【習作】物理で殴る!   作:天瀬

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第四話、媛巫女、魔王、委員会

 清秋院の媛巫女が居なくなった。その報告を聞いた時、甘粕はまさかと思った。

 居なくなった媛巫女の名前を聞いてもしかしたらとは思いはしたものの、幾らなんでもそんな事をやる筈はないだろうと信じたかったのである。

 だが、追ってされた報告に甘粕は蒼くなった。

 件の媛巫女が噂の新たなカンピオーネの家に向かっている、というのだ。

 何かをしでかす前に捕獲をと指示を出そうとしたが、甘粕が動くより早く媛巫女はかのカンピオーネと接触したという。

 こうなっては運を天に任すしかない。もしもの時にすぐ対応できるよう葛原家の近くまで車で駆けつけ、甘粕は車内で只々祈る。

 そんな甘粕のポケットの携帯電話が鳴りだすのは、暫しの後の事。

 

* * *

 

 自室で着替えた剣は階段を降り、先程少女に指示したリビングの扉を開けて中に入る。

 室内は落ち着いた白を基調にした色合いとなっており、床はフローリング。中央辺りには絨毯が敷かれ、絨毯上にこたつテーブルがある。テーブルの向こうには二人掛けのソファーが一つ。見やすいように調整されたテレビがビデオラックの上に置かれている。

 落ち着く事を目的とした居間の反対側は台所に繋がっており、水を飲む時くらいにしか最近は使っていない。冷蔵庫やコンロなどの基本を始め、食器洗浄機なども存在する一般的な近代家庭の台所だろう。

 さて少女は何処にいるのかと室内を見回してみれば、待っていたらしき少女が深く礼をしている姿が目に入った。彼女が立っている場所はテーブル周りで入り口から最も近い位置、つまり下座である。

 

「頭を上げて。……座って待っていてくれても良かったんだけど」

「王を待つというのに、そのような無礼な事などできません」

 

 剣の言葉により顔を上げた少女は、凛と引き締まった表情を浮かべて首を横に振る。その顔色は僅か蒼褪めながらも、けれどその瞳に乗せられた覚悟の強さに剣は首を傾げそうになり、それを堪えた。

 相手がどういう狙いで来るのかが今はまだ見えない、不用意な隙を晒すべきではない。そう思い直して剣は彼女の対面、上座に座り少女にも座る事を勧める。

 

「さて、先ず名前を教えてもらっていいかな。君は僕の事を知っているようだけれど、僕は君の事を知らないから」

「清秋院、沙恵と申します」

 

 少女…沙恵が座ったことを確認してから切り出した剣に背筋を伸ばし、どこか緊張を浮かべた面持ちのままに沙恵が応ずる。

 せいしゅういん、さえ。聞き覚えのあるその姓に剣は日本に戻ってくる前に叩き込まれた、日本国内の魔術師知識を思い出す。

 日本には古来より帝に仕えてきた呪術師の一族が四つ存在する。それぞれ清秋院、九法塚、連城、沙耶宮の姓を持ち、各々が重要な役割を分担しているという。

 もっともその四家の間では今でも権力争いが行われているとのうわさもあるとの事。流石に遠く離れたギリシャでは詳細な情報までは入手できなかったと相棒が教えてくれた。

 しかし、相棒から得られた情報だけでも目の前の沙恵の存在と矛盾するところがある。生じた疑問を剣はそのまま口に乗せた。

 

「清秋院の家は跡継ぎになる娘一人しかいなくて、その跡継ぎの名前は恵那って聞いてるけど」

「はい、清秋院の直系となるのは恵那様一人です。私は清秋院本家ではなく、分家の出となります」

 

 成程、と剣は一つ頷いた。接触に使う人員に本家の大事な跡継ぎを持ち出すのは流石に考える、というのも解らないではないのだ。何せカンピオーネという存在の悪評については剣も嫌という程聞かされている。

 ただ、だとするとこの状況は正史編纂委員会からでなく清秋院からの接触として彼女が向けられた、とみるべきだろう。大家とは言え一つの家から直に接触があるのは予想外だ、と剣が考えたところで。

 

「……葛原様」

「ん、何?」

 

 唐突に呼ばれた事に意識を沙恵の方に向ければ、彼女は何処か蒼褪めたまま。それでいて強い、己をも捨てるような覚悟の光を瞳に宿したまま。

 ゆっくり頭を下げ、再びの最敬礼を見せてくる。

 

「突然の訪問という不敬、御寛恕を請う事など本来は出来ぬと承知しております。ですが、この行動は全て私、沙恵が独断で行った事。清秋院の家に責任は御座いません。どうかその御怒りはこの身にのみ降されるよう願います」

 

 礼と共に吐き出された言葉に、剣は思わず呆然となりそうになるのをぎりぎりで意識を引き締めた。

 今の言葉はそのまま流すには少々問題がある。故に、剣はその問題となる部分について尋ねるしかない。

 

「ぇ、っと。独断、って言ったけど。正史編纂委員会とか、清秋院の家からの指示じゃなくて、君が完全に独断で、ってこと?」

「仰せの通りです。委員会も清秋院も関係なく、私の独断による行動です」

「…そういう風に言え、って…言われたわけはないか。そんな捨て駒みたいに使うのならそも接触する意味がない」

 

 考えかけたことを切り捨て、剣は溜息を吐いた。もちろん捨て駒のように送り込み、取りいって旨味だけを吸いだすという可能性も考えはした。

 考えはしたのだが、それにしてはこの目の前の少女の態度は実直に過ぎる。もし取り入るのであればもう少し誘惑という形を見せるだろう。このように平伏し全ての罪は己に、等と伝える意味はない。

 

「……」

 

 頭を下げたままの沙恵を前に、剣は暫し黙考する。予想外の展開ではあるがだからと言ってこれをこのまま流すのはもったいないだろう。分家とは言え清秋院の家の人間というのなら何処かに繋がりだってある可能性はある。

 折角飛び込んで来てくれた繋ぎなのだ、使わない手はない。己の中で出た結論に従い、声をかけようとして。

 口からは、不意に浮かんできた疑問が飛び出した。

 

「そんな恐れる事をしたと思うなら、なんで此処に来たのさ」

「――……」

 

 少女の肩が一瞬揺れるが、反応は其れだけで彼女は平伏する姿勢を維持したまま。ふむ、と頷いて剣は言葉を重ねることにした。

 

「その独断の理由も知らずして、判断を行う事などできない。赦してくれとは言わないまでも責を自分一人にと訴えるのなら行動の理由まで教えてもらいたい所なんだけど?」

「……」

 

 直ぐには答えはない。だが、言うべき事だけを告げた剣はそのまま待ちに入る。黙ろうとするその理由を聞いたところで繋ぎには関係ないとは剣自身も思っている。

 けれど、不意に口をついただけの疑問だというのにこの答えを聞かぬまま話を進めるという気にはならない。その理由を問われたなら、短く『勘』と答えたろう。

 

「……私、は。……私は、清秋院の媛巫女、です」

 

 平伏したまま訥々と語り始めた沙恵の言葉を聞き、剣は言葉の意味を記憶から浚いだす。

 媛巫女。確か、西洋における魔女の資質と根本を同じとする資質を持つ者をさす言葉。強い呪力を持ち、霊視の能力やあるいは特殊な能力を持って生まれる者もいると聞く。

 その能力故に媛巫女は有事の為に大事に扱われるという。日本に大きな災厄が訪れそうな時、訪れた時にその力を揮うために。

 

「媛巫女として生まれて、鍛練を続けてまいりました。その必要があれば、技と呪を以って厄災を鎮める為に。私達は、その為に日々鍛錬し己の能力を磨いております。…なればこそ」

 

 言葉を口にするうちに、その想いを抱いた時の感情が蘇ってきたのだろう。それは一時的に沙恵の前に居る剣への、カンピオーネへの恐怖を上回る。下げていた頭を上げ、身を起こし、真正面から己を見る少年と目を合わせ。

 そして、沙恵はただ訴える。己が此処に来るに至った感情の発端。初めにあった想いを。

 

「なればこそ、私は媛巫女としてその力を揮いたいと願います。叶うならば、まつろわぬ神という厄災に抗う羅刹王となられた御身に仕え、御身と共に」

「……」

 

 暫し視線をぶつけ合う。強い意志を込めた沙恵の瞳を冷めたような剣の瞳が受け止める時間が続き、しかしふと我に返った沙恵が慌てたようにまた両手を床に付き、深く身を下げるのを見て剣の口から溜息が漏れた。

 

「君の処遇については後回しだ。それよりも君にやって欲しいことがあるから」

「…はい。私に出来る事であれば、なんなりと」

「正史編纂委員会に知り合いとか居ないかな? 居るのであれば連絡を付けて欲しいんだ。カンピオーネ、葛原剣が話がある、と」

 

 剣の言葉に、沙恵は少しだけ考える表情を見せ。それから申し訳なさげな表情を浮かべて口を開く。

 

「心当たりはあります。呼び出す事は出来ます、が……申し訳ありません、連絡手段を私は所持しておりません」

「……携帯、持ってないの?」

「これまで不要でしたので…。電話を使わせて頂けるなら、番号は覚えております」

「成程。んじゃ、これ使って」

 

 自分のズボンのポケットに入れていたスマホを取り出し、電話をかける状態にしてから差し出す。受け取った沙恵は画面を見、剣を見て、もう一度画面を見て、そしてやはり困った表情を浮かべたままだった。

 

「あの、これはどのようにすれば番号を指定できるのでしょうか。浅学故に手を煩わせてしまい申し訳ございませんが、どうか御教授願います」

「……」

 

 彼女が電話をかけるまでに数分を要し。

 そして電話が通じた後はほとんど待つことも無くその相手は葛原家を訪れたのであった。

 

* * *

 

「いやぁ、この度は御招きに預かり有難う御座います、甘粕冬馬と申します」

 

 携帯に連絡がきたときは何事かと思ったものの。想定した最悪の連絡ではなく、寧ろ予想外の僥倖と言うべき連絡内容に甘粕は急いで車を出て葛原宅に向かった。

 そして出迎えてくれた少年に対し、名刺を差し出しながら礼をする。

 

「葛原剣です、急な呼び出しに応じて頂きこちらこそ感謝を。お忙しい中有難う御座います」

 

 対し、出迎えた剣はくたびれたサラリーマンじみた男性が訪れたことに内心では驚きを覚えながらも、どうぞ、と家の中にその人物を招き入れた。

 魔術師や呪術師の統括組織という前情報からなんだかもっと術師っぽい人物が来るのかと思いきや普通のサラリーマン。ついこの間までそういった知識の無い剣が不思議に思っても仕方はないだろう。

 けれど。今リビングに居る媛巫女も普通の格好だったよなぁと思い出し、現代における魔術師はそういうものなのかと納得する。

 

「それでは、リビングへどうぞ」

 

 剣が誘えば、自然にリビングの扉が開く。扉を開けた少女は控えめに下がって頭を下げており、その様子に甘粕は少しだけ目を細めた。

 

「沙恵さん、如何も」

「いえ。御迷惑をお掛けしました」

 

 短い言葉のやり取りのみで済ませ、甘粕が室内に入り下座に付く。その動きはやはり自然であり、同時、一瞬迷いかけた剣の傍に付き上座へと誘う沙恵もまた自然で気付けば剣はまた上座に座っていた。

 そして、剣と甘粕の前には氷の入った冷えた麦茶が置かれている。用意したのは今現在上座に付く剣の斜め後ろに控えている沙恵だ。

 甘粕を出迎える際に「台所をお借りします」と言っていたのはこの為だったのかなんて思いながら、剣は改めて甘粕と向かい合った。

 

「それで、私達に御話があるとの事ですが、どのような話でしょうか?」

「簡単な話です。先ず、自分がカンピオーネとなった、という情報は既に伝えられていると思いますが」

「あぁ、はい、存じ上げておりますよ。……沙恵さん?」

「偽りなく、葛原様は羅刹王で在らせられます。清秋院沙恵の名に懸けて真実だと誓いましょう」

 

 甘粕の問うような視線に沙恵が間髪入れずに頷き、答える。ん? と不思議そうに二人を見る剣を見て甘粕が何か口を開こうとするが、それより早く視線に気づいた沙恵が頭を下げた。

 

「申し遅れた事、真に申し訳ありません、葛原様。私は神秘を見抜き読み解く霊眼、霊視の能力を有しております」

「……あぁ、僕の情報をそう聞いたからカンピオーネと信じた訳じゃなくて、僕がそうだと見抜いたのか。で、今確認をとられたと」

「いやはや、申し訳ありませんね」

「いえ。裏を取らねば信用できぬ類の情報であるという事は解りますので気になされず、ですよ」

 

 あっさりと沙恵が己の能力を明かし、それを受けて剣がすぐに事情を察しながら仕方ないと笑った。一連の流れに甘粕は自分の中で剣に評価を付けていく。

 知識はまだ未熟ながら智慧は回る。性質は王となる以前から大きく変わることなく温厚で理性的。彼等にとって幸いなことに、そう問題を起こしそうな様子はない。

 

「で。話というのは、出来れば貴方達とは友好的で居たい、という御願いです」

「……と、言いますと?」

「言葉通りの意味ですよ。僕としては自分の生まれた国であまり暴れたくはありませんから」

 

 ふむ、と甘粕は考える。友好的で居たいのは委員会としても同じである、というより、友好的でなければどうなることか解ったものではない。

 けれど本当にそれだけなのかどうか、疑問に思うのも事実。少しだけ思考を回し、彼は少しばかり大げさに身を竦めて見せた。

 

「つまり……我々に王に従え、と仰せでしょうか」

「いえ、互いに協力関係で在れれば良い、と思っています。こちらの要望に応じて貰えるなら、そちらの御願いにも応じましょう」

「成程、ビジネスライクに付き合いましょう、と」

「そうですね、その認識で間違えてはいません」

 

 頷く剣を前に甘粕は瞬時に思考を閃かせる。

 剣の言っているスタンスは現在日本にいるもう一人のカンピオーネと其処まで大きく差のあるものではない。寧ろ願いに応じるとはっきり宣言している当り、剣の方が条件としては良いかもしれない。

 

「解りました、そのように伝えておきましょう」

「お願いします。そのついでに、此方から伝えて欲しい要望が一つあります。よろしいですか?」

「えぇ、構いませんよ、お伺いします」

「情報の提供、並びに緊急用件の連絡などは拒みません。ですが、僕の生活に対する不要な干渉は拒ませて頂きます、全力で」

 

 笑顔で言い切る剣の言葉に、甘粕は背筋が寒くなった。カンピオーネの言う全力。それはすなわち、権能を行使してもという事に他ならない。

 彼は今、はっきりと己に対し宣言したのだ。権能を行使する事を厭わない、と。これまでの話しからその意味を解らぬような人物ではないだろう、その予測がさらに甘粕の背筋を冷やす。

 

「解りました、しっかり、伝えておきます」

「お願いします。こんな些細な事で不仲になったとて、お互いに損しかありませんからね」

 

 さらりと返して笑うこの少年もまた、やはりカンピオーネ…王なのである。いかに理性的に見え、温厚な振りをしていても必要であると判断したならば即座に牙を剥く神殺し。

 胃薬でも買って帰ろうか、などとこの状況で思考できるあたり甘粕も只者ではないという評価になりそうだが、本人にも自覚があるので此方は問題ない。

 

「ところで、どの程度から不要な干渉、となるんでしょう?」

「そうなった時に逐次連絡させてもらいますよ。その時々に合わせてそちらで対処してください」

 

 探るようにした問いにはやはり笑顔で言葉を返された。甘粕は吐息を吐き降参というように諸手を上げ、そのおどけた行動に剣は寧ろ楽しそうに笑った。

 

「こちらからの用件は以上です」

「承りました、きちんと上に伝えておきましょう。…ところで、御願いという訳でもありませんが訪れておいて何もしないという訳にもいかないので何か入用なものなどありません?」

 

 切り上げる様に告げた剣の言葉に頷きを返してから、けれど甘粕は不意に笑みを浮かべて問いかける。不意の事に不思議そうに首を傾げる少年に対し少々やりかえしてやろうと甘粕が思ったのかどうかは定かではないが、剣の後ろに控える沙恵は甘粕の様子に何となくそんな感じを受けた。

 ここは甘粕を諌めるべきか、それとも剣に伝えるべきか。逡巡の間が運命を決めてしまう。

 

「と言われても、特に何かある訳じゃありませんが…」

「まぁ、引っ越し祝いの様なものですよ。後で沙恵さんの荷物も届けさせますから、そのお祝いも兼ねて」

「は?」

「……?」

 

 言われた言葉の内容に剣は思わず唖然とし、名を上げられた沙恵は何故ここで自分の名前が出たのかが解らないというように首を傾げる。そんな二人に甘粕はニコニコ顔で言葉を紡いだ。

 

「あれ、沙恵さんは葛原さんの傍付きとなったんじゃないんですか? ごく自然に控えられていたのでそうだとばっかり」

「ぇ。あ、そういえば清秋院さんなんで僕の後ろに居るんだ? 普通に相席してくれてよかったのに」

「王と客人の談議の卓に着く等この身には過ぎたことに御座います。控える事こそ分相応だと判じました」

「いや、そもそも清秋院さんも客人だから。甘粕さんと同じ客人だから」

 

 控えたまま述べる少女の言葉に思わず突っ込みを入れる剣。そんな二人の様子を眺め、ふむ、と甘粕は腕を組んで困ったように首を傾げた。

 

「しかし、困りましたね。沙恵さんが葛原さんの傍付きではないとなるなら、彼女には独断で行動した罰を受けて貰わねばならないことになりそうですが…」

「え? ぇと、罰ですか? どうしてまた?」

「いやぁ、だってカンピオーネとなられた方の所に独断で突撃したんですよ? 下手をすれば御家がつぶれるどころか、正史編纂委員会という組織自体が潰える所でした」

「いや、それは言い過ぎ…って訳じゃない、ですか。カンピオーネですもんね」

 

 甘粕が真顔で言う言葉に、否定しようとした剣の言葉が尻すぼみになっていく。向こうでは相棒に吹きこまれ、帰ってくれば東京を災禍の渦に叩き込んだと聞いたばかりである。確かに家や組織の一つや二つ、潰したとしてもおかしくはない。

 そして話題となっている沙恵は只瞳を閉じて座っている。その様は己の罪を認め断罪を待つ罪人のよう。

 そもそもが剣に対し、罰が在るならば己の身に、と言っていた少女である。この後で帰って罰を受けるとしても、粛々とそれを受け止めるだけなのだろう。

 本人が納得しているならば別にいいかと剣は思い、溜息を吐こうとして。

 

 不意に先程の少女の強い瞳が思い起こされた。己に向けられた強い意志。巫女としての本分を全うしたいという願い。

 彼女は相手が羅刹王で在れば誰でも良かったのだろう、と思う。それは葛原剣という人物でなくたって構わない、そう、草薙護堂とか言う七人目のカンピオーネでも構わないのだろう。

 けれど。あの思いを今向けられたのは葛原剣に他ならず、他の何物の王でもない。いま彼女の意思と願いを叶える事が出来るのは剣のみである。

 そして、剣はその想いに共感にも近い感情を得ていた。己の力を本来在るべきために使いたいと、そう訴えた少女の姿が何処か居場所を探してさまよう過去の己を思い起こさせたが故に。

 

「それじゃ、沙恵さん。戻ってからお話を……」

「済みません甘粕さん、少し待ってもらえますか」

 

 沙恵に対し苦笑を浮かべて何かを言おうとした甘粕の言葉を遮る。そんな剣の様子に甘粕は首を傾げ、沙恵の方は頷こうとした動きを止めて剣へと思わず顔を向けた。

 丁度自分へと向けられた黒の瞳と視線がぶつかり跳ねる鼓動を自覚する。何故この拍子に己が見られているのかと、状況が理解できず沙恵は眼を逸らす機を逸した。

 

「清秋院さん。さっき、僕に仕えたいって言っていたけれど。本気?」

「……もし、それが叶うのであれば。この身の至福に御座います」

 

 問い掛けられた言葉に、目を逸らすことが出来ぬままただ想った事だけが口から零される。その答えを受けて剣は溜息を一つ吐いた。

 

「甘粕さん、さっきの要望に一つ追加していいですか?」

「えぇ、なんでしょう」

「彼女は僕が貰います。故に、彼女に対していかなる罰を与える事も許しません」

「王に言われてしまっては仕方ありませんね」

 

 苦笑を浮かべて甘粕の方に向き直る剣と、おどけたように肩を竦める甘粕。二人のやり取りの言葉が耳に入りながらもその意味が直ぐには解らぬ沙恵は眼を瞬かせ。

 その言葉の意味が己が身に浸透し、そしてようやく理解に至って。媛巫女の少女は己が主に只深く、深く頭を下げた。

 

「ところで、葛原さん。陛下の接待って事になれば豪華な料亭だろうと食べ放題出来そうなんですが、如何です?」

「……甘粕さん。折角なので要望さらに追加していいです?」

 

 ちょっとだけ。本当にちょっとだけ。この人について行っていいのだろうかとか過ったことは否めませんと、媛巫女は後に銀の薬師に語ったという。




ちょっとだけ後書きにて言い訳を。

>展開ペース遅くね?
御免なさい、始めのうちに足場を固めたいと思いまして。
もう少しだけお付き合いください。もうすぐ動き始めます。

>師匠の名前は?
正直気にされると思ってませんでした。
特に出す必要性を感じていないので、今後も出ないと思います。

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