戦姫絶唱シンフォギア ~歪鏡に選ばれた少女~   作:きおう屋

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EPISODE 10 「思考の迷宮」

 フィーネは、特異災害起動部二課本部その司令室にて、驚愕のあまり目の前のコンソールを叩きつけんばかりの勢いで立ち上がった。驚愕から不覚にも櫻井了子を演じることすら忘れたそれは、普段の冷静で彼女とは似ても似つかない酷く狼狽した姿だった。

 しかし、そんなフィーネの様子に気付くものは誰一人としていない。誰もが皆、目の前の大型スクリーンに表示されたその文字に目を奪われていたからだ。

 

「過去のライブラリーとの照合完了ッ! この波形パターンは――」

 

『code:GUNGNIR』

 

「ガングニールだとぉ!?」

 

 そんな中で、冷静さを失わずに情報処理という自分の仕事を完うするオペレーター藤尭朔也(ふじたか さくや)の声を、それとは真逆、驚愕に満ち満ちた絶叫で二課司令官風鳴弦十郎(かざなり げんじゅうろう)が引き継いだ。

 組織の長がそれ程簡単に感情を露わにしていては下の者が動揺すると、何度となく櫻井了子として苦言を呈しているのだが、その取り繕わない快活さこそが彼の魅力であり、ある種のカリスマとも言うべき統率力を発揮しているのだから度し難い。

 只、今回のコレに関しては、彼を責めるのはお門違いというものだろう。こんな事は誰にも予想できなかった。自らを天才だと自負するフィーネの深謀を持ってすら、読みきれなかった完全なイレギュラーなのだから。

 

「そんな……だってそれは……奏の……」

 

 フィーネの後方で、ノイズ発生の報せを受け司令室に駆け込んできた風鳴翼が茫然自失といった様子でぽつりと呟く。

 

 第三号聖遺物「ガングニール」。

 

 過去、風鳴翼とツインボーカルユニットを組み、共に戦場を駆けたシンフォギア装者、天羽奏が身に纏った聖遺物。しかしそれは、2年前のProject:Nが行われたライブ会場にて彼女の命と共に失われた筈だ。本来であれば、既に、この世に存在してはいけないものだ。

 だが、フィーネは同じ聖遺物の欠片から作られたもう一振りの烈槍を知っている。フィーネがF.I.S.に横流しシンフォギアに加工され、現在ではマリア・カデンツァヴナ・イヴがその身に纏っているもう一振りのガングニールは、身に纏った際のプロテクターにこそ差異があるものの、発せられるアウフヴァッヘン波形は奏が身に纏った際のそれと同一のものだという研究結果が出ている。

 であるならば、あの場に居るのはマリアなのだろう。しかし、それでも疑問は尽きない。何故、F.I.S.の研究所にいる筈の彼女があの場にいるのだ。脱走でも行ったのかという考えが頭をよぎるも、それ程の大事となればフィーネにも何かしらの連絡が来る筈である。F.I.S.からは特に何の報告も受けていない。

 ナスターシャが籠の鳥を逃したのかとも思ったが、幾ら情に絆されたと言っても、彼女はそこまで愚かではない筈だ。例えマリアを研究所から逃したとしても、米国政府は何としてでもマリアの行方を捜索するであろうし、研究所というある意味での温室で育った彼女がその魔の手から逃げ切れる筈もない。

 様々な可能性がフィーネの頭の中で浮かんでは消えていく。しかし、そのどれもが事実とは認め難い荒唐無稽なものばかりで、フィーネが納得出来るような回答は只の一つも見つけ出せない。驚愕から立ち直り、多少の考える余裕が生まれたフィーネの頭に、その余裕を塗りつぶすかの様に沸々と苛立ちと焦りが募る。

 

 情報が不足している。判断する為の材料が足りていない。

 

 もし、フィーネの懸念した通り、あの場から発せられたアウフヴァッヘン波形がマリアの纏ったガングニールのものである場合、それがもたらす影響はフィーネの計画に大きな影を落とす。

 いや、最早、誰がガングニールを纏ったかどうかなどは些細な問題である。例えそれが誰であろうとも、二課が知り得ぬシンフォギア存在し、またそれを纏うことができる装者が存在すると彼らに知られた時点で、手遅れなのだ。本来二課しか持ち得ぬシンフォギアという兵器を、何処の誰とも知れぬ者が身に纏っている。その時点で、二課からシンフォギア、延いては異端技術に関する情報が流出しているのは疑うべきもない事実なのだから。

 そして、異端技術の研究は決して個人で出来るものではない。そこには莫大な費用と最先端の研究施設、歌女(うため)という人的資源が必要になる。フィーネとてそれを個人で賄うことは出来ず、米国からの支援を受けている状態だ。つまり、異端技術の研究には何かしらの強力な――それこそ国家規模の後ろ盾が必要となるのだ。

 その存在が露呈する。それだけの力を持つ組織となれば自然と候補は絞られ、調査部は遠からず米国とF.I.S.の存在を突き止めるだろう。それはつまり、フィーネの存在が露呈するも同じことだ。フィーネと櫻井了子を結び付けるには些か情報が不足しているが、「櫻井理論」を完全に理解していると言えるのはその提唱者である櫻井了子のみであり、その理論に記された技術をふんだんに使用したシンフォギアシステムを相手方が実用化していることを考えれば、内通者として真っ先に疑われるのは自分であろう。

 

 あの孺子ではないが、どうやら私は限りなく詰みに近いらしい。

 

 どれ程時間に猶予があるかは分からない。だが、櫻井了子としてフィーネに残された時間は多くはないだろう。カ・ディンギルの完成は目前にまで迫っているものの、最終工程に必要な本部改築は当たりの強い議員連により反対を受けて未だ着工に至っていない。多少強引な手段を用いなければ、着工は不可能だ。そして、着工に漕ぎ着けたとしても、二課本部のエレベーターシャフトを隠れ蓑に建造している以上、櫻井了子という立場を失えば、その完成は絶望的と言える。

 12年を費やしたフィーネの計画が、たった今水泡に帰そうとしている。それを悟った時、フィーネの中から、驚愕も、怒りも、焦燥も消え去って、「あぁ、またか」という諦観の念だけが残った。今までに何度となく感じてきた懐かしい感情に、フィーネは肩を落とした。

 

 また、あの方に私の胸の内を告げることは叶わないのか。

 

 フィーネは、人類が統一言語を失って以降、あらゆる手段をもって、創造主と再び交信を果たそうとした。他者に己の想いを伝えるという観点から歌という技術を生み出した。万象を理解するという観点から錬金術という技術を生み出した。だが、そのどれもが、創造主に届くことはなかった。その度に、この諦観を感じてきた。

 人の身でありながら、創造主に並び立つなど、恐れ多いことだとはフィーネとて理解している。寧ろ、遥か昔、フィーネはあの方に仕える巫女であったのだ。その事は、誰よりもよく理解している。だが、そうせずにはいられなかった。

 あの頃のフィーネは、あの方に仕えることが何よりの幸せだった。あの方の言葉を受け取ることが何よりの喜びだった。あの方の宣託を真っ先に受けることが何よりの誇りだった。そんなフィーネの創造主への親愛と信仰と尊敬が恋慕へと昇華したのは、ある意味では当然の帰結だったのかもしれない。

 だからこそ、創造主に並び立とうとシンアルの地に建てた塔が雷霆に砕かれ、バラルの呪詛により統一言語が失われた際の、フィーネの絶望は深かった。創造主に拒絶されたという事実に、身が引き裂かれる思いだった。まだ己の秘めた想いすら、告げていないという激しい後悔に、心が押し潰されそうになった。

 だが、それでも、フィーネは諦めることだけはしなかった。どれだけの絶望と後悔に苛まれようと、胸に抱いた創造主への思慕の情が消えることはなかったからだ。それは、何度もリーンカーネイションを繰り返し、何千年という時を経た今でも、変わらずこの胸の内に在る。

 

 この胸の炎が消えない限り、フィーネが創造主に胸の想いを届けることを諦めるという選択肢を選ぶことは決してない。

 

「映像出ます!」

 

 櫻井了子としての今代の人生に価値を失い始めていたフィーネの耳に、女性オペレーター――友里(ともさと)あおいの張り上げた声が届く。その声に反応し、せめて今代の計画を台無しにしてくれた人物の顔ぐらい拝んでおくかとフィーネは視線を上げる。

 

「これは……」

 

 誰の口からともなく言葉が漏れた。それ程に目の前の光景は異常だった。

 湾岸部に位置したコンビナート区画から、獣の如き少女の咆哮と共に、橙色の光の柱が闇夜に染まった天を衝いている。計器が観測したフォニックゲインは異常な程の数値を示し、その数値の高さはまるで装者が絶唱を口にした際のそれと同等だ。

 「ありえない」というフィーネの呟きは、司令室に満ちた混乱からの喧騒に包まれて、誰の耳に止まることなく掻き消える。

 シンフォギアシステムの根本を為す櫻井理論、その提唱者であるフィーネ自身だからこそ断ずることが出来る。シンフォギアを装着するだけで、これ程の莫大なエネルギーが発生するなどありえないと。通常の装着時にもエネルギーの力場は発生するが、目の前のこれは度が過ぎている。

 天を衝いていた光の柱が中心に向かって収束し始める。光が晴れたその中から、先の光と同色の橙色を基調としたスーツとプロテクターを身に纏った少女が現れる。細部は異なるものの、奏やマリアが纏った時のそれを想起させるその意匠は、間違いなくガングニールのシンフォギアだ。

 

「ッ! 現場に向かいますッ!」

「待て! 翼!」

「司令、此処は僕が! 司令が席を離れては指揮系統が麻痺しかねません」

「くっ、頼んだぞ緒川。あのじゃじゃ馬が無茶をしでかす前に何とか手綱を握れ!」

「心得ています!」

 

 我慢の限界に達したのであろう翼が、弦十郎の制止の声に耳も貸さず、司令室に備え付けられたエレベーターに乗り込む。勇み足の弦十郎を押し留めて、彼の右腕とも呼ぶべき黒いスーツに身を包んだ青年――緒川慎次が翼を追って司令室を後にする。

 その様子を傍目に眺めながら、フィーネはガングニールを纏った少女をスクリーン越しに睨みつけていた。

 

 マリアでは、ない。これは、誰だ。

 

 少なくとも、フィーネの記憶の内にはないと言うことは、F.I.S.の関係者ではない。だが、フィーネが櫻井理論を提示したのは日本政府と米国政府のみであり、それ以外の国家、または組織がシンフォギアを所持している筈がない。両政府が、フィーネに秘密裏に二課やF.I.S.以外の研究機関を設けた可能性もあるが、現状シンフォギアの作成は櫻井理論を全て理解したフィーネにしか不可能であり、フィーネの知らぬシンフォギアなどこの世に存在してはいけないのだ。

 加えて、スクリーンに映った少女が纏ったシンフォギアはガングニールだ。日本政府が所持していたガングニールの欠片は、2つのシンフォギアへと加工する際、その全てを材料として使い切っている。新たにシンフォギアへと加工するだけの量は既に残っていない。新たにガングニールの欠損部位が発掘されたか? だが、そうだとしても先述の通り、フィーネの技術協力無しにシンフォギアの完成はあり得ない。

 この少女自身にも疑問が残る。一般人らしき幼女を腕に抱き、ノイズと戦うその姿は、訓練を受けた者のそれではない。アームドギアを展開しないばかりか、体捌きは素人同然であり、シンフォギアを身に纏った際の飛躍的な身体能力の上昇に戸惑っている節すらある。

 

 思考の歯車が噛み合わない。何らかの情報が致命的に欠けている。いや、見落としているのか。

 

 今代での宿願達成を殆ど諦めかけていたフィーネであったが、次代に望みを託すのはガングニールを纏った謎の少女の正体を確かめてからでも遅くないのではないかと思い直す。恐らく、フィーネの次代の器となるのはF.I.S.の集めたレセプターチルドレンの内の一人となるだろう。櫻井了子としての計画を引き継ぐにせよ、新たな手段を模索するにせよ、情報は多く持っているに越したことはない。

 そしてフィーネの思考は、少女の正体ではなく、少女にどう対処するかということに切り替わる。このままであれば、少女は翼によって二課本部に連行されるだろう。未だ過去を断ち切れずにいる翼が、かつて己の片翼が纏っていたシンフォギアと同じものを纏う少女を見逃す筈もない。ノイズとの戦闘を見る限りでは、少女の戦闘技術は翼に遠く及ばない。抵抗したとしても、天羽々斬(アメノハバキリ)を纏った翼であれば難なく鎮圧することが可能なレベルだろう。

 だが、果たしてそれで良いのだろうか。正体を知るだけならば、二課に少女をみすみすくれてやる必要もない。尋問であれば、蛍やクリスに少女を確保させ、屋敷でフィーネが行えば良いだけの話だ。寧ろ、尋問の対象が少女であるという点を考慮すれば、砂糖菓子のように甘い源十郎が率いる二課よりも、フィーネ自身の手で尋問を行った方が効率が良い。

 諦観の淵にあるフィーネの心に、再び焦りという感情が生まれる。だが、フィーネは今度こそ、その焦燥を理性をもって押し殺す。思考は怜悧であるべきだ。今代での作戦を続行すると決めた以上、リスクとリターンの計算はキチンとするべきで、それを蔑ろにして軽々しく結論を出すのは早急に過ぎる。

 

 果たして今、蛍とクリスという手札を二課に晒すのは得策だろうか。

 

 ネフシュタンの鎧、神獣鏡(シェンショウジン)、イチイバルといった此方の戦力を晒すだけの価値があの少女にあるかと言われれば、少女の存在が謎に包まれている以上、答えは保留せざるを得ない。しかし、少女の存在を二課に預けるか手中に収めるか悩んでいる――と言うよりも、フィーネとしてはどちらに転んでも構わない――現状で、フィーネという存在に直結しかねない駒を敵の目に晒すのは時期尚早ではないだろうか。

 ネフシュタンとイチイバルは元々日本政府の管理下にあった聖遺物だ。起動時のエネルギー波長、装着時のアウフヴァッヘン波形などの様々な研究データは、二課のライブラリーに保存されており、それを探知されれば、先のガングニール同様、その正体は即刻白日の元に晒されるだろう。そしてそのどちらもが櫻井了子の内通を仄めかす判断材料となる。

 では、神獣鏡(シェンショウジン)はどうだろうか。二課の発掘チームにより発見された神獣鏡(シェンショウジン)ではあるが、二課の手に渡る前にフィーネが強奪したため、その詳細なデータを二課は所持していない。二課の記録では、あの時出土した聖遺物はノイズの予期せぬ襲撃により失われたとされており、その聖遺物の名前は疎か、何を由来とした聖遺物なのかすら二課のライブラリーには記されていない。

 正体が分からないという点だけ見れば、神獣鏡(シェンショウジン)が最もフィーネの正体に遠い。だが、ここで神獣鏡(シェンショウジン)の特性が仇となる。「凶祓い」という聖遺物由来の力を悉く滅する破魔の力。それは相手が、聖遺物の欠片から作られたシンフォギアにも無論作用する。

 少女が身に纏ったガングニールは、フィーネにとって未知のシンフォギアだ。フィーネが開発に関わっていない唯一のシンフォギアだと言ってもいい。出来れば無傷で入手したいが、神獣鏡(シェンショウジン)はその特性の苛烈さから、少女が身に纏ったガングニールを破壊しかねない。かと言って、手心を加えてまごつけば、翼との三つ巴の戦闘になりかねない。

 そこまで考えて、やはり、まだ時期尚早だと結論を下す。あの二人を動かすのは、せめてカ・ディンギルの完成に目処がついてからだろう。米国政府に依頼した「多少強引な手段」、米国内でも賛否両論であるらしいが、あれの認可が下りるまでは、表立った行動は控えたい。

 であれば、ここでフィーネが取るべき行動は――。

 

「弦十郎君、私も現場に向かうわ」

「了子君!? 君まで何を!」

「私の知らないシンフォギアが存在するのよ。座して待っているなんて出来るわけないじゃない」

 

 翼に倣い、弦十郎の言葉を聞き流したフィーネは、エレベーターに乗り込み、司令室が見えなくなってから白衣のポケットから通信機を取り出す。それは、櫻井了子が普段使用している二課職員に配布された無骨なものではない。フィーネが個人的に用意した耳に嵌める小型なタイプだ。

 フィーネは慣れた手付きで通信機を耳に嵌めると、口を開いた。

 

「あっ、もしもし蛍ちゃん?」

 

 

◇◇◇

 

 

 緑の閃光が辺りに降り注ぎ、ノイズに怯える人々の悲鳴が聞こえなくなるまで蛍は身を隠した路地裏から一歩を動けずにいた。本来であれば、ノイズを召喚した後は、人々の混乱に乗じてセーフハウスに帰還する予定だった。だというのに、ノイズに襲われる人々の悲鳴を聴いた瞬間、頭が真っ白になって、踏み出した足がぴたりと止まってしまった。

 蛍がまともな思考回路を取り戻したのは、何処からともなく聞こえてきた、獣の様な少女の咆哮を耳にしてからだ。突如として聞こえてきたその声に漸く目を覚まし、路地裏から飛び出した蛍の目に飛び込んできたのは、湾岸部に位置するコンビナート区画から立ち昇る一筋の光の柱だった。

 橙色に輝くその光の奔流が、淡い燐光を巻き上げながら、星よりも明るく、月よりも鮮烈に、暗闇に支配された空を照らしている。

 

「あれは、なに……?」

 

 光の柱に目を奪われまたも足を止めた蛍だったが、耳に嵌めた通信機から聞こえる篭った衣擦れの音に気付き、身を隠す為慌てて路地裏へと戻る。蛍が壁となった建物の室外機の影に隠れて身を潜めるのと、通信機から櫻井了子を演じるフィーネの声が聞こえてくるのは、ほぼ同時だった。

 

『あっ、もしもし蛍ちゃん?』

「は、はい、何でしょうかフィーネ」

『ちょっとお願い事があるんだけど、現在地はどの辺り?』

「すみません。逃走に手間取り、未だ市街地郊外の湾岸部、コンビナート付近です」

『……何故、手間取ったかは今は聞かないでおきましょう。怪我の功名という訳ではないけれど、今はそっちの方が都合が良いからね』

 

 フィーネ相手に馬鹿正直に惚けていましたと言える筈もなく正確な報告を避けた蛍だったが、彼女相手には無駄な努力だったようだ。しかし、フィーネはそんな蛍の失態を今は問わないと言う。恐らく後でお仕置きなのだろうが、それでも今は蛍を口頭で罵るよりも重要な事があるということだ。

 通信機越しのフィーネからは彼女にしては珍しく焦りの感情が見て取れる。彼女をそれ程追い込む異常事態が発生したということに、じわりとソロモンの杖を握った右手が汗ばむ。

 それはきっと先程発生した光の柱と無関係ではないのだろう。あれは目に見えて分かる異常事態だ。その証左として、ソロモンの杖を通じて感じるコンビナート付近に放っていたノイズの反応が次々と消えている。ある地点から次々と途絶えるその反応は、まるでノイズがその地点にいる何者かによって倒されているようで。

 

『蛍ちゃんの位置からなら確認出来たかしら? ついさっきコンビナートから光の柱ようなものが立ち昇ったんだけど』

「はい。先程視認しました。現在は収まっているようですが、此処から4時の方角、何かの建物の上から立ち昇ったように見えましたが……」

『えぇ、それで間違いないわ。あまり詳しく説明をしている暇はないから、端的に言うけれど、未知のシンフォギア装者が現れたわ』

「…………それはフィーネですら知らないシンフォギアが存在するということですか?」

『その通りよ。おまけに確認されたアウフヴァッヘン波形は奏ちゃんが身に纏っていたガングニールと寸分違わない同一のもの。映像で装者の姿も確認したけど、F.I.S.側の装者ではなかったわ』

「そんなことが――」

『あり得るから困ってるのよね』

 

 あり得るのですかと口にしかけた蛍に、フィーネが先を読んだ様に言葉を被せる。「一々驚くな、話が進まん」という彼女の心の声が漏れ聞こえて、蛍は口を噤んだ。

 

『既に二課からは翼ちゃんが現場に急行しているわ。ガングニールを纏った謎の少女を此方で確保したい所ではあるけれど、三つ巴になることは避けたいの』

「つまり、今回は二課に譲るということですか?」

『えぇ、あの娘の正体は二課に探ってもらいましょう。私も櫻井了子として、彼女のシンフォギアには興味があるわ』

「では、私は何をすれば?」

『翼ちゃんが到着するまでの足止めを。相手がシンフォギアを所持していることから、何処かの国、若しくは大規模な組織がバックボーンにいること想定されるわ。何かしらの離脱手段を用意していると見て動くべきでしょう』

「離脱手段……海、でしょうか」

『その可能性が高いわねん。潜水艦か、小型の高速艇でも用意しているかもしれないわ』

 

 『まぁ、そうじゃない可能性も……』と呟いたフィーネの言葉の先を蛍は聞き取ることが出来なかった。その言葉を聞かなかったことにして、彼女の言葉に是と返す。思考を止める訳ではないが、現状で蛍はフィーネ以上の情報を持ち合わせていない。彼女の判断に、異を唱えるなど出来る筈もなかった。

 

「風鳴翼の到着を待って撤退ということは、基本的に隠密での作戦行動になるのでしょうか?」

『そうなるわね。だから、神獣鏡(シェンショウジン)とネフシュタンの使用は厳禁よ。あれを使ったら二課のレーダーに一発で引っかかるから』

「…………現在のノイズの残数でコンビナート付近一帯を封鎖することは不可能です。活動時間にも不安が残ります」

 

 ソロモンの杖に意識を移し、伝わってきたノイズの情報をフィーネに伝える。先程よりも数が減っている。恐らく、ガングニールを纏った謎の装者によるものだろう。その残数は、決して多いとは言えない。この数でコンビナート区画の全てをカバーすることは不可能だろう。

 加えて、ノイズを召喚してから既にある程度の時間が経過してしまっていることが気掛かりだ。バビロニアの宝物庫からこの世界に現出したノイズは、その活動に時間制限が設けられている。何故ノイズにそのような機能が搭載されているかは不明ではあるが、ノイズは現出し、一定時間が経過するとその身体を炭と変える。個体差はあるものの、それは2時間から3時間程だと言われている。

 蛍が最初にノイズを召喚したのは夕暮れであったが、辺りはすっかり闇に包まれており、あれから少なくない時間が経過していることが伺える。今、蛍が操作しているノイズに残された時間はそう多くはないだろう。

 

「ノイズの追加召喚は許可して頂けますか?」

『今、二課の目はコンビナート区画に集中しているわ。下手にノイズを召喚して、召喚時の発光現象を観測されると面倒だからだーめ』

 

 随分と簡単に言ってくれると内心で悪態を吐き、頭の端で試算した彼我の戦力差に絶望する。ガングニールを纏った少女の力量は定かではないが、それでもシンフォギアを纏っている時点でノイズには天敵とさえ呼べる存在だ。ノイズが特異災害と呼ばれる由縁たる、位相差障壁を突破出来るシンフォギアは――対ノイズ用として開発された兵器であるため当たり前ではあるのだが――ノイズにとって相性が最悪の相手だ。なので、ノイズの運用に辺りシンフォギアに対抗する為には、一体一体のスペックが劣っている以上数に頼るしかないのだが、今回はそれすら出来ないという。

 

「コンビナート区画の封鎖を断念し、遅滞戦闘に専念したとしてもそう長くは持ちません。……風鳴翼の現在位置はどの辺りですか?」

『ちょーっと待ってね。…………たった今、二課本部からマネージャーの制止を振り切って、ヘルメットも被らずにバイクで出撃したそうよ』

 

 『うーん、緒川君も大変ねー』というフィーネの呟きを無視して、蛍は思考を再開する。

 翼の移動手段はバイク。ノイズの発生警報は既に発せられ、市民はシェルターへと避難している。交通量は皆無と言っていい筈だ。信号や法定速度などの規則を全て無視し、二課本部からコンビナート区画までを最短距離で突っ切ったとして、到着までにかかる時間はどれ程だろうか。この街の地理に明るくない蛍には、正確な時間は分からない。

 

「彼女の到着にはどれぐらい掛かりますか?」

『血相変えて司令室を飛び出して行ったから、相当飛ばすと思うわ。20分……いいえ、もしかしたら15分を切るかも』

「それなら何とか保つかもしれません」

『うーん、多分、蛍ちゃんが心配してる程、彼女強くないわよ? 映像を見る限りアームドギアも展開してないし、体捌きも全くの素人。逃走されない様に周りを囲むだけでも、かなり時間稼げると思うわ』

 

 シンフォギア装者が何の訓練も積んでいないズブの素人など、普通であればあり得ない話だ。幾らアームドギアを展開できない程の未熟者だとしても、シンフォギアを身に纏い、何らかの組織に属している以上、戦闘訓練を受けていない筈はない。

 だが、先程からのノイズの殲滅速度を見る限りでは、それも事実なのではと思ってしまう。余りにも、殲滅速度が遅すぎるのだ。もしあの場に居るのが蛍やクリス、そして翼であれば、あの程度の数のノイズは遠に灰へと姿を変えている。

 

「……情報がちぐはぐ過ぎて頭が混乱しそうなのですが」

『そうなのよねー。私にも訳が分からないわ。でも、だからこそ、彼女の正体は突き止めないといけないの』

 

 正体不明のシンフォギア装者。存在自体が出鱈目で、その実態はフィーネであっても掴み切れないと言う。

 そんな存在を相手取って、蛍はこれから最低でも15分の遅滞戦闘を成功させなければならない。それも神獣鏡(シェンショウジン)ならいざ知らず、ソロモンの杖を使ってのノイズ頼りの戦闘だ。自信があるとは、とてもではないが言えない。

 

「……分かりました。最善を尽くします」

『うんうん。結果で示してね』

 

 フィーネの容赦のない「失敗したらどうなるか分かっているだろうな?」発言に、肩に掛かる重圧がずしりと増した気がする。兎も角、少女の姿を視認出来ないようではノイズに指示の出しようもない。そう考えた蛍は、吐き出しそうになった溜息を飲み込んで、右手持ったソロモンの杖はそのままに、左手にバイオリンケースとビニール袋を持ちなおすと、身を隠していた路地裏から飛び出しコンビナート区画へと駆け出した。

 




 フィーネによる盛大な勘違い。でも、実際響が融合症例だと判明するまでフィーネって内心ビクビクだったと思うんですよね。

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