本物のぼっち   作:orphan

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第1話

「で、君はどうしてここに呼ばれたのか理解しているかね?」

 

 対面に座った女性が口に咥えた煙草に火を点けながらそう尋ねた。俺からの答えは当然

 

「いいえ。そもそも問題を起こさないよう日々大人しく過ごしているつもりですから、今回の呼び出しは完全に予想外でした」

 

 俺のように大人しい生徒は俺の知る限りでも殆どいない。そう断言出来る程度には大人しく生活しているつもりだ。その俺がまさか生徒指導室に呼ばれるとは。放課直前のホームルームで担任教師から呼び出しを伝えられた時の俺の驚愕と言ったら、目の前の彼女に伝えられないのが残念な程だった。それが出来たら俺が本当に驚いていた事を理解してもらえるのだろうが。

 

 しかし、俺の正直な発言にも関わらず目の前の女性の視線には疑惑の影が浮かんでいた。全く正直で誠実でいる事こそを信条としているというのに、こんな視線を向けられることは酷く心外だった。疑問を晴らすため、俺は彼女に逆に問い掛けた。

 

「一体どういった理由で自分はここに呼ばれたんでしょうか。 夜遊びもせず、それどころかまともに遊びにも行かず、日々勉学と労働に勤しむ自分には全く心当たりが有りません。信号無視すら殆どしない男ですよ自分は」

 

 犯罪行為を疑うなら俺よりも余程疑わしい連中が、俺をおいてこの学校にはゴマンといるはずだ。だというのにこうして生徒指導室に呼ばれる理由とは何なのか。犯罪でなければ進路の話だろうか。

 

「提出を義務付けられた書類は全て提出している筈です。直近の進路希望調査書には進学と記入して提出しました。学費だって確認はしていませんが両親が収めているでしょう。それとも授業態度の事ですか? それもこうして呼び出されるような事はしていない筈です」

 

「そうじゃない。確かに君は我々教師から見て何の問題もない生徒だ。今君が言った様な事は何も私は懸念していない。確認した訳じゃないがな。今回こうして呼び出したのはこれについて聞きたい事が有ったからだ」

 

 強気に発言してみたものの、彼女はそれをあっさりと受け流し、カウンターのパンチを浴びせる代わりに一枚のプリントを懐から出して俺と彼女の間に横たわるテーブルの上においた。提出した書類でなければ彼女が差し出したプリントは一体何なのか。彼女俺の方にグッと指で突き出したそれを前のめりになりながら確認すると、意外や意外それは先日現代国語の授業で提出したプリントだった。確かに今俺の前に座っている女性は国語教師、それも俺の居るクラスも担当している人だ。彼女がそれを持っていても全く何の不思議もない。が、しかし彼女がそれを理由に俺を呼び出すことには疑問以外の何物も生じなかった。この授業中に提出した一枚の紙切れの為に態々放課後この様な呼び出しが行われるなど聞いたことがなかったからだ。

 

「これがどうかしたんですか? 何の問題も無いように思いますが」

 

 改めて中身を読んでみても問題が有るような内容には思えない。どこにでも転がっているようなつまらない文章だ。これで何故呼び出しを受けたのだろうか。その疑問を目で訴えかけると女性は心底脱力したようにため息を吐いた。それと一緒に彼女の口内から白煙も流れ出てくる。その煙は一旦息の流れにのって彼女の胸元辺りに貯まると、水中に撃ちだされ推進力を失ったペットボトルロケットのようにゆっくりと上昇していった。彼女はうっとおし気にそれを手で払うと言った。

 

「そうだ。確かにこれには何の問題もない。しかしだ、私には何の問題も無い事こそが問題だと思う」

 

 彼女の言い方は不思議だ。何の問題も無いことが問題というのはどういう意味だろうか。問題が有ることこそが正常という事だろうか。しかし、そういった誘導をするような課題ではなかった筈だ。

 

 首を傾げる俺を見て、不理解を悟ったのだろう。国語教師・平塚静は二の句を継いだ。

 

「比企谷、君には友達はいないだろう」

 

 なんだって。その言葉の持つ衝撃に俺は辛うじて心の中でそう呟くことしか出来なかった。だってそうだろう。まさか学校の教師にお前友達いないだろと指摘されるような日が来ようとは思ってもみないだろう。それも俺を虐めたり、甚振るような目的が存在するなら兎も角、こうして単身生徒指導室に呼び出され優しく指摘される様な事態が起こるなどとは、例え俺をよく知る妹だろうと予測できない筈だ。

 

「ま、待ってください。今何て、今何て言ったんですか?」

 

 俺は現実を受け止めきれず、聞き逃した風を装って平塚先生にもう一度繰り返して貰えるような頼んだ。大丈夫、今のは空耳か聞き間違いだ。そう自分を騙しながら。

 

「君には友達がいない」

 

 が、俺の儚い希望を打ち砕くように先生はそう繰り返した。そこには何の遠慮も躊躇もない。突きつけられた事実に打ちひしがれる俺を他所に、彼女は続けた。

 

「だから、ここで君が語っている友人は存在しない。君はここに嘘を書いたんだ。私も狭量ではないからな。高校生が多少ヤンチャしてしまう位なら目を瞑るのは訳ないが、こう嘘ばかり書かれているのではそういう訳にもいかん。そもそも君の為にもならんだろう」

 

 まさか、まさか彼女にそんな事がバレているとは。そんな驚きが空洞化した俺の体の中をいつまでも反響しながら巡り続ける。遮蔽するものがないそれは減衰するという事を知らず、それが絶えず頭の中を占領してしてしまうせいで、俺にはいつまでたっても口を開くという選択肢を選ぶ事が出来ない。そんな俺の状態を察するでもなく彼女の発言は続く。朗々と、それこそ彼女の言うとおり俺の為を思ってなのだろう、彼女の言葉の端々には俺への優しさと慈しみ、そして真剣さが滲んでいる。淀みなく、それでいて熱量を感じさせる彼女の語り口から紛れも無く彼女という人間が見えてくる。そんな彼女という人間が自分のような人間の為に動いてくれるという事は大変喜ばしい。俺は我に帰って漸く彼女を遮った。

 

「ま、待ってください。確かに俺には友達が居ません。そこに嘘を書いてしまった事も認めます。すいません。しかし、それで生徒指導室に呼び出しというのは些かやり過ぎではないでしょうか。過激で問題を抱えていることを明らかにするような作文を書いているようなら分かりますが、俺のそれは……そうですね、そういった事を周囲の人間に悟らせない、心配させないようにする一種のカモフラージュであって」

 

「それも嘘だろう。君がそういった事を気にするとは短い付き合いながら到底思えん。それに、そういったカモフラージュを行うからこそ私は問題が深刻だと考える」

 

 それはそうだ。そもそも他人が読むことを前提とした文書に、あからさまに他人を貶すような表現を用いたり、批難を書いておきながら何の関心も持たれないと考える事はおかしい。もしもそう考える人が居たとしたら、それは相当考えの浅い人間であり、相当な馬鹿だ。もしも明らかに常識的な振る舞いから逸脱した行動を見せる(重要なのは逸脱した行動を行う事ではなく、そうと分かるように他者にその行動を見せつける事だ。)者が居たとしたらそれは何らかのメッセージとして受け止めるべきだろう。そしてもしも、そのメッセージを発した上で何の問題を感じさせない者がいたら、それは余程の問題を抱えた者かでなければただの構ってちゃんだ。

 

「深刻って何ですか。友達が居ない位今時珍しくないですよ。ネットを見ればどこにでも居ますし」

 

「そういった者も心の中で友人を欲している。君のように心底から友人を欲していない者はかなり稀だろう」

 

「俺が友人を欲していないって何故先生はそう言い切れるんですか」

 

 先生とまともに会話するのはこれが初めてだ。先生がそう判断する様な手掛かりなど与えた覚えはない。が、そもそも今こうして会話している中で手掛かりを与えたのが、彼女にそう思わせた原因ではないだろう。何故ならそう思わせる何かが有ったから今こうして呼び出されている訳だし。何かを危惧したからこそ呼び出したのなら、その原因は今以前になければおかしい。しかし彼女が余程俺を注視していない限りそう思われる原因はないと思うのだが。

 

 だが、先生にとってはそれは自明のことのようだった。

 

「お前のような奴がそんな物を必要としている筈がない」

 

「はあ!?」

 

 思わず教師を相手にしているとは思えない言葉が口を突いた。まさかもまさか。ここまで驚きの連続だったが、今日一番のまさかはこれをおいては他にありえないだろう。言うに事欠いてお前はそんな奴じゃないとは一体どういう事なのか。

 

「授業中はしゃぐ生徒は例外なく黙らせ、時折私語をしたかと思えば他生徒に対して俺はいいんだと言い切り、あまつさえ教師にそれを認めさせる様な奴がそんなまともな訳ないだろうが」

 

「それは誤解ですよ。例外なく黙らせって俺は特にうるさい奴に対して黙ってくれと言ったら他の奴も口を聞かなくなっただけで、俺はいいんだと言ったというのも授業開始時にその時の先生が、俺が説明してる間は絶対に喋るなと言っていたので、その指示通りに喋っても気にしないタイミングを狙って少し話しただけです。それを俺が気に食わないから食って掛かって来た奴に、教師の発言を確認しただけです」

 

「君は、君が言った通りの事しかしていないとしてもそんな事をする奴が普通だと思っているのか? 悪いがそんな奴は私の高校教師生活において君だけだ。それだけでも普通の感性とは言い難いというのに、そんな事をする奴を普通だと思っているなら君の感性は救い難い程ズレているという他ないな」

 

「それは先生がまだ若いからですよ。俺みたいな人間がそう珍しい筈がない」

 

 先生の年齢は知らないが、見た感じでもまだかなり若い。国語教師なのに白衣をいつも着ている謎のセンスと堂々とした風格の為に、印象としてこそそこそこの年齢と思えるが、実年齢は高く見積もってもアラサー入り口位だろう。教員として働き始めてから5年だと見積もっても、公務員である事を鑑みればまだまだ若手と言ってもいいだろう。そんな先生が俺のようなタイプが初だとしても不思議はない。

 

「ふ、そうだろう。まだまだ私は若手だからな。しかし、そうだな高校教師としてのそれで不足なら私の人生全てで見ても君のような奴はレアだと言わせて貰おう」

 

 何故か先生は一瞬嬉しそうな顔を浮かべ、念を押してきた。若いと言われたのがそんなに嬉しいのだろうか。それはまあいい。この程度で納得する俺ではない。

 

「それは先生が見た目にかなり美人だからです。いいですか? 美男美女の周りには往々にして人が集まりますが、俺のような人種は賑やかな場所は苦手ですから自然とそういう人や場所から距離を取ります。おまけに賑やかな場所からちょっと離れたそれなりに活気ある場所も嫌いで、教室の隅っこで細々と地味に穏やかな生活を送るものですから、自然人を集める先生の様なタイプの人とは知り合いにならないものです」

 

 なんだ、この先生俺が話している間にどんどん相好が崩れていく。最初の美人の下りなんかいきなり口が緩んだぞ。教職は大変だと聞くが、ストレスとはこんな風に人を変えてしまうのだろうか。それともなんだろうこの程度の褒め言葉ですら掛けて貰えない職場なのだろうか。それほどまでに潤いの無い職場に務める先生に頭が下がる思いを抱く俺。先生が小さくガッツポーズまで取り出して人生の悲哀を感じてしまいそうだ。

 

「俺が何を言いたいかというと、先生の様な若くて美人な先生には俺のようなタイプは珍しく感じられるかもしれませんが、実際世の中には俺のような人種がそこそこ居るという事なんです。友達が居ないのも今の世でいう個性であって特別問題視されるような事ではなく、先生の優しさや生徒に向けるその真剣さを俺に向けて頂いた事には感謝します。ですが、まあ俺の事はそのような物だと思って頂きたいという事です」

 

 ちなみにだが、俺には友達の居ない知り合いは居ないし、俺自身特殊な事情を除いて本当に友達が一人もいない人間というのはまともじゃないと思っている。まあ特殊な事情というのもかなりのケースで存在するだろうし、個別の事象においてそれぞれ判断していかなければならないだろう。だが一概には言えないというだけで大概の場合友人が一人も居ないという人にまともな人はいないだろう。

 

「そう持ち上げるな。まあ、お前の言うとおりお前の様な奴がそう珍しくないというのも否定は出来ん」

 

 そういう先生の顔には紛れも無い喜びの色が浮かんでいる。なんだろう、本当若い女性に若いというだけで喜んで貰えているとしたら悲しすぎて涙ちょちょぎれそう。そんな先生の語調は先ほどまでより緩いものになってきており、このまま行けば呼び出された俺に待ち受けていた運命を回避出来そうだと喜んだのも束の間。

 

「しかしだ、その調子では将来的に苦労するのは火を見るより明らかだ。友人を欲しがれとは言わんが、一人か二人位は居たほうが良いだろう」

 

 本当どこまで真面目でいい先生なんだこの人。学校を卒業すれば金輪際顔も合わせないだろう相手の将来まで心配してみせるとは。天晴じゃと平安貴族よろしく言いたい気分だが、俺にはその気遣いも不要だ。というか俺に友人が居ない前提で進むのはどうなんだ。

 

「先生、俺にだって友達位居ますよ」

 

「本当か? 教室で二言三言話す程度では認めんぞ」

 

「勿論ですよ。友達ったら友達です。ただこの高校には一人もいないだけで」

 

「中学校の友人という事か。信じ難いな最後に遊んだのはいつだ」

 

「最後に遊んだ日ですか? 去年の3月です」

 

 俺がそういうと先生は煙草を灰皿に乱暴に押し付け火を掻き消した。そして苛立ちを隠さない口調でこう言った。

 

「そんなもんは友人と呼ばん!」

 

 これに憤らない俺ではない。教師が相手であっても時に自らの意志を貫く事、意見を主張する事は必要である。俺は語気を荒げた先生の目を真っ直ぐに見つめ、そして怒りを湛えたその瞳があまりに怖かったので僅かに逸らしてから抗弁した。

 

「先生がなんと言おうと友人は友人です。俺にとってはそれで友人なんです。世間にはペットを指して家族だと言って憚らない輩が居ますよね? それと同じです。俺にとっては彼らは友人なんです」

 

 

 

 

「君は自分の言い分が苦しいと理解した上で、理解していることを匂わせながら発言するのを止めたまえ。やる気が削がれる」

 

 あー、と呻き声を上げながらソファに背中を凭れさせる先生。今の俺の発言はそこまで脱力を誘うようなものだっただろうか。

 

「もういい、君は君で君の問題点を自覚しているようだし、私も君に対する介入を諦める気は無い! ついてきたまえ」

 

 先生は脱力していたその姿が幻影か何かに見えるくらい溌剌とした立ち姿で立ち上がると、俺の腕を掴もうと手を伸ばした。

 

「ひえっ」

 

 驚いた俺は危うくソファ毎後ろに転倒する勢いで仰け反りそれを交わした。ふう、やれやれだ。こんな美人の年上の女性に触られるとかマジ勘弁だ。心臓が持たない。跳ね上がった心拍数を俺に教えるようにドキンコドキンコと耳障りな音を立てながら拍動している心臓に手を当てながら態勢を整える。平塚先生はさぞ充実した学生生活を歩んできたに違いない。でなければこれほどナチュラルに人に接触を図ろうなどとは思わないだろう。そしてそれゆえに俺のような初な人間の精神を解さないのだ。

 

「先生、あの先生みたいな美人にそういう事されると恥ずかしいんで勘弁して下さい」

 

 俺の反応に固まっていた先生にそう弁解する。これだけ言っておけば俺の様な人間と二度と接触を持とうなどとは思わないだろう。そもそも二度目が有るだろうというのも自意識過剰な位だ。気持ち悪がってくれれば相手から離れる。こういう時平凡以下な俺の容姿は役に立つ。

 

「あ、あははは、あははははは。ば、馬鹿を言うんじゃない比企谷。い、今のは単に教師としてだな」

 

「いや、もう本当にそれだけでも凄く照れるんで」

 

 俺の目論見通りに事が進んだかは分からなかったが、取り敢えずこの後物凄いスピードで歩く先生の後を追って、俺は部室棟まで行くことになったのだった。


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