールが曹操の動きを嘲笑した。

 空気の壁を突き破る一誠の拳。それが途中で形を変える。閉じていた指を開き、五指を真っ直ぐ伸ばした手刀の形へと変化。空気抵抗を最小限にすると共に微妙ながらも間合いが伸びる。

 この微妙な間合いの変化こそが曹操の距離間を狂わせる。

 曹操の目からすると一誠の腕が伸びたかような錯覚を見せていた。

 手刀による突き。一誠は戦いの中で殆ど使ったことは無い。この時、一誠が手本としてイメージしたのはサーベルで突くマタドールの姿。

 神速の突きを放つ戦いをこよなく愛する闘牛士の姿を投影し、己を重ね合わせる。

 

(底が知れ無いな!)

 

 あの魔人の動きを不完全ながらも再現してみせた一誠に曹操が戦慄する一方で──

 

『醜い。醜過ぎる。まさに猿真似だな。赤子が見様見真似している方がまだマシだ。本物の私がそこに居たら貴公を殺す事を即決するな』

 

 イマジナリーのマタドールは滅茶苦茶に酷評する。この評価自体は一誠がマタドールの真似を客観的に見て評価したものの表れだが、それが分かっていても涙が出そうになって来る。が、それを我慢して下手ながらも攻撃を続ける。

 限界まで伸ばした一誠の指先が曹操の胸を突く。第三者から見れば軽く押すようなささやかな一撃。友人同士が戯れでやるようなスキンシップの延長に見えるかもしれない。

 しかし、受けた本人の印象は全く異なる。指先に込められた圧に、警鐘代わりに全身から冷や汗が吹き出す。

 電光石火の反射神経が曹操の上体を仰け反らせる。直後にミシリという音が曹操の体内でなり、鋭い痛みが胸の中で起こる。

 上体を仰け反らせている最中に曹操は聖槍を横薙ぎにする。苦し紛れと不安定な体勢で振るわれたその一撃は力が入っておらず、そこら若木の樹木ですら斬り払うことは出来ないだろう。だが、悪魔に対して特攻である故に、どんなに大層な肩書きがある物でも悪魔に関するならば、雑木すら払えぬ力でも必殺へと至る。

 聖槍の刃が一誠の首筋に迫る。聖槍の放つ純度の高過ぎる聖なる気に一誠の体が反応し、指を押し込む前に後ろへ跳び退ってしまった。

 

『馬鹿め。臆せず続ければいいものを。最大のチャンスを自ら潰したか。この臆病者が』

 

 マタドールが一誠の行動を下策と罵る。聖槍の痛みを知る一誠からすれば理不尽極まりない。

 

(いや、無理ですって! 聖槍ですよ! ロンギヌスですよ! 避けなきゃ首刎ねられちゃってましたよ!)

『ふん。あんな棒振りでは切断までには至らぬ。せいぜい首半ばまで斬られるだけだ』

(死にますって!)

『私が死なぬと言ったら死なぬ』

 

 傍若無人極まった言葉に一誠は反論出来なくなってしまう。頭の中で囁く自らが生み出した暴君に心が折れそうになる。

 

 ──おい。

『むっ。色々と言いたいことがあるが、時間切れだ』

(へ?)

 ──おい! 

『せいぜい足掻け。貴公は才能は無いが、無駄に生き汚いからな』

 

 マタドール以外の声が頭の中に聞こえ始める。それは彼の相棒であるドライグの声。

 

『おい! 相棒! 大丈夫か!』

 

 マタドールの声が消え、ドライグの存在と声をハッキリと認識する。

 

「ドライグ……?」

『さっきから一人でブツブツと呟いてどうした! 聖槍の影響が残っているのか!』

 

 意識がぼんやりとし、マタドールの声が聞こえ始めてから一誠はトランス状態に入っていた。意識が明確になり一誠は思わずゾッとする。

 

(うわぁ……普通に会話してた……)

 

 頭の中で生み出した幻と何の疑問を抱かずに話していた。かなり危うい状態であったことを自覚してしまう。

 しかし、あまりにリアル過ぎたのであれは本当に幻聴なのかと疑い始める。実はマタドールがこっそりと自分の力の一部を一誠に仕込ませていたのではないかと思い始めてしまった。

 

(気色悪っ!)

 

 自分で想像して鳥肌が立ってしまう。頭の中にそんな同居人など要らない。

 

『本当に大丈夫か、相棒?』

「──うん。大丈夫大丈夫。今は正気だ」

『今は?』

 

 引っ掛かる言い方だったが、取り敢えず普通に会話が出来るのでドライグはスルーすることにした。

 一誠がまともに戻った一方で、曹操は聖槍を片手に持った状態で突き出し、相手に踏み込めさせないよう牽制する。そして、空いた手で先程指で突かれた箇所に触れていた。

 

(折れてはいないが、罅ぐらいは入ったかな?)

 

 ズキズキと断続した痛みが生じている。呼吸をすれば一瞬だがその痛みも跳ね上がる。ただでさえ片眼が失明状態だというのにまたも無視出来ない負傷をしてしまった。

 痛みは命の危機に対する警報だが、曹操はそれを奥底へ追いやる。一種の自己暗示であり痛みで思考が妨げられないようにする為であった。

 

「赤龍帝」

 

 曹操は敢えて一誠に話し掛ける。

 

「何だよ?」

 

 無視する選択肢もあったが、一誠は普通に応えてしまった。曹操は戦い方を考えるという時間稼ぎという打算があったが、一誠の方は打算無しの素の反応である。

 

「強い、強いな君は。正直に言うと君の実力はあまり高く評価していなかった。事前に仕入れていた情報を見ていた事もあったが、何せ君と比較するのが、あのヴァーリだったからね。どうしても君を過小評価してしまう」

「だからどうした? 今更評価を改めたってか?」

「その通り。反省は人を成長するのに必要だ。それにここまでされて君を評価しなかったら、俺の方がみっともない」

 

 曹操は苦笑しながら罅の入った肋骨を指で軽く叩く。

 

「最後に見せたあの動きは特に凄かった。──どういう訳かある人物が思い浮かんだんだが……もしかして師事でもしていたかい?」

「そ、そんな訳無いだろ……か、勘違いだ、勘違い!」

 

 一誠の背後にいるマタドールに気付いていることを暗に示唆すると一誠は動揺して目を左右に動かす。露骨なぐらい分かり易い反応。

 一誠としても認める訳にはいかない。悪名しかないマタドールに教えを受けていたなんて噂が広がったら、自分だけでなく周りの人たちも誹謗中傷されるかもしれない。尤も、その前にマタドールが変な噂を広めたことに怒って殺しに来る可能性の方が高いが。

 

「まあ、そういうことにしておくよ」

 

 曹操は追究はせずにあっさりと引く。

 

「それにしても──」

 

 そこまで言い掛けた時、曹操の表情が急に険しくなる。空に向かって放出される力の奔流が目に映ったからだ。そして、少し遅れたタイミングで一誠もある気配に感付く。

 

「ドラゴン……? ヴリトラ──だけじゃない」

『この気配……玉龍か。あの若造が来たのか?』

 

 ヴリトラともう一つのドラゴンの気配──ドライグが言うに玉龍のもの──が急に現れて驚く。

 ヴリトラの復活には驚いたが、五大龍王の玉龍がここに現れたことにも驚かされた。同時に何故ここに現れたのか疑問に思ったが、アザゼルが助っ人を呼んだという話を思い出した。

 

(五大龍王とも知り合いなのかー。しかも、助っ人で呼べるぐらいに親しいみたいだし。顔広いな、アザゼル先生)

 

 玉龍がその助っ人だと勘違いしてしまう。

 

「はぁ……」

 

 溜息。吐いたのは曹操。今まで不敵で不遜な態度であった曹操が困ったような表情をする。

 

「凄いな、君の仲間は」

「はぁ?」

「今、連絡が入ったよ。俺の仲間は殆ど撤退した。そして、君の仲間は死者無し。客観的に見てもそちらの方の勝ちだ」

 

 曹操はこめかみを指先で叩く。

 

「そして、折角二条城に集めた力がヴリトラのせいで食い荒らされている。このままじゃいずれは九尾の術も解けてしまう。そうなるとグレートレッドは呼べない。こっちの実験も失敗になる」

 

 一誠の知らないところで仲間たちが英雄派を撃退していたことを知り、安堵すると共に誇らしい気持ちになってくる。

 

「そうなる前に九重の母ちゃんを解放したらどうだ? そうすれば命までは取らない──逃がしゃしねぇけど」

「カッコいい台詞だ。人生で一度は言ってみたいな」

「おい! ふざけてんじゃねぇぞ!」

 

 真面目に言ったのに冗談で返して来る曹操に、一誠は怒声を上げる。

 

「今更命がどうこう言うのはナンセンスじゃないのかな? 赤龍帝。本気で殺りに来なきゃ少なくとも俺は倒せない。それとも、今まで戦いで手を抜いて勝てると思われたのかな? それだったら失礼。そう思わないよう……本気にさせてやる」

 

 曹操が息苦しさを覚えるぐらいのプレッシャーを放つ。心成しか聖槍の輝きも増した気がする。今まで以上に曹操はやる気になっていた。

 

『余計な事を言ったな』

(……俺も今後悔してる)

 

 深い意味は無かった。仲間の無事と風向きがこちらに向いて来ているせいで、つい口が軽くなってしまっただけだ。そのせいで曹操のプライドを刺激し、やる気を引き出させてしまった。

 口は禍の元というのはこういうことかと実感する。

 カチ、と音が鳴る。曹操はいつの間にか腕に巻いていた数珠を掌に移動させていた。その状態で数珠を軽く握り、繋がれた珠を曲げた中指に乗せ親指の爪を押し当てる。

 ポーズを見ただけで曹操が何をしようとしているのか理解する。一誠が見るマンガやアニメのキャラクターが使っているのを見た事があるからだ。

 曹操の親指が跳ね上がった瞬間、一誠はブースターによって急加速で動いていた。そのすぐ後に一誠が居た場所球体状の眩い光が発生する。見るだけで寒気立ち、目の奥が痛くなってくる破魔の光。

 指弾。指で弾を弾き飛ばして相手にぶつけるという技術。命を取るには貧弱な技であるが、それを破魔の力を込めた珠を使用すれば一転して必殺の攻撃と化す。

 曹操は連続して指を弾く。一誠は必要以上に曹操から距離を取る。珠が小さいせいで破魔の力が解放されるまで視認出来ないからだ。

 十数メートルもの距離を指の力だけで飛ばす曹操の技量は桁外れのものだが、射程範囲外まで移動すれば脅威では無い。

 一誠を追う様にして破魔の光が立て続けに起こるが、どれも曹操から十数メートル以内で止まってしまう。

 射程外まで移動したことに安堵の息を吐こうとする一誠。だが、すぐにその息を呑み込むこととなる。

 一誠が射程外まで移動した途端、曹操は転移の珠によって瞬間移動。すぐに一誠を射程距離へと収める。

 

「うおっ!」

 

 指弾のインパクトでうっかりしていたが、曹操自身に間合いは存在しない。目視出来る範囲ならば容易く瞬間移動出来るし、逆に相手を転移させて引き寄せることも出来る。

 射程に収めて即座に珠の連射。一誠も慌てて回避するが、数発放たれた内の一発がすぐ傍で破魔の力を解放し、驚きで体が硬直する。

 あと二メートル、否、一メートルずれていたら体の半分が破魔に呑み込まれていた。戦いの最中であるが、体の半分が消し飛んでしまう嫌な光景が頭に浮かび上がる。

 その時、背中に軽い衝撃が走る。痛みは一切無い。それこそ軽く叩かれた程度の威力。問題なのは何が当たったかである。

 

『相棒! 不味いぞ!』

 

 ドライグの焦った声。何に焦っているのか一誠もすぐに知ることとなる。

 ピシ、ピシと罅割れていく音。その音は一誠の纏う鎧から聞こえており、パラパラと赤い小さな破片が足元に落ちていくのも見える。

 

「まさかっ!」

 

 一誠は己の鎧を見た。鎧には細かな亀裂が生じており、今も亀裂は伸び続け、他の亀裂と繋がると装甲は破片となって剥がれ落ちる。

 一誠は慌てて背後を見る。一誠から離れた場所に浮かぶ武器破壊の能力を持った珠。

 破魔の珠を使用した指弾はこれを悟らせない為の目晦まし。まんまと曹操の思惑通りに動かされ、致命的な隙を晒してしまった。

 

「ドライグ! 修復を!」

『今やっている! ちっ! 破壊の力が邪魔をする!』

 

『赤龍帝の鎧』を修復させているが、武器破壊の効果がそれを阻害して修復を遅らせており、ドライグは思い通りに進まず舌打ちする。

 一誠が鎧に気を取られている間に曹操は一誠のすぐ近くまで来ていた。聖槍の間合いから逃れる為に噴射孔から魔力を噴射しようと考える──

 

『駄目だ! 使えん!』

 

 ──が、間髪入れずにドライグの言葉が頭の中に響く。噴射孔は背部に武器破壊の珠を受けたせいで損傷が酷く、使用不可能な状態であった。

 曹操は聖槍を頭上に掲げるぐらいに振り上げる。全身全霊の一撃で一誠を両断する構え。

 

「イチかバチかだ!」

 

 一誠は後退ではなく前身を選ぶ。曹操が聖槍を振り下ろす僅かな間に先に拳を打ち込もうとしたのだ。

 ありったけの力を込めて拳を放つ。

 

「──あっ」

 

 その声を洩らしたのは──一誠であった。渾身の拳が空を切る。そこに居る筈の曹操が消えた。

 

(しまった! 転移!)

 

 珠の力で何処かへ移動したと思い、一誠の視線が左右に彷徨う。だが、次の瞬間、曹操が姿を現した。一誠の拳から少しだけ横にずれた位置に。

 しまった、という言葉を心の中で吐いたのはこれで何度目だろうか。

 転移により散々違う場所に移動していた曹操を見ていたせいで一誠の中にあった先入観。それを曹操はこの場面で的確に突いて来た。

 転移の珠を利用した回避と時間差攻撃。それは見事に嵌り、聖槍の刃が鎧ごと一誠の体を斬るという結果を齎した。

 鎧の裂け目から鮮血が噴き出す。

 これだけでも致命となるが、曹操の攻撃の手はまだ緩まない。

 肩から胸に掛けて出来た鎧の傷。曹操はそこに掌打を打ち込む。ひ弱な人間が放つ掌打では例え傷物の『赤龍帝の鎧』であってもビクともしない。しかし、その手にだいそうじょうの力が分け与えられた数珠が巻き付けてあるとしたら。

 

『相棒! 逃げろぉぉぉ!』

 

 ドライグがいち早く気付いて叫ぶが、聖槍による傷を負った直後の一誠では咄嗟に反応することは出来なかった。

 

「──マジかよ」

 

 至近距離で解放される破魔の力。傷物の鎧ではそれを防ぐ手立てはない。

 一誠と曹操を中心にして破魔の光がドーム状に広がり、眩い光のせいで二人の姿が覆い隠される。

 暫くして曹操が光の外へと転移してきた。

 

「ぐぅぅぅ……」

 

 曹操は片腕を押さえながら呻く。掌打を放った手が火傷を負ったように爛れた状態となっている。破魔は人間にはそれ程効果は無いが、それでも質によっては悪魔が負うような傷が出来る。だいそうじょうの数珠の大半を消費すればこのような傷になることは曹操も分かっていた。

 そよ風でも千の針を突き刺されるような激痛の中で曹操は懐から小瓶を取り出し、中身の液体を傷に振り掛ける。

 傷から煙が上がると何事もなかったかのように傷は消えて元通りになっていく。それにつれて曹操の強張った表情が和らいでいった。

 この光景を見たら悪魔たちは驚くであろう。曹操の傷を癒したのはフェニックスの涙なのだから。

『禍の団』の活動によってただでさえ貴重品になっているというのに、そんな大切なものが敵対しているテロリストの手に渡っている。つまり、曹操たちが所持している分だけ苦しむ者たちが存在する。まるで悪夢のような話である。

 勿論、曹操たちも単独ではフェニックスの涙を簡単に手に入れられる訳ではない。だが、彼らは組織に属している。『禍の団』がかねてより作り上げてきた裏のルートと十分な資金があれば手に入られるのだ。

 フェニックス家の者が知れば数度憤死してもおかしくない。そして、必ず流出させている者を見つけ、不死鳥の憤怒の炎で灰すら残すことも許さないだろう。

 曹操の傷が癒えたタイミングで破魔の光は消える。光の跡を見て、曹操の表情は怪訝なものに変わった。

 光の跡でうつ伏せに倒れる『赤龍帝の鎧』。指一本動いていない状態だが、曹操は不自然さしか感じない。

 破魔で一誠が消滅したのなら鎧が残っているのは不自然。使用者が絶命すれば神器も解除される筈である。

 曹操の懸念は半分当たっていた。一誠は生きている。

 死んでしまっていてもおかしくない状況であったが、一つの偶然が一誠の命を繋いだ。

 そのきっかけとなったのは曹操が放った掌打。実は、一誠も万が一の場合に備えてフェニックスの涙を所持していた。懐にしまっておいたそれを曹操は曹操の掌打が割ってしまっていたのだ。皮肉にも『赤龍帝の鎧』をも通すことが出来るぐらい曹操の技が優れていた結果である。

 破魔を使用すると同時に一誠は無意識に『赤龍帝の贈り物』により譲渡を行うことでフェニックスの涙の治癒効果を極限まで高め、重傷ではあるが消滅を免れた。

 では、何故一誠は全く動けないのか。それが半分正解の訳である。肉体の傷は癒えても精神的なダメージまでは治せない。聖槍に加えて上級悪魔すら消滅可能なだいそうじょうの破魔を重ねられたら普通の悪魔なら魂が消し飛んでいる。

 今の一誠は消滅しそうなぐらい弱まった魂で辛うじてしがみついている無防備な状態であった。曹操が一突きすれば容易く終わるぐらいに。

 ここで確実に始末しようと考え、聖槍を握り直した時、曹操は気配が近付いて来るのを感じ取った。

 気配の方へ素早く構えると、そこにはギリメカラに乗ったアーシアとアザゼル。アーシアとアザゼルは倒れている一誠に気付き、瞠目する。

 一誠と曹操が高速移動や転移を使用するせいでアーシアたちは大分離されてしまっていた。更に非戦闘員のアーシアと負傷者のアザゼルが戦闘に巻き込まれないようにある程度の距離を保っていたこともあって追い付くのに時間が掛かってしまった。

 

「あ、ああ……」

 

 見開いた目から涙を流すアーシア。距離が開いてしまったせいで『聖母の微笑』の効果は微量になってしまったが、それでも絶えず力を送り続けていた。

 最大限の効果を発揮する距離まで近付くことが出来たアーシアであったが、それ故に気付いてしまった。『聖母の微笑』の力を送っても全く手応えを感じないことに。

 一誠の体は今まさに死に向かっている。それを真っ先に理解してしまい、アーシアの頭は真っ白に──

 

「ッつ!」

 

 ──乾いた音と頭頂部の痛みでアーシアは正気に返る。呆然としているアーシアの前で揺れるギリメカラの鼻。

 それだけでアーシアはギリメカラが何を伝えようとしていたのか理解し、呆然としていた表情を引き締めるとすぐに神器の力を一誠へ送る。

 諦めるのはまだ早い。諦めるのは、全て終わった後でも遅くはない。今は絶望に沈む時間すら惜しい。

 力を送る、送る、送る。手応えを全く感じなくとも送り続ける。もし、少しでも可能性があるのならば、例え指先だけでも引っ掛け、一心不乱で引っ張り込むぐらいの気概で神器による治癒を続ける。

 

「やってくれたなぁ、曹操……!」

 

 普段は冷静なアザゼルが怒りを露わにして曹操に殺意を向ける。

 

「三勢力の貴重な神滅具所持者がやられてご立腹かい?」

「……俺はなぁ、今はこいつらの先生なんだよ」

「うん?」

 

 殺気の代わりにアザゼルの体から光が溢れ出す。

 

「教え子をそんな目に遭わされて怒らねぇ教師はいないんだよ!」

 

 アザゼルから溢れ出した光が変化し、複数の槍を造り上げる。曹操に付けられた傷がまだ完全に治っていないが臨戦態勢に入っている。

 この時、曹操に迷いが生まれていた。アザゼルたちを相手にするか、一誠の始末を優先するかという選択への迷い。

 迷いといっても極めて短い時間での思考。曹操は決断を下す。

 アザゼルに対して迷うことなく背中を向けると、一直線に一誠を目指す。

 

「くそっ!」

 

 曹操の冷静な対応に毒づく。こうなることを避ける為に自分に敵意を向けさせようとしたが、上手くは行かなかった。

 ギリメカラはアーシアの護衛の為に動かせない。動くなら自分しかない。しかし、アザゼルの冷静な部分がここからでは間に合わないと囁いて来る。

 

「それでもやるしかねぇだろうが!」

 

 その客観的な考えを振り切りアザゼルは光の槍を飛ばすが、曹操の転移の珠が立ち塞がり、光の槍を転移させる。丁度、アザゼルたちの方へ送り返すように。それにより光の槍同士が衝突し、相殺されてしまった。

 アザゼルの足掻きすら曹操は嘲笑うかのように一蹴してしまう。

 そして、その間にも曹操は一誠の傍に移動し、徐に聖槍を振り上げた。

 

 

 ◇

 

 

(体が動かねぇ……)

 

 痛みを通り越して最早何も感じない。自分の体である筈なのに言う事を聞かず、指一本すら動かせなかった。

 頭の中にあるのは今まで体験したことのない強烈な眠気。一度眠りについたら二度と目覚めることは無いと直感させる深淵に引き摺り込むものであった。

 

(これはやべぇ……)

 

 抗おうとするが、どんなに絞り出しても抗う気力が僅かしか出て来ない。破魔と聖槍により一誠の魂は風前の灯火であった。

 そんな一誠の魂を繋ぎ止めるものがあった。それがアーシアの『聖母の微笑』。正確に言えば神器を通じて送られてくるアーシアの想いである。

 生きて欲しい、助かって欲しいという純粋な想い。それは万の言葉を凝縮させても届かない。

 

(アーシア……)

 

 必死に祈り、願うアーシアの想いを受けて一誠は鎧の下で涙を流す。自らの不甲斐なさへの悔し涙を。

 

(これが俺の限界なのか……? 何で俺は……!)

 

 自分を可愛がってくれた者たちへの申し訳なさ。自分を慕ってくれた者たちへの申し訳なさ。自分のことをライバルと言ってくれた者への申し訳なさ。肩を並べて共に戦いたい、目指すべき強さを持つ者たちへの申し訳なさ。

 

(皆は一生懸命戦ったんだよ……! 俺が、俺だけが肝心な時に……!)

 

 全力を出しても届かなかった曹操という壁。

 

(何が赤龍帝だ……! おっぱいドラゴンだって囃し立てられ、ヒーローみたいに扱われていた癖に……!)

 

 流れ落ちる涙を拭うことすら出来ず、己の弱さで顔が濡れる。

 

(全然ヒーローになれてねぇじゃねぇかっ!)

 

 いいえ。貴方は立派なおっぱいドラゴンですよ? 

 

(えっ?)

 

 聞いた事の無い声が聞こえた時、一誠の意識は彼方へと飛ばされる。

 

 

 ◇

 

 

「……はっ!」

 

 気付けば真っ白な空間に一誠は立っている。鎧は着ておらず、制服姿に戻っていた。

 

「どこだここ! 曹操は! ってか何とも無くなってるし!」

 

 当然ながら一誠はパニックになってしまう。ついさっきまで死に掛けていた筈なのに気付けば誰も居ない見知らぬ場所。つい最悪なことを想像してしまう。

 

「お、俺、死んだのか……?」

『大丈夫です。まだ貴方は死んでいませんよ』

 

 意識を失う間際に聞いた声が再び聞こえる。慌てて探すが声の主は見つからない。

 

「誰だ! 何処にいる!」

『落ち着いて下さい。私は敵ではありません。そして、私の姿を探しても意味はありません。ここは貴方の無意識の奥底にある空間。私はそれを介して話し掛けているのです』

「俺の無意識? ってそんなことよりも誰だよ、お前!」

『私は全てのおっぱいを司りし神──乳神様に仕える精霊です』

 

 声の主の自己紹介に一誠は言葉を失う。そして──

 

「ああ……部長や朱乃さんにちょっと会えなかっただけでも俺はこんなに欲求不満になるのか……まさか、ここまで来るとは……」

 

 性欲が強いことは自覚しているが、正気を蝕む程とは思っておらず、自分の頭がおかしくなったことに一誠は静かに涙を流す。

 

『大丈夫です。貴方は正気です。正気のまま貴方は頑ななまでのおっぱいへの渇望によって私を呼び出したのです。これは異常──もとい前例のない事態です』

「どっちにしろまともじゃねぇぇ!」

 

 自分の胸に対する想いが、訳の分からない神にコンタクトをとり、あまつさえ使者まで送ってきたとなると、ここまで極まっていたのかと思わず叫んでしまう。

 

「というか何処の神話体系の神様なの! 乳神様なんて聞いたことがないんだけど!」

「私も聞いた事無いなー」

 

 不意に第三の声が傍から聞こえた。

 

「エ、エルシャさん!」

「はーい、おっぱいドラゴン君」

 

 歴代赤龍帝の残留思念であるエルシャはにこやかに笑いながら手を振る。

 

「どうしてここに!」

「いやー、何か来れちゃった」

 

 エルシャ本人も何故ここに来れた分からない様子だったが、特に気にしていない。

 

「それにしても乳神かぁ。最近、不思議な力を感じてたけど、それって向こう側からアピールしてたってことかな?」

『ええ。そうです。乳房を求める者への乳神様の慈悲深い加護です』

「成程ねー」

 

 乳神だのそれに仕える精霊だの、どう考えても色々と飛んでいる存在を平然と受け入れるエルシャ。

 

「あのー、何かそのー……すみません。意味不明なものを呼び寄せてしまって」

「うん? まあ、別にそこまで怪しい存在じゃないんじゃない? 昔から女性の体と大地を結び付けた地母神ってのもあるし、男性のアレを神様に見立てた像もあるって聞いた事もある」

 

 エルシャなりの解釈で乳神の存在を肯定する。

 

「そういうもんですか? でも、男のアレって──」

 

 そこまで言い掛け、一誠の脳裏にある悪神の姿が浮かび上がる。

 緑色で、伸びたり縮んだりしてどう見ても形が卑猥なあの──

 

「ぐわあああああっ! 消えろっ! 俺のトラウマァァ!」

 

 当時の感触がフラッシュバックし、頭を抱えて悶え苦しみながら叫ぶ。

 

「だ、大丈夫!?」

 

 一誠の悶絶っぷりに心配してエルシャが声を掛けると、一誠は真っ青な顔色で肩で息をしながら何とか忌々しい記憶を振り払う。

 

「ええ……大丈夫です……」

 

 ああいう神も居るんだから、乳神だって存在するだろうと納得した。言ったら不敬で神罰が下りそうな納得の仕方である。

 

「うぇっぷ……そういえば用事も無く呼び出しちゃったけど良いのか?」

 

 気を紛らわす意味も込めて一誠は精霊に問う。

 

『大丈夫です。貴方の想いは分かっています。だからこそ、我らが神は貴方に加護を与えようとしているのです!』

「加護? パワーをくれるんだったら喜んで貰う!」

 

 曹操に勝ちたい一誠からすればこの上なく有り難い話。

 

『しかし、我らの神の加護を与えるには()()()()()足りません。貴方の中の昂ぶり、『乳力(にゅうパワー)』がもっと必要です』

「にゅ、にゅうパワー……」

 

 何とも言えない単語に一誠も半信半疑になってしまう。

 

「あははは。何か凄いことになってるわね」

 

 エルシャの方は普通に笑っている。こんなとんでもない事態を受け止める器の大きさを表していた。

 

「貴方もそう思わない? ベルザード?」

 

 その名は歴代赤龍帝の中でもエルシャと肩を並べる程の実力を持つ人物。一誠もまだ会ったことが無い。

 すると、空間内に口笛が響き渡る。口笛を吹いているのはダンディという言葉を体現したかのような渋みのある壮年の男性。

 ベルザードの登場にも驚いたが、彼が奏でている口笛にも驚いた。

 

「こ、これは、おっぱいドラゴンの歌!」

 

 あんなダンディな見た目なのにおっぱいドラゴンの歌を口笛で、しかも無表情で吹いているので戸惑うしかない。

 

「ベルザードの最近のお気に入りなのよ」

「ええっ!」

 

 一誠も気に入っているが、まさか歴代赤龍帝の中でも気に入る人物が居るとは思ってもみなかった。

 

『相変わらず素晴らしい曲です。我らが乳神様もお気に召しています。いずれは乳神様を讃える讃美歌となるでしょう』

「そ、そうですか……」

 

 アザゼルとサーゼクスの歌が未知なる神の讃美歌になろうとしていることにそう返すことしか出来なかった。

 

「何か凄いことになってるな、ドライグ……ドライグ?」

 

 ドライグの名を呼んだが返事は無い。もう一度呼んでみたが結果は同じ。ドライグと会話することが出来なくなっている。

 

「どうした、ドライグ? 何かあったのか?」

『彼は現実世界にいます。この精神世界には来ていません』

「え? 何で?」

 

 元々が魂だけの存在であるドライグなら一誠と共にこの世界について来ていると思っていた。

 

『彼はどうやら『()力』を()じていない──寧ろ恐れています。つまり『乳信』していないのです』

「にゅ、乳信……」

 

 次から次へと新しい言葉が出て来て、一誠は頭が痛くなりそうであった。

 

『ですが、貴方には高い『乳信力』があります。さあ、今こそその力で呼ぶのです! 貴方だけのおっぱいを!』

 

 一誠はエルシャとベルザードの方を見る。二人共期待の眼差しで一誠を見ていた。

 こうなると一誠もやるしかない。全ては曹操に勝ち、ハッピーエンドで修学旅行を終わらす為。

 

「召喚っ! おっぱぁぁぁい!」

 

 訴えられそうな召喚の言葉を叫ぶと魔法陣が描かれる。誰が呼び出されるのか、一誠には分かっていた。思い描く人は一人しかいない。

 召喚されたのはリアスであった。しかも、何故か全裸の。

 一誠はリアスの裸を直視してしまい、鼻孔の奥が熱くなるのを感じる。

 

「──え?」

 

 召喚されたリアスは少しの間呆けていたが、正気に戻ると自分の置かれている異常な状況を理解する。

 

「な、何でイッセーが! ここは何処なの! そこの二人は誰!? 誰なの!?」

 

 一誠に驚き、何も無い空間に驚き、リアスに手を振っているエルシャとベルザードに驚く。

 

「ぶ、部長! 何で裸で!」

『彼女が裸なのは貴方のイメージが理由かと。実体ではなく彼女の精神をここへ呼び出したので』

「何、この声!?」

 

 姿無き精霊の声にもリアスは驚いていた。

 

『さあ、準備は整いました。──つつきなさい』

「……へ?」

『一押し足りないと説明した筈です』

「一押しってそういう意味なの!?」

 

 比喩ではなく言葉通りであった。

 

『彼女こそが貴方の可能性の扉を開く最後の決めてです。押しなさい』

 

 頭のおかしい展開が続いているが、もうここまで来ると腹を括るしかない。エルシャとベルザードも何が起こるかワクワクした様子で見ている。

 

「部長」

「イッセー?」

 

 一誠は真正面からリアスを見る。混乱していたリアスも一誠を見て落ち着きを取り戻す。

 

「色々と混乱しているのは分かっています。分かっている上でお願いします! 乳を突かせて下さい!」

 

 自分で言うのも何だが、いざ口に出してみると爆弾でも吐き出したかのような衝撃的な発言だと一誠は思う。自分がリアスの立場だったら悲鳴か身の危険を感じて逃げ出してもおかしくない。

 リアスは一誠の発言に絶句していたが、すぐに神妙な面持ちになる。

 

「本当に訳の分からないことばかりだけど……わかったわ!」

 

 それは一誠を信頼しての了承であった。いきなり連れて来られて変な連中の前で変態的なことをされそうになっているというのに『わかった』と言い切ってくれる。

 リアスの懐の深さに感涙する一誠。そして、突けると分かって鼻から血を垂れ流す。

 

「──いきます」

 

 かしこまった一誠の声。場は静寂に満ち、まるで儀式のようにその行いを見守っている。

 暫しの沈黙の後。

 

「……ぁふん……」

 

 リアスの艶のある声が静寂を破った。

 

 

 

 ◇

 

 

「……今、何か変なことが起こらなかったか?」

 

 切断されている片腕を治療されながらシンが言う。

 

「いや、僕は何も感じなかったけど……?」

「私もだ」

「私も──」

 

 シンは言いようの無い悪寒を感じ取っていたが、他のメンバーは特に何も感じていない。

 シンは何故だか嫌な予感を覚える。

 一方で黙々と魔術でシンの治療を続けるルフェイだったが──

 

『うう、流石に腕を接ぐのは初めて……失敗したらどうしよう……大丈夫だよね……?』

「別に失敗しても恨みはしない、自業自得だ」

「え?」

 

 ビクリとした様子でルフェイはシンを見る。シンの方もルフェイが弱音を零していると思ったのでフォローしたつもりだったのだが、反応がおかしい。

 

『しかし、間薙も無茶をする……斬られたことはあるが、片腕を失う程の大怪我はしたことがなかったな……どんな感覚なんだろうか?』

『ううぅ……とてもグロイけど、ここで目を逸らしたら失礼だよね……?』

「ゼノヴィア、知らないならそれに越したことはないよ。あと、間薙君ならそんなことは気にしないよ」

「……うん?」

「……へ?」

「……あれ?」

 

 不安を洩らしているのかと思いきや、何故か木場の言葉にゼノヴィアとイリナは戸惑っている。

 

『何で私が考えていることが分かったんだ?』

『どうして分かったの?』

 

 再び聞こえる声。だが、二人は口を閉ざしている。木場とシンはそれを確認し、同時に思った──

 

(何で分かったんだ?)

 

 ──と。

 二人が知る由はないだろう。突いた感動で一誠が感極まり過ぎ、その力を周囲に無意識に拡散していることを。

 半径数十キロメートルに及ぶ一誠の力。その範囲内に居る者は強制的に『乳語翻訳』の影響下へ置かれる。

 この夜、男性限定で相手の女性の心の声──もとい胸の声が頭に響くという怪現象が京都で起こった。

 




何でもかんでも自分のしたい事を貫き通す奴が強いってことで。

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