戦姫絶唱シンフォギア ~歪鏡に選ばれた少女~   作:きおう屋

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 更新は来週だと言ったな。あれは嘘だ。



EPISODE 14 「戦場に刃鳴裂き誇る」

 風鳴翼の眼前で、幾何学的な紋様が幾重にも重なり合い白銀の繭を形成している。それは紛れもなく、シンフォギア装着時に発生するエネルギーフィールドだ。神々しいまでの眩い光を放ち少女を包む繭は、外界からの影響を遮断する防壁であると共に、少女に超常の力を授ける役割を担う。

 生半可な攻撃では、その繭を破る事は叶わない。あれはノイズの攻撃にすら耐え得るのだ。聖遺物が持つ人智を越えた法則により紡がれた繭は、装者が鎧を纏い終わるその時まで、決して解れることはない。

 その繭に変化が訪れた。時間にして数秒程度だろうが辺りを眩いまでに照らしていた光が収束し、弾けるようにしてその役目を終える。翼は余りの眩しさに目を細めるも、決して目を反らさずに、その光の爆発を睨み続けた。

 

「こんなお披露目になるなんて、あとでお仕置き確定じゃないですか」

 

 そんな溜息混じりの声と共に、光の中から少女が現れる。その身に纏うは濃紺の鎧。濃紺と白に彩られた肌にピッタリと張り付くバトルスーツを上半身に身に纏い、腰には先程少女が手に持っていた槍の様な物体、両脚には濃紺の厳つい機械装甲を装着している。上半身と下半身のアンバランス差が嫌でも目につき、それは彼女のバトルスタイルに由来するものなのだろうか。考えを巡らせてみるものの答えは出ない。

 そもそも少女がその身に纏うシンフォギアが、何の聖遺物を元に作られたものかすら定かではないのだ。翼のシンフォギアの素材となった天羽々斬(アメノハバキリ)は、伝承にもあるように須佐之男命が八岐大蛇を屠った際に振るわれたとされる(つるぎ)の聖遺物だ。故に、翼が用いる獲物はその殆どが刀剣の類である。響が身に纏うガングニールは、未だアームドギアの生成には至っていないが、以前の――本来の持ち主である奏が用いていた際は、アームドギアは槍の形状をとっていた。シンフォギアは担い手によりその性質を大きく変えるが、武装に関しては、基になった聖遺物の性質を大きく逸脱することはないというのが、開発者である櫻井良子の弁であった筈だ。

 

戦場(いくさば)で悠長に考え事とは。かの絶刀は、本当に(なまくら)に成り果てたのでしょうか」

 

 呆れる様な少女の物言いに、翼の意識は漸く思考の渦から浮上する。此方に敵意を持つ相手を前にして思考に耽っていたことに、そして何よりそれを敵に諭されたということに、頭を掻き毟りたい程の羞恥に襲われる。何という未熟。この身を剣と定めていながら、余計な思考に囚われるなどと。

 翼は身の内から湧き出る羞恥の念を誤魔化すように、口早に言葉を紡いだ。

 

「……どういうつもりだ」

「何がですか」

「貴様は、私の敵だと名乗った。この私を――風鳴翼を相手取っておきながら、敵に情けをかけるだと。巫山戯ているのか」

「……言葉にしなければ、伝わりませんか?」

「――――ッ!!」

 

 その少女の一言で、翼は目の前が真っ赤に染まった。少女は言外に「貴女程度の相手にそんな隙を突くまでもない」と言っているのだ。この少女は、剣を交えるまでもなく翼を己よりも格下だと断じたのだ。それは戦士たる翼に対して、これ以上はない侮蔑の言葉だった。

 怒りに身を任せて、手に握ったアームドギアを振りかぶる。両耳に備え付けられたヘッドフォンパーツから、弦十郎やオペレーターの制止の声が聞こえたが、それらを無視し、脚部スラスターにより彼我の距離を詰め、己が激情を刀に込めて眼前に佇む少女に――敵に振り切った。

 しかし、今まで数多くのノイズを一刀の下に切り捨ててきた翼の大上段からの一撃を、少女は腕から伸びた帯を変形させ閉じた扇状のアームドギアを現出させ、事もなさげに捌いてみせた。刀の腹を扇でそっと押し、その(きっさき)を逸らしたのだ。力による強引な防ぎ方ではない。卓越した技術により完璧なまでに受け流された。

 言葉にすれば、何とも陳腐な響きだが、シンフォギアを身に纏い、身体能力が飛躍的に上昇した翼の神速の剣をとなれば、その技術が如何に尋常でないかが窺い知れる。

 

「鉄扇!?」

「こんな安い挑発に乗る様では」

 

 少女は失望したと言わんばかりの視線を翼に向けて、その右足を振り抜く。腹部に強烈な衝撃は受けて、刀を捌かれ体勢の崩れた翼がそれに耐えられる筈もなく、固い地面を無様に転がる。歯の根を噛み砕かんばかりに食いしばり、胃の中の物が逆流するのを堪えながらも追撃に備え翼は素早く立ち上がる。だが、そこに来る筈の追撃はない。

 絶好の機会であったのにも関わらず、少女は変わらず、悠然とその場に佇んでいた。その姿からは、強者故の余裕を感じる。己こそが、この場の絶対者であるという自信。だが、それが驕りでも騙りでもないことを、少女は先の一撃で示して見せた。

 

「ぐっ……強い……!」

「そうですね。少なくとも今の貴女よりは、私は強い」

「今の、私……?」

「えぇ、手ずから凌いで良く分かりました。貴女、昔の方が強かったですよ。過去の貴女と実際に手合わせした訳ではありませんが、天羽奏が健在であったならば、そんな固いだけの剣にはならなかったでしょうに」

「貴様が何故、奏のことを知っている!?」

「まさか、私が貴女方のことを何も知らずにこの場に立っているとでも? 情報収集は戦の常。いずれ矛を交える相手の事を調べるのは当然の事ですよ」

 

 敵は我々の事をよく知っている。その事実が、言い様のない悪寒となって翼の背筋を震わせる。

 この少女は一体何者だ? 日本政府が独占している筈のシンフォギアを自在に操り、口振りから察するに一般には公開されていない二課内部の情報にも明るい。個人の所業ではない。少女の背後には、必ず何らかの国や組織がいる筈だ。しかし、その様な組織など翼の知る限りでは存在しない。シンフォギアを実用化する程の技術力を持つ組織であれば、二課――引いては風鳴の情報網に引っかかる筈。身内贔屓をする訳ではないが、風鳴の家の情報収集能力は優秀だ。名のある組織であれば、例えそれが地球の裏側の物であろうとも、父は詳細な情報を握っているだろう。そんな父達に、今の今まで、その影すら踏ませることがなかったというのか。

 

「貴様は、一体何者だ」

「先にも言ったでしょう。貴女の敵だと。今はそれだけ分かっていれば充分では? それとも、防人の剣は既に何者をも断てぬ程、錆び付いてしまったのですか?」

「……その形で、随分大きな口を叩く」

「……その形?」

「童子の様なその容貌で、大仰な大言壮語を吐くと言った」

「……」

 

 瞬間、チリッと肌を焦がす程の気配が少女の小さな体から発せられた。

 少女がその肩を震わせる。その拳は強く握られ、額には薄っすら青筋が浮かんでいる。挑発に挑発で返した積もりが、虎の尾を踏み抜いてしまったのかもしれない。

 翼はマズイとは思いながらも、一度口にした言葉を今更鞘に戻すことは出来ず、こうなっては舌戦にて相手の冷静を少しでも乱す他ないと、更なる言葉を重ねていく。

 

「そういえば、先程も随分と興味深い事を言っていましたね。私の事を、と、年端もいかない少女だとか」

「事実だろう。貴様がどれだけ歳を重ねてきたのか知らんが、その姿、小学生だと言われても信じるぞ」

 

 ブチリと何かが千切れる音がした。其れがなんであるのかは、最早確認するまでもない。怒髪が天を突くとはこういう事を言うのだろうか。

 目の前の少女が満面の笑みを浮かべている。本来であれば、その笑顔は同性の翼であっても思わず見惚れてしまいそうな程愛らしい筈なのに、その笑顔を見てからというもの、翼の背には嫌な汗が止まらない。いつ間にか少女の背後には、鏡状のデバイスが幾つも宙に浮かび、淡い燐光を放ちながら明滅している。

 

「良い事を教えてあげます、風鳴翼。その耳に、胸に、魂に刻みなさい。私は16歳ですッッッ!!!!!!」

 

《光芒》

 

 鏡状のデバイスから放たれるのは、幾房もの濃紺の光の筋。その全てが明確な殺意を持って、翼を貫かんと殺到する。腹部から伝わる鈍い痛みに耐えながら、翼は己が体躯を行使する。

 激情に駆られながらも正確無比に急所ばかりを狙い撃つその射撃に、再び背筋を震わせた翼だったが、急所を正確に狙ってくるからこそ、回避は容易であった。

 翼が急所への《光芒》を回避すると、少女は更に笑顔を深め、直様狙いを修正した第二射を放ってくる。再び迫り来る光の群れは、第一射の時の様な狙い済ましたものではなく、ランダムな弾道を描く。一見して当たり散らしたかに見える射撃だが、あれだけの技量を持つ彼女がそのような射撃をする訳もない。良く良く観察すれば、翼が回避する事を見越して、態とタイミングをズラして放たれた偏差射撃が含まれている。

 避けきれないと判断した翼は、その意識を回避から迎撃へと切り替え、手にしたアームドギアの柄を握り込む。放つのは、先にノイズを一刀で屠った翼が得意とする蒼の一撃。アームドギアを巨大な刀へと変形させると同時にその鋒から指向性を持った衝撃波を放つ。

 

《蒼ノ一閃》

 

 剣撃が形を成し、蒼き衝撃波となって濃紺の光を迎え撃つ。超常の力がぶつかり合い、辺りに破壊を撒き散らす。しかし、タメも無しに放った一撃では全ての濃紺の光を迎撃するには至らず、幾つかの濃紺の光が蒼の衝撃波を食い破り、翼へと襲い掛かる。

 翼はその光の群れを、巨大化したアームドギアを盾にして受け止める。《蒼ノ一閃》を受けて、威力の減衰した《光芒》であれば充分に耐え切れるだろうとの判断だったが、結果としてそれは、この少女を相手取った際に最も選択してはならない悪手であった。

 拮抗したのは一瞬。《光芒》がまるで翼のアームドギアを侵食するかの様に、じわりじわりとその接触面を融解させる。過去最大級の嫌な予感を覚えた翼は、咄嗟に脚部スラスターを全開にして身体に掛かる負荷も厭わずに真横へと飛んだ。

 瞬間的に凄まじいGが翼の身を襲うも、その形振り構わぬ行動が、翼を生き長らえさせた。

 

 盾として構えたアームドギアに、幾つもの穴が穿たれている。

 

 馬鹿な。幾ら少女が、その身に超常の力を纏っているのだとしても、翼が身に纏うのもまた超常の力だ。聖遺物の欠片によって作られたシンフォギアが、こうも容易く貫かれるなどあって良い筈がない。事実、過去に奏と模擬戦をした際にも、互いに死力尽くしていなかったとはいえ、アームドギアが破壊されをる等という事態に陥ったことはなかった。加えて、先程の少女の技は、直前に翼の技とぶつかり合い、その威力の大部分を削いだ筈だ。それが目に見えて分かったからこそ、翼は回避ではなく防御という選択をしたのだ。

 にも関わらず、翼の予想を裏切り濃紺の光は、絶刀・天羽々斬(アメノハバキリ)に傷を負わせた。単なる威力云々の問題ではない。あの光には、そう言った特性が付与されていると考えるべきだ。そして、恐らくそれはあの技に宿った性質ではなく、その基になった聖遺物由来の性質である筈。

 

「アームドギアを穿つだと!? 貴様のシンフォギアの基になった聖遺物とは一体……」

「態々、敵に手の内を晒すなど、期待しないで下さいね」

「……はっ、成る程道理だ。ならば、話はベッドで聞かせてもらうッ!」

「情熱的なお誘いですが、私の床の相手は貴女ではないッ!」

 

 少女の戯言に耳を傾けることなく、翼は左右の脚部装甲から計6本の小太刀を取りだし投擲する。狙いは少女の背後に浮遊するデバイス群。当然の様に放たれた濃紺の光により、全ての小太刀が迎撃されるもそれで構わない。基よりこの程度の攻撃で撃墜出来るとは考えていない。

 先程の射撃で、第二射までに数瞬の隙があることは確認済み。ほんの僅かな隙ではあるものの、近接戦闘に重きを置いたこの天羽々斬(アメノハバキリ)の機動性ならば届き得る。

 小太刀にて作り出した刹那の間を、脚部スラスターを全開にして、疾く翔ける。再構成した刀型のアームドギアを握り締め、少女の喉元を食い破らんと迫る。

 

「はああああああああああッッ!!」

 

 気迫を込めた怒号と共に上段からアームドギアを振るう。しかし、翼の渾身の一撃を、先程の再現の如く、鉄扇を用いて少女は涼しい顔で受け流す。それでも翼に焦りはない。こうなる事も折り込み済みだ。

 翼は体勢を崩す振りをして、刀を振り抜いた勢いをそのままに、両手を地面に着き、逆立ちの体勢を取る。両手を起点として駒の様に身体を回転させ、脚部のスラスターを吹かし更に加速。脚部スラスターを刃に見立て、鍛え上げられたそのしなやかな足から鋭い斬撃を放った。

 

《逆羅刹》

 

 殺った。防御も回避も間に合わない完全に相手の意表を突いた一撃。少女がどれ程卓越した技術を持とうともこの一撃は躱せまい。

 足から斬撃を放つという常軌を外した技。剣士として正道とは言えない技だが、翼は剣士ではなく剣である。剣は只敵に振るわれる為にあり、其処に正道も邪道も有りはしない。斬る。剣に求められるのは、その一点のみだ。

 

 だが、その一撃さえも、少女には届かない。

 

 少女が脚に纏った装甲が部分的に展開し、新たな超常の力を発動する。

 少女は()()()。ふわりと、まるで重力を感じさせない滑る様な独特の機動で、予備動作の一つもなくその場でくるりと回転。《逆羅刹》の届かぬ空へとその身を舞い上がらせる。

 ここで逃しては勝機を失う。少女が自在に宙を舞えるのだとしたら、空は彼女の領域だ。翼も脚部スラスターにより一時的な飛行紛いの事は出来るが、どうしても直線的な動きになり、地上に比べ自由度は下がる。

 今、彼我の距離が開けば、2度と刀を振るう間合いには近づけまい。恐らく、少女の鉄扇を使った近接戦闘はあくまでも自衛手段に過ぎず、彼女の本来のバトルスタイルは、手の届かぬ上空からあの防御を許さぬ必殺の射撃を放つ、中遠距離戦に重きを置いたものだ。

 シンフォギアの膂力を以ってして、翼は両の手で地面を押し、その身を宙に投げ出す。体勢を立て直し、脚部スラスターを吹かせることで、眼前の少女に追い縋る。

 

「この勝機、逃す訳にはッ!」

「私の空に、態々飛び込んでくる。その愚直さがッ!」

「何ッ!?」

 

 少女の腕から伸びる帯が、まるで意思を持った生き物の様に蠢き、翼の利き手に巻き付く。翼は未だ鉄扇以外の近接戦闘手段を隠し持っていた少女の狡猾さに驚き、空中で碌に抵抗する事も出来ず、少女に追いすがった勢いを利用され投げ飛ばされた。

 

「まずはその足を奪います!」

「ぐっ!」

 

 満天の星空の下に投げ出された翼へと追撃の《光芒》が放たれて、脚部スラスターが破壊される。これで翼にはもう空中での移動手段はない。必然、後は堕ちるのみ。

 だが、其れを善しとしない者がいる。翼の視線の先、星空を背にピタリと宙で静止し、此方を見下ろす少女だ。先程の舌戦以降、翼に対し、一切の容赦を捨て去った少女が、この機を逃す訳がない。

 少女が歌う。喉を震わせ、美しい鈴の様な歌声を、闇夜に響かせる。その顔には、満面の笑み。先程の背筋が凍る様な笑みではない。本当に歌うのが楽しくて楽しくて堪らないと、少女は詞を歌い上げる。

 少女の身に纏ったシンフォギアが、少女の歌に応えて、その出力を爆発的に増す。溢れ出るフォニックゲインが、濃紺の光となって少女の周囲を染め上げる。脚部装甲の側面から円形のミラーパネルを生成され、少女の周囲を囲む様に展開し、腕から伸びた帯をまるでエネルギーケーブルの様に接続。凄まじい量のフォニックゲインが注ぎ込まれたミラーパネルが明滅を繰り返し、チャージを開始する。

 

「――――ッ!? 南無三ッ!!」

 

《天ノ逆鱗》

 

 本来の使い方ではないが、形振り構ってなどいられない。今までの比ではない一撃が来ると悟った翼は、遮二無二、自身と少女の間に何本もの巨大な大剣を召喚し、即席の盾とする。

 だが、予感があった。この程度の盾ではあの一撃を防ぎきる事など到底――。

 

《流星》

 

 少女の歌が一段とその響きを高鳴らせると、全てを滅する濃紺の光の奔流が、ミラーパネルから放たれる。光の奔流が、一枚、また一枚と大剣の防御を食い破り、翼の身体を飲み込んだ。

 

 

◇◇◇

 

 

「何を遊んでるんだか」

 

 通信機から漏れ聞こえる怒号と、ビルの屋上から幾重にも立ち昇る濃紺の光の筋から、彼方がどの様な状況になっているのか十全に把握したクリスは肩を落として溜息を漏らす。

 あまり時間的な猶予はないというのに、時間稼ぎに徹しようと手を抜き過ぎるから余計な挑発に乗ってしまうのだ。いや、これは寧ろ、滅多な事では感情的にならない蛍をあそこまで怒らせる事が出来た翼を称賛するべきなのだろうか。あれ程的確に蛍の一番のウィークポイントを一切の容赦なく抉るとは、並大抵の人間に出来る事ではない。

 

 あいつ本来の目的忘れてないよな……?

 

 今回の2人の作戦目的は、散発的に行っているノイズによるリディアン周辺地域への攻撃ではなく、聖遺物と生体の初の融合症例――立花響の確保である。二課にて響の身体を隅から隅まで研究していたフィーネであったが、遂に二課で行える実験に満足出来なくなったのか――要は人道に反した実験に手を出したくなったということだ――彼女の捕獲へと乗り出し、その命をクリスと蛍の2人に下した。

 翼が芸能活動で現着するのに時間がかかる日時を見計らっての計画だったのだが、此方が当初予定していた計画は、蛍が翼に捕捉された時点で、脆くも崩れ去っている。本来であれば、蛍の主な役目はソロモンの杖によるクリスのサポートだ。目標の確保自体はネフシュタンの鎧を纏ったクリスが担当し、蛍はソロモンの杖でノイズを操り、目標を広場に誘導した後は、翼の動きを封じる為にノイズによる物量作戦を展開する筈だった。

 翼の足止めという戦術的な目的は達成しているものの、用いられている手段が、現段階では秘匿されるべき神獣鏡(シェンショウジン)なのだから、手放しで喜べる状況ではないことは確かだろう。屋敷に帰り次第、フィーネによるお仕置きがあるのはまず間違いない。

 神獣鏡(シェンショウジン)を敵に晒すという事は、ネフシュタンの鎧を敵に晒すのとは訳が違う。何故ならば、神獣鏡(シェンショウジン)を敵に晒すという事は、此方にシンフォギアを作成する技術があることを二課に知られる事を意味するからだ。まず間違いなく内通が疑われ、その疑いの眼差しは、自他共に認める聖遺物研究の第一人者、櫻井良子へと向けられることは想像に難くない。

 それがフィーネの計画にどれ程の影響を与える事になるかは分からないが、フィーネが二課内部にて、暗躍する事の障害となるのは確実だろう。

 故に、神獣鏡(シェンショウジン)の露見はフィーネの機嫌を大きく損ねる。手土産の一つでも持ち帰らなければ、どんな仕打ちが待っているのか分かったものではない。

 

 だからこそ、目の前の雛を取り逃がす訳にはいかないのだ。

 

「逃げ足だけは一丁前ってか!」

「や、止めようよ! こんな、人間同士で争うなんて!」

「戦場で何を馬鹿なことを! お前もシンフォギア装者だってんなら、その黄色い嘴で歌ってみせろよど素人!」

 

 蛍がシンフォギアを身に纏いビルの屋上で風鳴翼と戦闘を行っている時を同じくして、クリスもまたネフシュタンの鎧を身に纏い、戦場にその身を置いていた。いや、果たして、それは本当に戦場と呼んでいいのだろうか。攻撃するのはクリスばかりで、相対する敵――立花響は避けるだけで一切反撃をしてこない。こんな緩い戦闘を、果たして、戦場と呼んでいいものか。クリスは心底疑問に思うのだ。

 

「このいい加減、大人しくしろ!」

「ひっ!」

 

 苛立ちを隠そうともせず猛るクリス。それもその筈で、先程からクリスが放つ攻撃は、その悉くを響に避けられているのだから。

 幾らクリス本来の力たるイチイバルではなく、使い慣れないネフシュタンの鎧を身に纏い、手加減に手加減を重ねた攻撃とはいえ、戦闘訓練も碌に受けていない素人にこうも避けられては、然しものクリスとしても面白くない。

 時間的な猶予がある訳でもない。そろそろ本腰を入れなければならないだろう。時間をかけ過ぎれば、二課の連中が群がり、風鳴弦十郎が出張ってくるかもしれない。装者2人に加えて、フィーネが直接戦闘を避けろと言う程の男を同時に相手にすれば、目的遂行は非常に厳しいものになると言わざるおえない。

 

「あー、もう、面倒くせえ! なるべく無傷で手に入れろと言われていたがもう知るか。おいお前! ここから先はちっとばかし本域だ。腕の一、二本は覚悟しろよ」

「ひぅ!? 私何もしてないのに!?」

「あの性悪に目を付けられたのが、運の尽きだ。諦めて、とっととお縄につきやがれ!」

 

 ネフシュタンの鎧、その刺々しい肩部装甲から伸びる刃が列なりあった鞭を振るう。伸縮は自在。腕と手首を上手く使い放たれるその鞭は、先端の速度が音速にも届き得る。

 先程よりも格段に速度の上がったその一撃に響が対処出来る筈もなく、橙色のバトルスーツに一筋の朱が刻まれる。

 響がこの速さに対応できないと分かったクリスは、響のバトルスーツに傷を刻む為、振るう鞭の数を増やし、再びその腕を振るう。

 

「っが……いっ……」

「おら! さっきまでの威勢はどうした! 蛙の真似はもう終いか!」

 

 何度も打ち付けていると、痛みに耐えかねた響が遂にその膝を地面に着く。そんな響の姿を見て、「ちっ……所詮こんなもんか……」とクリスは落胆の声を漏らす。この程度の痛みにも耐え切れない様な奴を連れ帰った所で、何の役に立つのか。フィーネの好奇心を満たす為だけに、危ない橋を渡る此方の身にもなって欲しいものだ。無理な願いだとは分かっているが、クリスは願わずにはいられない。

 

 さっさと気絶なり何なりさせて連れ帰ろう。

 

 クリスは自分の仕事を手早く片付ける為に、少々強引な手段を用いる事を決める。腕の一、二本では済まず、暫くはベッドの上で生活する事になるだろうが、どうせフィーネの下に来れば、身体中を弄り回されベッド生活を強いられる。遅いか、早いかの違いでしかない。

 鞭の先にエネルギーを集中し、白い球状の力場を生成。力場の内部には黒い稲妻が迸り、直撃すればタダでは済まないことを伺わせる。

 クリスは腕を振りかぶり、その力場を響に目掛けて投げ付け――ようとした。

 

「増し増しでいくぞ。気張って耐え――って何だぁ!?」

 

 驚きの声を上げるクリスの眼前に、空から人が――風鳴翼が降ってきた。

 

 

◇◇◇

 

 

 やってしまった。

 

 今まさに決着がつこうとしていたクリスの戦場へと吹き飛ばされた翼の姿を見て、どうしようもない程のばつの悪さと、何処かの性悪に似てしまったのかもしれない自分自身の間の悪さを、蛍は同時に感じていた。

 目の前の光景に空いた口が塞がらないと言わんばかりの表情をしたクリスが、『お前はあれか。実は馬鹿なのか』と通信機で呆れた声を漏らしている。「……面目次第もありません」と気まずそうに蛍は答えを返し、クリスの下へと飛ぶ。

 風鳴翼に発見され、神獣鏡(シェンショウジン)を使う事態に陥るイレギュラーはあったものの、二課所属の装者達の分断と足止めという戦術的な目的は達成していたのに、自分の手によってみすみす翼と響の合流を許してしまったのだ。

 女性の年齢、及び身体的特徴という決して触れてはならない聖域に、翼が土足で乗り込んで来たのだとしても、その挑発に乗ってしまったのは蛍自身であり、《流星》の一撃を以ってしてなお、翼を仕留めきれなかったのは、言い訳のしようがない失態だった。

 

「らしくもなく熱くなりやがって。5回、いや6回は固いぞこれ」

「……分かっていますよ。今から気が重くなるようなこと言わないで下さい。大体、貴女だって他人事ではないんですよ?」

「……………………」

「何ですか、その顔は」

「…………呼び方」

「えっ?」

「その呼び方何だよ」

「いえ、一応敵の前ですし。と言うか、今言うことですかそれ」

 

 「大体、未だに名前を呼んでくれないのは、そっちじゃないですか」と言えば、「そ、そんなのあたしの勝手だろ!」と顔を赤くしてソッポを向いてしまうクリスに、思わず此処が戦場である事を忘れてしまいそうになる。

 蛍は、クリスが隣に居てくれるならば別に呼び方なんて特に気にはしない。しかし、それでも出会ってから一度も名を呼んでくれないのは、それはそれで寂しいのだ。何時になったら彼女の口から、「蛍」と名を呼んで貰えるのだろうか。

 

「戦場で、随分と姦しいな、貴様ら。私がいることを、忘れたか」

「つ、翼さん、その傷じゃ……」

「っ……黙りなさい。この身は剣、この程度の傷で手折られる程、柔ではない!」

 

 蛍とクリスの間に流れる弛緩した空気を、響の制止の声を一蹴し、アームドギアを支えに立ち上がった翼が断ち切った。

 その姿はまさに満身創痍。身に纏う天羽々斬(アメノハバキリ)は、《流星》の一撃を受けて至る所に罅が入り、今にも崩れ去りそうな程に傷付いている。

 凶祓いの力を付与された蛍の全力の一撃を受けてなお、立ち上がる翼の姿を見て、蛍とクリスは己の仕事がまだ終わっていないことを思い出し、その意識を戦場のそれへと切り替える。

 

「強がりはそれぐらいにしておけよ。その様で、今さらてめえに何が出来るってんだ」

「たとえ、脚を奪われようと、まだ刀を振るう力が残されているならば、私は倒れる訳にはいかんのだ。そこの童女が身に纏うシンフォギア、失われた筈のネフシュタン。貴様らに問わねばならない事は、山程ある。こんな所で、膝を着く訳にはいかんのだ」

「はっ、ご立派。だったら、どうするってんだ。刀を杖代わりに漸く立ち上がるお前が、あたしら2人を相手取って打倒するってか。さっきの衝撃で遂にお頭までイカれたか」

「……応とも。それが剣の在り方なのだから」

「――――お前、まさか!?」

「させませんッ!!」

 

 比類なき覚悟を秘めた翼の瞳を見て、蛍とクリスは同時にその場を飛び出す。翼がもし()()()を歌おうとしているならば、何としても阻止しなければならない。蛍はミラーデバイスを生成し即座に凶祓いの力が付与された一撃を放ち、クリスは肩部から伸びた鞭を手に取り全力で振るう。

 シンフォギアには、確かにこの絶望的な迄の状況を打破し得る、一つの決戦機能が搭載されている。

 その名は、絶唱。シンフォギアの力を限界以上に引き出し、アームドギアを介して放つ究極の一撃。その威力は、過去に天羽奏が証明してみせた通り、無数のノイズをも一度に殲滅し得る絶対たる力だ。

 

 ――Gatrandis babel ziggurat edenal

 

「うぐっ……つ、翼さんの邪魔はさせない!」

「立花響!?」

 

 翼の詠唱を止めるために放った2人の一撃を、響がその身を挺して受け止める。負った傷の痛みで瞳から涙を零し、震える足で立ちながら、ここから先は通さないと、両手を大きく広げて彼女は蛍たちの前に立ち塞がる。

 きっと、彼女は翼を信じているのだろう。本人からあれ程、冷たく接されながらも、翼であれば、この状況を何とかしてくれると、心の底から信頼しているのだ。彼女がしようとしていることの、真の意味すら知らぬままに。

 満天の空から月が覗いている。これもまた、バラルの呪詛が(もたら)す人の不和の結果だとでも言うのか。あの空に輝く月は、何処まで蛍の行く手を遮るのだ。

 

 ――Emustolronzen fine el baral zizzl

 

「絶対に、ここは、通すもんか」

「退きなさい立花響! 貴方のその行動が何を齎すか本当に理解しているのですか!?」

「えっ……」

「あの歌を――絶唱を歌えば、彼女は死ぬのですよ!」

 

 絶唱は絶大な力を装者に齎す。しかし、そんな強大な力を何のリスクを負わずに使える訳がない。

 絶唱は、装者の命を燃やす。限界以上に力を引き出されたシンフォギアからのバックファイアに装者の身体が耐え切れないのだ。だからこその、決戦機能。己の全てを賭してでも負けられない。そんな戦場でのみ歌う事を赦された最後の切り札。それが絶唱。

 翼は、今日この場所で、その命を燃やすつもりなのだ。

 

 ――Gatrandis babel ziggurat edenal

 

「えっ……そんな……嘘……だって……」

「嘘なものですか! 貴女も天羽奏の最期を見たでしょう! 風鳴翼が歌おうとしているのは、あのライブ会場で彼女の片翼が命を散らせた歌なのですよ!」

「つ、翼さん!? 嘘ですよね!? 翼さんッッ!!!!」

「くっそッッ!! 間に合わねえッッ!!」

 

 ――Emustolronzen fine el zizzl

 

 「来るぞッ!!」というクリスの叫び声が響くの同時に、翼はその歌を歌い終える。瞬間、彼女の身体から溢れ出す膨大なフォニックゲインを感じ取り、蛍は咄嗟にクリスへと覆い被さる。「ば、馬鹿野郎ッ!!」というクリスの罵声に耳を貸さず、彼女の身体を強く抱き締め続けた。

 

「立花ッ!! これが、防人の生き様ッ!! これが私の覚悟だッ!! 貴方の胸に焼き付けなさいッ!!」

 

《絶唱・天羽々斬真打》

 

 戦場に刃鳴裂き誇る。鮮血が舞う。抜刀術にて放たれた音を置き去りにする無数の剣閃が蛍の身体を切り裂いた。

 腕の中で泣き叫ぶクリスの声が聞こえる。なんでだよとか、馬鹿野郎とかそんな蛍の事を責める言葉ばかりが聞こえる。馬鹿なことをしたとは自分でも思っている。神獣鏡(シェンショウジン)よりも、ネフシュタンの鎧の方が格段に防御性能が上で、庇うとしても、その立ち位置は本来逆である筈なのだ。でも、身体が勝手に動いたのだ。仕方ないではないか。

 クリスに何か言おうとするも、上手く喉に力が入らない。口からは言葉の代わりに、掠れる様な息と血泡が漏れ出した。

 身体中が痛む。痛いのは嫌いだ。しかし、自業自得とはいえ、この腕の中の温もりを守りきれたのならば、後悔はない。

 瞼が重く感じる。微睡みが蛍の意識を飲み込まんと押し寄せてくる。

 

 意識が沈むその直前、何故かその言葉だけは蛍の耳にしっかりと届いた。

 

 たった3文字の短い言葉。でも、今はその言葉が彼女の口からは発せられたことが何より嬉しくて、幸せの内に蛍は意識を手放す。

 目が覚めたら、お礼を言おう。やっと、呼んでくれたね、と。

 




 ざんねん!!
 ほたるの ぼうけんは これで おわってしまった!!
 とはならないのでご安心を。

 翼の絶唱に関しては、漫画版の技を使わせてもらいました。
 クリスには真・月光ツインサテライトバスターライフルというちゃんとした絶唱技があるんだから、SAKIMORIにだって自爆じゃなくてちゃんとした絶唱技を使わせてあげたかったんです。

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