――これは昔の、とある日々のこと。
全てを諦めて、どこかで嗤っていた時のこと。
私は、どこか昏い夕焼けを見ていた。
ただ何となく、そうしていただけ。
深い理由なんて有りはしない。
でも、あえて理由を付けるとすれば。
どこか、夕焼けが妬ましかったのかもしれない。
どうして、そんなにも輝いていられるのか。
堕ちゆく中でも、煌々と全てを照らしていられるのか。
そんなことを、どこかで思っているのかもしれない。
そして、そんなことを思う私はどこまでも卑屈。
だから自分の事が、そんなに好きじゃない。
でも、それが私だから。
嫌な子って自覚してるけど、そうでも思ってないとおかしくなっちゃいそうだから。
だから、今日も嫌なことを考える。
心でひっそり、不満をぶつけるように。
そんな私にも、気になるものはある。
それは、一つ上の先輩。
とっても泣き虫の女の先輩。
何時も、泣き腫らしたように目の下を赤くして、それでも何でも無い風に装っている。
バレバレですよ、と指摘しようとも思ったけれど。
でも、そんな先輩を見るのが嫌いじゃないから、黙っている。
きっと、心のどこかでこんな人もいる、と優越感に浸っていられるから。
やっぱり私は嫌な子、醜いとさえ思う。
……でも、それが、ある日から、変わって。
その先輩は、泣き腫らした目を、することが無くなっていて。
――何で? どうして?
そんな疑問と不満がどこからか湧いてくる。
だってそうでしょう?
私はどこか暗い先輩を見て、心を和まし、共感を覚えていたのに。
それなのに、そんな先輩の在り方が、突然変わってしまったのだから。
……やっぱり、納得なんて行くはずがない。
ここのところは、そういう事が多い。
この前も、高飛びをしている小柄な男の先輩に、諦めちゃえ、と思ってその様子を見ていた。
けど、その先輩は諦めることなんてなく、自分が納得するまで高飛びを続けていて。
結局、できないと結論づけたのか、何かを察した顔で頷いて、片付けをしていたのだ。
結局、暗いことを考えていたのは私だけ。
泣き虫の女の先輩も、諦めの悪い男の先輩も、前に進んで行ってしまった。
そのせいか、私はどこか取り残された気持ちになって。
……それも私にお似合いか、と一人で嗤うだけ。
誰でもない、自分自身を。
どうしようもない、受動的な自分を。
今に思えば、張り倒しても良いと思えるぐらいに、ひどい有様だった。
一人でズブズブと、底なしの沼にでも嵌っていくような感覚。
それで全てを、どうにもならないと放り投げて。
どうしようもない状態だったと、そう今更に自覚する。
だけれど、そんな中で見ていた二人の先輩達は、確かに私の心に波紋を起こしていた。
水面に石を落として、広がっていくように。
人は変われる、踏ん切りをつけて前に進める。
あの二人を見て、それを理解していたことを。
心の片隅では、そんなことを分かってしまっていた。
それでも私が変わろうとしなかったのは、私自身の変化を起こす力を信じていなかったから。
今までの自分と、それを取り巻く環境。
それを思うと、何をしても無駄に思えたから。
だから、私は今まで通りに過ごしていた。
どこか見に浸すような、絶望の日々を。
何も変わらないと、信じて疑わずに。
だけれど、変化は、常に外からやってくるものだって。
この時、私は知る由もなかった。
それは、自分のことを考えるだけ、気が滅入るだけだったから。
だからあの日。
やってきてくれた二人と、引き合わせてくれた兄さんには、とても感謝している。
お日様の光が、暖かいと思い出せたから。
誰かと居ることが、とても心地よく感じたから。
毎日会う内に、とてもとても、大好きになっていたから。
だから私は、記憶の中に様々な思い出を、忘れないようにしっかりと刻んで。
そうして今日も生きていく。
今までの思い出と、これからあの人達と過ごす日々を思えば、人生は捨てたものではないと思えるから。
これからも、何事もなくあの人達と一緒にいられると、そう信じて……。
あの日、衛宮君と友達になってから、私はあまり泣くことが無くなっていた。
それは、人の温もりと、友達の温かさを思い出したから。
線で塗れている視界の中で繋いだ、私と衛宮君の手。
ドキドキしたし、嬉しくて泣きそうにもなっちゃって。
でも、衛宮君に泣き顔をこれ以上見られたくないと、そんな意地を張って。
いっぱいの感情で、爆発しちゃいそうだった。
そのお陰で、私はちゃんと生きているんだと、そう実感ができたから。
「衛宮君、衛宮君!」
だからその日より、私は衛宮君にベッタリとなっている。
お昼休みになると、彼の教室に行って、お昼に誘いに行くのだ!
……でも、そこで出会うのは、衛宮君だけではなくて。
「うっわ、また来たよ。
衛宮、お前そのうち呪われるぞ」
「慎二、いい加減にしろ。
八家だって、お前にそう言われる度に傷ついた顔してるんだぞ」
「っは、しょうがないだろう?
あのバンシー(泣き虫女)を見れば、誰だってそう思うさ。
いかにもトロそうなところが、使えなさそうだしぃ?」
衛宮君の教室に着くと、早々にそんな洗礼を浴びせられる。
そこには、衛宮君だけでなく、衛宮君の友達……間桐君の姿が。
「こ、こんにちは、衛宮君!
それに……間桐君も」
「は? 何で僕がおまけみたいになってる訳?」
睨んでくる間桐君に、どこか曖昧な笑みを浮かべてしまう。
どうにも間桐君は、私が気に入らないようで、こんな風に当たってくるのだ。
衛宮君曰く、他の女子にはとことん優しいらしいから、非常に珍しくあるそうな。
……私は、間桐君の中では、女子にカテゴライズされてないのだろうか。
「慎二」
衛宮君が、少し重い声で、間桐君を諌める。
それに間桐君は、ッチ、と舌打ちしてそれ以上の追撃を収めてくれた。
「あ、あの」
でも、ずっとこのままじゃいけないと、そう思って。
私は、思い切って間桐君に話しかける。
間桐君がは、何だ、と億劫げな視線を寄越してくるが、それに怯まずに私は踏む込む。
それに伴って、私は必死に言葉を紡ごうとする。
衛宮君以外にはお爺ちゃんとしか会話をしていないから、何を言えば良いのか纏まらないけど。
――確か、会話は小粋なジョークからって言うよね……よしっ!
「間桐君、オマケの方が本体だってことも、往々にしてあるから、大丈夫だよ!」
できるだけ笑顔で、私はそう言い切った。
きっと、会心のドヤ顔も浮かんでいると思う。
……けれど、何かが、おかしい。
どうしてだか、周りの空気が凍っている気がする。
主に私と、衛宮君と、間桐君の間の空気が。
あれ? 何かとってもおかしい。
いっつぶりざーど。
「はは、ははははは」
そんな中で、唐突に間桐君が哄笑をあげる。
え、何? と戸惑っていると、哂っていた間桐君が引きつった顔で私を見て、そうして言うのだ。
「八家、お前ぼくの方がおまけだなんて、面白い冗談を言うんだな」
あ、良かった。
小粋なジョーク先生、通じてた。
空気が凍ったらか、全力で滑っちゃったと思ったよ。
「うん、どう?
私のジョーク、センス良いかな?」
どこか偉そうに、冗談なのだからと胸を張って。
でも内心で、すごく震えながら。
私は間桐君に笑顔で訊ねた。
「……衛宮、コイツ殴っていいかな?」
「仮にも女の子だぞ」
しかし答えは帰ってこず、どうしてだかこめかみをピクピクさせた間桐君が、衛宮君にそんな事を訊いていた。
何で? え、どうして? と錯乱しそうになる。
おかしい、きちんと私の一流ジョークは通じたはずなのに。
この空気はありえない。
そして、衛宮君も何げに失礼だ。
仮にも、ではなくて本物の女の子だ。
女を捨てたわけでも、女子として大切なものを失ったわけでもないのだから。
……もう一度ギャグをかませば、もしかしたら流れが変わるかもしれない。
よしっ、猛乳度やってみよう!
「ヤメテ二人とも。
私の為に争わないで!」
ガチっぽく思われないように、できるだけドヤ顔で。
私は二人にそう言い放つ。
そうすると、二人は顔を見合わせて頷き合っていた。
「殴るぞ?」
「斜め45度から、軽くチョップで」
何でっ!?
「痛い、痛いわ、衛宮君」
「今回は、自業自得と思ってくれ」
結局、何故か間桐君に私は頭へとチョップを食らった。
衛宮君が指示した通りに、斜め45度からの綺麗な一撃。
「コイツの頭、少しはまともになったか」
「むしろ脳細胞が死んで、馬鹿になっちゃうわ」
間桐君に睨まれたので、今回ばかりは睨み返す。
女の子に暴力はサイテーだと思う、うん。
「あぁ、そうか。
ネジが元から外れてるんだな」
鼻で笑いながら、間桐君が更にひどく私を扱き下ろす。
どれだけ気に入らないのだろうか、私のこと。
……ひどく、納得がいかない。
「何ていうか、あれだよな」
衛宮君が、私へと顔を向けて、どこか呆れたような顔をしていた。
何か言いたいことでもあるのだろうか?
やっぱり、私のジョーク、つまらなかったとか?
「八家てさ、第一印象と素の方がだいぶ違ってるよな」
「……そうなの、かな?」
いきなりそんなこと言われても、自分では分からない。
泣き虫だってことは自覚してるけど。
「まぁ、良いけどな」
どこか諦めたように、衛宮君がそんなことを言う。
……もしかして私、割と駄目な子?
間桐君に視線を向けると、露骨に逸らされた。
解せない。
でも、何故かこの日より、間桐君のお出迎え(罵倒)は極端に減った。
本人に聞いてみると、”お前は言葉が方向音痴過ぎて、僕まで怪我をしかけない”との事。
言葉のドッジボールにはなってないはずなんだけど、何かおかしいのかな?
考えてみても答えは出ず、衛宮君に聞いても、八家らしいと思う、で流される。
……思っている以上に、私は言葉が不器用になっていたのかもしれない。
あ、でも、だけれど。
罵倒が飛んでこなくなったお陰で、間桐君に近づきやすくなった気がする。
昼食も、何故か毎回一緒に食べることになるし、他の人よりかは話す方になっているし。
何時の間にか、私の間桐君への苦手意識は、何処かへと消えていた。
悪くない兆候だと思う。
この調子で仲良くなっていけば、いつか友達にだってなれると、そんな気がする。
でも、どうしてだか話しかけると鬱陶しそうにされるから、道はまだまだ長いと思うけれど。
――でもその時が来たら、私は間桐君を友達として見れるだろうか?
何もひどい意味ではない。
私は、どうしても人と見えてるものが違うから。
だから、どうしても自分から引いてしまう。
壊してしまいそうで、怖いから。
勢いで一歩踏み出せても、あとが怖くてそれ以上は近づけない。
常に、私は怯えている。
近づいて、撫でるだけで壊してしまいそうだから。
人が怖いし、自分も怖い。
故に、私にとって衛宮君は特別なのだ。
触っても、壊れなさそうな人。
どこか安心できる人柄。
奇しくも、彼の雰囲気が懐かしいとさえ思えてしまう親近感。
だから、私は衛宮君に出会えたことに感謝している。
誰に?
それは、もちろん衛宮君自身。
あの時、本当に屋上に来てくれてありがとう。
本当にそう思っている。
――だからこれからも、ずっと彼との縁が続きますように。
どこえも知れぬ祈りを、私は捧げる。
神様は、きっと意地が悪いから、別の何処かへと。
それだけ、今の日常が私にとっては幸福だったのだ。
ずっとずっと、一緒が良い。
無邪気に、私はそう願い続けている。
そんな大事な日常の、ある日の放課後。
とても珍しいことがあった。
それは、間桐君から私に声掛けがあった事。
あまりの物珍しさに、私の目は点になっていたと思う。
「折角声を掛けてやったのに、何を間抜けズラを晒してるんだよ」
……やっぱり、間桐君は口が悪い。
間抜けとか、ノロマとか、色々と私のどんくささを罵倒する間桐君。
本人がソツなく色んなことをこなしている分、言い返せなくて余計にタチが悪いと思う。
「……衛宮君は?」
「お前はアイツがいないと何も話も出来ないのかよ」
呆れたように、その中に苛立ちを混ぜ込んで間桐君は言う。
でも、どうしても衛宮君が居ないと落ち着かないので、素直に頷く。
衛宮君を交えてなら軽口の一つも出るけれど、彼がいないと口が途端に重くなる。
しかし、その返答は気に入らなかったらしく、間桐君は舌打ちをする。
やっぱり怖い。
間桐君も、衛宮君がいないとどうにも怒りやすいイメージがあるから。
だから、今は切実に衛宮君がこの場に来て欲しい。
すると気持ちが伝わったのか、向こうから衛宮君の姿が見えた!
「慎二、急に呼び出して何だよ」
「よし、揃ったな」
衛宮君の問いかけには答えず、しかし先程まで見せていた苛立ちを引っ込めた間桐君。
そして間桐君は、どこか大仰に私達の方を向いて、こんなことを言ったのだ。
「お前達、今日は特別に僕の家に招待するよ」
とっても、自慢げに、そして嬉しいだろうと言わんばかりに、間桐君は胸を張っていた。
それに対する、私達の反応はというと……。
「ん、イキナリだな」
どこか困惑したような、衛宮君と。
「……はぁ」
突然すぎて、思考が追いついていない私の姿。
イマイチ盛り上がりに欠ける私達に、間桐君は咳払いを一つして、私達を睥睨した。
「何だよ、もっと喜べよ」
そう言われても、突然すぎて頭がついて行ってない。
それに、どうして? と思うこともあるのだ。
「私も、なの?」
「そうだよ、思えもだよ」
「何で?」
そう呟くと、間桐君は、再び舌打ちをした。
だけれど、それに反応するよりも答えが気になるので、黙って返答を待つ。
すると、ため息一つを吐いて、そして意外なことを彼は口にしたのだ。
「僕には妹がいるんだ。
でも、お前と一緒でのろまだから、友達の一人もいやしない。
そうなると、間桐の家の体面が悪くなるだろう?」
……間桐君には、妹がいるのか。
それは、さぞ独特の髪型をしているのだろう。
でも、そんなことは置いておいて。
間桐君は、もしかして……。
「慎二でも、身内には気を使うんだな」
何げに無遠慮に、衛宮君がそんなことを言う。
間桐君は、それに面倒くさい顔をしつつ、でもきっちりと応える。
「あれでも僕の妹だからね。
あまり孤立されていると、辛気臭くてしょうがない」
「妹のこと、心配してるのね」
意外や意外、新たな一面を見た気持ちだ。
つぶやく私を無視して、間桐君はクルリと背を向けた。
「ほらっ、お前達、ついてこい」
そう言い、どしどしと前に進んでいく間桐君。
そんな彼に、私と衛宮君は、示し合わせたように顔を合わせて。
「天邪鬼だね、間桐君は」
「そうだな、中々に迂遠なのが慎二らしい」
だよね、と私達は話しながら、間桐君の後ろに付いていく。
行く、なんて返事もしていないのに。
きっと彼の中では、私達が来るのは確定事項になってるのだろう。
そして、私も衛宮君も、それに逆らう気なんて、今は更々なくて。
間桐君の妹さんがどんな子なのか、楽しみに想像しつつ、彼の後ろを追いかける。
というか、間桐君の家は、どんな感じになってるのかな?
あーかな、こーかな、と想像を巡らしつつ、私は歩を進めていった。
そうして、到着した間桐君の家は……。
「……大きい」
それは、洋館であった。
荘厳な造り、歴史を感じさせる佇まい。
古びた感はあるが、それがこの家の威容を更に高めているとも言える。
「そういえば、間桐の家は名家だって聞いたような」
「納得できる広さをしてるね」
衛宮君の呟きに、私は相槌を打って、唯々その立派な屋敷を眺めていた。
でも、それでも物怖じしない人物が一人。
この家に住んでいる間桐君なのだけれど。
「ほら、庶民ども。
惚けてないで着いてこいよ」
この程度で驚くな、と言わんばかりに、間桐君は進んでいく。
私と衛宮君は、慌ててそのあとに続く。
「本物のおぼっちゃまだったんだ」
「由緒正しき間桐家は、冬木の重鎮とも言えるんだよ。
なんで知らないんだよ、お前達」
確かに、これほど大きな屋敷を持っているということは、それなりにこの周辺では有名な家なのだろう。
でも、私と衛宮君は知らなかったけれど。
「いや、私は新都の方から引っ越してきたから……」
「俺もだ……」
あの日、あの地獄を見た日。
あれを思い出してしまい、気分が沈みかける。
そして、何故か衛宮君も、どこか暗い顔をしていて。
「ふーん、ま、知らないってことはそんなところなんだろうね」
間桐君だけが、ペースを崩さずに、納得したようなことを言っていた。
そのまま、私達は間桐邸の中にお邪魔する。
無言のままで、間桐君についていく。
静かに、足音だけが、響いていて。
……だからか、他に意識を割く余裕があったからか。
それに気付くことができた。
――この家、普通とは違うわ。
そう、見える風景が、確かに違う。
いや、何もないところに、線が浮かんでいたりするのだ。
まるでそこに何かあって、線をなぞれば壊せるように。
そんな箇所が、幾つも幾つも。
正直、不気味に感じる。
……もしかしたら、この家には、幽霊でも住み着いているのかもしれない、と感じる程度には。
「ねぇ、この家で、非業の死を遂げた人とか、居たりするのかな?」
不安になって、口が勝手に喋っていた。
知らなければ怖いだけで済むのに、余計なことを聞いてしまう。
「はぁ? いきなり何なの?」
胡乱げな視線を、不躾に私へと向けてくる間桐君。
でも、妙に素直な心境で、私は正直に答えてしまう。
怖いからか何なのか、そういう心理状態だったのだ。
「何か出そうな雰囲気を醸し出してるから」
そう言うと、露骨に馬鹿にしたように、間桐君が私を笑う。
……悪かったわね、精神年齢がアレな癖に怖がりで。
「暗いから、確かに不気味ではあるな」
衛宮君は、そう言いながらも、全然怖がってる素振りが見えない。
耐性が高いのか、流石は男の子と褒めるべきなのか。
「ま、そりゃ死んでるのは結構いるでしょうよ」
どこかおちょくる様に、間桐君は私に言う。
口角を上げながら、まるで遊ぶかのように。
「そ、そう」
平然と答えたつもりだったけれど、どこか声が震えてしまっていた。
それ程に、この屋敷は何かの存在感を放っていたのだ。
……一度気になると、中々に頭から離れてくれない。
どうしよう、どうしよう。
やや混乱気味に、そんなことを考えてしまう。
そうして、ひよこが踊る頭が導き出した結論は……。
「衛宮君、ちょっとごめん」
「八家、どうした……」
んだ、ときっと衛宮君は続けようとしていたんだと思う。
だけれど、それより先に、私の手が、衛宮君の手と重なっていた。
……あの時感じた暖かさと一緒の、落ち着くけれどドキドキする感覚がする。
一度繋いでしまったからか、線が見えても、衛宮君の手なら握れてしまう。
怖いけど、それでも安心感と信頼感が存在しているんだと思う。
「……目障りだぞ」
少しこっちに目を向けた間桐君は、それだけ告げて、でもそれ以上は何も言わなかった。
体面的に言っただけで、特に気にしている感じてはなかったようだ。
「な、なぁ、八家」
「な、なに、衛宮君」
そうして私達は、お互いに牽制し合うように、どこか吃りながらの会話をしている。
というか、うわぁ。
衛宮君の手から、ドキドキとしているのが伝わってくる。
手をつなぐだけで、そこまでのことが分かってしまう。
……何だか、無性に恥ずかしい気がするのだけれど。
「なにも、出ないと思うぞ?」
「ほ、保証はあるのかしら」
衛宮君は顔真っ赤。
それでも、私もきっと同じようなものだろう。
それでも今は、手を繋いでおきたかった。
何時の間にか、不安がそんな欲望にすり変わりつつあったから。
「ほらお前ら、馬鹿をする時間は終わりだ。
妹の部屋についたぞ、手を離せ」
その時、急に間桐君がそんなことを言って、エンガチョするように、私と衛宮君の繋がれた手を、チョップで切り離してしまった。
……何てことを。
そしてなにより、ホッとしている顔の衛宮君にショックを受ける。
もしかして嫌だったのだろうか、私と手を繋ぐの。
……考えないようにしよう、きっと憂鬱になるだけだから。
「おい、言っていた奴らを連れてきたぞ。
入るからな、いいな!」
間桐君は訊きながらも、返事は求めていないようで、勝手にドアノブを捻っていた。
……女の子相手に、それはあまり宜しくないと思う。
それが例え身内であったのだとしても。
そんなことを思いつつも、しかしドアは開かれる。
そうして、そこに一人、女の子が、確かにいた。
――それは、儚い目をした女の子だった。
暗がりにいて、それでも確かに存在する女の子。
しかして、その気配は希薄そのもの。
茫洋と、こちらを見る目にも、活力は感じられない。
「紹介するよ、こいつが妹の桜」
しかし、間桐君はそんなことを気にせず、彼女……桜ちゃんの紹介をする。
それが、耳には入ってくるけれど、それを理解する為の頭のリソースが、私には無かった。
――魅入られてたのだ、彼女の瞳に。
まるで古井戸を模したような目。
どうしたらこんなふ風になれるのか、それを考えさせられる瞳。
私は感じずにはいられない。
だってその目は……覚えがあるから。
「どう、して?」
気付けば、そんなことを口にしていた。
素直に、ある種の怖さを抱きながら。
私は桜ちゃんに、訊ねていた。
どうして、と。
桜ちゃんは、ゆっくりと私の顔を見上げて、そうして……。
少し、微笑んだ。
だけれど、笑っていても、それに喜色はなくて。
私には分かる。
楽しいからとか、嬉しいからとかで笑ってるんじゃない。
安心感、そう、あれは仲間を見つけた時のような安心感を抱いた笑み。
私と桜ちゃんの間に、確かな認識が生まれる。
この人は、何かに苦しんでいる、と。
「ん? どうしたんだ、八家」
急に桜ちゃんと見つめ合って、動かなくなった私に、衛宮君が心配するかのように、声を掛けてくる。
そこでようやく、私は戻ってこられた。
「ちょっと、ね」
「大方、こいつと桜が何か通じ合ったんだろ」
上手く言えなくて口ごもってると、驚いたことに、間桐君が的確なことを言った。
妹の事だから分かったのか、それとももとより鋭いのか。
分からないが、この場では間桐君が正解である。
「……私、前から八家先輩と、お話してみたいと思ってました」
唐突に、桜ちゃんがそんなことを言った。
私、名乗ってないのに、前から知ってたように。
私の名前をしっかりと告げて。
「知り合いか?」
「初対面かな」
衛宮君の問いかけに、はっきりと答える。
私は桜ちゃんのことは知らなかったし。
衛宮君は、成程、と言いながら桜ちゃんへと向いた。
「えっと、俺は衛宮士郎、よろしく」
恐らく、自己紹介するタイミングを図っていたんだと思う。
何か、桜ちゃんには話しかけづらいオーラがあるし。
衛宮君の挨拶に対して、桜ちゃんは小さく頭を下げただけで。
「よし、衛宮。
お前は僕の部屋に来るんだ」
「ん? 八家はどうするんだ?」
衛宮君の自己紹介を終えた時に、間桐君がそんなことを言った。
これは、絶対にこうする為に私を連れてきたのだろう。
「桜の話し相手に、八家を連れてきたんだ。
のろま同士、気が合うだろ」
「女の子同士の方が、確かに話しやすいか」
やっぱり、私の想像を肯定するように、間桐君は言い放った。
そして、衛宮君も一定の理解をそれに示していて。
……けど、確かに、私も気になっている。
間桐桜という女の子が。
どこか深い目をした、この少女が。
「私も、あなたと話がしてみたいわ」
桜ちゃんに、私はそう言って。
「じゃあ行くぞ、衛宮」
「あぁ」
衛宮君と間桐君は、この部屋より出ていった。
出て行く時に、心配げな衛宮君の瞳が、私に映し出されて。
少し、それに笑い返した。
そうして、あとに残ったのは、私と桜ちゃんの二人だけ。
「……八家先輩が」
そしてゆっくりとだが、桜ちゃんが緩慢に、こんな事を私に訊ねた。
「……八家先輩が変わったのは、衛宮先輩のお陰ですか?」
そっか、桜ちゃんは目を腫らしていた頃の私を知ってるんだ。
恥ずかしいところを知られているというのは、何だか居心地が悪い。
だけれど、それを極力気にしないようにしつつ、私は一つ頷いた。
「そうだね、私が変わったのは、衛宮君が関係してるかな」
そう言うと、桜ちゃんは、小さく呟く。
「……男の人、か」
単体の言葉、だけれど意味は十分に伝わってくる。
「そういうのじゃないわ」
「……どうだか」
すかさず否定に入るが、どこか疑わしそうな顔を、桜ちゃんはしていた。
……確かに、衛宮君に依存していると、そう自覚することはある。
あの人は特別だから、と。
自分の深いところに置いているのには、心当たりはあるのだ。
――だけれど。
「そういう定義付けされるの、あまり好きじゃないかな」
大切だから、安易にレッテル張りをされたくなんてない。
言葉に表さないからこそ、胸に抱いていられるのだから。
それに衛宮君の事をどう思っているか、何て考えたことはない。
今は友達で十分。
それ以上でも、それ以下でもない。
……求めすぎたら、きっと私の目のようになってしまうだろうから。
「……じゃあ何で、八家先輩は」
ここで、桜ちゃんの虚ろじみていた目に、ようやく感情の色が見えた。
――それは、赤い色。
そっか、成程、と私は理解する。
「八家先輩は、どうして楽しそうなんですか?」
怒ってるんだ、桜ちゃんは。
一目で通じ合えたから。
だからこそ、私と桜ちゃんの差に、きっと納得が言っていないのだ。
立場が逆なら、私も桜ちゃんを嫉んでいたに違いないのだから。
「間が、良かったのね」
あの時、屋上で衛宮君と出会えたから。
そんな、どこにでもあるような切欠。
だからきっと、ただ単に間が良かっただけなのだと、そういうことだと思う。
「……何ですか、それは」
どこか掠れた声で、それでも桜ちゃんは、私を睨んでいた。
一緒のはずの人なのに、どうしてだか差を感じてしまうから。
そんな気持ちだと、私は容易に想像がつく。
きっと、何か辛いことが桜ちゃんにもあるだろうから。
気持ちを重ねると、すぐに分かってしまう。
「ねぇ、桜ちゃん」
だから、私は問いかけてみた。
もし、桜ちゃんが望むなら、だけれど。
「一緒に、笑ってみない?」
そうすれば、桜ちゃんも分かるような気がするから。
どうして、私が笑っていられるのかと。
そうすることで、きっと通じるものもあるのだろと。
「……出来ると、思いますか?」
重い口調で、桜ちゃんは零した。
どこか嘲りと自嘲する込めて。
そして苛立ちも含めて、彼女は言葉にしたのだ。
「笑えることなんてないのに、笑顔なんて……できないです」
……それは、分かる。
衛宮君に出会う前は、毎日が歪んだ線で構成されていたから。
見るもの全てに、恐怖を感じずにはいられなかったから。
――でも、でも、だけれど!
「切欠さえあれば、笑えるんだよ」
私はそう言って、桜ちゃんに手を差し出した。
……すごく、すごく怖いけれど。
ただでも、儚い子なのに。
壊してしまわないかと、ひどく不安になるけれど。
――それでも、
「だから桜ちゃん、友達に……なってみないかな?」
どこか私達は似ていたから。
放ってなんて置けない子だと思うから。
だから私は、勇気を振り絞って、桜ちゃんへと手を差し伸べて。
すると、桜ちゃんはキョトン、と可愛く小首を傾げると同時に、
「……八家先輩は何を怖がってるんですか」
どこか不思議そうにそう言った。
図星過ぎて、背中に冷たいものが走り始める。
それだけに、桜ちゃんは繊細だったから。
見た目だけじゃなくて、線の数も人より多かったから。
普通ではないであろう所にも、まるで二人分の命を背負っているかのように。
だから、頭を撫でるだけで、こときれるんじゃないか。
そう思ってしまう程に、彼女は脆く見えるのだ。
そうして、咄嗟に私が言えたことは、
「友達になろって言うの、結構勇気がいるのよ」
そんな誤魔化しだけで。
「……馬鹿みたいです」
そう言って、桜ちゃんは私の手を、しっかりと握ったのだった。
どこか戸惑いがちに、それでも意志を持って。
――やっぱり、人の肌は暖かかった。
「笑えそう?」
「……すぐには無理です」
「仕方、ないね」
結局、この日は桜ちゃんが笑うことは無かった。
何処かに、笑顔を忘れて来ちゃったようだから。
思い出せないんだと、私はそう思う。
「何時か、桜ちゃんも戻れるよ」
「……かも、しれないですね」
読み取れない表情で、桜ちゃんは淡々と呟く。
しかし、何処かに期待もあるようで。
「……変われたら、いいですね」
もう、無理ですとは言わなかった。
今は、それで良いんだと思う。
無理はせずに、一歩ずつ歩けば良いのだから。
「困ったことがあったら相談に乗るわ」
「……でも、八家先輩は、あまり頼りにならなさそう」
結構、ズバリとものを言ってくれる。
正直が美徳なんて言葉もあるけど、必ずしもそうである訳ではない典型。
でも、それはそれで心地よいものがある。
「友達、なんだから。
それくらいは当然なのよ」
どこか先輩風を吹かして、私はそんな事を言って。
「……八家先輩、図々しい人」
桜ちゃんの回答に、本気で血涙を流しそうになってしまっていた。
それでも、どこかスッキリした感覚で、私は間桐邸を後にした。
結局、間桐君と衛宮君が何をしてたなんて分からなかったけれど。
きっと、私がこの家に来た役目は果たしただろうから。
後日、衛宮君の家に、桜ちゃんが顔を出すようになったことを知って、私は天を仰ぐことになることになった。
何だか分からない胸のモヤモヤが膨らんできて、無性に泣きたくなって。
それでも、私に報告しに来た桜ちゃんは、どこか緩くであるけれど、確かに笑っていて。
だから私も、どこかが暖かい気がしていたのだ。
主人公のポンコツさがきっと売り。
魔眼殺しがなくて辛い毎日、誰か助けたげて(棒読み)。
……何げに、次の話が2000文字くらい書き差しで放置されてます。