本物のぼっち   作:orphan

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第6話

 となるようであればこの世の中からあらゆる悲劇が無くなっている事はこの俺比企谷八幡でさえ知っている。だが現実現在この世の中に悪と闘争が蔓延っている事は明らかであり、つまり由比ヶ浜のクッキー作りは失敗に終わったのだった。

 

 いや、確かに当初俺と小町、由比ヶ浜、そして雪ノ下でさえ由比ヶ浜の成功を信じていたのだが。

 

「いい? 由比ヶ浜さん。何度も言うようだけど粉を篩うのに力は入れなくていいの。むしろ腕から力を抜いて軽く左右にって、はみ出してるわ」

 

「大事な事は素早く切るように混ぜることなの。ここで普通にかき回してしまうと中に入っている空気が潰れてしまうわ。……いえそうではなくて。それと全体が混ざるようにボウルは少しずつ回転させて」

 

「由比ヶ浜さん、間違っても水気を切っていない器具を使わないこと。些細な事かもしれないけれどお菓子作りにおいて水分の管理は死活問題なのよ。だから洗った手をそんなてきとうに拭いて作業を続けないで貰えるかしら」

 

 と細かい所で突っ込みが入り、終わってみれば全体として作業時間は短くなったものの劇的というほどでもなく、手際もさして改善された風には見えなかった。

 

 当然焼き上がったクッキーの方もどうにか前回よりもマシな出来、普通に食べられる領域には届いたが雪ノ下レベルとまでは口が裂けても言えなかった。

 

「どうして上手く行かないんだろう?」

 

 なまじ雪ノ下という理想形を目にし、かつその指導を受け、雪ノ下のクッキーを味わったばかりに目標が高い所に行き過ぎたのだろう。まるで最初の失敗の時のように落ち込んで見せる由比ヶ浜。俺としてはマイナスがないだけで後は女の子の手作りというプレミア感だけで十分だと思えたのだが、送る相手のいる由比ヶ浜にとってはそうではないという事か。納得の行かない様子の彼女に果たしてその様な意見が取り入れられるかは想像に難くないだろう。雪ノ下が居る段階で美味しいなどと嘘を吐くのは論外だろう。彼女が協力する訳がない。何故ならば彼女もまた由比ヶ浜の隣で首を捻っているからだ。

 

 ぶつぶつと何かを呟きながら時に手を縦に振ったり、何かを捏ねるようにしたり。多分由比ヶ浜の調理の過程を一つ一つ振り返っているのだろう。勿論問題が有るという事は前提で、何処をどうやって改善するかという事なのだろうが、しきりに首を傾げている。しつこく横から指図しながら作業した結果があれだったので、どう教えるべきなのかが分かっていないのだろう。

 

 数学の出来る人間と出来ない人間にそれなりに複雑な数式を解かせた時のようなものだろう。両者同じ公式等を使って問題を解こうとするだろうが、数学の得意な人間には脳内で無意識の内に処理される内容が、そうでない人間にとっては四苦八苦するような作業となる。結果作業の工数が増え、それだけミスの機会が増え、間違った結果に辿り着きやすくなってしまう。これこそ努力の賜物というべきなのだが、染み付いた身体感覚とも言うべきレシピを実行していくテクニックまでは、そう簡単に教えられるものでもないらしい。

 

 この場にはもう一人俺より料理の美味い人間が居たのだが、自分より腕の良い雪ノ下が指導に悪戦苦闘しているのを目にしてあっさりと、「あ、小町ちょっと宿題が有るので」とか抜かして一抜けしやがったので、華麗な解決策とやらには期待できない。

 

 取り敢えず俺としては雪ノ下に言っておくべきだ事が有るので伝えておこう。

 

「雪ノ下はさ、さっき成功者の努力って言ってたけどさ、成功できない人間だって別に努力してない訳じゃないんだぜ。確かに成功した人間の努力を軽んじているかもしれないけど、だからといってそれを言っている本人も努力自体を軽んじてる訳じゃない」

 

「何よ突然?」

 

 唐突な俺の批判に雪ノ下が目を丸くした。

 

「いや、さっきの由比ヶ浜はやってもいない事に対して才能どうこう言ってたけど、やったって出来ない人間も居る事位は覚えておいて欲しいと思ってな」

 

 確かに世の中の大半の事はやれば出来るかもしれないが、かと言って全てがそうという訳じゃない。努力するという事はとても難しい事だが、努力すればなんて言葉で片付けてほしくない事も有る。

 

 俺の言いたい事が分かって貰えたのか分からないが、雪ノ下はそれについて反論して来なかった。

 

「……そんな事は分かっているわ。それより由比ヶ浜さんにどう指導すれば良いかという意見は無いのかしら」

 

「それなら俺は雪ノ下の言った通りにするのが一番良いと思うぞ。努力有るのみだな」

 

 そうだ。努力有るのみ。そして最も分かりやすい努力の形というのは反復だ。繰り返し繰り返し上手くいくまで繰り返す。直前にそれで上手く行くとは限らないなんて言っては見たものの、やはり取り敢えずはそれしかないのだ。

 

「雪ノ下、悪いけどもう一回作ってもらえるか?」

 

「良いけれど、由比ヶ浜さんが失敗する度には出来ないわよ」

 

「雪ノ下さんひどい! そんなに何回も失敗しないもん!!」

 

 うんうん、俺も同じ事考えたけど口にはしないよ。というかこれからやることというのはそれを切っ掛けにして思いついたんだけどな。

 

 頬に空気を溜めて膨らませる由比ヶ浜。まなじりも多少持ち上がっているが本気でない事は明白で、雪ノ下も「あら、本当にそうなら私が一回一回お手本を見せてあげても良いかしら」と返した。直ぐに成功させる自信がないのか由比ヶ浜は言葉に詰まる。

 

 クッキー作りを通して仲良くなったのかじゃれあう二人に、多少の疎外感を覚えつつ俺はポケットから携帯電話を取り出してある機能を起動させた。

 

「ネットによく動画で作り方なんかを撮ったのが上がってるだろ。それと同じだよ。雪ノ下が作ってるところを撮ってお手本にする。ってもまあイメージトレーニングをするってのが本題なんだけどな」

 

「イメージトレーニング?」

 

「ああ、実際にはやらないでその動きなんかを頭の中とか、体を動かして」

 

「その位知ってるよ!? バカにすんなしヒッキー!」

 

「冗談だよ。流石にそう何回もクッキー作ってると材料代も馬鹿にならないしな。取り敢えず雪ノ下がどんな動きをしてるか。どんな手順で段取りを組んでいるか。生地がどうなっていればいいのか。一番分かりやすい視覚情報を記録に残しとけば参考にもしやすいだろ? それに雪ノ下が作ってる所を撮ればその味なんかも知ってるわけだしモチベーションも上がるだろ。」

 

 ネットの動画では肝心の味が分からないので、作ってみても自分好みの味ではなかったりする事も有る。おまけにこうしてじゃれあえる位仲の良い人間が作っているなら親近感とか一緒に作っているような錯覚とか色々が手伝ってくれるだろう。

 

 俺としては由比ヶ浜個人の姿勢こそが最も重要だと思えたので、その点を加味しての提案だったのだが2人は何と言うだろうか。

 

「妥当な解決策ね。ただ面白みの欠片もないというか詰まらないというか。正に比企谷君らしい解決策と言えるわね」

 

「ヒッキーなんかキモい。…・・・てか女の子がお菓子作ってる所撮るとか普通にキモッ!」

 

「はっ!? まさか比企谷君、貴方の携帯で合法的に私の姿を撮影しようという魂胆じゃないでしょうね。汚らわしい」

 

「はあ!? ヒッキーマジ最低! 大体女の子のお菓子作ってる所が撮りたいんだったら私が、ってああ違う。……もう、とにかくヒッキー最低、キモッ!」

 

「由比ヶ浜さん、撮影は貴方の携帯を使いましょう。あの男の携帯で撮られたらその後一体何に使われるか」

 

「ふんっ、ヒッキーのバーカ。もうクッキーあげないんだから」

 

 このように え? あれ? そんなに非難轟々吹き荒れる意見だったの? って位罵倒された俺は、この後何の冗談でもなくキッチンを追い出され、俺の代わりに小町が2人に合流した。

 

「結局お兄ちゃんがクッキー作ってくれる訳でもないし、約束を破るお兄ちゃんの事は許してあげられませんなあ。という訳で小町が呼びに行くまでお兄ちゃんはお部屋で待機! それじゃ」

 

 そう言って笑顔で手を振る小町に見送られ自室に戻った俺は、女子という生き物の理不尽さを再認識させられた衝撃と徒労感、そして怒りでふて寝を決め込んだのだった。

 

 それから一時間。完璧なまでに寝入っていた俺を起こしたのはドアがノックされる事も無く開いた音によってだった。

 

「お兄ちゃん、お客さん放っておいて一時間も寝てるとか小町的にポイント低いよ」

 

 寝起きに聞かされるにはちとヘビーなギャグだったが、突っ込みも拳を振るう気にもならなかった。寝て起きたらすっきり爽やかな気分になれるというのが俺の数少ない特技だからだ。本当に、こいつの兄が俺で良かった。でなかったら比企谷小町という女は既に亡き者となっていただろうから。

 俺の寛大な心、というよりも偶然に助けられた小町には返事をせず、気持ち重たい瞼もそのままに俺はベッドを抜け出た。窓の外はまるっきり暗くなっていて、部屋の中も肌寒くなっている。そろそろ2人がお暇するという事か。

 誇張抜きに今日の俺は場所を提供する以外に何の役にも立たなかったらしい。というか小町がたった今お越しに来た辺り、小町は1時間の間俺の部屋に踏み入っていないという事で3人でよろしくやっていたという事なのだろう。俺は身が震えるような寂寥を感じずには居られなかった。

 

「分かった。送ってくって伝えておいてくれ」

 

 とはいえ、どれだけの孤独を味わわされようとも最低限の義務というものも有る。家が何処だか知らないが適当な所まで送っていく位せねば男が廃るというものだ。俺は薄手のジャケットをつっかけてから、居間に向かった。

 

 居間に入ると雪ノ下と由比ヶ浜の2人が帰り支度を済ませて丁度腰を上げた所だった。

 

「よう、由比ヶ浜のクッキーはどうなった?」

 

「あら、無責任な比企谷君らしくないわね。由比ヶ浜さんなら心配しなくてももう大丈夫よ。手順を何度も確認しながら要点も説明したし、今の彼女なら十分に美味しいクッキーが作れると思うわ」

 

「雪ノ下が太鼓判を押すほどか」

 

「ふっふーん。ヒッキーが泣いて喜ぶようなクッキー作っちゃうもんね。それにそれにお菓子作りって結構楽しいし、次はもっと凄いやつを」

 

「由比ヶ浜さん、申し訳ないけれど貴方にはまだクッキー以外は早いわ」

 

「ゆきのんひどっ! もう、私だってやれば出来るんだから。今度美味しい、美味しい……美味しいお菓子をご馳走してあげるから」

 

 そこで具体的な名称が上がってこない所が由比ヶ浜の怖い所である。しかし。

 

「しかし、どうして俺が泣いて喜ぶクッキー?」

 

 お世話になった人にお礼にあげるのではなかっただろうか。無論くれるというなら貰う所存だ。雪ノ下が心配ないと言うくらいだから味の方も期待出来るし、俺とて男。女の子の手作りクッキーならそれこそ金を出してでも手に入れたい。

 

「うえええっ!? ち、違うよ? その位美味しいって事で別にヒッキーにあげるなんて」

 

 くれないのか。落胆を表には出さないが、非常に残念だ。慌てながら、間違っても勘違いすんなよと言外に伝わってくるような由比ヶ浜の反応も。せめて雪ノ下がもう一回作ったというクッキーを一枚だけでも味わいたいが、今探すのは止めておこう。傷心の俺に雪ノ下が塩を塗り込めて来ないとも限らない。さり気なく、特に何の意味も無くキッチンの方を確認したが、クッキーは見当たらなかった。

 

「でもまあ、そこまで美味いクッキーなら貰う相手もお前が感謝してるって分かってくれるんじゃないか」

 

 感謝の気持ちを伝える意味合いが無いのなら、もっと簡単な手段が有ったのだが、この行為の真の目的は由比ヶ浜の自己満足である。いや、真の目的と言ってしまうと悪意が有るか。ともあれ感謝の気持ちを伝えるというだけなら態々クッキーを作る必要など無い。コンビニにでも行って千円そこらのクッキーの詰め合わせでも買って渡せば良いのだ。では何故由比ヶ浜は手作りという手段に至ったのか。簡単だ。感謝以外に伝えたい事が有るか、でなければ自分が相手に感謝している・お礼を言う為に努力しているという実感が欲しいかのどっちかだろう。

 

 感謝以外に伝えたい事、最も想像しやすいのが好意だが、その好意を伝えるというならそこまで努力せずともいい。男なんて生き物は悲しいかな可愛い女の子に弱い。それは吸血鬼に対する聖水、人間に対する拳銃みたいなもので、視界にちらつかされれば否応無しに目で追ってしまう位だ。そんな女の子から手作りのクッキーが貰えるとなったら、それが例え多少味が悪くとも相手の男は心穏やかには居られないだろう。が、今回俺は由比ヶ浜の具体的な依頼について何も知らない。そもそも相手が男なのかも分からない状況だったので、単に彼女の感謝が伝わる。もしくは彼女自身がそれに納得できるお礼にする為の援助をしたつもりだ。

 

 これでどっちに転んだ所で由比ヶ浜がそのお礼に不足を感じる事はないだろうし、相手も美味しいクッキーを受け取れてWINWINという訳である。

 

 雪ノ下の思惑は気になる所だったが、依頼人の目の前で聞くわけにも行かず、こうしてごく普通に背中を押してしまった訳だが、由比ヶ浜としては当然色々心配することが有るのだろう。

 

「本当? ヒッキーでもそう思ってくれる?」

 

 こうして自信無さげに彼女が質問してくるのは今日何度目だろうか。俺でもいい加減気付く。彼女が本当に臆病な質だという事に。そしてそれが意味する彼女の優しさにも。自分のバッグを持つ彼女の手がぎゅっと固く握られる。そのバッグの中には彼女の作ったクッキーと彼女の気持ちが詰まっているのだ。今となってはもう彼女のその優しさと気持ちを知っている人間の一人として、こんな言葉を言うくらいは良いだろうと思う。

 

「ああ、心配すんなよ。相手も絶対分かってくれる。……まあヒッキーでもってのはちと引っかかるが。相手が男ならひょっとするとお前に惚れるかもな」

 

「ええ!? この位で?」

 

「相手にもよるだろうけどな。でもまあ、その位相手も喜ぶだろうって意味合いだ」

 

 男の子のちょろさは異常だ。なんだったら目と目が合うだけで運命感じちゃう事も有る。こいつが本当に謝意しか持ってないとしたら相手の男も少し気の毒だ。なんせこんな可愛い女の子がクッキーをくれてもただの義理だって言うんだからな。俺なら血の涙を流してもおかしくない。その点雪ノ下なら少しは理解してもらえるだろう。大分悪い記憶にはなっているだろうが、雪ノ下は好意を寄せられる事に関しちゃ一家言有るようだったし、そういったケースの経験も有ってもおかしくないからな。

 

「気をつけなさい由比ヶ浜さん。男子も女子も簡単に勘違いする生き物よ。特にその男なんかは日頃のモテない鬱憤を晴らそうと、ここぞとばかりに勘違いしそうだし」

 

「愛されガールはよく分かってらっしゃる」

 

 案の定由比ヶ浜に注意を呼びかける雪ノ下。その矛先は俺にも向いているようだが如何せんこればかりは俺でも否定しかねる。俺も素直に首肯を返したのだが何故か悪寒が走った。

 

 中に何が詰まっているのかは定かではないものの、標準的なスクールバッグ。その持ち手を握った雪ノ下と俺の間で殺伐とした空気が流れる。皆さんご存知の事と思うがバッグというのはごく身近に存在するものの中でも、最も簡単に凶器に変貌するアイテムだ。中に重量物が入っていれば容易く鈍器に変わり、そうでなくとも取っ手を持って振り回せば簡単な長物として使える。遠心力を活かせば威力は大の大人でも悶絶する程だし、ストラップやアクセサリーは目潰しとしても有効だ。そんな物騒な代物を剣呑な雰囲気の雪ノ下が構えているという、その事実そのものすらも恐れ戦くに十分だ。

 

 ご家庭内、しかも俺の家で小町の目まで有る。理性の有る雪ノ下ならば当然自重して然るべき状況だが、数日一緒に居た俺の所感ではちょっと怪しい。そもそも反撃を許容しない癖に攻撃を加えてくる人間性そのものが、あまり円熟しているとも言い難いのだ。想定される雪ノ下の攻撃パターンから反撃、あるいは武器を取り上げる方法を脳内シミュレーションして身構える俺。比企谷家のリビングダイニングは突如として一触即発の様相を呈したのだった。

 

「ちょっ、ストップ。ストーーーーップ。いきなり喧嘩始めないでよゆきのん、ヒッキー」

 

 俺と雪ノ下。緊迫した視線を交差させる2人の間に腕を広げた由比ヶ浜の体が舞い込んだ。なんという頼り甲斐の有る後ろ姿。思わず惚れそうだぜ。そしてそのまま雪ノ下を宥めてくれ。これがリア充のなせる技だろうか、その行動力と勇気に尊敬の念を覚えると共に情けない事を考えていると、雪ノ下が溜め息を吐きながら肩の力を抜くのが見えた。

 

「冗談に決まってるでしょ、由比ヶ浜さん。人様の家庭でそんな無礼な事をする訳がないじゃない」

 

「だよねー。あー、びっくりした。ゆきのんがこんな事すると思わなかったから驚いちゃったよ」

 

 俺には場所が違えばやっていたと聞こえるそれも、由比ヶ浜にはそう聞こえなかったらしい。多分俺の対人経験値が由比ヶ浜のそれよりも低いことが原因だと思う。ついでに雪ノ下の視線が由比ヶ浜の肩越しに俺を追尾しているのも、唇が意味ありげに持ち上がっているのもそれ故の錯覚だろう。そうであって欲しい。

 

 由比ヶ浜はそのまま雪ノ下にじゃれつき始め、抱きついてくる由比ヶ浜を困った顔をしながら引き離そうとする雪ノ下の抵抗も無視して、今日のクッキー作りの感想とそのお礼、そして手順について質問を始めた。俺が部屋に戻る前とは見違えるようなやる気と、そして仲の良さである。

 

 しかし、雪ノ下に対してハグをしながらお礼を言うなら、俺相手にも同じ事が有ってもおかしくない。いやまさかな。そんなラッキーな事が起こるはずが……由比ヶ浜さん少しふしだら過ぎるんじゃ。

 

「お兄ちゃんにもきちんと友達が出来たみたいで小町も一安心だよ」

 

 妄想に耽っている俺の肩を誰かが叩くので振り返ると、一連のやり取りの間も無言無鑑賞だった小町が俺の顔を見上げながら感慨深い声でそういった。お前は俺の保護者かと突っ込みを入れても良かったが、小町の場合冗談なのか本気なのか生意気にも頷きそうなので止めておく。実際、俺の人間関係と対人能力に関してかなりの部分を把握している小町は、いつの頃からかお節介を焼こうとしているようなので強ち間違いとも言えないのかもしれないが。

 

 実の妹にそうまで心配されているという事実に俺の心は若干落ち込んだ。とはいえ。

 

「もうこれでお前にも心配されないで済むな」

 

「甘い! お兄ちゃん甘いよ!! お兄ちゃんの事だからすぐに地雷踏みまくって嫌われるのがオチなんだから。でも、そうなっても小町だけはお兄ちゃんの味方だからね。今の小町的にポイントたかーい」

 

「その状況を心配してんのか、それとも期待してるのか。後者だったらお兄ちゃんとしては怖いんだけど」

 

 雪ノ下の殺気よりもなおはっきりと俺の背筋を凍らせた小町の言葉の本意は何処かに置いておいて、改めて俺は部屋の中を眺め回した。

 

 テーブルの上、キッチンのシンクと水切りカゴに置かれた調理器具。後片付けまでしっかりと済ませてしまっているらしい。これは重ね重ね奉仕部員としては立つ瀬がない。が、済んだことは気にしてもしょうがない。気を取り直して用件を切り出した。

 

「雪ノ下と由比ヶ浜、もう帰るんだろ? 何の役にも立てなかったんで、せめて送って行くくらいはさせてくれ」

 

 すっかり日も沈んで星も見える時間帯だ。治安の悪い街ではないが、気分的に暗い中女の子を家に帰すというのも悪い。住んでいる場所も交通手段も分からないが、せめて公共交通機関などが使える場所まで送って行きたかった。

 

 荷物を抱えようとしていた2人を見つめる。由比ヶ浜はどうか知らないが雪ノ下は素直に頷くとも思えない。そうなった場合はしつこく食い下がる訳にも行かないので、心配だが玄関でお見送りしかないだろう。てか今の段階でも割りと気持ち悪がられたりするんだろうか? 分からん。

 

「比企谷君、世界の何処にストーカーに態々自分の家を案内する人が居るのかしら」

 

 毎度の事ながら言葉の裏を読もうとする女雪ノ下雪乃。はっきり言ってその手の心配は完全に誤解なのだが、こうして毎回忘れずに言ってくる辺り冗談めかして本気という可能性が否めない。この女なら帰り道で本気で俺のストーキングを警戒していても不思議じゃないと思わせる何かが有る。

 

「敵情視察にストーカーの家に潜入する女の数もそう大して多くもないと思うが。てかまだ俺がお前の事好きな設定続いてるの?」

 

「ええっ!? ヒッキーってゆきのんの事好きなの?」

 

 俺からすればあからさまな嘘に、大袈裟に驚く由比ヶ浜。小声でそうだったんだと勝手に事実化しながら俺と雪ノ下。そしてバッグを幾度も視線が行き来している。雪ノ下も雪ノ下で、由比ヶ浜が嘘を真に受けても気にもしない。

 

「話を聞けよ、設定って言ってるだろうが」

 

「ええ分かっているわ。そういう設定という設定なのでしょ? 受け入れてもらえない好意を打ち明けるというのも辛いでしょうけど、そうやって予防線を張るのは関心しないわ」

 

 雪ノ下の奴、もういっそ俺が雪ノ下に好意を抱いていると利益でも有るのかと勘違いする位ぐいぐい来る。間違ってもそんな事は有り得ないので何か裏が有るのだろうが、俺の考え付く答えと言ったら俺のバッグに眠るお菓子を狙っているとかそんなものである。自前であれだけ美味いお菓子を作れるというのに、他人のお菓子を狙うとは雪ノ下は欲張りな女のようである。

 

「不愉快な考え違いを犯していそうな顔をしてるわ。言っておくけど間違っても私が貴方に好意を抱いているとは思わないでちょうだい」

 

 左手の掌をこちらに向けて突き出しこちらを牽制。同時にもう右手を頭に当てて頭痛を訴えてみせる雪ノ下。やれやれこれだから童貞は。家に連れ込んだ位で調子に乗りすぎ。と言われている気分だ。

 

「それって今のお前みたいな顔か?」

 

「そっか、確かにヒッキー教室とは全然違うもんね。……そっかあ」

 

「由比ヶ浜さんも気をつけなさい。送り……狼という程格好良くないわね。送り比企谷君にはね」

 

 雪ノ下に構えばその隙に由比ヶ浜が勝手に理解を深め、由比ヶ浜の誤解を解こうとすれ

ば雪ノ下から流言が止まらず。心なしか部室に居た時より元気な雪ノ下と、何故か徐々に萎れだした由比ヶ浜に事態の収集が不可能であることを悟った俺は、汎用ヒト型インターフェース小町を頼ろうと視線で助けを求めた。ところがである。

 

「ほっほう。なるほどなるほど。由比ヶ浜さんはそういう……。しかし、お兄ちゃんの様な不良品をみすみす押し付けてしまうのは人間として……。確かに妹としては喜ばしい事だけど……」

 

 と深い懊悩に包まれているようで小町は俺のアイコンタクトに全く気が付かない。ぼそぼそ聞こえる言葉の端々に俺に対するぞんざいな扱いが表れているが、俺の周りの女性はこんなばっかである。むしろ小町で耐性が付き過ぎて気にならないレベル。

 

「ゆきのんも凄く楽しそうだし、もしかして私って邪魔なのかな?」

 

「馬鹿を言わないで、由比ヶ浜さん。その男が部室に来るたび私は貞操の危機に晒されているのよ」

 

「でもゆきのんも普段は男子と一緒にいないのにヒッキーとは同じ部活だし」

 

「それは先生が無理矢理に。大体私はクラスがクラスだから普段は男性が周りにいないだけで私だって依頼がなければ」

 

「雪ノ下さんならお兄ちゃんをばしばし矯正していけそうだけど、ライバルも多そう。お兄ちゃんとかそうなったらすぐ見捨てられそうだし」

 

「ヒッキー最近は放課後すぐに教室から出て行くし、凄く楽しそうだったけど」

 

「俺が最近教室で時間を潰さなくなったのは事実だし、楽しそうにしていたのも事実だが、それは断じて雪ノ下に会えるからじゃなくて雪ノ下から借りる本が面白かったからだぞ」

 

「無知で無学な比企谷君な比企谷君の成長の助けになることは、先生からの依頼の為にも必要な事だから」

 

「比企谷君なってどういう意味の形容詞だよ。待て、言うな。言わんでも大体分かるから」

 

「やっぱり2人って仲いいよね」

 

 ええいどいつもこいつも勝手か事ばかり抜かしやがる。

 雪ノ下と話せば必ず脱線し、それを見て勝手に由比ヶ浜が納得。俺がそれを止めようとする様を小町が遠巻きに頷きながら観察している構図が中々崩れない。かくなる上は。かくなる上は。

 

 まるで天恵といわんばかりにチャイムの音が聞こえてきた。誰だか分からないがナイスなタイミングだ。時計を確認すると時刻は6時半過ぎ。帰りを切り出してから10分程度経過している計算になる。平日のこの時間に来客など滅多に有ることではないので多分宅配便か何かだろう。俺は2人に断りを入れると玄関に向かった。

 

 暗くなった玄関に明かりを灯し、靴にきちんと足を通すのも面倒くさがって踵を踏み潰したまま扉を開けると。

 

「はじめまして。私雪ノ下陽乃と申します。先頃の事故の件改めてお詫びに参りました」

 

 雪ノ下を名乗る、雪ノ下雪乃そっくりの、似ても似つかない女が現れた。




残弾が尽きました。
しばらくお待ちください。

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