【習作】物理で殴る!   作:天瀬

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第六話、剣の王との邂逅

 窓から差し込む夕焼けの色に染まる、綺麗に掃除され磨き上げられたリビング。その下座に当る場所に敷いた座布団の上にちょこんと正座して、沙恵は只思考を巡らせていた。

 掃除。周りを見ればわかるとおりに完了。なお、廊下、風呂場、台所、自分に与えられた部屋まで掃除済みである。剣の部屋は流石に勝手に掃除するのは憚られた。

 洗濯。完了。干されてフカフカになった布団や掛布団、汚れ物などは全て取り込まれ、畳んで置かれてある。男物の下着等も存在したが、彼女からすれば只の布。特に問題はなかった。

 料理。手を掛けれる範囲で完了。下拵えは終えており、後は直前に手を加えるだけとなっている。昨日の夕食の時間を考えると準備して待っておく、というには早すぎる。

 鍛練。早朝剣が起きてくるまでの間にやって以降は出来ていないが、この時間に庭で鍛錬をするというのも御近所様の迷惑と目を考えると躊躇われる。

 そして今。沙恵はリビングで座布団の上で正座し、瞑目して只思考を巡らせている。この状況をとても分かりやすく端的に表現するなら。

 清秋院沙恵は、暇だった。

 

「……困りました。何をすればいいのでしょうか」

 

 眼を開いて頬に手を当て、首を傾げながら零す。さらりと手入れの行き届いた黒髪が流れ肩に掛かり落ちて行く様子は不思議な色香を漂わせるが、見る者が居なければ意味がない。

 身にまとう服も黒。仕立の良いシックなロングスカートのワンピースをそつなく着こなし、その上から派手にならない程度のフリルのついたエプロンドレスを身に付けている。

 家事をする上での正装との事で昨日甘粕から沙恵が譲り受け、サイズが合わない部分については昨晩のうちに自分で調整した服である。剣の前で着たときに彼が驚いた後軽く頭を抑えていたのは沙恵も気になるところだが、王に何でもないと言われては問い詰める事も出来ない。

 さておき。

 清秋院沙恵は暇なのである。世間一般で一番よく暇つぶしに使われるであろうテレビを見るという行動に出ないのは、その存在こそ知っていてもテレビというものに縁のない生活を送ってきた所為だろうか。これまではそんな暇もなくお勤めに鍛錬にとやることがあったのだ。

 

「技が鈍る前に、鍛練できる場所を探すべきでしょうか」

 

 思考の流れから気になった事を口にしてみる沙恵。早朝鍛錬ならば庭でやればいいだろうが、其れでは本格的なものが出来ているとは言いづらいのだ。だが、だからと言って鍛錬の為に毎度清秋院の家に帰っていてはこうして羅刹の君に仕える為に出てきた意味がないとなる。

 折角側仕えとして羅刹の君の近くで暮らすことができるようになったのだ、出来るだけ離れないようにしたいし技を鈍らせたくもない。今度甘粕に相談してみようと決めて、沙恵はまた瞳を閉じ思考の海に浸ろうとし。

 しかし、ふと閉じかけた瞳を開いて彼女はリビングから外の方に目を向ける。僅かに眉を寄せながら何かを探るように目を細めた後、小さく吐息を零して立ち上がった。

 機を合わせたように鳴るチャイムの音。一度深呼吸を行ってから姿勢を正し、沙恵はリビングの扉に手を掛け、引き開けた。

 

* * *

 

「で。お前其れどうすんのさ」

「どうしようか。どうすればいいと思う?」

「俺に聞くな阿呆」

 

 夏の夕暮れはそれなりに遅い時間になるというのに、その夕焼けも夜の色に変わりそうな頃。袋いっぱいに詰め込まれたぬいぐるみを持って困惑顔を浮かべながら、剣は裕也と共に家路についていた。

 二人でなじみのゲームセンターなどを適当にめぐり遊んだ結果が今剣が抱えているぬいぐるみである。UFOキャッチャーに挑んでみたところ、勘が冴え渡り景品を大量獲得できたのだ。

 

「シューティングやらせりゃなんかやたらと反応良くなってるし、格ゲーだとフレーム単位操作とかプロかお前って事やりだすし、ほんとなにがあったのさ」

「ちょっとギリシャの奥地で修行を積んできまして」

「何故にギリシャでゲームの修業なぞやらかしているのか」

 

 訳の分からない剣の言い訳に突っ込みを入れながらも、裕也はそれ以上の追及を諦めた。明らかに解るとぼけ方をしている以上、語るつもりは微塵もないと解るから。

 そんな親友の様子に少しばかり罪悪感を感じながらも、けれど剣はやはり己の事情を語ることは避ける。巻き込むことを恐れて、というよりは単純に内容が異常、かつ馬鹿馬鹿し過ぎて語る気に成れないだけなのだが。

 それにしても、と剣は思う。ぬいぐるみを抱える己の手へと眼を落とし、吐息を一つ。

 

「……しかし、発狂後の弾幕は其れでも避けれなかったんだよな。アレ誰がクリアできるんだよ」

「寧ろ発狂させるとこまでコイン一枚で至った事にドン引きしたんだが、俺。『死ぬがよい』なんて初めてリアルで聞いたぞ」

「大丈夫、僕も初めて聞いた」

 

 シューティングゲームでも、それなりに熱中すれば弾の動きが手に取るように分かり、しかも止まって見える程だったことから某有名弾幕シューティングに挑戦した結果の話しである。

 流石に渦を巻くように二重に放たれ、しかもその間に高速弾が飛んでくるような弾幕はカンピオーネの運動神経をもってしても回避しきれなかったようだ。

 なんとなく想像の中で相棒が向けてくる白い目を感じながらも、剣は結局クリアできなかったそのゲームを想い吐息一つ。忘れる事にした。

 

「……でも、なんか初めは妙に恐る恐るって感じで触ってたのは何だったんだよ、あれ」

「二週間ぶりに触るからなぁ。なんてーかこう、壊しやしないかって不安だったんだ」

「そう簡単に壊れるかよ、アニメやマンガじゃないんだから。っつーか触って壊れるってどんな奇跡だ」

「安い奇跡だな、考えてみると」

 

 肩を竦める裕也になんとなく思ったことを返しながら、剣はもう一度ぬいぐるみを抱える自分の手を見下ろす。

 壊しやしないかと不安だった、というのは本当の事なのだ。彼が神より簒奪した権能は常に効果を発揮し続けており、その影響で筐体を壊す可能性が存在したから。

 それゆえに今の剣は他人に触れる事をできるだけ避けている。気心の知れた相棒相手ですら自分から触れようとは滅多に思わない程に。

 そうして男二人並んで歩いていたが、交差点で二人とも足を止める。此処で帰る道が分かれるため此処で別れるのが二人の何時ものお決まりだった。

 

「んじゃまた来週、か」

「おう、また来週」

 

 片手をあげ軽い別れの挨拶を熟し、剣は真直ぐに進み裕也は左の方に曲がっていく。とりあえずぬいぐるみは家にいる居候にでも上げて、残りはネットオークションでも出すかなどと考えつつぬいぐるみに目を落として剣は歩き。

 ぞくりと背筋を走る悪寒に顔を上げる。大分沈んだ陽の光により伸びる影は剣の足元から長く伸び、前に立つ青年の足元辺りまで至っていた。

 其処に立つのはコットンパンツに半袖のシャツを着た金髪の青年。一目で整っていると解る顔立ちに鍛えられていると感じさせるしなやかさをもった身体。そして、肩に担ぐように持っているゴルフバックの様な円筒形のケース。

 ケースの方からも何かしら凶悪な気配を感じるものの、しかし剣が感じた悪寒はそちらではない。この青年、己の前に立ち底抜けに明るい笑顔を浮かべているこの青年そのものが危険である、と訴えている。

 本来ならばこのまま踵を返し違う道を通って帰ることを選択しただろう。危険に態々飛び込みたいなどと思う程剣は酔狂ではない。無論、誰かを巻き込みかねないような広範囲への危機である場合は躊躇いなく飛び込むが、これはその類ではないと勘が囁いてくれている。無視したとしてもそこまで致命的な事にはならない、と。結果は変わらないとも解るのだが。

 だが、青年よりもより恐ろしく、より剣の恐怖を煽る存在がそこに在ったが故に彼は踵を返すという選択肢が取れない。青年の少し後ろに剣を実にイイ笑顔で見つめてくる相棒がいるのだ、踵を返すなどという選択が取れるはずがない。

 あれは、もしそんな事をしたら後ですっごく酷い目に合わせてあげると言っている。正直、怖い。

 溜息一つ、剣は足を止めることなくぬいぐるみが入った袋を抱えたまま青年の方へと歩み寄っていく。

 

「やぁ、君が剣だね? 会いたかったよ」

「確かに僕が剣だけれど。会いたかったって言われても僕は貴方を知らないよ」

「そりゃそうだね、初めて会うんだから。僕はサルバトーレ・ドニ、これからよろしく!」

「知ってるみたいだけど、葛原剣。うん、一応僕もよろしくって返しておくよ」

 

 陽気な青年…ドニの言葉に剣は器用に肩を竦めて見せた。サルバトーレ・ドニ。その名前を持つ存在については、日本に帰ってくる前に相棒から聞いている。イタリアはトスカーナ州に拠点を置く南欧の王。

 本来であればギリシャに降臨した神を打つ筈であったであろうカンピオーネ。剣技をもって神を弑逆した剣士であり、その性格は自由奔放、何より強者との対戦を好むという。

 そのカンピオーネが態々来日し八人目のカンピオーネの前に姿を現したのだ、その目的なんて火を見るよりも明らかである。剣は溜息を一つ零した。

 

「日本で2人目って聞いた時は驚いたよ。護堂とはもう会ったのかな?」

「まだだよ。草薙さんだっけ? 会うべきなんだろうな、とは思うけど機会が無くてね」

「それは残念、実に彼も面白いから会ってみると良いよ。で、君にあったらやろうと思っていたことがあるんだけれど」

「決闘、って言い出すなら今からは勘弁してくれないかな。こっちにも準備があるんだ」

 

 ドニが言い出すより早く剣からそれを口にして苦笑を浮かべた。その剣の言葉にドニは嬉しそうな、けれど何処か暗い笑顔を浮かべ、ドニの少し後ろに居た少女はやっぱり、とでも言うように笑みの質を何処か嬉しげな、けれど呆れた様なものに変える。

 

「なら、何時ならいいのかなァ?」

「とりあえず日付が変わるまでには、かな。状況が整ったらこっちから連絡するよ、後、何処に泊まるかとかも教えてもらっていいかな? 案内人を向かわせる」

「うん? 案内なら……あぁ、成程。解ったよ、それじゃ、携帯の番号を交換しておこうか」

「ん、了解」

 

 何かに気付いたように頷き一つ。ドニは剣と携帯の番号を交換すると、それじゃ、と初めに会った時と同じような底抜けの笑顔をで片手を振り何処かへと歩き去っていく。何処へ向かうのかという疑問はあったが、恐らく初めからこの辺りで何処に泊まるかとか決めていたのだろうと剣は気にしない事にした。

 ドニが去った後、その場に残るのはぬいぐるみの袋を抱えた剣と、そしてドニの少し後ろに控えていた少女。腰までを覆う銀髪を夕日に紅く染める、紅の瞳を持つ少女。

 彼女は迷いなく歩み出し、剣の横に立ち。そして笑顔で彼の顔を見上げ、手を伸ばし……その頬をつねった。

 

「って、レイ、痛いんだけどいきなり何するのさ」

「何、って。貴方さっき一瞬踵返そうとしたでしょ? その罰」

「あぁ、やっぱばれてたか。いや、でもそりゃ逃げたくなるよ、あの人すっげぇ危険じゃないか」

「カンピオーネの中でも頭一つ抜けて好戦的な王だものね。けれど話しのできない王って訳じゃないから大丈夫だったでしょ?」

「ま、ね」

 

 二人の距離を確認するかのように、意味があるようで無い言葉をやり取りする。本当にすぐ傍、手を伸ばせば腕の中に閉じ込められる距離で視線を交わす。

 困ったような表情で剣が見下ろすのは、ギリシャで二週間を共にした相棒。葛原剣にとって無二の存在。レイセ・シルフィスの名を持つ少女。

 何処か愉しげな笑顔でレイセが見上げるのは、ギリシャで二週間を共にした相棒。レイセ・シルフィスにとって無二の存在。葛原剣の名を持つ少年。

 

「……ただいま、剣」

「おかえり、レイ」

 

 自分の居場所に帰って来た少女は穏やかな微笑を浮かべ、抓っていた手でそのまま頬を撫でる。暫し感慨に浸る様に瞳を閉じ。

 瞳が開かれた時には、その表情に浮かぶのは冷たい色。怜悧な眼差しで持って剣を見上げて口にする。

 

「戻るわよ、剣。ドニ卿への対策、これから考えないといけないんだから」

 

 ん、と頷き、剣はぬいぐるみの袋を抱え直す。少しばかり急いで帰る必要がありそうなので、速足でも走っても問題が無いように。

 

「…って、さっきから気になっていたけど。それ、なんなの?」

「戦利品。レイ、一個要る?」

「……。後で考える」

 

 要らないとは言わない辺り欲しいんだな、なんて思いつつ。剣はレイと家路を急ぐのだった。

 

* * * 

 

「正直に言って、今の剣じゃドニ卿に勝てる目は薄い。無いわけじゃないけれど」

 

 家に戻り、沙恵へと挨拶を夕食の準備を願ってから剣の部屋に二人で移動。ぬいぐるみの袋は部屋の片隅に置き、テーブルに落ち着いて開口一番にレイセは言い放った。

 その言葉の内容に携帯を弄って甘粕へとメールをしていた剣は、意外そうに首を傾げた。

 

「カンピオーネとして先輩の上に、『剣の王』なんて呼ばれる剣士なのに?」

「だとしても、よ。そもそもどんな相手だろうと勝ちを拾うのがカンピオーネなのよ? 目が薄いだけで勝てない訳じゃないわ。けれど、それ以上にこれはチャンスでもあるの」

「チャンス?」

 

 メールを送信し終えた携帯を充電器に刺し、レイセの方に向き直った剣は首を傾げる。何が好機だというのか解らないといった表情をする剣にレイセは頷き一つ。

 

「ドニ卿は間違いなく世界でも屈指の剣士。今彼との戦闘経験を積んでおけるっていうのは、後の事を考えるとかなり有難い事なのよ」

「あぁ、ドニさんの剣術を見て覚えておけば、真似できないまでも剣士に対しては今後優位に立てる可能性があるって事か」

「えぇ、その為には確りと彼の剣技を見て感じて覚える必要がある」

 

 そこまで口にして、レイセは一息間を置いた。冷たい色を浮かべた彼女が逡巡するような様子を見せるのは珍しく、剣はやはり不思議そうに首を傾げる。

 何か言おうと一度口を開き、けれど閉じて。一度瞳を閉じて呼吸を一つ挟んだ後、レイセは瞳を開き真直ぐに剣を見据えた。

 

「剣。二、三度斬り殺されてきなさい」

「やっぱりそうなるよな」

 

 覚悟をもって放たれたレイセの言葉を、剣はあっさりと頷いて受け入れた。

 死というのは本来とても重い物であり、故にその瞬間に刻まれたことはその身に強く残る。それに一度死んでいるのだ、その時点で一度戦闘経験の反映が行われてもおかしくはない。

 アクションゲームやシュミレーションゲームなどでも良く行われる『死に覚え』という手法は、現実でも有効ではあるのだ。死ぬという事に敗けない覚悟と、その後に蘇生が出来るのであれば。

 そして。

 葛原剣は、それを可能とする権能を有している。

 

「まぁ、頑張って覚えてくるさ」

 

 気楽に肩を竦める剣だが、告げたレイセの方は表情こそ変えないものの平常ではいられないかのように瞳を揺らす。込み上がる想いを、それが必要であるという理由で押し殺す。

 ゆっくりと深呼吸を行って心を落ち着かせ、レイセは再び口を開いた。

 

「……三度までに覚えられないのなら、戦闘を放棄して」

「解ったよ」

 

 こぼれ出た声はまるで懇願の様な色を強く宿していたため、剣は只頷いた。彼の蘇生には回数制限が存在する。無限の蘇生などあり得ないのだ。

 だから三度と区切られた回数も疑問も無く剣は受け入れた。

 

「後は……」

「ん……っと、御免、メールだ」

 

 続いて何かを言い募ろうとしたレイセを遮り、剣が携帯を充電器から引っこ抜いて手に取る。甘粕からの返信が届いておりそこに決闘の時刻と場所が指定されていた。

 自宅と指定された場所に向かうまでの道順とかかる時間を想定する。夕飯を食べてから向かっても十分間に合うだろうと判断しながら、剣はそのまま携帯の上で指を滑らせて番号を呼びだす。

 

「……本当、制御上手くなったわよね」

「修行の賜物だよ」

 

 しみじみと零されたレイセの言葉に剣が苦笑を浮かべて返し、携帯のコール音が鳴りやむのを待つ。

 ふとレイセが外を見ればすでに日は暮れており、夜のとばりが世界を覆っていた。

 今宵、この夜空の下で王二人が決闘する。解っていたはずの其れが、状況が整えられる事で現実味を帯びて感じられ少しだけ彼女は身を震わせた。

 

「……うん、向かうように伝えておいたから、宜しく。……レイセ?」

 

 名を呼ばれて顔を戻せば、剣は連絡を終えた後の様子。もう一度彼女は自分を落ちつける為の深呼吸を行った。

 大丈夫、剣は敗けない。心の中で繰り返す。何時だって不安を感じさせることの少年は、けれど、何時だって少女の期待に応え、願いを叶えてきたのだから。

 だから大丈夫だ、と。もう一度自分に言い聞かせて。

 

「なんでもないわ。それじゃ、夕飯までに出来る限りの事を考えましょう。ドニ卿の権能についても説明しないとね」

 

 夕食が出来上がり、沙恵が呼びに来るまでの間。二人だけの作戦会議は静かに続けられた。


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