ペンギンのおもちゃ箱   作:ペンギン3

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月末には間に合いました、やったぜ(白目)


番外編 えいぷりるの気紛れ騒動 下

 お昼過ぎの街は明るく、そして喧騒に満ちている。

 絶賛春の真っ只中、寒いあの日は彼方へ流され、代わりに風は桜を運ぶ。

 そよ風に乗る花弁は、淡く薄く、けれども明るい。

 

 こんな季節だからこそ、冬眠していた生物達もひょっこりと地上に顔を出すのだろう。

 そして口々に、皆さんどうもこんにちは、と言っているに違いない。

 今回の上海達も、もしかしたら似たようなものかもと考えると、中々に興味深い。

 ……尤も、それが長続きするかはまた別の問題だけれど。

 

「おねーちゃん、えみやんのおうちまだ~?」

 

「さくらにもあいたいの!」

 

 そうよそうよ、と互いの言うことに同意を示しながら、訴えてくる上海と蓬莱。

 そんなことを言われても、距離という概念は捻じ曲げようがないのだから、幾ら言われてもどうしようもない。

 結果、少々の急ぎ足になりつつ、私は歩を進める。

 私としても、足を休めたいという気持ちはあったから、自然と足早になっていた。

 

「はやいねー、おねーちゃん」

 

「ヒソウテンソクよりはや~い!」

 

「訳の分からない事を言わないの。

 あと、人気が多いから静かに。

 二人の事がバレたら、私は凛から殺されるわ」

 

 注意をすれば、は~い、と二人揃って声を出す。

 ……少しばかり、頭が痛くなりそうだ。

 ふと周りを見れば、私を不思議そうに見ていたお爺さんがいたので、すみません独り言です、とかなり悲しい言い訳をしつつ、私はその場を離れる。

 

 全くもって油断ならないと、二人の額をペチっと人差し指のお腹で叩く。

 いたいよーと声を上げたのを聞き、思わず溜息が出てしまったのは仕方がないことだろう。

 でも、可愛いからつい頭を撫でてしまう。

 エヘヘと言う声が聞こえてきて、私は叱るということが苦手なんだと自覚する。

 でも、今日くらいは良いだろう、今日だけは……。

 

「えへへ~、もうすぐだね~」

 

「うふふ~、もうちょっとよ~」

 

「はぁ、本当に仕方ないわね」

 

 急ぎ足で、一二三とリズム良く先に進む、進む。

 二人の言う通り、目的地まではもう少し。

 あと少し、と急ぎ早足になったのを、周りの人は何事かと見てくるけれど、そんなものは気にしない。

 今は衛宮くんの家に駆け込む事だけを考えていれば良い。

 

 そうして逃げる私は、どこか夜逃げをしている気分で。

 後日、その様子を見かけた楓に、腹でも壊してたかー? とデリカシーの欠片もないことを尋ねられるのだけれど、どうでも良い話だ。

 でも、心境的にはトイレに駆け込む時の焦燥感にも似たようなものがあったのは、確かな事だけれど。

 

 などという訳で、私は急いでいた。

 けれども走らなかったのは、上海達に周りをもっと見て欲しかったから。

 この子達の目で見て、感じて、それを意識がどう処理をするのか。

 得るものがあれば良いな、なんて事を考えて歩いて。

 これは益体がないのか、それとも意味があることなのか、ということまで考えてしまって。

 ……結局、それを決めるのは上海達だって事に気が付くまで、衛宮くんの家にたどり着くまでの時間が必要だった。

 

 

 

 

 

 

 斯くして、私は目的地にたどり着く。

 ピンポンをせっつく様に三回押せば、中からトテトテと誰かが駆けてくる音がして。

 二人に挨拶の準備だけしておきなさいと言うと、そのまま玄関から出てくるのをジッと待つ。

 カラカラカラと引き戸が開かれ出てきたのは、紫がかった髪にリボンをしている可愛い後輩。

 エプロン姿にお玉を持っているからして、慌てて出てきてくれたのだろう。

 そんな彼女が発した第一声、それは……。

 

「新聞、勧誘、お断りです!」

 

 とっても敵対的な一言。

 笑いつつも、何故か迫力を感じずにはいられない。

 具体的には、こめかみにピキピキと怒筋が浮かんでるような。

 

「って、あれ? アリス先輩?」

 

 凄く驚いたような桜に、私は微笑みかけながら、こう答えた。

 フフ、と笑い声が漏れてしまったのは、仕方ない事だ。

 

「こんにちは桜、とっても歓迎してくれて、私としては嬉しい限りだわ」

 

 えぇ、それは心の底から。

 私が笑顔でそう告げると、桜は拗ねたような顔になり、ツンと横を向く。

 最近は遠慮がなくなってきたな、なんて思っている私に、桜はそのまま返事をした。

 ちょっぴり恨みがましい口調で、でもバツの悪そうな声音で。

 

「インターホンを三回も鳴らした、アリス先輩が悪いと思います!」

 

 ……グウの音も出ないほどの正論だった。

 

「おねーちゃんがわるいね」

 

「でも、ピンポンってなんかいもおしたくなぁい?」

 

「うん、わたしはでてくるまで、いっぱいおすよ!」

 

「しゃんはいってばさすがね!」

 

 そんな私を出汁に、上海達は楽しげに声を上げて。

 桜は、その声がどこから聞こえたのかを探して、そして気が付いた時には表情を凍らせる。

 その視線は、寸分ズレることなく私のカバンに固定されていた。

 

「こんにちは、さくら!」

 

「さくら、こんにちは!」

 

「…………こんにちは?」

 

 それぞれに口にした挨拶に、桜は目を丸くしたまま、ボンヤリと返事をしていた。

 

 

 

 

 

 

「しゃべります」

 

「うごきます」

 

「と、いう事なの」

 

「つまりどういう事なんですか……」

 

 ぼぉっとしていた桜に声を掛けて、正気に戻った彼女に、そのまま衛宮家の居間に案内される。

 そこで向かい合う私達、衛宮くんは私達の為にお茶菓子を買いに走りに行ってくれているらしい。

 有難いような、でも早く動く上海達を見て欲しいような、複雑な気持ち。

 先立っては、桜にこの娘達をしっかりと見てもらおうと思って、今は相対している。

 

「簡単に言えば、私にも原因なんて分からないって事になるんだけれど」

 

「身も蓋もない話、ですね」

 

「世知辛い話、よ」

 

 動く条件は、全くもって不明なのだから。

 その旨を桜に告げると、桜は口元に手を当てて、そして上海達へと視線を向ける。

 

「ほうらいほうらい、えみやんがきがつかないうちに、おしょうゆのなかみをソースにかえてみたら、なんていうかなぁ」

 

「しゃんはいったら、かじじょうずってほめてもらえるわ!」

 

「……食べ物で遊んじゃダメです」

 

 見ていて、思わずといった感じで桜は嗜める様に二人に言い聞かせる。

 キャッキャと騒いでいた二人も、ダメなの? と聞いて、桜からダメだよ、と言われてそっかぁ、なんて言いながら引き下がって。

 気付いた時の聞き分けの良さは、本当に賢いな、と見ていてほっこりする。

 桜も、素直な二人が可愛くなったのか、顔を綻ばせていて。

 そんな桜に、私は声を掛けていた。

 

「今日だけなの、この子達が動けるのは。

 理由なんて分からないわ、どうやって動いているのかも理解できていないだから。

 でも、それでも、きっと嘘じゃないから」

 

 落ち着くために、軽く息を吸い込む。

 それから、何を桜に言うのかを考えて。

 一番、伝えたいこと、それは……。

 

「だから桜、少しだけ、この子達と遊んでくれる?

 遊べるのは、今日だけなの」

 

 この娘達は、明日には普通の人形(ともだち)に戻ってしまうから。

 動ける今、この娘達の間に流れている時間を感じてもらうためにも、人と触れていて欲しいから。

 ……また、動けるその時までに。

 

「事情があるんですね。

 アリス先輩にも、この娘達にも」

 

 私の中にあるものを何か感じたのか、桜はジッと上海達を見ていた。

 そうして、伸ばした手で上海達の頭を撫でて。

 淡い、水面に垣間見える光の様な笑みを浮かべていた。

 

 その様子を見ていると、何だか胸にムズムズと燻る感覚を感じる。

 理由なんてなく、桜が上海達に同情を覚えているように思えたから。

 可哀想にね、と桜が憐れんでいるように、私には見えたから。

 

「これで終わりな訳ないわ」

 

 反射的に、今言っても意味のない言葉を発してしまっていた。

 ゆっくりと私の顔を見た桜に、私は突きつけるように言葉を並べる。

 揺れる水面に映った景色を、綺麗サッパリに吹き飛ばそうとしながら。

 

「明日で軌跡が途絶えても、線にならなくても、続きはきっとどこかにある。

 喋れなくても、動けなくても、記憶はあるんだから、意識は残り続けるのよ。

 その場所を探すのが、私の目的なんですもの」

 

 むしろ、今回動き回る彼女達を見れたのは、正しく僥倖なのかもしれない。

 可能性のその先を、見れてしまったのだから。

 方法がない、なんて事は泣き言だというのが、証明されたのだ。

 

「勝負はまだまだこれから。

 夢見ごとなんかじゃなくなったわ。

 明日から、リアリティのある、夢へと進めるの」

 

 ね、桜、と私は捲し立てて言い放った。

 文字通りの夢見事、言葉と現実が乖離している妄言。

 彼女達が動き始めた理由、手段、原因、その他諸々に分からないことだらけ。

 世界は不思議で満ちている、そう夢見る瞳で語れたらどれほどに幸せであったか。

 ……なんて、賢しげに自己分析しても、やっぱり目指すところは変わらなくて。

 

「信じてるんですね、アリス先輩は」

 

 桜が、そんな私に的確な言葉を与えてくれた。

 信じていること、それは何かなんて、言うまでもない。

 ……決まっているから、そんな事は。

 

「上海ちゃん達も、その未来も、そして自分自身も。

 澄まし顔で、進んでいくんですね。

 きっと、難しいですよ?」

 

 桜が警告するように、そっと告げてくる。

 けど、返す答えなんて、私には一つしかなくて。

 

「それでも引かない、道が舗装されてなくても、私は進み続けるわ」

 

「アリス先輩が言うと、本当に出来てしまいそうですね」

 

「魔法使いだから?」

 

「意地悪するアリス先輩は魔女です」

 

「あら、私は元から魔女よ」

 

 なんて会話を交わして。

 私と桜は、顔を見合わせて笑い合う。

 結局は、何時もと変わらないという結論だったから。

 ただ、私のやる気が上下しているだけの事。

 

「かがみよかがみ、かがみさん。

 せかいでいちばんうつくしいのはだぁれ?」

 

「それはねしゃんはい、おねーちゃんだよ!」

 

「わたしじゃないの!?

 ……でも、おねーちゃんのほうがびじんさんだね」

 

 私達の会話を聞いて、どこからか怪しい童話の一節を謳いだした上海。

 それに対する蓬莱の回答は、少々面映いものがあって。

 でも、むず痒くても、私は静かに二人の会話を聞いていた。

 

「しゃんはいったらかわいそう。

 でも、おちこんじゃだめよ!

 おねーちゃんもさくらも、わたしたちよりびじんだけど、かわいさならわたしたちがうわまわってるんだから!!」

 

「なんで?」

 

「おねーちゃんが、かわいいっていっぱい、いってくれてるのよ!

 なら、わたしたちはとってもかわいいの!」

 

「ほうらいったらかしこいね!」

 

 交わされる会話は、子供でおしゃまな幼子のもの。

 だからこそ愛らしくて、見ていて頬が緩まざる得ない。

 

「可愛いですね、アリス先輩」

 

「そうでしょう? フフッ」

 

 まるで親バカになった気分、二人が可愛くて可愛くて仕方がない。

 愛でて、それに報いてくれる二人は本当に良い子なのだから。

 胸が暖かくて、体にそれが広がっていく様な感覚まで覚える。

 だから今日という日は、とても幸福だと胸を張って言える。

 

「アリス先輩の前のめりな気持ち、この娘達を見てたら私にもよく理解できます」

 

「元よりそのつもりだったけれどね」

 

 話している二人の頭を撫でれば、揃って私を見上げて。

 可愛いわと言えば、キャッキャと喜ぶ。

 気分的には親なのだけれど、この娘達が言うには私は姉で。

 なら、二人は私の妹になるという事だろう。

 私の妹、そう考えると中々に癖があって、悪くないと思う。

 

「あの、アリス先輩」

 

 私も、と桜が思わずといった感じで口にしたところで、玄関の扉がガラガラと開いた音がして。

 ただいま~、という男の子の声が家の中に響く。

 桜は私に言いかけていた言葉を引っ込めて、そのまま玄関へと駆けていった。

 

「らぶらぶ~」

 

「いちゃいちゃ~」

 

「否定できない所に、業の深さを感じざるを得ないわ」

 

 ここの二人に甘い凛でさえ、イチャついてる二人を見たら砂糖を吐きそうになっているのだ。

 長時間、衛宮くんと桜のセットを直視し続ければ、胸焼けが起こるのは必然。

 幼い上海と蓬莱は単に囃し立てて喜んでいるのが、ある意味で唯一の救いと言えるか。

 そうして騒いでいる上海達の前に、ひょっこりと赤毛の男の子が姿を現した。

 手にはレジ袋があり、袋の中からは甘い、けれど上品な匂いが漂ってくる。

 

「衛宮くん、わざわざありがとう。

 本来なら、私が何か持ってくるのが礼儀だったのに、すっかり頭から抜け落ちていたわ」

 

「いや、良いさ。

 マーガトロイドには普段から世話になってるんだ。

 これくらい、どうってことはない」

 

「そうですよ、アリス先輩。

 私達にも、少しは恩返しさせてくれなきゃ困ります」

 

「それを言えば、私も大概だと思うのだけれど」

 

 あーだこーだと言葉を交わすが、その言葉は大体全てが水掛け論。

 無意味さに満ちた、謙遜のしあいといっても過言ではなかった。

 それが終わったのは、ポツリと衛宮くんが呟いた一言が原因。

 

「折角の江戸前やのたい焼きが冷めちまうぞ」

 

 この場において、実に的確な一語だったと言えよう。

 甘味は婦女子に弱く、衛宮くんは見事にそこをついてきたのだから。

 

「お茶の時間ね。

 今あるのは冷めてるわから、新しいのを用意しましょう」

 

 そう言って立ち上がれば、即座に桜に静止させられた。

 彼女は素早いフットワークでテーブルの急須を掴み、そのまま台所へ移動する。

 

「お茶くらい私が淹れます。

 アリス先輩はジッとしてて下さい!」

 

 衛宮のお勝手は私の聖域、桜の背中からはそんな気迫が垣間見えて。

 流石は衛宮くんのお嫁さんといったところか。

 あっという間に茶を用意し、お盆に急須とカップをもう一つ携えて桜はここに戻ってきた。

 それから緑茶をカップに注ぎ、湯気立つ茶を前にたい焼きが配膳されて行く。

 瞬く間に、衛宮家流のお茶の席が完成する。

 勝手知ったる我が家なり、なんて素早さを感じる手際であった。

 

「流石と言うべきね、桜」

 

「いえ、もう一年はこの家で過ごしていますから」

 

「桜がここに来て、もうそんなに立つのか」

 

 しみじみと言う衛宮くんに、私も同じく同意する。

 回想してみれば、なんと時の流れの早いことか。

 時計のチックタックと鳴る音は、まるで鼓動の様に感じるのに、その実振り返ると時が連続しているのかも怪しくて。

 時計の針が進む様なんて、誰も気にしている暇など無いのかと、そう思わずにはいられない。

 

 一つたい焼きを口に運んでみれば、柔らかな甘味が舌を包む。

 それに満足感を覚えて、こうして人は時間を忘れていくんだな、感じでしまえる美味しさであった。

 

「おいしいの? おねーちゃん」

 

「おいしいのね、おねーちゃん」

 

 そんな一時に、図ったみたいに二人は聞いてきて。

 ただ美味しいというのもあれなので、私はこの感覚をどう伝えたものかと悩んでいると……。

 

「食べてみるか?」

 

 そう、横から衛宮くんが上海達にたい焼きを差し出して。

 それは善意からの言葉なのだろうが、私は思わず言葉を失う。

 だってそれは、ちょっと残酷な事だって気が付いたから。

 

「えみやんえみやん、わたしたちはモノなんてたべないわ」

 

「えみやんったらダメダメね」

 

 クスクスクスと笑う二人。

 然も当然の様に語る彼女達。

 けど、それは人の理からは外れていて……。

 

 二人は人形、動くはずのないヒトガタの形。

 けれど、彼女達は意思を持っている。

 意識を持って、言葉を繰り、動き回る。

 

 その姿は、まるで生きているかのようで。

 人の形をしているからこそ、欠落している部分が余計に目立つ。

 

 人と人形、違う法則のモノ。

 それを理解していても、形が似ているから幻影と邂逅する。

 だから、思わず罪悪感を感じずにはいられない。

 

「そっか、そうだよな。

 お前達人形なんだから、食べれないか」

 

 衛宮くんも同じことを感じたのか、小さく呟いて。

 浮かべていた表情は、何かを真剣に考えているものであっあ。

 

「どうしたの、えみやん」

 

「どうしたの、おねーちゃん」

 

 私達が思索の海へと旅立とうとすると、上海達はすかさず尋ねてきて。

 けど、今回は私が答えるよりも前に、桜が二人の頭を撫でていた。

 今は、そっとしといてあげましょう、と。

 

 二人が撫でられて微睡んでいる内に、私はそっと考える。

 例えば、と仮定をしながら。

 すう、例えば、ピノキオなどは多くの苦難に見舞われたが、それでも最終的には人間になれた。

 人形から人間へ、ある意味でのシンデレラストーリーであるが、その終わりこそがハッピーエンドだったのだろう。

 

 ピノキオにはこれからも多くの苦難が待ち受けているだろうが、それらを全て生のままで感じる事ができるのだ。

 善きにしろ悪きにしろ、全てを経験できる。

 けど、上海達はどうかと言われれば、首を傾げざるを得ない。

 

 動き出したこと事態が奇跡、今日一日の夢の出来事で。

 けど、彼女達は人間に何かなれないし、多くのモノを感じる事ができない。

 生きている実感がないとは即ち、幽霊と呼んでも過言ではない。

 では、彼女達にとって、ハッピーエンドの定義とは何か?

 ……それが、今の私には分からなかった。

 

「ねぇ、上海、蓬莱」

 

 だから、といっては手段が直接的であるが、私は沈黙の帳が下りていた空間に、石を投げつけるように質問する。

 自分で考えて分からなかったから、思いきっていこうと考えて。

 

「あなた達の幸せってなにかしら?」

 

 口から飛び出したのは、なんの装飾もされていない地の言葉。

 だからこそ、直球で二人の心まで届いたと、そう思いたい。

 二人をジッと見つめていると、上海と蓬莱は互いに顔を合わせて、小さな声で会話を交わし合っている。

 内容は聞こえないが、話し合っている内容は、私が尋ねたことで間違いはない。

 これで、しあわせってどういういみ? なんて会話が交わされていれば色々とお手上げだが、あの娘達は賢いから、恐らくは私が聞いたことは理解しているだろう。

 

 ……そうして、時間は過ぎて。

 と、言っても、おおよそ三分の長いようで身近な密議であったが。

 上海達はクルッと私の方に向いて、そうして言ったのだ。

 

「しゃんはいたちは、おにんぎょうさん。

 おねーちゃんの、かわいいかわいいおともだち」

 

「ほうらいたちのしあわせなんて、そんなのたったひとつだけ。

 はなしあってわかったの、そんなのカンタンなことだって」

 

 幼い口調で、けれども飛び出してくるのは、キチンと私の言わんところを理解したもの。

 続く言葉は、私の不安を一笑するものだった。

 

「おねーちゃんのために、わたしたちはいて」

 

「おねーちゃんのために、わたしたちはうまれたの」

 

 だからね、と二人は声を合わせて私に言う。

 その声音は、幼いのに何故か大人を感じさせられるもので。

 これが、答えと、彼女達は堂々と告げたのだ。

 

「わたしたちは、おねーちゃんのためだけにそんざいしたの」

 

「だからね、おねーちゃん。

 わたしたちはおねーちゃんといっしょにいて、かんじて、つかわれることがしあわせなんだよ?」

 

 簡単な答えだよね、と二人揃ってのデュエット。

 その言葉に、複雑だけれども安心を覚えた。

 彼女達は意識はあるが、自分達が人形であることを自覚している。

 人とは別で、しかも私に使われることが幸福だと告げたのだ。

 ホッとして、でも残念な様な気がするのだから、私はなんとも我侭なのだろう。

 でも、これが正しいんだと、私自身も感じたのだ。

 

「嬉しいわ、ありがとうね、二人共」

 

「うん、どーいたしまして!」

 

「おねーちゃんったら、しんぱいしょうなんだから!」

 

 私の手に抱きついてくる彼女達に私は微笑んで……顔を上げたら、衛宮くんが真剣な顔をしているのに気が付いた。

 さっきまで、一緒に悩んでくれていた彼。

 だから、なにか思うところがあるのも、また分かるつもりだ。

 

「衛宮くん、納得したかしら?」

 

「ん、まぁ、そういう意思があって、自分達がそれで良いって言ったってのは」

 

 彼の言葉に、私は頷く。

 衛宮くんは、上海達のことをよく考えていてくれた。

 なので彼にも、なにか彼女達の言葉から獲れたものがあれば、と思っていたが、そのなにかを少しは感じられたようで。

 

「自分が納得しているのなら、そういう形に落ち着くのも有りという事。

 意思があって、例えばそれが人間のものと変わらなくてもね。

 彼女達には、彼女達なりの倫理観があるんだから、道から外れていない限りは認めてあげたいの」

 

 衛宮くんは私の総括を聞いて、少し考えて。

 それから、こんなことをぼそりと尋ねてきた。

 きっと、彼にとって素朴な疑問で、でも聞かずにはいられなかったことなのだろう。

 

「人間でも、そういうものかな?」

 

 上海達を気にかけている衛宮くん。

 その根底には、やはり自身のことがあるのだ。

 愚直に自分が正しいと思って、彼は人助けなどを行ったりしている。

 けれど、それは他人から見れば、単なる便利屋人に過ぎなくて。

 その様子を、前に私はひっそりと人形みたいと評した。

 

 知ってか知らずか、衛宮くんも自分と上海達が、どこかでダブって見えてしまったのかもしれない。

 だからこそ、普段の衛宮くんなら疑問に持たないようなことを訪ねてきただと思われる。

 私は、そんな衛宮くんにスルリと言葉が胸から流れ出る。

 これは、前から衛宮くんに言いたかった事だから。

 

「えぇ、人形でも、人間でも、意思があるのなら自分が正しいと思ったことをすれば良いの。

 もし貴方が間違っていたりしたら、私や桜、凛や間桐くんが止めるわ。

 だから安心しなさい、衛宮くん」

 

 それは本音で、私が保証してあげれる確実な事。

 見返りなんていらないという彼の姿勢に、馬鹿な衛宮くんを放っておけなくなった誰かが助けに入ってしまう。

 それが、彼の築き上げてきたものだから。

 無謀でお馬鹿な彼が嫌いじゃないから、思うがままに動けば良い。

 

 これが私の彼に対しての想いの真実。

 頑張ってる衛宮くんに、私はそう告げて。

 

「……ありがとう、マーガトロイド」

 

 彼の返事は端的で、そして誠意に満ちたもの。

 曇の一点もない目は、どこか透明なガラスにも見えて、それが余計に上海達と被って見えた。

 

 

 

 それから、私達の間にあった妙な雰囲気は霧散し、和やかなお茶会が執り行われた。

 話している間に冷めてしまったたい焼きは、オーブントースターでカリカリに暖め直して、緑茶と合わせて食べれば、中々の味わい深さで。

 日本の和の心か、などと感じ入っていた。

 途中で、上海達が衛宮くん達に、キッス! キッス!とシュプレヒコールじみた囃し立てを行って、二人をからかっていたこと以外は、至って平和なお茶会模様。

 

 衛宮くんの体でアスレチックしたり、桜の胸でトランポリンなどと頭の痛いことはしていたが、それでも上海達は精一杯はしゃいで楽しんでいたように思える。

 衛宮くんと桜には、今日は本当に感謝してもしきれない位に面倒を見てもらった。

 

「貴方達なら、子育てだってやってのけられそうね」

 

「からかうな、マーガトロイド」

 

「…………子育て、ですかぁ」

 

 衛宮くんはそっぽを向いて、桜はどこか遠くを見ながら、ポツリと呟いて。

 どうにも、現実感が乏しいようで。

 

「実感、湧かないわよね、まだ」

 

 二人はまだ学生だし。

 そう言うと衛宮くんは黙りこみ、桜は静かに微笑んでいた。

 何やら意味ありげだが、その真意を見透かすことはできない。

 でも、桜からは少し寂しげな気配がしたのは何故だろうか?

 

「ねぇ、さく――」

 

「えみやん、さくらぁ」

 

「きいてほしいことがあるにょ」

 

 二人の名前を可愛らしく呼ぶ上海に、噛んで訴えてる蓬莱。

 その二人に毒気を抜かれた私は思わず口を閉ざしてしまい、それは衛宮くん達も同様で、この部屋の視線は全て上海達が独占していた。

 

「えっとね、おねーちゃんはさみしがりさんなの」

 

「本当はね、みんなみんなだいすきだけど、はずかしくっていえないだけなの」

 

「貴方達、何を……」

 

 言っているのか、そう続けようとした。

 けど、とりあえず最後まで聞こうと思い口を閉ざす。

 自発的に、何かを言おうとしているのだ、水を差すのは良くない。

 なので耳を傾けて、私はそっと彼女達の言葉を聞いていた。

 

「えみやんはいちばんなかのいい、おとこのこのともだち」

 

「さくらはかわいいこうはいの、おんなのこのともだち」

 

 ありすおねーちゃんは、ふたりともだいすきなの、と声を揃えていう上海と蓬莱。

 私は喋ろうとしていた言葉も忘れて、絶句してしまう。

 けど、二人はそんなことを気にせずに、好きなように滑らかに、舌っ足らずさを振るっていく。

 一つ一つ、思いを込めながら着実に。

 

「おねーちゃんはえみやんとさくらと、いっぱいいっぱいなかよくしたくて」

 

「でもでも、じぶんからはいいだせなくて」

 

「でも、さみしいのはいやだから、じぶんからあいにいったりしちゃうの」

 

「かわいいね、おねーちゃん」

 

 子供っぽい二人にしては、とても小癪な物言い。

 だけれど、幾つか心当たりがあって、強く言い返せない。

 ふたり揃って、私に恨みでもあるのかと言わんばかりに私の中を暴いていく。

 心の内をさらけ出させられて、服を一枚ずつ剥ぎ取っていくかのような、私を守るものが剥がされていくかのような、そんな不安にもにた感触。

 今なら、間桐くんの気持ちが心から良く分かる……同じ気持ちになっているだろうから。

 

「うわぁ」

 

 私の顔を見て、桜が低く小さく、だけれどもあまりにあんまりの声を上げた。

 恐らくは、真っ赤な顔が全面に映ったのだ。

 けど、私からは発する言葉はない。

 だって、これで取り乱すのはまるで、図星です、なんて示してしまっているも同然だから。

 だから私は、何事もないように澄ました顔を取り繕う。

 ……多分、無意味だけれど。

 

「そんなかわいいおねーちゃん、かんちがいされちゃうけど、ほんとうはみんなともっとなかよくしたいっておもってるの」

 

「いっしょにあそんだりぃ、いっしょにおとまりしたりよ!」

 

 だれかといっしょにいると、とってもあたたかいから。

 そう口ずさむ二人に、私は既に淡々と言葉を聞くだけと化していた。

 それは二人も同様で、衛宮くんも桜も言葉なく上海達の言葉を聞いていた。

 ……そして、

 

「だからね、えみやん、さくら。

 これからもおねーちゃんをよろしくね~」

 

「きよきいっぴょうをよろしく~」

 

「それは違うだろう」

 

 真面目な上海に、ネタを取った蓬莱。

 衛宮くんがツッコミを入れて閉幕と相成った。

 場にはしんみりとした空気が流れ……つつも、それと同時に居た堪れない空気も存在した。

 ……私を起点に、広がっている空気だ。

 

「公開処刑ね、これじゃあ」

 

 ぼそりと呟く、顔はまだ熱くて火照っている。

 私を顔を上げれば、衛宮くん達は居所が悪そうにバツの悪そうな顔をしていて、上海達はほめてほめて~と寄ってくる。

 私は上海達を邪険にすることなんて出来ないので、そっと近づいてきた彼女達を抱き上げて。

 でも、我慢できずに恨み言だけは零してしまっていた。

 

「恥ずかしかったわ、上海、蓬莱」

 

 意地悪された、とニュアンスを込めて、拗ねたように言ってしまう。

 上海と蓬莱が相手だけれど、堪え性もなく漏らしてしまうのは仕方ないだろう。

 それだけ恥ずかしくて、顔から火が出そうで、穴蔵に篭もりたいのだから。

 

「おねーちゃんは、はずかしがりやさん!」

 

「テレテレおねーちゃん!」

 

「……いい加減になさい、二人共」

 

 茶化すように言うので一言注意すると、二人共、は~い、と気のない返事をする。

 困ったさんも良いところね、と内心で溜息を吐いてしまうのは、疲れからか、それとも恥ずかしさからか。

 

「あ、あの」

 

 そんなごちゃごちゃの中に、響くような声がした。

 顔を向ければ、桜が上海達を見ていて。

 何事かと考えれば、心当たりのある事は一つだけ。

 そして私の思い浮かべた通りの言葉を、桜は私、では無く上海達に告げたのだ。

 

「大丈夫です、そんなに心配しなくても。

 私も、アリス先輩の事は大好きですから……」

 

 えへへ、と照れたように笑って。

 それでも、桜はしっかりと上海達を見ていた。

 伝わるように、届くようにと、誠意を垣間見せる。

 私はそれを直視できなくて、そっと視線をそらせば、その先には衛宮くんがいて。

 

「……俺も、マーガトロイドのことは友達だって思ってる」

 

 そんな風に、さりげない言葉で止めを刺した。

 真顔で、一切の嘘なんてなくて、彼らしい純朴さで。

 けれどもそれは無慈悲な一撃、容赦なく私の心を抉りだす。

 

「~~~~! 今日はもう帰るわ!」

 

 結果、いてもたってもいられなくて、私が立ち上がるしかなくなっていた。

 こんな恥ずかしくて、醜態を晒したまま、衛宮くんの家には居てられないと、咄嗟に。

 たまらなくなった、というのが正直なところ。

 

「あ、おい!」

 

 衛宮くんの呼びかけも無視して、カバンと上海達を素早く引っ掴むと私は素早く玄関へと向かった。

 一刻も早くこの家から退去して、そして一人になれる場所に逃げ込みたかったのだ。

 

「アリス先輩!」

 

 桜も声を上げて、慌てて居間から玄関まで私を追いかけてきて。

 でも、私はそんな二人に目も向けない……向けられない。

 だから私は、二人の前から去る前に、一つだけ捨て台詞を吐いて敗走する事を選ぶ。

 ……やられっぱなしなんて、とてもじゃないが悔しいから。

 

「――私もよ」

 

「え?」

 

「何がですか?」

 

 私が主語が抜けた間抜けな日本語を使い、衛宮くん達は見事にそれを突っ込んできて。

 ……なので、酷いことに全文を思いっきり声に出してしまう。

 

「私も、貴方達と同じことを思ってるっ!」

 

 言い捨てるだけ言い捨てて、そのまま踵を返す。

 向かう先なんて決めてない。

 ただ、今はこの場から逃げ出したいだけ。

 

 恥ずかしい、はずかしい、ハズかしい!

 私の胸を駆け巡る感情はそれ一色。

 その気持ちを燃料に、私は止まらない自動車として全力で足を動かす。

 もう、どうにでもなってしまえと思いながら。

 

「はずかしぃね、おねーちゃん」

 

「おかおがまっかよ、おねーちゃん」

 

「貴方達はもう少し静かに!」

 

 ちょっとだけ八つ当たりしてしまったのも、しょうがない事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、逃げて、走って、向かった場所。

 ……そこは、ある意味で私が帰るべき場所で。

 

「お帰り、アリス」

 

「……ただいま」

 

 そっけなく声を掛けてくる凛に、私は仏頂面で返事をする。

 遠坂邸、行き場のない私は結局はここに帰ってきてしまっていた。

 もしかしたら、ある程度の帰巣本能が、この家に染み付いてしまっているのかもしれない。

 

「ただいま~りんちゃん!」

 

「りんちゃんったら、きょうもツンツン!」

 

「アンタ達は今朝から元気ね」

 

 上海と蓬莱が楽しげに言葉を発すると、凛は既に適応したかの様に答えてみせて。

 キャッキャと喜ぶ上海達の頭をナデナデ、と擬音が出てきそうなほどに丁寧に撫でると、そのまま私の顔を覗き込んで、こう言った。

 

「赤いわよ、顔」

 

「……そう」

 

 時間がどれほど経ったかなんて知らないけど、それでも未だに紅潮は引いてなかったらしい。

 自分では意識してないけど、色々と酷いと言わざるを得ない。

 

「やむを得ない事情があったの、事情がね」

 

「まるで言い訳よ、アリス」

 

「何に対しての」

 

 当てつける様な凛の物言いに、私は雛鳥のように尋ね返して。

 本当に言っていいの? 何て目をしている凛が憎たらしくて仕方がなくて。

 なので、はぁ、と溜息を吐けば、凛は面倒くさげにこう言った。

 

「勿体ぶらずに、さっさと話せば良いのよ」

 

「何がよ」

 

「今日のこと」

 

 何もかも、見てきた風に言う。

 全くもって理不尽、恐らくは見透かされている。

 嫌な顔をしているふりをして、聞いて欲しくて仕方がないってことを。

 

「……子供みたいって思ってるわね」

 

「悪い? アリスちゃん」

 

 おちょくる口調に、小馬鹿にした言葉。

 でも、私が構って欲しそうな顔をしてたから、凛は私の所に来てくれて。

 私をからかうようにして、何があったかを聞こうとしてるのだ。

 

 敵わない、思わずそう思わせられた。

 一年も一緒に暮らしていると、妙なことまで伝わるようになって困ってしまう。

 だから気分は負け犬、けれども心の空は晴れていて。

 

「複雑な気持ちね」

 

「良いから、さっさと話しなさい」

 

 凛のいい加減にしろよという激励に、私は笑顔を浮かべていた。

 さて、何から話したものか、何て考えながら。

 間桐くん、桜、衛宮くん、その他の上海と蓬莱と巡った冬木という街。

 それはそれぞれに主張して、何から話そうかと散々迷わせられて。

 

「おねーちゃんとね、さいしょはいろんなところをみてまわったの!」

 

「わかめにいさんのウチにもいったんだから!」

 

 そんな逡巡している私にしびれを切らして、先に上海達が口を開くのは当然の帰結であった。

 私は、それにそうね、と相槌を打って、二人の話を聞いて。

 凛からの良いの? という視線には、一つ頷くだけで答えていた。

 だって、これはこの娘達が気持ちをさらけ出してくれるのも同然のことなのだから。

 

 柔らかで幼い二人の、今日感じた目一杯の事。

 彼女達が今日何を感じて、何を手に入れたのか。

 さぁ、それを聞かせて。

 

 静かに耳をすませたのはお約束。

 凛が逃げないように彼女の手を掴んで、その声に耳を傾ける。

 ……凛は、鬱陶しそうにしつつも、手を振りほどくことはなかった。

 

 

 

「でねでね、わかめにいさんったらとってもコモノなの!」

 

「からかうと、すっごいげんきになっちゃうの!」

 

「……珍しく、慎二が不憫に感じるわ」

 

「あら、同感ね」

 

 

 

「さくらってばすごいびじんさん!

 ソメイヨシノなんだわ!!」

 

「えー、どっちかといえば、ヤエザクラよ!」

 

「本人は、アーモンドの花と思い込んでるけどね」

 

「よく見てるわね、凛」

 

「ッフン」

 

 

 

「えみやんってばかわいいの!」

 

「からかえばアタフタしてるの!

 さくらのおムコさん!」

 

「変なところでアンタとあの子達、似ちゃったんだ。

 悪影響ありまくりね、アリス」

 

「喜べばいいのか、嘆けばいいのかが微妙なところね」

 

 

 

「おねーちゃんってばカワイイの!」

 

「おかおがまっかで、しゃべったことばはふるえてて!」

 

「はずかしくてはしっちゃうなんて、まるでこいするオンナノコね!」

 

「しゃんはいってばおちょうしものね!」

 

「そんな事があったんだぁ」

 

「……ニヤニヤしてると、気持ち悪いわよ、凛」

 

 

 

 話せば話すほど、今日一日の思い出の欠片が出てくる。

 尽きぬ話題に続く笑顔。

 凛も何時の間にか、積極的に上海達の言葉を楽しんでいた。

 私も、所々で悶える羽目になったが、ギリギリのところで耐えしのげて。

 

 そうして上海達の言葉を振り返ると、一日という日で、ただ友達と話していただけなのに感じることは沢山あったと思い返さずにはいられない。

 一々思い返さないだけで、日々感じることは溢れんばかりで。

 そのひと握りでも、この娘達の糧になれば、と思わずにはいられない。

 勿論、それは私にとっても。

 

「そう、良かったじゃない。

 普通なら、一生出来ない経験よ」

 

 上海達がある程度話し終えると、凛は二人にそう声を掛けた。

 凡庸ではあるが、その分そこには人並みの優しさが籠っていて。

 凛も、何だかんだで絆されてくれた、と顔を緩めてしまう。

 

「うんうん、きょうはすてきなエイプリル!

 うそっこさんたちの、めんもくやくじょ!」

 

「きょこうのうえの、さじょうのろうかく。

 でもでも、やっぱりワタシたちには、ほんとうのこと!」

 

 上海と蓬莱、二人の紡ぐ言葉は曖昧だけれども、それでも感じさせられるものがあって。

 ふと感じた寂しさが、目元をじんわりとさせてくる。

 

「うん、じゃ、今日は私は退散するわ」

 

「……凛?」

 

 軽やかに立ち上がった凛は未練も無さそうに、この場を後にしようとする。

 思わず呼び止めたのは、少しぐらいこの娘達に挨拶をして欲しかったから。

 そんな私に、凛は背を向けたままこう言った。

 

「これ以上構っちゃうと、寂しくなるでしょう?」

 

「また、動ける日は来るわ」

 

 凛はそう言うが、既にそんな感傷を抱いてしまっている時点で、既に軽傷は負ってしまっている。

 だからあまり無理強いはできなくて、複雑な気持ちを抱えてしまう。

 でも、それでも呼び止めてしまったのは、凛もこの娘達を可愛がってくれて、彼女自身もこの娘達を可愛いと思ってくれてたから。

 なので一言だけでもと思い、凛に声を掛けていた。

 

「一旦は話せなくなるけれど、これでお別れじゃないの」

 

 そんな呼び止めに、凛はふーんと、声を漏らして。

 そして訪ねてきた、私にとって痛いと感じるところを。

 

「じゃあ何時になるの?

 何時、またこの娘達と話ができる?」

 

 何時かは――明確な時刻なんて定められてない口だけの言葉。

 数字になんて出せない、あやふやで不確定のもの。

 でも、私は……、

 

「……何時かは、必ず」

 

 諦めない、それが目的でここに来て、ずっとここまで歩んできたのだから。

 そして今日は希望を得れた、だから頑張れる。

 そう決意を固めて、私は凛の目をジッと見つめる。

 

 見つめ合うこと、およそ十秒。

 チックタックと聞こえてくる時計の音が、心臓にとても悪い。

 ――そんな時の事だった。

 

「ちっくたっく、ちっくたっく!」

 

「チックタック、チックタック!」

 

 但し、上海達は元気も元気で。

 私と凛の静かな牽制と均衡の綱引きは、見事に勝負なしとなってしまう。

 緊迫していた空気が、お陰でユルユルにされてしまったのだ。

 

「……はぁ、良いわよ、もぅ」

 

 諦めたように言う凛、ちょっと呆れているのかもしれない。

 けど、そんな事に構うことなく、私は笑いかけながら凛に声を掛けていた。

 

「そういうところ、付き合い良いわよね」

 

「あんたは調子に乗りすぎ、アリス」

 

「嬉しいもの」

 

「お調子者」

 

「そうかもね」

 

 仕方がないなぁ、という風な凛の態度に、思わずニコリとしてしまって。

 凛は、それも気に入らないと言わんばかりに私の顔から、ぷいっと目を背けてしまっていた。

 そんな凛に、賑やかしのように上海達は声を掛ける。

 

「りんちゃんツンツン!」

 

「ツンデレってやつね!」

 

「違うわよっ!」

 

「そんな四文字熟語、どこで習ってくるのかしら……」

 

 きっと教育の悪い誰かがいるのだ。

 考えれば、エセ神父に間桐の妖怪などの悪人、間桐くんにネコさんなどの困ったさん達など、考えれば候補は事欠かなくて頭痛を催す。

 ……尤も、その中の誰が怪しい言葉遣いを教えたか、なんてのは分からないが。

 少なくとも、エセ神父と妖怪は除外されるだろう。

 

「腹立つわね、ほんっとに!」

 

「プンプンりんちゃん!」

 

「とってもかぁいい!」

 

「そこまでにしておきなさい、二人共」

 

 エンジンが掛かり始めていた二人に、私は待ったをかけた。

 二人がやりすぎると、二人に対して切れた凛が出て行くかも、と思ったから。

 なので二人を窘めて、ピキピキとこめかみに青筋を立てている凛に、そっと話しかける。

 

「大丈夫、私は嫌いじゃないわ」

 

「どう言う意味よ!

 というか、間違いなくこの娘達がアレなのはあんたの影響よ!」

 

 凄い勢いで振り向いた凛に、私達は揃って言うのだ。

 

「姉妹だものね」

 

「いもうとなの~」

 

「いもうとだよ~」

 

 ッケ、といい感じにやさぐれてきている凛。

 けど、先程は苛められたのだ、多少の仕返しは許されるだろう。

 ついでに、二人へ向けられるヘイトを私へと向ければといった感じか。

 

「姉妹だからって、必ず似るとは限らないけど……まぁ、怪しい影響は受けるわよね」

 

 何とも言いがたげに、凛は苦虫を噛み潰した顔をしていた。

 表情には、何よなによ、なんなのよ! と映っているので、流石にこれ以上はマズイと思う。

 

「妹は可愛いから、つい甘やかしてしまうわね」

 

 言い訳そのものをしつつ、上海と蓬莱の髪の毛を撫でる。

 今後も、綺麗なストレートに整えてあげなきゃね、なんて考えながら。

 

「……そうね」

 

 凛は短くそう言い、はぁ、と小さく溜息を吐いた。

 ここから去らないということは、何か琴線に触ったのか。

 何とか部屋に踏みとどまってくれた凛に感謝しつつ、上海達に何かないの? とせっつく。

 すると彼女達は、あるよー、と無邪気に言って。

 そういえばこの流れは……と私がふと思い出した時には、既に手遅れだった。

 

「おねーちゃんはね、りんちゃんのことがダイスキ!」

 

「りんちゃんのこと、いちばんのトモダチだっておもってる!」

 

 あ、と間抜けな声を漏らして、凛はキョトンとした後に、即座に邪悪な表情を浮かべた。

 具体的に言えば、この前テレビで見た、悪代官という人達の様な目だ。

 恐らくは、今日あった出来事として上海達が語った事の中から、即座に思い出したのだろう。

 私の、本音ともつかない、微妙で繊細な心を上海達に暴露されてしまた事件のことを……。

 

「ちょっと」

 

「続けて」

 

 口を挟もうとしたら、即座に私は凛に口を塞がれて。

 すごいニコニコなのが、腹立たしくて仕方がない。

 凛は楽しんでる、絶対に、確実に……。

 しかも上海達は、薄情なことに私が凛に取り押さえられているのには見向きもせず、自分達が言いたいことを話し出してしまう。

 

「フユキにきたときに、はじめてあったびじんさん。

 にほんではじめて、にんぎょうげきをみせたひと」

 

「さいしょはみとめてほしくて、みとめられたらなかよくなってて、ずっといっしょにいると、むねがポカポカするようになって」

 

 出てくる言葉は、聞いてるだけでもむず痒くなってきそうな言葉の羅列。

 全身に羞恥が巡って、言葉にならない悲鳴が口から溢れそうで。

 でも、凛は一切離してくれない。

 それどころか、抑える力をギュッと増して、私が逃れられないように拘束を続ける。

 ……まるで拷問のような、耐え難い時間だ。

 

「おねーちゃん、もともとトモダチはすくなかったけど、そのなかでイチバンなかよくなっちゃったのがりんちゃん」

 

「じんしゅはちがっても、いちばんおちつくのがりんちゃん」

 

 バタバタと、凛の腕の中で暴れる。

 が、凛から逃れられずに、そのまま彼女の腕に収まったまま。

 伊達に格闘術はやっていないという事だろう。

 力のバランスが的確で、如何ともしがたく私はずっと上海達の言葉を聞く羽目になって。

 凛が上海と蓬莱の言葉を聞いていると思うと、どうにかなってしまいそうな程に羞恥の嵐に見舞われる。

 精神的な陵辱と言っても過言ではない。

 

「りんちゃんはツンツンで、いたずらっこで、ねこかぶりで、いじわるだけれど」

 

 やめて上海、凛の私を締め上げる力が増してきてるから!

 そんな心の声は聞こえるはずもなく、次は蓬莱が上海の言葉を引き継ぐ。

 

「それでも、やさしくて、あまえさせてくれて、みとめあえて、そんけいだって、おねーちゃんはしてるの。

 ふだんははずかしくていえないけど、りんちゃんってすごいんだって、おねーちゃんはおもってるんだよ」

 

 容赦なく、その口から放たれる弾丸の如き言葉の数々。

 既に打ち抜かれた私は、激痛で悶え苦しむしかない状況。

 やめてっ! と心から叫びたいのに、凛に邪魔されて声すら出せない。

 ……泣いてしまいそうな、切なさが胸にまで登ってくる。

 

「だらかおねーちゃんは、りんちゃんの事が、だいだいだっいすきなの!」

 

「りんちゃんも、おねーちゃんの事が大好きだよね?」

 

 告げられれば、凛はさっきよりも強い力で私をギュッと締め付けて。

 息苦しさから、むぅ、むぅ、と、抗議の声を上げたが、それも無視されて。

 

 右手は口で、左手はお腹に回されていた凛の腕。

 強く押さえつけられれば苦しくて、暴れてしまっても逃れられなくって。

 ちょっと息が荒くなり始めた時に、急に凛の力が緩められた。

 

 それでも強くて抜け出せないけど。

 だけれども、力加減自体は、かなり強く抱きしめている程度にまで和らいで。

 私、無理やり凛にされてるんだ……何て考えてしまったところで、凛は口を開いた。

 ビクッと彼女の腕の中で震えてしまったのは、自分に疚しさがあった故か。

 

「好きよ、嫌いなわけないでしょう?」

 

 あまりにあっけなく告げられたのは、また私を動揺させる言葉。

 状況が状況なだけに、酷いわ凛、と強く思ってしまう。

 こんなの、苛められてるのも同意義だから。

 抱きしめられて、好きだなんて言われて、二重の意味で苦しくて。

 辛いなぁ、と思えるくらいには、この状況に慣れてきてしまった。

 

「りんちゃんは、なんですきなの?」

 

「なんでなんで?」

 

 蓬莱が聞き、上海が便乗する質問。

 けど、凛は揺らぐことなく、毅然と答える。

 

「偏執的に人形が好きで、ところにより寂しがり屋で、時たま馬鹿になるけど、でもね」

 

 さっきの上海達と同じ手法で、凛は私について述べ始める。

 ずっと見てるだけで辛いけれど、それでもこれには興味が持てた。

 凛が私をどう思っているかなんて、気にしてしまうに決まっている。

 だから暴れず、ジッと凛の言葉を待って。

 

「そんなだけど、一番の友達ってことには変わりないんだから。

 一緒に住んでも嫌いになりようがないんだから、あとは仲良くなるしかないでしょう?」

 

 狡いと思いながら、凛の言葉を聞いていた。

 だって私は全部を晒されたのに、凛はたった一つの理屈で、私が仲の良い友達であると証明してしまったのだから。

 けど、それは上海達の一撃で、いとも簡単に崩される事となる。

 たった一言の、けれども魔法並みに効果のあった幼稚な言葉。

 

「あ、りんちゃん、おかおがあか~い」

 

「まっかっか! まっかっか!」

 

 ……凛は無言で、けれども力んでいるのは抱きしめられている私には直ぐに分かって。

 顔は見えないけど、それは容易に想像がつく。

 表裏は激しいけれど、凛は何だかんだで可愛い女の子なのだ。

 素直じゃないところもあるけれど、それが可愛さを余計に目立たせて。

 

「もぅ! アンタ達ロクでもないわね、ほんとに!」

 

「だって、おねーちゃんもいもうとだもの!」

 

「わたしたちも、りんちゃんのおともだちだもん!」

 

 二人が茶化しまくりながらそう告げると、凛は”勝手にしろ!”と肩を怒らせながら言って、そうしてふと思い出したように私は、あ、という凛の声と共にようやく解放された。

 実に長く、遠い時間だった。

 だから私は、解放されて早々に凛へと言葉を投げかける。

 さっきまでの分をしっかりと言葉に乗せて。

 

「凛ちゃん、お顔が真っ赤っか」

 

「っ、あんたも充分赤いわよ!」

 

「凛ちゃんに押さえつけられて、息しづらかったんだもの。

 仕方ないし、どうしようもないわね」

 

「ひ、卑怯者!」

 

 どっちが、という言葉を飲み込んで、私はニッコリと笑みを浮かべる。

 ここでは私が優位で、凛はどちらかといえば劣勢だから。

 形勢逆転、コインは見事に裏返った。

 そういう事で、凛に仕返しをしてやろうと考えた時である。

 

「おねーちゃんがまっかなの、りんちゃんにすきっていわれたからよ!」

 

「こんどこそがりょうおもい!

 りんちゃんとおねーちゃん、けっこんしきはいつなのかな?」

 

「ばかね、しゃんはい。

 おんなのこどうしではけっこんできないから、おともだちになるのよ!」

 

「そーなんだー」

 

 そんなわけ無いでしょ!

 私と凛がツッコミを入れたタイミングは、見事に同時。

 なので余計に上海達ははしゃぎまわって、からかい続けられる事になって。

 それからしばらく、私と凛は上海や蓬莱が引き起こす、ワイワイガヤガヤな喧騒の中に自ら突っ込んでいった。

 お調子者! と戒める意味合いもあったが、九割がたの理由は、私達が上海や蓬莱と遊びたかったということでもあったのだ。

 

 

 

 夕飯もそこそこに、皆でワイワイと騒いで遊んで……。

 そうして過ごしていると、時計の針は既に十一時を過ぎていて。

 時間の流れは残酷だ、なんて言葉はここでも適応するのだな、と自然に感じずにはいられない。

 凛は時計を少しチラ見すると、うん、と一つ頷いて、そして立ち上がって言ったのだ。

 

「そろそろ私は退散するから」

 

「……どうせなら、最後まで居ときなさいな」

 

 思わずそう返してしまったのも、仕方ないだろう。

 既に時刻は十二時に近いのだから。

 ここまで来たら、最後まで付き合ってくれれば、と思ってしまうのはおそらく親心。

 けど、凛は首を振って、そして告げる。

 

「最後に一緒にいるべきはあんた。

 私には、ちょっと重いの。

 このまま一緒にいたら、私まで余計なものを背負い込んでしまいそうだし」

 

 反論できずに、私は黙り込んでしまって。

 それに、と続く凛の言葉を、私はただ聞いているだけだった。

 

「家族とのしばらくの別れだもの。

 私だって空気読むわよ」

 

 グウの根も出ない正論、全くもって反論の余地はない。

 故に私は、凛をそのまま見送るしかなくて……。

 

「またね、上海、蓬莱」

 

 だから、凛のその言葉が、何より嬉しかった。

 再会を約束する言葉、これで終わりではないと、凛が認めてくれたという事で。

 

「またあそびましょう、りんちゃん!」

 

「こんどはみんなでいっしょにあそびましょう!」

 

 二人の言葉を受けながら、凛は颯爽と部屋を後にした。

 鮮やかに、そして優しく、凛は私たちに期待をくれたのだ。

 その背中が見えなくなったあとも、部屋の中でジッとしていて。

 凛の残り香が、そこに微睡んでいるんだと、そう感じて。

 

「……そろそろ、部屋に戻りましょうか」

 

 彼女の姿が見えなくなって数分後、何気なしに言った言葉に、上海達がウン! と元気よく返事をしてくれたのを合図に、私はぼんやりと歩き始める。

 時刻は、十一時四十分。

 今日という日は、後二十分で終わりを迎える……。

 

 

 

 

 

「上海、蓬莱」

 

「なぁに、おねーちゃん」

 

「なになに、おねーちゃん」

 

 自室に戻って、私は何を話そうかと考え、二人に声を掛けていた。

 特に何かを考えていたわけではなく、ただこの娘達と話したいから、という理由で。

 

「貴方達、今日は色々とありがとう」

 

 結果、出てきたのは、とても平凡極まりない言葉。

 けど、普遍的だからこそ、一番わかりやすい言葉でもあって。

 

「うん、わたしたちもありがとー」

 

「おねーちゃん、きょうはたのしかった!」

 

 元気に答えてくれる上海と蓬莱に、じんわりと胸にこみ上げてくるものがあった。

 いろんな感情が綯交ぜになって、複雑としか言えない精神状態だけれど、これだけはキチンと伝えておきたかったのだ。

 

「ん、今日は私も幸せだったわ」

 

 そう、幸せだった。

 夢の国のネバーランドにでも来れた気分。

 淡い幻想のようで、現実だった時間は確かにあるのだから。

 

「ねぇ、二人共」

 

 だから、私はもう一度だけ言う。

 

「ありがとう、心配なんてさせないわ」

 

 そう宣言して、私は優しく二人の頭を撫でる。

 今日一日を振り返ると、何かにつけて上海と蓬莱は私の内心を大きくぶちまけていた。

 どうしてそんな意地悪をするのかと考えていたが、ここまでくると、ようやく答えが見えてきたのだ。

 

「だっておねーちゃん、さみしがりさんだもの」

 

「うさぎさんはね、さみしいとしんじゃうんだよ」

 

「私はアリスよ、三月兎じゃないわ」

 

 痛いな言葉、と笑いを噛み殺しながら反論。

 この娘達がさらりと言った真実も、やっぱりかと受け止める。

 

 この娘達は、大概の所でこう言っていた。

 おねーちゃんはさみしがりで、みんなと仲良くしたい、と。

 大方、自分達が動かなくなった後の事にでも、想像の羽を伸ばしていたのだろう。

 妙なところに気を使うのは、確かに私そっくりだと言わざるを得ない。

 

「おねーちゃん、ありすおねーちゃん。

 どうしておねーちゃんは、おにんぎょうさんがだいすきなの?」

 

「わかるかしら? どうかしら?」

 

 上海と蓬莱、ふたり揃って謎掛けのようなこと言う。

 けど、私としては困ってしまう。

 そんなの、好きだから好きで愛してるとしか言い様が無いのだから。

 

「わからないの、おねーちゃん?」

 

「こたえられないの、おねーちゃん?」

 

「えぇ、そうね、私にはちょっと難しいわ」

 

 何が言いたいのか、全くもってサッパリ分からない。

 なので問い返すと、上海達は小さな声で、ぼそぼそっと答えたのだ。

 

「おねーちゃんがそんなだから」

 

「――さんがしんぱいするの」

 

「……なんて、言ったの、今」

 

 もう一度確かめるように問い返したけれど、今度は答えは帰ってこずに。

 ふたり揃って、力尽きたように机の上にゴロンと転がる。

 

「なんでもないわ、なんでもないの」

 

「おねーちゃん、とってもねむいわ、おねむのじかんよ」

 

 誤魔化すような声、けれども彼女達は真実を告げていて。

 既に秒針は次の日へのカウントダウンを始めていた。

 チックタックと刻まれる音が、何よりも残酷に聞こえてくる。

 

「わたしたちはこのままねちゃうから。

 そのまえにあたまをなでて、おねーちゃん」

 

「やさしく、ゆっくり、ていねいに」

 

「……ささやかなのか、贅沢なのか、分からないわね」

 

 彼女達のお願い、眠りに着く前の最後の希望。

 それは、私に頭を撫でて欲しいという、とてもいじらしいもの。

 私は抱きしめたい衝動に耐え、彼女達の頭をゆっくりと撫でる。

 気分よく、気持ちよく眠りに誘うために。

 

「きもちいいわ、おねーちゃん」

 

「あたたかいわ、おねーちゃん」

 

 ふたり揃って、出てくる言葉は甘えている可愛いものばかり。

 だから、私は言葉なく、柔らかく頭を撫で続けて。

 

 

 ――チックタック、チックタック

 

 

 ――チックタック、チックタック

 

 

 ――チックタック、チックタック

 

 

「お休みなさい、上海、蓬莱」

 

 優しく声を掛けると、彼女達を何時もの定位置である窓際へと運ぶ。

 彼女達は……もう動かない。

 夜中に時計の鐘は鳴らず、静かに眠りへと落ちていったのだ。

 

「また、会いましょうね」

 

 優しく、私は二人に告げて。

 そして小さく、私は呟いた。

 

「とっても、意地悪ね」

 

 誰かに向けた言葉、ここにはいない誰かへと。

 その言葉は届いているのか、それとも空気に溶けていくのか。

 答えはあらず、今は奇跡の残滓すらも感じられない。

 窓の外を見てみれば、暗く薄く、まるでこれからの道のりのようで。

 

「……負けないわ、絶対に」

 

 けど、問答無用でその中を歩き続けることを決意する。

 一日だけの奇跡、そんな都合のいい出来事で終わらせたりなんてしない。

 奇跡を墜とし、手の届く陳腐にまで染めてくれると決意しながら、私は静かに独りごちる。

 

「夢で幻だなんて、そんな現実、認めない。

 だから何時か、また遊びましょう。

 大好きよ、上海、蓬莱……」

 

 帰ってくる返事はない。

 けれど、私は既に分かっている。

 この娘達にはキチンと聞こえていて、私の言葉を覚えていてくれているのだと。

 だから、待ってなさいと心を燃やす。

 何時の日かを夢想し、夢が夢でなくなることを空想しながら。

 

 

 ――えいぷりるの気紛れ、なんて言葉で終わらせてなんてあげないんだから!




どんだけ遅刻してるねんって話ですが、ようやく終了です。
一ヶ月ほど遅れましたが、まあそういうこともありますよね(白目)。
書いてて大変でしたが、終わってみれば清々しい。
これで本編の執筆が、ようやくスッキリと出来るというものです。
番外編ばっかり書いてて後ろめたいってのもありましたしね!
終わりよければすべてよし、けだし名言ですね!

上海と蓬莱、また動かせる機会がくれば良いですねぇ……。

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