アイドルマスターシンデレラガールズ~花屋の少女のファン1号~ 作:メルセデス
夏休みも残り1週間を切った頃、宿題を前に終わらせている身としては時間を持て余していた。日々の復習は行っているが、それだけでは当然暇だ。ゲームの方も無事にクリアしたので、現状でやるソフトはない。お菓子作りもやっているが、毎日行うわけでもない。・・・己の趣味の少なさが発覚した瞬間だった。数日間は慣れない筋トレや前学期の総復習などで時間を消費したが、もう手詰まりだ。幸いにも、今日は渋谷の家に花を取りに行く予定はあるし、そこで渋谷の母親と話せれば時間も消費できるのだが。もし話す暇がなければ、ウィンドゥショッピング的なことをすることにしよう。・・・取りに行く時間も事前に連絡しておいたので、事前に準備はしてくれてるだろう。
「芳乃君、今日時間あるかしら?」
「この後は何もないですけど、何かありました?」
と、お店に行った際に話しかけられた一言。今、お客は俺以外にいないが・・・雑談の際にはこのようなことは聞かない。だとしたら、何か用があるということだ。以前みたいなハナコの散歩だろうか?
「凛のことなんだけど」
「・・・なんでしょう?」
少し考えてみたが検討がつかない。この所は2、3回例の物は渋谷の元へと渡している。と言っても、野外フェスが終わって以降、渋谷の母親経由で渡してもらっているため本人には会っていない。島村さんには数日前に偶然にも夕方に一度会ったため、そこでライブに参加した感想を直接話はしたのだが。
「このところ、忙しかったじゃない? だから、夏休みの課題が終わってなさそうなのよね」
「俺から見ても十分忙しそうでしたからね。渋谷には直接聞いてみたんですか?」
「ええ。凛には言わないで欲しいんだけど、アイドルを初めてから成績が少し落ちてるのよね。まぁ、私としてはそんなに気にしてはないんだけど、このまま落ち続けるとしたら流石に親としても見過ごせない事態になりそうだから。早めに手を打っておきたいのよ」
そういえば、勉強面については話したことがない。そのため、渋谷の元の成績は知らないが、下の方ということはないだろう。悪くても中の上、というイメージではある。
「まぁ・・・アイドルとして活動している以上、塾に通うことや家庭教師を雇うことも難しいでしょうからね」
経済面の問題ではなく、時間としての方が無理があるだろう。・・・そういえば、渋谷や島村さん達って、給料的な物を貰っているのだろうか。
「そこで、芳乃君に勉強見て欲しくて。芳乃君なら凛も拒否はしないと思うから」
「断られたら傷つきそうなので聞きたくない、という理由で拒否権を行使したいんですが」
「拒否権、あると思う? あと、芳乃君は既に夏休みの課題については終わってると思うからって言う理由も付け加えるわね」
「・・・その予想が当たっていることが何とも言えないですが・・・」
というか拒否権ないのか。やっぱり、渋谷の母親に勝てる気がしない。そもそも口で勝ったことなど記憶上ではない。降参の意味も含めて、両手を上げる。
「まぁ、それとなく聞いてみますよ。夏休み残り少ないですけど、タイミングが合えば直接教えるっていうことも出来そうですから」
「芳乃君、知らないの? 凛は今日は休みだから、今部屋にいるのよ」
「・・・すっごい偶然ですね」
渋谷が今日オフの日だとは知らなかった。アドレスと電話番号は知っているのだが、こちらから連絡するのは花を受け取りに行く日付と時間を連絡するだけなので、彼女のスケジュールなどは知らないのだ。
「凛―!芳乃君が来てるわよー!・・・じゃあ、後はよろしくね」
渋谷の母親が娘を呼びかけ、都合が良いのか悪いのか、ちょうど御客が来店して対応に戻っていく。と、同時に家の方から足音が聞こえてくる。・・・まだ、どうやって課題の話をしようか考えている最中なのだが。
「今日は花を取りに来る日だったね。・・・私に何か用?」
彼女が俺の姿を認識すると、そう俺に視線を向けて告げた。当然、私服なのだが、どうしても制服のイメージが強いので逆に新鮮ではある。
「・・・渋谷さ、夏休みの課題はどうだ?」
まぁ、考えても良案は出てくるわけがなかったため直球で聞いてみることにした。
「終わってないから今やってるところだけど・・・それが?」
「まぁ、なんだ。最近、アイドルの方で忙しかったから、どうなんだろうと思ってな」
「・・・もしかして、お母さんから何か言われた?」
「いや、別にそういうわけ・・・です、はい」
渋谷相手に簡単な嘘は吐けない、吐いたとしてもすぐにバレるだろう。元々、俺自体が嘘を吐くことが得意ではないしな。渋谷は目に見えてため息を吐いている。・・・一体、何に対してのため息なのか。
事情を説明し、家に上がることを許された俺は渋谷の部屋・・・ではなく居間にいた。思えば彼女の部屋ではなく、居間の方が広いため、わざわざ部屋に行くこともなかったのだ。部屋に行くことしか頭になかった自分の何とも浅はかなことか。
「何でため息ついてるの?」
両手に課題と教材を抱えて持ってきた渋谷は、俺の様子を見てそう疑問を問いかけてきた。思ったことをそのまま言うのは流石に躊躇われたので、誤魔化すことにする。
「気にしないでくれ、大したことじゃない」
「・・・そう。でさ、とりあえず終わってない課題は持ってきたけど・・・自分の課題は終わってるの?」
「終わってる。まぁ、多少の間違いはあるだろうけど、戻ってきた後にまた見直せば良いだろ」
最初から完璧に回答出来るとは思っていない。むしろ、間違った箇所を見直して正しい回答を知るほうが身になる気がする、一度正解した問題を解き直すということもするだろうが、前者の方が知識としては残
るだろう、というのが自分の考えだ。
「で、それが残ってる課題か」
机を挟んで対面側に座ってる位置から、彼女が持参している物を視認するが・・・残っている物はそこまで多くなさそうだ。中身は白紙などであれば大問題だが、そのようなことはないだろう。
「わからないところがあったら聞いても良い?」
「聞くことがなかったら、俺がいる意味がないからな。既に終わってる課題で聞きたいことがあったら聞いてもいいぞ。教えられる範囲で、だけどな」
そう、と短い返答をして渋谷は目の前の課題に取り組み始める。聞いてくる間までの間、どうしたものかと考えたが、彼女が解いている課題を頭の中で解き直すことにしよう。
彼女の集中力は高いらしい。あれから、数時間経過しているが、質問をしてくる時以外、目の前のやるべきことから視線を離さず、空白の箇所を埋めていた。・・・課題を解いている間、何か所か解答が異なっている箇所を発見したが、俺も間違ってる可能性があるため口には出さなかった。・・・家に帰って覚えていたら、解き直してみるとしよう。
「・・・一旦休憩」
集中力の限界だったのか、キリが良かったのか、課題から目を離して一息吐く渋谷。そして、その場から立ち上がって別の部屋へと移動した。俺も座りっぱなしだったので、座ったまま背を伸ばす。書くことをしないで頭の中の自分の知識と計算力だけで解くというのは、正確な計算が出来ているか不安にはなるが、頭脳を働かせるには中々役立っているとは思う。ただ、書くことをしないというだけで本当にそれが自分のためになっているかというのは疑問に思うのだが、何もしないよりはマシだとは思うことにしよう。
「ジュースもあるけど、麦茶で良かった?」
と、麦茶が注がれたコップを差し出された。まだ飲んではいないが、この季節にとって喉を確実に潤すための美味しい一杯だ。
「ありがとう、むしろ麦茶で良かった。ジュースは飲まないからな」
礼を言って差し出されたそれを受け取る。氷も入れられており、冷房が入っている部屋でも、手に触れた瞬間に冷たさを感じた。彼女は先ほど座っていた場所と同じ場所に座り、俺に渡した物と同じ飲み物を一口飲んで、こちらに視線を向ける。
「ジュースを飲まないって、全く?」
「全然だな。飲めないわけじゃないが、家に買い置きもしてない」
「お菓子は作るのに、ジュースは飲まないんだ」
「大抵、お菓子系統を食べる際はコーヒーか牛乳しか飲まないからな」
ファミリーレストランであるドリンクバーなど頼んでも、お茶やコーヒーしか飲まない。勿体ない、と言われたことがあるが、それらが飲めるだけで俺は十分なのだ。
「じゃあ、スポーツドリンクは?」
「今の季節なら、運動をした際にコップ一杯飲む感じだな。夏以外の季節になると、飲まなくなる」
「・・・単純に甘いものを口にしない、ってわけじゃないんだね」
「ん? どういうわけだ?」
「甘いものが苦手なのかと思って。芳乃が作るお菓子って、基本的に甘さ控え目だから」
・・・そういえば、極端に甘いお菓子を渡したことはない気がする。確かに甘い物が嫌いではないが、好んで口にはしない。親が市販のケーキなどを買ってきた際は普通に食べていたが、自分から買うことはなかった。
「渋谷的に、というか食べて貰ってる同じ事務所の人達から、不満とか聞いてないか? こう、あまり甘さがないから美味しくないとか」
実際、そういう不満があれば使用している砂糖の量などを調節する必要がある。俺としては満足に作れた物を渡しているが、食べて貰っている人達の好みに合わせるのが良いはずだ。
「んー、そういう意見は聞かないかな。・・・キャンディアイランドのかなこちゃんはわかる?」
「あぁ。この前のフェスでも見かけたからな。それがどうかしたか?」
甘さに関しては別に問題ないらしい。しかし、ここでキャンディアイランドの三村かなこさんの名前が出てくるというのはどういうことだ?
「かな子ちゃんもマカロンとかクッキーとかお菓子を作って持ってくるんだけど、甘さで糖分補給出来るお菓子と、軽くお腹を満たせるお菓子と区別出来るから両方食べられる・・・って言えばいいのかな」
・・・どうやら、シンデレラプロジェクトのメンバー内では大まかに分けて2種類のお菓子の差し入れがあるらしい。で、偶然にも味の濃さ等が別なため、それぞれ別々のお菓子として食べられる、ということか。
三村さんが作ったお菓子が本来のお菓子と呼ばれるべきなのだろうが、シンデレラプロジェクト内では異なる種類として受け入れられているみたいだ。
「とりあえず現状は問題ないか」
「ないと思う。むしろ、みんな感謝してるよ」
「それならいいんだがな」
渋谷がこう言っているのだから、彼女を信じるとしよう。最初から疑ってなどいなかったが、やっている以上は気になることなのだ。あのさ、と彼女は言葉を続ける。
「お菓子は作れるのは知ってるけど、料理も出来たりするの?」
・・・そういえば、お菓子のことは話題になってはいたが、料理の話はしたことがなかった気がする。渋谷は、俺の母親のことは知ってはいるし、別に普通に答えても問題ないだろう。
「作るのが面倒だと思った日はコンビニとかで買ったりはしているが、大体自炊してるな」
「じゃあ学校で食べる昼ごはんも自分で作るんだ・・・」
「余り物を詰める弁当だけどな。前日の夜に作らなかった日は、行きがけに買っていくようにしてる。家に誰もいないからその日の気分次第でどうにかなるんだよ」
料理自体も慣れるまでは大変だったが、今となっては気軽に作れるようになった。単純に自分が食べたい物を自分好みの味で作ることが出来る、というのは利点の一つだろう。
「・・・渋谷?」
彼女が俺の方を見てる。ただ、いつもの凛とした表情ではなく、狼狽えているような、躊躇っているようなそんな表情。何か、気になることでもあっただろうか。
「・・・芳乃って、一人暮らしなの?」
「・・・あぁ、母親のことは話したけど、そういえば言ってなかったか。親父とは別々に住んでて、今は一人暮らしなんだ」
俺が家から離れた高校に行くことを決めた時、反対もしなかった親父。毎月、必要以上のお金を振り込んでくれるので、一度だけ少し支給額を減らしても良いと言ったこともあったが、『余ったら好きに使え』の一言で一蹴された。今思えば、自分には最低限のお金しか使うことしかしなかった人だったが、他人のためには必要以上に世話を焼く人だ。
「あのさ、今度、何か料理作ってよ」
「それは何だ?俺が渋谷のために料理を作れってことか?」
「そう言ってるんだけど・・・嫌なの?」
「嫌ってわけでもないが・・・まぁ、いいか」
別に断る理由があるわけではないので、受諾しておくことにする。断じて彼女に料理を作ることが嫌だというわけではない。ただ、思うところがあるのは事実だが・・・言わなくて良いだろう。・・・あ。
「楽しみにしてる。・・・そろそろ、再開・・・ってどうしたの? 何か難しい顔してるけど」
「・・・渋谷じゃないんだが、もう数ヶ月前に島村さんと約束したことが実現していないことを思い出してな」
「約束した相手に良くないと思うんだけど・・・って卯月?」
「そう。島村さんも渋谷と一緒で忙しい身だからな。休日はあるだろうけど、彼女自身の都合で良いと思ってこっちからは日程の話はしてないんだよ」
対象が、ただの学生と高校生アイドルだ。俺の予定よりも彼女の予定で合わせた方が合わせやすいのは間違いないだろう。そう思ってこっちからは話をしてなかったのだが・・・その内に俺の方は忘れてしまっていた。
「明日会うから、卯月に聞いてみようか?」
「・・・いや、いい。俺から聞いた方が良いだろうから、今度それとなく聞いてみるよ」
渋谷を通じて伝えるような急ぎの案件でもないし、俺から聞いた方が良いだろう。電話でもメールでも聞く手段はあるし、彼女からそのことについて連絡があるかもしれない。
しかし、渋谷も島村さんもそうなんだが・・・同じ空間で同年代の異性から料理を振る舞って貰うことや、お菓子作りやらを学ぶシチュエーションって、緊張しないのか・・・?
陽も沈み、真夏の気温が落ち着いてき始めた頃、渋谷家の玄関先にいた。
課題は無事に終わり、自宅に帰ろうかというところだ。彼女の母親から夕飯の誘いを受けたが、やんわりとお断りさせて頂いた。
「今日はありがとう」
ハナコを抱きかかえ、声をかけてくる渋谷。お見送りも別にいらないと言ったのだが、せめてこのぐらいはと譲らなかった。
「まぁ、俺も時間が余ってたからな。一人で何かするよりか、こういう時間の方が貴重だし、有意義だと思うよ」
「貴重で有意義なんだ」
「現役高校生アイドルと家で勉強なんて、普通はないだろ。そういった意味でな」
実際にこんなことをクラスの連中、特に男子連中に知られでもしたら、俺は新学期から袋叩きだろう。
「確かにそうだけど・・・。その前に、私と芳乃はクラスメートで・・・友達でもあるんだから。そう思えば、特別なことじゃないよ」
「・・・そうだな」
同じクラスでありながら友人。確かにその通りだ。俺にとって渋谷凛という存在は、同じ学校に通っていて、今年初めて同じクラスになって、偶然にも友人になった。それは間違いない。彼女は微笑を浮かべて言った。
だが、346プロに所属する、今を活躍するシンデレラプロジェクトのアイドル。それも・・・確かなことだ。
「じゃあ、今度は学校でな」
彼女の抱きかかえているペットの犬の頭を撫でて、別れの挨拶を口にする。数日後には学校で顔を合わせるんだから特別な言葉は必要ない。ハナコは吠えることもなく、おとなしく撫でられていた。
「うん。それじゃあ」
今思えば、彼女が友人だと言ったのは、初めてではなかっただろうか。彼女の方からそう言ってくれたのは嬉しいことに間違いない。
それなのに
俺は彼女を今さらのように遠い存在として見ようと、接しようとしている。でもそれはきっと正しいはずだ。
だって彼女は、俺みたいなただの学生とは違う、多くの人から支持されているアイドルなのだから。