1話目 そこは見えない湖でした
閉じた目から、光が溢れてくる。
それはお外に光が満ちているから。
そう、ここはお外なのだ。
静かに目を開けると、そこには広い広い湖があったのだ。
「……すごい」
それだけの雄大さがそこには存在していた。
でも、残念なこともある。
それは、湖の周りが霧に満ちていたこと。
お陰で折角の風景も、全体を見渡せない。
それに、こんなにも霧が深いのである。
「こんな所、歩いていたら迷子になっちゃう」
それは困る、非常に困る。
迷子になんてなったら、終生みんなに馬鹿にされちゃう。
それだけは避けないと。
そう思いながらちょっと考えて、そして気付いたことがある。
それは、これからどうすればいいんだろうという困惑。
だって下手に動けば迷子になりそうだし、でも動かないと状況は変わらない。
じゃあ、私はどうすればいいの?
……分かんない。
近くの草むらに、三角座りをする。
そして考えなくては、これからのことを。
私は働きたい、と言って家を出てきた。
今更ノコノコと、見つかりませんでしたと家に帰るのではお話にならない。
だから意地でも、ここから抜け出して働き口を見つけなきゃいけない。
そうするためには?
ここから抜ける方法……自分では思いつかない。
そう、自分では。
「誰か、いませんか~!」
なら他人を頼れば良いのだ。
かっこ悪いけど、でも迷子のままよりは、数段マシだから。
「誰かーっ!」
でも、返事はない。
当たり前だ、こんな所に人がいるわけがなかった。
どうしよう、どうしよう……。
打開策が見当たらない、このままじゃみんなに馬鹿にされる!!
「違うもん、私、違うもん」
こんなはずじゃなかった、どうしていきなりこんな災難に見舞われるのか。
私のかっこいい、新しい生活の幕開けのはずだったのに。
それなのにこの体たらく。
どうして、と思わずにはいられない。
「おかぁさん、私」
言いかけて、やめる。
これじゃあ本当に子供みたいだ。
そんなのはダメだ、私は大人なのだから。
頑張って耐えなきゃ、ダメなんだ。
でも、私一人のままじゃ、きっと耐えられない。
「君、どうしてここに居るの?」
だから他の人の声が聞こえた時、本当に嬉しかった。
勢いよく顔を上げると、そこには可愛らしい緑髪の女の子の姿。
羽が生えているし、きっと妖精なのだろう。
「……迷子なの」
本当は見栄を張ろうかと思った。
でも、助けてもらおうとしているのに、そんなことをしては罰が当たると、そう思ったから。
私は正直に答えていたのだ。
「そっか、どっちから来たのか分かるかな?」
緑の女の子は、嫌な顔をせずに聞いてくれた。
きっと優しい子なのだ、心から良かったと思える。
「違うの、わたし働くためにここに来たの」
「え?」
私がここにいる理由を告げると、彼女はおかしいな、と首を傾げていた。
何か変なことがあったのだろうか。
「ねぇ、君」
そして気付けば、緑の彼女はすごく真面目な顔になっていた。
だから私も、安心してほにゃっとなっていた顔を、キリッとした顔に戻す。
「この場所には、働ける場所なんて一つしかないよ。そこに来たの?」
首を振る、が今の私の顔は、確実に輝いているだろう。
だって、だってっ!
「でもそこでいい、私は働ける場所に来たんだから」
ようやく目的が果たせそうなのだ。
萎びていたワクワクが、水を撒いたかのように再び芽吹き始める。
「でも、他の子に聞いたら、行ったらメイドさんっていうのにされて、いっぱい働かせられちゃうらしいよ?」
「メイドさん!」
思わず声を上げてしまう。
目の前の女の子も、すごく驚いている。
でも、それ程のことなのだ。
だって、メイドさんといえば夢子おねえちゃん!
あのカッコよくて、何でもできるお姉ちゃんと一緒の職業。
考えただけですごくワクワクする。
お姉ちゃんに、すごいでしょって、そう言えるものでもある。
「すぐに案内して」
「え? 本当に良いの?」
吃驚したように聞いてくる緑の子。
でも、迷いなんてあるはずがなかった。
頷くと、彼女は躊躇しながらも、方向を指差す。
「ここをまっすぐ行けば、赤い建物が見えてくるの。
門番さんがいるから、話しかければちゃんと答えてくれるよ」
緑の子が指さした方向、そこは見渡す限りの湖がある先であった。
「この先?」
「うん、そうだよ」
ありがとう、そう言って去れたのなら、多少格好は付いたかもしれない。
でも、困ったことがあった。
どうしてこんな事も練習してなかったのだろうと、そんな後悔も心をよぎる。
まあ、とどの詰まるところ、
「私、空を飛べないの」
「君、どうやってここまで来たの」
情けなく告げた私に、彼女は訳が分からないと、こめかみを抑えていた。
……事故なの、お母さんの大雑把さが招いた。
でも、そんな言い訳は格好悪い。
「色々とあったの」
間違ってはいないけれど、ぼかした回答。
要するに、聞いちゃダメだよ、ということ。
緑の子も、不味いことを訊いてしまったかと、気まずそうに顔を背けて。
「えっと、その……ごめんなさい」
困った顔をして、彼女は謝ってきた。
……それは、非常に、私も困る。
深読みしただろう緑の子。
騙しているようなものだから、胸がジクジクと痛む。
「良いわ、早く行きましょう」
それを半ば誤魔化すように、できるだけ明るい声で彼女に告げる。
あなたは本当に気にしないで。
何にも悪くなんてないんだから。
そんな事を考えていた私。
だけれどその時、バツの悪そうにしていた彼女から、直ぐに返答があったのだ。
「だから、貴女はどうやって湖を渡るの?」
「それは、えっと……」
何も考えずに口から飛び出した言葉。
けど、反射的に言っただけで、何も良案は浮かばない。
だから、結局はそこが問題。
こめかみを人差し指でグリグリしながら、私は考える。
頭の中のおもちゃ箱をひっくり返すようにして、中に何か入ってないかを探るように。
うーん、うーん、と唸って。
そんな私を、緑の子がどこか不安げに見つめている。
――そんな時であった。
「おーい、大ちゃーん!
何してるのぉー」
どこからか、声が響いてくる。
右から? それとも左から?
……いいや、どれも違う。
それは、湖から響いてくる声。
「あ、チルノちゃーん」
緑の子、湖から聞こえてくる声には大ちゃんと呼ばれた彼女。
その大ちゃんが、元気よく手を振っている。
視界が無いに等しい湖で、まるでキチンと場所が分かっているかの様に。
そして彼女が手を振っていた方角から、人影が見え始めた。
湖の上に浮いていて、揺れている姿はまさに妖精という種族に相応しい。
現れたのは私ぐらいの背丈の女の子。
彼女は涼やかな水色の髪をしていて、しかし活発そうな、勝気な表情を浮かべている。
「で、大ちゃん! 何してるの?」
姿を現した彼女。
チルノちゃんって娘は、目の前でもちょっと大きめの声で、緑の子に話しかけている。
それに緑の子は微笑んでから、私の方へ手を差し出す。
「えっとね、この子が向こうのお屋敷に行きたいけど、飛べないから困ってるんだって」
そう緑の子が伝えてくれると、どこか納得したような顔をしている水色の子がいていた。
こんな僅かな説明で分かるとは、妖精はおバカさんが多いと思ってたけど、幻想郷はそうじゃないのかもしれない。
この二人を見て感心を覚えていると、水色の子がピシッと私に指を指して、こんな事を言ったのだ。
「泳いで渡ればいいのよ!」
どう? 完璧よね!
まさにそんな表情であった。
私はその言葉を聞いて、チラリと湖を見てみる。
……うん、どこまでも先が見えないくらいに霧に包まれている。
それに、私は水着を持ってない。
だから泳いだら、どう考えてもびしょ濡れになってしまうのだ!
「流石に無理よ!」
こんな所に飛び込んだら最後、シーラカンスのように奥深くへと沈んで忘れられちゃう。
そんなのは嫌! 絶対に嫌!
「そうだよ、この娘は普通の人間なんだよ。
チルノちゃん、泳ぐのは無理だよぉ」
緑の子も、私を援護してくれている。
……普通の人間とは、ちょっとだけ違うけれど。
「人間ってめんどくさいんだ。
じゃあアンタじゃどうにもならないんだね」
「むぅ」
水色の子がズバリと言ってきて、むっとしてしまう。
けど、言い返す言葉が見当たらない。
なんだか無性に腹立たしい。
それを何とかする為にこっちに来たのに、出鼻を挫かれちゃった感じがしたから。
「なら、あたいが何とかしたげる」
「……え?」
でも、彼女は私に勝気な笑みを向けていた。
表情が、よく見とくのね! と全力で語りかけてくるように。
自信に溢れている表情が、何故だか彼女なら大丈夫と、そう感じさせる。
だからじぃっと彼女を見て、私は何をするのかと見守っていた。
――すると、不思議なことが起こったのだ。
「え、何?」
それがどういう理屈で起こっているのか、私にはわからない。
けど、確かな事象として、それは発生していた。
「チルノちゃんは氷精、氷の妖精だよ。
だからこんな事ができるの」
緑の子が、驚いている私に説明してくれる。
目の前の現象、即ち凍てついていく湖について。
――凍てつき、固まり、道を成す。
そうして浮いていた水色の子は、舗装された道へと降り立つ。
自信満々で、ビックリするくらいのドヤ顔を浮かべながら。
「これで渡れるでしょ!」
全力で胸を張って、私にそう告げたのだ。
それに、私はガクガクと何回も頷く。
だって、これは……。
「すごいわ、貴方。
こんな事もできるんだ」
「そうよ! あたいったら最強ね!」
「うん、流石はチルノちゃんだね」
思わず、感嘆せずにはいられないほどに、すごい力である。
目を見開いて、私は彼女が敷いた道を見る。
氷に映し出された私の顔は、とってもキラキラしていて。
ちょっぴり恥ずかしくなって、顔が元に戻るようにと、手でグニグニとする。
こんなの、すごく子供っぽいもの。
「じゃあ行くわよ!
あたいについてくるの」
「うん、行こっか」
水色の彼女の後を、まるで雛鳥の様に付いていく。
この先に、私の新しい就職先があるのだ。
新しい、メイドさんとしての人生が。
「わぁ、この道、冷たいのね」
「氷だからよ。
あたいの氷はとってもすごいの!」
「チルノちゃんは妖精の中でも、とっても強い力を持ってるんだよ」
「へぇ」
わいわいと騒ぎながら、この道を歩いていく。
凍らせた道は冷たいけれど、デコボコしているせいか滑る気配はない。
ここでコケたら情けないから、とってもありがたいのだけれど。
「そういえば」
「ん、何?」
水色の子が、私に声を掛けてくる。
そういえばと、思い出したように。
「アンタの名前、なに?」
「あぁ」
そういえば、私達はお互いに自己紹介をしていない。
慌ててて、すっかり忘れてしまっていたのだ。
「これは失礼したわ。
私の名前はアリスよ」
スカートを少し持ち上げて、お姉ちゃんに教えてもらった、とっておきの挨拶をする。
なんでも、とってもお上品らしい。
「へぇ、あたいはチルノ。
こっちは大ちゃん」
水色の子、改めチルノは、私に元気よく語りかける。
緑の子、大ちゃんもよろしくと言って、はにかんだ笑みを浮かべていた。
そのお陰か、冷たい道の上にいるのに、ちょっぴり暖かくなったように感じる。
不思議だけれど、この感覚は嫌いじゃない。
この暖かさは、いつも感じていたものに近いから。
「二人は妖精なんだよね?」
「うん、さいきょーの妖精。
大ちゃんは一番賢いの」
「別に私なんて賢くないよ。
ちょっとだけ、物覚えがいいだけ」
「そうなんだ」
二人は気楽にそう言っているけど、ちょっとだけ引っかかった。
この二人は、私が見てきた妖精と、どこか違うように感じるから。
……具体的には言えないけど、何か違うように感じるのだ。
まぁ、何も言わないのなら、私も特にいうことはないのだけれど。
今は、助けてくれた感謝でいっぱいだから。
「ところで二人共、ちょっと良い?」
「何かな?」
返事をくれたのは大ちゃん。
チルノはルンルンと鼻歌を歌いながら、氷道を舗装していってる。
「弾幕ごっこって知ってる?」
そんな中で、思い切って訊ねてみた。
私が、魔法を使える為の特訓をする、その切っ掛けになればと思った事について。
すると大ちゃんは、うん、知ってるよと、明快に返事を返してくれた。
「私も、弾幕ごっこはしたことあるよ。
変な魔法使いに、すぐに撃墜されちゃったけど」
人間って、結構強いよねぇ、と大ちゃんは回想しながらに言う。
それは興味深く、とてもワクワクさせられる。
だって、私は興味津々なんだもの!
「それ、教えてくれる?」
「ん? アリスちゃんも興味あるの?」
「あるわ」
むしろ、それが目的で幻想郷に来たのだ。
知るチャンスが来たのなら、逃す手はないと思う。
「それなら、このまままっすぐ行けばいいよ」
「え?」
すると、大ちゃんは意味深なことを言って、唇に手を当てて少し微笑んだ。
仕草は色っぽいけど、大ちゃんは女の子だから、どちらかというと可愛い。
……そんな事はどうでもいいのだけれど。
「大丈夫、きっともうすぐ弾幕ごっこが見られるよ」
大ちゃんはそれ以上語ろうとはしなかった。
けど、決して嘘をついている気配はない。
なら、期待はしても良いってことなんだ!
「ありがとう、大ちゃん」
「お礼はチルノちゃんに言うといいよ」
へ? と、再び首を傾げてしまう。
が、私が何かを言う前に、チルノの大声が響き渡った。
「ほら、もう到着!
二人共、こっちこっち!」
ちょっと進んだ先、そこには岸があった。
大体10m先、チルノが全力で手をブンブンと振っている。
いつの間にか、渡りきっていたらしい。
駆け足気味だったし、チルノはせっかちさんなのだろう。
「いま行くー」
私はチルノにそう返事して、駆け足気味で氷の道を進んでいく。
大ちゃんもそれに続いて、道を駆けている。
そうして、渡れっこないと思っていた道は、見事に横断できたのだった。
「ありがとう、二人共」
だからまず、私がしたのは二人に対しての感謝。
……自分ひとりでは無理だったけれど、この二人がいたから、私はキチンとここまで来れたのだから。
「良いわよ、アリスは私の子分なんだから」
……いつの間にか、私はチルノの子分になっていたらしい。
驚きの事実である。
そんなチルノを、大ちゃんが諌めるように、ドウドウと落ち着かせていた。
「アリスちゃんは、もう私達のお友達だよ」
「オトモダチ」
大ちゃんの言葉が、私の耳に震わせる。
すると一緒に、心まで震えてきそうだ。
だって、すごくすごく嬉しいもの!
「うん、私達お友達だね!」
思わず、自分でも大きいと思う声を出しちゃう。
けど、今は関係ない。
子供っぽくてもいい。
だってこういうのは素直に伝えなきゃだめって、お姉ちゃんも言ってたから。
「お友達ならしょうがないわ。
困ったら、アリスをいつでも助けてあげる。
あたい最強だもん」
チルノも、何の気負いもなく、そう言ってくれるのがすごくすごく嬉しい。
思わずチルノの手を握る。
冷たいけれど、暖かく感じる手を。
――そんな、私が感動に浸っている時の出来事だった。
「おや、珍しい」
また、どこからか声が聞こえる。
女の人の声、たぶん私たちに語りかけている。
「随分と小さいお客さんです。
妖精の新入りさんですか?」
「アリスは妖精じゃないよ!
でも、ここで働きたいんだって」
柔らかい声に、チルノは元気よく返事をする。
それに向こうは苦笑しながら、霧の中からゆらりと、姿を現したのだ。
「それは重畳、咲夜さんも妖精ばかりでは大変そうですからね。
後輩が出来ること、素直に喜ぶでしょう」
現れたのは、特徴的なベレー帽をしている女の人。
とても自然体で、風景に溶け込んでいるように感じる。
だからどことなく、穏やかな人かなって思えたのだ。
「でも、その前に」
その穏やかな人は、私に微笑ましげな目をやってから、次にチルノへと視線を移した。
それは、困った子供を相手にしたような、そんな大人の視線だ。
「また、いつもの?」
「そうよ、めーりん。
今日こそ、直撃させるんだから!」
それに対してチルノは、とても好戦的だった。
まるで、今から喧嘩でもはじめるかのように。
「大ちゃん、どういうことなの?」
思わず、大ちゃんに聞いてしまう。
喧嘩なら、止めなくちゃいけないのだから。
けど、大ちゃんはとても落ち着いていた。
困ったことなんて、何にも無いと言わんばかりに。
「アリスちゃん、これから始まるんだよ」
「何が?」
私はまだ困惑したままで、そのまま大ちゃんに聞き返してしまう。
そんな私に大ちゃんは、いたずらっぽそうにこう答えたのだった。
「弾幕ごっこ、始まるよ」
「っえ」
私がびっくりして、言葉を詰まらせてしまったこの瞬間。
――氷結の弾丸と、色とりどりの花が、一斉に咲き誇ったのだった。
次の話は1200文字くらいで書き差しで放置してあります。
……白目を向けばいいのですかね。