戦姫絶唱シンフォギア ~歪鏡に選ばれた少女~   作:きおう屋

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 沢山のUA、お気に入り登録、本当にありがとうございます。過分な評価に舞い上がり、土日を丸々使って書き上げてしまいました。
 文字数が多めですので、ご注意ください。



EPISODE 04 「雪の音」

 この屋敷に来てから三度目の新年を迎え三週間程が過ぎたその日、日課となった戦闘訓練を終え自室に戻った蛍は窓の外に広がる一面の銀世界を眺め、静かに溜息を漏らした。

 初めて見た時こそ、山全体を覆うように降り積もった雪が太陽を反射して白銀に輝くその光景に目を奪われたものの、三度目ともなれば流石にその感動も薄れる。さらに言えば、今の蛍にはこの雪景色を美しいと感じる心よりも、今なお降り止まぬ白い塊を憎々しく思う感情が胸中を占めていた。

 蛍の視線の先、屋敷の前庭には真新しい純白の雪がこれでもかと積もり、麓へと続く唯一の道は宙を舞う雪に阻まれその姿すら見ることができない。

 

「この積もり様じゃあ、今日も帰って来ないかな……」

 

 フィーネが最後に屋敷を訪れてから、既にひと月が過ぎていた。今までも一週間や二週間程ならば家を空けることは多々あったが、流石に一ヶ月もの間屋敷に一度も帰らないというのは初めてのことだった。年明けに特機部ニ(とっきぶつ)で予定している大規模かつ重要なプロジェクトの準備のせいで、櫻井了子としての活動時間が増えるとは聞いていたが、まさかこんなにも長引くとは流石の蛍にも予想外であった。

 事前にフィーネから伝えられていたその名を、ぽつりと漏らすように呟く。

 

「『Project:N』、か……」

 

 天羽々斬(アメノハバキリ)のシンフォギア装者たる風鳴翼(かざなり つばさ)と、ガングニールのシンフォギア装者たる天羽奏(あもう かなで)。特機部ニ所属の装者二人によるツインボーカルユニット「ツヴァイウイング」、そのライブを利用して完全聖遺物「ネフシュタンの鎧」を起動させる政府公認の秘密実験。それが「Project:N」。

 完全聖遺物の起動には、莫大なフォニックゲインが必要になる。例えシンフォギアを起動させるだけのフォニックゲインを生み出す装者であっても、容易には満たすことの出来ない程の値が必要とされる。装者である蛍であればこそ、完全聖遺物を起動させることが容易ではないことを誰よりも知っていた。蛍自身、以前F.I.S.の研究所にいた頃に、ソロモンの杖やネフィリムなど幾つかの完全聖遺物の前で歌った経験があるが、なるほど確かにアレは難物だと言えた。他の装者はどう感じているかは分からないが、蛍は聖遺物の起動に必要なフォニックゲインを距離として感じることが出来る。シュルシャガナやイガリマ、ガングニールなどの欠損した聖遺物を前にして歌った時は、後ほんの少し手を伸ばせば届くということが感覚で伝わって来たのだが、完全聖遺物を前にした際に感じたソレは、ちょっとやそっとのことでは埋まらない程の距離だったと記憶している。

 Project:Nは、完全聖遺物の起動に必要なその莫大な量のフォニックゲインを、ツヴァイウイングの歌唱と、それに呼応するライブ会場を訪れているオーディエンスたちから放たれるフォニックゲインにて賄おうという計画である。最悪の場合ネフシュタンの鎧が暴走する可能性がある危険な実験を、観客に一切知らせないまま実施することに、人道的に褒められたことではないと反発した政府上層部に計画を通すため、フィーネが相当な無茶をやらかしたと聞いている。とはいえ、失敗の可能性はほぼゼロだろう。フィーネがそれほどまでに強行するということは、彼女は実験が成功するという確証を既に得ているに違いない。

 完全聖遺物は装者を必要とするシンフォギアとは違い、一度起動させてしまえば適合者という特別な才能を持つ者でなくとも扱うことが可能となる。未だ増え続けるノイズによる被害は、現状で二名しか存在しないシンフォギア装者たちでは防ぎきることができない。それは決して風鳴翼と天羽奏が(なまくら)だという意味ではない。風鳴翼は幼少の頃から戦士としての訓練を積み、防人(さきもり)(つるぎ)として相応しい実力と戦う覚悟を身に付けているし、対する天羽奏も、その類稀なる精神力でガングニールに適合し、風鳴翼に比べ訓練を始めた時期こそ遅いものの、今では彼女と遜色ない戦士へと成長している。一度、彼女たちの戦闘を録画した映像をフィーネに見せてもらったことがあるが、映像の中で繰り広げられる装者二人の戦闘風景は圧倒的であり、フィーネの言に間違いはないと感じたことを覚えている。

 単純に、数が足りないのだ。いつ何処で起こるかも分からないノイズの被害に対して、それに対抗できる戦力がたったの二人だけだというのは、余りにも手が足りていない。加えて、天羽奏という少女はLiNKERによって無理矢理に適合系数を引き上げた鍍金の装者であり、低い適合系数によるギアからのバックファイアとLiNKER常用の負荷が祟り、ボロボロな彼女の肉体はいつ限界を迎えてもおかしくない状況にある。

 Project:Nは、そんな暗雲立ち込める現状を打破するため二課が総力を結集して行う実験であり、もし成功すれば、「世界を守る」なんて重すぎる十字架を背負った年端もいかない少女たちを支えることができる。フィーネは、計画遂行のために精力的に活動する特機部二司令のそんな考えを、「相も変わらず、砂糖菓子の様に甘すぎる」と評していたが、ブツブツと愚痴を漏らしながらも残業のように屋敷に仕事を持ち帰ってまで計画の細部を煮詰めていたことを考えれば、フィーネにとってもネフシュタンの鎧の起動はそれなりに関心のあることなのだろう。

 

 何事もなければ、ネフシュタンの鎧は間違いなく起動し、実験を無事に終えることができる。何処かの誰かさんが実験機材に細工をして意図的に暴走でもさせないかぎりは、だが。

 

 櫻井了子として実験に積極的な協力をする姿勢を見せるその裏で、フィーネには別の目的があった。それは、起動したネフシュタンの鎧の強奪。歌の力により覚醒し、現代では製造不可能な異端技術(ブラックアート)を十全な形として振るうことの出来る完全聖遺物は、フィーネにとっても世界に二つとない貴重な存在であり、シンフォギアを纏えぬ彼女でも扱うことの出来る強大な力だ。「それをみすみす敵にくれてやる道理はないでしょう?」と微笑みながら此方に問いかけてくるその姿に、蛍が身震いをしたのは言うまでもない。

 フィーネから聞かされたその計画は、人々のパニックを利用した火事場泥棒としか言いようのないものだった。まず覚醒時にネフシュタンの鎧から放たれる爆発的なエネルギーを制御するための装置に事前に細工を施し、偶然を装った小規模のエネルギー爆発を起こす。その騒ぎに乗じてノイズを召喚してライブ会場をパニックに陥れる。逃げ惑う人々を救うため装者たちの目線は当然ノイズに向くであろうから、その隙を突いてネフシュタンの鎧を奪取する。

 手伝いが必要か尋ねてみたが、フィーネはその問いに首を横に振った。間違いなく戦場(いくさば)になるであろうライブ会場に蛍を連れて行かなかったということは、彼女一人の力で十分に計画遂行が可能であり、蛍というカードを敵に晒すには時期尚早だということだ。蛍が表舞台に立つのはまだ先になる。

 

 犠牲になる人々に対し、何も思う所はない、とは言えない。

 

 きっと多くの人が死ぬ。ツヴァイウイングのライブを楽しみにして会場を訪れていた無辜の観客たちの命が炭と変わる。

 実際に蛍が手を汚したわけではない。けれど、協力者たるフィーネが召喚したノイズが奪ったその生命は、蛍が摘み取ったも同じことだ。フィーネがそういう手段を平気で用いると分かっていながらも、彼女に協力している蛍の罪だ。

 世界を変える。そんな蛍の我侭で、散っていった命を忘れることは許されない。それは蛍が一生背負うべき十字架だ。

 ライブ会場を訪れた観客の中には、今の世界に満足し、笑いながら幸せの日々を甘受していた人もいたことだろう。蛍には彼らが羨ましいだとか、妬ましいという気持ちは一切ない。只、己が為す不条理に、理不尽に、巻き込んでしまう申し訳なさだけがあった。

 それでも――。

 

 望む明日がある。掴みたい未来がある。叶えたい夢がある。

 血潮が熱を取り戻したあの日から、胸に宿った小さな蛍火は、目を背け難い輝きとなって今なおこの身を焦がし続けている。

 だから、止まれない、止まらない。あるべき世界を取り戻すまで、遥かに掲げし決意の塔の上、血に塗れた歌を独り歌い続ける。

 他の誰でもない自分の為だけの詞を、世界と戦う力に変えて、奏で続ける。

 歌い続けたその先には、きっと誰かの笑顔があると信じて。

 

 

◇◇◇

 

 

 蛍は落ち込んだ気分を払うように、曇った窓ガラスを手で拭った。日が落ち辺りが闇に包まれたのにも関わらず、深々と降り続ける雪は未だ止む気配を見せない。

 

 蛍の記憶違いでなければ、ツヴァイウイングのライブは二週間以上前に終わっている筈である。万が一、ということもある。あの性悪がまさか失敗するとは思えないが、こうも音沙汰がないようでは、要らぬ不安が募るばかりだ。どうせ散々好き放題したせいで後処理に奔走しているか、山道が雪で埋まっていて帰れないかのどちらかだとは思うが、何にせよ連絡の一つぐらい寄越せと思う。決して、フィーネの身を案じている訳ではない。断じて、ない。

 そもそもフィーネは、その戦闘力こそシンフォギアを纏った装者には劣るものの、人の身でありながらノイズの攻撃を防ぐほどの(バリア)を発生させることができるし、数千年を生きてきた経験からか格闘術までこなす。おまけにオツムの出来まで天才だというのだから手に負えない。性格の悪さにさえ目を瞑れば、完璧超人と言っても過言ではないスペックを誇るのがフィーネという女だ。

 

「あの人外がそう簡単にくたばる訳もない、か。……あれ?」

 

 本人が居ないことをいいことに言いたい放題の蛍だったが、ふと、窓の外の景色に異物を見つけた。「なんだろう……」と蛍はガラスに顔を近づけ目を細める。視界を遮る雪が邪魔で良くは見えないが、それは麓から屋敷へと続く唯一の山道を二つの光源が登ってきているように見えた。

 

「まさか……」

 

 呟くと同時に、厚手のコートに手を伸ばし部屋を飛び出す。エントランスに至るまでの最短距離を並列思考(マルチシンク)で叩き出した蛍は、その両足に力を込めて床に這ったケーブルに転ばぬよう注意しながら薄暗い屋敷の廊下を全速力で駆け抜けた。

 辿り着いた扉の前で、手に持ったコートに袖を通し、乱れた呼吸を整える。ドアノブに手をかけ、蛍の身長の3倍はあろうかという玄関を開け放つと、凍てついた風が蛍の全身を打った。吐き出した息が途端に白くなり、暖房の効いた室内の温かさに慣れてしまった蛍の体がぶるりと震える。

 

 扉を開けたその先の光景に、絶句した。

 

 蛍も一度乗ったことがある国内メーカーの有名な3ドアコンパクトカー。フィーネではなく櫻井了子の趣味に合わせたのであろうそのピンクの車体が、ヘッドライトを灯しながら積もりに積もった雪道をこともなさ気に走っている光景に、蛍は開いた口が塞がらなかった。スタッドレスタイヤを履くだとかチェーンを巻くだとか、そういうレベルの問題ではなく、何かしらの異端技術(ブラックアート)でも使っているのだろうか。でなければ、山中深くにあるこの屋敷に、あんな見た目どノーマルのコンパクトカーが、大量の雪が降り積もった細い山道を踏破し、無事にたどり着くなんておかしいではないか。

 屋敷の玄関前に乗り付けたピンクの車の運転席側のドアが開き、一ヶ月ぶりにその姿を蛍の前に晒したフィーネは、彼女本来の姿ではなく、ブラウンのロングヘアーをまるで貝の様にアップにまとめ、トレードマークの眼鏡と白衣を身につけた特機部ニ研究班主任――櫻井了子としての姿だった。蛍の姿をその目に収めると、フィーネは何がそんなに楽しいのだろうぶんぶんと腕を大きく振りながら、スキップ混じりに蛍に向かって駆け寄ってきた。

 

「たっだいまー! 蛍ちゃん元気にしてた? 私が居ないからって訓練サボったりなんかしてたら、お仕置きしちゃうわよ!」

「一ヶ月も留守にしておいて、第一声がそれですか」

「あらやだ、もしかして蛍ちゃんってば怒ってる? ごめんなさいね、こっちもこっちで忙しすぎて身動きが取れなかったのよ。徹夜は美容の天敵だっていうのに、ほら見て、寝不足でこーんなに大きな隈が出来ちゃったんだから。私が幾ら出来る女と評判だからって、皆働かせ過ぎよね」

 

 相も変わぬ普段のフィーネとのギャップに、蛍は顰めそうになった顔を引き締める。

 櫻井了子という人格は既にこの世に存在していない。10年前、櫻井了子がフィーネとして覚醒した瞬間に彼女の意識はフィーネによって塗り潰された。今の櫻井了子という人物は、フィーネが彼女の記憶と知識を基に演じている虚像に過ぎない。

 マイペースで自由奔放、傍から見れば只のお調子者に見えないこともないが、その実、中身は稀代の天才考古学者。天才には変わり者が多いとよく言うが、その典型を地で行くのが櫻井了子という人物だ。これをあのプライドに足が生えたようなフィーネが演じているとは、未だに信じられない。それもフィーネとして目覚めてから、10年近くもの長い期間を、周囲の人間に全く悟らせることなくだ。

 

「それにしても、わざわざ出迎えてくれるなんて、実は蛍ちゃん私に逢えなくて寂しかったのかしらん?」

「……不審な灯りが窓から見えたから確かめにきただけです。おかしな勘繰りはやめてください」

「ふーん、そうなの。……あら? あらあら? まぁまぁまぁッ!」

「な、なんですか、急におかしな声を上げて……」

「うふっ、うふふ、うふふふふふふふふ、別に何でもないわよ?」

「……そんな笑い方までしておいて、何でもないなんて理屈が罷り通るとでも? いったい全体何だというんですか……」

「ふふっ、本当に大したことじゃないのよ。只、蛍ちゃんの足元が随分と寒そうだなぁって思っただーけ」

 

 フィーネの言葉に、蛍ははっと自分の足元を見る。蛍はこの寒空の下にも関わらず、自分が普段から愛用している部屋履きを履いている事に漸く気が付いた。「い、急いでいたんです。仕方がないじゃないですか」と冷静さを装ってみたものの、恐らく今蛍の顔は羞恥で赤く染まっているのだろう。恥ずかしさから、顔を上げることが出来ない。顔を上げれば、真っ赤に染まった己の顔をフィーネに見られてしまう。既に何度となく見られている気もするが、今日のこれは蛍にとって過去最大級の恥ずかしさであり、とてもではないが直ぐにはいつもの無表情に戻れない。「あぁん、本当におぼこいんだから」とやたら艶めかしい声で宣うフィーネの方を絶対に向かぬよう、蛍は俯いたまま自分の表情筋の不甲斐なさに活を入れるも、顔を染め上げる恥辱の熱は一向に冷める気配を見せてくれなかった。

 

「可愛い蛍ちゃんをもっと眺めていたいけど、残念ながら今日はあまり時間がないの。直ぐに向こうに戻らないと行けなくてね。まったくもう奏ちゃんが死んじゃうなんて予想外もいいところ。此方としては、二課の戦力が削れて万々歳なんだけど、お陰で事後処理が面倒くさいったらありゃしない!」

「は? 天羽奏が死んだのですか? まさかノイズ程度にやられて?」

「逃げ遅れた観客を庇ってね。Project:Nに余計な不確定要素(ガーベッジ)を混入させたくないから、公演前から暫くLiNKERの投与を控えさせていたのが、こんな結果を生むなんて、世の中、何が起こるか分からないものねー」

 

 フィーネの言葉に蛍の羞恥心は何処かへ吹き飛び、その内容がもたらす衝撃に驚愕から蛍は思わず顔を上げた。とんでもないことを何でもないことのようにあっさりと語るフィーネの姿を睨むように視界に収める。年甲斐もなくわざとらしく頬を膨らませて不満を露わにするその表情からは、櫻井了子として2年近く極々親しい距離で接してきた少女の死を悼む気持ちは欠片も見られず、二課の貴重な戦力であるツヴァイウイング――その片翼を屠ったというのにそれを喜ぶような気配もまた皆無であった。天羽奏の死に興味はないというフィーネの本音が、有り有りと伝わってきた。

 フィーネにとってはどうでもいいことなのかもしれないが、蛍にとって天羽奏が死んだという事実は、頭をガツンとハンマーで殴られたかのような衝撃だった。たった一度映像で見ただけで、実際には言葉を交わしたことすらない少女のことを思う。まるで羽毛のような朱い髪を靡かせて、手にしたアームドギアで次々とノイズを屠るその姿は、今もなお蛍の脳裏に焼き付いている。映像を見た蛍は、今までは漠然としかしていなかった戦うべき相手の姿を、初めてその瞳で見定めたのだ。ノイズではない蛍と同じ意志を持った人間こそが、蛍の前に立ちはだかる壁なのだと覚悟を決めた。

 だというのに、遠くない未来、いずれ来る戦場で矛を交える筈であった打倒すべき敵の片翼が、自分の知らぬ間にこの世を去っていた。この事実に、蛍は形容しがたい喪失感を覚えた。倒すべき敵が減ったと喜ぶべきなのに、この胸にある寂寥感は一体何だというのか? 胸の内から湧き出た問いに、返すべき答えを蛍は終ぞ見つけることが出来なかった。

 

「もうッ! そんな終わったことはどうでもいいの。今日はこんな話をするために、わざわざこの雪の中車を走らせてきたわけじゃないんだから」

 

 蛍の心情など知ってか知らずか、櫻井了子を演じマイペースを貫くフィーネに「はぁ……それで要件はなんですか?」と蛍が息混じりの返事をすれば、フィーネは待っていましたと言わんばかりの笑みを浮かべ、蛍に背を向けると未だエンジンがかかったままの車に向けて歩き出した。「ふーん、ふふーん」と鼻歌まで口ずさむフィーネに、蛍は何故こんなにも彼女はご機嫌なのだろうと疑問を覚える。櫻井了子を演じているとは言っても、フィーネのこのハイテンションは幾らなんでも度が過ぎている。思えば、今日のフィーネは出会い頭からして、蛍相手に満面の笑みを浮かべながら手を振るなどおかしな行動が多い。

 そこに嫌な予感を覚えることが出来たのは、蛍が少なからずとも3年という月日をフィーネと共に過ごしてきた経験があったからであろう。彼女の機嫌が良い時は、大抵碌なことにはならない。それを今までの経験から、蛍は身を持って知っている。そしてそれは、今回においても決して例外ではなかった。

 

「じゃじゃーんッ! 紹介するわね。この娘が今日から私たちと一緒に戦う第二号聖遺物『イチイバル』のシンフォギア装者、雪音(ゆきね)クリスちゃんです!」

 

 舞い散る雪の中、フィーネによって開かれた助手席から、一人の少女がゆっくりと降りてくる。「拐って来ちゃった、テヘッ」と舌を出してはにかむフィーネの顔面に《流星》を叩き込んでやりたい衝動を必死に我慢しながら、蛍は少女を観察する。

 警戒心を露わにした紫の瞳で蛍のことを見つめる彼女は、はっきり言って美少女だった。日本人離れした可愛らしい顔立ち。一部分だけが太もも近くまで伸びたクセのある白藤色の髪は、ゴムなどでまとめていないのにも関わらずカントリースタイルのツインテールにも見える。体付きを見る限りでは、蛍よりも幾つか年上だろうか。身長は蛍よりも少し高い程度だが、第二次性徴真っ盛りであるはずなのに3年前からちっとも成長の兆しが見えない蛍の貧相な体とは比べるのも烏滸がましい程に、その肉体は女性らしい膨らみと丸みを兼ね備えている。

 

 その大きな胸に挟まれる様にして赤い輝きがある。蛍はその輝きを知っている。首から下げた赤い水晶柱のネックレス。クリスが身に纏ったそれは、紛れも無く基底状態のシンフォギアに他ならなかった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 雪音クリスは案内された少女の自室で、床に敷かれたカーペットに直に腰を降ろし、座卓を挟んで少女と向い合っていた。

 

「あったかいものどうぞ」

「……あったかいもの、どうも」

 

 「危ないものは何も入っていませんから」という言葉と共に詞世蛍と名乗った少女から受け取ったマグカップには、熱々のホットミルクが注がれていた。マグカップを両手の手で包むようにして持つと、先程まで外気に触れて悴んでいた手のひらがじんわりと温かさを取り戻していく。そのままマグカップを口元まで運ぶと、舌を火傷しないように少しだけホットミルクを口に含む。蜂蜜でも入っているのだろうか、仄かな甘みが舌から伝わってくる。ほっとする優しい味だ。

 

「すみません、あの人、いつもああなんです」

「いや、気にしてねえけどよ……」

 

 申し訳無さそうに蛍が語るのはクリスをこの屋敷に連れてきたフィーネのことであろう。彼女は、目の前の少女に対し碌な説明もしないで、食料やクリスの生活雑貨などの詰まったダンボールを車から降ろすと、「同い年なんだから仲良くね!」と言い残し、さっさと元来た道を取って返してしまった。ぽつんと二人残されたクリスと蛍は暫し唖然としていたものの、「とりあえず、中に入りませんか?」という蛍の言葉に膠も無く頷いた。

 

 クリスの蛍に対する第一印象は「変なやつ」、これに尽きた。

 

 部屋に入って間もない頃こそ、クリスの胸をじっと見つめて「同い年……同い年かぁ……」とよく分からないことをブツブツと呟いていたものの、今ではこうして復活し、クリスの為に無表情でホットミルクを入れてくれている。基本的に無表情で何を考えているのか分からないが、ふとした瞬間に歳相応の少女らしい表情がひょっこりと顔を覗かせる。なんというか、酷くちぐはぐで、その見た目も相まって幼い少女が無理をして感情を押し殺しているようにしか見えないのだ。その「歪さ」に気付いた時、クリスは内心で「あぁ、こいつも私と同類なんだな」とひっそりと納得した。きっとこの少女は、クリス同様にまともな人生を歩めなかった側の人間だ。感情を押し殺すことでしか自分を守れない、生きていけない。そんな陽だまりからは程遠い日陰の中で生きてきたのだろう。

 

 この5年間、クリスは地獄にいた。比喩などではなく、あれは正しく地獄だった。

 

 バルベルデ共和国。南米北西部に位置しカリブ海に面したその国は、長らく内戦状態にあった。クーデターや汚職が蔓延し、政府軍とゲリラとがいつ終わるかも分からない泥沼の戦争を、只管に繰り返していた。

 バイオリニストであった父と声楽家であった母。共に世界的な音楽家だった両親は、「歌で世界を救う」なんてご大層な夢を掲げ、当時まだ7歳だったクリスを連れてその地獄に足を踏み入れた。様々な紛争地域に赴き現地住民のケアを主な目的としたNGO「渡り鳥」のメンバーとして、紛争で心に傷を負った市民のために音楽を奏で続けた両親。だが、その両親もまた、政府軍と現地ゲリラの紛争に巻き込まれ死んでしまった。

 馬鹿だったのだ。愚かだったのだ。叶う筈もない夢を追いかけ、その果てに得たのは、我が身を貫く無数の鉛弾。なんて救いようのない、馬鹿。

 たった独り残されたクリスは、ゲリラに拐われ、長きに渡る捕虜としての生活を強いられた。小さな物置のような建物の中、同じように拐われてきた言葉も通じない子供たちと共に、粗雑な一枚の毛布を胸に抱いて只々震えていた。与えられた食事は一日一食の固いパンと冷めたスープ。温かいお風呂になど入れるはずもなく、建物の中にはいつも悪臭が漂っていた。時折、銃を持った大人たちがやって来て、何人かの子供を無理矢理に連れて行った。連れて行かれた子供は二度とは戻ってこなかった。次に連れて行かれるのは自分かもしれない。そんな不安を子供たち全員が常に抱いていた。連れてこられて初めの頃こそ、周りの子供たちを元気づけようと明るく振舞っている子供もいたが、子供たちの人数が一人また一人と消えていく度に、その声は小さくなっていき、最後には周りの子供たち同様に目から光を失った。

 そんな環境の中、クリスが5年も生きてこられたのは只運が良かったのか、それとも世界的に有名であった音楽家の娘ということで何かしらの利用価値があると思われていたのか。突然現れた国連軍によってゲリラ組織が駆逐され、救出された今となっては確かめようもない。

 国連軍に救出され、5年ぶりに日本の土を踏んだクリスだったが、故郷でもその心が休まることはなかった。特別にチャーターされたという政府専用機から空港に降り立ったクリスを待ち構えていたのは、どこからかクリスの情報を嗅ぎつけてきたハイエナのようなマスコミたちだった。無数のレンズを此方に向けて、獲物を見つけたと言わんばかりに目をギラつかせた大人たちが「5年ぶりの帰国となりますが今のお気持ちは……」だとか「ご両親を亡くされたことについて何か一言……」なんて無神経な言葉をマイク片手に大声で叫びながら迫ってくる姿は、恐怖以外の何物でもなかった。黒いスーツに身を包んだSPたちに周りを囲まれなんとかたどり着いた黒塗りのセダンに乗って、政府が用意した宿舎に到着した時は、ようやく一息つけるかと安心したが、そうは問屋が卸さなかった。

 部屋で一人きりになった時を狙われ、再び拐われた。背後から羽交い締めにされ、薬品の染みこんだ布で口元を覆われ意識を失った。目を覚ましたクリスを待っていたのは、研究者たちに囲まれた実験漬けの毎日だった。様々な薬を飲まされ、無理矢理に歌わされた。だが、幸いにして、その生活は1週間ほどで終わりを迎えた。クリスが研究者も腰を抜かすほどの驚異的な速度でイチイバルに適合したからだ。

 聖遺物が適合したことで、クリスは初めてフィーネに引き合わされた。そして様々な事実を知った。信じ難いことも多々あったが、その度に胸から下げたイチイバルの輝きが目に付いた。フィーネの語ったことが真実であれ、嘘であれ、クリスが手に入れたのは紛れもない力だった。身に纏ったからこそ分かるシンフォギアという力の凄まじさ。それは、まさに絶対たる力と呼ぶに相応しいものだった。そしてそんな力を手に入れたクリスに向かって、フィーネはこう言ったのだ。「その力で、戦争を無くさないか?」と。

 

「あの、大丈夫、ですか?」

 

 此方を心配する蛍の声と差し出されたハンカチに、ふと我に返ったクリスは、自分の頬を温かな雫が伝っていることに気付いた。「な、なんでもねえよッ!」と差し伸べられた手を振り払い、勢い良く目元を拭う。悲哀と羞恥でぐちゃぐちゃになった顔を隠すため、膝を抱えて頭を突っ伏した。

 日本に帰国してからの激動だった日々が漸くひと段落した。そんなことを頭の隅で考えてしまったら、ずっと張り詰めていた緊張の糸が切れてしまった。感情を押さえ込んでいた堤防が決壊し、濁流となってクリスの心に押し寄せる。様々な感情が入り混じったそれは、あっという間にクリスの心を飲み込み、落涙となってクリスの中から溢れ出た。

 流しても、流しても途切れることのない自分の感情に、クリスの心が悲鳴を上げ始める。溜めに溜めた5年分の感情を、クリスの未熟な精神は受け止めきれない。聞こえるはずのない心が軋む音が聞こえる。このままで壊れる。大切な何かを失ってしまう。そう分かっていながらも、最早クリス一人の力では取り返しのつかない所まで来てしまった。

 

 助けて。

 

 声に出しても誰も手を差し伸べてはくれなかった。心の中で祈っても何も事態は好転しなかった。依るべき大人たちは、余計なこと以外はいつも何もしてくれなかった。それでもこの理不尽な世界で、弱いクリスはその言葉に縋るしか無かった。

 しかし、それもついこの間までの話だ。今のクリスには力がある。強者を打ち砕くための牙がある。この力で、戦争という火種を無くしてみせる。そう心に決めてこの場所に来た。

 だというのに、この5年間で何度も口にしながらも、一度も聞き届けられたことのない願いの言葉が胸に浮かぶ。もう二度と他人の力に期待しないと、イチイバルを手にしたあの時、心に決めたはずなのに、シンフォギアという力を手に入れてなお、まだ誰かの手に救いを求める弱い自分がいる。

 だったら、こんな弱い私なんていらないじゃないか。

 いっそ壊れてしまえば――。

 

「何でもなくないじゃないですか」

 

 言葉と共に柔らかくて温かい蛍の体が、膝を抱えて蹲るクリスを包み込んだ。背中越しに感じる彼女の胸の鼓動が、震えるクリスの心に落ち着けと呼びかけてくる。

 すると、どうだろう先程まであれだけ胸の内を荒れ狂っていた感情の渦が、蛍の熱を感じる度に少しまた少しとその勢いを失っていく。

 痛い程に握り締められたクリスの両の拳が、蛍の手によって優しく丁寧に一本一本解かれていく。力を入れ過ぎて痺れすら感じる開いた手に、蛍の手が重ねられる。小さな手だった。クリスのものよりも幾分小さなその手のひらが、何故かとても頼もしかった。

 

「はぁ……ッ!はぁ……ッ!」

「大丈夫です。大丈夫ですから」

 

 過呼吸一歩手前のクリスをなんとか落ち着けようと繰り返される耳元から聞こえる蛍の声が心地良い。先程までの無愛想な声ではない、慈愛に満ち溢れた声に少しばかり驚く。こいつこんな声も出せるのかと考える程度には意識が落ち着いてくると、今度は自分の不甲斐なさにまた涙が出てきた。

 まだ出逢って一時間も経っていない少女に、こんな無様な姿を見せて、挙句の果てに慰められた。加えて、それが蛍の混じりっけのない純粋な気遣いであると分かってしまうことが、酷くクリスを惨めにさせた。蛍だってまともな人生を歩めなかった筈だ。こんな山奥の屋敷でフィーネとたった二人で暮らし、世界を変えるなんて少女が抱くには壮大すぎる目的を大真面目に果たすため、シンフォギアの装者をやっている少女が、陽だまりの中に身を置いていた訳がない。だと言うのに、なんでそんなに私に優しく出来るんだ。憐れみの篭ったどこまでも上から目線の大人たちとはまるで違う。憐れみも打算もない優しさが、酷く身に沁みた。

 

「なんで、そんなに、優しいんだよ……」

 

 

◇◇◇

 

 

「なんで、そんなに、優しいんだよ……」

 

 膝を抱えて頭を埋めたままのクリスから、蚊の鳴くような声が漏れる。ホットミルクを口にしたと思ったら、いきなり涙を零したクリスには驚いたものの、その後の膝を抱えて何かに耐えるような彼女の姿を見て、蛍は気が付けば彼女の身体を抱きしめていた。こういう泣き方は、知っている。押さえ込んでいた感情がちょっとした拍子に溢れ出して、感情を堰き止めていた理性がはじけ飛んでしまう。そんな危うい泣き方だ。

 

「……私は、優しくなんてないです。只、我儘なんです」

 

 優しい。それは蛍から最も遠い言葉だ。蛍は優しくなんてない。優しい人間が、何を犠牲にしてでも叶えたい願いなんて抱くだろうか。何の罪もない人々が自分の所為でその命を散らせることを許容できるだろうか。そんな訳はない。きっと本当に優しい人間というのは、何かを得るために誰かを犠牲にしてしまうなら、そんな道はきっぱり捨てて誰も犠牲にしない道を新たに模索し始める。砂糖菓子の様に甘くて、夢想家で、けれど決して諦めず、誰かのために手を伸ばし続ける。そんな人こそが、真に優しいと呼べる人間なのだ。

 蛍のこれは只の我儘だ。理不尽なこの世界が許せないから、冷えた自分の身体をはちみつ入りのホットミルクで温めたかったから、自分と似た境遇であろう目の前の少女が泣いているのが嫌だから。蛍の行動の根っこには、すべて自分の感情がある。他人の為では、ない。全部が全部自分の為に行うことだ。

 歌だってそうだ。蛍の歌は他人に聞かせる為の歌ではない。蛍が蛍自身の為に歌う自分勝手な歌だ。唯一の例外は神獣鏡(シェンショウジン)だが、あれは物なのでノーカウントだろう。

 

「我侭……?」

「はい。私は、自分勝手で、欲深くて、自分の為にしか歌えない最低の人間です」

「そんなの……当たり前のことだろ……。誰だって、一番可愛いのは我が身じゃねぇか」

「そう、ですね。それが、この世界の『当たり前』です」

 

 「だからこそ、私は――」言いかけた言葉を済んでのところで飲み込む。混乱の只中にあるクリスに聞かせるような話でもないだろうと思い直し、代わりに彼女を抱きしめた両腕に力を込めた。これ以上は語らないという蛍の意思が伝わったのか、クリスはそれ以上口を開くことはなかった。

 静寂(しじま)が、場を満たす。蛍とクリス。二人の鼓動の音だけが、互いの身体を通じて、伝わっている。不思議と、どこか懐かしいこの静寂が嫌ではなかった。フィーネに抱きしめられた時とはまた違う。

 

 そんなことを思いながら、蛍は目の前の少女が涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げるその時まで、その温もりを感じていた。

 




 語尾の最後に☆とか♪を使いたくはなかったので、了子さんの口調にかなり苦戦しました。書いてみて初めて分かる難しさがありました……。

 そして念願のクリス初登場。クリスが日本に帰国した時期は公式で1月5日となっています。1期1話で未来の父親がツヴァイウイングのライブ当日に読んでいた新聞を拡大するとちゃんと日付が乗っててびっくりしました。クリス失踪の記事が恐らくその日の朝刊であろう新聞の一面に乗っていたこととその内容から、ツヴァイウイングのライブはクリス失踪の数日後に行われたと考察し、時系列を組み立てています。
 蛍とクリスの出逢いは雪の中がいいなぁと漠然と考えていたので、思わずガッツポーズしました。

 誤字脱字は見つけ次第、修正します。

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