ハイスクールD³   作:K/K

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各章を少し整頓しました。


幕間 会食、裏話

「よお」

 

 ある日の放課後、アザゼルがシンに声を掛けた。

 

「どうかしましたか?」

「今日、暇か?」

「特に用らしい用は無いですが」

 

 生徒会の仕事で呼ばれることも無く、オカルト研究部の部室に待たせているピクシーたちを迎えに行ってそのまま帰宅するつもりであった。

 

「そうか。あのな……」

 

 続きの言葉を少しだけ口ごもらせる。アザゼルらしくなく見えた。

 

「この間のレーティングゲーム、お前に迷惑掛けたろ?」

「──ああ。あれのことですか」

 

 ディオドラとリアスとのレーティングゲーム。それ自体が『禍の団』を釣る為の作戦であったが、その際に敵の先手によってシンは戦いに巻き込まれてしまい、結局最後まで戦うこととなった。

 シン自身や、ピクシーたちも特に気にしていないが、作戦の立案者の一人であるアザゼルは負い目を感じているらしい。サーゼクスたちも直接シンに謝罪しに来た。彼らにとっては失態だと重く考えている様子。

 

「別に気にしなくてもいいですよ」

「いや、よくねえって。っていうかなぁ。状況が状況だったとはいえ、勝手に危険に晒されたことについてもっと俺を責めるべきだろうが」

 

 簡単に許そうとするシンに対し、アザゼルが待ったをかけた。追及するべき権利を行使しろと逆に叱ってくる。

 もう少し自分の命に頓着しろと言う。傍から聞いたら、シン自身が自分の命に対して希薄という印象を受ける。

 その後に言葉を続けさせようとするが、開けた口をそのまま閉じ、再び開いた時には溜息を吐く。

 

「いや、悪い。こんな説教紛いなことを言うつもりは無かったんだけどな。話がずれちまった」

 

 目的から外れ始めたのに気付き、そこで中断する。

 

「まあ、とにかくだ。お前はどうとも思っていないかもしれないが、俺は迷惑掛けたと思った。詫びの代わりって訳じゃ無いが、今日メシでも奢ってやる。あのチビたちも一緒にな」

 

 前置きが長かったが、要はそういうことらしい。アザゼルなりのシンへの気遣いであった。

 そうなると断るのも無粋。素直にその言葉に甘えることにする。

 

「分かりました」

「何か希望の店とかあるか?」

 

 アザゼルに言われて少しだけ考える素振りを見せるシン。時間にすれば十秒程の黙考の後に話す。

 

「あります。あと、もう一つ頼んでいいですか?」

 

 

 ◇

 

 

 夕日も沈みかけ、夕闇となる外の光景。徐々に静まっていく一日の終わりの最中、とある店はそれに反して活気に満ちていた。

 小奇麗な店内に座る十を超える制服姿の男女。シンを含むオカルト研究部のメンバーと生徒会のメンバーであった。それぞれが長机の上にメニュー表を開き、どれを注文しようか迷っている。

 アザゼルも当然居り、少し離れたカウンター席で先に注文していた生ビールを呷っていた。

 どうせ食事するならば全員誘ってみようと考え、シンがオカルト研究部のメンバーと生徒会のメンバーに声を掛けたところ、全員が参加OKしたので大人数での食事会と化した。

 食事会の場所となったのは、洒落た店では無く以前に食べに来たこともあるラーメン屋。店内にはシンたち以外一般の客は居ない。アザゼルがもしもの時を想定して貸し切りにしたのだ。一日で稼ぐ分以上の額を提示されたら、店主の方も断ることも出来ない。

 とは言え、料理するのは店主一人。従業員は店主の妻らしき女性が一人。これだけの人数の注文を受けるとなると、他に客が居たらパンクしていたことだろう。

 

「さて、どれにしようかしら……」

「この特製ラーメンというのは気になりますわね、部長」

「あっさりとした塩……それとも逆にコッテリとした豚骨にしようかな?」

「うーん。醤油チャーシュー麵にするか、それとも味噌チャーシューにするべきか。間薙、前に来た時は何を頼んだんだ?」

「醬油のチャーシュー麵だ」

「あ、あの、イッセーさん……別々の味を頼んで交換したりするというのは……」

「……ギャー君。餃子を食べよう?」

「ヒィィィ! せめてニンニク抜きにしよう! 小猫ちゃん!」

「な! 見ろ、イリナ! この店では各品の大盛りが無料だぞ!」

「嘘! この店、大丈夫なの!」

「ええー。甘いものが無ーい」

「ヒホ! 冷たいラーメンが無いホ!」

「ヒ~ホ~。そりゃあ、ラーメン屋だからね~」

「グルルルル。トニカク腹ガ減ッタ」

 

 オカルト研究部のメンバーは、相談しながらどの料理を選ぶべきか悩み、シンの仲魔たちは望んだものが無く不満を漏らしている。因みに、見た目が犬のケルベロスは通常では入店出来ないので術によって姿を隠してある。

 

「──トッピング全部載せも有りかもしれませんね」

「会長。飲み物はどうしますか?」

「チャーシュー麵は当たり前として、お供を中華飯にするべきか、チャーハンにするべきか、麻婆飯にするべきか、それが問題だ……」

「元ちゃん悩み過ぎですよ」

「由良先輩はもう決めたんですか?」

「ああ。前に間薙と来たからな。同じもの頼もうと思っている」

「え! 初耳なんだけど! 翼紗! そこの所を詳しく教えて!」

 

 多少の脱線をしながらも、生徒会のメンバーも何を注文するべきか決まり始める。

 

「遠慮すんなよー。頼みたいものがあればどんどん頼め。若い内は食える時にはジャンジャン食え。──生ビールもう一つ貰えるか? あと、このチャーシューの盛り合わせと餃子も頼む」

 

 大ジョッキのビールをすぐに飲み干したアザゼルは、すぐに次のビールとつまみを注文する。

 オカルト研究部、生徒会はあれこれと雑談しながら数分後に頼む品を決めると、そこからは怒涛の注文の嵐となる。

 

「特製ラーメンを二つ。チャーシュー麵の大盛りを三つ。塩チャーシュー麵を二つ。その内一つは大盛りで。あと普通の醬油ラーメンを二つに味噌ラーメンを一つ」

「炒飯と中華飯、ご飯の大を一つ。それと餃子十人前お願いします」

 

 リアスと朱乃が代表して品を頼む。

 

「こちらはチャーシュー麵を三つ。味噌チャーシュー麵を二つ。塩チャーシュー麵を二つ。チャーシュー麵の一つは、トッピング全部で。炒飯を二つに麻婆飯を一つ、餃子を五人前で」

 

 生徒会の方は、ソーナが大量の注文をスラスラと頼む。

 かなりの数の注文を伝票に書き込む女性従業員。やがて、書き終えるとすぐに厨房へと向かい伝票を店主に渡す。

 伝票に目を通すと、大量の注文に表情一つ変えずに店主はすぐさま調理を開始する。無駄の無い動きで手際よく作業を行う。女性従業員の方も、店主の代わりに具材を出すなどの細かい手伝いをしていく。

 注文した品が届くまでまだ時間がある。そうなると、雑談の話題は自然に今日の食事会についてになる。

 

「それにしても、間薙君から夕食に誘われるとは意外でした」

「まあ、偶にはこういうことも悪くないかと思って。とは言っても、本当の理由は二人への礼も兼ねてですが」

「二人……?」

 

 心当たりの無いソーナ。リアスも同じ様な顔になっている。シンの視線が言っていた二人──匙と由良に向けられた。

 

「そんな大したことはしていないさ」

「──俺は、もうお前の『ちょっと手伝ってくれ』という言葉を信用しないからな」

 

 由良はクールな態度で謙遜してみせるが、匙の方は露骨に顔を顰めて恨み言を吐く。

 

「あれは本当に大変だったな……」

 

 一誠は知っているらしく、こちらも顔を顰めながら何故か片頬を擦っていた。

 

「イッセーも知っているの? 一体何をしたっていうの?」

「結構、重要なことですよ。アーシアにも関係ありますし」

「私ですか?」

 

 自分にも関係があると言われ、アーシアは目を丸くする。

 

「今思うとかなり無茶したよなぁ。でも、向こうもお前たちを試す為の試験のつもりだったのかもな」

「──試験って言っても、俺、所々記憶が抜け落ちているんですけど……」

 

 アザゼルも知っている様な口振りであった。

 

「あの時、本当に大変だったんだからねー」

「オイラも物凄く疲れたホ」

「ヒ~ホ~。二度目はごめんだね~」

「グルルルル。アレハ中々オモシロカッタ」

 

 愚痴るピクシーたちとは反対に、ケルベロスの方は楽しかったという感想。性格の違いが分かる。

 

「勿体ぶっていないで、何があったのか教えてくれないかしら?」

 

 中々話さないことに疎外感でも覚えたのか、リアスが急かしてくる。

 

「あれは、ディオドラとのレーティングゲーム前日のことです」

 

 シンがその時のことを思い出しながら語り始めた。

 

 

 ◇

 

 

 万が一の場合を想定し、アーシアを絶対に守る為の方法。シンからそう聞かされた一誠はその言葉を信じてシンと一緒にある場所に着く。

 駒王学園の職員室。扉を開けて一言挨拶をしてから入室する。職員室内を堂々と歩いていくシン。その後ろを一誠が気不味そうに歩いている。

 一年生の頃は、度々問題を起こしていたせいで、何度も職員室でお叱りの言葉を受けているからだ。二年生になって問題を起こすことは無くなったが、今でも苦手意識は在る。教員の何名かが『久しぶりに何かやったのか?』という視線を一誠に向けていた。

 

「先生」

 

 シンの足がある机の前で止まった。

 

「おお、来たか」

 

 そこはアザゼルの机であり、アザゼルがシンたちの姿を見て飲みかけのコーヒーを置く。

 

「準備は出来ているんですか?」

「出来てるぞー。お前たちはタイミングが良いな。そろそろお前たちにも専用の訓練場所が必要だってサーゼクスと相談していてな、大体の工事は済ませてある。少し早いがそこを使う。安心しろ、全力を出しても大丈夫だ」

 

 シンは既にアザゼルに何をするのか話しており、話がトントンと進んでいく。一方で、一誠の方は完全に置いてけぼりになっていた。

 

「え? 俺達専用の訓練場所? 全力を出す? ってことはそれだけ派手に暴れる様なことをするのか?」

「──お前、何をするのか言ってないのか?」

「多分、大丈夫だとは思うんですけど、もしかしたら逃げる可能性もあるので逃げられない状況にしてから話そうかと……」

「悪い奴だなぁ、お前は……。下手したら相手の気分次第で死ぬかもしれないのに」

 

 小声でぼそぼそと会話をするシンとアザゼル。

 

「おい、今『死ぬ』って言葉が出てこなかったか?」

「──さあ?」

 

 惚けるシン。

 

「で? メンバーは? お前とイッセーだけか?」

「あとはピクシーたちも連れて行こうと思っています」

「うーん。不安だな……戦力が足りなくねぇか? 俺の見立てではもう少し欲しい。でなきゃ、死ぬ確率が上がるぞ?」

「やっぱり『死ぬ』って言葉が出てただろ!」

「アーシアの為なら何だってしてやるって言っていたよな?」

「うっ!」

 

 その言葉を出されると、一誠はそれ以上何も言えなくなってしまった。

 

「冗談が過ぎたな。安心しろ。そこまで考え無しの相手じゃねえよ。──多分」

「そこは言い切って下さいよー! ……というかさっきからの話からして俺たち、何かと戦うんですか?」

「頼んで言うこと聞いてくれる相手だったら楽だったんだがな」

 

 逆にある意味ではシンプルな相手とも言える。言うこと聞かせられる程の実力を見せればいいのだから。

 

「失礼しまーす」

 

 聞き覚えのある声と共に誰かが職員室に入って来る。声を見ると書類の束を持った匙が居た。生徒会の仕事で来たのだろう。匙の後ろには由良も居る。

 匙たちはすぐにシンたちの存在に気付き、書類を教員に渡した後にシンたちの方へ来た。

 

「珍しいところで会うな」

「まあな」

「やあ。間薙、兵藤」

「どうもっす」

 

 返事をする一誠の声はやや硬い。一誠と由良がちゃんと言葉を交わすのは、これが初めてであった。

 

「……匙、由良。この後、時間はあるか?」

『え?』

「ちょっと手伝って欲しい」

 

 唐突にシンからそんなことを言われ、匙たちは面食らった表情となる。すると、すぐに一誠がシンの制服の袖を引っ張る。

 

「おい。二人を巻き込むつもりかよ」

 

 一誠の声には少し怒りが混じっている。アーシアの為に人手が欲しいが、だからといってオカルト研究部員ではなく無関係な生徒会のメンバーに声を掛けるのは気に食わない様子。

 

「この二人が加わればギリギリ及第点って言った所だな」

「アザゼル先生も……」

「そう睨むなよ。あくまで事実を言っただけだ。お前がダメだって言うんならそれまでだ」

「包み隠さずちゃんと事情は説明する。それで少しでも気が乗ら無さそうに見えたら諦める」

「……俺には詳しい事情も話さなかった癖に」

「お前はそういう風に扱っても大丈夫そうだったからな」

 

 若干恨みがましく言う一誠に、シンはしれっとした態度で言い返す。

 

「で? 何を手伝ってほしいというんだい?」

 

 由良が内容を尋ねてくる。

 

「ここじゃなくて外で話す」

 

 職員室内では説明し難いので、全員職員室外へと移動する。

 そこから人目に付かない場所へ行くこととなり、その道中でこれからすることについての説明を二人にする。

 

「──成程。聞けば聞くほど胡散臭いな。ディオドラ・アスタロトは」

「レーティングゲームでアーシアさんをかっさらっていくつもりかよ。気に入らねぇな」

 

 ディオドラについて聞かされた二人は顔を顰める。彼らにとって元七十二柱の名を持つ悪魔の基準はソーナである。厳しいが同時にその内の優しさも知っている二人からすれば、ディオドラの行為に不快感を覚える。

 

「それが純血の悪魔にとっての普通なら、少し悲しいね」

 

 転生悪魔故に生まれつきの悪魔とは価値観が異なる。それがディオドラの様な者が当たり前だとしたら、悪魔になったことをほんの少しだけ後悔しそうになる。

 

「まあ、そう深刻に考えんな。それが嫌だと思ったならお前たちで変えてやれ。古い価値観を変えるのは大概がお前らみたいな若い奴だからな。偉くなれ、偉く」

 

 少し暗くなった由良を慰める様にアザゼルが笑いながら言う。アザゼルこそ旧い存在だが、後進の背を押す。若い者たちが成長することへの焦りが無く、逆にそれを望んでいる様子であった。

 

「すみません。ちょっとネガティブに考え過ぎました」

「気にすんな。そういうのも若い奴らしい」

「──それで、もしもの為のボディーガードみたいなものを用意するのに俺達が協力すればいいのか?」

「説得する、という雰囲気では無さそうだね」

「言うことを聞かせるには力を見せる。ですね、アザゼル先生?」

「そうだな。怠け者だが、実力は確かだ。だからこそ自分よりも弱い奴の言うことなんて聞きゃしない。そいつの御眼鏡に適う必要がある」

 

 怪我や血を流すことになる可能性を告げる。嫌だと少しでも思ったのならそれで良い。あくまで頼む立場であるシンが彼らに強制することなど出来ない。

 すると、匙は長い溜息を吐いた後に頭をガシガシと掻く。

 

「何かもうすげえ嫌な予感しかしねぇー。しねぇけどやるよ、やるやる。手を貸してやるよ。あー、言っちまったー」

 

 匙が協力してくれることを約束してくれた。

 

「いいのか?」

「正直嫌だよ! でもなぁ断ったら絶対後悔しそうだから手伝ってやるよ! 同じ生徒会の好みとアーシアさんの為に」

「え、俺は……?」

「兵藤は……まあ何かついでに」

「何だそりゃあ!」

「冗談だよ」

 

 実際のところ、匙が参戦する理由の中で一番強いのは一誠が参加していることである。同じ『兵士』として一誠を超えたい目標としてライバル視している匙は、一誠と同じ試練を受けることでその背に追い付こうとしていた。

 そう思っているなど恥ずかしいので口が裂けても言えない為、誤魔化しているが。

 

「私も手伝うよ」

「そうか。ありがとう」

「君には大きな借りがあるからね。こうやって少しでも返していかないと」

「気にする必要なんて無いが?」

「私の矜持みたいなものだよ」

 

 言った後に笑う由良。美形故に女子ならば即座に恋に落ちそうな程である。

 

「幸い生徒会の仕事もあれで終わりだ。悪魔の仕事まで自由時間だ」

「なら遠慮なく力を貸してもらう」

 

 二人の協力を得たシンたち。そのまま誰も居ない空き教室に着く。周りに人の目が無いのを確認して中に入る。

 

「ピクシーたちはどうするんだ?」

 

 そのまま空き教室に直行してしまった為にピクシーたちには声を掛けていない。

 

「喚ぶ」

「え?」

 

 すると、青白い光の柱が複数現れ、そこに雷の様な光が落ちると離れた場所に居たピクシーたちが召喚されていた。

 その光景に、一誠は感心した声を上げる。

「おお! お前、そんなことも出来る様になったのか」

「仲魔限定だがな」

 

 喚ばれたピクシーたちは、キョロキョロと周囲を確認している。事情は既に話しているので混乱している様子は無い。どちらかと言えば不満そうな表情をしていた。

 

「もおー。お菓子食べてる最中だったのにー」

「置いてきちゃったホー!」

「あ~あ。急に喚ばれたからギャスパー泣くな~」

「グルルル。時間カ」

 

 戦いの前だと言うのに相変わらずのマイペースっぷり。

 

「頼もしいだろ?」

 

 若干の皮肉を込めて周りに聞く。全員苦笑いをしていた。

 

「んじゃ行くとするか」

 

 アザゼルがスーツの内側から一枚の紙を取り出す。何も描いてない白紙の紙であった。

 その紙に向けて指を振るう。すると、紙に光で文字や図形が描かれていく。

 指の動きの速さは尋常ではなく残像が見える程であり、また複雑な文字や図形を描いているのに一秒たりとも動きが止まらない。

 

「何をしているんですか?」

 

 一誠は思わず聞いてしまう。

 

「これから行く場所への転送魔法陣を描いてんだよ」

「今描いてんですか!」

「俺個人が使う時は、基本的にその場で描く。誰かの手に落ちる、なんて万が一の危険を考えてな」

「……よく描けますね」

 

 見たことも無い文字の配列や、図形の配置を見て思わず言葉が零れる。

 

「は? 簡単だろ、こんなの覚えるなんて」

 

 事も無げに言い切るアザゼル。一誠は描かれている魔法陣を見て、完璧な暗記するのにどれぐらい膨大な時間が掛かるか想像して眩暈を感じる。

 喋っている間にアザゼルは描き終え、紙を指で弾く。ひらひらと舞う紙。描かれた魔法陣が輝いた時にはシンたちは全く別の場所に居た。

 これといったものが無い殺風景な場所であったが、端が見えない程に広く、天井は何処までも高い。

 全力を出しても問題なさそうな空間であった。

 

『おおおおお……!』

 

 一誠と匙が声を揃えて感嘆とした声を出している。由良は声を出さなかったが、目を輝かせていた。

 

「広い広ーい!」

 

 ピクシーたちは飛び回り、走り回っている。

 

「見た目はこんなんだが、作りは特別製だ。派手に暴れても問題無い」

「こんな所が在ったんですね……」

「在ったというか作ったんだがな、ここは冥界のグレモリー領の地下だ」

「そうだったんですか!」

「力が増すにつれて専用の場所も必要になってくるからな。それ用のバトルフィールドがここって訳だ。もう少し経ってからリアスたちに使わせる予定だったが、一足先にな」

「てことは、ここはリアス先輩たち専用か……羨ましい」

 

 匙から本音が零れ出る。専用の訓練施設など夢の様な代物であろう。

 

「別にシトリー領内でも作ればいいだろ? セラフォルーが口添えすれば一発だ。作るなら俺も手伝ってやるぜ?」

「うーん……会長が悩みそうだ」

 

 ソーナの言うことならセラフォルーも首を縦に振るだろうが、それを対価にして別のことを要求しそうな気がした。セラフォルーはソーナに弱いが、ソーナもセラフォルーには弱い。

 

「早速やるか──と言いたいところだが、その前に幾つかある」

 

 アザゼルはそう言うと由良の前に立つ。

 

「お前にはこれを渡しておく」

 

 アザゼルの手の中に光球が現れ、それが由良に手渡されると光球は盾と化す。

 

「これは?」

「人工神器『精霊と栄光の盾(トゥインクル・イージス)』だ。『戦車』のお前とは相性が良いだろう」

「人工神器って……ええ!」

 

 手渡された物の重要さに由良の声は裏返る。現状で確認されている人工神器はアザゼルの『堕天龍の閃光槍』しか無い。どれほど貴重な物なのか瞬時に理解してしまう。

 

「幾つか作った人工神器の一つだ。防御力は勿論だが、精霊と契約することでその力を付与することも出来る。今回は前以って俺が火の精霊と契約しておいた」

「いいんですか? そんな大事なものを渡して?」

「丁度、実戦データが欲しいと思ってた所でなぁ」

「──大丈夫ですか?」

 

 安全性を確認する様にシンが問う。

 

「あのなぁ。基本的な実験を何千回も繰り返した後の実戦での実験だ。まず暴走はしない──多分」

「多分って……」

 

 言い切らないアザゼルに一誠は不安そうな声を出す。

 

「一万回やっても一万一回目で何か起こる場合もあるんだ。絶対大丈夫なんて言えるか。その代わり九十九パーセントは保障してやる」

「有り難く使わせてもらいます」

 

 一誠はまだ何かを言いたげであったが、貰った由良がそう言ってしまうと何も言えなくなってしまう。

 

「んで、次にイッセー。お前、禁手使用禁止な」

「はい──ええっ!」

 

 軽く言われたせいで返事をしてしまったが、内容を理解して時間差で驚く。

 

「今のお前の禁手のインターバルは大体一日だったよな。今日使っても明日のレーティングゲームにはまだ間に合うかもしれないが、一日と言っても多少の誤差はあるよな?」

『無い、とは言い切れんな。相棒の体調や気分次第でお前の言う通り誤差が生じる』

 

 一誠ではなくドライグが答えた。

 

「禁手は明日のレーティングゲームの切り札だ。ここで使わせたらリアスたちの戦術を大幅に変えることになるからな。というか、いざ本番で禁手使えなくてディオドラを有利にさせる様なことになったら本末転倒だしな」

「そりゃそうですが……」

「分かりました。じゃあ、そろそろ始めます」

「もうかよ! 色々と心の準備が──」

「禁手が使えなくたって、今のお前ならそこそこ戦える。胸張って行け」

 

 不安そうな一誠の背を押す様に、アザゼルが激励を送る。その言葉に目を丸くした後、両手で頬を張って不安な表情を消し去り、気迫の籠った顔付きとなる。

 

「じゃあ、頑張れよー」

 

 手をひらひらと振りながら、アザゼルはシンたちから距離をとる。

 アザゼルが十分離れると、シンは己の影を爪先で叩く。──しかし、何も起こらない。

 もう少し強く叩いてみる。やはり反応は無い。

 床が砕けそうな程強く踏みつけてみる。以下同文。

 

「あいつ、何やってんの……?」

「さあ……?」

「恐らく意味のあることだとは思うのだが……」

 

 傍から見れば奇行としか表現出来ないシンの行動に、一誠たちがヒソヒソと小声で会話する。

 恥ずかしく無い──と言えば嘘になるが、それでもシンは似た様な行動を繰り返す。

 

「居るんだろ?」

 

 遂には影に話し掛けてしまった。返事は無い。

 どうしたものかと、影の中のアレについて自分よりも詳しい者に助言を求めようとアザゼルの方を向いた時──

 

「あっ」

 

 それが誰の声であったのか、シンには認識出来なかった。横から来る何かに身を固めて防御する方に意識が向いていたからだ。

 横殴りの一撃がシンに直撃する。ギリギリで紋様が発現し、身体能力を高めた状態で受けることが出来た。しかし、踏ん張って耐えることをすぐに止める。耐えたら逆に体が壊れてしまうことを電光石火で伝わる痛みと共に察した。

 受けた一撃に身を任せると自分でも面白いとすら思える程に飛んだ。視界が三百六十度激しく回転し、全ての光景が回転のせいで混ざり合って一つに見える。

 

(油断した)

 

 飛ばされながら自分の失態を振り返る。これから戦う相手に対していつの間にか甘えた考えを持っていた。試合以外でよーいドンで始まる戦いなんて在りはしない。それを忘れていたからこそ先手を受けた。

 目まぐるしく回転する光景に目を凝らす。回転は緩まり、どこが上で、どこが下なのか認識する。

 着地が近付いてきているのが分かると自分から回転の速度を速め、足から着地する。足裏で地面をしっかり踏み締めるが、勢いは中々殺せず、着地場所から数メートルも移動してしまう。

 自分が落ちた地点からさっきまで居た場所を見る。数十メートルは軽く飛ばされていた。

 そして、その場所では戦いが始まろうとしている。

 

 

 ◇

 

 

(不思議な光景だ)

 

 シンがいきなり吹っ飛ばされたことに驚きつつ、由良が抱いた感想がそれであった。

 本来ならば、シンと共に動く筈の影が切り離されて残っている。そして、その影からは太く長い縄の様なものが伸びている。この縄らしきものがシンを殴り飛ばした。

 続いて影から手が出てくる。人の手に近いが大人の頭を覆い隠せそうな程大きい。その手が影の縁を掴み、中から本体を引っ張り出す。

 青黒い体色の巨体は人の体。その体の乗っかるのは単眼の象の頭。獣人を思わせる怪物がシンの影から姿を現す。

 

「お前か!」

 

『赤龍帝の籠手』を顕現させながら、一誠は姿を見せた象の獣人──ギリメカラをシンがこの存在をアーシアの護衛に選んだことを納得する。

 あのヴァーリと一戦交えて無事だった程である。その後にヴァーリとの戦いを文字通り丸投げされたことが若干の不安要素ではあるが。

 いつの間にかピクシーたちもギリメカラの周りに移動し様子を窺っている。匙や由良も神器を構えて相手の出方を見ていた。

 だが、当のギリメカラは周りを警戒する態度を一切見せず、長い鼻を高々と掲げて豪快な欠伸をしている。

 周りを舐め切っているのか、それともギリメカラの性格がこうなのか判断し辛い。

 

『Boost!』

 

 一回目の倍化が終わり、一誠の能力が二倍に上昇する。

 倍になると同時に一誠は走り出していた。主力の一人であるシンが不意打ちで飛ばされた以上、同じく主力である一誠が先陣を切る必要がある。

 接近してくる一誠に、ギリメカラはその単眼すら向けない。余裕の現れなのだろうか。

 ここまで見せつけられて良い気などしない。目にもの見せてくれるという意気を込めて、ギリメカラの肥えた腹に拳を打ち込む。

 拳が触れた瞬間、一誠は突っ込んでいった速度とほぼ同じ速さで弾き飛ばされる。

 

『なっ!』

 

 一同声を揃えて驚く。ギリメカラは全く動いていないのに、殴った筈の一誠が逆に吹っ飛んでいた。

 見事なまでの縦回転をしながら、空中で回転する一誠。地面に後頭部から着地すると再び跳ね上がり、またも脳天から地面に着地。そのまま仰向けになって倒れる。

 

「兵藤!」

 

 匙の声に反応は無い。一誠は鼻の片穴から鼻血を流して白目を剥いており、意識が飛んでいた。

 開始十秒で主戦力であった一誠が気絶してしまう。

 

「マジかよ……」

 

 愕然としながらも構えを維持する匙。だが、それだけであり攻められない。由良も同様であった。先程の一誠がされたことを見れば、不用意に攻められなくなる。

 

「早速かー」

 

 一誠が殴り返された光景を傍観していたアザゼルは小声で呟く。

 ギリメカラの持つ能力『物理反射』によってカウンターを喰らった一誠。清々しいまでの飛び具合であった。あれを見て、禁手を制限させていたことは正解であったとアザゼルは思う。禁手状態で物理反射を受けたら、いくら鎧を纏っていても無事では済まない。

 当然のことながらアザゼルはギリメカラの物理反射については知っている。知っているが黙っていた。

 何事も経験──などという理由では無く、アザゼルなりの手助けのつもりである。

 知っている情報を伝えずに何が手助けだと思われるかもしれないが、あの場に於いてギリメカラの情報を伝えるのは訳あって止めていた。

 普段はシンの影の中に潜み、惰眠を貪るギリメカラだが、彼は眠っていても周りの状況を正確に把握出来る。それ故にシンの時の様な不意打ちを仕掛けられた。

 そして、ギリメカラと戦う前にこちらがどんな制限を付けて戦うか事前に報せることも出来る。一誠の禁手制限とギリメカラの情報無し。こちらがこの様な制限を設けるので、そちらもそれに合った対応をしてくれ、とアザゼルは密かに伝えていたのだ。

 ギリメカラに言うことを聞かせるとなると、彼が決めたハードルをクリアしなければならない。ギリメカラは怠惰であるが話の分からない奴では無い。こちらの戦力を見て、それに対応した力で戦ってくれる。

 アザゼルの予想通り、ギリメカラの方はまだ本気では無い。愛用の剣を出さずに素手である。多対一でもこれで十分であると思っている態度であった。

 今のギリメカラが納得する様な戦いぶりを見せればギリメカラはシンたちに協力するだろう。

 

「負けるなよ」

 

 小さな声援を送りながら、アザゼルは傍観を続ける前で動きがあった。

 様子を見るメンバーの中で飛び出すものが現れた。

 

「アオーン!」

 

 ケルベロスである。ギリメカラの背後に居た彼は、後ろからギリメカラの肩に噛み付く。

 ギリメカラの皮膚にケルベロスの牙が突き立てられる──突き立てられるが、突き破ることは出来なかった。どんなに力を込めても牙がギリメカラの皮膚で止まってしまう。

 噛まれているギリメカラは振り払う動きも見せない。

 変化はそれだけでは無い。ケルベロスの胴体にも二つの穴が生じる。ケルベロスの体毛を破り、穴からは血が流れ出始めていた。

 一誠の時と同様に、ケルベロスもまた見えない攻撃で反撃を受けている。

 自身の傷にも構わずに更に牙に力を込めようとするケルベロス。

 

「ストップ! ストップ!」

 

 それに待ったを掛けたのはピクシーたち。ピクシー、ジャックフロスト、ジャックランタンは、ギリメカラの眼に目掛けて電撃、冷気、炎を飛ばす。

 飛んできたそれらを鼻の一払いで掻き消してしまうギリメカラ。気付くと肩にいたケルベロスが離れていた。

 離れた位置でピクシーの魔力によって傷を治癒されている。

 のっそりとした動きでそちらへと向かおうとするギリメカラ。だが、足に何かが絡みつくのを感じ、視線を下げる。

 何十もの黒い蛇がギリメカラの足に巻き付き、噛みついている。また、一回り太い黒のラインが右脚に繋がっていた。

 黒いラインを辿るとその先には匙。神器『黒い龍脈』を接続させ、ギリメカラの力を吸い取っている。

 

「行かせねぇぞ!」

 

 匙は啖呵を切って見せるが、内心では冷汗ものであった。ヴリトラが一時的に覚醒したことで変化した黒い龍脈の力をフルに活用し、相手から力を吸収しているのに、底というものが全く感じられない。

 大木を縄一本で引っこ抜く。そんな無謀な試みをしている錯覚が見えた。

 一誠やケルベロスに見せた謎の反撃に、底知れない体力。それだけで十分過ぎる程の脅威である。

 ギリメカラは右脚を振り、匙を自分の方へ引っ張ろうとする。しかし、ラインが伸びるだけで匙にその場から動かない。

 すると、ギリメカラは両手を地面に着ける。人の手の形をしていた両手は瞬時に形を変え、象の蹄となる。

 変化を終えると共にギリメカラは走り出す。

 普通の象が走る速度は、世界最高峰の陸上選手と変わらない。ならば異形の象が生み出す速度は如何ほどのものか。

 ギリメカラの両手もとい前足をも使った四足から生み出す速度は、匙との距離を瞬時に詰め寄り、そのまま速度と質量を掛け合わせたシンプルながらも殺傷力の高い体当たりを繰り出す。

 当たれば自動車事故などの比では無い衝撃が匙を襲う。

 だが、そこに臆することなく割って入る由良。彼女は、ギリメカラに向けて『精霊と栄光の盾』を構える。

 直後に空気が揺さぶられ、聞く者が仰け反りそうになる程の音が打ち鳴らされる。

 由良が構えた『精霊と栄光の盾』は、実体から光の盾に成っており、その光の盾がギリメカラの体当たりを防いでいた。

『戦車』としての由良の力と盾の性能が、ギリメカラと拮抗する。

 

「大した、盾だね……!」

 

 ギリメカラの力に対抗しながら渡された盾の性能を褒める由良。事前にアザゼルから渡されたことで、ギリメカラにも通じる性能があると分かっていたが、実際にそれを目撃して『精霊と栄光の盾』の性能の高さを実感する。

 しかし、反撃する手立ては無く由良はじわじわと後退させられていく。

 

「何か、手はないかな? 元士郎……?」

「有るんだったらすぐにやってるさ」

「それは、残念だ……!」

 

 どちらも直接的な攻撃力が無い神器である。このままではいずれ押し負ける。

 そう考えていたとき、蛍光色の光弾がギリメカラの側面に直撃。まともに受けたせいで、ギリメカラの巨体が何度も横転しながら跳ねる。

 

「間薙!」

 

 右手を突き出して構えるシン。不意打ちの借りをギリメカラへと返す。

 シンはすぐに周囲を確認する。失神している一誠とピクシーに治癒されているケルベロス。

 

「何があった?」

 

 手短に状況を確認する。

 

「兵藤は殴って、ケルベロスは嚙みついてああなった」

「何か訳分かんねぇ、見えない力でああなったんだよ」

 

 シンは光弾を命中させたが、何も起きていない。匙の言う見えない力には何か条件がある様子。

 

「二人は何も受けてないのか?」

「私はこの盾で防いだが特に無かった」

「俺も無い。今もまだ繋がっている」

 

 ギリメカラと繋がってラインを見せる匙。ただ触れることも見えない力が発動する条件では無いらしい。

 もう一度一誠とケルベロスの様子を見る。ケルベロスの方は殆ど治りかけている。一誠の方も気絶しているが、この戦いの間には意識を回復させるだろうとシンは予測する。ずっと気絶している程軟弱では無いことを知っている。

 横たわっていたギリメカラが体を獣型から人型にしながら体を起こす。光弾が命中した箇所を指先で掻く。つまりはその程度のダメージであるらしい。

 ギリメカラの足には相変わらず匙の放った蛇たちが嚙みつき、少しずつだがギリメカラから体力を奪っていく。

 匙の右手の本体とは繋がっていないが、蛇たちが吸収した力はワイヤレスで匙へと流れていく。巻き付くラインと同様に実体が無い為、聖なる力で切り裂くか禁手並みの出力で吹き飛ばすしか解除する術は無い。

 すると、ギリメカラが鼻から勢いよく空気を吸い込む。そして、息を止めたかと思えば体からどす黒い煙が立ち昇り始めた。

 ギリメカラの体に生じた異変。体から昇る煙の正体について気付いたのは、匙とケルベロスであった。

 

「うっ!」

「サガレ!」

 

 匙は軽く呻き、何故か神器を解除する。ケルベロスはピクシーたちにギリメカラから離れる様に声を飛ばす。

 

「ドクダ!」

 

 ケルベロスの嗅覚が、ギリメカラから生じる煙が毒であることを察知する。

 

「元士郎!」

 

 膝を突いた匙に由良が声を掛けるが、匙は手を上げ意識があることを示す。

 

「だ、大丈夫……少し吸っただけだ」

 

 匙もまたラインを通じて少量だが無理矢理毒を吸わされてしまっていた。風邪を引いたときの様な熱感、倦怠感、筋肉の痛みが匙を蝕む。

 異変に気付いて反射的に神器を解除したおかげで軽く済んだが、ギリメカラに付いていた蛇たちは全て消えた。

 シンは、ギリメカラに二度ほど助けられたことがあるが、戦う姿を見たことは殆ど無い。せいぜいヴァーリに強襲を仕掛けた時ぐらいである。

 対峙することでよく分かったが、ギリメカラという存在はシンの想像を上回る程の実力者であった。

 

(考えが甘かったか?)

 

 自分の選択に後悔は無いが、認識不足であったことは認める。その結果負傷者が出た。

 誘ったのは紛れも無くシンである。誰が何と言おうとその責任はシンのもの。

 だからこそ、シンは前に出る。

 誰かが血を流したら、自らはその倍の量の血を流せ。誰かが傷を負ったら、自らその倍の深い傷を負え。

 戦いの中で果たせる責任などその程度ぐらいである。

 シンは走る。拳を握って。

 ギリメカラの眼にシンが映り、ギリメカラもまた見せつける様にシンの頭よりも大きな拳を握った。

 あと数歩進めばシンの拳の間合いに入る。巨体のギリメカラの方がシンの間合いよりも広いので先に仕掛けてくるのは間違い。

 一歩踏み込み息を吸う。二歩目を踏み出したとき、シンの口から冷気が吐き出された。

 氷の息はギリメカラの眼を狙い、瞬時に凍結させる。

 視界を奪われたギリメカラ。その懐に入り、シンは腹部のど真ん中に拳を打ち込む。

 拳から伝わる手応えの無さ。そして、間髪入れずに見えない衝撃がシンの腹部に打ち込まれる。

 

(なる、ほど)

 

 背中まで突き抜けていく衝撃。防御の為に力を半分回し、残りの半分程度の力で殴ったが、防御を意識していてもかなり苦しい。

 氷の息は吐いても大丈夫。神器も接触するだけなら大丈夫。ただ、直接殴ると見えない反撃が来る。打ち込んだ力が反射してくるのか、一定の力で返ってくるのかは判断出来ない。

 シンが息を詰まらせている内に、ギリメカラの眼から氷が剝がれ落ち、シンをしっかりと捉えて振り上げていた拳を下ろそうとする。

 しかし、その拳は下ろされず。背後に向けて振るわれた。バチッという音と共に青白い火花が爆ぜる。ピクシーの電撃による援護をギリメカラは素手で散らす。

 電撃を放ったピクシーに何も異変は無い。先程と今ので確信した。ギリメカラは魔力による攻撃は跳ね返すことは出来ない。

 得た情報は、すぐにピクシーたちに念話で伝える。伝わったことの証として、ピクシーたちは一斉に魔力による攻撃を始めた。

 ケルベロスとジャックランタンは火を吐き、ギリメカラを火達磨にする。ギリメカラが燃えている内にシンは離れる。すると、ギリメカラは鼻で自身に纏わりつく火を吸い込み、口から煙として吐き出す。一服でもしているかの様であった。

 火が消えた直後にピクシー、ジャックフロストは電撃と冷気を飛ばす。電撃は肩に、冷気は耳に直撃する。

 魔力が当たった直後のギリメカラは体を軽く振る。が、それだけ。痛がる様子は無い。反射能力に加えて体も頑丈であるらしい。

 

(どうするか)

 

 打撃が封じられた以上、魔力を主体とした攻撃をするしかない。どちらかというと直接殴るのが主な戦い方のシンとしては、少々戦い辛くなる。

 一誠も同じく直接打撃がメインだが、限界まで能力を高めて魔力を放てば必殺の一撃となる。だが、その肝心の一誠はまだ白目を剥いている。時折呻いているので目覚めは近いかもしれないが、悠長にそれを待っている暇は無い。

 ギリメカラの姿勢がやや前傾となる。走り出す前兆であった。

 効くかどうか判断するよりも早くシンの体は動く。右手に魔力剣を作り出し、ギリメカラへと振るった。

 解き放たれた魔力の乱気流がギリメカラを引き裂く為に呑み込む。だが、ギリメカラはその中で真っ直ぐに立っていた。根を張り巡らせた大樹の様に微動だにせず、シンが得意とする魔力波もギリメカラという大木の前では微風に等しい模様。

 ギリメカラは鳴き声を上げる。豪風の中でも掻き消されない大音量。わざわざ自分の方から攻撃すると教えてくれた。

 鳴き声の後、ギリメカラが攻勢に出る。することは至って単純。その巨体を生かしての突進であった。

 佇む姿は大樹。走る姿は重戦車そのもの。巨体が生み出す力と重さは魔力波など関係なく突き進み、その頑丈な体は鎧そのもの。

 だが、力と重量と速度にその頑丈な肉体が組み合わされればそれだけで脅威であり、暴力であり、蹂躙となる。

 小細工やその場しのぎなどでは止めることが出来ない巨躯が、シンを砕かん為に迫る。

 目の前に向かっているそれを見ただけで、今持つ手札では止めることが出来ないとシンは悟る。

 襲来するギリメカラ。ただでさえ大きな体が、全身から放つ重圧と殺気によって更に大きく見える。並の精神ならばとうに呑み込まれて避ける思考すら出来ず、ギリメカラによって四散させられることだろう。

 シンは動かずギリギリまでギリメカラを引き付ける。少しでも早く動けばすぐにギリメカラは軌道を変え、体勢が崩れたシンを追撃するだろう。それをさせない為にも可能な限り距離を詰めさせる。

 接近する分だけギリメカラのプレッシャーが強まる。距離は三メートルを切る。残り二、残り一。ギリメカラの象牙がシンに触れそうになる刹那、シンはプレッシャー跳ね除けて横に飛び退く。

 見ていた者たちが、一瞬シンが串刺しにされた幻影が見える程の紙一重の回避であった。

 地面の上で前転し、すぐに立ち上がるシン。彼の想像では通過していくギリメカラの後ろ姿か、急停止して方向転換する姿が描かれていた。

 だが、立ち上がったシンは言葉を失う。そこに居る筈のギリメカラの姿が無い。

 何処に行ったのか瞬時に視線を動かすシン。時間にすれば一秒にも満たない。

 見渡される周囲の光景。その中で気になるものを捉えた。

 匙、由良、ピクシーたち。全員の視線が斜め上を向き、呆けた表情となっている。

 シンもまた頭上に目線を向ける。ギリメカラが大の字に体を広げて落下してくる。

 あの状況からすぐさま真上に跳躍したギリメカラ。鈍重そうな見た目に反して身軽な動きである。

 シンは急いで前方に跳び込む。ギリメカラの巨体が地面に叩き付けられた。間一髪の所で回避してみせたが、そこから思わぬことが起きる。

 ギリメカラのボディプレスによって地面が割れ、細かい破片が巻き上がる。

 細かく砕けた床が噴煙となってギリメカラの姿を隠す。途端、噴煙を突き破って大小異なる石片が飛んできた。

 高速で飛来するそれを咄嗟に避けることが出来ない。ならばと石片に対して半身となる。当たる面積を最小限にし、致命傷になりかねない石片は目を使い避ける。

 砕けた石片は、シンの制服を掠り、または頬にも掠っていく。触れた部分は裂けるが小さな傷など構う必要は無い。大きな石片だけ避ければいい。

 やがて全ての石片が通り過ぎていく。かに思われたとき、極小さな石片の一部が運悪くシンの眼の中へと入った。

 目に鋭い痛みと異物感を覚え、反射的に片目を閉じてしまう。

 それがいけなかった。ギリメカラは大の字に体を広げたまま鼻を伸ばし、振る。

 太いそれから風切り音を出しながら鞭の様にシンを襲う。体の一部が裂けるなどでは済まない。骨が粉砕される程の威力を秘めている。しかも、それをシンが閉じている目の死角から狙うという徹底した容赦の無さを見せた。

 シンの耳にもその音が入ってくるが、視界が欠けているせいで反応が鈍る。

 不味い、と思ったとき肩に何かが触れる感触があった。ギリメカラの鼻では無い。柔らかく温かな感触。

 鼓膜の中を突き抜けていく音。シンは首ごと動かして欠けた視界を補う。隣には肩を揃えてならぶ由良が『精霊と栄光の盾』でギリメカラの攻撃を防いでいた。

 

「ギリギリ、だったな……!」

 

 歯を食い縛りながらもギリメカラの力に耐える由良。ギリメカラはそのまま鼻を振り抜こうとする。

 

『パオッ』

 

 盾が火を噴き上げ、接していたギリメカラの鼻を焼く。精霊の力を宿すことが出来ることは聞いていた。この火こそが宿っている精霊の力なのだろう。アザゼルの準備に感謝する。

 鼻を焼かれたギリメカラは、火を嫌がって鼻を離し、鼻先を器用に曲げて火傷した部分に鼻息を吹きかける。

 火傷に気を取られているギリメカラに白い塊が当たる。命中した部分は凍っていた。

 ギリメカラの周囲を駆けるケルベロス。その背にはジャックフロストが乗っている。

 

「ヒホ! ヒホ! ヒホ!」

「アオーン!」

 

 ジャックフロストが指先を向けると、その先端から冷気の塊が発射され、ギリメカラへ飛んでいく。

 ケルベロスの機動力を生かして周囲から狙い、ギリメカラを攪乱する。

 ギリメカラの注意がジャックフロストたちに逸れている内に、シンたちはギリメカラから離れた。

 

「助かった」

「礼ならアザゼル先生に言ってくれ。これが無ければとっくにリタイヤしていた」

 

『精霊と栄光の盾』を掲げる由良。

 

「お前に助けられたことには変わりない」

「真面目だな、君は」

 

 短く言葉を交わしながらギリメカラの様子から目を離さないシンたち。

 四方から冷気を浴びせられながらも、それを鬱陶しい程度にしか感じておらず、面倒くさそうに冷気を鼻で打ち消していた。

 

「こっちこっち!」

 

 ピクシーがギリメカラへ見せつける様に指先を向ける。再び電撃でも放つのだろうと特に構えることはしなかった。

 ギリメカラの考えていた通りピクシーの指先から電撃が放たれる。ただし、一条の青白い光が走るのでなく何条もの、それも朱乃が放つ最大出力の雷光に近い雷撃がギリメカラを貫いた。

 

『パオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ッ!』

 

 高出力の雷を浴びせられ、ギリメカラは閃光の中で激しく痙攣する。

 ピクシーがこれ程までの力を放てることなど知らない。というよりも一人で放てられる筈が無い。

 ならば考えられることは一つ。シンは視線を別方向へ向けた。そこには上体を起こして顔を擦っている一誠。いつの間にか意識を取り戻しており、ギリメカラに気付かれない内にピクシーに『赤龍帝の贈り物』によって力を譲渡し、電撃を何十倍にまで引き上げていたのだ。

 余裕ぶっていたギリメカラに、先にやられた一誠が痺れる一撃を返す。

 一誠が活躍すれば、それを黙っていない者が居る。匙である。

 彼もまた一誠が何をしたのか理解し、毒ガスに不調になった体を気合いで動かす。

『黒い龍脈』を構え、そこから何十もの黒蛇を解き放った。

 

「うーん。爽快」

 

 ギリメカラに極大の雷撃を撃ち終えたピクシーが満足そうな声を上げる。

 電撃を長時間浴びせられていたギリメカラの体からは煙が上がっていたが、すぐに活動し始める。

 

『パオ……』

 

 やってくれたな、と鳴き声に怒りを滲ませるギリメカラ。

 

「油断したのはそっちじゃーん」

 

 べーと舌を出して挑発する。ときたま蛮勇、無謀としか言えない行為を考え無しに出来るピクシーに危うさと頼もしさの両方を覚える。

 しかし、ギリメカラの方はピクシーの安い挑発に怒り狂う訳でも無く、真の原因である一誠を半眼で睨む。

 

「やられっぱなしな訳ないだろうが」

 

 好戦的な笑みを見せる一誠。

 

『パオ。パオオオオオオオ』

 

 そんな一誠を侮っていたと素直に認めるギリメカラ。ただし──

 

『お前のことを×××で×××な××××××の×××な奴だと思っていたが──やるな』

 

 聞くに堪えないとても卑猥で下品な言葉を並べた後の称賛であった。ほぼ侮辱と言っていい。

 

「そこまで言うことはねぇだろう!」

 

 今まで色々と言われてきた一誠ですら激怒する程であり、由良は赤面して言葉を失っている。

 

「この野郎ぉぉぉ! ぶっ飛ばしてやる!」

『落ち着け。普通に殴ったらさっきの二の舞、いや、倍化が進んでいる分もっと酷いことになるぞ』

 

 興奮する一誠をドライグが宥める。気絶中にあったことはドライグから一誠へと伝えられている。物理攻撃が通じないギリメカラに猪の様に突撃することは無い。

 

「ふー! ふー!」

 

 尤も、本人は猪並みに猛っているが。

 ギリメカラはシンたちを威圧する様に両手を上げる。昆虫、動物などが体を大きく見せる為の威嚇の様であった。単純な方法でだが効果はある。実際に、シンたちはギリメカラのその動きだけで体が自然に緊張する。

 

(やる気になってきたか)

 

 ギリメカラの様子を見ていたアザゼル。一誠の魔力を譲渡されたピクシーの電撃はかなり効いたらしい。

 ここから先は更に厳しくなるかもしれないが、一誠たちの動きを見る限りは勝算を感じていた。

 

(どう攻める?)

 

 一誠たちに期待するアザゼル。

 ギリメカラは、何を思ったのか単眼を閉じた。自分から視界を閉ざす行為に、シンたちは強く警戒する。

 ギリメカラの眼が開かれたとき、シンらはその眼に光を見た。少なくともそう錯覚する程であった。

 眼光鋭くなどという言葉があるが、これはその比では無い。

 威嚇の極致と言うべきか、眼から発せられる圧力が本能を貫いていき、見た者の体を無理矢理硬直させる。

 蛇に睨まれた蛙。捕食者と被捕食者。人では真似することも到達することも出来ないまさに獣の眼光。

 体の硬直は、シンたちの動きを一手遅らせる。その一手の遅れはこの戦いの中で致命的と言えた。

 

『パオッ』

 

 シンたちが動き出す前にギリメカラが動く。拳を構え、跳躍。巨体に似合わない身軽さを以てシンの方へ。

 振り下ろす拳に自身の体重を乗せ、大地すら容易く割れる程の威力を秘めたそれがシンを狙う。

 避けられるタイミングでは無い。だからといって受け止め切れる威力では無い。

 完全な袋小路。絶体絶命。

 

「盾よっ!」

 

 ──シン一人だったらの場合だが。隣に並ぶ由良の存在が、それを覆す。

 二人を守護する様に展開される光の盾。光にギリメカラの拳が打ち込まれる。物理的な攻撃によって盾の光が波打つ。

『精霊と栄光の盾』が稼いでくれた僅かの間、その間があれば硬直は解け、全力の一撃を放つことが出来る。

 シンは全身を投げ出す様に内側から光の盾越しにギリメカラの拳に自分の拳を打ち込んだ。

 盾に触れていたギリメカラの腕が、シンの拳で跳ね上がった。反射は無い。『精霊と栄光の盾』越しに殴った影響からか。

 それを見た由良は、即座に行動に移っていた。ギリメカラの防御の甘くなった胴体に『精霊と栄光の盾』によるシールドバッシュ。

 自動車程度なら素手で殴り飛ばせる『戦車』による一撃。ギリメカラもまた吹っ飛ばされる──ことなくその場で受け止め切った。盾が火の精霊の力で燃え上がるが、ギリメカラはそれすら耐え、脱力することは無い。

 しかし、由良に焦りは無かった。例えこの一撃を受け止められても次があることが分かっているからだ。

 由良の期待に応える様に、シンは燃え盛る盾の内側に両掌を押し当てた。

 精霊の火すら呑み込んでしまいそうな炎がシンの両掌から発し、それが合わせられて熱線の様に放たれる。

 押し当てられた盾越しに放たれたそれは、ギリメカラの腹部を焼くと同時に灼熱の奔流によってギリメカラを押し流す。

 踏ん張る筈の足元から両足が離れ、炎で飛ばされていくギリメカラだったが、離れれば離れる程に炎の勢いは弱まり、ギリメカラも止まる。

 

『パオ……』

 

 燃えている腹を手で叩いて鎮火させるギリメカラ。高熱を浴びせられても焼き尽くされることの無い頑丈過ぎる皮膚。だが、焦げ目だけはしっかりと付いていた。

 ギリメカラが見せる僅かな隙。それを見逃す筈が無い。

 地を這う大量の黒蛇が、ギリメカラを襲う。ある蛇は足に巻き付き、ある蛇は這い上がって腕に噛み付く。

 だが、どんなに大量に纏わりつこうと『黒い龍脈』の蛇ではギリメカラの力を短時間で吸収し切ることなど出来ないし、すぐにでも振り解ける。

 

「──なんてこと考えているよな?」

 

 ギリメカラが考えていることを把握し、挑発の言葉を添える匙。その隣にはいつの間にかジャックランタンがフヨフヨと浮いている。

 ふと、ギリメカラは気付く。黒蛇たちの姿に違和感があった。ギリメカラの記憶では蛇らしく細長い胴体をしている筈だが、今は胴体だけが記憶よりも倍近い太さになっている。まるで何かを呑み込んだ様に。

 それ認識した途端、黒蛇たちの胴体が一斉に膨れ上がる。倍どころか三倍、四倍と膨らみ続け、やがて限界に達し始めたのか膨らむ胴体が裂け始め、そこから橙色の光が洩れ出るのが見えた時──

 

「ぼ~ん」

 

 ──ジャックランタンの言葉を合図に黒蛇の一匹が爆発。それに連鎖して他の黒蛇たちも爆発する。

 匙と黒蛇たちは見えない線で繋がっている。黒蛇たちが吸収すれば匙に流れ込むが、逆に匙の方から魔力を流し込むことも可能なのである。

 事前にジャックランタンの炎を吸収させていた黒蛇たちに匙は取り込んでいた魔力を一気に注ぎ込む。魔力はジャックランタンの炎を激しく燃やす燃料となり、ギリメカラを爆炎で包み込む。

 全身を燃やす炎。だが、ギリメカラはその炎の中でも膝を突くことはせず、手足や鼻を使って纏わりつく炎を消そうとしていた。

 

『パオッ』

 

 それでは追いつかないと思ったのか、内側から発する魔力より全身の炎を吹き飛ばすギリメカラ。

 そこへ飛び込む赤い影──一誠である。炎に気を取られていたせいで接近を許してしまった。

 一誠は、ありったけの魔力を左手に込める。『赤龍帝の籠手』が魔力で赤く輝いていた。

 その輝く左拳を、焼け焦げたギリメカラの腹に叩き込む。

 反射は無かった。拳は直接触れず、纏っている魔力の方が接触しているので。

 左拳からそのままドラゴンショットが放たれる。赤色の魔力球体が、ギリメカラを吹き飛ばす──直前。

 鈍い音と共にギリメカラの大きな拳が一誠の顔面に打ち込まれていた。ただではやられないギリメカラの執念。

 ドラゴンショットでギリメカラが吹き飛ぶのと、一誠が殴り飛ばされるタイミングはほぼ同じであった。

 ドラゴンショットの腹部に受けながらギリメカラがトレーニングルームの端まで飛ばされ、一誠は宙で何十回転しながら地面に着地する。

 

「大丈夫か?」

 

 地面に横たわる一誠にシンが声を掛けたが返事が無い。また白目を剥いて気絶していた。

 そして、ギリメカラの方を見る。ギリメカラはトレーニングの隅の方で大の字に寝ていた。

 

「おーい。まだやるかー」

 

 アザゼルが遠くにいるギリメカラに確認する。ギリメカラは鼻だけ伸ばして左右に振った後、一声出した。

 

『パオ……』

 

『疲れたから、もういい』、という実質ギブアップをする。

 

「お前らの勝ちみたいだ。おめでとう」

 

 アザゼルのその言葉によって、この戦いの幕が下りる。

 

 

 ◇

 

 

「──ということがあったんです」

 

 言い終えると同時に空の皿の上にレンゲが置かれ、カチンという涼やかな音が鳴る。

 

「どうりであれだけ傷だらけだったのね」

「皆さん、私の為に……!」

 

 アーシアは感動した様に瞳を潤ませる。

 

「……私は聞いていませんが。サジ?」

「そ、そ、そ、それは、べ、別に会長のお耳に入れる様な話じゃなかったというか、言いそびれてしまったというか、その……」

 

 ソーナに横目で睨まれ、顔を青くさせながらダラダラと冷や汗を流す匙。

 

「水臭いな。私も誘えば良かったものを」

 

 声を掛けられ無かったゼノヴィアは、不満気に言う。

 

「そうだ。まだ、間薙さんからギリメカラさんを預かったままでした。ちゃんと──」

「当分の間は、アーシアに預けておく」

「ええ! いいんですか?」

 

 シンの言葉に、アーシアは申し訳なさそうな顔をする。ギリメカラの強さはアーシアも見たので知っている。それだけ強い力を預けられることに畏れ多いと思ってしまう。

 

「今の仲魔でも充分だ。ギリメカラは俺にはまだ手に余る。アーシアの方が上手く付き合えると思う。聞いた話だと相性も良さそうだ」

 

 物理反射に脅威的な耐久。そこにアーシアの治癒の神器が合わされば並大抵では突破されない。

 

「で、でも、ギリメカラさん本人はいいんですか?」

 

 アーシアは自分の影の中にいるギリメカラに尋ねる。返事は何も無かった。

 

「何も無いってことはいいってことじゃないのか?」

「そう、なんでしょうか……?」

 

 勝手に話を進めている様で、アーシアは気が引けているがシンもギリメカラも特に気にする態度は見せなかった。

 

「──分かりました。ギリメカラさん、今後ともよろしくお願いいたします!」

 

 自分の影に向かって律義に頭を下げるアーシア。すると、アーシアの影の中で単眼が現れ、二度ほど瞬きをする。そして、また影の中に消えてしまった。

 ギリメカラなりの挨拶の返しだったのかもしれない。

 

「さて、食べ終えたことだし──」

 

 リアスの言う通り、テーブルの上には空の皿が大量に並んでいた。ソーナたちのテーブルの上も同様である。

 その様子を見ていた店長はやっと終わったと一息吐く。大量に注文をしてくれるのはいいが、大量過ぎるのも考えものである。おかげで一秒たりとも休めずに料理を作ることになった。

 

「──次は何を頼む?」

 

 メニュー表を広げて再びあれこれと話し出すリアスたちを見て、店長の顔色が変わる。

 そんな店長を尻目に、アザゼルは心の中で『ご愁傷』と思いながら注がれたビールに口を付けるのであった。

 




今回は上手く話が思いつかなかったです。多対一は難しい。
次回から七巻の話に入っていきます。

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