ペンギンのおもちゃ箱   作:ペンギン3

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私達は何時も一緒だった。
子供の時から、まるでレールの上を歩く様に。
繋いだ手は離さずに、ギュッと握り締めたまま。
ささやかな日常を積み上げて、繰り返して。
――そうして今、もう私達は大学生になっていた。


※何時もの如くなろうに掲載した作品です


愛してるって言えない女の子のお話(オリジナル)

 これはそう、私が小さな時のお話。

 まだ台所の流し台にも背が届かなくて、そこに立っていたお母さんの背中が、とても大きく大きく思えていたあの頃。

 ――私には、一人の友人がいた。

 

「ねぇ、優香。

 将来、貴方はどんな大人になりたい?」

 

 夕日が燦々輝く公園。

 スカートで鉄棒に腰掛けている少女と、その隣の地面に座り込んでいる私。

 綺麗な黒の長髪をたなびかせてる彼女から見下ろされる形で、私達は話をしていた。

 

「どうしてそんな話をするの、梨花?」

 

「別に大した事じゃないの。

 ただ、ちょっと、ね」

 

 どこか低い声で、夕焼けに目を細めながら彼女は呟く。

 夕焼けの影が彼女を曇らせている。

 でなければ、いつも飄々としている彼女が、こんなにも寂しげな表情をしているはずがない。

 だから、それを打ち消すように、私は出来るだけ明るい声を出した。

 悪い憶測だから吹き飛ばしちゃえ、なんて思いながら。

 

「私はね、将来はそうね……お嫁さんなんてどうかな?」

 

 暗い感じがするなら、明るい話題で吹き飛ばしてしまえ。

 そんな単純な理論で、私はとっても空っぽな空想を脳内に広がるキャンパスへと描いていく。

 

 ――私の隣にいる人は、とっても格好が良い人で、お父さんやお母さんみたいに優しい素敵な人!

 ――一緒にいる私は、とっても幸せで、嬉しい夢を見ているかの様な結婚生活を過ごすの!

 

 どこまでも空虚さと、子供っぽさで溢れている七色の世界。

 子供ならではの色彩で、私ってホントバカを地で行っている。

 でも、これなら文句なく容赦なく明るい話題ね、とニコニコしていたのも事実だ。

 

「……そう、結婚、ね」

 

 けど、私の期待に反して、梨花は更に表情を曇らせて。

 どうして? と梨花の心が分からないという事象が、唯々私を混乱させた。

 その時に、梨花は言ったのだ。

 とても簡単なようで、その実中々に難しいような事を。

 

「ずっと一緒にいるって、どうすればできると思う、優香」

 

「ずっと一緒に?」

 

 オウムのように尋ねれば、ウンと頷き返される。

 どうしてそんな事を聞いてきたのかとか、そういう事には一切頭は回らなかった。

 ただ、どうしたら一緒にいられるんだろうな、と影が濃くなっている梨花の顔を見て、必死に考えたのだ。

 もう、太陽のせいなんて言い訳、使えなかったから。

 

「……結婚する、とか?」

 

「そんな事しても、一緒に居られなくなるわ」

 

 考えてから、さっきの空想を例えに出すが、文字通り夢見事で切って捨てられる。

 しかも梨花は、ちょっと怒って拗ねて顔になってきているから慌ててしまう。

 そんなつもりじゃなかったのに、と次の言葉を必死に考えて。

 私だったら、と課程を置いて想像する。

 もし私が、ずっと一緒にいたい人を考えるなら、それは……。

 

「好きな人と、ずっと一緒にいたいかなぁ」

 

「――また、結婚の話?」

 

 ちょっと怒ったから、静かな怒りへと変化しつつある。

 わわわ! と慌ただしく言葉を付け足したのは、やっぱり怖かったから。

 でも、正しく言葉を伝えたいって気持ちは、勿論存在していたのだ。

 

「どっちも、両方だよ!

 らぶとらいく、その両方!」

 

 漫画で見た知識をひけらかしながら、私は堰を切ったように語る。

 自分の思っていること、感じていること、伝えたいことを。

 

「私、考えたんだけどね。

 きっと人を好きでい続けたりするのは、それなりに努力が必要なの。

 好きでいても、嫌われることばっかりやってると、嫌われちゃうって思う。

 友達でも、好きな人でも、きっとそう」

 

 どうかな、と伺いを立てるように、そっと上を見上げる私。

 するとそこには、虚をつかれた表情をしている梨花の姿が。

 鳩が豆鉄砲、なんてすごく上手な言い回し、なんて間抜けな事を私は思って。

 恐らく私はトボけた顔を晒していて、そんな私を見て、梨花は感心したように言ったのだ。

 

「確かに、そう。

 努力が、必要だった」

 

 優香は賢いね、とシミジミ呟く梨花。

 直接そんな事を言われると、面映くて仕方なくて。

 つい、顔を横にぷいっと逸らしてしまう。

 

 そんな私を見て、梨花は更に質問を重ねてきた。

 多分だけれど、答えるのに正解した私に対する、更なる出題だったのだろう。

 

「だったら、どうやったらお互いに好きで居続けられる?」

 

 尋ねられたのは、答えに対する方法論。

 魚をやるな、釣り方を教えろということ。

 

「えっと、それは……」

 

 思わず、答えに窮してしまったのは仕方ないだろう。

 答えなんて、持ち合わせてなんていないのだから。

 元から無いものは、いくら探しても見つかるはずはない。

 自明の理で、ごく当たり前の前提。

 でも、私はさっき答えることができて嬉しくて、賢いね、と言われて自尊心を擽られていた。

 ……要するに、梨花に対して、良い格好がしたかったのだ。

 

「優香」

 

「ちょっと待って、すぐに答えるから!」

 

 脳みそをミキサーにかけるが如く、思考をフルに活用して考える。

 見つけろ! 見つけられない? だったら作れ!!

 大体そんな感じで、私は答えを探して、考えて、そして……。

 

「す、好きって、直接言葉で伝えることが大事なんじゃないかって、私は思うな」

 

 結局、出てきたのは在り来たりそのものな、つまらない回答。

 勢いで口にしてから、やっちゃった、と冷や汗が背を流れていく。

 どうしようと、まるで家の家財を壊してしまったかの様に戸惑って。

 慌てて、焦って、困って、あわあわと混沌が頭を支配して行く中で……。

 

「そう、優香はそう思うのね」

 

 梨花の声が頭上から降ってきた。

 声の質はさっきと変わらないけど、顔を上げたらダメな娘みたいな目で見られていたらどうしよう。

 もしそうだったら、私はショックで逃げちゃうかもしれない。

 そう考えて、思索の迷路に陥ってしまうと、それは抜けられない出口のない迷路そのもので。

 悪いことばっかりが、頭の脳裏を過ぎ去っていく。

 そうして……、

 

「優香」

 

 もう一度、名前を呼ばれて。

 戦々恐々として、顔、上げたくないなぁ、なんて思いながら、それでもゆっくりと顔を上げれば、そこには……。

 

「好きよ、優香」

 

 何時の間にか鉄棒を降りていて、すごく間近に梨花の顔が近づいていたのだ。

 驚いて、息が出来ずに、私はただ魅入られるように彼女の顔を覗き込んで。

 そうして、無言の時が訪れそうになった寸前で、梨花はもう一つばかり質問をしてきたのだ。

 

「それで、優香は?」

 

 あなたはどう?

 その質問は地面に染み込む水くらいに、私の中に沈んでいって。

 恥ずかしいやら何やらで、言葉に詰まってしまう。

 

 けど、それは梨花のお気に召さなかったようで。

 ちょっと怒ったように、こう問い質してきたのだ。

 

「私のこと、嫌い?」

 

 陰の籠った声、嘘付いたらタダじゃ置かないという、恐ろしい気迫を感じずにはいられない。

 なので、わたしは慌てて首を横に振る、振りまくる。

 すると少しだけ表情を和らげて、けれども険しい顔のまま、梨花は言葉を続けたのだ。

 

「じゃあ、好きなの?」

 

 見事なまでの二元論。

 退路などない、そう告げるかの様な選択の強要。

 勿論逃げる事なんてしない、したいとも思わない。

 でも、何故だか声が出なくて。

 私は答えるようにコクコクと何ども首を、今度は縦へと振り続けた。

 すると、すごく近くで、息さえ感じてしまえる距離にいた梨花は、ようやく一歩交代して。

 

「嘘じゃ、無いわよね?」

 

 不安そうに、そう一言、震える声で尋ねて来た。

 あれだけ迫力があったのに、一歩下がれば不安な顔で。

 もぅ、梨花ったらしょうがないな、と思った時には、既に声は出るようになっていた。

 

「好きよ、当たり前でしょう?」

 

 友達としての好き。

 ずっとずっと一緒にいていた、幼馴染への本音。

 

「……最初からそう言いなさい、このおバカ」

 

「ごめんね」

 

 二人して顔を合わせて、安心したように笑顔を浮かべる。

 なんで私たち、こんな事してたんだろう、とバカバカしささえ覚えていたのだ。

 

「優香、帰りましょ」

 

 けど、そのバカバカしいことで満足したのか、梨花は座り込んでいた私にそう言って、夕日をバックに手を差し伸べて。

 私は、その手を躊躇なく取る。

 ――彼女の手は、柔らかかったけれど、少し汗ばんでいた。

 

「緊張してたの?」

 

「すぐに好きって言って欲しかったわ」

 

「ごめんね」

 

「謝れば許して貰えると思うの?」

 

「梨花なら、許してくれる」

 

「この、甘えん坊」

 

「うん!」

 

 二人で影法師を揺らめかせながら、私達は帰路につく。

 幼き頃の、ささやかな思い出。

 沢山ある中の、日常の一ページに過ぎない夕暮れの日の記憶。

 けれども記憶に残っていたのは、この日以来、梨花にとある癖ができたから。

 

 でも、それがある事の前兆であるというのは、この時の私には想像が付かないことで。

 後になって思い返せば、これは梨花の答えを出す為の問答だったんだって、そう信じれる。

 ――そう、一ヶ月後のある日のこと、梨花の家の両親は離婚をしたのだ。

 

 別れるということは、梨花はどちらかについていくという事で。

 彼女の選択は、この街へと残れる方に付くというものだった。

 その理由は、口に出すのは恥ずかしくて、そして語ることではないのもので。

 すごくすごく嬉しい言葉で、彼女はここに残ってくれたのだ。

 その時から、私と梨花は幼馴染で、親友でもあり――そして、好きって言い合う、少しおかしな関係になったのだった。

 

 

 

 そうして、時は流れていく。

 時の流れはゆったりとしていて、けれども色褪せる事なく脈々と流れ続けている。

 今から未来へ、振り返れば一年なんてあっという間。

 それが十数年でも、振り返るだけならば一瞬で。

 思い出は積もりに積もり、重石となって私という人格を構成していく。

 そしてそれは、二人の関係性とも同様で。

 大学生になっても、私達は共にいた。

 まぁ、その中身については、年月と共に変わってしまったところもあるのだけれど。

 

 ――そう、例えばそれは、こんな朝の出来事。

 

 規則正しい音が断続的に続いている。

 トントントンと一定のリズムで、朝の寝ぼけ眼な微睡みに心地の良いリズムを、2LDKのマンション内に届けていた。

 その音の震源は、お葱の刻まれる音。

 お味噌汁の具材、お揚げとお葱の一般家庭で提供される、ごくごく普通の代わりないもの。

 切り終わってすぐに、私はそれらの具材をお味噌汁の中に入れて。

 それを、私はフンフンと鼻歌を歌いながら作っていた。

 

 お母さんも、昔はこんな気持ちだったのかな、なんて考えると感慨深い。

 今日は昔の夢を見たから、私の手が台所へと届くようになっているのも、何だか不思議な気分。

 浦島太郎とはまた違うけれど、心境的に似ているかもしれない。

 擬似時間旅行ね、なんておふざけで考えながら、私はお味噌汁の味を確かめる。

 小皿に掬ったお汁を少し啜ると、ちょっと濃い目の味がした。

 あの娘が好きな、ちょっと田舎っぽい味付け。

 それに満足して、私は良しっと呟くと、お鍋の火を止めた。

 

「ん、丁度いい時間」

 

 台所の掛けてある丸くて白い時計を見れば、時刻は現在七時十分。

 朝ごはんを食べるに、丁度健全な時間帯。

 あとは起こして、そして一緒にご飯を食べるだけだと、朝の用意から解放される喜びを覚えながら、私は台所を後にする。

 

 向かうはある洋室、彼女がいる場所。

 部屋の前にたどり着くと、ノックをする事もなく扉を開ける。

 幸いな事に鍵はそもそも無いので、篭城される事もない。

 なので容赦なく扉を開ければ、そこにはベッドの上でシーツを蹴飛ばしてしまっている困ったさんで、他の人にはとても見せられる状態ではない女の子の姿。

 もぅ、と溜息を吐くのは、既に毎日の日課。

 なので何時も通りに彼女に近づいて行って、そしてその目の前に立つと、ゆっくりと彼女をユサユサと揺らす。

 そして何時も通りの謳い文句で、彼女に朝の訪れを告げたのだ。

 

「ほら、朝よ梨花。

 今日は良い天気、気持ちよく起きられる日よ」

 

「ん、春眠暁を覚えずぅ」

 

「もう五月よ」

 

「冬眠があるんだから、春眠だってあればいいのよぉ」

 

「寝言は寝て言うものよ」

 

「だったら寝るぅ」

 

「ほら、馬鹿言ってないで、さっさと起きなさい!」

 

 ちょっと揺さぶる勢いを強めると、今度は鬱陶しそうな、んー、という呻き声を発して。

 あともう一息、というところで、私は急に大勢を崩す事となった。

 なぜ? と聞かれれば、理由は簡単と答える。

 その答えは、私の掴まれた右手にあったから。

 

「何するの」

 

「起きたくない、やぁなの」

 

「こら引っ付くな! 甘えん坊!」

 

「それはそっちの方」

 

「どの口で言うか」

 

 まるで映画に出てくる怖いモンスターのように、海底に引き摺るがごとくベッドに人力で誘う梨花。

 そんな力が出せるならさっさと起きればいいのに、と思ってしまう。

 が、顔を見てみれば、トロンと垂れていて。

 全く、と溜息を吐いてしまったのは仕方ない事だろう。

 

「あと、十分だけね」

 

 それだけ言うと立ち上がろうとするが、それは出来なかった。

 何故かといえば、梨花が私の手を掴んだままだから。

 

「何?」

 

 尋ねれば、寝ぼけ眼のままで梨花は言う。

 淡く、蕩けるような甘えた口調で。

 

「一緒に、寝よ?」

 

 言った言葉はそれだけで、でも私の手は意地でも離そうとしなくて。

 本当に、しょうがない娘だなって、私は思うしか無くなっていた。

 

「分かったわよ」

 

「フフ、だから大好きだよ」

 

「はいはい、私も好きよ、梨花」

 

「むぅ、そこは大好きって」

 

「……大、好き」

 

 好きは自然に言えるけれど、大好きと言う時は顔が赤くなってしまう。

 たった一文字付け足すだけなのに、なんてファンタジーか。

 不思議な言葉の魔力、お陰で私は今日も赤い。

 

「ん、じゃあ、お休み」

 

「十分だけね」

 

 言うや否や、梨花はギュッと私に抱きついてくる。

 まるで大きな子供ね、と感じてしまったのも、手間が掛かり過ぎているからか。 

 でも、手間が大きく掛かる娘ほど、可愛く見えるというのは本当らしい。

 何だかんだで、梨花はとっても可愛いのだと、私は思ってしまっているのだから。

 だから、彼女の長い黒髪の甘い匂いに埋もれながら、私もちょっとだけ目を閉じる。

 ……梨花の香りに、ちょっとだけ胸がキュンとしてしまったのは、私だけの公然の秘密。

 

 …………

 ………

 ……

 …

 

「ね、寝過ごしたぁ!!!」

 

 マンションの中に、声が響く。

 無論、響き渡っているのは私の声だ。

 ここまで、ある意味でお約束だったとしたら、すごく嫌な話である。

 一方の梨花といえば、至ってマイペースそのものなのだから、理不尽を感じざるを得ない。

 

「急いで、梨花!」

 

「ん、寝癖整えるの手伝って」

 

「もぅ!」

 

「それ、口癖になったんだ」

 

「誰のせい?」

 

「私のお陰」

 

 ほざきなさいな、と悪態を付きながら、彼女の髪にブラシを掛けていく。

 朝ごはん、ちゃんと食べてでないとね、なんて言っている彼女に、だったら早起きしてよ、と返してしまったのは、憤りからくるもので。

 学生の朝には、優先順位があるの、なんて嘯く彼女に溜息を吐かずにいられるだろうか? いやいられない!

 

「あ、それから」

 

「今度は何!」

 

 勢いよく訪ね返せば、梨花はごくごく普通のトーンで、何時もの変わらぬ言葉を発する。

 

「おはよ、優香」

 

「ん、おはよう、梨花」

 

 朝の中の、慌ただしい時間の中での日常。

 大学生活、ルームシェアを行っている私達二人の、変わらない毎日。

 昔から変わった事といえば、飄々として強気だった梨花は、私に対してとってもダメな甘えん坊になってしまっていた事。

 つられて私も、やたらと世話焼きをしてしまうタチになってしまったのだ。

 友人達曰く、私は梨花のお母さんだそうで。

 ……本当、解せない。

 

 

 

 時が経てば、変わるものは幾らでもある。

 変わらないものの方が、ほんのひと握り。

 だから、私はこう思うのだ。

 

 変わらないものは、きっと大事に守られてきたのだ。

 変えられなかったものとは、また別のもの。

 居心地がよくて、変えたくなくて、その場所を私は陽だまりと定義したのだろう。

 曇ることも、雨が降ることもままあった。

 けれども、最後には何時も陽だまりがその場の主で。

 私は、梨花と共に、ずっとそこで微睡んでいた。

 

 

 

 平日、月曜一限目からの授業は強烈に気だるい場合が多い。

 生活習慣がーとか、睡眠時間がーと言われる事もあるが、それは違う。

 単純に気持ちの問題、しかも今日は遅刻寸前の猛ダッシュ連打であったのだから、更にそう感じてしまうものがある。

 

 休みから一転、勉学と通学の義務を負わされるというのは些かに気だるい。

 故に月曜一限目は、周りを見てみれば死んだ目でノートを取っている人達が大半。

 中には突っ伏して、休みの続きを文字通り夢見ようとしている人達までいる。

 なんでこうなってしまったのかといえば、恐らくは皆が学校というものの授業が負担に感じているからだろう。

 大学に行くのは、勉強のためでなくてモラトリアルの為、と平然と公言する輩がいるのだ。

 授業を受けるにしても、真面目不真面目に別れるのはある意味で必然か。

 まぁ、だからこそ昼食時には、皆が開放感を感じずにはいられないのだろうが。

 

 それはさて置き、私もそんな鬱屈した学生の一人。

 勉強だーい好き! なんて特異な人達は、偏見ではあるが大学院に行く人達であろう。

 だからこそ、二限終わりの鐘の音には、感謝の念を抱かずにはいられない。

 私の場合、お昼時は大抵梨花と共に過ごしている。

 そんな私と梨花のたまり場、それは学食であることが殆どであった。

 

 大学のお昼時の学食、それは席の取り合いから始まるバトルロワイヤル……などという展開はないが、それでも人が多いことに変わりはない。

 中には、大学外の美味しいお店を開拓したりする人物がいるほどに、人が溜まっているのだ。

 お弁当を持ってきてたりする人はお外で友達と食べていたりするが、それをしない不精者もそこそこで。

 私達も、その面倒くさがりの内の一人だったりする。

 因みにどうでも良い話ではあるが、学食はマシなものとそうでないものの二択に食べ物は分けられる。

 

「学食のおうどんって美味しいわよね」

 

「他の物と比較してね。

 おうどんの中ではしたの方」

 

「七味唐辛子って偉大だわ」

 

「鷹の爪でも飲んでいなさい」

 

「普段は、優香の爪の垢を飲めって言われてるけど」

 

「じっと見ないで、気持ち悪いから」

 

 酷いわ、なんて言いながら梨花はチュルチュルとうどんを啜る。

 ても仕方がない、ツッコミがないボケほど面白くないものはないのだから。

 様式美と言うやつだろう。

 

「そんなことよりも」

 

「何よ?」

 

「放課後、何か用事ある?」

 

 梨花の目を見ると、無いって言えと訴えていた。

 時折、彼女は節を曲げろと我が儘を言う時がある。

 今がその時かと言われれば、どうだか怪しいところだけど。

 幸か不幸か、私は三限目以降は丁度空いている。

 

「三限目以降ならね」

 

「なら、新しい喫茶店が出来たのだけれど……」

 

 そこで言葉を梨花は区切ったが、言うまでもなく一緒に行きましょうと言っている。

 それを横目に、さて、と少し考える。

 私は三限後は暇である、間違いはない。

 では行きたいか、と聞かれれば、答えはどちらでも良い。

 これは別に、どうでも良い、という投げ遣りな回答ではない。

 敢えて言うならば、梨花が行きたいかどうかの杓子だ。

 私の意志を押すときもあるが、普段は梨花の波に乗る。

 彼女がいくなら、私も行くという追随型の判断。

 だったら、答えは必然的に一つになる。

 

「良いわ、行きましょう」

 

「ん、約束。

 三限目終了次第、急いでこの場所に集合で」

 

「急いで?」

 

「可及的速やかに」

 

 フフ、と笑っている梨花は、些かに楽しげで。

 楽しみにしているの、と暗に言いたいのがヒシヒシと伝わってくる。

 昔はもう少し照れ隠しの様に誤魔化していたのに、素直になったのは成長か退化か。

 

「優香、何か言った?」

 

「ううん、そろそろ授業が始まるなって思っただけ」

 

 時間を見れば、既に授業会四十分前を切っていた。

 無駄話も、時間を消費するのはあっという間といったところか。

 

「じゃ、後でね」

 

「遅れてきたら、優香の全額奢りよ」

 

 バカおっしゃいな、それだけ言い捨てて私と梨花は食堂から退散する。

 受講する授業によって建物が違うというのは、些か以上に面倒くさい。

 尤も、それだけ設備も充実している、ということなのだろうが。

 さて、と億劫げに私は三限目の教室を目指す。

 ……睡魔との戦いになりそうな、かなり眠たい授業であったから。

 精々寝顔を晒さないように精一杯に耐えるしかないのが、この授業の些かの難点であった。

 

 けれど、半ば先生のノートを取る価値もない言葉の羅列を聞き流していると、いつの間にかチャイムが鳴って。

 寝落ちはせずに済んだ事に安堵感を覚えつつ、私はゆらりと立ち上がる。

 女子の面目を保てて何よりと考えながら、やや重たげな頭を揉みほぐして、私はその場を退散する。

 授業の内容はつまらないが、出席さえしていれば単位が貰えるという救済科目であるが故の選択であったから仕方がない、と自分に言い聞かせるのが日課。

 寝落ちしないのは、女の意地とプライドとかいうものだ。

 だからもし女子が授業中に寝ているのを見かけても、そっとしておいてあげるのが礼儀というもの。

 

 などなどと良く分からないモノローグを垂れ流して眠気を追いやり、小走りで食堂まで向かう。

 あまり遅くなると、痺れを切らした梨花が面倒な事になって敵わないから。

 そういう訳で食堂に入ると、すぐさま梨花を見つけることができて。

 駆け寄ると、早速第一声が飛んでくる。

 

「遅い」

 

「待ったの?」

 

「今来たところ」

 

 茶番だ、と溜息を吐きつつ、私は彼女の顔を覗く。

 見たところ、テンションが高くなって、ちょっと言動がおかしくなってるといったところか。

 そんなに喫茶店が楽しみなのか、と言えばそうでもない。

 むしろ、梨花はお出かけする時なら大体何時もこんな感じ。

 ……子供時代に出かけられる事なんて、殆どなかったから。

 

「そんな事よりも!」

 

「何よりも?」

 

 楽しげに言う梨花に、私はとりあえず聞き返す。

 すると梨花は、言葉じゃなくて右手を差し出してきて。

 要するに、手を繋いで行こうということなのだろう。

 既視感を覚えるほどに、昔からあったパターン。

 差し出す人物の顔は、成長と共に変わっていったが、それでもその表情までは変わっていなくて。

 精々、不敵だった笑みが柔和になった程度。

 

「ん」

 

 その手を、私はしっかりと握る。

 離してしまうことはあったけれど、何度も繋ぎ直したその右手を。

 

「だから優香、大好き」

 

「はいはい、私も好き好き」

 

 梨花がズケズケというから、私は適当に返事をして。

 でも、それだけで満足できたのだろう。

 梨花は言葉を発さず、そのまま歩き出した。

 私も、それに手を引かれながら歩を進めて。

 何度も繰り返された光景が、また重なって。

 ずっとずっと続くのね、何て私はボンヤリと考えていた。

 

 

 

 子供だけ、大人の介在しない世界。

 無限に世界が広がっているように子供は夢想するけれど、その実手が届くのは一部だけ。

 近くの公園、通っている学校、シンとしてる図書館。

 子供の世界は無限であるが、行動範囲は有限で。

 駅前に子供だけで行ったら、きっとそれは別世界。

 子供と大人の違い、分かりやすい点で言うならば視点の違い。

 倫理観、観念、財力、全て子供には手に余るもの。

 大人にだって手に余ることがあるのだから、とてもじゃないが子供にはどうしようもなくて。

 それが片親で、遊んでもらえる暇をもらえない梨花ならば、普通の子よりも更に世界が小さくなってしまったのは必然で。

 空いた空白の分を、なるべくして私は梨花の世界の一部となっていた。

 

 

 

 ところ変わって、時計の針が進めば歩も進む。

 時間にして約十五分、それが大学から喫茶店にまで必要とした時間。

 駅前であることからして、そこまで距離はなかったけれど、必要時間の過半は話しながらの行軍だったことに挙げられる。

 まぁ、だからなんだ、という話だけれど。

 

「懐古的な店ね」

 

 梨花が、一言目で断定する。

 私もその外見と内装を見て、あぁ、確かにと同意した。

 丸いテーブルにカウンター席、店を照らす照明の光は鈍い。

 店内のものには、おおよそ木が使われているのだから、思わずノスタルジーを感じずにはいられない。

 探せば日本中に、それこそこの周辺にだって同じような建物はあるのだろうけど。

 ここは、新しい癖に古っぽいというのが、何だかツボな店だったのだ。

 

「大正喫茶?」

 

「だったら和風のメイドさんがいるはずよ」

 

「女給さんのことね」

 

 無論、そんなものは居やしない。

 居たら居たで、それこそ現代に迷いでたかと驚くだろうが。

 お水を運んで来てくれたウェイトレスさんは、ロングスカートにエプロンという、ちょっと意識してくれていた格好だった。

 

「イチゴパフェで」

 

 梨花は何時の間にか注文を見ていたのか、あっという間に告げていて。

 私がちょっと焦っていると、彼女は追加であっさりと告げてしまう。

 

「あと、この子にはチョコレートパフェを」

 

 承りました、と注文を復唱してからウェイトレスさんはそのまま厨房に行ってしまって。

 ジトッとした目で梨花を睨めば、彼女はこんな事をのたまった。

 

「あ、半分こずつ、分け合うからね」

 

「両方共、自分が食べたいだけのくせに」

 

「当たり、流石は優香」

 

 ぬけぬけという。

 笑っている辺り、自覚しているであろう事が更に腹立たしい。

 けども、今更どうこう言ったって始まらないのは確かで。

 

「出来るだけ多く、略奪してあげるわ」

 

「あくまで半分こ、なのよ」

 

 釘を刺してくる梨花に分かってると返して、冷えた水を口に含む。

 歩いて乾いていた喉を癒してくれるようで、少しホッとできた。

 こういう時に飲む水が、一番美味しく感じる。

 心と喉に潤いを、何て言うとちょっとCMっぽく聞こえるか。

 

「それでだけれど」

 

「何?」

 

 待ってる間の時間、少し気になった事を尋ねる。

 どうして、と単純に少し疑問に思ったことを。

 

「目新しいから、という理由は分かる。

 でも、それだけで梨花がこの喫茶店を選んだとは思えないの。

 どうしてわざわざここに?」

 

 梨花は、こう言っては何だが、出かける際は石橋を叩くタイプだ。

 小学生の時はお小遣いなんて貰えてなくて、何時も私の家に遊びに来ていた。

 敏い子供だったから、親に迷惑なんて掛けられないという自意識があったのもその原因。

 お陰で、大人になった梨花は、ちょっと貧乏性になっていたのである。

 だからこそ、出来立てホヤホヤの喫茶店なんて、評判がはっきりするまで寄り付かないと思っていたのだけれど……。

 

「そうね、理由ならあるわ」

 

「理由があるなら教えて貰いたいわね、是非とも」

 

 ちょっと自信アリげ、というよりはフフンといった感じのドヤ顔。

 見ていると、頬っぺたをムニュッと摘みたくなる衝動に襲われる。

 

「何で手をワキワキさせてるの?」

 

「……衝動?」

 

「意味が分からないわ」

 

 思わず手に出てたようで、梨花からジトッとっとした目で見られる。

 コホンと咳払いを一つして、私は、で? と続きを急かす。

 すると梨花は私の手に警戒を払いながらも、その理由を話し始めた。

 

「簡単に言えばね、この店は開店セレモニーの真っ只中だからよ」

 

 全品30%引きなの、と笑顔で言う梨花は正に何時もの通りで。

 何ら深遠な理由なんて一つもなかった事に、ある意味で溜息でも吐きそうになる。

 が、何故か梨花は意味深な笑みを覗かせたままで。

 

「隠し事?」

 

「ううん、お楽しみなだけ」

 

「何がよ」

 

「周り、よく見なさい」

 

 言われて、周囲を見渡す。

 が、目に入ってきたのは、至って普通の喫茶店の風景。

 椅子やカウンターに座った客が、楽しげに談笑していたりするだけ。

 敢えて指摘をするならば、大体が二人組のペアで来ている。

 それも、男女のだ。

 

「――分かった?」

 

 意地悪げな梨花の顔。

 何時から鏡よ、鏡と歌いだしそうなタチに変身したのだ、と睨みつけたくなる。

 けど、そんな事よりも私の中で、一つの答えが導かれていた。

 即ち、今この場にいる大半が……俗に言うところのカップルだということが。

 

「だから何なのよ」

 

 私達には関係ない。

 そう切って捨てられる案件。

 だけれど、梨花はそれで終わらせる気なんてサラサラなくて。

 

「薄々感づいてると思うけど、カップルだと今日は半額になるの」

 

「そう、悪趣味なサービスね」

 

「うん、全く同感よ」

 

 開店初日から客を威圧してどうする、と言いたいが、喫茶店からすれば一人より二人で来てくれる客を歓迎したいのか。

 どうせなら複数人でのご来店で、と謳っておけば良いものを。

 と、愚痴混じりに考えていた私に、梨花はサラリと告げた。

 爆弾的発言、思わず耳を患ったかと思わせられる事を。

 

「お陰で、私と優香が恋人としてこの店に来たことになるものね」

 

「?」

 

 首を傾げる、何を言ってるんだ的な意味合いで。

 斜め四十五度、綺麗に首が傾いた私に対して、梨花はもう一度言う。

 現実を突きつける、というよりかは擦り込むように。

 

「私と優香、恋人、レズっぷる、OK?」

 

「……本当にOKと答えると思ってるの?」

 

 馬鹿か貴様は。

 そんなニュアンス全開に聞けば、梨花は迷いもなく頷いて。

 ダメだ、本当にダメなやつだ、と脳裏にチクチクと痛みが走る。

 頭痛が痛い、何ておかしな日本語が浮かぶくらいの痛さだ。

 

「何でそんなところで惚けるの」

 

「優香は何時だって私の味方。

 なので今回も、私の味方。

 私の味方は優香で、優香の味方は私なの」

 

 お分かり? 何て言ってくるが、今回のは上手いこと出汁に使われてるだけではないか。

 そもそも、そこまでして値切ろうとする気力は私にはない。

 店側に、私たちレズっ子、ズットモだよ、合わせてレズっとも! 何て言えるわけがない、馬鹿ではないのだろうか。

 そう思って私は思考を振り払い、梨花にガンつけようとする。

 

「お待たせしました、ご注文のいちごパフェとチョコレートパフェで御座います」

 

「ありがとう、ところで私達レズなのだけれど、カップル割りは使える?」

 

「え、は? ……しょ、少々お待ちください!」

 

 しかし手遅れだったようだ。

 おのれどうしてくれるのだ! とギロっとした目を梨花に向けるが、既にいちごパフェに取り掛かってしまっている彼女には届くはずもなくて。

 

「フフ、良い感じに甘酸っぱいわね。

 優香も食べたら?」

 

 はい、とパフェを一口掬ったスプーンを、こちらに差し出して来た梨花。

 浮かぶ表情は天真爛漫、実に満喫しているといえよう。

 

「……二度と、この店にはこれなくなったじゃない」

 

 ハムッ、と差し出されたスプーンを口に含む。

 クリームの甘さと、染み出したいちごの酸味が良い塩梅となって舌を刺激する。

 ここにはもう来れないのね、何て思うととても惜しくなる味であった。

 

「梨花の、バカ」

 

「ご挨拶ね、ところで優香」

 

「なによ」

 

「等価交換って言葉、知ってる?」

 

 そう言って、梨花は自分のスプーンで私のチョコレートパフェのグラスを鳴らす。

 行儀が悪いと人差し指でペチりと梨花の手の甲を叩き、そうしてパフェを一掬い。

 

「一回だけだから」

 

「だから優香って大好き」

 

「そのセリフは聞いた、あと私もよ」

 

 とってつけたような物言い、と不満そうな梨花に、私は問答無用でスプーンを突っ込む。

 スプーンを口に含んだ梨花はニュルんとスプーンを舐めきって、そうして言う。

 

「とっても甘い、素敵な味だわ」

 

 あまりに笑顔で、無粋なことが言いづらくなる。

 頬が緩んで、素の、とっても純粋な笑顔だったから。

 

「お菓子は、女の子にとっての魔法、ね」

 

「何のフレーズかしら?」

 

「漫画」

 

 それだけ告げると、私も自分のパフェを一口掬う。

 口に運んだら、蕩けるような味がした。

 

「……甘い」

 

「それ、私の味よ」

 

「っ最悪!」

 

 ニュルンと私のスプーンを舐めていたさっきの梨花が脳裏に浮かび、悶絶一歩手前になる。

 よりによってなんて事を言うのだろう、このポンコツは。

 怨嗟を込めて睨む私、私達に、そっと声が掛けられる。

 それは、さっき確かめに行ってくれていた女の子だった。

 

「あの、確認取れました」

 

 気まずそうに、だけれども興味深そうに私達を見る彼女。

 絶句してしまう私に、梨花は何事もなかったかのように平然と尋ね始める。

 この肝の太さだけは、常人よりも圧倒的なものがあるのだろう。

 

「どうだったかしら?」

 

「はい、ラブラブな様なら、カップル割を、と言われました」

 

 何その適当極まる基準は!

 困惑する私を他所に、梨花は端的に続きを聞く。

 自信有りげに、堂々と。

 

「結果は?」

 

「……お二人共、お幸せに!」

 

 恥ずかしそうにそれだけ言うと、店員の子はエプロンを翻してその場を退散した。

 後に残されたのは、妙に機嫌良さげな梨花と、化かされたかの様に目をぱちくりとさせている私。

 

「どういう、ことなの?」

 

「私と優香、ラブラブなんですって」

 

 然も面白いと言わんばかりの梨花に、返す言葉は一つだけ。

 

「解せないわ」

 

「下世話?」

 

「うるさい!」

 

 もう一掬いしたチョコレートパフェを、梨花の口に捩じ込む。

 これでおとなしくしていろ!

 そんな気持ちを込めての事だったのだけれど、妙に梨花が嬉しそうだったのが、無駄に私に敗北感を募らせる結果だけを残したのだった。

 

 

 

 私達は何時も二人。

 生まれてから、あの公園から、梨花の両親が離婚を決めてから。

 節目はあれど、それは変わらない法則で。

 甘いチョコで世界を塗装し、私達は手を繋ぐ。

 私達意外の人が、私達を見て何を言うか?

 女二人でおかしい? 変だ? ヘンタイ?

 そんな事は聞こえないし、答えもしない。

 だって梨花は私の片割れ、私自身でもあるのだから。

 梨花の世界が私で満ちているように、私の世界も梨花で溢れている。

 世界は全て、チョコに塗れた花園で。

 一輪手折って、口に含むと甘い味。

 私達は、二人でいることで、陽だまりの甘い楽園を保っているから……。

 

 

 

「ねぇ」

 

「ん?」

 

 パフェを大方片付けた時に、急に声を掛けられた。

 何か、と思って振り向けば、そこにはゼミでの同級生である女子の姿。

 一人? と聞けば、彼氏と一緒、今はトイレだけど、とのこと。

 結構なことだ、と僻み半分に思いつつも、私はでは? と彼女に再び尋ねる。

 

「どうしたの、急に」

 

 わざわざ彼氏と来てるのに、私になんか声を掛けなくても。

 そう思っていると、露骨に顔に出ていたのであろう。

 気になって、と彼女は答えて。

 

「貴方達、付き合ってるの?」

 

「ッフェ!?」

 

 しゃっくりにも似た、何か変な悲鳴が飛び出す。

 寄りにも寄って知り合いに聞かれるとは!

 けど、そもそもここは駅前で、大学にも近いんだから当然の帰結といえばそれまで。

 私達の迂闊さ故の失態、困った顔を梨花に向ければ、任せてと言わんばかりに口元にやる気を滲ませて。

 じゃあお願いと目で訴えたら、確かに梨花は頷いた。

 

「もう同棲までしちゃってるわ」

 

「……わぁ」

 

 サラリと梨花が述べた内容に、軽い感じで答えているが明らかに引いている。

 瞬間、私は梨花の首根っこを引っ掴んで後退させ、その代わりに私が言葉を紡ぐ。

 

「違うのそうじゃないの!

 私達は幼馴染で、同棲してるんじゃなくてルームメイト!」

 

「毎朝、優香がご飯を作ってくれて、朝起こしに来てくれるのよ」

 

 うるさい!

 けど振り返ることもできずに、次々と私は言葉を付け足していく。

 

「ご飯だって、梨花のおばさまに頼まれて仕方なくやってるんだから!」

 

「仕方なく、毎日鮭を焼いてくれたり、オムレツ作ってくれたりしてくれてるのよね。

 絶対、昨日の残り物を出すことなんて無いのよ」

 

 うるさい!!

 

「梨花が働かないから!

 第一、そっちは私の事をどう思ってるのよ!!」

 

 私は召使じゃないんだよ!

 そう勢い良く言うが、梨花は我が意を得たりと言わんばかりの凶悪な顔になって。

 

「私の嫁よ」

 

「うるさい!!!」

 

 一々私の怒りに油を注いでくるのだ。

 本当に意地悪、いじめっ子、どうしようもないおバカ。

 そんなに私をおちょくって楽しいのか。

 憤り、不満、恥ずかしさ、色々と入り混じってムカっとしてしまって。

 

「あー、犬もおちおちと拾い食いできないね」

 

 興味津々にからかいに来ていた同級生の子も、呆れ半分、納得半分の様な表情を浮かべて、彼氏が戻ったからと席に帰っていく。

 解せない、納得いかない。

 モヤモヤが胸に溜まるが、それでも彼女を呼び止められなくて。

 むぅ、と唸ってしまうのも、どうしようもない事なのだろう。

 結果、私は胸のわだかまりを解消するのに、攻撃先を求めるのはある意味で必然の流れで。

 

「帰ったらひどいわよ、梨花」

 

「キャア、優香に悪戯されちゃうわぁ」

 

「ヘンタイ!」

 

 おちょくって!

 私は梨花の玩具じゃ無いのよ!!

 

 怒りというか、ムカムカというか。

 何とも形容できない、しかしどこかにぶつけたいという感情が高まっていく。

 家で、散々に詰問してやるという気持ちが高まってしまうのは、当然の流れのごとく必然で。

 ん、と不満たらたらに私が差し出した手を、梨花が握り返してくれるのを、私は帰る合図としたのだった

 

 

 

 ある時、疑問に思ったことがある。

 彼女は私で、私は彼女。

 世界は同じで、私達は一つで。

 そう思って居た私達に、ちょっとだけ水面が揺れる出来事があって。

 ――私達だけの世界には、亀裂が入る。

 

 

 

『優香ちゃん、ちょっと良いかしら?』

 

 小学生の、高学年の時の話。

 ある日のこと、私の家まで、梨花のお母さんが私に話があると言って訪ねて来たのだ。

 柔らかな微笑を浮かべている中に交じる真剣な表情から、幼心ながらに大切な話だと直感して。

 

『おばさん、どうしたの?』

 

 不安の中で聞いた言葉。

 おばさんの口から出たのは、当時の私には受け入れられない事だった。

 

『今度ね、お仕事が理由でおばさん達、引越ししなくちゃいけないの』

 

 聞いた瞬間、ビクリと体が震えた。

 私と梨花はずっと一緒。

 無条件でそう信じれて、ずっと変わらないとさえ思えていた、大事に繋いでいた手。

 けれど、実は簡単に離せてしまうし離れてしまう、そう知ってしまった時、私はどうすれば良かったのか。

 当時、今もだけれど、私はあまり頭が良い方ではなかった。

 なので、どうすれば良いか分からなくて。

 ――出来た事といえば、子供そのものの行動。

 

『……ヤ』

 

『優香ちゃん?』

 

『ヤ、だよ、おばさん』

 

 溢れてくるものが止まらなかった。

 ホロホロと、目から顔を伝っていく。

 しょっぱくて、透明なもの。

 

『私、ずっと梨花と一緒にいたい』

 

『で、でもね、優香ちゃん』

 

 おばさんが必死で何か言っているが、私にはその内容の半分も頭に入ってこない。

 泣いて泣いて、梨花と一緒が良い! 何て訴えて。

 私の言う言葉になんて、そんな意味がないって事は理解してたけど。

 口から止めど無く溢れてきてしまうのだから、どうしようもなかった。

 そうして数十分、喚くだけ喚いた私に、そっとおばさんが私の頭に手を置いて、物言い難い表情で私の頭を撫でて一言、こう言ったのだ。

 

『優香ちゃんも、梨花と同じ事を言うのね』

 

 浮かべる表情は、段々と寂しそうなものに変わって。

 懐かしむような目をして、続ける。

 

『あの時……離婚するのを決めた時も、そうだったわね』

 

 おばさんの言葉に、私はそっと耳を傾ける。

 ある程度騒いで落ち着いたお陰で、心が凪いでいくのが自覚できて。

 今度は落ち着いて、おばさんの言葉を聞けたのだった。

 

『あの時もね、あの子泣いてたのよ。

 優香ちゃんが一緒じゃないと、私はイヤって。

 お陰で私も、あの人……梨花のお父さんも困っちゃったわ』

 

 梨花、私にはお母さんとお父さんじゃなくて、梨花を選んだのよ! と堂々と言っていたのに、泣いていたのか。

 嬉しいような、イケないような、不思議な気持ち。

 嫌じゃないのが、これまた不思議。

 

『地元に残るのは私だから、梨花は私が引き取った。

 でも、今度はそれが巡り巡って、私に回ってきたのね』

 

 本当はね、優香ちゃんに梨花を説得してもらおうって思ってたの。

 そうおばさんは言って、けれども”でも、ダメね”とおばさんは悲しそうな表情のまま笑った。

 私を撫でる手は優しいままで、でも段々と力が抜けていく。

 

『最初は優香ちゃんのお母さんに相談したの。

 そうしたら、最悪、私達の家にホームステイすれば良いって提案してもらっていたのよ。

 迷惑なのと、私が寂しいから、わがまま言ってたの。

 けど、優香ちゃんも、梨花と一緒が良いのよね?』

 

 問われれば、一も二もなく肯定して。

 おばさんは、それに表情は変えず、けれども納得したように頷いた。

 そっと頭を撫でていた手を離して。

 淡くて、溶けてしまいそうな顔で、おばさんはこう言って。

 私は約束を守るよと誓うために、小指をそっと差し出した。

 

『梨花を、お願いね』

 

 指きりげんまん、嘘付いたらハリセンボウのーます、指切った!

 

 終わった後、おばさんが不思議そうな顔をしていた。

 何でかと聞いても、ううん、何でもないの、ハリセンボンね、と何かブツブツ呟いていただけ。

 

 ――そうしてこの日、おばさんと約束したのだ。

 ――梨花の面倒を、ずっと私が見るという事を。

 

 

 

 この日から、私は梨花の世話を積極的に焼き始めて。

 梨花も、私に段々と、元から危なかったのが更に甘えて、甘えん坊になっちゃって。

 けど、これでいいと私は思っている。

 手を繋いでいた隣には梨花がいて、必然的に私達は一つではないという事が分かってしまった。

 けれど、キチンと、だからこそ優香が隣にいるんだって、実感できるようになったのだから。

 手の暖かさ、それをより実感できたのだから。

 

 

 

 住んでいるマンションに返ってきて早々、私達は無言で見つめ合っていた。

 見つめ合っている、というと語弊を招きそうではあるが、それでも梨花は至って普段通りであるからして、睨み合っていたとは言えないのである。

 

「で、何か言うことは?」

 

 結局、飄々としてアイスティーを飲んでいる梨花に、私から口を開いた。

 沈黙に耐え切れなかった、という訳ではなくて、開き直っているかの様な梨花の態度に据えかねたから。

 

「今の優香、まるで意地悪な委員長ね」

 

「最初に意地悪してきたのは誰?」

 

「憎しみの連鎖を断ち切らなきゃ」

 

「自分に都合のいい言説を、適当に言うのをやめなさい」

 

 私に何かをやられたら、今度は目には目を、とか言い出すに決まってる。

 キッと更に睨めば、梨花は揺らりと影のように、私の懐に潜り込んできて。

 

「睨んでばっかりじゃ、シワが増えるわよ」

 

「なっ!?」

 

 ぐにゅりと、私の頬っぺたで遊び始める。

 伸ばしたり、引っ張ったり、つついたり。

 私の頬っぺたは粘土じゃない! と反発してしまうのは、しょうがないことだろう。

 

「遊ばないで!」

 

「なら、キチンと言葉に出して、問題定義を始めなさいな」

 

 小癪な物言い、梨花の意地悪さが明け透けて見える。

 誰が意地悪委員長か、と本当に言い返したくて堪らない。

 が、今言い返しても、ボコボコに言い負かされる未来しか見えないから、今はグッと耐える。

 代わりに、私は喫茶店の事を穿り返した。

 思い出した? と少しの皮肉も交えて。

 

「喫茶店で、わざわざ学校の子に、その、同棲なんて、言わなくても良かったでしょう!」

 

 途中で何とも言えない気持ちになったが、最後の方は大きな声で。

 理不尽にも巫山戯た事を宣ってくれた梨花に、言い訳は? と凄んでみせて。

 ……でも、残念ながら、梨花のメンタリティーは、この程度の事ではビクともしない。

 

「事実じゃない、そこまで否定するのはどうして?」

 

「あの流れでそんなこと言えば、確実にお付き合いしてるってなるでしょう!」

 

 分かっているくせに、こうして私をいたぶるのだ。

 梨花は先天性のいじめっ子、昔からこうであるのだから始末に負えない。

 

「……そう」

 

 けれど、梨花は珍しく反論はしなくて。

 どうにも変だな、と訝しげてしまう。

 そうして、今度は私から顔を覗き込ませて……。

 

 ――だから、それは梨花からの行動で。

 

「毎回、否定される立場になってみなさい」

 

「……え?」

 

 急に、梨花が何を言いだしたのか、分からなかった。

 ただ、ギュッと両手で私の顔を挟み込んで。

 強い力で、逃さないと訴えていた。

 

「何時も、いっつも優香はそう。

 そんなんじゃない、何を言ってるのか分からない、ありえないよそんな事。

 並べる御託は否定ばっかり!」

 

「……私のこと、好きなの?」

 

「そうだけれど、そうじゃないの!

 でも分かって、優香!」

 

 吐き出される言葉は概ね支離滅裂。

 こちらに理解なんてされようとは思っていない、ただ言いたい事を並べているだけ。

 だけれど――分かってしまう。

 他ならない、梨花の事だから。

 

「……もぅ、しょうがないね、梨花は」

 

「っあ」

 

 抱き寄せる、慰めてあげるために。

 私がぐずらせてしまったのだから、責任を取らなきゃと思って。

 

「否定されて、悲しかったんだよね。

 バカね、好きって言ってるのに」

 

「だから、余計にムカムカして、優香の事いじめちゃうんでしょ!」

 

 そういう理屈だったんだ。

 分かれば、ちょっぴり可愛く見える。

 大きくなっても駄々っ子のままな、梨花の素の姿。

 

「そんな事して、好きな男の子が出来れば嫌われちゃうんだから」

 

「優香も、作る気なんてサラサラ無いのに!」

 

 優香も、なんだ。

 梨花め、と思わずにはいられない。

 どれだけ、入れ込んでいるのだと感じさせられてしまうから。

 

「うん、しょうがないね。

 きっと、私も梨花も、ずっとずっと結婚できないタチなんだわ」

 

 寂しくはない。

 だって、理由が理由だから。

 多分明日になれば、素知らぬ顔でおはよう、昨日はお楽しみでしたね、なんて挨拶を交わし合うのだ。

 今はただ、決して口にしてはいけない暗黙の了解が、梨花の中で緩んでいるだけ。

 多分、その一言が言えなくて、切なくて、鬱憤が溜まってしまっているだけだから。

 

「梨花、好きよ、大好き」

 

「都合が良い時だけそんな事言ってっ!!

 ……私も、優香が大好き」

 

 梨花は、好きを超えた言葉を言いたがってる。

 でも、そうすると私達の間は変わってしまって、一緒にいれる関係から、何時崩れるかも分からない楼閣が構成されてしまう。

 だから、私達は日溜まりという名のぬるま湯に浸かり続けて。

 この好きは、何時しかか一緒にいる為のおまじないから、その感情を満たす為の捌け口へと姿を変えていた。

 

「今日は休みましょう。

 後で、晩御飯は一緒に食べましょうね」

 

「……うん」

 

 そうして背中を撫でている内に梨花が落ち着いたから、私はそう言って。

 そっと自分の部屋に戻って、そうして溜息を吐く。

 ずっと一緒、その約束は永遠だと思っているから。

 

 

 

「――多分、一目惚れだったのかなぁ」

 

 部屋に戻って早々の、へたりこんでの誰に対してでもない、私に向けての言い訳。

 それは何が、とかそういう名詞何ていらない、言うまでもない。

 きっと、梨花も私と似たようなものだから。

 ただ、と思う。

 

「両想いでも、難しいのよね」

 

 私達が通じ合っても、社会がそれを許さない。

 理解ある目が増えてきたといっても、偏見が消えることなんて決してない。

 梨花の中にある、離れ離れになるというトラウマも同様だ。

 なので隠して、二人共相手の内が見えているのに言い出せなくて。

 

「でも、ずっと一緒だから」

 

 絆、それは互いにとってリードとなって繋がっているもの。

 頑丈で、鉄の鎖で出来ている代物。

 だから、きっと別れる事なんてない。

 ずっと、ずっと、私も梨花も、互いの事が大好きなのだから。

 

「だから梨花、好きな男の子なんて作らないでよね」

 

 誰もいない部屋で、独りごちる。

 私は我が儘を言われる方だから、たまには許してほしい。

 蓋をしたままだと、ふとした拍子に溢れて止まらなくなっちゃいそうだから。

 

「私は梨花が、大好きです、なんてね」

 

 態と冗談っぽく言って、現実へと意識を引き戻す。

 そうして、さて、と立ち上がる。

 今日も晩御飯の準備があるから。

 扉を開けて、キッチンへと向かう。

 ……すると、そこには。

 

「え?」

 

「優香、手伝うわ」

 

 珍しく、エプロンを着てその場に待機していた梨花の姿。

 どうして? と思っていたら、梨花はこんなことを言って。

 

「一緒にご飯作ってる方が、優香と一緒に居られることに気が付いたの」

 

「へ?」

 

「なんてね、お腹が空いただけよ」

 

 明らかに最初の方が本音だったのに、隠すように梨花は誤魔化して。

 私に引っ付くようにして、彼女は夕飯の準備を始める。

 すごく邪魔で動きづらいけど、私は敢えてどかそうとも思わない。

 梨花も、それを分かっての行動で。

 

 ――こうして、私達は今日も密やかに満たし合う。

 ――我慢している願望を心の奥にしまい、綺麗に取り繕って彼女に寄り添う。

 ――だって、仕方ないもの。

 

「――してる、なんて言えないじゃない」

 

「……優香、何か言った?」

 

「気のせいよ」

 

 そっと梨花の隣に立って、私はご飯の用意をする。

 何時もみたいに、美味しいな、と言ってくれると嬉しい、なんて考えながら。

 

 そんな、私達の日常。

 どこまでも、どこまでも、水平線の向こう側まで続いていくかの様な関係。

 きっと独り身だけれど、でも一人じゃない。

 何時だってそこには、梨花がいるのだから。

 彼女も、私の傍にい続けてくれるって、私は確信しているのだから。

 

 だから、私は優香が大好き。

 これは、唯それだけのお話。




友達と駄弁ってたら、百合書こう百合、オリジナルで! などという意味不明な会話になり、四苦八苦しながら書いたのがこちらになります。
書いてる時に百合ってなんだ、とゲシュタルト崩壊起こしかけてました。
これは受けないだろうなぁ、とかいう割と自分の色が濃い作品でもあると思います。
最近僕に対する風評が”変態!”の一語に集約してきてる気がしますからね。
何とか挽回しようとしてこの作品を執筆しました。
僕、変態じゃないですから(真顔)。

と、さてはて、そろそろ冬木の街の人形師の続きを書かなきゃ(他の小説は後回し気味ですが、そっちも何れ書けたらな、といった感じです)。

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